『樋口一葉著作集』 V ol.1(PDF 219KB)

著作集
目次
樋口一葉
大つごもり
御身代は町内第一にて、その代り吝き事も二とは下らねど、よき事には
る 質 な れ ば、 御 前 の 出 樣 一 つ で 半 襟 半 が け 前 垂 の 紐 に も 事 は 缺 く ま じ、
れど、目色顏色を呑みこんで仕舞へば大した事もなく、結句おだてに乘
常住家内にお出あそばすは御總領と末お二人、少し御新造は機嫌かいな
や、はじめ受宿の老媼さまが言葉には御子樣がたは男女六人、なれども
一時にのびて、割木ほどの事も大臺にして叱りとばさるる婢女の身つら
ゆうひゆうと吹ぬきの寒さ、おゝ堪えがたと竃の前に火なぶりの一分は
井戸は車にて綱の長さ十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひ
大つごもり
たけくらべ
にごりえ
十三夜
うつせみ
わかれ道
上
1
大旦那が甘い方ゆゑ、少しのほまちは無き事も有るまじ、厭やに成つた
ら私しの所まで端書一枚、こまかき事は入らず、他所の口を探せとなら
ば足は惜しまじ、何れ奉公の祕傳は裏表と聞かされて、さても恐ろしき
事を言ふ人と思へど、何も我が心一つで又この人のお世話には成るまじ、
勤め大事に骨さへ折らば御氣に入らぬ事も無き筈と定めて、かゝる鬼の
主をも持つぞかし、目見えの濟みて三日の後、七歳になる孃さま踊りの
さらひに午後よりとある、其支度は朝湯にみがき上げてと霜氷る曉、あ
たゝかき寢床の中より御新造灰吹きをたゝきて、これこれと、此詞が目
覺ましの時計より胸にひゞきて、三言とは呼ばれもせず帶より先に襷が
けの甲斐々々しく、井戸端に出れば月かげ流しに殘りて、肌を刺すやう
な風の寒さに夢を忘れぬ、風呂は据風呂にて大きからねど、二つの手桶
に溢るゝほど汲みて、十三は入れねば成らず、大汗に成りて運びけるう
ち、 輪 寶 の す が り し曲 み 齒 の 水 ば き 下 駄、 前鼻 緒 の ゆ る ゆ る に 成 り て、
指を浮かさねば他愛の無きやう成し、その下駄にて重き物を持ちたれば
足もと覺束なくて流し元の氷にすべり、あれと言ふ間もなく横にころべ
ば井戸がはにて向ふ臑したゝかに打ちて、可愛や雪はづかしき膚は紫の
生々しくなりぬ、手桶をも其處に投出して一つは滿足成しが一つは底ぬ
けに成りけり、此桶の價なにほどか知らねど、身代これが爲につぶれる
か の 樣 に 御 新 造 の 額 際 に 青 筋 お そ ろ し く、 朝 飯 の お 給 仕 よ り 睨 ま れ て、
其日一日物も仰せられず、一日おいてよりは箸の上げ下しに、此家の品
は無代では出來ぬ、主の物とて粗末に思ふたら罰が當るぞえと明け暮れ
の談義、來る人毎に告げられて若き心には恥かしく、其後は物ごとに念
を入れて、遂ひに麁想をせぬやうに成りぬ、世間に下女つかふ人も多け
れど、山村ほど下女の替る家は有るまじ、月に二人は平常の事、三日四
日に歸りしもあれば一夜居て逃出しもあらん、開闢以來を尋ねたらば折
る指に彼の内儀さまが袖口おもはるゝ、思へばお峰は辛棒もの、あれに
酷く當たらば天罰たちどころに、此後は東京廣しといへども、山村の下
女 に 成 る 物 は あ る ま じ、 感 心 な も の、 美 事の 心 が け と 賞 め る も あ れ ば、
第一容貌が申分なしだと、男は直きにこれを言ひけり。
秋 よ り 只 一 人 の 伯 父 が 煩 ひ て、 商賣 の 八 百 や 店 も い つ と な く 閉 ぢ て、
同じ町ながら裏屋住居に成しよしは聞けど、六づかしき主を持つ身の給
金を先きに貰へえば此身は賣りたるも同じ事、見舞にと言ふ事も成らね
1
著作集
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ば心ならねど、お使ひ先の一寸の間とても時計を目當にして幾足幾町と
子の似たるにつかつかと驅け寄りて顏をのぞけば、やあ姉さん、あれ三
何お峰が來たかと安兵衞が起上れば、女房は内職の仕立物に餘念なか
ちやんで有つたか、さても好い處でと伴なはれて行に、酒やと芋やの奧
此 處 に 心 な ら ず も 日 を 送 り け る。 師 走 の 月 は 世 間 一 躰 物 せ わ し き 中 を、
りし手をやめて、まあまあ是れは珍らしいと手を取らぬばかりに喜ばれ、
其しらべの苦るしさ、馳せ拔けても、とは思へど惡事千里といへば折角
こと更に選らみて綾羅をかざり、一昨日出そろひしと聞く其の芝居、狂
見れば六疊一間に一間の戸棚只一つ、箪笥長持はもとより有るべき家な
深く、溝板がたがたと薄くらき裏に入れば、三之助は先へ驅けて、父さ
言も折から面白き新物の、これを見のがしてはと娘共の騷ぐに、見物は
らねど、見し長火鉢のかげも無く、今戸燒の四角なるを同じ形の箱に入
の辛棒を水泡にして、お暇ともならば彌々病人の伯父に心配をかけ、痩
十五日、珍しく家内中との觸れに成けり、此お供を嬉しがるは平常のこ
れて、これがそもそも此家の道具らしき物、聞けば米櫃も無きよし、さ
ん、母さん、姉さんを連れて歸つたと門口より呼び立てぬ。
と、父母なき後は唯一人の大切な人が、病ひの床に見舞ふ事もせで、物見
りとは悲しき成ゆき、師走の空に芝居みる人も有るをとお峰はまづ涙ぐ
世帶に一日の厄介も氣の毒なり、其内にはと手紙ばかりを遣りて、身は
遊山に歩くべき身ならず、御機嫌に違ひたらば夫れまでとして遊びの代
初音町といへば床しけれど、世をうぐひすの貧乏町ぞかし、正直安兵
ひしは覺えで、頓ては車の上に小石川はまだかまだかと鈍かしがりぬ。
早く行きて早く歸れと、さりとは氣まゝの仰せに有難うぞんじますと言
て、今日のお暇を待ちに待つて漸との事、何家などは何うでも宜ござり
も日増しに快い方で御座んすか、手紙で樣子は聞けど見ねば氣にかゝり
何處やら痩せが見えまする、心配のあまり煩ふて下さりますな、夫れで
を伯父の肩に着せて、さぞさぞ澤山の御苦勞なさりましたろ、伯母樣も
りのお暇を願ひしに流石は日頃の勤めぶりもあり、一日すぎての次の日、 まれて、まづまづ風の寒きに寢てお出なされませ、と堅燒に似し薄蒲團
衞とて神は此頭に宿り給ふべき大藥罐の額ぎはぴかぴかとして、これを
錢の裏屋に人目の恥を厭ふべき身ならず、又時節が有らばとて引越しも
べへらして天秤まで賣る仕義になれば、表店の活計たちがたく、月五十
いて骨病みの出しやら、三月ごしの今日まで商ひは更なる事、段々に喰
朝、神田に買出して荷を我が家までかつぎ入れると其まゝ、發熱につゞ
の義務もしけれど、世の秋つらし九月の末、俄かに風が身にしむといふ
三人の口をぬらして、三之助とて八歳になるを五厘學校に通はするほど
面につけた樣なと笑はるれど、愛顧は有がたきもの、曲りなりにも親子
舟に乘合の胡瓜、苞に松茸の初物などは持たで、八百安が物は何時も帳
薄元手を折かへすなれば、折から直の安うて嵩のある物より外は棹なき
と夫れから夫れへ言ふ事長し。七歳のとしに父親得意場の藏普請に、足
度宜いやら、夫れでも學校へは行ますか、お清書が有らば姉にも見せて
伯母さま懸けて下され、巾着は少し形を換へて三之助がお辨當の袋に丁
勤めにくくも御座んせぬ、此巾着も半襟もみな頂き物、襟は質素なれば
家は堅けれど他處よりのお方が贔負になされて、伯父さま喜んで下され、
てお腰をもみたれば、前垂でも買へとて下された、それや、これや、お
時、その御隱居さま寸白のお起りなされてお苦しみの有しに、夜を徹し
した、此金は少々なれど私が小遣の殘り、麹町の御親類よりお客の有し
夫の足が何時より遲いやうに思はれて、御好物の飴屋が軒も見はぐりま
快く成つて下され、伯父樣に何ぞと存じたれど、道は遠し心は急く、車
目印に田町より菊坂あたりへかけて、 茄子大根の御用をもつとめける、 ます、伯父樣御全快にならば表店に出るも譯なき事なれば、一日も早く
無慘や車に乘するは病人ばかり、片手に足らぬ荷をからげて、同じ町の
て思はず往來を見れば、我が居るよりは向ひのがはを痩ぎすの子供が藥
菓子やの門に、もし三之助の交じりてかと覗けど、影も見えぬに落膽し
處此處と尋ぬるうち、凧紙風船などを軒につるして、子供を集めたる駄
十二の前厄と人々後に恐ろしがりぬ、母は安兵衞が同胞なれば此處に引
して積みたてたる切角に頭腦したゝか打ちつけたれば甲斐なし、哀れ四
あやまりて、落たるも落たるも下は敷石に模樣がへの處ありて、掘おこ
く途端、暦に黒ぼしの佛滅とでも言ふ日で有しか、年來馴れたる足場を
隅へと潛みぬ。お峰は車より下りて※[#﹁廾﹂の上部に﹁一﹂が入る] 場を昇りて中ぬりの泥鏝を持ちながら、下なる奴に物いひつけんと振向
瓶もちて行く後姿、三之助よりは丈も高く餘り痩せたる子と思へど、樣
2
に草鞋をはかせる親心、察して下されとて伯母も涙なり。お峰は三之助
まにも褒め物の子を、貧乏なればこそ蜆を擔がせて、此寒空に小さな足
して三時の退校に道草のいたづらした事なく、自慢では無けれど先生さ
きにも好きにも遂ひに世話をやかしたる事なく、朝めし喰べると馳け出
めて遣つて呉れとて、父は蒲團をかぶりて涙に聲をしぼりぬ。學校は好
道さまが奴の孝行を見徹してか、兎なり角なり藥代は三が働き、お峰ほ
ぶだけ擔ぎ廻り、野郎が八錢うれば十錢の商ひは必らずある、一つは天
苦見かねたやら、表の鹽物やが野郎と一處に、蜆を買ひ出しては足の及
も大きし力もある、私が寐てからは稼ぎ人なしの費用は重なる、四苦八
せぬと教ゆれば、困らせる處か、お峰聞いて呉れ、歳は八つなれど身躰
姉が何ぞ買つて上げますぞえ、母さんに無理をいふて困らせては成りま
を覗いて、さぞ父さんが病氣で淋しく愁らかろ、お正月も直きに來れば
ばるれば三之助は弟のやうに可愛く、此處へ此處へと呼んで背を撫で顏
安兵衞夫婦を親として、十八の今日まで恩はいふに及ばず、姉さんと呼
取られて、これも二年の後はやり風俄かに重く成りて亡せたれば、後は
しよ、見る目と家内とは違ひて何處にも金錢の埓は明きにくけれど、多
んす慥かに受合ひました、むづかしくはお給金の前借にしてなり願ひま
たのみ度よしを言ひ出しけるに、お峰しばらく思案して、よろしう御座
之助に親のある甲斐もなし、晦日までに金二兩、言ひにくゝ共この才覺
に似たれど、大道餅買ふてなり三ヶ日の雜煮に箸を持せずば出世前の三
をどりの一兩二分を此處に拂へば又三月の延期にはなる、斯くいはゞ欲
が 少々 の無 心 を 聞 か ぬ と は 申 さ れ ま じ、 此 月 末 に 書 か へ を 泣 き つ き て 、
羨やましき富貴と見たりし、その主人に一年の馴染、氣に入りの奉公人
度お峰への用事ありて門まで行しが、千兩にては出來まじき土藏の普請、
町に貸長屋の百軒も持ちて、あがり物ばかりに常綺羅美々しく、我れ一
の稼ぎも成らず、三之助に聞かするとも甲斐なし、お峰が主は白金の臺
るべきぞ、額を合せて談合の妻は人仕事に指先より血を出して日に拾錢
九月の末よりなれば此月は何うでも約束の期限なれど、此中にて何とな
三月しばりとて十圓かりし、一圓五拾錢は天利とて手に入りしは八圓半、
痞への病は癪にあらねどそもそも床に就きたる時、田町の高利かしより
し、苦勞はかけまじと思へど見す見す大晦日に迫りたる家の難義、胸に
くでは無し夫れだけで此處の始末がつくなれば、理由を聞いて厭やは仰
を抱きしめて、さてもさても世間に無類の孝行、大がらとても八歳は八
歳、天秤肩にして痛みはせぬか、足に草鞋くひは出來ぬかや、堪忍して
はをとなしく、ほろりほろりと涙のこぼれるを、見せじとうつ向きたる
取つて下され、私は最早奉公はよしまするとて取亂して泣きぬ。三之助
かりの年に蜆を擔がせて姉が長い着物きて居らりようか、伯父さま暇を
知らぬ事とて今朝までも釣瓶の繩の氷を愁らがつたは勿躰ない、學校ざ
のうちに必らず必らず支度はして置まするとて、首尾よく受合ひてお峰
隙はあるまじ、道の遠きに可憐さうなれど、三ちやんを頼みます、晝前
ば、ほんに夫れで御座んす、常日さへあるに大晦日といふては私の身に
とて此金を受合ける。金は何として越す、三之助を貰ひにやろかとあれ
り ま す、 又 の 宿 下 り は 春 永、 そ の 頃 に は 皆々う ち 寄 つ て 笑 ひ た き も の、
下され、今日よりは私も家に歸りて伯父樣の介抱活計の助けもしまする、 せらるまじ、夫れにつけても首尾そこなうては成らねば、今日は私は歸
肩のあたり、針目あらはに衣破れて、此肩に擔ぐか見る目も愁らし、安
は歸りぬ。
らず、今の世に勘當のならぬこそをかしけれ、思ひのまゝに遊びて母が
に出して家督は妹娘の中にとの相談、十年の昔しより耳に挾みて面白か
石之助とて山村の總領息子、母の違ふに父親の愛も薄く、これを養子
下
兵衞はお峰が暇を取らんと言ふに夫れは以ての外、志しは嬉しけれど歸
りてからが女の働き、夫れのみか御主人へは給金の前借もあり、それッ、
と言ふて歸られる物では無し、初奉公が肝腎、辛棒がならで戻つたと思
はれても成らねば、お主大事に勤めて呉れ、我が病氣も長くは有るまじ、
少しよくば氣の張弓、引つゞいて商ひもなる道理、あゝ今半月の今歳が
過れば新年は好き事も來たるべし、何事も辛棒々々、三之助も辛棒して
呉れ、お峰も辛棒してくれとて涙を納めぬ。珍らしき客に馳走は出來ね
ど好物の今川燒、里芋の煮ころがしなど、澤山たべろよと言ふ言葉が嬉
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著作集
みありて利發らしき眼ざし、色は黒けれど好き樣子とて四隣の娘どもが
泣きをと父親の事は忘れて、十五の春より不了簡をはじめぬ、男振にが
約束は今日と言ふ大晦日のひる前、忘れてか何とも仰せの無き心もとな
嫌むつかしければ五月蝿いひては却りて如何と今日までも我慢しけれど、
風説も聞えけれど、唯亂暴一途に品川へも足は向くれど騷ぎは其座限り、 さ、我には身に迫りし大事と言ひにくきを我慢して斯くと申ける、御新
紙入れの底をはたき無理を徹すが道樂なりけり、到底これに相續は石油
ら立換へようとは言はなかつた筈、それはお前が何ぞの聞違へ、私は毛
伯父さんの病氣、つゞいて借金の話しも聞ましたが、今が今私しの宅か
夜中に車を飛ばして車町の破落戸がもとをたゝき起し、それ酒かへ肴と、 造は驚きたるやうの惘れ顏して、夫れはまあ何の事やら、成ほどお前が
藏へ火を入れるやうな物、身代烟りと成りて消え殘る我等何とせん、あ
花紅葉うるはしく仕立し娘たちが春着の小袖、襟をそろへて褄を重ね
頭も覺えの無き事と、これが此人の十八番とはてもさても情なし。
にと申受くる人此世にはあるまじ、とかくは有金の何ほどを分けて、若
て、 眺 め つ 眺 め さ せ て 喜 ば ん も の を、 邪 魔 も のゝ兄 が 見 る 目 う る さ く、
との兄弟も不憫と母親、父に讒言の絶間なく、さりとて此放蕩子を養子
隱居の別戸籍にと内々の相談は極まりたれど、本人うわの空に聞流して
を聞く心ならば、いかにもいかにも別戸の御主人に成りて、此家の爲に
父上なくならば親代りの我れ、兄上と捧げて竃の神の松一本も我が託宣
合ひしは我れに覺えあれど何の夫れを厭ふ事かは、大方お前が聞ちがへ
烟りに心は狂亂の折ふし、言ふ事もいふ事、金は敵藥ぞかし、現在うけ
堪えがたく、智識の坊さまが目に御覽じたらば、炎につゝまれて身は黒
手に乘らず、分配金は一萬、隱居扶持月々おこして、遊興に關を据ゑず、 早く出てゆけ疾く去ねと思ふ思ひは口にこそ出さねもち前の疳癪したに
は働かぬが勝手、それ宜しくば仰せの通りに成りましよと、何うでも嫌
と立きりて、烟草輪にふき私は知らぬと濟しけり。
ゑゝ大金でもある事か、金なら二圓、しかも口づから承知して置きな
やがらせを言ひて困らせける。去歳にくらべて長屋もふゑたり、所得は
倍にと世間の口より我が家の樣子を知りて、をかしやをかしや、其やう
これは手つかずの分と一ト束、十か二十か悉皆とは言はず唯二枚にて伯
がら十日とたゝぬに耄ろくはなさるまじ、あれ彼の懸け硯の引出しにも、
と名のる火の玉がころがるとは知らぬか、やがて卷きあげて貴樣たちに
父が喜び伯母が笑顏、三之助に雜煮のはしも取らさるゝと言はれしを思
に延ばして誰が物にする氣ぞ、火事は燈明皿よりも出る物ぞかし、總領
好き正月をさせるぞと、伊皿子あたりの貧乏人を喜ばして、大晦日を當
ふにも、どうでも欲しきは彼の金ぞ、恨めしきは御新造とお峰は口惜し
さに物も言はれず、常々をとなしき身は理屈づめにやり込る術もなくて、
てに大呑みの場處もさだめぬ。
それ兄樣のお歸りと言へば、妹ども怕がりて腫れ物のやうに障るもの
粗末になる物と聞えよがしの經濟を枕もとに見しらせぬ。正午も近づけ
卷何くれと枕まで宛がひて、明日の支度のむしり田作、人手にかけては
に義理は愁らき物かや、母親かげの毒舌をかくして風引かぬやうに小抱
西應寺の娘がもとより迎ひの車、これは大晦日とて遠慮のならぬ物なり、
混 雜 お 話 し に な ら ず、 今 が 今 お 出 で を と て、 生 死 の 分 目 と い ふ 初 産 に、
後、初産なれば旦那とり止めなくお騷ぎなされて、お老人なき家なれば
お母さまに直樣お出下さるやう、今朝よりのお苦るしみに、潮時は午
すごすごと勝手に立てば正午の號砲の音たかく、かゝる折ふし殊更胸に
ばお峰は伯父への約束こゝろもと無く、御新造が御機嫌を見はからふに
家のうちには金もあり、放蕩どのが寐ては居る、心は二つ、分けられぬ
なく、何事も言ふなりの通るに一段と我がまゝをつのらして、炬燵に兩
暇も無ければ、僅かの手すきに頭りの手拭ひを丸めて、此ほどより願ひ
身なれば恩愛の重きに引かれて、車には乘りけれど、かゝる時氣樂の良
ひゞくものなり。
ましたる事、折からお忙がしき時心なきやうなれど、今日の晝る過ぎに
人が心根にくゝ、今日あたり沖釣りでも無き物をと、太公望がはり合ひ
足、醉ざめの水を水をと狼藉これに止めをさしぬ、憎くしと思へど流石
と先方へ約束のきびしき金とやら、お助けの願はれますれば伯父の仕合
行きちがへに三之助、此處と聞きたる白金臺町、相違なく尋ねあてゝ、
せ私の喜び、 いついつまでも御恩に着まするとて手をすりて頼みける、 なき人をつくづくと恨みて御新造いでられぬ。
最初いひ出し時にやふやながら結局は宜しと有し言葉を頼みに、又の機
4
しより、束のうちを唯二枚、つかみし後は夢とも現とも知らず、三之助
ませ、勿躰なけれど此金ぬすませて下されと、かねて見置きし硯の引出
てなさらば私一人、遣ふても伯父や伯母は知らぬ事なればお免しなさり
惡人になりまする、成りたうは無けれど成らねば成りませぬ、罰をお當
見ればお居間の炬燵に今ぞ夢の眞最中、拜みまする神さま佛さま、私は
使ひより歸らず、お針は二階にてしかも聾なれば子細なし、若旦那はと
見廻せば、孃さまがたは庭に出て追羽子に餘念なく、小僧どのはまだお
顏つらや、まづまづ待つて下され、少し用もあればと馳せ行きて内外を
に宜くお禮を申して來いと父さんが言ひましたと、子細を知らねば喜び
叱かられはしませぬか、約束の物は貰つて行かれますか、旦那や御新造
ば此子、おゝ宜く來たとも言はれぬ仕儀を何とせん、姉さま這入つても
ば、誰れぞ來しかと竃の前に泣き伏したるお峰が、涙をかくして見出せ
我が身のみすぼらしきに姉の肩身を思ひやりて、勝手口より怕々のぞけ
向にして、惡い風説を立てられた事も無き筈を、天魔の生れがはりか貴
不憫、姉が良人の顏にもかゝる、此山村は代々堅氣一方に正直律義を眞
圓束一つ持ち來て、これは貴樣に遣るではなし、まだ縁づかぬ妹どもが
り、折々見やる尻目おそろし、父は靜かに金庫の間へ立ちしが頓て五十
き石之助の辯に、お峰を泣かせし今朝とは變りて父が顏色いかにとばか
るか、ぬるき旦那どのゝ處置はがゆしと思へど、我れも口にては勝がた
聞えぬ。母は大方かゝる事と今朝よりの懸念うたがひなく、幾金とねだ
我れは詮方なけれどお名前に申わけなしなどゝ、つまりは此金の欲しと
し ろ に 狂 風 一 陣、 破 落 戸 仲 間 に 遣 る 物 を 遣 ら ね ば 此 納 ま り む づ か し く、
期限の借金が御座る、人の受けに立ちて判を爲たるもあれば、花見のむ
づかしきに惜しき倉庫をも開くぞかし、それを見込みて石之助、今宵を
むは此淵、知らぬと言ひても世間のゆるさねば、家の名をしく我が顏は
し、切られぬ縁の血筋といへば有るほどの惡戲を盡して瓦解の曉に落こ
子は三界の首械といへど、まこと放蕩を子に持つ親ばかり不幸なるは無
家にて祝ふべき筈ながら御存じの締りなし、堅くるしき袴づれに挨拶も
と、暇乞わざとうやうやしく、お峰下駄を直せ、お玄關からお歸りでは
お母樣御機嫌よう好い新年をお迎ひなされませ、左樣ならば參ります
之助が懷中に入りぬ。
面倒、意見も實は聞あきたり、親類の顏に美くしきも無ければ見たしと
無いお出かけだぞと圖分圖分しく大手を振りて、行先は何處、父が涕は
*
何處へでも歸れ、此家に恥は見するなとて父は奧深く這入りて、金は石
に は 本 の 少 しも の ぞ い た 奴、 何 故こ れ が 分 り をら ぬ、 さ あ 行 け、 歸 れ、
くる筈を、六十に近き親に泣きを見するは罰あたりで無きか、子供の時
那とて、入らぬ世間に惡評もうけず、我が代りの年禮に少しの勞をも助
に恥を見するな、貴樣にいふとも甲斐は無けれど尋常ならば山村の若旦
ば、恥は我が一代にとゞまらず、重しといふとも身代は二の次、親兄弟
樣といふ惡者の出來て、無き餘りの無分別に人の懷でも覗ふやうになら
に渡して歸したる始終を見し人なしと思へるは愚かや。
*
その日も暮れ近く旦那つりより惠比須がほして歸らるれば、御新造も
續いて、安産の喜びに送りの車夫にまで愛想よく、今宵を仕舞へば又見
舞ひまする、明日は早くに妹共の誰れなりとも、一人は必らず手傳はす
ると言ふて下され、さてさて御苦勞と蝋燭代などを遣りて、やれ忙がし
や誰れぞ暇な身躰を片身かりたき物、お峰小松菜はゆでゝ置いたか、數
の子は洗つたか、大旦那はお歸りに成つたか、若旦那はと、これは小聲
に、まだと聞いて額に皺を寄せぬ。
思ふ念もなく、裏屋の友達がもとに今宵約束も御座れば、一先お暇とし
一夜の騷ぎに夢とやならん、持つまじきは放蕩息子、持つまじきは放蕩
石之助は其夜はおとなしく、新年は明日よりの三ヶ日なりとも、我が
て何れ春永に頂戴の數々は願ひまする、折からお目出度矢先、お歳暮に
は何ほど下さりますかと、朝より寢込みて父の歸りを待ちしは此金なり、 を仕立る繼母ぞかし。鹽花こそふらね跡は一まづ掃き出して、若旦那退
5
著作集
講談社﹁日本現代文学全集 ・樋口一葉集﹂
く
お京さん居ますかと窓の戸の外に來て、こと
わかれ道
れず、さらば石之助はお峰が守り本尊なるべし、後の事しりたや。
散のよろこび、金は惜しけれど見る目も憎ければ家に居らぬは上々なり、 我れ知らず石之助の罪に成りしか、いやいや知りて序に冠りし罪かも知
何うすれば彼のやうに圖太くなられるか、あの子を生んだ母さんの顏が
見たい、と御新造例に依つて毒舌をみがきぬ。お峰は此出來事も何とし
て耳に入るべき、犯したる罪の恐ろしさに、我れか、人か、先刻の仕業
はと今更夢路を辿りて、おもへば此事あらはれずして濟むべきや、萬が
