部落 と 環境問題 [ー] 三 輪 嘉 男

部 落 と 環 境 問 題 〔Ⅰ
〕
_
±
■
ー
_
±
輪
嘉
男
Ⅰ は じ め に ・
---・ ・
・
・
・
-・
・
・-・
・
・
・
・ -・
・
-・
・
-- 1
3
4
-
・
・・
Ⅰ 産炭地域の部落環境 --・
- -・
-・
・
・
・
・
・ -・
・
・・ ・
・
・
・
1
3
4
・
-
・・
-
・ ・
Ⅱ 地方大都市圏周辺部の部落環境 ・
・
-・
・
--・
-・ --・
・
・
1
4
9
-
Ⅳ 部落産業 を もった地区の環境
(
以下次号)
†
部落 におけ る環境整備対策上の問題点
Ⅵ
あ
と が
き
-1
3
3-
Ⅰ は
じ め
に
部落の環 境 は、 その形成過程における差別支配のなかで、 一般の土地利用に
は適 しない よ うな河川沿い、遊水地 、傾斜地 、谷間、 低湿地 な どの劣悪 な立地
条件で、他の身分の もの との接触を最小限に し、 死牛馬の処理や警備 な ど部落
民の労働 力 を利用 しやすい ところに位置づけ られ た。 しか も身分、居住、職 業
とい う三位一体的 な拘束の もとに、 差別の悪循環 に よって、 よ り災害 を うけ、
悲惨 な生活 を強 い られていた。
明治 4年の解放令 は公的 な膿民身分制 をな くしただけで、 封建社会 よ り資本
主義社会の方向へ新 しい不安定 な部落労圃力 として、 下 か ら支 える身分遺制の
もとに、農漁村部落の窮乏 か ら炭坑 や都市へ流出 して も、産炭地域や、大阪の
西浜地区周辺、 東京の荒川地区、 神戸の新川地区、 呉 の山手地区な どの よ う
に、貧困 と劣悪 な環境の もとに、被差別地区が形成 きれ、 拡大再生産 きれてい
ったので あ る。
農村部落で も立地条件が悪いなかで、 企業は地価 の安 い土地 を地区周辺 に求
め、地区夕恒也主が これを売却 し、利便性の少 ない、 公書 を伴 な うよ うな事業所
が立地 して、都市化のなかで環境が悪化 してい く場 合が多か った。
部落民が多 く従事す る皮革製造、屠場、 その関連 産業であ る獣骨処理、 油脂
製造の事業所 な どは、部落 内や周辺に立地 して、悪臭、 水質汚濁な どの公害 を
伴 ない、差別の悪 循環に よって、生活環境 のみな らず、 労働環境 や生 産環境 を
も劣悪 さを加 えていた。 戦後の技術革新 と公害防止 の高 ま りのなかで、小零細
な規模の 多い部落産業は解体化の方向を辿 る ものが 多 く、 環境対策 とと もに就
労対第が 切実 な もの とな って きてい る。
そこで これ ら三 つの問題 をかか えてい る産炭地域 や地方大 都市圏周辺 部の部
落 と、部落産業 をかかえた地区の環境問題 について分析 してい きたい0
Ⅰ 産炭地域の部落環境
1
立地 条件
産炭地域 のなかで粕 こ部落人 口の密集 してい る筑 豊地域の下 田川4か町の部
-1
3
4-
落環境をとりあげる。下 田川4か町 (
糸田、赤池、金 田、方城)は、北東部が
福智山をは じめとす る山脈によって北九州市および香春町 と接す る一方、西部
は、低い山系によって嘉穂郡 と接 し、南北に遠賀川水系によって旧川市 と直方
苗につ.
なが っている。 4か町の部落は、 この遠賀川水系によってつ くられた谷
底平野の田川盆地 と傾斜地に立地 してい るが、 中元寺川 と彦山川の合流点に立
地す る金田町宝見地区の ように、 度々浸水に見舞 まわれ鉱害による沈降 した川
床に,
、洗炭による汚濁水中の泥土が沈澱堆積 し、増水時に氾濫を誘発 し、浸水
地の排水を不良にす るな どの問題をかかえている。 また、赤池町赤池地区や金
田町上金 田地区のように傾斜地や、谷間に立地 して、 山崩れの よ うな災害や、
口照、道路条件の不良な ところなど、劣悪な自然的立地条件を もつ 地 区 が 多
い.
. とくに注 目せねばな らぬことは、社会的条件によって劣悪 さが加速 されて
い.
ることである.
(
註1
)
o
すなわち、石炭産業の二重構造のなかで、 とくに中小炭坑の多 くの労働者は
部落出身であ り、 また部落が山間部に点在 して安い地価で土地が買え、部落の
安い労働力を利用で きたため、 抗 日やボタ山は部落円および周辺に設 け られ る
ことが多 く、部落民は苛酷な労働条件によって蛋労働を強い られ る一方、鉱害
によって農地、家屋、道路、水路は至 るところ陥没 し、 低湿地化 して、経済、
環境、衛生 など、多 くの面で被害を うけて きた。 とくに上金田地区は地区内に
おけるボタ山が豪雨によって崩れ、道路を埋めた り、 地区に隣接 したボタ山の
うえに造成 された炭住の地区があって防災上なお危険性 をは らんでい る。
2住
宅
4か町の人口密度は、昭和45年で糸田町が1
2.
3
人/
l
w、金 田町が 1
1
.
4人/
J
w、
4人/l
w、方城町が 4.
1
人/
h
aで、田川市の 11
.
8人/
h
aに比べ ると、赤
赤池町が5.
池、方城町が農地や山地が多 くはるかに人 目密度が低い。 部落の人 口密度は、
金田町は 6地区平均で5
9.
0
人/h
a、糸田町は 7地区平均で2
7.
1
人/h
a.赤池町が
6地区平均で 5.
1
人/h
a、方城町が 9地区平均で 41
.
7
人/
h
aである.赤池町は市
場地区の ように広い山間部を もっているため、地区の場合で も人 口 密 度 は 低
4
年の建設省調査によって不良住宅率をみ ると金 円町は 6地区平均で
い。昭和4
80.
6%、糸田町は 7地区平均で5
6.
4%、赤池町は 6地区平均で31
.
9%、方城町
は 9地区平均で5
4.
9%である。 したが って不良住宅の多いのは人 口密度にやや
-1
3
5-
相関 してお り、金 田、 糸田、方城町に多いことが分 る。
次に不良住宅 を考 えるとき、炭住問題をぬ きに しては考 え られない。地区周
辺 に炭住のあるところ もあ り、部落民が居住す る率 も高い といわれてお り、不
良住宅化 と、貧困の集団化によってスラム化す る条件 を十分備 えてお り、 とく
に単なる住宅対策のみな らず、 炭住社会に対す る総合対策が早急に必要 とされ
るが、この調査では残念なが ら分析 していない(
詫2)
。 調査地区 としては甲票に
金田町)、丸
よる一般調査 として、砥石 (
糸田町)、大 浦 (赤池町)、上七十石 (
糸田
山 (
方城町)の 4地区、乙票によるや、環境面で くわ しく調査 した谷川 (
町)、赤池 (
赤池町)、上金 田 (
金田町)、春 田 (
方城町) の 4地区がある。
(
1) 住宅の所有関係
住宅の うち、持家が 9割をこえるのは、砥石、赤池地区で、他は 6
5%以上で、
持家率は高い。公営住宅は、砥石、上七十石、 赤池地区にな く、谷川、大浦、
表 Ⅱ- 1 住宅の所有関係
砥石 大 浦
持
家
民
営
借
家
公
営
住
宅
給
与
住
宅
同
属
間
借
丸山
計
谷川
赤 池 上金田 春 田
計
6
3
6
2
2
0
4
4 1
8
9 3
0
31
11
4 4
9
2
2
4
1.
7%7
3.
4%
9
2.
6%6
5.
3%7
1.
4%7
3.
3%7
5.
3%6
6.
7%93.
9%6
8.
3% 8
0
0 0
・
0
00000 0 0
3
7
4
2
1
6
4.
4% 7.
4% 1
4.
3% 3.
3% 6.
4%
2
4
2
5.
3%
Ⅰ-2
1
ll
2
1
4
3% 4.
6%
3.
0% 6.
6% 3.
l
l 3
5
1
3
1
8.
3%1
3.
9%2
8.
9%
36
5
5
4
21.
6% 8.
3% 1
7.
7%
0
00
2
2
4
3
l
l
2
1
6
4
1
3
2.
9% 2.
1
%1
4.
3% 5.
0% 4.
4% 4.
4% 3.
0% 3.
6% 6.
7% 4.
3%
68
計
表
上
十石
七
9
5
2
8
6
0
2
5
1
4
5
3
3
宅地の所有関係
計
-1
3
6-
1
6
7
6
0
3
0
5
上金田地区では 2
0%台であるのに対 し、 民営借家、 同居間借は上七十石を除
き、何れ も1
0%以下であ り、 都市部 と大 きな差を もってい る(
証 3)0 (
表
(
2)
Ⅰ
- 1)
宅地の所有関係
持家における宅地の所有関係は、赤池、上金田地区では7
0-80%台の持地に
3.
3% となって持地が少ない。 (
表
対 し,谷川地区のみが3
(
3)
Ⅰ
- 2)
住宅の種類、構造、階数、屋根材
1戸延が最 も多 く、木造が殆 どであ り、平家が7
0-80%で、 他は 2階建で、
3階以上は存在 しない。公営住宅は簡易耐火の連続越 2階である。 バ ラック、
納屋な どは 4地区に 1- 4戸 はど存在す る。住宅の 屋 根 材 は調査 4地区の う
ち、ス レー ト、 ワラ茸が 3地区で何れ も 1戸ずつ、 トタンは 3地区で 2- 5戸
で他はすべて瓦であ り、劣悪な ものは少ないといえよう。
(
4
) 住宅の建設時期
8.1
%、少 ないのは上金 田
明治、大正期の住宅が最 も多いのは、赤池地区の2
1
%であ る。 昭和期で終戦前の ものは、最 も多いのが上七十石の 21.
7%、
の8.
表甘
-3 住宅の建設時期
計
計
-1
3
7-
計
最 も少 ないのが上金 田の6
.
8%であ る。戦後 は昭和 2
0-3
0年、 31
-3
0年、 3
6-
-45
年、4
6年以降 に分 けてい るが、 最 も率 の高 いのは昭和 2
0-3
0年
40年、41
0.
3
0
/
O、上七十石が3
4.
80
/
O、赤池が4
3.
80
/
O、春 田が 41
.
1
0
/
Oであ るo
で、砥石が3
-45
年で2
3
.
7%、丸 山が昭和 4
6年以降 で2
9.
8%
その他の地区では大浦が昭和41
谷川が4
6年以降で3
4.
9%、上金 田が41
-45
年で 41
.
6%で最 も高 くなってい.
る0
41
年以降で率の高 い地区は、何れ も公営住宅があ る地 区であ り、 丸 山を除 き、
鉱害復旧 と も関連 してい ると思われ る。 (
表
Ⅰ- 3)
(
5) 住宅の老朽度
「危険又 は修理不能」の住宅は、最 も多いのは大 浦の 4戸、 次に上金 田、春
大修理 を必要 とす る」住宅 は、
田の 2戸、砥石、丸 山、谷川の 1戸 であ る。 「
8.
3%、 次いで丸 山、 春 田、 赤 池地区 に多い。 「修理不
大浦地区が最 も多 く 1
3.
5
%で最 も多 く、 40%台が砥石、大浦、丸 山、上
要」の住宅 は、谷川地区が5
金 田地区 であ る。一般 に住宅の老朽度は建設時期 と相関 してい るが、 ここでは
砥石が例外であ る。 これは、鉱害復旧による もの と思われ る。 (
表
表
Ⅰ- 4)
Ⅰ-4 住宅 の老朽度
危険、修理不能
1
4
1.
5% 4.
台o
/
a
0
1
6
1
1.
8% 2.
5% 2.
3%
0
2
2
5
1.
2% 3.
6% 1.
7%
大修理を
4
1
7
1
1
0
3
2
4
4
1
6
8
3
2
必要とする 6.
1
%1
8.
3% 4.
5% 1
7.
5%1
3.
4% 9.
3%1
2.
5% 9.
9% 1
4.
3% l
l.
0%
かなり修理を
1
2
1
8
2
1
3
4
5
6
1
6
3
0
2
0
7
2
必要とする 1
8.
