鹿 児島の自然だより 鹿児島の地 質⑭ 第43号 平成21年12月1日 屋久 島の タングステン鉱 山跡 屋久島のタングステン(重石)は戦時中に 砲弾や電球のフィラメント等に使用されるな ど,わが国の鉄マンガン重石資源としてかな り重要な地位を占めていました。採掘の最盛 期 は 昭 和 18年 で , 屋 久 島 に お け る 精 鉱 量 総 計 94.4ト ン と 記 録 さ れ て い ま す 。 い ず れ の 鉱 床 も花こう岩の岩体周縁部にあり境界近くの花 こ う 岩 ま た は 変 成 作 用 を 受 け た 堆 積 岩 (ホ ル ン フ ェ ル ス )を 母 岩 と し て い ま す 。(下図参照) 鹿 児 島 県 下 有 望 鉱 床 地 域 昭 和 48年 度 調査 報告 よ り ( 鹿 児 島 県 地 下 資 源 開 発 促 進 協 会 ( 1969)) 現在,これらのタングステン鉱床は,すべ て閉山しており,すでに荒れ果ててその跡が はっきりしないものがほとんどです。 これまでに屋久島在住の中川正二郎氏の協 力を得て,鉱山跡の所在地や現在の坑道など の様子を記録に残しておくために調査を行い ました。今回は,過去の文献や地元での聞き 取り調査等をもとに現地で確認ができた2つ の鉱山を紹介します。 ○早崎鉱山(屋久島町小瀬田) 【所在地および沿革】 屋 久 島 町 早 崎 , 落 川 河 口 の 北 約 800m の 海 岸部にあります。明治末に発見され,露天掘 り お よ び 坑 道 掘 り が 行 わ れ , 昭 和 13年 以 来 , 鹿児島県立博物 館発行 地 質担 当 鈴木 敏之 仁田鉱山(株)により稼行されました。昭和 16年 選 鉱 設 備 を 完 成 し ,1 日 あ た り 精 鉱 2 kg を あ げ ま し た が , 同 20年 空 襲 激 化 の た め 休 山 し,その後,閉山しました。 【現在の状況】 現地までは比較的 容易にアクセスする ことができます。周 辺に選鉱後捨てられ た鉱石(砂岩)の中 写真 1 早崎 鉱 山 跡 の石英脈にひじき状 のタングステン,電 気石,水晶などが認 められました。坑道 は石英脈を追って掘 られていますが,そ の後の落盤のために 写真 2 タングステン鉱 埋められている状況 でした。 ○仁田屋久島鉱山(屋久島町平野) 【所在地および沿革】 屋久島町安房の南西の丘陵地にあり,明治 44年 に 発 見 さ れ た 鉱 山 で す 。 休 山 , 鉱 業 権 の 移 行 な ど を 経 て 昭 和 16年 か ら 機 械 化 に よ る 本 格的な操業をはじめ,タングステン鉱山とし て わ が 国 第 2 位 の 生 産 を あ げ ま し た 。 昭 和 20 年 の 終 戦 に よ り 一 時 休 山 し , 昭 和 25年 頃 か ら 需要増加に伴い採掘を開始しました。その後 休 山 , 操 業 再 開 を 繰 り 返 し , 昭 和 33年 不 況 の ために休山し,閉山しました。 【現在の状況】 今回の調査では, 平野付近の丘陵地に 5つの坑道と発電用 の水路跡および関連 の施設跡を確認する 写 真3 坑 道跡 ことができました。坑 道の1つには途中ま で軌道が敷かれてお り当時の操業当時の 様子を想像すること ができました。 (注)調査にあたっては所有者の許可 をもらっています。 写真4 発電用水路跡
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