中なる一枚とても數ふれば目の前なるを、願ひの高に相應の員數手近の
處になく成しとあらば、我れにしても疑ひは何處に向くべき、調べられ
なば何とせん、何といはん、言ひ拔けんは罪深し、白状せば伯父が上に
と羽目を敲く音のす
と利口ら
と行けば、御餅を焼くには火が足らないよ、臺處の
に此れ一枚を上げねばならぬ、角の質屋の旦那どのが御年始着だからと
火消壼から消し炭を持つて來てお前が勝手に焼いてお喰べ、私は今夜中
火鉢の傍へづか
く゛
しけれどいかにも脊の矮ければ人嘲りて仇名はつけゝる、御免なさい、と
見る處は一か二か、肩幅せばく顔少さく、目鼻だちはきり
く
内の暴れ者、傘屋の吉とて持て餘しの小借なり、年は十六なれども不圖
ば、お氣の毒さまと言ひながらずつと這入るは一寸法師と仇名のある町
なしな半天を着て、急ぎ足に沓脱へ下りて格子戸に添ひし雨戸を明くれ
を忙しい折からとて結び髪にして、少し長めな八丈の前だれ、お召の臺
立かけの縫物に針どめして立つは年頃二十餘りの意氣な女、多い髪の毛
餅のおねだりか、と笑つて、今あけるよ少時辛防おしと言ひながら、仕
と少し高く言へば、いやな子だね此様な遅くに何を言ひに來たか、又お
もかゝる、我が罪は覺悟の上なれど物がたき伯父樣にまで濡れ衣を着せ るに、誰れだえ、もう寝て仕舞つたから明日來てお呉れと嘘を言へば、寝
て、 干されぬは、 貧乏のならひかゝる事もする物と人の言ひはせぬか、 たつて宜いやね、起きて明けてお呉んなさい、傘屋の吉だよ、己れだよ
悲しや何としたらよかろ、伯父樣に疵のつかぬやう、我身が頓死する法
は無きかと目は御新造が起居にしたがひて、心はかけ硯のもとにさまよ
ひぬ。
大勘定とて此夜あるほどの金をまとめて封印の事あり、御新造それそ
れと思ひ出して、懸け硯に先程屋根やの太郎に貸付のもどり彼金が二十
御座りました、お峰お峰、かけ硯を此處へと奧の間より呼ばれて、最早
此時わが命は無き物、大旦那が御目通りにて始めよりの事を申、御新造
が無情そのまゝに言ふてのけ、術もなし法もなし正直は我身の守り、逃
げもせず隱られもせず、慾かしらねど盜みましたと白状はしましよ、伯
父樣同腹で無きだけを何處までも陳べて、聞かれずば甲斐なし其場で舌
かみ切つて死んだなら、命にかへて嘘とは思しめすまじ、それほど度胸
すわれど奧の間へ行く心は屠處の羊なり。
て針を取れば、吉はふゝんと言つて彼の兀頭には惜しい物だ、御初穂を
己れでも着て遣らうかと言へば、馬鹿をお言ひでない人のお初穂を着る
と出世が出來ないと言ふではないか、今つから伸びる事が出來なくては
れなんぞ御出世は願はないのだから他人の物だらうが何だらうが着かぶ
*
お峰が引出したるは唯二枚、殘りは十八あるべき筈を、いかにしけん
つて遣るだけが徳さ、お前さん何時か左様言つたね、運が向く時に成る
仕方が無い、其様な事を他處の家でもしては不可よと氣を附けるに、己
束のまゝ見えずとて底をかへして振へども甲斐なし、怪しきは落散し紙
えと眞面目だつて言へば、それは調製へて上げられるやうならお目出度
と己れに糸織の着物をこしらへて呉れるつて、本當に調製へて呉れるか
︵引出しの分も拜借致し候 石之助︶
のだもの喜んで調製へるがね、私が姿を見てお呉れ、此様な容躰で人さ
切れにいつ認めしか受取一通。
さては放蕩かと人々顏を見合せてお峰が詮議は無かりき、孝の餘徳は
6
10
まの仕事をして居る境界では無からうか。まあ夢のやうな約束さとて笑
己れは木の股からでも出て來たのか、つひしか親類らしい者に逢つた事
代りに火の車でも來るであらう、随分胸の燃える事が有るからね。とお
お呉んなさるな、と火なぶりをしながら身の上を歎くに、左様さ馬車の
すのさ、だけれどもお妾に成ると言ふ謎では無いぜ、悪く取つて怒つて
は以前が立派な人だと言ふから今に上等の運が馬車に乗つて迎ひに來や
かすりでも取つて吹矢の一本も當りを取るのが好い運さ、お前さんなぞ
目縞の筒袖に三尺を脊負つて産て來たのだらうから、澁を買ひに行く時
に斯うして居るのがいゝのだ、傘屋の油引きが一番好いのだ、何うで盲
故でもしない、誰れが來て無理やりに手を取つて引上げても己れは此處
いけない、己れは何うしても出世なんぞは為ないのだから、何故々々。何
もしてお呉れか、其約束も極めて置きたいねと徴笑んで言へば、其奴は
もと淋しさうな笑顔をすれば、そんなら吉ちやんお前が出世の時は私に
てお呉れ、此様な野郎が糸織ぞろへを被つた處がをかしくも無いけれど
お前さんに運の向いた時の事さ、まあ其様な約束でもして喜ばして置い
い、表を通る襤褸を下げた奴が矢張己れが親類まきで毎朝きまつて貰ひ
も知れない、それなら己れは乞食の子だ、母親も父親も乞食かも知れな
に出されたのだなどゝ朋輩の奴等が悪口をいふが、もしかすると左様か
様な氣の利いた物は有りさうにもしない生れると直さま橋の袂の貸赤子
のかえ、何か手懸りは有りさうなものだねとお京の言ふを消して、何其
さを繰返せば、それでもお前笹づる錦の守り袋といふやうな證據は無い
議でならない、と焼あがりし餅を兩手でたゝきつゝいつも言ふなる心細
無いのだよ、親なしで産れて來る子があらうか、己れは何うしても不思
な物が世間にも有るだらうかねえ、お京さん母親も父親も空つきり當が
かと樂しんでね、面白くも無い油引きをやつて居るが己れ見たやうな變
やうに思はれて、もう少し生きて居たら誰れか本當の事を話して呉れる
平常優しい事の一言も言つて呉れる人が母親や親父や姉さんや兄さんの
それでも欲があるから可笑しい、ひよつくり變てこな夢なんかを見てね、
事が出 來ない位な ら今のうち死 んで仕舞つた 方が氣樂だ と考へるがね、
つて居れば、いゝやなそれは、出來ない時に調製へて呉れとは言はない、 も無い、それだから幾度も幾度も考へては己れは最う一生誰れにも逢ふ
京は尺を杖に振返りて吉三が顔を諦視りぬ。
か、己れは親方の息子だけれど彼奴ばかりは何うしても主人とは思はれ
次さんを好きか、随分厭味に出來あがつて、いゝ氣の骨頂の奴ではない
度の奴等と來たら一人として話せるのは無い、お京さんお前は自家の半
知りやがらない、死んだお老婆さんは彼んなのでは無かつたけれど、今
當に自家の吝嗇奴めやかましい小言ばかり言やがつて、人を使ふ法をも
いゝゑ、とお京頭をふるに、では己ればかり御馳走さまにならうかな、本
事をお言ひだけれど、私が少しもお前の身なら非人でも乞食でも構ひは
て厭がるも厭がらないも言ふ事は無い、お前は平常の氣に似合ぬ情ない
お前が何のやうな人の子で何んな身かそれは知らないが、何だからとつ
いだらうか、振向いて見ては呉れまいねと言ふに、串戯をお言ひでない
ん己れが本當に乞食の子ならお前は今までのやうに可愛がつては呉れな
矢張己れは角兵衛の獅子を冠つて歩いたのだからと打しをれて、お京さ
さないでもお前は大底知つて居るだらうけれど今の傘屋に奉公する前は
例の如く臺處から炭を持出して、 お前は喰ひなさらないかと聞けば、 に來る跛隻眼の彼の婆あ何かゞ己れの為の何に當るか知れはしない、話
ない、番ごと喧嘩をして遣り込めてやるのだが随分おもしろいよとしな
う、何故其様な意氣地なしをお言ひだと勵ませば、己れは何うしても駄
ない、親が無からうが兄弟が何うだらうが身一つ出世をしたらば宜から
己れは何うもお前さんの事が他人のやうに思はれぬは何ういふもので
目だよ、何にも為やうとも思はない、と下を向いて顔をば見せざりき。
がら、鐵網の上へ餅をのせて、おゝ熱々と指先を吹いてかゝりぬ。
あらう、お京さんお前は弟といふを持つた事は無いのかと問はれて、私
左様かなあ、それでは矢張何でも無いのだらう、何處からか斯うお前の
子 供 を 拾 ふ て 來 て、 いゝよ親 方 か ら や か ま し く 言 つ て 來 た ら 其 時 の 事 、
女相撲のやうな老婆様ありき、六年前の冬の事寺参りの歸りに角兵衛の
今は亡 せたる傘 屋の先代に 太つ腹のお 松とて一 代に身上を あげたる、
やうな人が己れの眞身の姉さんだとか言つて出て來たらどんなに嬉しい
可愛想に足が痛くて歩かれないと言ふと朋輩の意地悪が置去りに捨てゝ
は 一 人 子 で 同 胞 な し だ か ら 弟 に も 妹 に も 持 つ た 事 は 一 度 も 無 い と 言 ふ、
か、首つ玉へ噛り着いて己れはそれ限り往生しても喜ぶのだが、本當に
7
著作集
て見なけりや知れはせん、お前新網へ歸るが厭なら此家を死場と極めて
のものだわな、いはゞ馬には乗つて見ろさ、役に立つか立たないか置い
文を取つた奴でも駆落をするもあれば持逃げの吝な奴もある、料簡次第
や三人や臺所へ板を並べてお飯を喰べさせるに文句が入るものか、判證
ら私が家に居なさい、みんなも心配する事は無い何の此子位のもの二人
行つたと言ふ、其様な處へ歸るに當るものか些とも怕かない事は無いか
うるさく這入込んでは前だれの半襟の帯つ皮のと附届をして御機嫌を取
質屋の兀頭めお京さんに首つたけで、仕事を頼むの何が何うしたとか小
今日は 何が何箇あ るまで知つて 居るのは恐ら く己れの外 には有るまい、
るに、男なら眞似て見ろ、仕事やの家へ行つて茶棚の奥の菓子鉢の中に、
彼の帯の上へちよこなんと乗つて出るか、此奴は好いお茶番だと笑はれ
のあちらこちら、桂川の幕が出る時はお半の脊中に長右衛門と唱はせて
も夜中でも傘屋の吉が來たとさへ言へば寝間着のまゝで格子戸を明けて、
骨を折らなきやならないよ、 しつかり遣つてお呉れと言ひ含められて、 つては居るけれど、遂ひしか喜んだ挨拶をした事が無い、ましてや夜で
く
今日は一日遊びに來なかつたね、何うかお為か、案じて居たにと手を取
と夫れよりの丹精今油ひきに、大人三入前を一手に引うけて鼻
唄交り遣つて退ける腕を見るもの、流石に眼鏡と亡き老婆をほめける。
つて引入れられる者が他にあらうか、お氣の毒様なこつたが獨活の大木
吉や
恩ある人は二年目に亡せて今の主も内儀様も息子の半次も氣に喰はぬ
しきに、吉や手前は親の日に腥さを喰たであらう、ざまを見ろ廻りの廻
身は疳癪に筋骨つまつてか人よりは一寸法師一寸法師と誹らるゝも口惜
へあれば人串戯とて恕すまじけれど、一寸法師の生意氣と爪はぢきして
と脊を酷く打たれて、有がたう御座いますと澄まして行く顔つき身長さ
者のみなれど、此處を死場と定めたるなれば厭とて更に何方に行くべき、 は役にたゝない、山椒は小粒で珍重されると高い事をいふに、此野郎め
りの小佛と朋輩の鼻垂れに仕事の上の仇を返されて、鐵拳に撲倒す勇氣
行きて、歸りは懐手の急ぎ足、草履下駄の先にかゝるものは面白づくに
好い嬲りものに烟草休みの話しの種なりき。 ¡/P¿
十二月三十日の夜、吉は坂上の得意場へ銚への日限の後れしを詫びに
は あ れ ど 誠 に 父 母 い か な る 日 に 失 せ て 何 時 を 精 進 日 と も 心 得 な き 身 の、
心細き事を思ふては干場の傘のかげに隠れて大地を枕に仰向き臥しては
うちでも遣りに來て下され、それならばお前さんも人に憎くまれず私の
米屋が白犬を擲ると思ふて私の家の洗ひかへしを光澤出しの小槌に、碪
なれば吉ちやんのやうな暴れさんが大好き、疳癪がおこつた時には表の
なれば手すきの時には遊びにも來て下され、私は此様ながらがらした氣
の一針造作は無い、一人住居の相手なしに毎日毎夜さびしく暮して居る
いらつしやる暇はあるまじ、私は常住仕事疊紙と首つ引の身なればほん
切れたなら私の家へ持つてお出、お家は御多人数お内儀さんの針もつて
れば傘屋の者へは殊更に愛想を見せ、小僧さん達着る物のほころびでも
越して来し者なれど物事に氣才の利きて長屋中への交際もよく、大屋な
取ついて離れがたなき思ひなり。仕事屋のお京は今年の春より此裏へと
胸苦しさの餘り、假にも優しう言ふて呉れる人のあれば、しがみ附いて
袖を振つて火の玉のやうな子だと町内に怕がられる亂暴も慰むる人なき
の移轉をするよ、あんまりだしぬけだから嘸お前おどろくだらうね、私
へば、とんでも無い親類へ行くやうな身に成つたのさ、私は明日あの裏
ぜ三十日の年始を受ける家は無いやな、親類へでも行きなすつたかと問
を立てられて、取越しの御年始さと素知らぬ顔をすれば、嘘をいつてる
もあるまいと言ふたではないか、何處へお客様にあるいて居たのと不審
て、お前何處へ行きなすつたの、今日明日は忙がしくてお飯を喰べる間
目深に風通の羽織着て例に以合ぬ美き粧なるを、吉三は見あげ見おろし
のけるに、憎らしい當てられて仕舞つたと笑ひ出す。お京はお高租頭巾
だお京さんか、小指のまむしが物を言ふ、赫かしても駄目だよと顔を振
の、兩手に目を隠して忍び笑ひするに、誰れだ誰れだと指を撫でゝ、何
の窓を敲いてと目算ながら横町を曲れば、いきなり後より追ひすがる人
し給ふを寒いと言ふ事知らぬ身なれば唯こゝちよく爽かにて、歸りは例
して一人から
こぼるゝ涙を呑込みぬる悲しさ、四季押通し油びかりする目くら縞の筒
方でも大助かり、ほんに兩為で御座んすほどにと戯言まじり何時となく
も少し不意なのでまだ本當とも思はれない、兎も角喜んでお呉れ悪い事
蹴かへして、こ
ろ
と轉げる、右に左に追ひかけては大溝の中ヘ蹴落
く
く と高笑ひ、聞く者なくて天上のお月さま宛も皓々と照
心安く、お京さんお京さんとて入浸るを職人ども挑発ては、帯屋の大將
8
糸織ぞろひを調製へて上るよと言へば、厭だ、己れは其様な物は貰ひた
ひに來たといふ騒ぎだから彼處の裏には居られない、吉ちやん其うちに
るに、嘘ではないよ何時かお前が言つた通り上等の運が馬車に乗つて迎
様な厭な戯言は廢しにしてお呉れ、えゝ詰らない事を言ふ人だと頭をふ
はお前が居なくなつたら少しも面白い事は無くなつて仕舞ふのだから其
串戯では無いか、其様な事を言つておどかして呉れなくても宜い、己れ
では無いからと言ふに、本當か、本當か、と吉は呆れて、嘘では無いか
己れも傘屋の吉三だ女のお世話には成らないと言つて、凭かゝりし柱に
れると氣に成つて仕方が無いと言へば、氣になんぞ懸けなくてもいゝよ、
の、それなら其やうに言つて呉れたが宜い、黙つて其様な顔をして居ら
うかおしか、何だか可笑しな様子だね私の言ふ事が何か疳にでも障つた
いても宜いやね、構はずに置いてお呉れと下を向いて居るに、お前は何
れでもお前寒からうではないか風を引くといけないと氣を附ければ、引
やお焙りよと聲かけるに己れは厭やだと言つて柱際に立つて居るを、そ
も私だとて行きたい事は無いけれど行かなければならないのさ、吉ちや
や其處へ行くのでは無いか、其お邸へ行くのであらう、と問はれて、何
いと思ふから、聞違ひだらうと言つて大喧嘩を遣つたのだが、お前もし
の譯はない、三つ輪に結つて總の下つた被布を着るお妾さまに相違は無
のださうだ、何お小間使ひと言ふ年ではなし、奥さまのお側やお縫物師
横町に按摩をして居る伯父さんが口入れで何處のかお邸へ御奉公に出る
一昨日自家の半次さんが左様言つて居たに、仕事やのお京さんは八百屋
言つて一生經つても此身長が延びやうかい、待てば甘露といふけれど己
やうでは無し、朝から晩まで一寸法師の言はれつゞけで、それだからと
だ傘屋の油ひきなんぞ、百人前の仕事をしたからとつて褒美の一つも出
た、お前は不人情で己れを捨てゝ行くし、もう何も彼もつまらない、何
で死ぬし、お絹さんはお嫁に行くを厭がつて裏の井戸へ飛込んで仕舞つ
といふ縮れつ毛の人も可愛がつて呉れたのだけれど、お老婆さんは中風
舞ふのだ、傘屋の先のお老婆さんも善い人であつたし、紺屋のお絹さん
らう、いろいろの人が鳥渡好い顔を見せて直様つまらない事に成つて仕
くない、お前その好い運といふは詰らぬ處へ行かうといふのではないか、 脊を擦りながら、あゝ詰らない面白くない、己れは本當に何と言ふのだ
んお前にもゝう逢はれなくなるねえ、とて唯言ふことながら萎れて聞ゆ
つて居ながら何故つまらない其様な事を始めたのか、あんまり情ないで
何もお前女口一つ針仕事で通せない事もなからう、あれほど利く手を持
う、そんな嘘つ吐きの、ごまかしの、欲の深いお前さんを姉さん同様に
ないと威張つたに、五日とたゝずに兜をぬがなければ成らないのであら
喧嘩をやつて、お京さんばかりは人の妾に出るやうな腸の腐つたのでは
れば、どんな出世に成るのか知らぬが其處へ行くのは廢したが宜からう、 れなんぞは一日一日厭な事ばかり降つて来やがる、一昨日半次の奴と大
は無いかと吉は我身の潔白に較べて、お廢しよ、お廢しよ、斷つてお仕
きの草履下駄足に引かくるを、あれ吉ちやんそれはお前勘違ひだ、何も
思つて居たが口惜しい、もうお京さんお前には逢はないよ、何うしても
思ひ切つた事を我れ知らず言つてほゝと笑ひしが、兎も角も家へ行か
私が此處を離れるとてお前を見捨てる事はしない、私はほんとに兄弟と
舞なと言へば、困つたねとお京は立止まつて、それでも吉ちやん私は洗
うよ、吉ちやん少しお急ぎと言はれて、何だか己れは根つから面白いと
ばかり思ふのだもの其様な愛想づかしは酷からう、と後から羽がひじめ
お前には逢はないよ、長々御世話さま此處からお禮を申します、人をつ
も思はれない、お前まあ先へお出よと後に附いて、地上に長き影法師を
に抱き止めて、氣の早い子だねとお京の諭せば、そんならお妾に行くを
ひ張に倦きが來て、もうお妾でも何でも宜い、何うで此様な詰らないづ
心細げに踏んで行く、いつしか傘屋の路次を入つてお京が例の窓下に立
廢めにしなさるかと振かへられて、誰れも願ふて行く處では無いけれど、
け、もう誰れの事も當てにする物か、左様なら、と言つて立あがり沓ぬ
てば、此處をば毎夜音づれて呉れたのなれど、明日の晩はもうお前の聲
私は何うしても斯うと決心して居るのだからそれは折角だけれど肯れな
くめだから、いつその腐れ縮緬着物で世を過ごさうと思ふのさ。
も聞かれない、世の中つて厭なものだねと歎息するに、それはお前の心
いよと言ふに、吉は涙の目に見つめて、お京さん後生だから此肩の手放
してお呉んなさい。
がらだとて不満らしう吉三の言ひぬ。
お京は家に入るより洋燈に火を點して、火鉢を掻きおこし、吉ちやん
9
著作集
人 數 は 彼 の そ そ く さ に 此 女 中 と、 他 に は 御 飯 た き ら し き 肥 大 女 お よ び、
其夜に入りてより車を飛ばせて二人ほど來たりし人あり、一人は六十に
しの風入りよく、庭は廣々として植込の木立も茂ければ、夏の住居にう
家の間數は三疊敷の玄關までを入れて五間、手狹なれども北南吹とほ
にありて悄然とせし老人二人の面やう、何處やら寢顏に似た處のあるや
奧深に床を敷かせて、括り枕に頭を落つかせけるが、夜もすがら枕近く
てこれは實法に小さき丸髷をぞ結ひける、病みたる人は來るよりやがて
うつせみ
つてつけと見えて、場處も小石川の植物園にちかく物靜なれば、少しの
うなるは、此娘の若も父母にてはなきか、彼のそゝくさ男を始めとして
近かるべき人品よき剃髮の老人、一人は妻なるべし對するほどの年輩に
不便を疵にして他には申す旨のなき貸家ありけり、門の柱に札をはりし
女中ども一同旦那様御新造樣と言ば、應々と返事して、男の名をば太吉
あくる朝風すゞしきほどに今一人車を乘りつけゝる人のありけり、紬
より大凡三月ごしにもなりけれど、いまだに住人のさだまらで、主なき
こみの好ければ、日のうちには二人三人の拜見をとて來るものも無きに
の單衣に白ちりめんの帶を卷きて、鼻の下に薄ら髯のある三十位のでつ
太吉と呼びて使ひぬ。
はあらねど、敷金三月分、家賃は三十日限りの取たてにて七圓五十錢と
ぷりと太て見だてよき人、小さき紙に川村太吉と書て張りたるを讀みて
門の柳のいと、空しくなびくも淋しかりき。家は何處までも奇麗にて見
いふに、それは下町の相場とて折かへして來るはなかりき、さるほどに
此處だ
と車より下りける、姿を見つけて、おゝ番町の旦那樣とお三
此ほどの朝まだき四十に近かるべき年輩の男、紡績織の浴衣も少し色の
どんが眞先に襷をはづせば、そゝくさは飛出していやお早いお出、よく
く゛
さめたるを着て、至極そゝくさと落つき無きが差配のもとに來りて此家
の見たしといふ、 案内して其處此處と戸棚の數などを見せてあるくに、 早速おわかりになりましたな、昨日まで大塚にお置き申したので御座り
とて、何の子細なく約束はとゝのひぬ。お職業はと問へば、いゑ別段こ
夕暮、いかにも急速では御座りますが直樣掃除にかゝりたう御座ります
より直にお借り申しまする、敷金は唯今置いて參りまして、引越しは此
昨夜はよくお眠になりましたが今朝ほどは又少しその、一寸御樣子が變
隣が遠うござりますので御氣分の爲にもよからうかと存じまする、はい
して御座ります、御覽下さりませ一寸こうお庭も廣う御座りますし、四
かうと仰しやる、仕方が御座りませぬで漸とまあ此處をば見つけ出しま
ますが何分もう、その何だか頻に嫌におなりなされて何處へか行かう行
れといふ物も御座りませぬとて至極曖昧の答へなり、御人數はと聞かれ
つ た や う で、 ま、 い ら し つ て 御 覽 下 さ り ませ と 先 に 立 て 案 内 を す れ ば、
其等のことは片耳にも入れで、唯四邊の靜とさわやかなるを喜び、今日
て、其何だか四五人の事も御座りますし、七八人にもなりますし、始終
心配らしく髭をひねりて、奧の座敷に通りぬ。
て姉樣のお製に餘念なく、物を問へばにこ
く
と打笑みて唯はい
く
氣分すぐれてよき時は三歳兒のやうに父母の膝に眠るか、白紙を切つ
ごたごたして埓は御座りませぬといふ、妙な事のと思ひしが掃除のすみ
て日暮れがたに引移り來りしは、合乘りの幌かけ車に姿をつゝみて、開
きたる門を眞直に入りて玄關におろしければ、主は男とも女とも人には
今一人は十八か、九には未だと思はるゝやうの病美人、顏にも手足にも
て物陰にひそんで泣く、聲は腸を絞り出すやうにて私が惡う御座りまし
立つた折には、父樣も母樣も兄樣も誰れも後生顏を見せて下さるな、と
見えじと思ひしげなれど、 乘り居たるは三十計の氣の利きし女中風と、 と意味もなき返事をする温順しさも、狂風一陣梢をうごかして來る氣の
血の氣といふもの少しもなく、透きとほるやうに蒼白きがいたましく見
た、堪忍して堪忍してと繰返し
、さながら目の前の何やらに向つて
えて、折柄世話やきに來て居たりし差配が心に、此人を先刻のそゝくさ
詫るやうに言ふかと思へば、今行まする、今行まする、私もお跡から參
りまするとて日のうちには看護の隙をうかゞひて驅け出すこと二度三度
く
男が妻とも妹とも受とられぬと思ひぬ。
荷物といふは大八に唯一くるま來りしばかり、兩隣にお定めの土産は
配りけれども、家の内は引越らしき騷ぎもなく至極寂寞とせしものなり。 もあり、井戸には蓋を置き、きれ物とては鋏刀一挺目にかゝらぬやうと
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の心配りも、危きは病ひのさする業かも、此纎弱き娘一人とり止むる事
したけれどもゝう萎れて仕舞ました、貴君にはあれから以來御目にかゝ
君が下さつた花をね、私は今も本の間へ入れてありまする、奇麗な花で
下さらぬの、最うお目にかゝる事は一生出來ぬので御座んするか、それ
かなはで、勢ひに乘りて驅け出す時には大の男二人がゝりにても六つか
本宅は三番町の何處やらにて表札を見ればむゝ彼の人の家かと合點の