2% 1
9.
4% 9.
1
%2
2.
8%.
1
8.
9%1
4.
0%5
0.
0% 1
8.
6%3
5.
7%2
4.
7%
ー
■
r
小修理を
1
7
1
2
1
3
7
4
9
9
8
4
7
1
7
81
必要とする 25.
8%1
2.
9%5
9.
1% 1
2.
3%2
0.
6%2
0.
9%2
5.
0% 2
9.
2%3
0.
4%2
7.
7%
修 理 不 要
計
(
6)
3
2
4
2
6
2
6 1
0
6
2
3
4
6
6
9 1
0
2
5% 5
3.
5% 1
2.
5%4
1.
0%1
6.
1%3
4.
9%
4
8.
5%4
5.
2%2
7.
3%4
5.
6% 44.
6
6
9
3
9
3
5
7
2
3
8
4
3
3
2
1
61
5
6
2
9
2
住宅の部 屋数
3皐以下の狭小住宅の 多い地区 としては谷川地区の51
.
2%、上七十石の 4
6.
6
%、上金 田の41
.
9%であ る。 これ と相関が高 い とみ られ るのは、 谷 川では公営
住宅 と同居間借、上七十石では民営借家 と同居間借、 上金 田では民営借家 と同
-1
3
8-
居間借であ るが、 3地区 と も持家の1
/
3
-1
/
4
が 3室以下であ ることが分 る. (
表
Ⅰ- 5)
表∬
-5 使用 してい る部屋
計
計
(
7) 住宅の鉱害状況
「
鉱害を うけて新築 した」住宅が最 も多いのは上金田の24.8% 、 次いで谷川
の23.2% 、春 田の1
4.3% であ る。 「
鉱害 を うけて改築 した」住宅が最 も多いの
/
O
、赤池の43.80
/
/
O
である. 「
鉱害 を うけていない」住宅 は、
は上七十石の73.90
大浦地区の79.6% が最 も多 く、 次いで丸山の71.9% である。 これに対 し、 「鉱
害を受けたが、修理 していない」住宅が最 も多いのは、赤池の43.8% 、次いで
-1
3
9-
春 山の3
0.
4%、皆無の上七十石を除 いて、他 はほぼ2
0%台 であ るo 鉱』 を受 け
た住宅 は、鉱却 こよる地盤沈下のため、 住宅 に狂いが生 じ、戸障子の 脚乱 不
便建付の不具合、壁土の脱落、 屋根の破損 に よる雨 漏 り等が生 じ、つ いに倒壊
を きたす こと もあ る。 と くに浅所採掘 による被害 は小範囲の地表が突然陥落す
常に居住す る住宅 の恵下 に この よ うな被哲が生 じると人命 危険の恐れ
るため、
す らあ る。 さらに道路や下水路の被害 は、 地盤の不 等沈下 に よ り降雨時の浸水
とな り、 また排水溝 内に悪水が停滞 して附近 に溢流 し衛生上 著 しく支 障を きた
してお り、 また住宅の老朽化を さらに促進 させてい る。 したが って住宅の鉱 害
復旧は、単 な る個 々の改修 に とどまることな く、 地区全体の総合的な環境整備
計画 に もとづいた住宅対策の一環 とな ることが必要 であ る。 (
表
Ⅱ- 6)
表Ⅱ
-6 家屋の鉱害状況
砥石 大浦
上石
十
七
丸山
計
谷川
赤池 上金田 春 田
計
鉱害をうけたの
6
2
3
1 J
1
2
1
0
2
4
0
8
6
0
で新築 した
9.
1
% 2.
2%1
3.
0% 1.
8% 5.
0%2
3.
2% 6.
3%2
4.
8%1
4.
3%2
0.
5%
鉱害をうけたの l
l
1
1
7
3
3
2
ll
1
4
3
9
1
7
81
で改築 した
1
6.
7% 1.
1
%7
3.
9% 5.
3%1
3.
4%2
5.
6%4
3.
8%2
4.
2%3
0.
4%2
7.
7%
鉱害をうけたが 1
6
1
6
修理していない 2
4.
2%1
7.
2%
0
1
2
4
4
8
1
4
41
1
7
8
0
21.
1
%1
8.
4%1
8.
6%4
3.
8%2
5.
5%3
0.
4%27.
4%
鉱害をうけてい 3
3
7
4
3
4
1 1
51
1
4
2
41
1
4
71
ない
5
0.
0%7
9.
6%1
3.
0%7
1.
9%63.
2%3
2.
6% 6.
3%2
5.
5%2
5.
0%2
4.
3%
計
(
8)
6
6
9
3
2
3
5
7
2
3
9
4
3
3
2
1
61
5
6
2
9
2
住宅の排 水設備、炊事用の流 し
住宅 の排水設 備は何れの地区 も殆 どととの ってお り、 最 も多いの が 谷 川 の
95.
3%、少 ないのが春 田の7
3.
2%であ る。「排水設備の破損 してい る」住宅が 多
6戸であ り、 「排水設 備のない」
いのは、 4地区 の うち、春 田の 9戸、 上金 田1
1
戸、春 田の 6戸であ る。 排水設 備がなか った り、
住宅が多いのは、上金 田の 1
破損 してい る場合、 汚水が下水路 に流れ こまず、悪臭 を伴 ない、環境衛生上 問
題であ る.
炊事 用の流 しについては、殆 ど軍用で
「
共用」が 4地区の うち 3地区 1- 6
戸であ り、 「他家の流 しを使用 してい る」 のが、 3地区で何れ も 1戸であ る。
(
9
) 水道栓 と風 呂
-1
4
0-
専用栓のある住宅が 4地区 とも殆 どで、 「共用栓」 のあるのが 3地区 1- 5
戸であ り、 「他家の水道を使用 している」住宅および 「他家の井戸を使用 して
いる」のは何れ も1戸のみである。
専用の風 呂がある住宅は 4地区 とも殆 どで、 「他家の風呂を使用 しているの
は上金田が最 も2
0戸で最 も多 く、赤池が 1戸で最 も少ない。 「公衆浴場」 を使
用するのは僅かで、 3地区 1- 3戸である。
u
o
)便
所
「専用の くみとり便所 (
戸内)
」 が 4地区 とも最 も多 く、 70-79.6%である。
「戸外の もの」は春田が21
.
7%で最 も多 く、次に上金田で1
3.
2%、最 も少いの
% (2戸)である。「戸内の専用水洗」 は少な く4地区で 3- 6戸
が赤池の6.1
共用
「戸外の専用水洗」 は さらに少な く、 2地区 1- 2戸あ るにす ぎない。 「
便所」は上金田のみで 7戸、 「
他家のを使用 しているもの」 は 3地区 1- 2戸
である。 したがって共用便所や、他家のを使用 しているものが、 4地区全体の
4% (
1
2戸)であるが、低質な住宅条件 としてその専 用化を促進す る必要があ
る。
3 痩墳条件の不満度
住宅のまわ りの環境条件についての不満度をみると、 第 1位に 「カ ・ハエが
多い」をあげている地区が最 も多 く、砥石、上七十石、丸 山、 谷川、春田の 5
地区 もある。他に第 1位 として、大浦では 「
飲料水」、赤池では 「値段」、上金
田で.
は 「道路の舗装」 をあげている0第 2位では、上七十石・谷川、赤池の 3
地区が 「
道路幅」、砥石、丸山、春田の 3地区が 「値段」、大浦、上金田の 2地
区が 「カ ・ハエ」をあげている。第 3位では、上金田、春田の 2地区が 「道路
幅」、 谷川 ・赤池の 2地区が 「道路の危険」、 砥石が 「ごみの回収」、 大浦が
「水はけ」、上七十石が 「し煉処理」、丸山が 「道路の舗装」 をあげてい るo
このように して不満度の高い環境条件 としては、全体的にみ ると、まず道路
の舗装、幅員、カ ・ハエ、 ごみ回収、 し尿処理などの環境衛生の問題が深刻に
なっていることが判 る。カ ・ハエの問題は、調査時期が夏であったこともある
が、農薬使用抑制、鉱胃による地盤沈下によって滞水化がすすみ、 カ ・ハエの
発生を うなが していること も一因 と考えられ る。逆に不満度の低い もの として
は、 「緑が少ない」、「川心」、「つ きあい」、「家のたてこみ」、「日あた り」、「空
-1
4
1-
表Ⅰ
-7 環境についての不満
砥
1位
2位
石
カ .ハ●
エ
・値段
大
浦
飲料水
上 七
:十 石
カ.ハエ
丸
叫
計
谷
川
赤
池 .上
金
田
春
田
計
カ .ハエ
カ .ハエ
カ .ハエ
値段
道路舗装
カ .ハエ
カ .ハエ
道路巾
カ.ハエ
値段
道路巾
カ .ハエ
2道路巾
値段
値段
道路巾
2し尿処理
3位
ごみ回収
水 はけ
適格舗装
水 はけ
道路危険
3道祐危険
牢鞍巾
道祐巾
値段
4位
道路巾
値段
水はけ
道籍巾
道路巾
値段
3カ .ハエ
生皮
道路危険
道路舗装
5位
水 はけ
道路巾
道路危険
水 はけ
飲料水
道路舗装
道路危険
水 はけ
6位
6道路如法
道路危険
値段
道路危険
道蕗危険
し尿処理
6火災の危険
7位
6道路危険
6し尿処理
駄音
火災危険
道路誠装
巌音
8火災の危険
8振動
し尿処理
し尿処理
水i
まけ
9し尿処理
8泉音
8火災の危険
成育
駁昔
用心
8!
立
駐車迎反
9位
し尿処理
駁音
寅動
9家のたて こみ
道路危険
水 は_
t
ナ
6ごみ回収
水 はけ
火災の危険
6道路舗装
火災の危険
8ごみ回収
8し尿処理
ごみ回収
8家のたて こみ
8単音
&%
I
L42 -
l
o柾
9日あた り
1
0
退路如法
8ごみ回収
家 のたて こみ
火災申危険
1
0
火災の危険
9飲料水
騒考
と くにな し
1
1
位
9騒音
1
0におい
8道路舗装
飲 料水
ごみ回収
1
0ごみ回収
9風通 し
鼓動
におい
1
2
位
鼓動
1
0におい
㍑用心
見通 し
1
2日あた り
1
2
つ きあい
し尿処理
1
2
火災の危険
とくにな し
とくにな し
1
2
用心
見通 し
・チ
3
位
1
4
位
1
5
位
風通 し
用心
飲料水
振動
1
2空気
1
2
駐串違反
1
2
振動
1
2におい
家 のたて こみ
し尿処理
振動
風通 し
1
2におい
1
2つ きあい
1
4ごみ回収
1
2風通し
1
2風通 し
駐車違反
1
4
家のたて こみ
1
2
家のたて こみ
1
5
空気
風通 し
1
5
振動
1
5
水はけ
1
5
監事違反
1
5
家のたて こみ
におい
1
4日あた り
1
2
飲料水
1
5におい
家のたて こみ
1
5日あた り
1
5ごみ回収
1
5
飲料水
1
5
飲料水
用心
日あた り
緑が少ない
とくにな し
とくにな し
1
6
位
1
6
空誠
1
7
位
1
6におい
.
乾草違反
1
2
つ きあい
1
5
鼓動
1
5
風通 し
1
年道路如生
1
7
空気
1
碓 動
飲料水
1
8
位
1
6
火災危険
●
1
8
線が少ない
1
8日あた り
・
1
8ごみ回収
1
8
空気
1
4
乾草串
1
8におい
1
7におい
1
7
風通 し
監事違反
1
9
位
1
6つ きあい
1
8
つ きあい
1
5つ きか ヽ
1
8日あた り
1
9日あた り
1
7
監事違反
日あた り
1
5その他
1
8
乾草違反
1
さ
用心
1
7
つ きあい
つ きあい
'
1
8
空気
1
8
監事違反
1
8
用心
2
0位
家 のたて こみ
1
8その他
1
8
用心
1
8とくになし
2
1
位
緑が少ない
21
用心
1
8
縛が少ない
21日あた り
と くにな し
2
1
家のたて こみ
1
8その他
21
つ きあい
1
7
緑が少ない
緑が少ない
2
2
位
とくになし
21
つ きあい
1
8とくにな し
2
1
緑が少ない
緑が少ない
.
21
飲料水
2
2
空気
21
緑が少ない
1
7その他
空気
用心
表Ⅰ
-8 月常不便な公共施設
一
砥
1位
.2位
石
大
浦
上 七 十 石
丸
山
.