は私が惡う御座りました、私が惡いに相違ござんせぬけれど、それは兄
らぬでは御座んせぬか、何故逢ひに來て下さらないの、何故歸つて來て
ゆくほどの身分、今さら此處には言はずもがな、名前の恥かしければ病
樣が、兄が、あゝ誰れにも済みませぬ、私が惡う御座りました免して免
しき時のありける。
院へ入れる事もせで、醫者は心安きを招き家は僕の太吉といふが名を借
ど、顏を横にして振向ふともせぬ無禮を、常ならば怒りもすべき事なれ
番町の旦那樣お出と聞くより雪や兄樣がお見舞に來て下されたと言へ
聲ひくゝ聞えぬ。
よ、氣が附きましたかへと脊を撫でられて、母の膝の上にすゝり泣きの
ふ の が 病 氣 な の だ か ら 氣 を 落 つ け て 舊 の 雪 子 さ ん に 成 つ て お 呉 れ、 よ、
ない、兄樣も此處にお出でなさつては居ないのに、何か見えるやうに思
ては成りませぬよ、それがお前の病氣なのだから、學校も花もありはし
りて心まかせの養生、 一月と同じ處に住へば見る物殘らず嫌になりて、 してと胸を抱いて苦しさうに身を悶ゆれば、雪子や何も餘計な事を考へ
次第に病ひのつのる事見る目も恐ろしきほど悽まじき事あり。
當主は養子にて此娘こそは家につきての一粒ものなれば父母が歎きお
もひやるべし、病ひにふしたるは櫻さく春の頃よりと聞くに、夫れより
何うかして呉れ、太吉
の晝夜瞼を合する間もなき心配に疲れて、老たる人はよろよろた
よ
く
と二人ながら力なさゝうの風情、娘が病ひの俄に起りて私はもう歸りま
く
く
せぬとて驅け出すを見る折にも、あれ
と呼立るほかには何の能なく情なき躰なり。
昨夜は夜もすがら靜に眠りて、今朝は誰れより一はな懸けに目を覺し、 ど、ああ、捨てゝ置いて下さい、氣に逆らつてもならぬからとて義母が
手づから與へられし皮蒲團を貰ひて、枕もとを少し遠ざかり、吹く風を
背にして柱の際に默然としてゐる父に向ひ、靜に一つ二つ詞を交へぬ。
顏を洗ひ髮を撫でつけて着物もみづから氣に入りしを取出し、友仙の帶
に緋ぢりめんの帶あげも人手を借りずに手ばしこく締めたる姿、不圖見
季が明まするか、歸る事が出來るで御座んせうかとて問ひかけるに、年
嫌や嫌やと頭をふりて意氣地もなく母の膝へ寄そひしが、今日は私の年
うが今に成つては駟馬も及ばずです、植村も可愛想な事でした、とて下
言ふばかり、あゝ此樣な事と知りましたら早くに方法も有つたのでしや
持て居る位なもの、絶えず尻目に雪子の方を眺めて困つたものですなと
と團扇づかひするか、卷煙草の灰を拂つては又火をつけて手に
番町の旦那といふは口數少なき人と見えて、時たま思ひ出したやうに
たる目には此樣の病人とも思ひ寄るまじき美くしさ、兩親は見返りて今
く
季が明るといつて何處へ歸る料簡、此處はお前さんの家ではないか、此
を向いて歎息の聲を洩らすに、どうも何とも、私は悉皆世上の事に疎し
更に涕ぐみぬ、附そひの女が粥の膳を持來たりて召上りますかと問へば、 はた
ほかに行くところも無からうではないか、分らぬ事を言ふものではあり
は此娘の氣が狹いからではあるが、否植村も氣が狹いからで、どうも此
ませぬと叱られて、 それでも母樣私は何處へか行くので御座りませう、 な、母もあの通りの何であるので、三方四方埓も無い事に成つてな、第一
あれ彼處に迎ひの車が來て居まする、とて指さすを見れば軒端のもちの
ても其方への義理ばかり思つて情ない事を言ひ出し居る、多少教育も授
様な事になつて仕舞つたで、私等二人が實に其方に合はせる顏も無いや
母は情なき思ひの胸に迫り來て、あれあんな事を、貴君お聞遊しました
けてあるに狂氣するといふは如何にも恥かしい事で、此方から行くと家
木に大いなる蛛の巣のかゝりて、朝日にかゞやきて金色の光ある物なり
かと良人に向ひて忌はしげにいひける、娘は俄に萎れかへりし面に生々
の恥辱にもなる實に憎むべき奴ではあるが、情實を酌んでな、これほど
うな仕義でな、然し雪をも可愛想と思つて遣つて呉れ、此樣な身に成つ
とせし色を見せて、あのそれ一昨年のお花見の時ねと言ひ出す、何えと
まで操といふものを取止めて置いただけ憐んで遣つて呉れ、愚鈍ではあ
ける。
受けて聞けば學校の庭は奇麗でしたねへとて面白さうに笑ふ、あの時貴
11
著作集
近よつたかと取越し苦勞をやつてな、大塚の家には何か迎ひに來る物が
までも諦がつきかねるもので、餘り昨今忌はしい事を言はれると死期が
にもあつて、眞の親馬鹿といふのであらうが平癒らぬほどならば死ねと
るが子供の時から是れといふ不出來しも無かつたを思ふと何か殘念の樣
躰得しれぬ文字を書ちらして、是れが雪子の手跡かと情なきやうなる中
へるは何心なく積重ねたる反古紙を手に取りて見れば、怪しき書風に正
し學校のまねびをなせば、心にまかせて紙いたづらせよとなり、兄とい
枕に近く一脚の机を据ゑたるは、折ふし硯々と呼び、書物よむとて有
有るなどゝ騷ぎをやるにつけて母が詰らぬ易者などにでも見て貰つたか、 に、鮮かに讀まれたるは村といふ字、郎といふ字、ああ植村録郎、植村
も病ひの故であらうか兎角に誰れの言ふ事も用ひぬに困りはてる、醫者
でも身躰の疲勞が甚しからうと思はれるので種々に異見も言ふが、どう
し、食事も丁度一週間ばかり一粒も口へ入れる事が無いに、そればかり
いと思はれる、殆んど毎日死ぬ死ぬと言て見る通り人間らしい色艶もな
するが宜からうとて此處を捜させては來たが、いや何うも永持はあるま
て見ると餘り快よくも無いに當人も頻と嫌がる樣子なり、ま、引移りを
れ奇麗な蝶が蝶がと言ひかけしが、殺してはいけませんよ、兄樣兄樣と
附れども何の事とも聞分ぬと覺しく、目は見開きながら空を眺めて、あ
雪や少しはお解りか、兄樣が頭を冷して下さるのですよとて、母の親心
させて見てくれろとて氷嚢の口を開いて水を搾り出す手振りの無器用さ、
らしく手を出すに、恐れ入ます、お召物が濡れますと言ふを、いゝさ先
雪子の頭を冷す附添の女子に代りて、どれ少し私がやつて見やうと無骨
今日は用なしの身なればとて兄は終日此處にありけり、氷を取寄せて
録郎、よむに得堪へずして無言にさし置きぬ。
は例の安田が來るので斯う素人まかせでは我まゝばかり募つて宜くある
聲を限りに呼べば、 こら何うした、 蝶も何も居ない、 兄は此處だから、
愚な話しではあるが一月のうちに生命が危ふいとか言つたさうな、聞い
まいと思はれる、私の病院へ入れる事は不承知かと毎々聞かれるのであ
ら少し聞分けて呉れ、よ、お前が此樣な病氣になつてから、お父樣もお
殺しはせぬから安心して、 な、 宣いか、 見えるか、 兄だよ、 正雄だよ、
飛出しが始まつて私などは勿論太吉と倉と二人ぐらゐの力では到底引と
母樣も一晩もゆるりとお眠になつた事はない、お疲れなされてお痩せな
るが、それも何うあらうかと母などは頻にいやがるので私も二の足を踏
められぬ働きをやるからの、萬一井戸へでも懸られてはと思つて、無論
されて介抱して居て下さるのを孝行のお前に何故わからない、平常は道
氣を取直して正氣になつて、お父さんやお母さんを安心させて呉れ、こ
蓋はして有るが往來へ飛出されても難義至極なり、夫等を思ふと入院さ
理がよく了解る人ではないか、氣を靜めて考へ直して呉れ、植村の事は
んで居る、無論病院へ行けば自宅と違つて窮屈ではあらうが、何分此頃
せやうとも思ふが何かふびんらしくて心一つには定めかねるて、其方に
今更取かへされぬ事であるから、跡でも懇に吊つて遣れば、お前が手づ
白き手を二つ重ねて枕のもとに投出し、浴衣の胸少しあらはに成りて締
疊みこみたるが、大方横に成りて狼藉の姿なれども、幽靈のやうに細く
しげもなく引つめて、銀杏返しのこはれたるやうに折返し折返し髷形に
り、兄といへるは靜に膝行寄りてさしのぞくに、黒く多き髮の毛を最惜
郡内の蒲團の上に抱き上げて臥さするにはや正躰も無く夢に入るやうな
と母の膝へ寄添ひしまゝ眠れば、お倉お倉と呼んで附添ひの女子と共に
人も知つて居る事なり遺書によつて明かではないか、考へ直して正氣に
ぬ、其樣な事はある筈がない、憤りは世間に對してなので、既にそれは
とお前も常に褒めたではないか、其人であるから決してお前を恨んで死
れは道理を知つて居る男であらう、な、左樣であらう、校内一流の人だ
對してお前の處置の無精であつたも彼は決して怨んでは居なかつた、彼
本心を取亂して御兩親に歎をかけると言ふは解らぬではないか、彼れに
併せて思ひ切つたので決して未練は殘して居なかつたに、お前が此樣に
つたと言ふではないか、彼れは潔く此世を思ひ切つたので、お前の事も
から香花でも手向れば、彼れは快よく瞑することが出來ると遺書にもあ
と剃たる頭を撫でゝ思案に
く
と聞居る人も詞は無くて諸共に溜息なり。
思ひ寄もあらば言つて見て呉れとてくる
く
能はぬ風情、はあ
く
めたる緋ぢりめんの帶あげの解けて帶より落ちかゝるも婀かしからで慘
な つ て 、 其 後 の 事 は お 前 の 心 に 任 せ る か ら 思 ふ まゝの 世 を 經 る が 宜 い 、
娘は 先 刻 の 涙 に 身 を 揉 み し か ば、 さ ら で も の 疲 れ 甚 し く、 な よ
ましのさまなり。
12
て、氣を取直して呉れ、ゑ、宜いか、お前が心で直さうと思へば今日の
御兩親のある事を忘れないで、御兩親がどれほどお歎きなさるかを考へ
の再び現にあらはるゝなるべし。
を夢みてなるべく、胸を抱きて苦悶するは遣るかた無かりし當時のさま
りたれば、人の言へるは聞分るよしも無く、樂しげに笑ふは無心の昔し
おいたはしき事とは太吉も言ひぬ、お倉も言へり、心なきお三どんの
今も直れるではないか、醫者にも及ばぬ、藥にも及ばぬ、心一つ居處を
たしかにしてな、直つて呉れ、よ、よ、こら雪、宜いか、解つたかと言
べば、何か用かと氷嚢を片寄せて傍近く寄るに、私を起して下され、何
り、今いふ事は解るとも解らぬとも覺えねども兄樣兄樣と小さき聲に呼
女子どもは何時しか枕元を遠慮して四邊には父と母と正雄のあるばか
のをとお倉の言へば、何があの色の黒い無骨らしきお方、學問はゑらか
のやうに御平癒あそばすやらと心細し、植村さまも好いお方であつたも
打の銀簪一つ淡泊と遊ばして學校がよひのお姿今も目に殘りて、何時舊
生羽織めして、品のよき高髷にお根がけは櫻色を重ねたる白の丈長、平
末まで孃さまに罪ありとはいささかも言はざりき、黄八丈の袖の長き書
故か身躰が痛くてと言ふ、それは何時も氣の立つままに驅出して大の男
らうとも何うで此方のお孃さまが對にはならぬ、根つから私は褒めませ
へば、唯點頭いて、はいはいと言ふ。
に捉へられるを、振放すとて恐ろしき力を出せば定めし身も痛からう生
ぬとお三の力めば、それはお前が知らぬから其樣な憎ていな事も言へる
う、番町の若旦那を惡いと言ふではなけれど、彼方とは質が違うて言ふ
疵も處々にあるを、それでも身躰の痛いが知れるほどならばと果敢なき
おまへの抱かれて居るは誰何、知れるかへと母親の問へば、言下に兄
に言はれぬ好い方であつた、私でさへ植村樣が何だと聞いた時にはお可
ものゝ三日交際をしたら植村樣のあと追ふて三途の川まで行きたくなら
樣で御座りませうと言ふ、左樣わかればもう子細は無し、今話して下さ
愛想な事をと涙がこぼれたもの、お孃さまの身になつては辛らからうで
事をも兩親は頼母しがりぬ。
れた事覺えてかと言へば、知つて居まする、花は盛りにと又あらぬ事を
ゝしんでお出遊ばすだけ身にしみる事も深からう、あの親切な優しい方
はないか、私やお前のやうなおつと來いならば事は無いけれど、不斷つ
良しばしありて雪子は息の下に極めて恥かしげの低き聲して、もう後
を斯う言ふては惡いけれど若旦那さへ無かつたらお孃さまも御病氣にな
言ひ出せば、一同顔を見合せて情なき思ひなり。
生お願ひで御座りまする、其事は言ふて下さりますな、其やうに仰せ下
すに、それとて一同ばらばらと勝手より太吉おくらなど飛來るほどに左
と岸破と起きて、不意に驚く正雄の膝を突きのけつゝ椽の方へと驅け出
何をと母が顏を出せば、あ、植村さん、植村さん、何處へお出遊ばすの
夜な車を柳のもとに乘りすてぬ、雪子は喜んで迎へる時あり、泣いて辭
ある身ならば正雄は日毎に訪ふ事もならで、三日おき、二日おきの夜な
退ける事が出來ぬからとて、お倉はつく
に治まつたものを、あゝ浮世はつらいものだね、何事も明すけに言ふて
さりましても私にはお返事の致しやうが御座りませぬと言ひ出づるに、 るほどの心配は遊ばすまいに、左樣いへば植村樣が無かつたら天下泰平
のみも行かず椽先の柱のもとにぴたりと坐して、堪忍して下され、私が
す時あり、稚児のやうになりて正雄の膝を枕にして寐る時あり、誰が給
侭ならぬを痛みぬ。つとめ
惡う御座りました、始めから私が惡う御座りました、貴君に惡い事は無
仕にても箸をば取らずと我儘をいへれど、正雄に叱られて同じ膳の上に
く゛
い、私が、私が、申さないが惡う御座りました、兄と言ふては居ります
れ。今日癒りまする、癒つて兄樣のお袴を仕立て上げまする、お召も縫
るけれど。むせび泣きの聲聞え初めて斷續の言葉その事とも聞わき難く、 粥の湯をすゝる事もあり、癒つて呉れるか。癒りまする。今日癒つて呉
半かかげし軒ばの簾、風に音する夕ぐれ淋し。
したらば植村樣を呼んで下さるか、植村樣に逢はして下さるか、むゝ逢
雪子が繰かへす言の葉は昨日も今日も一昨日も、三月の以前も其前も、 うて上げまする。それは辱し早く癒つて縫ふて呉れと言へば、左樣しま
さらに異なる事をば言はざりき、唇に絶えぬは植村といふ名、ゆるし給
いかと言へば、あゝ明日は癒りますると憚りもなく言ひけり。
へと言ふ言葉、 學校といひ、 手紙といひ、 我罪、 おあとから行まする、 はして遣る、呼んでも來る、はやく癒つて御兩親に安心させて呉れ、宜
戀しき君、さる詞をば次第なく並べて、身は此處に心はもぬけの殻に成
13
著作集
正しく言ひしを心頼みに有るまじき事とは思へども明日は日暮も待た
はく、弟の行末、あゝ、此身一つの心から出世の眞も止めずばならず、戻
を見せ、御兩親には今までの自慢の鼻にはかに低くさせまして、人の思
く
く變りて何を言へどもいや
と
く゛
らうか、戻らうか、あの鬼のやうな我良人のもとに戻らうか、彼の鬼の、
ず車を飛ばせ來るに、容躰こと
て人の顏をば見るを厭ひ、父母をも兄をも女子どもをも寄せつけず、知
として、
鬼の良人のもとへ、ゑゝ厭や厭やと身をふるはす途端よろ
く
りませぬ、知りませぬ、私は何も知りませぬとて打泣くばかり、家の中
思はず格子にがたりと音さすれば、誰れだと大きく父親の聲、道ゆく惡
太郎の惡戲とまがへてなるべし。
をば廣き野原と見て行く方なき歎きに人の袖をもしぼらせぬ。
俄かに暑氣つよくなりし八月の中旬より狂亂いたく募りて人をも物を
落入たる眼に形相すさまじく此世の人とも覺えずなりぬ、看護の人も疲
處に立つて居て、何うして又此おそくに出かけて來た、車もなし、女中
や、誰れだ、誰れであつたと障子を引明て、ほうお關か、何だな其樣な
外 な る は お ほゝと 笑 ふ て、 お 父 樣 私 で 御 座 ん す と い か に も 可 愛 き 聲 、
れぬ、雪子の身も弱りぬ、きのふも植村に逢ひしと言ひ、今日も植村に
も連れずか、やれやれま早く中へ這入れ、さあ這入れ、何うも不意に驚
も見分ちがたく、泣く聲は晝夜に絶えず、眠るといふ事ふつに無ければ
逢ひたりと言ふ、川一つ隔てゝ姿を見るばかり、霧の立おほうて朧氣な
る、兎も角も奧が好い、ずつとお月樣のさす方へ、さ、蒲團へ乘れ、蒲
するわな、格子は閉めずとも宜い、私しが閉め
かされたやうでまご
いつぞは正氣に復りて夢のさめたる如く、父樣母樣といふ折の有りも
團へ、何うも疊が汚ないので大屋に言つては置いたが職人の都合がある
く゛
れども明日は明日はと言ひて又そのほかに物いはず。
やすると覺束なくも一日二日と待たれぬ、空蝉はからを見つゝもなぐさ
と言ふてな、遠慮も何も入らない着物がたまらぬから夫れを敷いて呉れ、
として茶を進めながら、亥之は今しがた夜學に出て行ました、
んは何時も惡戲をして居ますか、何故に今夜は連れてお出でない、お祖
末をもお頼み申て置てお呉れ、ほんに替り目で陽氣が惡いけれど太郎さ
るから、何分ともお前が中に立つて私どもの心が通じるやう、亥之が行
質だし何れお目に懸つてもあつけない御挨拶よりほか出來まいと思はれ
れど此後とも原田さんの御機嫌の好いやうに、亥之は彼の通り口の重い
有るからだとて宅では毎日いひ暮して居ます、お前に如才は有るまいけ
下さるので何れ位心丈夫であらう、是れと言ふも矢張原田さんの縁引が
あれもお前お蔭さまで此間は昇給させて頂いたし、課長樣が可愛がつて
ほた
く
へか參りましたか、彼の子も替らず勉強で御座んすかと問へば、母親は
はなしさと元氣よく呵々と笑ふに、亥之さんが見えませぬが今晩は何處
奴を始めるがの、夫れも蒲團かぶつて半日も居ればとする病だから仔細
と問へば、いや最う私は嚔一つせぬ位、お袋は時たま例の血の道と言ふ
無沙汰して居りましたが貴君もお母樣も御機嫌よくいらつしやりますか
涕を呑込で、はい誰れも時候の障りも御座りませぬ、私は申譯のない御
らずもてはやさるれば、針の席にのる樣にて奧さま扱かひ情なくじつと
やれやれ何うして此遲くに出て來たお宅では皆お變りもなしかと例に替
めつ、あはれ門なる柳に秋風のおと聞こえずもがな。
十三夜
例は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと兩親
に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ歸して悄然と格子戸
の外に立てば、家内には父親が相かはらずの高聲、いはゞ私も福人の一
有難い事と物が
人、いづれも柔順しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められ
く
る、分外の欲さへ渇かねば此上に望みもなし、やれ
たれる、あの相手は定めし母樣、あゝ何も御存じなしに彼のやうに喜ん
でお出遊ばす物を、何の顏さげて離縁状もらふて下されと言はれた物か、
叱かられるは必定、太郎と言ふ子もある身にて置いて驅け出して來るま
でには種々思案もし盡しての後なれど、今更にお老人を驚かして是れま
での喜びを水の泡にさせまする事つらや、寧そ話さずに戻ろうか、戻れ
ば太郎の母と言はれて何時何時までも原田の奧樣、御兩親に奏任の聟が
ある身と自慢させ、私さへ身を節儉れば時たまはお口に合ふ者お小遣ひ
も差あげられるに、思ふまゝをして離縁とならは太郎には繼母の憂き目
14
とては少しもなく、外へ出れば跡を追ひまするし、家内に居れば私の傍
たから其まゝ置いて參りました、本當に惡戲ばかりつのりまして聞わけ
連れて來やうと思ひましたけれど彼の子は宵まどひで最う疾うに寐まし
れど、父さんや母さんに斯うして上やうと思ふ事も出來ず、いはゞ自分
成程和らかひ衣服きて手車に乘りあるく時は立派らしくも見えませうけ
き身分を情なげに言はれて、本當に私は親不孝だと思ひまする、それは
れると嬉しき中にも思ふまゝの通路が叶はねば、愚痴の一トつかみ賎し
父さんも戀しがつてお出なされた物をと言はれて、又今更にうら悲しく、 も重箱からしてお恥かしいでは無からうか、ほんにお前の心遣ひが思は
手 が 懸 つ て 成 り ま せ ぬ、 何 故 彼 樣 で 御 座
く
置いては來たれど今頃は目を覺して母さん母さんと婢女どもを迷惑がら
りませうと言ひかけて思ひ出しの涙むねの中に漲るやうに、思ひ切つて
行つた身が實家の親の貢をするなどゝ思ひも寄らぬこと、家に居る時は
すと言ひ出すに、馬鹿、馬鹿、其樣な事を假にも言ふてはならぬ、嫁に
の皮一重、寧そ賃仕事してもお傍で暮した方が餘つぽど快よう御座いま
ば つ か り覘 ふ て、 ほん に
せ、煎餅やおこしのし しも利かで、皆々手を引いて鬼に喰はすと威か
齊藤の娘、嫁入つては原田の奧方ではないか、勇さんの氣に入る樣にし
たら
してゞも居やう、あゝ可愛さうな事をと聲たてゝも泣きたきを、さしも
て家の内を納めてさへ行けば何の子細は無い、骨が折れるからとて夫れ
として涙を襦袢の袖にかくしぬ。
丈の運のある身ならば堪へられぬ事は無い筈、女などゝ言ふ者は何うも
兩親の機嫌よげなるに言ひ出かねて、烟にまぎらす烟二三服、空咳こん
く
愚痴で、お袋などが詰らぬ事を言ひ出すから困り切る、いや何うも團子
嫁入りてより七年の間、いまだに夜に入りて客に來しこともなく、土
今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへて
夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、自宅で甘い
産もなしに一人歩行して來るなど悉皆ためしのなき事なるに、思ひなし
を喰べさせる事が出來ぬとて一日大立腹であつた、大分熱心で調製たも
物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奧樣氣を取すて
か衣類も例ほど燦かならず、稀に逢ひたる嬉しさに左のみは心も付かざ
お月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に
ゝ今夜は昔しのお關になつて、外見を構はず豆なり栗なり氣に入つたを
りしが、聟よりの言傳とて何一言の口上もなく、無理に笑顏は作りなが
のと見えるから十分に喰べて安心させて遣つて呉れ、餘程甘からうぞと
喰べて見せてお呉れ、いつでも父樣と噂すること、出世は出世に相違な
ら底に萎れし處のあるは何か子細のなくては叶わず、父親は机の上の置
持たせて上やうと思ふたれど、亥之助も何か極りを惡るがつて其樣な物
く、人の見る目も立派なほど、お位の宜い方々や御身分のある奧樣がた
時計を眺めて、これやモウ程なく十時になるが關は泊つて行つて宜いの
父親の滑稽を入れるに、再び言ひそびれて御馳走の栗枝豆ありがたく頂
との御交際もして、兎も角も原田の妻と名告て通るには氣骨の折れる事
かの、歸るならば最う歸らねば成るまいぞと氣を引いて見る親の顏、娘
はお止なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡る
もあらう、女子どもの使ひやう出入りの者の行渡り、人の上に立つもの
は今更 のやうに見 上げて御父樣 私は御願があ つて出たの で御座ります、
戴をなしぬ。
は夫れ丈に苦勞が多く、里方が此樣な身柄では猶更のこと人に侮られぬ
何うぞ御聞遊してと屹となつて疊に手を突く時、はじめて一トしづく幾
し、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今
やうの心懸けもしなければ成るまじ、夫れを種々に思ふて見ると父さん
父は穩かならぬ色を動かして、改まつて何かのと膝を進めれば、私は
層の憂きを洩らしそめぬ。
出入りをしてはと控へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも木綿
今宵限り原田へ歸らぬ決心で出て參つたので御座ります、勇が許しで參
だとて私だとて孫なり子なりの顏の見たいは當然なれど、餘りうるさく
お二階の簾を見ながら、吁お
く
少し何とか成つて居たならばお前の肩身も廣からうし、同じくでも少し
關は何をして居る事かと思ひやるばかり行過ぎて仕舞まする、實家でも
ぬほどの彼の子を、欺して寐かして夢の中に、私は鬼に成つて出て參り
を見ぬ決心で出て參りました、まだ私の手より外誰れの守りでも承諾せ
つたのではなく、彼の子を寐かして、太郎を寐かしつけて、最早あの顏
着物に毛襦子の洋傘さした時には見す
は息のつけやう物を、何を云ふにも此通り、お月見の團子をあげやうに
15
著作集
御座りませぬけれど、千度も百度も考へ直して、二年も三年も泣盡して
身に就いて御耳に入れました事もなく、勇と私との中を人に言ふた事は
ました、御父樣、御母樣、察して下さりませ私は今日まで遂ひに原田の
げ下しに家の内の樂しくないは妻が仕方が惡るいからだと仰しやる、夫
るに唯もう私の爲る事とては一から十まで面白くなく覺しめし、箸の上
ちと他處行には衣類にも氣をつけて氣に逆らはぬやう心がけて居ります
今日といふ今日どうでも離縁を貰ふて頂かうと決心の臍をかためました、 れも何ういふ事が惡い、此處が面白くないと言ひ聞かして下さる樣なら
ば宜けれど、一筋に詰らぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相談の相手には
愛さに氣が引かれ、何うでも御詞に異背せず唯々と御小言を聞いて居り
何うぞ御願ひで御座ります離縁の状を取つて下され、私はこれから内職
夫れは何ういふ子細でと父も母も詰寄つて問かゝるに今までは默つて
ますれば、張も意氣地もない愚うたらの奴、それからして氣に入らぬと
ならぬの、いはゞ太郎の乳母として置いて遣はすのと嘲つて仰しやる斗、
居ましたれど私の家の夫婦さし向ひを半日見て下さつたら大底御解りに
仰しやりまする、左うかと言つて少しなりとも私の言條を立てゝ負けぬ
なり何なりして亥之助が片腕にもなられるやう心がけますほどに、一生
成ませう、物言ふは用事のある時慳貧に申つけられるばかり、朝起まし
氣に御返事をしましたらそれを取てに出てゆけと言はれるは必定、私は
ほんに良人といふではなく彼の御方は鬼で御座りまする、御自分の口か
て機嫌をきけば不圖脇を向ひて庭の草花を態とらしき褒め詞、是にも腹
御母樣出て來るのは何でも御座んせぬ、名のみ立派の原田勇に離縁され
一人で置いて下さりませとわつと聲たてるを噛しめる襦袢の袖、墨繪の
はたてども良人の遊ばす事なればと我慢して私は何も言葉あらそひした
たからとて夢さら殘りをしいとは思ひませぬけれど、何にも知らぬ彼の
ら出てゆけとは仰しやりませぬけれど私が此樣な意久地なしで太郎の可
事も御座んせぬけれど、朝飯あがる時から小言は絶えず、召使の前にて
太郎が、片親に成るかと思ひますると意地もなく我慢もなく、詫て機嫌
竹も紫竹の色にや出ると哀れなり。
辛棒もし
く゛
散々と私が身の不器用不作法を御並べなされ、夫れはまだ
ませうけれど、二言目には教育のない身、教育のない身と御蔑みなさる、 を取つて、何でも無い事に恐れ入つて、今日までも物言はず辛棒して居
打出し、思ひも寄らぬ事を談れば兩親は顏を見合せて、さては其樣の憂
それは素より華族女學校の椅子にかゝつて育つた物ではないに相違なく、 りました、御父樣、御母樣、私は不運で御座りますとて口惜しさ悲しさ
御同僚の奧樣がたの樣にお花のお茶の、歌の畫のと習ひ立てた事もなけ
き中かと呆れて暫時いふ言もなし。
母親は子に甘きならひ、聞く毎々身にしみて口惜しく、父樣は何と思
れば其御話しの御相手は出來ませぬけれど、出來ずは人知れず習はせて
下さつても濟むべき筈、何も表向き實家の惡るいを風聽なされて、召使
さらうとも其樣な事に悋氣する私でもなく、侍婢どもから其樣な噂も聞
分は御存じ、よしや良人が藝者狂ひなさらうとも、圍い者して御置きな
かと苦めて苦めて苦め拔くので御座りましよ、御父樣も御母樣も私の性
なされたので此樣もしたら出てゆくか、彼樣もしたら離縁をと言ひ出す
とらしく邪慳に遊ばすのと思ふて居りましたけれど、全くは私に御飽き
かい日の影といふを見た事が御座りませぬ、はじめの中は何か串談に態
ひ出しても恐ろしう御座ります、私はくら闇の谷へ突落されたやうに暖
つたけれど、あの子が出來てからと言ふ物は丸で御人が變りまして、思
嫁入つて丁度半年ばかりの間は關や關やと下へも置かぬやうにして下さ
が欲しくて我が貰ふに身分も何も言ふ事はない、稽古は引取つてからで
つたかは知れはせぬけれど、何も舅姑のやかましいが有るでは無し、我
込んでは置ませず、支度とても唯今の有樣で御座いますからとて幾度斷
がらにも釣合ひませぬし、此方はまだ根つからの子供で何も稽古事も仕
其時はじめて見たとか言つて人橋かけてやいやいと貰ひたがる、御身分
掛つた原田さんの車の中へ落たとつて、夫れをば阿關が貰ひに行きしに、
彼の家の前で御隣の小娘と追羽根して、彼の娘の突いた白い羽根が通り
七の御正月、まだ門松を取もせぬ七日の朝の事であつた、舊の猿樂町の
先方は忘れたかも知らぬが此方はたしかに日まで覺えて居る、阿關が十
身分が 惡いの學校 が何うしたの と宜くも宜く も勝手な事 が言はれた物、
ひの婢女どもに顏の見られるやうな事なさらずとも宜かりさうなもの、 し召すか知らぬが元來此方から貰ふて下されと願ふて遣つた子ではなし、
えまするけれど彼れほど働きのある御方なり、男の身のそれ位はありう
16
妾手かけに出したのではなし正當にも正當にも百まんだら頼みによこし
て左のみは出入りをせぬといふも勇さんの身分を恐てゞは無い、これが
なけれど支度まで先方で調へて謂はゞ御前は戀女房、私や父樣が遠慮し
て置かうからと夫は夫は火のつく樣に催促して、此方から強請た譯では
も充分させられるから其心配も要らぬ事、兎角くれさへすれば大事にし
わかりませぬ、もう
いか、太郎の母で候と顏おし拭つて居る心か、我身ながら我身の辛棒が
言はれるは此樣な情ない詞をかけられて、夫れでも原田の妻と言はれた
た、何といふ事で御座りませう一年三百六十五日物いふ事も無く、稀々
るまい、御前のやうな妻を持つたのはと言ひ捨てに出て御出で遊しまし
いで擲きつけて、御自身洋服にめしかへて、吁、私位不仕合の人間はあ
もう私は良人も子も御座んせぬ嫁入せぬ昔しと
て貰つて行つた嫁の親、大威張に出這入しても差つかへは無けれど、彼
思へば夫れまで、あの頑是ない太郎の寢顏を眺めながら置いて來るほど
く
方が立派にやつて居るに、此方が此通りつまらぬ活計をして居れば、お
て行つたやうに大層らしい、物が出來るの出來ぬのと宜く其樣な口が利
娘の顏も見ずに居まする、夫れをば何の馬鹿々々しい親なし子でも拾つ
痩せ我慢では無けれど交際だけは御身分相應に盡して、平常は逢いたい
しても歸る事は致しませぬとて、斷つても斷てぬ子の可憐さに、奇麗に
御も可愛がつて後々あの子の爲にも成ませう、私はもう今宵かぎり何う
り繼母御なり、御手かけなり氣に適ふた人に育てゝ貰ふたら、少しは父
親はなくとも子は育つと言ひまするし、私の樣な不運の母の手で育つよ
前 の 縁 に す が つ て 聟 の 助 力 を 受 け も す る か と 他 人 樣 の 處 思 が 口 惜 し く、 の 心 に な り ま し た か ら は、 最 う 何 う で も 勇 の 傍 に 居 る 事 は 出 來 ま せ ぬ、
けた物、默つて居ては際限もなく募つて夫れは夫れは癖に成つて仕舞ひ
父は歎息して、無理は無い、居愁らくもあらう、困つた中に成つたも
言へども詞はふるへぬ。
を聞く者もなく、太郎を仕立るにも、母樣を馬鹿にする氣になられたら
のよと暫時阿關の顏を眺めしが、大丸髷に金輪の根を卷きて黒縮緬の羽
ます、第一は婢女どもの手前奧樣の威光が削げて、末には御前の言ふ事
何としまする、言ふだけの事は屹度言ふて、それが惡るいと小言をいふ
織何の惜しげもなく、我が娘ながらいつしか調ふ奧樣風、これをば結び
髮に結ひかへさせて、綿銘仙の半天に襷がけの水仕業さする事いかにし
たら何の私にも家が有ますとて出て來るが宜からうでは無いか、實に馬
鹿々々しいとつては夫れほどの事を今日の日まで默つて居るといふ事が
退 け て 居 る に は 及 び ま せ ん、 身 分 が
物をも思ふべく、今の苦勞を戀しがる心も出づべし、斯く形よく
れさの増れども、いや阿關こう言ふと父が無慈悲で汲取つて呉れぬのと
生れたる身の不幸、不相應の縁につながれて幾らの苦勞をさする事と哀
よ
く
もあらず、良人に未練は殘さずとも我が子の愛の斷ちがたくは離れてい
戻らば、泣くとも笑ふとも再度原田太郎が母とは呼ばるゝ事成るべきに
取はづして、人には笑はれものとなり、身はいにしへの齊藤主計が娘に
有ります物か、 餘り御前が温順し過るから我侭がつのられたのであろ、 て忍ばるべき、太郎といふ子もあるものなり、一端の怒りに百年の運を
く
聞 い た 計で も 腹 が 立 つ、 も う
何であらうが父もある母もある、年はゆかねど亥之助といふ弟もあれば
その樣な火の中にじつとして居るには及ばぬこと、なあ父樣一遍勇さん
に逢ふて十分油を取つたら宜う御座りましよと母は猛つて前後もかへり
見ず。
父親は先刻より腕ぐみして目を閉ぢて有けるが、あゝ御袋、無茶の事
も自然違ふて、此方は眞から盡す氣でも取りやうに寄つては面白くなく
見える事もあらう、勇さんだからとて彼の通り物の道理を心得た、利發
愁
を言ふてはならぬ、我しさへ初めて聞いて何うした物かと思案にくれる、 思ふか知らぬが決して御前を叱かるではない、身分が釣合はねば思ふ事
く
らさに出て來たと見えるが、して今夜は聟どのは不在か、何か改たまつ
の人ではあり隨分學者でもある、無茶苦茶にいぢめ立る譯ではあるまい
阿關の事なれば並大底で此樣な事を言ひ出しさうにもなく、よく
離縁するとで も言はれて來たのか と
く
と家を明けるは平常の事、左のみ珍らしいとは思ひませぬけれど出際に
落ついて問ふに、良人は一昨日より家へとては歸られませぬ、五日六日
て當りちらされる、的に成つては隨分つらい事もあらう、なれども彼れ
物、外では知らぬ顏に切つて廻せど勤め向きの不平などまで家内へ歸つ
が、得て世間に褒め物の敏腕家などと言はれるは極めて恐ろしい我まゝ
ての事件でもあつてか、 いよ
召物の揃へかたが惡いとて如何ほど詫びても聞入れがなく、其品をば脱
17
著作集
に納めて知らぬ顏に今夜は歸つて、今まで通りつゝつしんで世を送つて
田の妻で大泣きに泣け、な關さうでは無いか、合點がいつたら何事も胸
れては二度と顏見にゆく事もなるまじ、同じく不運に泣くほどならば原
縁を取つて出が宜いか、太郎は原田のもの、其方は齊藤の娘、一度縁が切
までの辛棒がなるほどならば、是れから後とて出來ぬ事はあるまじ、離
に愁らからうとも一つは親の爲弟の爲、太郎といふ子もあるものを今日
らうか、七光りどころか十光もして間接ながらの恩を着ぬとは言はれぬ
言へど亥之が昨今の月給に有ついたも必竟は原田さんの口入れではなか
らの相違もある事なれば人一倍の苦もある道理、お袋などが口廣い事は
つと思へば恨みも出る、何の是れが世の勤めなり、殊には是れほど身が
間の奧樣といふ人達の何れも面白くをかしき中ばかりは有るまじ、身一
ろう夫を機嫌の好い樣にとゝのへて行くが妻の役、表面には見えねど世
けて呉るのとは格が違ふ、隨がつてやかましくもあらう六づかしくもあ
ほどの良人を持つ身のつとめ、區役所がよひの腰辨當が釜の下を焚きつ
て乘り移る哀れさ、家には父が咳拂ひの是れもうるめる聲成し。
う御座んしたと温順しく挨拶して、格子戸くゞれば顏に袖、涙をかくし
門なる車夫に聲をかくるを、あ、お母樣それは私がやりまする、有がた
立あがれば、母樣は無けなしの巾着さげて出て駿河臺まで何程でゆくと
もお母樣も御機嫌よう、此次には笑ふて參りまするとて是非なさゝうに
は戻ります、亥之さんが歸つたらば宜しくいふて置いて下され、お父樣
ひまして、彼の人の思うまゝに何となりして貰ひましよ、夫では最う私
夫れも案じて下さりますな、私の身體は今夜をはじめに勇のものだと思
は御座んせぬ、決して決して不了簡など出すやうな事はしませぬほどに
弟の爲にも好い片腕、あゝ安心なと喜んで居て下されば私は何も思ふ事
は濟みませぬほどに最う何も言ひませぬ、關は立派な良人を持つたので
今夜の事はこれ限り、歸りまするから私は原田の妻なり、良人を誹しる
あら立てじの親の慈悲、阿關はこれまでの身と覺悟してお父樣、お母樣、
きに行かう、先づ今夜は歸つて呉れとて手を取つて引出すやうなるも事
有るまじ、少し時刻は遲れたれど車ならばつひ一ト飛、話しは重ねて聞
れぬ樣にならば此世に居たとて甲斐もないものを、唯目の前の苦をのが
は離縁をといふたも我まゝで御座りました、成程太郎に別れて顏も見ら
入りませぬからお下りなすつてと突然にいはれて、思ひもかけぬ事なれ
りと轅を止めて、誠に申かねましたが私はこれで御免を願ひます、代は
りてよ りまだ一町もやう
に物がなしき上野へ入
呉れ、お前が口に出さんとても親も察しる弟も察しる、涙は各自に分て
く゛
さやけき月に風のおと添ひて、虫の音たえ
れたとて何うなる物で御座んせう、ほんに私さへ死んだ氣にならば三方
ば、阿關は胸をどつきりとさせて、あれお前そんな事を言つては困るで
泣かうぞと因果を含めてこれも目を拭ふに、阿關はわつと泣いて夫れで
四方波風たゝず、兎もあれ彼の子も兩親の手で育てられまするに、つま
はないか、少し急ぎの事でもあり増しは上げやうほどに骨を折つてお呉
と思ふに、 いかにした るか車夫はぴつた
らぬ事を思ひ寄まして、貴君にまで嫌やな事をお聞かせ申ました、今宵
れ、こんな淋しい處では代りの車も有るまいではないか、それはお前人
く
限り關はなくなつて魂一つが彼の子の身を守るのと思ひますれば良人の
の車宿とて無き家なれば路ゆく車を窓から呼んで合點が行つたら兎も角
けれど、今宵は月もさやかなり、廣小路へ出づれば晝も同樣、雇ひつけ
實家は上野の新坂下、駿河臺への路なれば茂れる森の木のした暗侘し
亥之が折て來て、瓶にさしたる薄の穗の招く手振りも哀れなる夜なり。
泣きの雨、くもらぬ月も折から淋しくて、うしろの土手の自然生の弟の
ふあとから又涙、母親は聲たてゝ何といふ此娘は不仕合と又一しきり大
もう此樣な事は御聞かせ申ませぬほどに心配をして下さりますなとて拭
ほどに何處か 處らまで、切めて廣小路までは行つてお呉れと優しい聲
とは言ひませぬ、代りのある處まで行つて呉れゝば夫でよし、代はやる
圖脇へのかれて、お前は我まゝの車夫さんだね、夫ならば約定の處まで
さいまし、もう何うでも厭やに成つたのですからとて提燈を持しまゝ不
厭やに成つたでは濟むまいがねと聲に力を入れて車夫を叱れば、御免な
はお前加減でも惡るいか、まあ何うしたと言ふ譯、此處まで挽いて來て
下りなすつて、最う引くのが厭やに成つたので御座りますと言ふに夫で
へば、増しが欲しいと言ふのでは有りませぬ私からお願ひです何うぞお
つらく當る位百年も辛棒出來さうな事、よく御言葉も合點が行きました、 困らせといふ物、愚圖らずに行つてお呉れと少しふるへて頼むやうに言
も歸れ、主人の留守に斷なしの外出、これを咎められるとも申譯の詞は
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夫の顏を見れば二十五六の色黒く小男の痩せぎす、あ、月に背けたあの
らしくもなく提燈を持かゆるに、お關もはじめて胸をなで、心丈夫に車
乘せ申ませう、お供を致しませう、嘸お驚きなさりましたろうとて惡者
ては定めしお困りなさりませう、これは私が惡う御座りました、ではお
にすかす樣にいへば、成るほど若いお方ではあり此淋しい處へおろされ
たけれど命があればこその御對面、あゝ宜く私を高坂の録之助と覺えて
ふて居ました、今日までは入用のない命と捨て物に取あつかふて居まし
が出來るか、一生の内に又お言葉を交はす事が出來るかと夢のやうに願
の美くしさ、奧樣にお成りなされたと聞いた時から夫でも一度は拜む事
日がな一日ごろ
向ひた時は今夜のやうに遲くまで挽く事もありまするし、厭やと思へば
く
と
として烟のやうに暮して居まする、貴孃は相變らず
顏が誰れやらで有つた、誰れやらに似て居ると人の名も咽元まで轉がり
居て下さりました、辱なう御座りますと下を向くに、阿關はさめ
く
ながら、もしやお前さんはと我知らず聲をかけるに、ゑ、と驚いて振あ
して誰れも憂き世に一人と思ふて下さるな。
してお内儀さんはと阿關の問へば、御存じで御座りましよ筋向ふの杉
田やが娘、色が白いとか恰好が何うだとか言ふて世間の人は暗雲に褒め
と打まもれば、貴孃は齊藤の阿
ふぐ男、あれお前さんは彼のお方では無いか、私をよもやお忘はなさる
く゛
關さん、面目も無い此樣な姿で、背後に目が無ければ何の氣もつかずに
たてた女で御座ります、私が如何にも放蕩をつくして家へとては寄りつ
まいと車より濘るやうに下りてつく
居ました、夫れでも音聲にも心づくべき筈なるに、私は餘程の鈍に成り
かぬやうに成つたを、貰ふべき頃に貰ふ物を貰はぬからだと親類の中の
やれ貰へと無茶苦茶に進めたてる五月蝿さ、何うなりと成れ、成れ、勝
私だとて往來で行逢ふた位ではよもや貴君とは氣は付きますまい、 解らずやが勘違ひして、 彼れならばと母親が眼鏡にかけ、 是非もらへ、
ましたと下を向いて身を恥れば、阿關は頭の先より爪先まで眺めていゑ
く
唯た今の先までも知らぬ他人の車夫さんとのみ思ふて居ましたに御存じ
ないは當然、 勿體ない事であつたれど知らぬ事なればゆるして下され、 手に成れとて彼れを家へ迎へたは丁度貴孃が御懷妊だと聞ました時分の
出來てか、今も私は折ふし小川町の勸工場見物に行まする度々、舊のお
せんかつた、今は何處に家を持つて、お内儀さんも御健勝か、小兒のも
種々と障る事があつてな、お尋ね申すは更なること手紙あげる事も成ま
といふ噂は他處ながら聞いても居ましたれど、私も昔しの身でなければ
さんが田舍へ引取られてお出なされて、小川町のお店をお廢めなされた
遊んで遊び拔いて、呑んで呑んで呑み盡して、家も稼業もそつち除けに
極めて置いたを、何で乳くさい子供の顏見て發心が出來ませう、遊んで
いて來て、衣通姫が舞ひを舞つて見せて呉れても私の放蕩は直らぬ事に
改まるかとも思ふて居たのであらうなれど、たとへ小町と西施と手を引
事か、人は顏の好い女房を持たせたら足が止まるか、子が生れたら氣が
風車を並べたてる樣に成りましたれど、何のそんな事で私が放蕩のやむ
事、一年目には私が處にもお目出たうを他人からは言はれて、犬張子や
店がそつくり其儘同じ烟草店の能登やといふに成つて居まするを、何時
箸一本もたぬやうに成つたは一昨々年、お袋は田舍へ嫁入つた姉の處に
まあ何時から此樣な業して、よく其か弱い身に障りもしませぬか、伯母
通つても覗かれて、あゝ高坂の録さんが子供であつたころ、學校の行返
れる汗を手拭にぬぐふて、お恥かしい身に落まして今は家と言ふ物も御
お懷しう御座んしたらうと我身のほどをも忘れて問ひかくれば、男は流
を離れたのは今で五年の前、根つからお便りを聞く縁がなく、何んなに
度に御樣子を、もし知つても居るかと聞いては見まするけれど、猿樂町
うの世渡りをしてお出ならうか、夫れも心にかゝりまして、實家へ行く
今は何處に何をして、氣の優しい方なれば此樣な六づかしい世に何のや
驚きなさりましたろう、車を挽くと言ふも名ばかり、何が樂しみに轅棒
んだ我まゝの不調法、さ、お乘りなされ、お供をしまする、嘸不意でお
男はうす淋しき顏に笑みを浮べて貴孃といふ事も知りませぬので、飛
になるので御座りました、何のつまらぬ身の上、お話しにも成りませぬ。
には定めし父樣とか何とか言ふたので御座りましよう、今年居れば五つ
暮チプスに懸つて死んださうに聞ました、女はませな物であり、死ぬ際
女の子ではあり惜しいとも何とも思ひはしませぬけれど、其子も昨年の
りに寄つては卷烟草のこぼれを貰ふて、生意氣らしう吸立てた物なれど、 引取つて貰ひまするし、 女房は子をつけて實家へ戻したまま音信不通、
座りませぬ、寢處は淺草町の安宿、村田といふが二階に轉がつて、氣に
19
著作集
少し引あげて、ぬり下駄のおと是れも淋しげなり。
出るまで唯道づれに成つて下され、話しながら行ませうとてお關は小褄
す物か、夫れでも此樣な淋しい處を一人ゆくは心細いほどに、廣小路へ
しますと進められて、あれ知らぬ中は仕方もなし、知つて其車に乘れま
る我まゝ男、愛想が盡るでは有りませぬか、さ、お乘りなされ、お供を
うが空車の時だらうが嫌やとなると用捨なく嫌やに成まする、呆れはて
が呑まれたら愉快なか、考えれば何も彼も悉皆厭やで、お客樣を乘せや
をにぎつて、何が望みに牛馬の眞似をする、錢を貰へたら嬉しいか、酒
惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も
下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが
すれば録之助は紙づゝみを頂いて、お辭儀申す筈なれど貴孃のお手より
お立派にお店をお開きに成ります處を見せて下され、左樣ならばと挨拶
ま し、 蔭 な が ら 私 も祈 り ま す、 何 う ぞ 以 前の 録 さ ん に お 成 り な さ れ て、
らだを厭ふて煩らはぬ樣に、伯母さんをも早く安心させておあげなさり
れど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、隨分か
買つて下され、久し振でお目にかゝつて何か申たい事は澤山あるやうな
歸ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、
其人は東へ、此人は南へ、大路の柳月のかげに靡いて力なささうの塗り
昔の友といふ中にもこれは忘られぬ由縁のある人、小川町の高坂とて
小奇麗な烟草屋の一人息子、今は此樣に色も黒く見られぬ男になつては
下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。
にごりえ
下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言譯
つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ
來るからさう思ひな、ほんとにお湯なら歸りに屹度よつてお呉れよ、嘘
はないか、又素通りで二葉やへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて
おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いで
一
居れども、世にある頃の唐棧ぞろひに小氣の利いた前だれかけ、お世辭
の替 り
も上手、愛敬もありて、年の行かぬやうにも無い、父親の居た時よりは
く
却 つ て 店 が 賑 や か な と 評 判 さ れ た 利 口 ら し い 人 の、 さ て も
樣、我身が嫁入りの噂聞え初た頃から、やけ遊びの底ぬけ騷ぎ、高坂の
息子は丸で人間が變つたやうな、魔でもさしたか、祟りでもあるか、よ