計
谷
遊び場
嘩院
ポス ト
ポス ト
ポス ト
市場商店
病院
近♂場
公衆電話
公衆屯話
病院
病院
I 小学校
4位
小学校
4市境商店
5位
郵便局
4ポス ト
6位
ポス ト
郵便局
7位
小公園
保育所
7交番
8位
*A
1
*校
・
産院
7バス停
8小学校
老人憩の家
8中学校
郵腔局
市境商店
遊び場 .
病院
郵便局
保育所
産院
6バス停
老人憩の家
6公衆寓話
川
赤
池
遊び場
2老人憩の家
上
金
田
春
田
計
病院
市境商店
遊び場
遜平場
遊び場
病院
図書館
41
ト公歯
公衆毛帯
r
F墳商店
▲郵便局
病床
郵便局
6公衆竃話
6公衆電話
中学校
交牌
公衆寓話
6ポス ト
6駐中坊
7市境商店
8保育所
6児菟館
7バス停
郵便局
.
交番
老人憩の家
8バス停
l8郵便局
3_
市場商店
バス停
小公園
9位
9図書館
小公園
7病院
産床
9小学校
6保育所
交番
1
0位
9バス停
小学校
1
0老人憩の家
遊び場
中学校
9小学校
6集会場
公衆電話
1
0
小公園
中学校
11
位
9老人憩の家
図霊地T
1
0
児乗船
交番
小学校
9老人憩の家
病院
図書由
1
0児煮館
老人憩の家
産院
1
2
児童館
集会場
図書館
1
2公衆便所
産院
児圭館
交番
I
L43 -
1
2位 1
2市場噛店
1
2
幼稚園
1
0図書館
1
2小公園
・
1
2小公園
遊び場
1
3位
1
2
児童館
1
2公衆毛話
1
0とくになし
1
2
児東館
1
2
交番
公衆浴場
1
4位
保育所
老人憩の家
1
4
郵便局
保育所
1
4小公園
1
3
交番
産床
1
4中学校
産院
1
5位
公衆浴場
児童館
1
4公衆便所
1
5図書館
図書軒
1
4児童館
1
3
公衆便所
老人憩の家
1
4図書館
公衆便所
1
3バス停
公衆便所
1
3ポス ト
1
6位
1
6産院
1
6
監事境
1
6
乾草串
1
5とくになし
児童館
1
4
公東便所
小学校 -
保育所
1
7
位
1
6とくになし
1
6
交番
1
6中学校
1
5
監事墳
公衆便所
1
4
集会場
郵便局
駐車場
公衆浴畢
1
8
位
公衆浴場
1
6公衆便所
1
6その他
バス停
劫推園
1
4
図書館
劫種南
廃育所
1
8
駐車場
1
8集会場
1
9
位
幼稚園
小学校
1
9
小公園
公東浴場
駐車場
1
4
産院
小学校
公衆浴場
1
8公衆便所
1
8
駐早場
公衆浴場
とくになし
2
1
駐車場
2
0
幼稚園
公衆浴場
中学校
幼推園
集会場
1
8
小学校
1
8
幼稚園
21とくにな し
と
12
2
0
1
亘
位
駈串幼
公衆便所
2
0
とくになし
2
0
公衆浴場
1
9
集会場
1
9
幼稚園
2
0
2
0集会場
嘩育所
I2
2位
銀会場
2
2
集会場
1
9
産院
2その他
0
2
2集会場
く に
なし
と.
くになし
.
とくになし
保育所
小学校
幼稚園
公衆浴場
とくになし
気」などがあげ られている(
誠 4). (
表 正一 7)
4 地区公共施設の不満
地区公共施設 として不満度の高い ものをみると、第 1位 として上七十石、丸
山の 2地区が 「ポス ト」、砥石、赤池の 2地区が 「
遊 び場」、大浦、上金田の 2
地区が 「病院」、谷川、春田の 2地区が 「苗場 ・商店」 である。第 2位 として
病院」、上七十石 ・丸山の 2地区が 「公衆電話」、大
は砥石、谷川の 2地区が 「
浦 ・上金 田 ・春田の 3地区が 「
遊び場」、 赤池が 「老人憩の家」 と 「
小公園」
市場 ・商店」、大浦 ・谷
である。 第 3位 としては上七十石 ・丸山の 2地区が 「
交番」である。 (
表 Ⅰ-21
- 1)
川の 2地区が 「ポス ト」、砥石が 「
このように不満度の高い地区公共施設 としては、 農村部で 住 宅 も少ないた
め、公益施設 としては 「ポス ト」、「公衆電話」な どがなかった り、 「病院」や
子供の
「市場 ・商 店」 「郵便局」が近 くにないとい う不便 さがあ り、また、 「
遊び場」、「
小公園」なども整備 されていないことが分 る。
これに対 し、地区公共施設に対 して不満足の低い ものは、 公 衆 浴 場、 幼稚
園、集会場、駐車場などがあげられ る。 (
表 Ⅰ- 8)
5
環境整備の問題点と地区総合計画への途
同和対策事業や鉱害復旧事業によって公営住宅の建設、民聞住宅の改修、新
築、道路や下水の整備、地区公典施設の建設などが進め られている ものの、一
貫性のない糊塗的な対症療法 としての諸 施設 とな りが ちな面が多 くみ られ るo
'
産炭地城における解放運動は、苦 しい鉱害復旧斗争のなかで発展 して きた。
部落に憐接 して同 じく鉱害に苦 しむ一般地区住民 とともに統一 し連潤 した斗争
は、一部 それに近い遊動 もあるにはあったが、 当時は復旧予算わ くが少ない こ
ともあって、殆 どな く、 解 同 訊け 負いの斗いといっT
=方が よいとも云われて
中
いる。 こ の鉱害の補償が終 った後の解放運動が何を 心 として進め られてい く
のか。上 田川の川崎町の識字運動を中 心、
とす る解放 学級の力強い運動は こ の方
向を示す例 と思われ る。また部落の対策が進め られ、環境整備がな されていっ
て も、閉山した炭住スラムが悪化 し、停滞、沈澱 して、 自らを解放す る運動の
細線 もないまま、 きわめて劣悪な状態に放岡 きれてい く†
L
lらば、部落の完全解
放を促進 させ ることは困難であろ う。
鉱害斗争の指導者であ り、元解放同盟田川地協の委員 長であった 羽 音 豊 氏
-1
4
4-
は、産炭地城であ る筑豊 と部落 との関連 について、次の よ うに述べ てい る。
筑豊1
00年の歩みは、 そのまま被差別部落1
00年の歴史 であ る。明治以後、石
炭産業の発展 とと もに、多 くの人び とが流入 して きたが、 本籍地 をみ ると不思
議に も、被差別部落の人 口の多い府県が多い。事実、同和対第審議会答 申によ
り一定の行政施策が部落に行われ るよ うになってか ら、 わた しは被差別部落出
身 と名乗 り出た人 もい る。資本の側は、 土地の安い、低賃金 による労働力のあ
ふれてい る、被差別部落のなかに坑 LI
をあけていった. 部落側の 自覚 もな く、
鉱害復旧闘争 もなか ったので、補償の必要 もなかった。 不況 と 合 理 化 が進め
ば、それにつれて部落の人 々は、 中か ら小 のヤマへ と移動 していった。 とにか
く、何で もよいか ら、 メシを喰 うために文句は言えなか った。 三井の養成所を
出 ると係長 の席が保障 され たが、 被差別部落の者は絶対 に入所が認め られなか
った。 こ うした一般的状況のなかで、差別的労働条件にある人 々は、 被差別部
落の人び とを 「エ ッタ」 よばわ りす ることで、漸 く自らをな ぐさめていた. 被
差別部落の者 は、 どんなに一生懸命に働いて もハ ツパ係の助手が よい ところで
あった。 『1に泉水、 2に豊州』といわれ た圧制 ヤマは部 落 出 身 の経営であ
り、殊の外、 被差別部落の出身者によって占め られていた。 そんなヤマに逃亡
をふせ ぐための施錠が降 され るのが常であった。 だが、 ヤマの経営者になった
として も、 被差別部落の出身 とい うらく即はけっ・
して消 え る も のではなか っ
た.あ.
8ヤマの経営者 は、解放運動に対 して、 「
金持 ちになったけれ ど 「ェ ッ
タ」 とい う差別は消 えない。 自分は表面には立てないけれ ど、 「エ ツタ」 よば
わ りはたま らない」 と何が しかの運動資金 を送 りつづけていた とい う0
次に糸田町に住む元女坑夫の話 を引用す る。 「何年 も住 んでいなが ら末 だな
お筑豊のわか らぬ私に とって、 これは、筑豊 を少 しで も知 るための覚 え書 きで
ある。 『は じめて私が炭坑 に きた ときは、 1
9の とし、まだ この夷岡が旭炭坑 と
いっていた頃 たい。あんたがいま、 おんな きる家のはん横の とこに抗 日があっ
てか ら、 その選炭場で働いた ことが最初、 昭和 2年の正月の頃 じゃった。
」私
が住んでい る真岡の (
糸田町真岡) かつての炭坑 について知 りたい と思 いつつ
無為に年月をす ごして きた間に、 古 くか ら真岡炭坑で働いていた人 々は次 々と
くぼあちゃんが突然倒れて、 隣組の
を くなって しまってい ろo その古 くか らq)Ⅰ
人 たちと野辺の送 りをす ませ た後、 またひ と りい って しまった とい う焦 りに も
-1
4
5-
似 た寂 しさを もてあま していた。 その夜私は、いまでは真 岡で、最 も古い一人
となったおば あちゃん、 Nきんを訪 ねた。
こ
『
Kきん方 は大 ごとや ったね、急に
とでか ら。いい ばい。私 もいっ しょえるか もしれん。・
ち ょうどよか、 い まの
』・こ うい って N きんは、 その生 いた
うちに、 あんたに聞いて もろ うと こ たい。
年 8月、 福岡県京都郡の あ る被差別部落に生 まれた
ちを話 して くれた。明治42
Nきんは、小学校 は半年 もいかずに子守に出 され、 その先で 自分で必死に文字
を覚 えた。1
5
才で 下関に奉 公に行 き、 1
9
才 の とき親が糸 田村 の炭坑 に移 って き
たのが炭坑 に くる きっかけであった。 『いや、 旭炭坑 に は 半 年 もお らんや っ
た。飯塚炭坑 にい ったとたい。
』 旭炭坑か ら飯塚炭坑 、 山内炭坑、 名 もない よ
うな小 ヤマ。
一忠隈炭坑 と転 々とし、 この真 岡炭坑 に もどって きたのは昭和 1
2
年
の春 だった とい う。 『
飯塚炭坑にいった と きは、 と うちゃん と一緒になってか
ら、義理の兄 ちゃんの世話でたい、肩入金 ・
(
前借) はそん頃 の金で1
0円を貸 し
て くれた。仕事 や世輔の道具 をそれで揃 えていったあけん 日か ら、生 まれて初
めて坑 内に下 った よ。 3尺 2坑 たい。坑内の ことは何ん も知 らんでか ら、 と う
ちゃん と一緒で、 ついて さが った と、 カンテラ下 げて、 弁 当を 2人分か ろ う
てこ人草 じあの うて、歩 いてか らさが った とぼい。 その頃は、 もうワラジでの
うて地下足袋や ゴムの短靴や った。 そら、 まっ くらで恐 ろしいでたま らんや っ
た。外の暗 さと坑 内の昭 さは全然違 うとや きな。 カンテラの灯が消えた ら一寸
先 も見えん と。 カンテラはガス (カーバイ トの) を使 うとった。坑 内はガス気
が少なか った もんね。払 (
切羽) は1
2
片で 4-5
0間 ぐらいあ ったろ うばい。 数
はよ う憶 えんばってん先 山 きんの半分 ぐらいは朝鮮 の人や った。 後向 きの女 も
その頃は多か ったよ。 下 をスカしてツルハシで掘 った石炭 を、エブと横板 で傾
斜のかか った鉄板の上 に運ぶのが私の仕事 。い うてみれば、 桶の大 きうて長 い
げな もんたいね。下の庚申が きていて、 その中に石炭が落 ちてい くとたい。 う
けた金 は出 した函数 に もよるが、その頃で二人働いて 2円5
0
銭 か ら 4円 くらい
な もんや ったろ う。たいがいは 2函か ら 2函半 ど りぐらい じゃったろ うばい。
もろ うた納屋 は 4畳半 1間に 3尺土間がつい とった。 天井はの うて、針金 を
はってか ら新聞紙で天井 をはった もんたい。 とうち ゃんはな、 そ うい うことが
上手や ったばい '
何 しろ念がいっとる もんね。毎 日に朝 5・
時 ごろ、 繰込係が鐘
{ '
をふ り鳴 らして納屋 巾を起 こしてまわ りよった。 そ うぼ ってたいが いその前か
-1
4
6-
ら起 きて、火をお こして、 した くを しよっT
=もんなo
・火はほとん ど も声 こ り、
(
煽石) を餌 、よった。なかなか火がつかんでひまがい ったばい。 けん ど火は
強 うて煙がなか ったたいね。 石炭はたいがい坑内か らもって昇 った もんたい。
で も、大 きなのをよけておいて も、 あん ま りきついで もって 昇 れ ん やっ、
たば
い。
』 坑内ではたいがい夫婦 そろって同 じ払いで仕事 を した。 夫が先 山、 妻が
後向 きが多か った。 しか し、間 もな くN きんの夫は坑内で身体一面が、 ただれ
る病気 にな って寝 こんだoひ と りで坑内に きが らねばな らなか った と き、 Nき
んは 『や っ.