もや只事では無いと其頃に聞きしが、今宵見れば如何にも淺ましい身の
有樣、木賃泊りに居なさんすやうに成らうとは思ひも寄らぬ、私は此人
に思はれて、十二の年より十七まで明暮れ顏を合せる毎に行々は彼の店
の彼處へ座つて、新聞見ながら商ひするのと思ふても居たれど、量らぬ
人に縁の定まりて、親々の言ふ事なれば何の異存を入られやう、烟草屋
の録さんにはと思へど夫れはほんの子供ごゝろ、先方からも口へ出して
言ふた事はなし、 此方は猶さら、 これは取とまらぬ夢の樣な戀なるを、 しながら後刻に後刻にと行過るあとを、一寸舌打しながら見送つて後に
思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞うと心を定めて、 も無いもんだ來る氣もない癖に、本當に女房もちに成つては仕方がない
眉毛に作り生際、白粉べつたりとつけて唇は人喰う犬の如く、かくては
て駒下駄ののうしろでとんとんと土間を蹴るは二十の上を七つか十か引
夜も又木戸番か何たら事だ面白くもないと肝癪まぎれに店前へ腰をかけ
ては殘念さ、私しのやうな運の惡るい者には呪も何も聞きはしない、今
輩の口振、力ちやんと違つて私しには技倆が無いからね、一人でも逃し
る事もあるよ、心配しないで呪でもして待つが宜いさと慰めるやうな朋
今の原田へ嫁入りの事には成つたれど、其際までも涙がこぼれて忘れか ねと店に向つて閾をまたぎながら一人言をいへば、高ちやん大分御述懷
ねた人、私が思ふほど此人も思ふて、夫れ故の身の破滅かも知れぬ物を、 だね、何もそんなに案じるにも及ぶまい燒棒杭と何とやら、又よりの戻
我が此樣な丸髷などに、取濟したる樣な姿をいかばかり面にくゝ思はれ
るであらう、夢さらさうした樂しらしい身ではなけれどもと阿關は振か
へつて録之助を見やるに、何を思ふか茫然とせし顏つき、時たま逢ひし
阿關に向つて左のみは嬉しき樣子も見えざりき。
廣小路に出れば車もあり、阿關は紙入れより紙幣いくらか取出して小
菊の紙にしほらしく包みて、録さんこれは誠に失禮なれど鼻紙なりとも
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面ざしが何處となく冴へて見へるは彼の子の本性が現はれるのであらう、
お高は往來の人なきを見て、力ちやんお前の事だから何があつたから
紅も厭やらしき物なり、お力と呼ばれたるは中肉の背恰好すらりつとし
背の處に見えて言はずと知れし此あたりの姉さま風なり、お高といへる
とて氣にしても居まいけれど、私は身につまされて源さんの事が思はれ
誰しも新開へ這入るほどの者で菊の井のお力を知らぬはあるまじ、菊の
は洋銀の簪で天神がへしの髷の下を掻きながら思ひ出したやうに力ちや
る、夫は今の身分に落ぶれては根つから宜いお客ではないけれども思ひ
て洗ひ髮の大嶋田に新わらのさわやかさ、頚もと計の白粉も榮えなく見
んの先刻の手紙お出しかといふ、はあと氣のない返事をして、どうで來
合ふたからには仕方がない、年が違をが子があろがさ、ねへ左樣ではな
井のお力か、お力の菊の井か、さても近來まれの拾ひもの、あの娘のお
るのでは無いけれど、あれもお愛想さと笑つて居るに、大底におしよ卷
いか、お内儀さんがあるといつて別れられる物かね、構ふ事はない呼出
ゆる天然の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて、烟草す
紙二尋も書いて二枚切手の大封じがお愛想で出來る物かな、そして彼の
してお遣り、私しのなぞといつたら野郎が根から心替りがして顏を見て
蔭で新開の光りが添はつた、抱へ主は神棚へさゝげて置いても宜いとて
人は赤坂以來の馴染ではないか、少しやそつとの紛雜があろうとも縁切
さへ逃げ出すのだから仕方がない、どうで諦め物で別口へかゝるのだが
ぱすぱ長烟管に立膝の無作法さも咎める人のなきこそよけれ、思ひ切つ
れになつて溜る物か、お前の出かた一つで何うでもなるに、ちつとは精
お前のは其れとは違ふ、了簡一つでは今のお内儀さんに三下り半をも遣
軒並びの羨やみ種になりぬ。
を出して取止めるやうに心がけたら宜かろ、あんまり冥利がよくあるま
られるのだけれど、お前は氣位が高いから源さんと一處にならうとは思
たる大形の浴衣に引かけ帶は黒繻子と何やらのまがひ物、緋の平ぐけが
いと言へば御親切に有がたう、御異見は承り置まして私はどうも彼んな
奴は虫が好かないから無き縁とあきらめて下さいと人事のやうにいへば、 ふまい、夫だもの猶の事呼ぶ分に子細があるものか、手紙をお書き今に
になつては仕方がないと團扇を取つて足元をあふぎながら、昔しは花よ
切りが宜すぎるからいけない兎も角手紙をやつて御覽、源さんも可愛さ
い、何の人お孃樣ではあるまいし御遠慮計申てなる物かな、お前は思ひ
三河やの御用聞きが來るだろうから彼の子僧に使ひやさんを爲せるが宜
の言ひなし可笑しく、表を通る男を見かけて寄つてお出でと夕ぐれの店
うだわなと言ひながらお力を見れば烟管掃除に餘念のなきか俯向たるま
あきれたものだのと笑つてお前などは其我まゝが通るから豪勢さ、此身
先にぎはひぬ。
ゝめける、さりとて仕出し頼みに行たらば何とかいふらん、俄に今日品
位はなるも道理、表にかゝげし看板を見れば子細らしく御料理とぞした
手元には七輪を煽ぐ音折々に騷がしく、女主が手づから寄せ鍋茶椀むし
か何か知らず、銘酒あまた棚の上にならべて帳場めきたる處も見ゆ、勝
とも思ひ出されぬ、もう其話しは止め止めといひながら立あがる時表を
てもならない、夫は昔しの夢がたりさ、何の今は忘れて仕舞て源とも七
ないか、菊の井のお力は土方の手傳ひを情夫に持つなどゝ考違へをされ
高に渡しながら氣をつけてお呉れ店先で言はれると人聞ききが惡いでは
やがて雁首を奇麗に拭いて一服すつてポンとはたき、又すいつけてお
ゝ物いはず。
切れもをかしかるべく、女ならぬお客樣は手前店へお出かけを願ひます
通る兵兒帶の一むれ、これ石川さん村岡さんお力の店をお忘れなされた
店は二間間口の二階作り、軒には御神燈さげて盛り鹽景氣よく、空壜
るとも言ふにかたからん、世は御方便や商賣がらを心得て口取り燒肴と
年は隨一若けれども客を呼ぶに妙ありて、さのみは愛想の嬉しがらせを
ければ、お肴は何をと答ふ、三味の音景氣よく聞えて亂舞の足音これよ
と這入るに、忽ち廊下にばたばたといふ足おと、姉さんお銚子と聲をか
あつらへに來る田舍ものもあらざりき、 お力といふは此家の一枚看板、 かと呼べば、いや相變らず豪傑の聲かゝり、素通りもなるまいとてずつ
言ふやうにもなく我まゝ至極の身の振舞、少し容貌の自慢かと思へば小
りぞ聞え初ぬ。
二
面が憎くいと蔭口いふ朋輩もありけれど、交際ては存の外やさしい處が
あつて女ながらも離れともない心持がする、あゝ心とて仕方のないもの
21
著作集
手づからのお酌、かたじけなくお受けなされとて波々とつぐに、さりと
族と笑ひながら聞くに、まあ左樣おもふて居て下され、お華族の姫樣が
ませぬといふ、平民かと問へば何うござんしようかと答ふ、そんなら華
はれて名を問はれて其次は親もとの調べ、士族かといへば夫れは言はれ
きお客を呼入れて二階の六疊に三味線なしのしめやかなる物語、年を問
も遣りませぬと駄々をこねれば、容貌よき身の一徳、例になき子細らし
ずんば此降りに客の足とまるまじとお力かけ出して袂にすがり、何うで
さる雨の日のつれづれに表を通る山高帽子の三十男、あれなりと捉ら
方も追ひかけて袖を捉らへるに及ばず、それなら廢せとて夫れ限りに成
もちなら主人が怕く親もちなら親の言ひなり、振向ひて見てくれねば此
女夫やくそくなどと言つても此方で破るよりは先方樣の性根なし、主人
かヘッこ、書けと仰しやれば起證でも誓紙でもお好み次第さし上ませう、
もいたり穿索なさります、馴染はざら一面、手紙のやりとりは反古の取
言傳たでは無いか、いづれ面白い事があらう何とだといふに、あゝ貴君
手のない事はあるまい、今店先で誰れやらがよろしく言ふたと他の女が
うに思召ましようが其日送りでござんすといふ、いや左樣は言はさぬ相
歴をはなして聞かせよ定めて凄ましい物語があるに相違なし、たゞの娘
極りでござんすとて臆したるさまもなきに、客はいよいよ面白がりて履
であほらする流氣もあり、いやなお人にはお酌をせぬといふが大詰めの
お力流とて菊の井一家の左法、疊に酒のまする流氣もあれば、大平の蓋
れて、はあ私はまだお名前を承りませんでしたといふ、嘘をいふと盆が
女の厚化粧が來るに、おい此娘の可愛い人は何といふ名だと突然に問は
ひますとて手を扣いて朋輩を呼べば力ちやん大分おしめやかだねと三十
りまし、私は何も沈んだ事は大嫌ひ、さわいでさわいで騷ぎぬかうと思
て寄る邊なげなる風情、もう此樣な話しは廢しにして陽氣にお遊びなさ
は無作法な置つぎといふが有る物か、夫れは小笠原か、何流ぞといふに、 りまする、相手はいくらもあれども一生を頼む人が無いのでござんすと
あがりとは思はれぬ何うだとあるに、御覽なさりませ未だ鬢の間に角も
來るに焔魔樣へお參りが出來まいぞと笑へば、夫れだとつて貴君今日お
居ましたといふ、夫れは何の事だ、貴君のお名をさと揚げられて、馬鹿馬
生へませず、其やうに甲羅は經ませぬとてころころと笑ふを、左樣ぬけ
とて責める、むづかしうござんすね、いふたら貴君びつくりなさりまし
鹿お力が怒るぞと大景氣、無駄ばなしの取りやりに調子づいて旦那のお
目にかゝつたばかりでは御坐りませんか、今改めて伺ひに出やうとして
よ天下を望む大伴の黒主とは私が事とていよいよ笑ふに、これは何うも
商賣を當て見ませうかとお高がいふ、何分願ひますと手のひらを差出せ
てはいけぬ、眞實の處を話して聞かせよ、素性が言へずば目的でもいへ
ならぬ其のやうに茶利ばかり言はで少し眞實の處を聞かしてくれ、いか
無量の感が溢れてあだなる姿の浮氣らしきに似ず一節さむろう樣子のみ
ました身なれば此樣な事して終るのでござんしよと投出したやうな詞に
て下さるも無いではなけれど未だ良人をば持ませぬ、何うで下品に育ち
くなつて今は眞實の手と足ばかり、此樣な者なれど女房に持たうといふ
人間でござんすほどに少しは心にしみる事もありまする、親は早くにな
それとも親故かと眞に成つて聞かれるにお力かなしく成りて、私だとて
なさらう、そんなのでは無いと言ひながら蒲團の上に乘せて置きし紙入
は御大身の御華族樣おしのびあるきの御遊興さ、何の商賣などがおあり
入れを出せば、お力笑ひながら高ちやん失禮をいつてはならない此お方
いらつしやらないよと鼻の先で言つて分つた人に御褒賞だと懷中から紙
樣があります物か、力ちやんまあ何でいらつしやらうといふ、化物では
えても僕は官員だといふ、嘘を仰しやれ日曜のほかに遊んであるく官員
き、よせよせじつと眺められて棚おろしでも始まつては溜らぬ、斯う見
に朝夕を嘘の中に送るからとてちつとは誠も交る筈、 良人はあつたか、 ば、いゑ夫には及びませぬ人相で見まするとて如何にも落つきたる顏つ
ゆるに、何も下品に育つたからとて良人の持てぬ事はあるまい、殊にお
るかなと問へば、どうで其處らが落でござりましよ、此方で思ふやうな
夫れとも其やうな奧樣あつかひ虫が好かで矢張傳法肌の三尺帶が氣に入
お高はあきれて力ちやん大底におしよといへども、何宜いのさ、これ
寄かゝつて眺めながら小言もいはず、諸事おまかせ申すと寛大の人なり。
祝儀でも遣はしませうとて答へも聞かずずんずんと引出すを、客は柱に
前のやうな別品さむではあり、 一足とびに玉の輿にも乘れさうなもの、 れを取あげて、お相方の高尾にこれをばお預けなされまし、みなの者に
は先樣が嫌なり、來いといつて下さるお人の氣に入るもなし、浮氣のや
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とり出して頂くまねをすれば、何時の間に引出した、お取かへには寫眞
ほしい物がござんした、此品さへ頂けば何よりと帶の間から客の名刺を
痛をたゝくに、お前はどうする金は欲しくないかと問はれて、私は別に
の惡るい事を仰しやるとてお力は起つて障子を明け、手摺りに寄つて頭
つて行くうしろ姿、十九にしては更けてるねと旦那どの笑ひ出すに、人
しいのでございますかと駄目を押して、有がたうございますと掻きさら
此娘の十八番に馴れたる事とて左のみは遠慮もいふては居ず、旦那よろ
やつても宜いと仰しやる、お禮を申て頂いてお出と蒔散らせば、これを
はお前にこれは姉さんに、大きいので帳塲の拂ひを取つて殘りは一同に
嚴命、あゝ貴君のやうにもないお力が無理にも商賣して居られるは此力
よと告口するに、結城は眞面目になりてお力酒だけは少しひかへろとの
ちやなれば貴君から叱つて下され、第一湯呑みで呑むは毒でござりまし
見るより此樣な事を申て居まする、何うしても私共の手ににのらぬやん
んが來たら思ふさまいふて、小言をいはせて見せようとて朝之助の顏を
ヱヽ憎くらしい其ものいひを少し直さずば奧樣らしく聞へまい、結城さ
義を直 してお給仕 に出られるや う心がけてお 呉れとずば ずばといふに、
人がらが惡くて横づけにもされないではないか、お前方も最う少しお行
ら道普請からして貰いたいね、こんな溝板のがたつく樣な店先へ夫こそ
或る夜の月に下坐敷へは何處やらの工場の一連れ、丼たゝいて甚九か
と思し召さぬか、私に酒氣が離れたら坐敷は三昧堂のやうに成りませう、
ら、今日は失禮を致しました、亦のお出を待ますといふ、おい程の宜い
つぽれの大騷ぎに大方の女子は寄集まつて、例の二階の小坐敷には結城
をくれとねだる、此次の土曜日に來て下されば御一處にうつしませうと
事をいふまいぞ、空誓文は御免だと笑ひながらさつさつと立つて階段を
とお力の二人限りなり、朝之助は寢ころんで愉快らしく話しを仕かける
ちつと察して下されといふに成程成程とて結城は二言といはざりき。
下りるに、お力帽子を手にして後から追ひすがり、嘘か誠か九十九夜の
を、お力はうるさゝうに生返事をして何やらん考へて居る樣子、何うか
て歸りかゝる客を左のみは止めもせず、うしろに廻りて羽織をきせなが
辛棒をなさりませ、菊の井のお力は鑄型に入つた女でござんせぬ、又形
したか、又頭痛でもはじまつたかと聞かれて、何頭痛も何もしませぬけ
れど頻に持病が起つたのですといふ、お前の持病は肝癪か、いゝゑ、血
のかはる事もありまするといふ、旦那お歸りと聞て朋輩の女、帳塲の女
主もかけ出して唯今は有がたうと同音の御禮、頼んで置いた車が來しと
も他の人ではなし僕ではないか何んな事でも言ふて宜さそうなもの、ま
て此處からして乘り出せば、家中表へ送り出してお出を待まするの愛想、 の道か、いゝゑ、夫では何だと聞かれて、何うも言ふ事は出來ませぬ、で
御祝儀の餘光としられて、後には力ちやん大明神樣これにも有がたうの
あ何の病氣だといふに、病氣ではござんせぬ、唯こんな風になつて此樣
折から下坐敷より杯盤を運びきし女の何やらお力に耳打して兎も角も
取あはず。
よしなさいまし、お聞きになつても詰らぬ事でござんすとてお力は更に
のだ、どつち道同じ事だから持病といふのを先きに聞きたいといふ、お
按摩に探ぐらせても知れた事、聞かずとも知れて居るが、夫れをば聞く
からう、よし口に出して言はなからうともお前に思ふ事がある位めくら
らぬ、しかも一度や二度あふのではなし其位の事を發表しても子細はな
よしんば作り言にしろ、かういふ身の不幸だとか大底の女は言はねばな
これまでの履歴はといふに貴君には言はれぬといふ、まあ嘘でも宜いさ
さんはと聞けば言はれませぬといふ、お母さんはと問へば夫れも同じく、
な事を思ふのですといふ、困つた人だな種々祕密があると見える、お父
御禮山々。
三
客は結城朝之助とて、自ら道樂ものとは名のれども實體なる處折々に
見えて身は無職業妻子なし、遊ぶに屈強なる年頃なれば是れを初めに一
週には二三度の通ひ路、お力も何處となく懷かしく思ふかして三日見え
ねば文をやるほどの樣子を、朋輩の女子ども岡燒ながら弄かひては、力
ちやんお樂しみであらうね、男振はよし氣前はよし、今にあの方は出世
をなさるに相違ない、其の時はお前の事を奧樣とでもいふのであらうに
今つから少し氣をつけて足を出したり湯呑であほるだけは廢めにおし人
がらが惡いやねと言ふもあり、源さんが聞たら何うだらう氣違ひになる
かも知れないとて冷評もあり、あゝ馬車にのつて來る時都合が惡るいか
23
著作集
大變に醉ひましたからお目にかゝつたとてお話しも出來ませぬと斷つて
下までお出よといふ、いや行き度ないからよしてお呉れ、今夜はお客が
前ばかりの大陽氣、菊の井のお力は行ぬけの締りなしだ、苦勞といふ事
おもふか夫れこそはお分りに成りますまい、考へたとて仕方がない故人
が身位かなしい者はあるまいと思ひますとて潜然とするに、珍らしい事
おくれ、 あゝ困つた人だねと眉を寄せるに、 お前それでも宜いのかへ、 はしるまいと言ふお客樣もござります、ほんに因果とでもいふものか私
はあ宜いのさとて膝の上で撥を弄べば、女は不思議さうに立つてゆくを
て八百屋の裏の小さな家にまいまいつぶろの樣になつて居まする、女房
七といふ人、久しい馴染でござんしたけれど今は見るかげもなく貧乏し
くしたとて仕方がないから申ますが町内で少しは巾もあつた蒲團やの源
話しの邪魔はすまいからといふに、串談はぬきにして結城さん貴君に隱
う、追ひかけて逢ふが宜い、何なら此處へでも呼び給へ、片隅へ寄つて
何もそんなに體裁には及ばぬではないか、可愛い人を素戻しもひどから
た、だけれども今夜はいけませぬ、何故何故、何故でもいけませぬ、私
ずば承りたい物だといふに、貴君には聞いて頂かうと此間から思ひまし
つたに、夫れでは何か理屈があつて止むを得ずといふ次第か、苦しから
僕は又お前のやうな氣では寧氣樂だとかいふ考へで浮いて渡る事かと思
もさ、こんな商賣を嫌だと思ふなら遠慮なく打明けばなしを爲るが宜い、
に根つからお聲がかりも無いは何ういふ物だ、古風に出るが袖ふり合ふ
ぬ、夢に見てくれるほど實があらば奧樣にしてくれろ位いひそうな物だ
客は聞すまして笑ひながら御遠慮には及ばない、逢つて來たら宜からう、 陰氣のはなしを聞かせられる、慰めたいにも本末をしらぬから方がつか
もあり子供もあり、私がやうな者に逢ひに來る歳ではなけれど、縁があ
るか未だに折ふし何の彼のといつて、今も下坐敷へ來たのでござんせう、 は我まゝ故、申まいと思ふ時は何うしても嫌やでござんすとて、ついと
何も今さら突出すといふ譯ではないけれど逢つては色々面倒な事もあり、 立つて椽がはへ出るに、雲なき空の月かげ涼しく、見おろす町にからこ
ろと駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明なり、結城さんと呼ぶに、何
屋で桃を買ふ子がござんしよ、可愛らしき四つ計の、彼子が先刻の人の
寄らず障らず歸した方が好いのでござんす、恨まれるは覺悟の前、鬼だ
を見おろせば、何と姿が見えるかと嬲る、あゝ最う歸つたと見えますとて
でござんす、あの小さな子心にもよくよく憎くいと思ふと見えて私の事
だとて傍へゆけば、まあ此處へお座りなさいと手を取りて、あの水菓子
茫然として居るに、持病といふのは夫れかと切込まれて、まあ其樣な處
をば鬼々といひまする、まあ其樣な惡者に見えまするかとて、空を見あ
とも蛇だとも思ふがようござりますとて、撥を疊に少し延びあがりて表
でござんせう、お醫者樣でも草津の湯でもと薄淋しく笑つて居るに、御
げてホッと息をつくさま、堪へかねたる樣子は五音の調子にあらはれぬ。
へ次第の眉毛みるかげもなく、洗ひざらしの鳴海の浴衣を前と後を切り
るべし、貧にやつれたれば七つも年の多く見えて、お齒黒はまだらに生
るがお力が所縁の源七が家なり、女房はお初といひて二十八か九にもな
を少し圍つて青紫蘇、ゑぞ菊、隱元豆の蔓などを竹のあら垣に搦ませた
はあらで山の手の仕合は三尺斗の椽の先に草ぼうぼうの空地面それが端
二間の上り框朽ちて、雨戸はいつも不用心のたてつけ、流石に一方口に
げなるを中にして、兩側に立てたる棟割長屋、突當りの芥溜わきに九尺
る日は傘もさゝれぬ窮屈さに、足もととては處々に溝板の落し穴あやふ
同じ新開の町はづれに八百屋と髮結床が庇合のやうな細露路、雨が降
四
本尊を拜みたいな俳優で行つたら誰れの處だといへば、見たら吃驚でご
ざりませう色の黒い背の高い不動さまの名代といふ、では心意氣かと問
はれて、此樣な店で身上はたくほどの人、人の好いばかり取得とては皆
無でござんす、面白くも可笑しくも何ともない人といふに、夫れにお前
は何うして逆上せた、これは聞き處と客は起かへる、大方逆上性なので
ござんせう、貴君の事をも此頃は夢に見ない夜はござんせぬ、奧樣のお
出來なされた處を見たり、ぴつたりと御出のとまつた處を見たり、まだ
まだ一層かなしい夢を見て枕紙がびつしよりに成つた事もござんす、高
ちやんなぞは夜る寐るからとても枕を取るよりはやく鼾の聲たかく、宜
い心持らしいが何んなに浦山しうござんせう、私はどんな疲れた時でも
床へ這入ると目が冴へて夫は夫は色々の事を思ひます、貴君は私に思ふ
事があるだらうと察して居て下さるから嬉しいけれど、よもや私が何を
24
もお湯に這入なといへば、あいと言つて帶を解く、お待お待、今加減を
て行水を沸かして置ました、ざつと汗を流したら何うでござんす、太吉
歸りか、今日は何んなに暑かつたでせう、定めて歸りが早からうと思う
といふに太吉を先に立てゝ源七は元氣なくぬつと上る、おやお前さんお
はないかお寺の山へでも行はしないかと何の位案じたらう、早くお這入
今戻つた、お父さんも連れて來たよと門口から呼立るに、大層おそいで
にのがれる蚊の聲凄まじゝ、太吉はがたがたと溝板の音をさせて母さん
の杉の葉を被せてふうふうと吹立れば、ふすふすと烟たちのぼりて軒場
下を穿くり、蚊いぶし火鉢に火を取分けて三尺の椽に持出し、拾ひ集め
仕事を片づけて一服吸つけ、苦勞らしく目をぱちつかせて、更に土瓶の
に太吉は何故かへつて來ぬ、源さんも又何處を歩いて居るかしらんとて
とて數のあがるを樂しみに脇目もふらぬ樣あはれなり。もう日が暮れた
強せはしなく、揃へたる籘を天井から釣下げて、しばしの手數も省かん
表の内職、盆前よりかけて暑さの時分をこれが時よと大汗になりての勉
かへて膝のあたりは目立ぬやうに小針のつぎ當、狹帶きりゝと締めて蝉
おもしろ可笑しく世を渡るに咎める人なく美事繁昌して居まする、あれ
監獄入りしてもつそう飯たべて居やうけれど、相手のお角は平氣なもの、
第に惡るいが事が染みて終ひには土藏やぶりまでしたさうな、當時男は
ひ込み、夫れを埋めやうとて雷神虎が盆筵の端についたが身の詰り、次
つてお出なさらう、二葉やのお角に心から落込んで、かけ先を殘らず使
みにでも思ふだけがお前さんが未練でござんす、裏町の酒屋の若い者知
乏に成つたから構いつけて呉れぬなと思へば何の事なく濟ましよう、恨
迷ふて來る人を誰れかれなしに丸めるが彼の人達が商賣、あゝ我れが貧
つても呉れませう、表を通つて見ても知れる、白粉つけて美い衣類きて
が何となりまする、先は賣物買物お金さへ出來たら昔しのやうに可愛が
菊の井の鉢肴は甘くもありましたらうけれど、今の身分で思ひ出した處
に、妻は悲しさうな眼をしてお前さん又例のが起りましたらう、それは