ぼ り嫌 T
ごった』 とい う. 『私 Lや朝鮮の先 山 さん と一緒に働 いたた
たいがいの朝鮮人坑夫達 は 日本語が ある程度は話せた とい う。
昭
不況の嵐のなかで、炭坑 は能率上昇、 jス ト引 き下 げを必死 にはか り・
.
、機械
化、人員整理 をは じめ とす る合理化が行なわれてい った。飯塚炭坑 において
和 4年 ∼ 5年が その ピー クであ ったそ うい う空気 を感 じた坑夫 たちは、 自 ら去
ってい く者 も多か ったo N きん夫婦 も世話にな った兄家族がやめて山内炭坑い,
;たことか ら、そのあ とを追 って移 ってい ったo 飯塚尿坑 にはい って 1年半
」
足 らずの昭和 3年の盆す ぎの ことだった。
(
筑豊寛之書、その一 、あ る女坑夫の話 、黒沼宏一 、 筑豊文庫通信 、第 3号
よ り)
.
これは筑豊の炭坑 に働いて きた人 々に とって、 どこにで もあ るこ●
とで特別の
I
960年 (
昭35)、上 田川の川崎町におけ る豊州
記録ではない(
註5)。 したが って1
炭坑水没による死者67名は全員部落出身 といわれ」 同年の上清炭坑の坑 内火災
人 も殆 どが そ うだといわれてい るo この よ うな犠牲者の家族 をは
による死者71
じめ とし七、閉山によ り失業 して も、差別 と偏見か ら教育 も充分に得 られ ず、
就職す ること も出来ず、 また苛軒な炭坑の労働環境 によって傷病者 とな り、生
活保護を受 け るqr
J
F
F'
は多 く'
. 図 1の よ うに生活保護率 は、.
昭和46年で全国平均
が約 1
20
/ooであ る.
のに対 し、 4か町は約20-30倍の高率であ る。
この よ うな失業者 と生活保護者の充満 してい る産炭地城 において、 産炭地域
振興事業等に よる工場誘致 は、
・4か町 よ りも立地条件の よい地域 に多 く、 4か
町では環境整備に関す る事業 に就労す る者が多い。 しか し、 その よ うな事業 も
先細 りにな ってお り、 さらに地区住民に生活基盤の場 を与 え るため、 鼻業総合
-1
4
7-
図 1 下 田川4か町、福 岡県 及 び全 国の生活保護 率 の推移 お よび閉 山炭 鉱数の推移
一
II・ \
.
ヽ
.
/
、●
t叩
l
町
池
年
資料 :昭和1
6 度 「
福 岡県のl
l
:
・
活保護」及 び
「
州 郡にJ
,
.ける福祉の概劉 昭
和4
9年 より
団地の計画 を 4か町が昭和47年に策定 し、 総理府 、 自治省、 農林省に陳情が
な されたo この調査報告書で指摘す るように、 4か町の財政力指数は45-47年
0
・
1
3
-0.
2
0とい う低 さで、地方債が累積 し、地方税収入が人件費の 4分の 1な
-1
4
8-
い し3分の 1とい う状況のためし現行制度に しぼ られて、農業総合団地の事業
i
J、「
総合 センター」、「住宅工場
計画 も2年間に大幅に縮小 し、 「そ菜、柔 肌 u
卜
鋸也」が削除 され、糸L
f
]
町では 「果樹団地」が 「農道整備」 に、金 仕川丁では 「
畜産靴 也」が 「
農業整備」 と 「産業道路」 に修正 され、 全体計画の一部 として
は淋 しい もの とな ったo産炭地域の特殊 な条件の もとでは、 国 と県の現行制度
をこえた思 い きった措置を とられない限 り、農業総合団地の実現 は困 難 で あ
る。 さらにその前提条件 として、このよ うな団地に営農 しうる農家の育成 、市
場の問題、団地の管理、経営問題な ど、運営面をいか に総合的に実現 してい く
か十分検討す る必要があろう。
環境整備について、鉱害補償を初期に うけた地 区で も不良住宅が か なりあ
り、住宅地区改良事業 を適用す るに して も、環境整備の総合計画のなかで実施
4か町の財政事情では極めてむつか しい。 したが って前述の よ うに
す るには、■
現行制度の枠 をこえた特別の立法又は措置 をはか り、環境整備、 産業就労な ど
託 6)0
を含めた地域の総合計画が実施で きるよ うな施策が要望 され るのであ る(
Ⅷ
1
地方大都市圏周辺部の部落環境
立 地
条
件
地方大都市圏 として福岡大都市圏をとりあげ、 その周辺部に偉置す る筑紫野
市の部落環境 を しらべ る。筑紫野市の北部 は三郡山系によって太宰府町、 およ
び粕屋、嘉穂郡に墳 し、 南部は背振山系によって小郡市 と 佐 賀 県 に接 してい
る。 この南北の山塊が相せ まるところは、福岡平野の南東隅 と、 筑紫平野の北
西隅が接 し、いわゆ る二 日市地峡 をつ くってい る。 この分水界はほぼ国鉄二 日
2k
m附近にあ り、上古賀 と石崎を結ぶ標高 40mの線 を境 として、
市駅の南東 1.
北西流す る御笠川水系が博 多湾-、商流す る宝浦川水系が 有 明 海 へ注いでい
るO市内に部落は 4地区あ り、京町地区は二 日市地峡の東北部の丘陵地 や谷間
にあって、太宰府町に接 し、 かつては水田の多 くが湿田でその耕作の労苦 は並
大抵ではなか ったといわれてい る。 明治末期、二 ロ市か ら太 宰 府 -馬車鉄道
が、地区を分断 して通 じ、 このルー トがの ちに県道二 日市古貿線 とな って、 道
路公害を地区に及ぼ してい る。 地 区 は 西鉄二 ロ市駅に近 いこと もあって、戦
後、低地に公営住宅 をは じめ とす る開発の波は、丘陵部に及び、 民間住宅のみ
-1
4
9-
な らず、第一経済大学、岩 田屋 グラン ドも立地 し、 さらに谷間 には警察職員住
宅 な ども建設 され、それに対応 して道路、 公園な どの公共施設が十分整 備 され
ていない。 またこれ らの開発 によって般若寺川下水路が度 々増水 し、住民は浸
水で悩 まされてい る。 谷間にある板引地附近 に市の ごみ焼却工場の建設計画が
あ って環境悪化をまね くとして、その反対運動か ら地区の解放 運動のたか ま り
をつ よめ、その計画 を中止 させた。
永岡地区は、
●二 日市地峡のほぼ中央部に位置 してお り、 この地峡の古来か ら
の交通的毒要性の故 に、現在 4本の鉄軌道、 広域幹線道路が地区を寸断 してお
り、国道 3号線沿いは準工業地域に指定 されたため、 用途上適格の ウエス工場
(
古繊維の選別、加工)な ど各種の企業が立地 して きてお り、 悪臭、騒音公害
を与 え、附近住民 を悩 ませてい る。 さらに西部の丘陵地に住 宅 団 地 が造成 き
れ、降雨時には地区の水田は土砂流 出によって耕作を困難に させてい る。
岡田、下見地区 は、宝満川沿いの水田地帯 にあるが 、 とくに下見地区は宝溝
川によって しば しば浸水にあってお り、水田 もほぼ 7割が湿 田で、裏作 もない
ため建設工事 、雑役 な どに出たと云われてい る。
こ のよ うに、 4地区 とも劣悪な自然的立地条件に'
よっ七生活環境 が悪化 して
い るうえに、地区 によっては、差別の悪循環 によって道路の拡幅 も進 まず、 防
災上問題であ る七 ころや、用途地域上、準工業地域 に指定 されたため、適格の
公害工場が立地 して、附近住民を悩 ませてい る地区があ り、 立地変化に対応す
る社会的.
条件の如何によって劣悪 さが倍加 して くるこ とに 注 目 せ ねばな らな
い。
2 住
宅
00として、 昭和49年におけ る筑紫野市お よび同和地区又は地区
耶和35年を 1
を含む行政区の世帯指数 をみ ると、第 Ⅱ- 1
表の よ うに市街化が進んで きてい
3で最 も伸びてお りJ 次に永岡が 1
9
6で全市 1
83を上 まわ り,農村
る。京町が51
51、
二下見 2区 1
3
5で、何れ も伸びが低い ことを示 してい る。 この こ
地域の岡田1
とは、人 口 や住宅の増加について も同様 と思われ る。
次に、人 目密度についてみ ると、昭和46年において、全市では山間部が多い
5
8人/
h
aと低いのに対 し、京町は市街化 して きてい るため、1
9.
0
2人/
h
aで
ため 4.
.
5
9
/l
u
2
最 も高 い..次に下見 2区は集落に対 し、地区の総面積が少 ないため、 9
-1
5
0-
裏打
-1 世帯 ・人口の推移
年
と高いのに対 し、岡田は5
.
80
人//
u
Z
、永岡は山間部 もあ り、 5.
2
8人/
l
u
T
とや ゝ低
いが、何れ も全市平均 を上 まわっている。
6年の建設省調査によると、不良住宅は京町が最 も多 く46戸、次いで下
昭和4
見 2区2
5戸、永岡1
6戸、岡田1
5戸であるが、不良化率では下見 2区が 2
6.
0%で
8.
0%、 京町1
5.1
%、 永岡が8.
0%であるo
最 も高 く、次いで岡田が 1
京町は人口密度が高いけれ ども、建設時期が新 しい住宅が多いため不良化率
が少ないのに対 し、下見 2区は人 口密度や、不良化率が と もに高いので悶塩で
ある。
同和向公開住宅は、昭和41
年か ら建設 され、現在、京町 1
6戸、下見 1
0戸、.
永
岡 5戸、岡田にはない。地元の公開 主宅要求戸数は、京町2
9戸、下見 1
8戸、永
岡 6戸、岡田 5戸である。
次に今回の生活環境調査に もとづいて、地区の住宅条件 を分析す るo
(
1)
住宅の所有状況
住宅の うち、 持家が 9割 をこえるのは、 岡田、 下見の 2地区で、 永岡は
85.
1
%、京町が63.
2% と、農村部ほど持家率は高 くなってい る。 民営借家は
9.
8% (
21
戸) で最 も多 く、 他は何れ も6・
0市街化 して きてい る京町が、1
5戸、 永岡 4戸である
4.
8% (6- 2戸) で少ない。 市営住宅は表では京町 1
が、建設戸数は京町 1
6戸、 永岡 5戸で、調査以後下見に1
0戸建設 されたo間
借同居は京町が 3戸 (
2.
8%)、永岡、下見が何れ も2戸で少な く、岡田は 0
である。 (
表 Ⅷ●
- 2)
-1
51-
表
Ⅱ
-2住宅の所有状況
計
(
2
) 宅地の規模
0
坪以下の狭 い宅地 は、市街化
持家 におけ る宅地の規模についてみ ると、 5
9
.
3
%で最 も多 く、 次いで下見、岡田、永岡の順で何れ
して きてい る京町が 3
も2
0
%台であ る。 1
0
1
坪以上の広い宅地では、 永岡が 5
0
.
6
%で最 も多 く、次
に岡田が4
7
.
0
0
/
O、剥 け、下見 とつ`
ゞ き、農村部の下見が 3
3
.