かと問ふ、いや何處も何とも無いやうなれど唯たべる氣にならぬといふ
れぬと言ふ事はなし、氣合ひでも惡うござんすか、それとも酷く疲れて
を置けば、其樣事があります物か、力業をする人が三膳の御飯のたべら
けれど舌に覺えの無くて咽の穴はれたる如く、もう止めにするとて茶椀
を思ふに商賣人の一徳、だまされたは此方の罪、考へたとて始まる事で
見てやるとて流しもとに盥を据へて釜の湯を汲出し、かき廻して手拭を
入れて、さあお前さん此子をもいれて遣つて下され、何をぐたりと爲て
ば、妻は能代の膳のはげかゝりて足はよろめく古物に、お前の好きな冷
を出して、お着かへなさいましと言ふ、帶まきつけて風の透く處へゆけ
太吉にも遣はせ我れも浴びて、上にあがれば洗ひ晒せしさばさばの浴衣
ら早々とお上がりなされと妻も氣をつくるに、おいおいと返事しながら
ん脊中洗つてお呉れと太吉は無心に催促する、お前さん蚊が喰ひますか
詰らぬ夢を見たばかりにと、ぢつと身にしみて湯もつかはねば、父ちや
してや土方の手傳ひして車の跡押にと親は生つけても下さるまじ、あゝ
我身が思はれて九尺二間の臺處で行水つかふとは夢にも思はぬもの、ま
左樣だと思ひ出したやうに帶を解いて流しへ下りれば、そゞろに昔しの
さつぱりに成つて御膳あがれ、太吉が待つて居ゐますからといふに、おゝ
し て い よ い よ 顏 が あ げ ら れ ぬ、 何 の 此 身 に な つ て 今 更 何 を お も ふ 物 か、
お力などゝ名計もいつて呉れるな、いはれると以前の不出來しを考へ出
も の め と 叱 り つ け て、 い や 我 れ だ と て 其 樣 に 何 時 ま で も 馬 鹿 で は 居 ぬ、
られぬは何の因果かと胸の中かき廻されるやうなるに、我れながら未練
知らず氣になる樣子、こんな可愛い者さへあるに、あのやうな狸の忘れ
に、みれば茶椀と箸を其處に置いて父と母との顏をば見くらべて何とは
く御膳あがつて下され、坊主までが陰氣らしう沈んで仕舞ましたといふ
て圍うたら宜うござりましよう、最うそんな考へ事は止めにして機嫌よ
めてお金さへ出來ようならお力はおろか小紫でも揚卷でも別莊こしらへ
ならで、夫こそ路頭に迷はねばなりませぬ、男らしく思ひ切る時あきら
へるやうに心がけて下され、お前に弱られては私も此子も何うする事も
お出なさる、暑さにでも障りはしませぬか、さうでなければ一杯あびて、 はござんせぬ、夫よりは氣を取直して稼業に精を出して少しの元手も拵
奴にしましたとて小丼に豆腐を浮かせて青紫蘇の香たかく持出せば、太
は及ばぬ故小僧も十分にやつて呉れとて、ころりと横になつて胸のあた
吉は何時しか臺より飯櫃取おろして、よつちよいよつちよいと擔ぎ出す、 食がくへぬとても夫れは身體の加減であらう、何も格別案じてくれるに
坊主は我れが傍に來いとて頭を撫でつゝ箸を取るに、心は何を思ふとな
25
著作集
りをはたはたと打あふぐ、蚊遣の烟にむせばぬまでも思ひにもえて身の
ば子心には悲しくも思ふべし、去年あひたる時今は駒形の蝋燭やに奉公
折ふしは時好の花簪さしひらめかしてお客を捉らへて串戲いふ處を聞か
て仕舞たい、あゝ嫌だ嫌だ嫌だ、何うしたなら人の聲も聞えない物の音
お力は一散に家を出て、行かれる物なら此まゝ唐天竺の果までも行つ
から下駄を履いて筋向ふの横町の闇へ姿をかくしぬ。
直き歸るからとてずつと廊下へ急ぎ足に出しが、何をも見かへらず店口
へ ゆ く、 逃 げ て は な ら な い と 坐 中 の 騷 ぐ に 照 ち や ん 高 さ ん 少 し 頼 む よ、
禮をします、御免なさいよとて三味線を置いて立つに、何處へゆく何處
怕し渡らねばと謳ひかけしが、何かを思ひ出したやうにあゝ私は一寸失
て、やんややんやと喜ばれる中から、我戀は細谷川の丸木橋わたるにや
責められるに、お名はささねどこの坐の中にと普通の嬉しがらせを言つ
るもあり、力ちやんはどうした心意氣を聞かせないか、やつたやつたと
調子の外れし紀伊の國、自まんも恐ろしき胴間聲に霞の衣衣紋坂と氣取
て都々一端歌の景氣よく、菊の井の下座敷にはお店者五六人寄集まりて
ない處を知る人はなかりき、七月十六日の夜は何處の店にも客人入込み
かりした、氣のつよい子といふ者はあれど、障れば絶ゆる蜘の糸のはか
して忍び音の憂き涕、これをば友朋輩にも洩らさじと包むに根性のしつ
事胸にたゝまつて、泣くにも人目を恥れば二階座敷の床の間に身を投ふ
を向くつらさ他處目も養ひつらめ、さりとも折ふしは悲しき事恐ろしき
人の涕は百年も我まんして、我ゆゑ死ぬる人のありとも御愁傷さまと脇
け串戲にその日を送つて情は吉野紙の薄物に、螢の光ぴつかりとする計、
りにはあるまじ、さる子細あればこそ此處の流れに落こんで嘘のありた
夕ぐれの鏡の前に涕ぐむもあるべし、菊の井のお力とても惡魔の生れ替
し爪はじきするであらう、常は何とも思はぬ島田が今日計は恥かしいと
を送る、夢さら浮いた心では無けれど言甲斐のないお袋と彼の子は定め
體なれば勤めがたくて、同じ憂き中にも身の樂なれば、此樣な事して日
燐の箱はりして一人口過しがたく、さりとて人の臺處を這ふも柔弱の身
だけはならずに居て下されと異見を言はれしが、悲しきは女子の身の寸
まで何なりと堅氣の事をして一人で世渡りをして居て下され、人の女房
の男になり、父さんをもお前をも今に樂をばお爲せ申ます、どうぞ夫れ
して居まする、私は何んな愁らき事ありとも必らず辛抱しとげて一人前
熱げなり。
五
誰れ白鬼とは名をつけし、無間地獄のそこはかとなく景色づくり、何
處にからくりのあるとも見えねど、逆さ落して血の池、借金の針の山に
追ひのぼすも手の物ときくに、寄つてお出でよと甘へる聲も蛇くふ雉子
と恐ろしくなりぬ、さりとも胎内十月の同じ事して、母の乳房にすがり
し頃は手打手打あわゝの可愛げに、紙幣と菓子との二つ取りにはおこし
をお呉れと手を出したる物なれば、今の稼業に誠はなくとも百人の中の
一人に眞からの涙をこぼして、聞いておくれ染物やの辰さんが事を、昨
日も川田やが店でおちやつぴいのお六めと惡戲まわして、見たくもない
往來へまで擔ぎ出して打ちつ打たれつ、あんな浮いた了簡で末が遂げら
れやうか、まあ幾歳だとおもふ三十は一昨年、宜い加減に家でも拵へる
仕覺をしてお呉れと逢ふ度に異見をするが、その時限りおいおいと空返
事して根つから氣にも止めては呉れぬ、父さんは年をとつて、母さんと
言ふは目の惡るい人だから心配をさせないやうに早く締つてくれゝば宜
いが、私はこれでも彼の人の半纒をば洗濯して、股引のほころびでも縫
つて見たいと思つて居るに、彼んな浮いた心では何時引取つて呉れるだ
らう、考へるとつくづく奉公が厭になつてお客を呼ぶに張合もない、あ
ゝくさくさするとて常は人をも欺す口で人の愁らきを恨みの言葉、頭痛
を押へて思案に暮れるもあり、ああ今日は盆の十六日だ、お焔魔樣への
お參りに連れて立つて通る子供達の奇麗な着物きて小遣ひもらつて嬉し
さうな顏してゆくは、定めて定めて二人揃つて甲斐性ある親をば持つて
居るのであろ、私が息子の與太郎は今日の休みに御主人から暇が出て何
處へ行つてどんな事して遊ばうとも定めし人が羨ましかろ、父さんは呑
ぬけ、いまだに宿とても定まるまじく母はこんな身になつて恥かしいい
紅白粉、よし居處が分つたとて彼の子は逢ひに來ても呉れまじ、去年向
島の花見の時女房づくりして丸髷に結つて朋輩と共に遊びあるきしに土
手の茶屋であの子に逢つて、これこれと聲をかけしにさへ私の若く成し
に呆れて、お母さんでござりますかと驚きし樣子、ましてや此大島田に
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處へ行かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲し
もしない、靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない
考へ事をして歩いて居たれば不意のやうに惶てて仕舞ました、よく今夜
例に似合ぬ狼狽かたがをかしきとてからからと男の笑ふに少し恥かしく、
い心細い中に、 何時まで私は止められて居るのかしら、 これが一生か、 は來て下さりましたと言へば、あれほど約束をして待てくれぬは不心中
るまい、父さんも踏かへして落てお仕舞なされ、祖父さんも同じ事であ
喧しかりし折から、店口にておやお皈りかの聲を聞くより、客を置ざり
下座敷はいまだに客の騷ぎはげしく、お力の中座をしたるに不興して
とせめられるに、何なりと仰しやれ、言譯は後にしまするとて手を取り
つたといふ、何うで幾代もの恨みを背負て出た私なれば爲る丈の事はし
に中坐するといふ法があるか、皈つたらば此處へ來い、顏を見ねば承知
一生がこれか、あゝ嫌だ嫌だと道端の立木へ夢中に寄かゝつて暫時そこ
なければ死んでも死なれぬのであらう、情ないとても誰れも哀れと思ふ
せぬぞと威張たてるを聞流しに二階の座敷へ結城を連れあげて、今夜も
て引けば彌次馬がうるさいと氣をつける、何うなり勝手に言はせませう、
てくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商賣がらを嫌ふかと一ト口に
頭痛がするので御酒の相手は出來ませぬ、大勢の中に居れば御酒の香に
に立どまれば、渡るにや怕し渡らねばと自分の謳ひし聲をそのまゝ何處
言はれて仕舞う、ゑゝ何うなりとも勝手になれ、勝手になれ、私には以
醉ふて夢中になるも知れませぬから、少し休んで其後は知らず、今は御
此方は此方と人中を分けて伴ひぬ。
上考へたとて私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお
免なさりませと斷りを言ふてやるに、夫れで宜いのか、怒りはしないか、
ともなく響いて來るに、仕方がないやつぱり私も丸木橋をば渡らずはな
力を通してゆかう、人情しらず義理しらずか其な事も思ふまい、思ふた
くない事があつて氣が變つて居まするほどにその氣で附合て居て下され、
やかましくなれば面倒であらうと結城が心づけるを、何のお店ものゝ白
しに此樣な處へ出て來たのか、馬鹿らしい氣違じみた、我身ながら分ら
御酒を思ひ切つて呑みまするから止めて下さるな、醉ふたらば介抱して
とてどうなる物ぞ、此樣な身でこんな業體で、こんな宿世で、何うした
ぬ、もうもう皈りませうとて横町の闇をば出はなれて夜店の並ぶにぎや
下されといふに、君が醉つたを未だに見た事がない、氣が晴れるほど呑
瓜がどんなことを仕出しませう、怒るなら怒るでござんすとて小女に言
かなる小路を氣まぎらしにとぶらぶら歩るけば、行かよふ人の顏小さく
むのは宜いが、又頭痛がはじまりはせぬか、何が其樣に逆鱗にふれた事
からとて人並みでは無いに相違なければ、人並の事を考へて苦勞する丈
小さく摺れ違う人の顏さへも遥とほくに見るやう思はれて、我が踏む土
がある、僕らには言つては惡るい事かと問はれるに、いゑ貴君には聞て
ひつけてお銚子の支度、來るをば待かねて結城さん今夜は私に少し面白
のみ一丈も上にあがり居る如く、がやがやといふ聲は聞ゆれど井の底に
頂きたいのでござんす、醉ふと申ますから驚いてはいけませぬ嫣然とし
間違ひであろ、あゝ陰氣らしい何だとて此樣な處に立つて居るのか、何
物を落したる如き響きに聞なされて、人の聲は、人の聲、我が考へは考
て、大湯呑を取よせて二三杯は息をもつかざりき。
常には左のみに心も留まらざりし結城の風采は今宵は何となく尋常な
へと別々に成りて、更に何事にも氣のまぎれる物なく、人立おびたゞし
き夫婦あらそひの軒先などを過ぐるとも、唯我れのみは廣野の原の冬枯
ふ重やかなる口振り、目つきの凄くて人を射るやうなるも威嚴の備はれ
れを行くやうに、 心に止まる物もなく、 氣にかゝる景色にも覺えぬは、 らず思はれて、肩巾のありて背のいかにも高き處より、落ついて物をい
我れながら酷く逆上て人心のないのにと覺束なく、氣が狂ひはせぬかと
るかと嬉しく、濃き髮の毛を短かく刈あげて頚足のくつきりとせしなど
が何か事件があつたかととふ、何しに降つて沸いた事もなければ、人と
笑つてゐるに、串戲はのけ、今夜は樣子が唯でない聞たら怒るか知らぬ
見て居ますのさと言へば、此奴めがと睨みつけられて、おゝ怕いお方と
今更のやうに眺られ、何をうつとりして居ると問はれて、貴君のお顏を
立どまる途端、お力何處へ行くとて肩を打つ人あり。
六
十六日は必らず待まする來て下されと言ひしをも何も忘れて、今まで
思ひ出しもせざりし結城の朝之助に不圖出合て、あれと驚きし顏つきの
27
著作集
なお方樣、思ふ事は反對にお聞きになつても汲んで下さるか下さらぬか
心がらの淺ましい譯がござんす、私はこんな賎しい身の上、貴君は立派
物を思ひませう、私の時より氣まぐれを起すは人のするのでは無くて皆
の紛雜などはよし有つたにしろそれは常の事、氣にもかゝらねば何しに
た一つ竃に破れ鍋かけて私に去る物を買いに行けといふ、味噌こし下げ
で、父は寒いも知らぬか柱に寄つて細工物に工夫をこらすに、母は欠け
あゝ私が覺えて七つの年の冬でござんした、寒中親子三人ながら古裕衣
ま し た れ ど、 氣 位 た か く て 人 愛 の な け れ ば 贔 負 に し て く れ る 人 も な く、
其處ほどは知らねど、 よし笑ひ者になつても私は貴君に笑ふて頂き度、 て端たのお錢を手に握つて米屋の門までは嬉しく驅けつけたれど、歸り
昌どころか見に來る人もあるまじ、貴君は別物、私が處へ來る人とても
も此あたりの人に泥の中の蓮とやら、惡業に染まらぬ女子があらば、繁
生娘ならねば少しは察しても居て下さろうが、口奇麗な事はいひますと
何より先に私が身の自墮落を承知して居て下され、もとより箱入りの
れど何うしたと問ふて呉れる人もなく、聞いたからとて買てやらう言ふ
ましたと空の味噌こし下げて家には歸られず、立てしばらく泣いて居た
あつたれど家の内の樣子、父母の心をも知れてあるにお米は途中で落し
度も覗いては見たれど是れをば何として拾はれませう、其時私は七つで
溝板のひまよりざらざらと飜れ入れば、下は行水きたなき溝泥なり、幾
には寒さの身にしみて手も足も龜かみたれば五六軒隔てし溝板の上の氷
大底はそれと思しめせ、これでも折ふしは世間さま並の事を思ふて恥か
人は猶更なし、あの時近處に川なり池なりあらうならば私は定し身を投
今夜は殘らず言ひまする、まあ何から申さう胸がもめて口が利かれぬと
しい事つらい事情ない事とも思はれるも寧九尺二間でも極まつた良人と
げて仕舞ましたろ、話しは誠の百分の一、私はその頃から氣が狂つたの
にすべり、足溜りなく轉ける機會に手の物を取落として、一枚はづれし
いふに添うて身を固めようと考へる事もござんすけれど、夫れが私は出
でござんす、皈りの遲きを母の親案じて尋ねに來てくれたをば時機に家
て叉もや大湯呑に呑む事さかんなり。
來ませぬ、それかと言つて來るほどのお人に無愛想もなりがたく、可愛
たれたら嬉しいか、添うたら本望か、夫れが私は分りませぬ、そもそもの
數の中には眞にうけてこんな厄種を女房にと言うて下さる方もある、持
やうで御座んした。
なく、今日は一日斷食にせうと父の一言いひ出すまでは忍んで息をつく
なく、家の内森として折々溜息の聲のもれるに私は身を切られるより情
いの、いとしいの、見初ましたのと出鱈目のお世辭をも言はねばならず、 へは戻つたれど、母も物いはず父親も無言に、誰れ一人私をば叱る物も
最初から私は貴君が好きで好きで、人目お目にかゝらねば戀しいほどな
んす、つまりは私のやうな氣違ひで、世に益のない反古紙をこしらへし
はと問ひかけられて、親父は職人、祖父は四角な字をば讀んだ人でござ
父が一生もかなしい事でござんしたとてほろりとするに、その親父さむ
話しはやめまする、御機嫌に障つたらばゆるして下され、誰れか呼んで
今夜も此樣な分らぬ事いひ出して嘸貴君御迷惑で御座んしてしよ、もう
私は其樣な貧乏人の娘、氣違ひは親ゆづりで折ふし起るのでござります、
顏をあ げし時は 頬に涙の痕 は見ゆれど も淋しげ の笑みをさ へ寄せて、
いひさしてお力は溢れ出る涙の止め難ければ紅ひの手巾かほに押當て
に、版をばお上から止められたとやら、ゆるされぬとかに斷食して死ん
陽氣にしませうかと問へば、いや遠慮は無沙汰、その父親は早くに死く
れど、奧樣にと言ふて下されたら何うでござんしよか、待たれるは嫌な
ださうに御座んす、十六の年から思ふ事があつて、生れも賎しい身であ
なつてか、はあ母さんが肺結核といふを煩つて死なりましてから一週忌
その端を喰ひしめつゝ物いはぬ事小半時、坐には物の音もなく酒の香し
つたれど一念に修業して六十にあまるまで仕出來したる事なく、終は人
の來ぬほどに跡を追ひました、今居りましても未だ五十、親なれば褒め
り他處ながらは慕はしゝ、一ト口に言われたら浮氣者でござんせう、あ
の物笑ひに今では名を知る人もなしとて父が常住歎いたを子供の頃より
るでは無けれど細工は誠に名人と言ふても宜い人で御座んした、なれど
たひて寄りくる蚊のうなり聲のみ高く聞えぬ。
聞知つておりました、私の父といふは三つの歳に椽から落て片足あやし
も名人だとて上手だとて私等が家のやうに生れついたは何にもなる事は
ゝ此樣な浮氣者には誰れがしたと思召、三代傳はつての出來そこね、親
き風になりたれば人中に立まじるも嫌やとて居職に飾の金物をこしらへ
28
思ひがけませぬといふ、嘘をいふは人に依る始めから何も見知つてゐる
に見えしが、私等が身にて望んだ處が味噌こしが落、何の玉の輿までは
情、お前は出世を望むなと突然に朝之助に言はれて、ゑツと驚きし樣子
出來ないので御座んせう、我身の上にも知られまするとて物思わしき風
なつてもお力が事の忘れられぬか、十年つれそふて子供まで儲けし我れ
はなくて吐息折々に太く身動きもせず仰向ふしたる心根の愁さ、其身に
から改心して下さらねば心元なく思はれますとて女房打なげくに、返事
末をも思ふて眞人間になつて下され、御酒を呑で氣を晴らすは一時、眞
起つた事、いふては惡るけれどお前は親不孝親不孝、少しは彼の子の行
彼岸が來ればとて、隣近處に牡丹もち團子と配り歩く中を、源七が家へ
に隱すは野暮の沙汰ではないか、思ひ切つてやれやれとあるに、あれ其
今宵もいたく更けぬ、下坐敷の人はいつか歸りて表の雨戸をたてると
は遣らぬが能い、返禮が氣の毒なとて、心切かは知らねど十軒長屋の一
に心かぎりの辛苦をさせて、子には襤褸を下げさせ家とては二疊一間の
言ふに、朝之助おどろきて歸り支度するを、お力は何うでも泊らすると
間は除け物、男は外出がちなればいさゝか心に懸かるまじけれど女心に
やうなけしかけ詞はよして下され、何うでこんな身でござんするにと打
いふ、いつしか下駄をも藏させたれば、足を取られて幽靈ならぬ身の戸
は遣る瀬のなきほど切なく悲しく、おのづと肩身せばまりて朝夕の挨拶
こんな犬小屋、世間一體から馬鹿にされて別物にされて、よしや春秋の
のすき間より出る事もなるまじとて今宵は此處に泊る事となりぬ、雨戸
も人の目色を見るやうなる情なき思ひもするを、其をば思はで我が情婦
しをれて又もの言はず。
を鎖す音一しきり賑はしく、後には透きもる燈火のかげも消えて、唯軒
の上ばかりを思ひつゞけ、無情き人の心の底が夫れほどまでに戀しいか、
鬼ではないか、お前の衣類のなくなつたも、お前の家のなくなつたも皆
ら譯の分らぬ子ぞ、あの姉さんは鬼ではないか、父さんを怠惰者にした
母の心を斗りかね、顏をのぞいて猶豫するに、あゝ年がゆかぬとて何た
と言つたけれど抱いて行つて買つてくれた、喰べては惡いかへと流石に
一處に來て、菓子を買つてやるから一處にお出といつて、我らは入らぬ
たと言へば、表通りの賑やかな處に遊んでゐたらば何處のか伯父さんと
か、現在の子を使ひに父さんの心を動かしに遣しおる、何といふて遣し
て圖太い奴めが是れほどの淵に投げ込んで未だいぢめ方が足りぬと思ふ
つて來た、これは菊の井の鬼姉さんが呉れたのと言ふ、母は顏色をかへ
に貰つて來た、よくお禮を言つたかと問へば、あゝ能くお辭儀をして貰
に、見れば新開の日の出やがかすていら、おや此樣な好いお菓子を誰れ
袋を兩手に抱へて母さん母さんこれを貰つて來たと莞爾として驅け込む
細く戸の外をながむれば、いそいそと歸り來る太吉郎の姿、何やらん大
どしきに裏屋はまして薄暗く、燈火をつけて蚊遣りふすべて、お初は心
物いはねば狹き家の内もなんとなくうら淋しく、くれゆく空のたどた
は出ずして恨みの露を眼の中にふくみぬ。
人に命をも遣る心か、あさましい口惜しい愁らい人と思ふに、中々言葉
晝も夢に見て獨言にいふ情なさ、女房の事も子の事も忘れはててお力一
下を行かよふ夜行の巡査の靴音のみ高かりき。
七
思ひ出したとて今更何うなる物ぞ、忘れて仕舞へ諦めて仕舞へと思案
は極めながら、去年の盆には揃ひの浴衣をこしらへて二人一處に藏前へ
參詣したる事なんど思ふともなく胸へうかびて、盆に入りては仕事に出
る張もなく、お前さん夫れではならぬぞへと諌め立てる女房の詞も耳う
るさく、エヽ何も言ふな默つて居ろとて横になるを、默つて居ては此日
が過されませぬ、身體が惡るくば藥も呑むがよし、御醫者にかゝるも仕
方なけれど、お前の病ひは夫れではなしに氣さへ持直せば何處に惡い處
があろう、少しは正氣になつて勉強をして下されといふ、いつでも同じ
事は耳にたこが出來て氣の藥にはならぬ、酒でも買て來てくれ氣まぐれ
に呑んで見やうと言ふ、お前さんそのお酒が買へるほどなら嫌やとお言
ひなさるを無理に仕事に出て下されとは頼みませぬ、私が内職とて朝か
ら夜にかけて十五錢が關の山、親子三人口おも湯も滿足には呑まれぬ中
で酒を買へとは能く能くお前無茶助になりなさんした、お盆だといふに
昨日らも小僧には白玉一つこしらへても喰べさせず、お精靈さまのお店
かざりも拵へくれねば御燈明一つで御先祖樣へお詫びを申て居るも誰が
仕業だとお思ひなさる、お前が阿房を盡してお力づらめに釣られたから
29
著作集
力が鬼なら手前は魔王、商賣人のだましは知れてゐれど、妻たる身の不
の當こすり、子に向つて父親の讒訴をいふ女房氣質を誰れが教へた、お
なく、貰ふたとて何が惡い、馬鹿野郎呼はりは太吉をかこつけに我れへ
事にして惡口雜言は何の事だ、知人なら菓子位子供にくれるに不思議も
ともせぬ横顏を睨んで、能い加減に人を馬鹿にしろ、默つて居れば能い
と起きてお初と一聲大きくいふに何か御用かよ、尻目にかけて振むかふ
び出る菓子の、竹のあら垣打こえて溝の中に落込むめり、源七はむくり
鹿野郎めと罵りながら袋をつかんで裏の空地へ投出せば、紙は破れて轉
腹がたつ、捨て仕舞な、捨てお仕舞、お前は惜しくて捨てられないか、馬
べても能いかと聞くだけが情ない、汚い穢い此樣な菓子、家へ置くのも
あの鬼めがした仕事、喰ひついても飽き足らぬ惡魔にお菓子を貰つた喰
お前さんお聞きか、太吉は私につくといひまする、男の子なればお前も
處へ何處へも一處に行く氣かへ、あゝ行くともとて何とも思はぬ樣子に、
い、何にも買つて呉れない物と眞正直をいふに、そんなら母さんの行く
傍と母さんと何處が好い、言ふて見ろと言はれて、我らはお父さんは嫌
とて甲斐はなしと覺悟して、太吉、太吉と傍へ呼んで、お前は父さんの