0
%で最 も少 ない
表 Ⅷ- 3)
のは、人 口密度や不良住宅の多いのに関連 し、 注 目され る. (
表
Ⅲ
-3宅地の規模
計
(
3) 宅地の所有状況
持家におけ る宅地の所有形態は、自己所有では京町が 9割 をこえ、 他は何
7
.
5
%であ
れ も8割台で 自己所有率 は きわめて高 い。 借地 は永岡が最 も多 く1
-1
5
2-
る. (
表 正一 4)
表 皿-4 宅地の所有状況
計
(
4
) 住宅の種類
1戸越が最 も多 く、 農村部の下見、岡田、永岡が9
0% をこえるに対 し、京
5.
7%で、や ゝ少 ない。長屋は京町が 7.
8% (8戸)で最 も多いが、 永
町は 7
岡の 3戸は公営住宅が簡易耐火の連続建 (5戸)の うちであ り、下見、岡田
の 1戸は記入 ミスと思われ る。 (
表 Ⅱ- 5)
表
Ⅱ
-5住宅の種類
計
(
5
) 住宅の建設年代
3.
90
/
O、 岡田、京
住宅の建設年代 について 「戦前」が最 も多いのは永岡で1
町が 8%台、下見が6.
4%で少ない。「昭和2
0-3
0年代」 では、下見が33.1
%
戸) とは るかに多いのは、 その時期に下見が火災にあい41
戸が被災 して
(
41
い るのに対応 してお り、 丁度住宅建設の困難な時期であ った ゝめ、よ り住宅
-1
5
3-
条件は劣憩化せ ざるをえなか った もの と思 われ る。 昭和31
-3
5
年では、 他地
3.
5% (8戸) と大変多いのは、3
5年に1
5
戸
区の 4- 5%台 に対 し、 岡田が2
が火災にあってい るのに対応 してい るのであろ う。 「昭和3
6年以降」 では市
0.
9%で最 も多 く、次いで永岡、下見 とつ ゞ き、
街化の進行 してい る京町が7
3.
0%で最 も少 ない。 とくに昭和 46咋以降では、何れの地区 も20%
岡田が 5
で、建設戸数は多 くは農地の売却によって新 築 きれた もの といわれてい るo
(
表 Ⅱ- 6)
表 町- 6 住宅の建設年代
計
(
6)
住宅の部屋
数住宅の部屋数についてみ ると、 3室以下の部屋数を もつ狭小住宅の多い
5.
9%である。 次いで永岡が2
2.
4%、下見が 1
5.
2%であるの
地区は、京町で3
に対 し、 岡田は 5.
8%ではるかに少ない。 最 も率の高いのは 1室 では永岡の
7.
50
/
a(5戸)、 2室では扇町の 1
1
.
30
/
a(
1
2戸)、 3室では京町の 2
0.
L
80
/
a(
2
2
戸)であ る。
6室以上の部屋数の多い住宅では、最 も率の高 いのは岡田で6
4.
60
/
O、次に下
.
2%、永岡が3
8.
8%であ るのに対 し、京町は 2
6.
3%ではるかに低い。
見が51
(
表 Ⅱ- 7)
-1
5
4-
表皿
-7 住宅の部屋数
見
下
田
計
計
(
7) 1人当 りの タタ ミ数
一
世指員 1人当 りの住宅の タタ ミ数をみ ると、 「1人当 り2
.
9畳以下」 の狭
7% (6戸)で最 も多 く、 他地区は 3%前後で、 下見 4
小住宅は、京町が 5.
戸、永岡 2戸、岡田 1戸である。
次に 「1人当 り3
.
0-4.
9畳」の住宅では、京町が3
5.
3%で最 も多 く、他地
-1
5
5-
区は何れ も2
0
0
/
o
前後であ るが、下見が 1
6.
70
/
Oで最 も少 ない. 「1人 当 り5
.
0-
6
.
9
壁」の住宅 は、永岡が 29.
8
%で最 も多 く、 他の地区は何れ も2
0%前後で
あ るが、岡田が 1
7
.
7
%で最 も少ない。
「1人 当 り7畳以上」 の広い住宅は、 タタ ミ数、 部屋数 と相関 してお り、
8.
8%で最 も多 く、次に下見、永岡 とつ ゞ き、京町が 3
7
.
2
%で最 も少
岡田が 5
ない。 (
表 Ⅱ- 8)
表Ⅱ
-8 1人 当 りの タタ ミ数
京
町
永
岡
計
2.
5畳 以 下
2.
5- 2.
9畳
3.
0.
-3.
4〝
.
3.
5- 3.
9〝
4.
0- 4.
4〝
4.
5.
-4.
9〝
5.
0.
-5.
9〟
6.
0- 6.
9〝
7.
0- 9.
9〝
1
0.
0壁 以上
某
計
合
(
8
)飲
料
水
2
戸 (
8
6.
8
%)で
専 用 の水道栓が あ るのは、市街化が進んでい る京 町が、 9
最 も多 く、上 水道の整 備 も昭和4
7
-4
8
年 に完 了 した。 しか し、 なお井戸 を使
1
戸 (
1
0
.
4%)あ り、 また共 用栓のあ るのが 2戸 ある。
用 してい る1
断割 ま1
永 岡は井戸が7
3
.
1
%で 4地区では、下見に次いで多 く、 専用の水道栓が あ
るのは僅かに1
9
.
4%であ る。
なお浅井戸が 多 く、水質が悪いことが分 ったので、 事 業化の予定 を早 め、
昭和5
0
年 3月に上水道の整備を完了 した。
下見は井戸が9
3
.
7
% もあ り、 4地区のなかで最 も多 く、 4
9
年度 に上水道が
-1
5
6-
事業化 され る筈であったが、 永岡 との関連で、5
0-51
年度に整 備 され る予定
であ る。なお他家の井戸 の横川が 1戸 ある。
7
年に高架の貯水槽 を設潜
岡閏は、 さく井によ り簡易水道がひかれ、 昭和4
したが、なお1
5戸 (
4
4.1
%)が井戸を使用 してい る。
4地区 とも僅少ではあ るが共用栓や、 他家の井戸使 用があ り、 (
岡田が 1
7
戸で多いのは、共 用 水道 〔簡易水道〕 の間違いと思 われ る。
) 生活上大変不
便なので その専用化が望 まれ る。
また水源 として さく井 は、地下水の欠乏 と、地盤沈下 をまね く危険 もある
ので、市 としては、山神 ダムの促進 と、 水源確保の長期計画の推進が要望 さ
れ る。 (
表 Ⅱ- 9)
地
区
飲 N%N%N%
表 Ⅱ-9 飲
料 水
町
京
永
岡
下
見
料水
田
N
%
道 専
用
9
2
8
6.
8
1
3
1
9.
4
3
2.
4
2
〝
共
用
2
1.
9
1
1
.
.
5
1
0.
8
1
7
〝
借
用
-
1
1.
5
戸
l
l
水
井
他 家 の 井 戸
そ
岡
の
他
1
0.
4
3
-
1
4
9
0.
9
-
7
3.
1 1
1
8
4.
5
-
-
9
3.
6
1
5
計
N%
5.
9 1
1
0
5
0.
0
3
3.
0
21
6.
3
1
0.
3
4
4.
1 1
9
3
5
8.
0
1
0.
8
-
4
1.
2
3
2.
4
-
4
1.
2
(
9) 家屋修理の必要性
家屋修理の必要性 を認めてい る世椙の比 率は、岡田が41
.
2%で巌 も高 く、
8.
1
%、京町が 3
6.
8%であるのに対 し、永岡が 29.
9%でや ゝ低い
次に下見が3
のが注 目され る。また、 岡田が修理の必要性を認めてい る率が 高 い の に、
「
増築の要望」では最 も低 く、 「増築 したいが見込がない」世昭では最 も高
いことは、経済的な理 由か、増築 よ りも全面修理が新築 を考 えてい るのか、
さらに検討す る必要がある。 (
表 打1
0
)
n
o
) 新築の要望
住宅を新築 したい とい う要望 を もってい る世帯の比率 は、京町が 3
7
.
7
0
/
Oで
-1
57-
表 Ⅱ-1
0 家屋修理 の必要性
計
最 も高 く、次いで、岡田、下見が30%前後であるのに対 して、永岡が16.4%
とや ゝ低 くなってお り、 家屋修理の必要性を認めている世縛 と、ほ ゞ相関 し
ているものと思われ る。 (
表 Ⅱ- ll)
表 Ⅱ-1
1新 築 の要 望
計
あ
る
4
0
3
7.
7
l
l
1
6.
4
3
5
27.
8
l
l
3
2.
4
9
7
2
9.
1
な
い
5
5
5
1.
9
5
4
8
0.
6
7
8
61.
9
1
9
5
5.
8 2
0
6
61.
9
わ か ら な い
l
l
1
0.
4
2
3.
0
1
3
1
0.
3
4
l
l.
8
3
0
9.
0
(
l
l
) 市営住宅への入居要望
市営住宅への入居を要望 している世椙の比率は、京町が27.6% (
29戸)で
最 も高 く、次いで岡旧が 1
4.
70
/
o (5戸)、下見が 1
4.30
/
o(
1
8戸) であるのに
地
区
市
居
営
住
宅 N % N %.N % N % N %
表 Ⅱ-1
2 市営住宅へ の入居要望
町
京
入
永
岡
下
見
岡
田
計
要望
あ,
る
2
9
2
7.
6
6
な
い
7
0
6
6.
7
5
4
6. 5.
7
2
ど うと もい えぬ
9.
7
1
8
1
4.
2
5
8
7.
1 1
01
8
0.
2
25
5.
6
4
3.
2
-1
5
8-
7
1
4.
7
5
8
1
7.
7
7
3.
5 2
5
0
7
6.
5
l
l.
8
1
9
5.
a
対 し、永岡は9
.
7
% (6戸) でや ゝ少ない。 都市部 と違 って持家が多 く、 賃
貸の市営住宅へ入 るよ り、 1戸越の新築又は改築 を望む世椙が多い ものと思
われ る。 (
表 Ⅱ-1
2
)
(
1
2
)
住宅の浸水状況
2
戸 (
9
.
7
0
/
a
) もあ り、
「しば しば浸水す る」 住宅が最 も多いのは二下見で1
次に京町が 6戸 (
5.
8
%)、 岡凹 2戸 (
5
.
9
%)
、 永岡 1戸 (
1
.
6
%)である。
2
戸 (
1
7
.
7
%)で最 も多 く、次に
「ときどき浸水す る」のは、やは り下見が2
京町 1
3
戸、岡田 2戸、永岡 1戸である。
下見は宝溝川水系、京町は般若寺川都市下水路 の 盤 僻 がお くれているた
め、浸水が多いと考 え られ る。 (
表 Ⅱ-1
3
)
表 Ⅰ-1
3 住宅の浸水状況
計
8
3
)災害の経験
3
.
2
%で最 も高 く、次に岡田が5
0
.
0
災害の経験ある世椙の比率は、下見が5
%であるのに対 し、京町は2
6
.
4%、永岡1
0
.
4
%とや ゝ少ない。 この災害の う
ち、床下浸水以上の水害についてみ ると、下見が全世帯の約 3割 (
3
7
戸)が
.
4% (
1
0
戸) に対 し、永岡 3戸、 岡凹 1戸 と非
水害 を うけ、次いで京町が 9
常に少ない。
風害については下見が 7戸で最 も多 く、他の地区は 1-2戸で少ない。
0
戸 (
9
.
4%) 最 も多 く、永
山崩れ又は土砂崩れでは丘陵地にある京 町が 1
岡が 1戸、下見、岡田は低地にあるので 0である。
火災は、下見が4
1
戸 (
3
2
.
5
%)で最 も多 く、次に岡H]が 1
5
戸 (
4
4.
1
%)で
あるのに対 し、
・京町は 3戸、永岡は 0・
と大変少ない。下見、 岡田はともに道
路が狭 く、消防署か ら遠い上に消防車 もなかなか進入で きず、初期消火活動
-1
5
9
:
-
が お くれて大火 をみ るに至 った もの と思 われ る. (
表 m-1
4)
表 Ⅲ-1
4 災害の経験
計
匹L
計
口
匡ヨ
F
コ
水
3
環境条件の不満度
住宅のまわ りの生活環境条件に対す る不満度について、 方川」
`
では第 1位が カ
・ハエ、第 2位が道路 の危険、第 3位が騒音、 第 4位が振動、第 5位、水 はけ
と道路災哲 とな ってい る.丘 陵地で草 む らが多 く、 水 はけ も悪いので カ ・ハエ
が多 く、また 県 道二 日市古賀線 の交通層が多 くて道路が危険であ り、 道路 の公
却こ対す る不溝が高 い ことが分 る。
告や災二
永岡では第 1位が騒音、第 2位が振動 と飲料水 、 第 4位が カ ・ハエ、第 5位
が道路の危険であ る。国道 3号線が集落 を分断 してい るため、 騒音振動の道路
公害 、道路の危険 に対す る不満が高 く、 また浅井戸 による水質の悪 さか ら飲料
水への不満、 また山間部 に近 く、 空 き地 や茂み も多いので、 カ ・ハエへの不満
も高 い。
下見では不満度数の第 1位が道路の幅 、第 2位 カ ・ハエ、 第 3位 火 災 の 危
険、第 4位道路の舗装 、第 5位浸水 とな ってい る。 下見 は と くに道路がせ ま く
未舗装 もあって道路条件が悪い うえに、 建 てこみや過密の ために火災の危険 を
多 く感 じてお り、また宝溝川水系や用水路の整備 も進 まず 、 水 はけが悪 く、現
場衛年対策 も進んでいないため、 u
・
水や 力 ・ハエの不 満 が高 くな ってい る.
岡田では、不満度の第 1位 と して、道路の幅、 第 2位 、道路舗装 、第 3位、
道路の危険 と火災の危険、第 5位、水はけとな ってい る。 上位 3位 までが道路
-1
6
0-
であ ることは、 と くに岡L
Uでは道路条件が悪 く、 その上 簡易水道では管径 も細
く、消火栓 もつけ られないため火災の危険に対す る不満 も高 く、 また水はけが
悪 いため、道路がつか って通勤 、通学に大変不便にな ること もあ り、 その不溝
が高い もの と思 われ る。
不満度の低い環境条件 としては、何れの地区 も、空気 、緑 、駈事 な どが あ り、
地区に よって違 うもの としては、京町では飲料水、永 岡、
下見では、 し尿処理 、
岡田ではにおい、飲料水 な どが不満度の低い もの とな ってい る。 (
表 Ⅲ-1
5
)
表 ∬-15 環境 条件 の不満度
計
-1
61-
4
地区公共施設の不満度
地区公共施設への不満度の高 い ものを地区毎 にみ ると、 京町では、第 1位が
小学校、第 2位、 ポス ト、 第 3位、 こどもの遊 び場、 第 4位、 郵便局 と診場
所、病院であ る。京町が市境 にあ るので、二 日市小学校 まで、西鉄、 国道 3号
線、国鉄鹿児島本線 を よこざらねばな らず、 相 当遠距離 で不満 は高か ったが、
昭和 5
0年 4月か ら地区の近 くに二 日市北小学校が開校の予定で、 これによ り不
満は解消す る もの と思 われ る。 こどもの遊 び場 はこれ までな く、 や っと児童公
園が保育所の そばに設置 され るが、 立 地 上 地 区の 中心か らか たよってい るの
で、なお不満 は残 るとみて よい。
永 岡では、第 1位が ポス ト、第 2位、 こどもの遊 び場 、第 3位 、郵便局 、第
4位 、公園、第 5位、市場 ・商店である。永岡では、 こど もの遊 び場や公園が
現在 ないので、西鉄線路の東側 にあ る公営住宅のそばに新設 され る予定であ る
が、 そこを使 用す るには立地上かたよってお り、 4本の鉄軌道 と広域幹線道路
が地区を分断 してい るので、危険であ り、 また不便であ るため、なお、不 満は
強 く残 るもの と,
E
Bわれ
J
る.
下見では、第 1位が郵便局、 第 2位、 こどもの遊 び場 、第 3位 、交番、第 4
位、公園、第 5位 ポス トであ る。 現 在 下 見では、 こど もの遊 び場や公園はな
く、その用地 を検討中 であ る。
岡田では、第 1位が こどもの遊 び場、第 2位、ポス ト、 第 3位 、相磯 ・商店
第 4位、診療所 ・病院 、第 5位 、バス停であ る.岡旧 も、 こどもの遊 び場 もな
く、隣保館の よこに検討 中といわれてい る。
共通 した不満度の高 い地区公共施設 として、ポス ト、 郵便局、市域 ・商店、
診療所 ・病院 な どが あげ られ る。 これ らは、地区が市境 に近 く、 農村部で発憤
効果が少 ないため、またその所在地 まで行 くに も、バス停 に遠 く、 その上 、バ
スの運行回数 も少 ない とい った不使 さのためであ る。 また、 こど もの遊 び場や
公園 も整備 されていないため、不満が高 くな ってい る。
次 に地区公共施設 に対す る不満度の低い もの としては、 公衆浴場、 公 衆 便
所 、中学校 な どがあげ られ,永岡、下見 出 也に くらべ るとバス停の不満度 はや
ゝ低 くな ってい る. (
表 Ⅳ-1
6)
-1
6
2-
表 ∬-1
6 地区公共施設の不満度
家
5
環境整備の問題点
生活環境の現況 と問題点 を地区別に示 した表 Ⅱ-1
7
の如 く、京町地区は人口
密度が高いが、建設時期が新 しい住宅が多いため、 不良化率が少ないのに対 し
下見地区は人口密度や不良住宅率が ともに高い。 岡田地区 も不良住宅率は次い
-1
6
3-
表 Ⅰ-1
7 生活環境地区別比較表 (
現況 と問題点)
I
4-
L6
5戸
道
路
上
水
下
水
都
公
市
道
遊
び
墓
地
-
浸
)65 -
く
づ
池
水
れ
消
防
環 境 衛 生 清 掃
公
害
地 区 公 共 施 設
地 区 組 織 活 動
教
育
な
公営住宅のそばに計
画-立地上かたよる
同
納骨堂のみ、福岡の松源寺
し
じ
同
排水不良箇所あ り
な
な
し
なし 島屋縞 遊び場の計
同
じ
じ
し
なし 欝保館の横に検討
l
同
じ
コメカ ミ池の埋立-公営住
士島橋(
木造)の老朽化
宝満川改修のお くれ、
むきしが丘団地の造成で水 河川敷の未整理
宅遊 び場
増水 したら道路がつかっ
板 引 池の埋 立
なってか ら浸水 て自動車 も通れない箇所
水
来解決 田に泥が入 る
った
がある
宅地造成後 農地は浸水する
県道 ・自衛隊通信所附近の
2ヶ所
が多い 昭35年十敷
丘陵地、道路がせまいため
〝 昭5
1
年度までに整備 戸焼失、消火栓がないの
消火栓、貯水槽の充実が必 消火栓の整備 昭4 9年
で貯水槽の充実が必要
要
ごみ過 1回、不燃焼物月 1
回収集
し尿 くみ とり月 1回一世帯人数が多 く回数をふやす ときは業者 と個別に交渉する
ウエス工場の悪臭
福岡ヤクル トコンテナー
菱和化成 シンナーの悪臭
県道の騒音振動
車の
騒音 (
早朝)
納骨堂昭45
年設立 、隣保館 集会所昭34年一昭4
9年、隣保館昭41
9年改築 保育所昭4
集会所
昭47
年集分所 昭34年一昭49 一般は神社境内にある集会 年-昭51
年増築 1区は公民
年改築一般保育所 昭49年、 所 を使 う
隣保館
昭49年予定
鰭(
昭28)を使 う
(
老人室が 2階で不便)
町会に入 らな い一般世帯が 区の再編 成が必要
暦欝 % (
1
1
晋 能 r28
l)
'
憶 実雲讐 認 詣 たぎ'
、
多い約5
0戸
筑紫小(
バス)、筑山中(
電車)
二 日市小、二 日市中、
〟
道保育所(
踏切で危険)
私立l筑紫小 、筑山中
二 日市北小、昭50年開校
筑紫所幼稚園が草で送迎 して くれる
定の
末権
1利
河
・
川
崖
水
汚
水
が流れて きて耕
作路
がに
で
き
な
い
ば
)
地
よ
る
た遊
び
場
寺
)専用水道のため管径が細
4
い-消火栓はつけられな
い
哨5
0-5
1
年
浅井戸、水質不良 (
70%) 上水道整備予定(
筑紫野市の上水道の さく井
大腸菌-上水道整備
昭49年 ヶ所 (
昭49-52年)
排水不良 (
蚊 ・耗 ・恵臭の
原因)、 下水 道の整備、暗
渠化
(3粁地元負担)
1
5%
)
ス 風呂の燃料 として22戸(
都市ガス使用
児童公園(
保育所のそ
-立 上かた
場
コメカ ミ池の理 て道
ガ
園
上水道整備 (
昭47-48年)
火
災
街
i
で高い。 これは両地区 と も道路が狭 く、消防署か ら遠い上 に消防車 もなかなか
進入で きず、戦 後 2回 も初期消火活動がお くれて大火を見 るに至 り、多 くの応
急住宅が建て られたためか、不良住宅が多い と考 え られ る。環境条件の不満度
の上位 5位のなかに、両地区 と も道路の幅、舗装、火災の危険、 浸水、排水な
どがあげ られてい る。地区幹線道路 さえ しば しば冠水 し、 通勤、通学に大変不
便にな るとい う。一方堰が不備なため、農地は水不足にな ること も多 く、 かん
がい用井戸 とポンプの設置が望 まれてい る。 この よ うな劣悪な環境 条 件 の 故
に、地価は安 く、道路の拡幅に際 して も地区外の地主は協 力 しない場 合が多 く
そのために線形は曲折 し、また買収 も難航 してい る。 その背景には次の よ うな
厳 しい差別の現実があ ることをとくに調査報告書か ら引用 したい。
下見地区の一区 と二区の問題である。 今 日の調査では下見二区 を下見地区 と
6戸、3
6
8人。下見二区、1
27戸、5
6
4人)西鉄筑紫
して調査 した。 (
下見一区、8
駅 よ り東へわずか数分、宝溝川にそって南北に長 い集落であ るが、西側川ぞい
を二区、集落の中央 を通 る道路 を境い として東側 を一区、 (
一区 は道路 よ り西
へはみ出 した部分 もあ る)、 そ して、 一区 よ り東へ更 に、 境線的 7
0
0m の地点
し人かい
に、両地区のいわゆ る 「とび地」 としての 「新開」地区が あ る。 一区の8
6戸、
27
戸、「新開」 は、3
0戸が行政区 として一区 と二区に分断 されてい る。
二区の1
二区が被差別部落であ る。 住居が下見であることを説明す るとき、一区の人 々
は一区であることを補足す ることを忘れない し、二区の人 々は、そのことばの
もつ重 き、と苦汁に口をつ ぐみた くなって しま う。 地域 における子 どもた ちの
交流はわずか道路ひとつの ことなのに殆ん どない。 一区の集会所に二区の子 ど
もは立 ち入 らない し、二区に一区の子 どもたちが遊びに くること も極めてまれ
であ る。ただ最近は、 解放運動の一環 として隣保館で行われてい る、習字学習
や剣道な どには二区の子 どもよ り一区の子 どもの数が多 く参 加 してい るとい う
が、それが両者の子 ど もたちの 日常交流にはつなが るものではない。 学習がす
むと一区の子 どもたちは さっと引き揚 げて しま う。 中央 の道路の東 ぞいにある
浄土頁宗明福寺 は一区の人 々の寺であ る。二区の人 々は福岡市の千代地区にあ
る松源寺門徒であ る。 ただ二区の人 々の話によると若い住職が青年時代 よ り子
ども会活動な どで二区 に入 って釆 たこともあって、信望があ り命 日な どにはわ
ざわ ざ福岡苗 よ り来て もらう労 を さけ、 また葬儀には松源寺 と明福寺が立 ち会
-1
6
6-
うとい うこともでて きてい る。
もと もとこの下見地区-紬 ま一区の ≒分限者≒井手武ヱ門氏の所有地であっ
たのだが、 「とび地」 である 「
新開」 一帯はか って山林であ って人 々は 「ヤマ
」 とよんでいた。(
第二次大戦中の食糧危機に平 らに きれた)、 この杯の中に山
番 といわれ る人が地主の手 によって配置 されたと伝 え られ るが、 その時期はい
つ頃か らか定かではない。 (
岡田地区の林に も山番があ り、 この人 は太宰府神