なり、遂ひには可愛き子をも餓へ死させるかも知れぬ人、今詫びたから
女に魂を奪はるればこれほどまでも淺ましくなる物か、女房が歎きは更
言葉は耳に入らぬ體、これほど邪慳の人ではなかりしをと女房あきれて、
ども、イヤ何うしても置かれぬとてその後は物言はず壁に向ひてお初が
憎くかろうと此子に免じて置いて下され、謝りますとて手を突いて泣け
されての行き處とてはありませぬ、何うぞ堪忍して置いて下され、私は
もなし、差配の伯父さんを仲人なり里なりに立てゝ來た者なれば、離縁
家も道具も無い癖に勝手にしろもないもの、これから身一つになつて仕
貞腐れをいふて濟むと思ふか、土方をせうが車を引かうが亭主は亭主の
慘う御座んす、家の爲をおもへばこそ氣に入らぬ事を言ひもする、家を
たいまゝの道樂なり何なりお盡しなされ、最ういくら此子を欲しいと言
欲しからうけれど此子はお前の手には置かれぬ、何處までも私が貰つて
出るほどなら此樣な貧乏世帶の苦勞をば忍んでは居ませぬと泣くに貧乏
つても返す事では御座んせぬぞ、返しはしませぬぞと念を押して、押入
權がある、氣に入らぬ奴を家には置かぬ、何處へなりとも出てゆけ、出
世帶に飽きがきたなら勝手に何處なり行つて貰はう、手前が居ぬからと
れ探ぐつて何やらの小風呂敷取出し、これはこの子の寐間着の袷、はら
連れて行きます、よう御座んすか貰ひまするといふに、勝手にしろ、子
て乞食にもなるまじく太吉が手足の延ばされぬことはなし、明けても暮
がけと三尺だけ貰つて行まする、御酒の上といふでもなければ、醒めて
てゆけ、面白くもない女郎めと叱りつけて、それはお前無理だ、邪推が
れても我れが店おろしかお力への妬み、つくづく聞き飽きてもう厭やに
の思案もありますまいけれど、よく考へて見て下され、たとへ何のやう
も何も入らぬ、連れて行きたくば何處へでも連れて行け、家も道具も何
成つた、貴樣が出ずば何ら道同じ事をしくもない九尺二間、我れが小僧
な貧苦の中でも二人双つて育てる子は長者の暮しといひまする、別れれ
過る、何しにお前當つけよう、この子が餘り分らぬと、お力の仕方が憎
を連れて出やう、さうならば十分に我鳴り立る都合もよからう、さあ貴
ば片親、何につけても不憫なは此子とお思ひなさらぬか、あゝ腸が腐た
も入らぬ、どうなりともしろとて寐轉びしまま振向んともせぬに、何の
樣が行くか、我れが出ようかと烈しく言はれて、お前はそんなら眞實に
人は子の可愛さも分りはすまい、もうお別れ申ますと風呂敷さげて表へ
くらしさに思ひあまつて言つた事を、とツこに取つて出てゆけとまでは
私を離縁する心かへ、知れた事よと例の源七にはあらざりき。
しのびやかに出ぬ、大路に見る人のひそめくを聞けば、彼の子もとんだ
二つあり、一つは駕にて一つはさし擔ぎにて、駕は菊の井の隱居處より
魂祭り過ぎて幾日、まだ盆提燈のかげ薄淋しき頃、新開の町を出し棺
八
お初は口惜しく悲しく情なく、口も利かれぬほど込上る涕を呑込んで、 出れば、早くゆけゆけとて呼かへしては呉れざりし。
これは私が惡う御座んした、堪忍をして下され、お力が親切で志して呉
れたものを捨て仕舞つたは重々惡う御座いました、成程お力を鬼といふ
たから私は魔王で御座んせう、モウいひませぬ、モウいひませぬ、決し
てお力の事につきて此後とやかく言ひませず、蔭の噂しますまい故離縁
だけは堪忍して下され、改めて言ふまでは無けれど私には親もなし兄弟
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て取止めたる事なけれど、恨は長し人魂か何かしらず筋を引く光り物の
がしては殘念であらうと人の愁ひを串談に思ふものもあり、諸説みだれ
にしろ菊の井は大損であらう、かの子には結構な旦那がついた筈、取に
のみの男と思はなんだがあれこそは死花、ゑらさうに見えたといふ、何
を遣られたに相違ない、引かへて男は美事な切腹、蒲團屋の時代から左
裟、頬先のかすり疵、頚筋の突疵など色々あれども、たしかに逃げる處
もならず、一處に歩いて話しはしても居たらうなれど、切られたは後袈
りを知らうぞ湯屋の歸りに男に逢ふたれば、さすがに振はなして逃る事
義理にせまつて遣つたので御座ろといふもあり、何のあの阿魔が義理は
して居たといふ確かな證人もござります、女も逆上てゐた男の事なれば
は得心づくだと言ひまする、あの日の夕暮、お寺の山で二人立ばなしを
運のわるい詰らぬ奴に見込れて可愛さうな事をしたといへば、イヤあれ
人少なく、がらを好みて巾廣の卷帶、年増はまだよし、十五六の小癪な
りには言ふぞかし、一體の風俗よそと變りて、女子の後帶きちんとせし
沙汰して、廻り遠や此處からあげまする、誂へ物の仕事やさんと此あた
らちやら忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が棧橋とんと
あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちや
なる、とかくは桧舞臺と見たつるもをかしからずや、垢ぬけのせし三十
が客廻しとやら、提燈さげてちよこちよこ走りの修業、卒業して何にか
めに遊山らしく見ゆるもをかし、娘は大籬の下新造とやら、七軒の何屋
死のしそこね、恨みはかゝる身のはて危ふく、すはと言はゞ命がけの勤
うしろに切火打かくる女房の顏もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理情
ろへて がらんがら んの音もいそ がしや夕暮よ り羽織引か けて立出れば、
かざりき、住む人の多くは廓者にて良人は小格子の何とやら、下足札そ
めれど、さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞
宵も一廻りと生意氣は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、
が處作、孟子の母やおどろかん上達の速やかさ、うまいと褒められて今
仁和賀の頃の大路を見給へ、さりとは宜くも學びし露八が物眞似、榮喜
やら素人よりは見よげに覺えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月
燒鳥の夜店を出して、身代たゝき骨になれば再び古巣への内儀姿、どこ
昨日河岸店に 何紫 の源氏名耳に殘れど、 けふは地廻りの吉と手馴れぬ
るが酸漿ふくんで此姿はと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや、
お寺の山といふ小高き處より、折ふし飛べるを見し者ありと傳へぬ。
たけくらべ
一
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の
騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛を
寮住居に華族さまを氣取りて、ふさ付き帽子面もちゆたかに洋服かるが
や愁らき子心にも顏あからめるしほらしさ、出入りの貸座敷の祕藏息子
いふ代言の子もあるべし、お前の父さんは馬だねへと言はれて、名のり
のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴えのつべこべ、三百と
とつさんは刎橋の番屋に居るよと習はずして知る其道のかしこさ、梯子
は呑込みのつくほど成るがあり、通ふ子供の數々に或は火消鳶人足、お
屈さも教師が人望いよいよあらはれて、唯學校と一ト口にて此あたりに
育英舍とて、私立なれども生徒の數は千人近く、狹き校舍に目白押の窮
うらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みた 鼻歌のそそり節、十五の少年がませかた恐ろし、學校の唱歌にもぎつち
る人の申き、 三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大廈もなく、 よんちよんと拍子を取りて、運動會に木やり音頭もなしかねまじき風情、
さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるゝ入谷ぢかくに
かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さ
したる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色の
ある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒な
らず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當ことごとしく、一家内これにかか
りて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日例の神社に欲深樣のかつ
ぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝり
て、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色ど
りて、新年着の支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人
にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふ
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著作集
ると花々敷を、坊ちやん坊ちやんとて此子の追從をするもをかし、多く
彼の人の事彼の人の事、藤本のならば宜き智惠も貸してくれんと、十八
つけし事も有りしが、それは昔、今は校内一の人とて假にも侮りての處
しかけ、猫の死骸を繩にくゝりてお役目なれば引導をたのみますと投げ
強ものあり、性來をとなしきを友達いぶせく思ひて、さまざまの惡戲を
やがては墨染にかへぬべき袖の色、發心は腹からか、坊は親ゆづりの勉
間がばらばらと飛出しやあがつて、どうだらう小さな者の萬燈を打こわ
郎組の短小野郎と萬燈のたゝき合ひから始まつて、夫れといふと奴の中
口惜しいや、なあ聞いとくれ信さん、去年も己れが處の末弟の奴と正太
己れの爲る事は亂暴だと人がいふ、亂暴かも知れないが口惜しい事は
の庭先から信如が部屋へのそりのそりと、信さん居るかと顏を出しぬ。
の中に龍華寺の信如とて、 千筋となづる黒髮も今いく歳のさかりにか、 日の暮れちかく、物いへば眼口にうるさき蚊を拂ひて竹村しげき龍華寺
業はなかりき、歳は十五、並背にていが栗の頭髮も思ひなしか俗とは變
しちまつて、胴揚にしやがつて、見やがれ横町のざまをと一人がいふと、
のか尻尾だ尻尾だ、豚の尻尾だなんて惡口を言つたとさ、己らあ其時千
間拔に背の高い大人のやうな面をして居る團子屋の頓馬が、頭もあるも
りて、藤本信如と訓にてすませど、何處やら釋といひたげの素振なり。
二
元の唱歌だなんて威張りおる正太郎を取ちめて呉れないか、我れが私立
卒我れの肩を持つて、横町組の恥をすゝぐのだから、ね、おい、本家本
信さん友達がひに、それはお前が嫌やだといふのも知れてるけれども何
つりには如何しても亂暴に仕掛て取かへしを付けようと思ふよ、だから
んな奴を生して置くより擲きころす方が世間のためだ、己らあ今度のま
るわな、いくら金が有るとつて質屋のくづれの高利貸が何たら樣だ、彼
せうなんて、おつな事を言ひやがつて、正太ばかり客にしたのも胸にあ
かやつたらう、あの時己れが見に行つたら、横町は横町の趣向がありま
はそらね、お前も知つてる通り筆屋の店へ表町の若衆が寄合て茶番か何
八月廿日は千束神社のまつりとて、山車屋臺に町々の見得をはりて土 束樣へねり込んで居たもんだから、あとで聞いた時に直樣仕かへしに行
手をのぼりて廓内までも入込まんづ勢ひ、 若者が氣組み思ひやるべし、 かうと言つたら、親父さんに頭から小言を喰つて其時も泣寐入、一昨年
聞かぢりに子供とて由斷のなりがたき此あたりのなれば、そろひの裕衣
は言はでものこと、銘々に申合せて生意氣のありたけ、聞かば膽もつぶ
れぬべし、横町組と自らゆるしたる亂暴の子供大將に頭の長とて歳も十
六、仁和賀の金棒に親父の代理をつとめしより氣位ゑらく成りて、帶は
腰の先に、返事は鼻の先にていふ物と定め、にくらしき風俗、あれが頭
の子でなくばと鳶人足が女房の蔭口に聞えぬ、心一ぱいに我まゝを徹し
て身に合はぬ巾をも廣げしが、表町に田中屋の正太郎とて歳は我れに三
つ劣れど、家に金あり身に愛嬌あれば人も憎くまぬ當の敵あり、我れは
私立の學校へ通ひしを、先方は公立なりとて同じ唱歌も本家のやうな顏
持ださつぱりしたお前が承知をしてくれゝば最う千人力だ、信さん難有
何かで冷語でも言つたら、此方も漢語で仕かへしておくれ、あゝ好い心
己れは此樣な無學漢だのにお前は學が出來るからね、向ふの奴が漢語か
横町の組だといふ名で、威張つてさへ呉れると豪氣に人氣がつくからね、
のさ、夫れは仕方が無いと諦めるから、お前は何も爲ないで宜いから唯
振廻さなくても宜いよ。僕が這入ると負けるが宜いかへ。負けても宜い
す り ぬ。 だ つ て 僕 は弱 い も の。 弱 く ても 宜 い よ。 萬 燈 は 振廻 せ な い よ。
をしおる、去年も一昨年も先方には大人の末社がつきて、まつりの趣向 の寐ぼけ生徒といはれゝばお前の事も同然だから、後生だ、どうぞ、助
も我れよりは花を咲かせ、 喧嘩に手出しのなりがたき仕組みも有りき、 けると思つて大萬燈を振廻しておくれ、己れは心から底から口惜しくつ
て、今度負けたら長吉の立端は無いと無茶にくやしがつて大幅の肩をゆ
今年又もや負けにならば、誰れだと思ふ横町の長吉だぞと平常の力だて
は空いばりとけなされて、弁天ぼりに水およぎの折も我が組に成る人は
多かるまじ、力を言はゞ我が方がつよけれど、田中屋が柔和ぶりにごま
かされて、一つは學問が出來おるを恐れ、我が横町組の太郎吉、三五郎
など、内々は彼方がたに成たるも口惜し、まつりは明後日、いよいよ我
が方が負け色と見えたらば、破れかぶれに暴れて暴れて、正太郎が面に
疵一つ、我も片眼片足なきものと思へば爲やすし、加擔人は車屋の丑に
元結よりの文、手遊屋の彌助などあらば引けは取るまじ、おゝ夫よりは
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ば私立私立とけなされるも心わるきに、元來愛敬のなき長吉なれば心か
門前に産聲を揚げしものと大和尚夫婦が贔負もあり、同じ學校へかよへ
立、思ふ事はうらはらに、話しは常に喰ひ違ひがちなれど、長吉は我が
履の仕事師の息子、一人はかは色金巾の羽織に紫の兵子帶といふ坊樣仕
がたうと常に無い優しき言葉も出るものなり。一人は三尺帶に突かけ草
り奧は何なれや、今は寮のあづかりをして母は遊女の仕立物、父は小格
せ、この地に活計もとむとて親子三人が旅衣、たち出しは此譯、それよ
り無く、姉なる人が身賣りの當時、鑑定に來たりし樓の主が誘ひにまか
主が大切がる樣子も怪しきに、聞けば養女にもあらず親戚にてはもとよ
る身ぞ、兩親ありながら大目に見てあらき詞もかけたる事も無く、樓の
ひがみでは無し長吉が負けを取る事罪は田中屋がたに少なからず、見か
紫のなり形、はじめ藤色絞りの半襟を袷にかけて着て歩るきしに、田舍
のまゝ、半日は姉の部屋、半日は町に遊んで見聞くは三味に太皷にあけ
ら味方につく者も無き憐れさ、 先方は町内の若衆どもまで尻押をして、 子の書記に成りぬ、此身は遊藝手藝學校にも通はせられて、其ほうは心
けて頼まれし義理としても厭やとは言ひかねて信如、夫れではお前の組
位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の抽斗から京都みや
いよいよ先方が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郎
白い事をしてと友達のせがむに、趣向は何なりと各自に工夫して大勢の
まれ口を、言ひ返すのも無く成りぬ。二十日はお祭りなれば心一ぱい面
ゞけし事も有しが、今は我れより人々を嘲りて、野暮な姿と打つけの惡
に成るさ、成るといつたら嘘は無いが、成るべく喧嘩は爲ぬ方が勝だよ、 者いなか者と町内の娘どもに笑はれしを口惜しがりて、三日三夜泣きつ
げに貰ひたる、小鍛冶の小刀を取出して見すれば、よく利れさうだねえ
好い事が好いでは無いか、幾金でもいゝ私が出すからとて例の通り勘定
な、蒲田屋の奧に飾つてあるやうな本當のを、重くても搆はしない、や
てと一人が言へば、馬鹿を言へ、夫れよりはお神輿をこしらへてお呉れ
きが早く、茶番にしよう、何處のか店を借りて往來から見えるやうにし
なしの引受けに、子供中間の女王樣又とあるまじき惠みは大人よりも利
と覗き込む長吉が顏、あぶなし此物を振廻してなる事か。
三
解かば足にもとゞくべき毛髮を、根あがりに堅くつめて前髮大きく髷
おもたげの、赭熊といふ名は恐ろしけれど、此髷を此頃の流行とて良家
夫れにしないかと言へば、あゝ夫れは面白からう、三ちやんの口上なら
無いか、己れが映し人で横町の三五郎に口上を言はせよう、美登利さん
るし、足りないのを美登利さんに買つて貰つて、筆やの店で行らうでは
ぐるぐると動かして、幻燈にしないか、幻燈に、己れの處にも少しは有
きに常磐座をと、言ひたげの口振をかし、田中の正太は可愛らしい目を
の令孃も遊ばさるゝぞかし、色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからね つちよいやつちよい譯なしだと捩ぢ鉢卷をする男子のそばから、夫れで
ど締りたれば醜くからず、 一つ一つに取たてゝは美人の鑑に遠けれど、 は私たちが詰らない、皆が騷ぐを見るばかりでは美登利さんだとて面白
くはあるまい、何でもお前の好い物におしよと、女の一むれは祭りを拔
物いふ聲の細く清しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々
したるは 快 き物なり、柿色に蝶鳥を染めたる大形の浴衣きて、黒襦子と
染分絞りの晝夜帶胸だかに、足にはぬり木履こゝらあたりにも多くは見
かけぬ高きをはきて、朝湯の歸りに首筋白々と手拭さげたる立姿を、今
三年の後に見たしと廓がへりの若者は申き、大黒屋の美登利とて生國は
紀州、言葉のいさゝか訛れるも可愛く、第一は切れ離れよき氣象を喜ば
打つや皷の調べ、三味の音色に事かゝぬ塲處も、祭りは別物、酉の市
四
ぬ人なし、子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理、姉なる人が全盛の餘波、 誰れも笑はずには居られまい、序にあの顏がうつると猶おもしろいと相
延いては遣手新造が姉への世辭にも、 美いちやん人形をお買ひなされ、 談はととのひて、不足の品を正太が買物役、汗に成りて飛び廻るもをか
しく、いよいよ明日と成りては横町までもその沙汰聞えぬ。
これはほんの手鞠代と、呉れるに恩を着せねば貰ふ身の有がたくも覺え
ず、まくはまくは、同級の女生徒二十人に揃ひのごむ鞠を與へしはおろ
かの事、馴染の筆やに店ざらしの手遊を買しめて喜ばせし事もあり、さ
りとは日々夜々の散財此歳この身分にて叶ふべきにあらず、末は何とな
33
著作集
しを、去歳よりは好からぬ形とつぶやくも有りし、口なし染の麻だすき
負けまじの競ひ心をかしく、横町も表も揃ひは同じ眞岡木綿に町名くづ
を除けては一年一度の賑ひぞかし、三嶋さま小野照さま、お隣社づから
は思ふべしや、三公己れが町へ遊びに來いと呼ばれて嫌やとは言はれぬ
歩とかや言ひて利金安からぬ借りなれど、これなくてはの金主樣あだに
一徳なりし、田中屋は我が命の綱、親子が蒙むる御恩すくなからず、日
成るほど太きを好みて、十四五より以下なるは、達磨、木兎、犬はり子、 義理あり、されども我れは横町に生れて横町に育ちたる身、住む地處は
さ ま ざ ま の 手 遊 を 數 多 き ほ ど 見 得 に し て、 七つ 九 つ 十 一 つ く る も あ り、 龍 華 寺 の も の、 家 主が 長 吉 が 親 な れ ば、 表む き 彼 方 に 背 く 事 か な は ず、
大鈴小鈴背中にがらつかせて、 驅け出す足袋はだしの勇ましく可笑し、 内々に此方の用をたして、にらまるゝ時の役廻りつらし。正太は筆やの
由斷がならぬと内儀さまに笑はれて、何がなしに耳の根あかく、まぢく
群れを離れて田中の正太が赤筋入りの印半天、色白の首筋に紺の腹がけ、 店へ腰をかけて、待つ間のつれづれに忍ぶ戀路を小聲にうたへば、あれ
さりとは見なれぬ扮粧とおもふに、しごいて締めし帶の水淺黄も、見よ
つして、呼んで來い三五郎、お前はまだ大黒屋の寮へ行つた事があるま
かけたる美登利が夕化粧の長さに、未だか未だかと正太は門へ出つ入り
事なく過ぎて今日一日の日も夕ぐれ、筆やが店に寄合しは十二人、一人
革緒の雪駄おとのみはすれど、馬鹿ばやしの中間に入らざりき、夜宮は
もせねば串談も三ちやんの樣では無けれど、人好きのするは金持の息子
人數は左のみ變らねど彼の子が見えねば大人までも寂しい、馬鹿さわぎ
迎ひに正太いやが言はれず、其まゝ連れて歸らるゝあとは俄かに淋しく、
遊ばせて下され、これは御世話と筆やの妻にも挨拶して、祖母が自らの
喰べぬ、遊びに耄けて先刻にから呼ぶをも知らぬか、誰樣も又のちほど
や縮緬の上染、 襟の印のあがりも際立て、 うしろ鉢卷に山車の花一枝、 ないの高聲に皆も來いと呼つれて表へ驅け出す出合頭、正太は夕飯なぜ
い、庭先から美登利さんと言へば聞える筈、早く、早くと言ふに、夫れ
さんに珍らしい愛敬、何と御覽じたか田中屋の後家さまがいやらしさを、
で聲して人の死ぬをも構はず、大方臨終は金と情死なさるやら、夫れで
ならば己れが呼んで來る、萬燈は此處へあづけて行けば誰れも蝋燭ぬす
と我が年したに叱られて、おつと來たさの次郎左衞門、今の間とかけ出
も此方どもの頭の上らぬは彼の物の御威光、さりとは欲しや、廊内の大
あれで年は六十四、白粉をつけぬがめつけ物なれど丸髷の大きさ、猫な
して韋駄天とはこれをや、あれ彼の飛びやうが可笑しいとて見送りし女
きい樓にも大分の貸付があるらしう聞きましたと、大路に立ちて二三人
むまい、正太さん番をたのむとあるに、吝嗇な奴め、其手間で早く行け
子どもの笑ふも無理ならず、横ぶとりして背ひくゝ、頭の形は才槌とて
の女房よその財産を數へぬ。
待つ身につらき夜半の置炬燵、それは戀ぞかし、吹風すゞしき夏の夕
五
首みぢかく、振むけての面を見れば出額の獅子鼻、反齒の三五郎といふ
仇名おもふべし、色は論なく黒きに感心なは目つき何處までもおどけて
兩 の 頬 に 笑 く ぼ の 愛 敬、 目 か く し の 福 笑 ひ に 見 る や う な 眉 の つ き 方 も、
さりとはをかしく罪の無き子なり、貧なれや阿波ちぢみの筒袖、己れは
痛 い、 そ ん な に 急 ぐな ら ば 此 方 は 知 ら ぬ、 お前 一 人 で お 出 と 怒 ら れ て、