社の鬼すべ祭の鬼 として出ていたといわれ る)、古 老 達の話によると山番の人
は一区 よ り、二区の方 と親交があ り、一区か らはむ しろ冷視 きれていたよ うで
9
2
5
年 (
昭1
0
)二区 よ り分家 した一戸が狭院な土地 を離れて 「ヤマ」 に
ある. 1
住みつ くことにな って、いわい る混住状態がは じま り、 当時の違和感はいまに
つづいてい るのであ る。敗戦後、結婚 して二区を出ていた人が、炭坑 よ り夫 と
ともに下見地区にかえ り 「新開」 に住 むよ うにな り、 この傾向は強 くなって き
た。
1
9
4
6
年 (
昭21
)4月1
4日、下見地区は大火に見舞 われ る。 一区で 葬 儀 があ
り、倉庫 に着物をとりに行 ったときの ちょうちんの灯か らの失火であった。 殆
ん どの家が草ぶ さであ り、 山林を もたぬ被差別部落の人 々は燃料 と し て 麦 わ
ら、カラシが ら、 た きざな どを家の周辺につみ上 げていなければな らなか った
し、貧 しい小作人たちは必要な収入の道 として、 カマス、ムシロな どのわ ら加
工 に従事 していたのでその原料のわ らを山積み してい るとい う状況であったの
だか ら、春の北風にあお られた火が地区を総なめにす るのにはいか ほどの時間
もかか らなか った。一区の消火にかけつけた二区の人 々がふ と気づいた時 には
2
戸、わずか数戸が
自分たらの家々のあちこちか ら火が出ていたとい う。 焼失 9
難をのがれたにす ぎない。二区にそって南北に長い 宝溝川が土手 ひ とつを境 に
流れていて も、土手み ちの幅はせま く、 内部の迷路はかけつけた近隣の消防串
の活動を完全に さえ ぎって、 川 ぞいの道路に一列にな らんで放水す るのがや っ
とであ り、全 くぼ う然 た るなかに火勢はひ となめに したのであ る。 焼 けな くて
すむ ものが大火 とな り、それでな くて も困窮を極めた生活に人災の 追い うちが
かけ られたのであ る。 この ことが差別であ り、差別行政の結果であ ることに二
区の人 々が気づ くのには、組織的な解放運動が始 るまで、 まだ多少 の時間を要
した。
-1
6
7-
この火災に よ り焼 け出 され た二 区の人 々の数戸が一 区 を東へ とぴ こえ る か た
ちで 「新開」 へ移 る。戦時 巾 にあ った航空監視所が か っこ うの住 み家 とな った
ので あ る。更 に その後 、居 住者 の縁故関係か ら数戸が移住 す る。
一方、
「l
l
1
番」 を していた先任 の人 の分家が あ り、 1
9
6
7
年 (
和4
2
)菱 和 化成
株式会社 (
資本金 1
,
000万 、従 業員常雇
4
9
人 その他合計 5
5
人 、 プ ラスチ ック加
8年設 立)が 「新 開」地区 に設立 され 、 社宅 1
0戸 、独 身寮 な どの建
工業 、昭 和3
2戸 であ る。 ま きに 「混住」 地 区 で あ るが近 隣
設 が すすみ 「新 開」地 区 は現在 3
のつ き合 いは部落 、非 部落 で分断 されてい る。 この事 が 問題 と して指摘 されな
2戸 を部落 、非部落 で区分 してい る。 つ ま り、新 開
が ら、行政区 は依然 と して3
居住 者 の うち被差別部 落 の人 た ちは二 区 に 所属 す るか ら町内のあつ ま りといえ
00m 西 の一 区 を こえて二 区へ 出か けねばな らぬので あ る。 被差別部落 の
ば、 7
人 々は断腸 の想 いで この事実 をみて きた。 「新 開」 の 子 ど もた ちは小 学校 中学
年 にな ると狭 い地 区で あ るに もかかわ らず、 行政区所属 の ちが う.
世指 の間では
遊 ばな くな って しま う。 毎 年 7月 2
4日の夏祭 りの と き一 区 の獅子舞 いが 「新
関」 に入 って くるが一 区所属 の各戸 には訪問 し、 二 区所属 の家 には こないので
幼 い子 ど もが 不思議 さを親 たちに訴 えた とい う事実 が あ る. 1
9
7
4年
(
H
T
i
4
9
)ま
で夏 休みの ラジオ体操 は分れ て実施 され た。 昨年 まで集 団登校 の グルー プ とい
う状 況にたま りかね た小 学校 の 働 きか けで今年 にな って漸 くい っ しょに 出か け
るとい うことにな ったが 、 それ だか らとい って地区 での遊 びや交 流が あ るとい
うものではない。
「新開」 だけで独立区 (
町内) をつ くる話 もでてい るが 、 32戸 ではす くなす
ざるとい う意 見 もあ り解 決の方 向はで ていない。 解放 同盟 の交 渉 の度 に行政指
導 の不備 を指摘 され る市 当局 は町政時代か ら、 善処す ると回答 は してい る もの
の基 本的 には地区住民 の意識 の問題 で あ るため、壁 は厚 く、 有効 な手 だてはい
まの ところない よ うで あ る。地元小学校教師 は家庭訪 問 の際、 「県外か ら移任
して きたの だけ ど被差別部落 出身であ ることを理 由 に一 区所属 の借家 を借 りる
のに・二 区の町 内会 に入 る こ とを条件 と して借 して も.
らった」 とい う事実 を聞
いてい る。
昭
この事実 は明治 、 大正 ではな く同和対策事業特別措置 法 の残余 期間 もあ と 3
年 とな った 1
9
7
5
年 (5
0) の ことであ る。
-1
6
8-
6
地 区総合計画への方向づけ
岡L
L
L 下 見地区では酉鉄の単鍾用地、 デベ ロッパーの地区大半 に亙 る農地一
括買収が進み、 こ の開発進行の如何では地区の孤立 、 低温地化の恐 れが十分考
え られ る。売却農地の所有権 は失 われたが、 まだ宅地造成が行われ ていないの
で、企業の小作人のか たちで耕作が続 け られてい る。
しか し居住環境が スプ ロールによって悪化 し、残存す る農地 も住 宅 と混在
し、用水路が下水路 とな って耕作 しに くくな る。 京町 と永岡で も水 田の 3分の
1が、
_畑 も京町では半 ばまで、永岡では大部分が作付 もきれないで放 置 されて
い る。 この よ うに岡田、下見の典型的農村部落 も含め、 これか らは 4地区の住
民にとって農業は副次的な ものに転化 し、農業外の仕事保障がな されない と、
農地買却 によって住宅 な どの外観はよ くなって も、生 活の実体 は益 々深刻 な も
の とな ってい く。 しか も、都市化の進展に対 して対症療法的に環境整備対策を
進めてい くな らば、 周辺の開発 と対照的に旧集落はス ラム化の様相 を里す る。
道路 も買収方式 な どを検討 されないと差別は拡大再生産 されなお依然 として 火
災の危険は残 り、環境悪化をたち きることはで きない。 なお空地が残 ってい る
現状の うちに、地区周辺 との関連 をはか らなが ら地区の総合計画が 、 閉鎖的に
な らぬよ う 「ひ らかれ た コ ミュニテ ィ」 として策定実施 されねばな らない。
あ
と が
き
下 田川4か町の部落環境については、昭和4
8年 に、下 田川 4か町同和地区実
態調査団によって調査 し、ま とめ られ た 「下[
千
川1
4か 町同和地区実態調査報告
書」(昭和50年 3月)、筑紫野市の部落環境については、昭和49年に筑紫野市岡
和 白書運動推進協議会顧 問団に よ り調査 し、まとめ られた 「筑紫野市 岡和白害
2月)に もとづいて と りま とめた ものであ る。
運動実態調査報告書」(昭和50年1
筆者はこれ らの調査団に生活環境の部門 を担当 して参加 したが、損 当分の調査
研究の不足 を痛感 してお り、読者各位の御叱正 をお願 いす るとともに、調査 に
当 り大変 お世話にな った下 田川4か町、筑紫野市、福 岡県 をは じめ、関係諸機
関および調査団の先生方 に深甚の謝意 を表す る ものであ る。
-1
6
9-
註 1 昭和4
6年総理府調査によると、各町の全人口に対する同和関係人 口の比率は、糸田
8.
2%、金田町が3
2.
5%、方城町が3
6
.
4%、赤池町が1
9.
4%で、福岡県の 3.
0%
町が 1
よ りはるかに多い。日
射 日4
8、5
0年の生活保護世揖比率 をみ ると、 糸田町は 3
5.
5%、
32.
9%、金田町は、3
5.
6%、 33.
2%、方城町は3
1.
8%、 2
8.
5%、 赤池町は2
3.
4%、
20.
2%、福岡県は6.
7% 、6.
2%で、何れ も減少の傾向にあるが県平均 よ り大 きく上 ま
わ っている。
1
年1
0月の福岡県炭住実態調査によって、各町の全世帯数に対す る炭住入居世
註 2 昭和5
7.
4
帯の比率 、及び炭住全入居世帯に対す る生活保護世帯の比率 をみ ると、糸田町は1
% 、3
2.
8%、金田町は 7.
3%、3
3.
5%.方城町は 1
3.
2% 、31.
3%、赤池町 は1
8.
9% 、
1
2.
ナ%であ り、福岡県の2.
5%、 1
6.
8%に対 し、 炭住率では金田町を除 く3か町が1
0
%台で、県平均 よ りずっと多 く、炭住の生活保護世帯率は、赤池町 を除 く3カ町が3
0
%台で県平均の約 2倍で相当多いことが分 る。 さらに県平均の全生活保護世 帯 率 が
6.
2% (
昭和5
0年)に対 し、 炭住のそれが1
6.
8%であるか ら、 福岡県下の炭住におい
て、貧困化が進んでいるが、さらに糸田、金田、方城町では深刻な状態である。逆に
赤池町が県平均 よ りも低いのは、大手企業の炭住のみであって、入居世帯 1世帯当 り
.
6で、他の 3カ町が 1.
0
-1.
1に対 しはば半数の世帯が平均 2戸の住宅を
の住宅数が1
使用 してゆ とりがあることを示 している。 (
福岡県建築部住宅課、福岡県炭鉱住宅実
2年1
2月)
態調査結果報告、昭和5
金田町が炭住率が低い一因には、住宅地区改良事業によって老朽化 した福吉炭住地
0
戸が除却 された こともある。 この地区は部落の近 くにあった小企業の 炭 住 で、
区7
「鉱害 と老朽のため雨漏 りはひどく建具 も満足に開閉で きない状態になってお り、今
までは食 うのを節約 して貯めた金や生活保護費か ら出る補修費で少 々修理 していまし
たが、そんなことではおっつかぬ程荒れはてて しまいました.添田町の炭住倒壊事件
が福吉でお こらん とも限 りません。また下排水等 の環境整備や改修等 、町において県
や国に陳情下 さって住民が安心 して日常生活がで きるように努力下 さるようお願い申
3年に提出 し、地区住民は福吉炭住対策協議会をつ
し上げます」 とい う請願書 を昭和4
くって、改良住宅の建設を要望 し、昭和5
0年に6
0
戸が完成 した。なお他の 3カ町で も
1地区ずつ地区改良事業が実施 されている。なお所有形態別にみると、炭鉱所有は皆
0.
5%、方城町で8
3.
8%、赤池町が1
0
0%に対 し、
無で、入居者所有が大半で糸田町で9
5.
8%で少ない。 糸田町のみ町所有が7.
2%ある。 その他 (
旧炭鉱系の不動
金田町が3
産管理会社など)の所有は、金田町が6
4.
2% と多 く、糸田町が2.
3%、方城町が1
6.
2%
となっている。地区改良事業の実施について個人所有の場 合 とくに 「南北二間取 り、
土間台所 、便所 ・風 呂なし」 とい う殆ん ど30〝ヂ
未満の狭小住宅 を増築 し、管理 、所有
関係で複雑でその買収に困難な場合が多い。
殆ん ど炭住)は昭和3
5
註 3 4か町の町全体における所有関係の変化をみると、給与住宅(
年か ら昭和5
0年で 、糸田町が1
0.
0%か ら 1.
0%、金田町が8.
5%か ら 0.
8%、方城町が
3
9.
9%か ら1.
2%、赤池町が47.
8%か ら1.
1
%へ と激減 している。持家は逆に糸田町が
5
6.
2%か ら6
0.
0%、金田町が5
8.
1
%、赤池町が39.
1
%か ら7
0.
3%へ と増加 している。
公営住宅については昭和4
5年か ら5
0年への変化をみると、糸田町で1
2.
1%か ら2
2.
7%
-1
7
0-
金田町は2.
5%か ら9.
8%、方城町は0.
6%か ら9.
4%、赤池町は1
1.
8%か ら21.
7%へ 、
3%か ら1
0.
6%への約 2%の増加に対 し、約 7-1
0% と大 きく伸びている。
福岡県の8.
同和向公営住宅は、地区内に敷戸か ら十敷戸で簡易火造のテラスハ ウス形式で建設 さ
れた ものが多いが、一般公営住宅団地のなかへ泥住で建て られてい るの もある。
註
4
鉱害については、住宅のみな らず、河川、用排水路 、農地 、道路など各部門にわた
ってお り、とくに糸田町 、金田町では泌川沿岸に多い。 この上流一帯に 自然湧水す る
数 カ所があ り、これによって農地の殆ん どが濯概 されていたが、鉱害に よ り湧水が枯
5
年 よ り鉱害復旧事業 として揚水機の設置 、用水路や溜池の改修、井堰 の
渇 し、昭和2
新設 、農地復旧 を実施 した。
しか し昭和3
3
年に関係炭鉱の閉山によ り地下水は旧坑道中に充満 したが 、自然湧水
は復元せず、旧坑 口排気孔等処 々に湧水 を起 し、全般的に地下水位が上 昇 し、既復旧
0
0
h
aに亘 る鉱害農地 、水路 、道路などの
農地などが湿田化 していった。 このため約 2
復旧が実施 されてい る。 こ の他、 4カ町では坑道が塊層に も掘 られた ところが多 く、
二次鉱害の被害 も出て きてい る。また川崎町のある部落では採掘 当時の業者が、無許
可の盗掘や大企業の下請け業者ばか りで交渉の相手がはっきりせず、谷 間の湿田が鉱
害のため さらに劣悪 な状態 となった。 さらに附近の旧坑 口に町が し尿 を投棄 していた
結果 、稲は成長 して も成熟せず、病虫害が多発す るよ うになった。 この鉱害復旧 とし
3
年 、解同支部が結成 され、4
5年に漸 く鉱害認定が
尿処理場新設の斗争のなかで昭和4
6
年か ら5
0年にかけて復旧工事が完了 した。
な され、4
い くつかの劣悪な環境条件 の原因 として このように鉱害が関連 してい るが、現在の
鉱害復旧における原状 回復主義 とい う原則が機械的に 適用 され る場合には 問 題であ
り、その復旧が新 しい環境整備の出発点 とな り、跡始末的復旧事業 としてでな く、新
しい開発事業の一環 として とらえる必要がある。
註 5 ルポ ライタ-、浜井隆治氏 (
ペンネー ム織井青書)は、明治3
0年に方城村の部落に
生れたT氏か ら、その生いたちと、し尿 くみ とりに関す る差別事件 をきいて、次のよ
1
)
うにえがいてい る。 (
織井育吾 「
地図のない山一遠賀たん こん もん節-」昭5
「百姓仕事ば しちょって も、 うだつはあが らん し、それに部落では長男が学校 をつ
づけ、家 を継 ぐちい うことも滅多になか。どうして も弟 、妹 たちの犠牲になるたい。
そげん こつで、おれは大分前にで きちょった三菱 の方城炭坑 にで ることになった。大
5、 6やったろか。
正元年 、数 えて1
それ らい うの も、おや じが大分ながい間 しちょった川脈船頭 も、鉄道のためにわ し
が生れた頃の全盛は とうにす ぎて、そん頃は 2千 とちょっ との川船 しかお らんやった
し、仕事 もだんだん減 って くるし、年 も取 る。そ りゃあ苦 は、おれが小学校の 1年生
●●
の時に旧道 を通 って人見橋ば渡 って、赤池 さい出て もとの堀川のす ぐわ きにあった貴
船神社 さい遠足に行った こつがあったが、そん時 目の前の堀川に石炭ば山ん ごつ積ん
服)
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Hを埋め るごつ郡がっちょった もんや.それ も苦のi
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たい。 まあ、それ
じょる川 舟
4になると、や
がおれが炭坑 もんになった もうひ とつの原因たい。す ぐ下 の妹 も満で1
●●●
っぱ りおれ とおな じ炭坑 の撰炭の仕事ばや りだ したが、わ しもおな じだん ご (
撰炭)
たい。はいった時が1
6
銭 の 日当やった。米が2
0
銭か らしちょった き、 1升 も買えん勘
-1
71-
定になる。 そん頃、 坑夫が 500人 とちょっとおったが、 年期のはいった採炭仕操で
65、 6銭か ら7
0銭 もとっちょった。わ しらは、 もちろん通いの坑夫や ったが、そげん
もんが男で 1割 5分 、女で 3割 もおったやろ。あ とは殆ん ど出稼 ぎで旅か らの流れ も
んや き、みな納屋にはいっちょった。しか も部落の もんだけがはいっちょったユ タ納
屋 ちい うのがあって、そ りゃあひどか もんやった。わ しらが耳に しただけで も、三菱
の始田-坑 、麻生山内炭坑 、花本炭坑 、麻生上三緒炭坑 、それか ら豆田炭坑 と数 え り
やきりのない ごつあっT
=し、屋根のないユタ風呂ちい うの もあった」o
0
0
0名、職員1
0
0名程度の人数が三菱方城炭坑にいた と
大正 3年頃 といえば、坑夫 1
0
0
0c
c
平均 は排出 され るか ら、それに大便 を加
推定 され るが、小便だけで も 1人 1日2
えれば相当な量になる。炭坑側に とってはこの糞尿の処分や ごみなどの処置につ き、
春秋 2李 の大掃除等にいたるまで監督指導にあってお り、また、なかには坑夫衛生組
合 を設けていた ところ もあった ときく。衛生上か らも大変 な問題であったわけだが、
なん といって も困 るのはその糞尿の処分であ り、 これはゴ ミなどとちがって焼却す る
わけにゆかない。
とい うことで、三菱方城では開坑 2年後の明治37年に方城村 と炭住街の糞尿無償 く
み取 り契約 をお こなった。かたわ ら 『村では之 を一般入札 に附 して処分 し其の売上代
金の 5割 2分 5度 を伊方区、 2割 5歩 を弁城区、 1割 2分 5厘 を畑区 、残 り1割 を方
城相恩会基金 として配分 した (
方城町史)』 とあ り、さらに、
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『各部落では この金 を積立て、住民福祉 と自治発展の為 め有効に活用 し、之が民生
に与 えた利益は非常に大 きか った。又 この糞尿は其の量移 しく、農家は この窒素肥料
によ り米 、麦、疏菜 を栽培 し、施肥上得るところの利益 も又大 きか った(
傍点筆者)
』
まさに、その とお りには達 いなか ったであろ う。しか し,
「あん頃の ことで、今 とちごうで化学肥料があるわけやない。村の百姓は大助か りや
ったが、おかげを蒙 ったのは一般の村の もんたい。そのひ とつのM ちい うとこなど四
天王 ちい うのがおって、年に千俵 もの米 を集めちょった。そげん奴等が村全体の実権
ば握 っちょるもんや き、糞尿 の金 をわ しら部落の もんには分配せん。それに炭坑 と一
番かかわ りのある地区にはわ しらの部落があったし、人 口か らいって も5割 5分 も占
めちょる。それを明治37年か ら大正の 2年まで毎年毎年1
0
年 もの間、残 りの 4割 5分
の地区だけがそれ を独 り占めに しちょったわけや。
むろんわ しらは、その間ずっと辛棒 しちょったが、文句のひ とつ もいい さらんわけ
やなか った。ぼってが、そげな者ばおって も、ほんのひ と握 りの もんや き、てんで力
に ゃあな らんばい。それが 、いつの間にか、この際ひ とつ徹底 してやって、ちゃん と
白黒 ばつけようちい うことになった。 大正 3年 の時たい。 まず部落の有力者を中心
に、みんなが集 まって相談 して、む こうの村の実権 を握 っちょる連中の とこさい押 し
かけてゆ こうらい うことにな り、その通 りにやったがてんで相手にせん。それな らち
い うことで、今度は村役場にゆけとい う、村長にまで会 って談判 したが 『役場 として
はて の問額についてなん ともい うわけにはゆかん き、どっちに味方す るちい うわけや
ないけん、あんた らが村の者 とよう話 しお うて決着 をつ くるほかはない。気持ばよう
わかっちょるが、そげん こつで・
・
-・
』 とい うて本音ば吐かん。逃 ぐるたい。あれで も
-1
7
2-
ち思 うて行 ってみたが 、や っぱ り予想 しちょったとお りたい。
「ぼってが、 これ までず っと冷や飯 ば食わ され、泣か されつづけて きたわ しらや。
●●●●●●●
このままひ き退 っちゃあまた もとの もくあみになるき、ちい うことで、一度や二度や
ない、何度 も集 まって相談に相談 をか さねた。その揚 句の ことや った。なんば話 しお
うて も判 って もらえんのやった ら、少 々の ことをやったち効 き目はなか。ぼってが、
●●●●
●●
●
こうな りゃあや っぱ り話 しあいを辛棒強 うす るほかはなか。なにをいわれ よ うと、か
●
にをいわれよ うと押 しの一手 たい。道理で押 しま くった ち。三菱合名会社か らタダで
もろ うた もんを、こっちは一般なみに ちゃん とゼこぼ払 うち畠に使 うち ょる。
もう根気 くらべ たい。 5へん行 って話 して も6ペん行 って談判 して も 『あの金は、
ちゃん と蓄 えちょって、まさかの時に役立てるさに心配 しなんな』結局 そげん こつで
●●●
ごまか されそ うになる。ぼってが 『それ じゃあ仕方がなか』 ちい うて引 ききが っちょ
●●●●
った ら、また もとの もくあみになる。そん時 までにわ しら部落の もんは、いつ もそれ
で泣か されて きた。ど うかす ると、みんな弱気にな りそ うなのを、お互い励 ましあっ
●●●●●
て執念の闘いばや った。いまでい う糾弾闘争 たい。そ りけん ど (
だけれ ど も)腕力や
暴力 をふ り廻 したわけやない。堂 々と道理 を武器に団結 して闘 うただけや った。弱い
もんにはそれ しかなか-
.
それでなんヶ月ぶ りや ったか、役場の方で も各地区の有力者 を必死に説得 した らし
,
5
0
0円だ して、わ ざわ ざ京都
い。や っと折れて きた。そん時はいった金のなかか ら 1
●●●
●●●●●●●
さいいって ご大典のみ こしを買 うた もんや。いまあるみ こしがそん時のたい。 これで
●●
自室神社についで、わ しらは二度 目の闘いに勝 ったわけや.話 し合いだけで ことが済
み ゃあ、なに もわ しらはそげん こつをせんで もよか ったが、それがすんな りで くる世
ん中 じゃあなかたい。無理が通 りゃ、道理がひっこむ、ちよ くい うが、道理が無理 を
ひっこましたわけたい。 こげん して、わ しらは誰のおかげで もない、わ しら自身の力
で一歩一歩、それ こそ蟻 の歩みの ごつ、人間 として当然 うけるべ きことを獲得 してい
ったちい うこつで、む こ うの方か ら黙 って転 りこんだ もんはひ とつ もなか ごつある。
永年の、それがわ しらの歩みか らほんまに感 じとったことたい」0
註 6 この調査で、部落問題 の解決の うえか らみて、各地区で ともか く解決 しなければな
らない周遊点 として地区住民が とらえた項 目を、 8地区全体でみ ると、第 1位が就業
6.
1
%、第 2位が教育 レベルで1
3.
4%、第 3位が貧困者保護で1
1.
5%、第 4位
確保で1
1.
3%、第 5位が環境整備で9.
7%で ある。地区別で、環境整備
が児童 ・老人福祉で 1
をみ ると、上金田が第 1位 となってお り、次いで赤池が第 3位 、砥石 、丸山が第 5位
で、他の地区は第 7
-
9位である。環境整備を上位にあげている地区では、鉱害 をう
けてなお修理 されていない住宅が相当残 っていた り、傾斜地 で道路が まだ整 備 されて
お らず、 し尿 くみ とり串 も入れず 、し尿 を自己処分 してい る家す らあった。また公営
住宅が地区内に建設 されていないなど、やは り環境盤 備上 の聞題点が多 く残 された地
区が上位になってい る。
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7
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