と言うに、此方は言葉もなく袖を捉へて驅け出せば、息がはづむ、胸が
蚊に首筋額ぎわしたたか螫れ、三五郎弱りきる時、美登利立出でゝいざ
だかと塀の廻りを七度び廻り、欠伸の數も盡きて、拂ふとすれど名物の
帶少し幅の狹いを結ばせて、庭石に下駄直すまで時は移りぬ。まだかま
薄かつたと猶ぞいひける、單衣は水色友仙の凉しげに、白茶金らんの丸
揃ひが間に合はなんだと知らぬ友には言ふぞかし、我れを頭に六人の子 ぐれ、ひるの暑さを風呂に流して、身じまいの姿見、母親が手づからそ
供を、養ふ親も轅棒にすがる身なり、五十軒によき得意場は持たりとも、 ゝけ髮つくろひて、我が子ながら美くしきを立ちて見、居て見、首筋が
内證の車は商賣ものゝ外なれば詮なく、十三にならば片腕と一昨年より
並木の活判處へも通ひしが、怠惰ものなれば十日の辛棒つゞかず、一ト
月と同じ職も無くて霜月より春にかけては突羽根の内職、夏は檢査場の
氷屋が手傳ひして、呼聲をかしく客を引くに上手なれば、人には調法が
られぬ、去年は仁和賀の臺引きに出しより、友達いやしがりて萬年町の
呼名今に殘れども、三五郎といへば滑稽者と承知して憎くむ者の無きも
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むれ、それ三五郎をたゝき殺せ、正太を引出してやつて仕舞へ、弱虫に
なと頬骨一撃、あつと魂消て逃入る襟がみを、つかんで引出す横町の一
ごしめ唯は置かぬ、誰れだと思ふ長吉だ生ふざけた眞似をして後悔する
たと身がるに敷居を飛こゆる時、此二タ股野郎覺悟をしろ、横町の面よ
だと、文次という元結よりの呼ぶに、何の用意もなくおいしよ、よし來
に立ちて人垣をつくりし中より、三五郎は居るか、一寸來てくれ大急ぎ
子ひとつも變る事なし、うかれ立たる十人あまりの騷ぎなれば何事と門
はやし立つるに、記憶のよければ去年一昨年とさかのぼりて、手振手拍
全盛見わたせば、軒は提燈電氣燈、いつも賑ふ五丁町、と諸聲をかしく
て女子づれは切拔きにかゝる、男は三五郎を中に仁和賀のさらひ、北廓
もよい、手が暇で困ると美登利の淋しがれば、夫れよと即坐に鋏を借り
も嫌、伯母さん此處の家に智惠の板は賣りませぬか、十六武藏でも何で
ゝ面白くない、おもしろくない、彼の人が來なければ幻燈をはじめるの
別れ別れの到着、筆やの店へ來し時は正太が夕飯の最中とおぼえし。あ
をあらあら折からの巡査に語れば、職掌がらいざ送らんと手を取らるゝ
さまに家まで見て頂かば我々も安心、此通りの子細で御座ります故と筋
夫れでも怪我のないは仕合、此上は途中の待ぶせが危ない、幸ひの巡査
皆 よ わ い 者 ば か り、 大 人 で さ へ 手 が 出 し か ね た に 叶 は ぬ は 知 れ て 居 る、
なで砂を拂い、堪忍をし、堪忍をし、何と思つても先方は大勢、此方は
唯おどおどと氣を呑まれし、筆やの女房走り寄りて抱きおこし、背中を
さかれて背中も腰も砂まぶれ、止めるにも止めかねて勢ひの凄まじさに
はらはら、はては大聲にわつと泣き出す、身内や痛からん筒袖の處々引
ものか、幽異になつても取殺すぞ、覺えて居ろ長吉めと湯玉のやうな涙
め文次め丑松め、なぜ己れを殺さぬ、殺さぬか、己れも三五郎だ唯死ぬ
の露路にかゞむも有るベし、口惜しいくやしい口惜しい口惜しい、長吉
丑松文次その余の十餘人、方角をかへてばらばらと逃足はやく、拔け裏
折から靴音たれやらが交番への注進今ぞしる、それと長吉聲をかくれば
歸りには待伏せする、横町の闇に氣をつけろと三五郎を土間に投出せば、
笑を含んで頭を撫でらるるに彌々ちぢみて、喧嘩をしたと言ふと親父さ
に、いゑいゑ送つて下さらずとも歸ります、一人で歸りますと小さく成
ませぬと女房が喚きも聞かばこそ、人數は大凡十四五人、ねぢ鉢卷に大
んに叱かられます、頭の家は大家さんで御座りますからとて凋れるをす
げるな、團子屋の頓馬も唯は置ぬと潮のやうに沸かへる騷ぎ、筆屋が軒
萬燈ふりたてゝ、當るがまゝの亂暴狼藉、土足に踏み込む傍若無人、目
かして、さらば門口まで送って遣る、叱からるゝやうの事は爲ぬわとて
るに、こりや怕い事は無い、其方の家まで送る分の事、心配するなと微
ざす敵の正太が見えねば、何處へ隱くした、何處へ逃げた、さあ言はぬ
連れらるゝに四隣の人胸を撫でゝはるかに見送れば、何とかしけん横町
の掛提燈は苦もなくたゝき落されて、釣りらんぷ危なし店先の喧嘩なり
か、言はぬか、言はさずに置く物かと三五郎を取こめて撃つやら蹴るや
の角にて巡査の手をば振はなして一目散に逃げぬ。
下され行つて來ますと家を驅け出して、中田圃の稻荷に鰐口ならして手
昌するやうにと私が願をかけたのなれば、參らねば氣が濟まぬ、お賽錢
母さんが代理してやれば御免こふむれとありしに、いゑいゑ姉さんの繁
にしては熱も無ければ大方きのふの疲れと見える、太郎樣への朝參りは
はよくよくの不機嫌、朝飯がすゝまずば後刻に鮨でも誂へようか、風邪
めづらしい事、此炎天に雪が降りはせぬか、美登利が學校を嫌やがる
六
ら、美登利くやしく止める人を掻きのけて、これお前がたは三ちやんに
何の咎がある、正太さんと喧嘩がしたくば正太さんとしたが宜い、逃げ
もせねば隱くしもしない、正太さんは居ぬでは無いか、此處は私が遊び
處、お前がたに指でもさゝしはせぬ、ゑゝ憎くらしい長吉め、三ちやん
を何故ぶつ、あれ又引たほした、意趣があらば私をお撃ち、相手には私
がなる、伯母さん止めずに下されと身もだへして罵れば、何を女郎め頬
桁たたく、姉の跡つぎの乞食め、手前の相手にはこれが相應だと多人數
のうしろより長吉、泥草履つかんで投つければ、ねらひ違わず美登利が
額際にむさき物したゝか、血相かへて立あがるを、怪我でもしてはと抱
きとむる女房、ざまを見ろ、此方には龍華寺の藤本がついて居るぞ、仕 を合わせ、願ひは何ぞ行きも歸りも首うなだれて畔道づたひ歸り來る美
かへしには何時でも來い、薄馬鹿野郎め、弱虫め、腰ぬけの活地なしめ、 登利が姿、 それと見て遠くより聲をかけ、 正太はかけ寄りて袂を押へ、
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著作集
さんが聞きでもすると私が叱かられるから、親でさへ頭に手はあげぬも
ても私が長吉に草履を投げられたと言つてはいけないよ、もし萬一お母
につこり笑ひて何負傷をするほどでは無い、夫れだが正さん誰れが聞い
やうに平あやまりに謝罪て、痛みはせぬかと額際を見あげれば、美登利
て居るうちの騷ぎだらう、本當に知らなかつたのだからねと、我が罪の
掻込んで表へ出やうとするとお祖母さんが湯に行くといふ、留守居をし
さん堪忍してお呉れよ、己れは知りながら逃げて居たのでは無い、飯を
げたと言ふでは無いか、彼の野郎亂暴にもほどがある、だけれど美登利
口惜しがつた、己れは聞いてさへ口惜しい、お前の顏へ長吉め草履を投
たしはしなかつた物を、今朝三五郎の處へ見に行つたら、彼奴も泣いて
さんが呼びにさへ來なければ歸りはしない、そんなに無暗に三五郎を撃
は無い。夫れでも己れが憎くまれて、己れが喧嘩の相手だもの、お祖母
美登利さん昨夕は御免よと突然にあやまれば、何もお前に謝罪られる事
何 か に 隨 分 可 愛 想 な の が 有 る か ら、 嘸 お 祖 母 さ ん を 惡 る く い ふ だ ら う、
約して呉れるのだから氣の毒でならない、集金に行くうちでも通新町や
にして居るよ、他處の人は祖母さんを吝だと言ふけれど、己れの爲に儉
質屋を出さして、昔しの通りでなくとも田中屋の看板をかけると樂しみ
いて呉れぬと祖母さんが言つて居たつけ、己れが最う少し大人に成ると
幾人も男を使つたけれど、老人に子供だから馬鹿にして思ふやうには動
危ないし、目が惡るいから印形を押たり何かに不自由だからね、今まで
れも日がけの集めに廻るさ、祖母さんは年寄りだから其うちにも夜るは
ない、何故だか自分も知らぬが種々の事を考へるよ、あゝ一昨年から己
めに廻ると土手まで來て幾度も泣いた事がある、何さむい位で泣きはし
ひ出すよ、まだ今時分は宜いけれど、冬の月夜なにかに田町あたりを集
無いと美登利に言はれて、己れは氣が弱いのかしら、時々種々の事を思
しいねと無端に親の事を言ひ出せば、それ繪がぬれる、男が泣く物では
のを、長吉づれが草履の泥を額にぬられては踏まれたも同じだからとて、 夫れを考へると己れは涙がこぼれる、矢張り氣が弱いのだね、今朝も三
背ける顏のいとをしく、 本當に堪忍しておくれ、 みんな己れが惡るい、 公の家へ取りに行つたら、奴め身體が痛い癖に親父に知らすまいとして
は先へあがりて風入りのよき場處を見たてゝ、此處へ來ぬかと團扇の氣
腹冷えて留守は見渡しの總長屋、流石に錠前くだくもあらざりき、正太
たぶけん町内一の財産家といふに、家内は祖母と此子二人、萬の鍵に下
り忍艸、これは正太が午の日の買物と見えぬ、理由しらぬ人は小首やか
た折戸の庭口より入れば、廣からねども鉢ものをかしく並びて、軒につ
のがあるからと袖を捉へて離れぬに、美登利は無言にうなづいて、侘び
りで淋しくてならない、いつか話した錦繪を見せるからお寄りな、種々
ん、誰れも居はしない、祖母さんも日がけを集めに出たらうし、己ればか
のをと話しつれて、いつしか我家の裏近く來れば、寄らないか美登利さ
の奴が浦山しがるやうに、本當だぜ彼奴は岐度怒るよ、眞青に成つて怒
前は透綾のあら縞で意氣な形をして、水道尻の加藤でうつさう、龍華寺
へ美登利さん今度一處に寫眞を取らないか、我れは祭りの時の姿で、お
て行つて大威張りに威張るがな、一人も兄弟が無いから仕方が無い、ね
お前が姉であつたら己れは何樣に肩身が廣かろう、何處へゆくにも追從
んぞ、お前こそ美くしいや、廓内の大卷さんよりも奇麗だと皆がいふよ、
な風がして見たい、誰れのよりも宜く見えたと賞められて、何だ己れな
愛さ。お前の祭の姿は大層よく似合つて浦山しかつた、私も男だと彼ん
けて我が弱いを恥かしさうな顏色、何心なく美登利と見合す目つきの可
可笑しいでは無いか、だから横町の野蕃漢に馬鹿にされるのだと言ひか
働いて居た、夫れを見たら己れは口が利けなかつた、男が泣くてへのは
あつかひ、十三の子供にはませ過ぎてをかし。古くより持つたへし錦繪
るよ、にゑ肝だからね、赤くはならない、夫れとも笑ふかしら、笑はれ
だから謝る、機嫌を直して呉れないか、お前に怒られると己れが困るも
かずかず取出し、褒めらるゝを嬉しく美登利さん昔しの羽子板を見せよ
んが生きて居ると宜いが、己れが三つの歳死んで、お父さんは在るけれ
をかしいでは無いか此大きい事、人の顏も今のとは違ふね、あゝ此母さ
冷はいつしか過ぎて日かげの暑くなるに、正太さん又晩によ、私の寮へ
はれるからとて美登利ふき出して、高笑ひの美音に御機嫌や直りし。朝
やのやうな顏だものと恨めるもをかしく、變な顏にうつるとお前に嫌ら
う、 これは己れの母さんがお邸に奉公して居る頃いたゞいたのだとさ、 ても構はない、大きく取つて看板に出たら宜いな、お前は嫌やかへ、嫌
ど田舍の實家へ歸つて仕舞つたから今は祖母さんばかりさ、お前は浦山
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ば怕い事は無いと言ひ捨てに立出る美登利の姿、正太うれしげに見送つ
も遊びにお出でな、燈篭ながして、お魚追ひましよ、池の橋が直つたれ
傍へゆけば逃げる、はなしを爲れば怒る、陰氣らしい氣のつまる、どう
き に 我 れ に ば か り 愁 ら き 處 爲 を み せ、 物 を 問 へ ば 碌 な 返 事 し た 事 な く、
かさなりての末には自ら故意の意地惡のやうに思はれて、人には左もな
とても敵ひがたき弱味をば付目にして、まつりの夜の處爲はいかなる卑
は變りは無き筈を、をかしき分け隔てに常日頃意地を持ち、我れは女の、
て口惜しければぞかし、表町とて横町とて同じ教場におし並べば朋輩に
へしは、問ふまでも無く額の泥の洗ふても消えがたき恥辱を、身にしみ
祭りは昨日に過ぎて其あくる日より美登利の學校へ通ふ事ふつと跡た
おもひおもひの道をあるきぬ。
二人の中に大川一つ横たはりて、舟も筏も此處には御法度、岸に添ふて
ふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶など思ひもかけず、唯いつとなく
も入らぬ事と美登利少し疳にさはりて、用の無ければ摺れ違ふても物い
ゝに捻れて怒つて意地わるが爲たいならんに、友達と思はずは口を利く
して好いやら機嫌の取りやうも無い、彼のやうな六づかしやは思ひのま
て美くしと思ひぬ。
七
龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら學校は育英舍なり、去り
し四月の末つかた、櫻は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の
大運動會とて水の谷の原にせし事ありしが、つな引、鞠なげ、繩とびの
遊びに興をそへて長き日の暮るるを忘れし、其折の事とや、信如いかに
したるか平常の沈着に似ず、池のほとりの松が根につまづきて赤土道に
手をつきたれば、羽織の袂も泥に成りて見にくかりしを、居あはせたる
美登利みかねて我が紅の絹はんけちを取出し、これにてお拭きなされと
介抱をなしけるに、友達の中なる嫉妬や見つけて、藤本は坊主のくせに
女と話をして、嬉しさうに禮を言つたは可笑しいでは無いか、大方美登
の中にて羽根つくとて騷ぎし時、同じく並びし花瓶を仆し、散々に破損
がりて床の間にお据へなされし瀬戸物の大黒樣をば、我れいつぞや坐敷
お店の旦那とても父さん母さん我が身をも粗畧には遊ばさず、常々大切
嘘ならば聞いて見よ、大黒やに大卷の居ずばあの樓は闇とかや、されば
受けはせざりしが、彼の方とても世には名高きお人と遣手衆の言はれし、
根曳して奧さまにと仰せられしを、心意氣氣に入らねば姉さま嫌ひてお
が姉さま三年の馴染に銀行の川樣、兜町の米樣もあり、議員の短小さま
わりして貰ふ恩は無し、龍華寺は何ほど立派な檀家ありと知らねど、我
大黒屋の美登利紙一枚のお世話にも預からぬ物を、あのやうに乞食呼ば
ぬ、よし級は上にせよ、學は出來るにせよ、龍華寺さまの若旦那にせよ
く温順につくりて、陰に廻りて機關の糸を引きしは藤本の仕業に極まり
利さんは藤本の女房になるのであらう、お寺の女房なら大黒樣と言ふの 怯ぞや、長吉のわからずやは誰れも知る亂暴の上なしなれど、信如の尻
だなどと取沙汰しける、 信如元來かゝる事を人の上に聞くも嫌ひにて、 おし無くば彼れほどに思ひ切りて表町をば暴し得じ、人前をば物識らし
苦き顏をして横を向く質なれば、我が事として我慢のなるべきや、夫れ
よりは美登利といふ名を聞くごとに恐ろしく、又あの事を言ひ出すかと
胸の中もやくやして、何とも言はれぬ厭やな氣持なり、さりながら事ご
とに怒りつける譯にもゆかねば、成るだけは知らぬ躰をして、平氣をつ
くりて、むづかしき顏をして遣り過ぎる心なれど、さし向ひて物などを
問はれたる時の當惑さ、大方は知りませぬの一ト言にて濟ませど、苦し
き汗の身うちに流れて心ぼそき思ひなり、美登利はさる事も心にとまら
ねば、最初は藤本さん藤本さんと親しく物いひかけ、學校退けての歸り
がけに、我れは一足はやくて道端に珍らしき花などを見つくれば、おく
れし信如を待合して、これ此樣うつくしい花が咲てあるに、枝が高くて
私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が屆きましよ、後生折つて下
し、我れ寮住居に人の留守居はしたりとも姉は大黒屋の大卷、長吉風情
るまじと、女子衆達にあとあとまで羨まれしも必竟は姉さまの威光ぞか
されと一むれの中にては年長なるを見かけて頼めば、さすがに信如袖ふ をさせしに、旦那次の間に御酒めし上りながら、美登利お轉婆が過ぎる
り切りて行すぎる事もならず、さりとて人の思はくいよいよ愁らければ、 のと言はれしばかり小言は無かりき、他の人ならば一通りの怒りでは有
手近の枝を引寄せて好惡かまはず申譯ばかりに折りて、投つけるやうに
すたすたと行過ぎるを、さりとは愛敬の無き人と惘れし事も有しが、度
37
著作集
と、これより學校へ通ふ事おもしろからず、我まゝの本性あなどられし
に負けを取るべき身にもあらず、龍華寺の坊さまにいぢめられんは心外
力と言はぬばかり、春秋しらぬ五丁町の賑ひ、送りの提燈いま流行らね
廻りと改名して、大門際に喧嘩かひと出るもありけり、見よや女子の勢
女太夫の笠にかくれぬ床しの頬を見せながら、喉自慢、腕自慢、あれ彼
に海草のいかゞはしき乞食さへ門には立たず行過ぎるぞかし、容貌よき
と知られて、來るも來るも此處らの町に細かしき貰ひを心に止めず、裾
なぐさみ、女郎の憂さ晴らし、彼處に入る身の生涯やめられぬ得分あり
させて、あれは紀の國おどらするも見ゆ、お顧客は廊内に居つゞけ客の
痩せ老爺の破れ三味線かゝへて行くもあり、六つ五つなる女の子に赤襷
女もあり男もあり、五人七人十人一組の大たむろもあれば、一人淋しき
縮緬透綾の伊達もあれば、薩摩がすりの洗ひ着に黒繻子の幅狹帶、よき
人形つかひ大神樂、住吉をどりに角兵衞獅子、おもひおもひの扮粧して、
塒 に し て、 一 能 一 術こ れ も 藝 人 の 名 は の が れ ぬ、 よ か よ か 飴 や 輕 業 師、
表町の通りを見渡せば、來るは來るは、萬年町山伏町、新谷町あたりを
一順すみて朝寐の町も門の箒目青海波をゑがき、打水よきほどに濟みし
雲のやうな形をこしらへぬ、氣違い街道、寐ぼれ道、朝がへりの殿がた
心に目の前の花のみはしるく、持まへの負けじ氣性は勝手に馳せ廻りて
事に、かなはぬは見すぼらしく、人事我事分別をいふはまだ早し、幼な
好いた好かぬの客の風説、仕着せ積み夜具茶屋への行わたり、派手は美
政學のいくたても學びしは學校にてばかり、誠あけくれは耳に入りしは
いて頬ずりする心は御華族のお姫樣とて變りなけれど、修身の講義、家
りとは恥かしからず思へるも哀なり、年はやうやう數への十四、人形抱
加減の祕密まで、唯おもしろく聞なされて、廓ことばを町にいふまで去
らいの數も知らねば、まち人戀ふる鼠なき格子の咒文、別れの背中に手
頃の全盛に父母への孝養うらやましく、お職を徹す姉が身の、憂いの愁
故郷を出立の當時ないて姉をば送りしこと夢のやうに思はれて、今日此
ず恐ろしからず、女郎といふ者さのみ賎しき勤めとも思はねば、過ぎし
の紅に染む事無理ならず、美登利の眼の中に男といふ者さつても怕から
立はなれては知るによしなし、かゝる中にて朝夕を過ごせば、衣の白地
ふ口元目もと、何處が美いとも申がたけれど華魁衆とて此處にての敬ひ、
込む人の何を目當と言問はゞ、赤ゑり赭熊の裲襠の裾ながく、につと笑
が口惜しさに、 石筆を折り墨をすて、 書物も十露盤も入らぬ物にして、 ど、茶屋が廻女の雪駄のおとに響き通へる歌舞音曲、うかれうかれて入
中よき友と埓も無く遊びぬ。
八
走れ飛ばせの夕べに引かへて、明けの別れに夢をのせ行く車の淋しさ
よ、帽子まぶかに人目を厭ふ方樣もあり、手拭とつて頬かふり、彼女が
別れに名殘の一撃、いたさ身にしみて思ひ出すほど嬉しく、うす氣味わ
るやにたにたの笑ひ顏、坂本へ出ては用心し給へ千住がへりの青物車に
お足元あぶなし、三嶋樣の角までは氣違ひ街道、御顏のしまり何れも緩
るみて、はゞかりながら御鼻の下ながながと見えさせ給へば、そんじよ
其處らに夫れ大した御男子樣とて、分厘の價値も無しと、辻に立ちて御
慮外を申もありけり。楊家の娘君寵をうけてと長恨歌を引出すまでもな
く、娘の子は何處にも貴重がらるゝ頃なれど、此あたりの裏屋より赫奕
姫の生るゝ事その例多し、築地の某屋に今は根を移して御前さま方の御
相手、踊りに妙を得し雪といふ美形、唯今のお座敷にてお米のなります
木はと至極あどけなき事は申とも、もとは此町の卷帶黨にて花がるたの
内職せしものなり、評判は其頃に高く去るもの日々に疎ければ、名物一
つかげを消して二度目の花は紺屋の乙娘、今千束町に新つた屋の御神燈
ほのめかして、小吉と呼ばるゝ公園の尤物も根生ひは同じ此處の土成り
し、あけくれの噂にも御出世といふは女に限りて、男は塵塚さがす黒斑
の尾の、ありて用なき物とも見ゆべし、此界隈に若い衆と呼ばるゝ町並
の息子、生意氣ざかりの十七八より五人組、七人組、腰に尺八の伊達は
なけれど、何とやら嚴めしき名の親分が手下につきて、揃ひの手ぬぐひ
長提燈、賽ころ振る事おぼえぬうちは素見の格子先に思ひ切つての串戲
も言ひがたしとや、眞面目につとむる我が家業は晝のうちばかり、一風
呂浴びて日の暮れゆけば突かけ下駄に七五三の着物、何屋の店の新妓を
見たか、金杉の糸屋が娘に似て最う一倍鼻がひくいと、頭腦の中を此樣
な事にこしらへて、一軒ごとの格子に烟草の無理どり鼻紙の無心、打ち
つ打たれつこの中を是れを一世の譽と心得れば、堅氣の家の相續息子地
38
めて、三味の音、笛の音、太皷の音、うたはせて舞はせて人の爲ぬ事して
夫よりは美登利の顏を眺めぬ、伊達には通るほどの藝人を此處にせき止
たやすくは買ひがたし、あれが子供の処業かと寄集りし人舌を卷いて太
つて告げざりしが好みの明烏さらりと唄はせて、又御贔負をの嬌音これ
うとて、はたはた驅けよつて袂にすがり、投げ入れし一品を誰れにも笑
黄楊の 櫛にちやつと掻きあげて、伯母さんあの太夫さん呼んで來ませ
に腰をかけて往來を眺めし湯がへりの美登利、はらりと下る前髮の毛を
の聲を此町には聞かせぬが憎くしと筆やの女房舌うちして言へば、店先
ちに此娘を据へて愛敬を賣らすれば、科りの目は兎に角勘定しらずの若
憚かられて、田町の通りに葉茶屋の店を奇麗にしつらへ、帳場格子のう
りとてお寺の娘に左り褄、お釋迦が三味ひく世は知らず人の聞え少しは
ひ人の評判もよく、素人にして捨てゝ置くは惜しい物の中に加へぬ、さ
腮かわゆらしく出來たる子なれば、美人といふにはあらねども年頃とい
一日部屋の中にまぢまぢと陰氣らしき生れなれど姉のお花は皮薄の二重
眞如も此人の腹より生れて男女二人の同胞、一人は如法の變屈ものにて
が隱居さま仲人といふも異な物なれど進めたてゝ表向きのものにしける、
なく、筋向ふの筆やに子供づれの聲を聞けば我が事を誹らるゝかと情な
信如の役なるに、其嫌やなること骨にしみて、路を歩くにも上を見し事
物の蒲燒を表町のむさし屋へあらい處をとの誂へ、承りてゆく使い番は
ぎに團扇づかひしながら大盃に泡盛をなみなみと注がせて、さかなは好
斯くては身躰のつゞき難しと夕暮れの縁先に花むしろを敷かせ、片肌ぬ
用のあれこれ、月の幾日は説教日の定めもあり帳面くるやら經よむやら
えたる事なし、いそがしきは大和尚、貸金の取たて、店への見廻り、法
見たいと折ふし正太に いて聞かせれば、驚いて呆れて己らは嫌やだな。 い者など、何がなしに寄つて大方毎夜十二時を聞くまで店に客のかげ絶
九
如是我聞、佛説阿彌陀經、聲は松風に和して心のちりも吹拂はるべき
御寺樣の庫裏より生魚あぶる烟なびきて、卵塔場に嬰兒の襁褓ほしたる
など、お宗旨によりて構ひなき事なれども、法師を木のはしと心得たる
目よりは、そゞろに腥く覺ゆるぞかし、龍華寺の大和尚身代と共に肥へ
太りたる腹なり如何にも美事に、色つやの好きこと如何なる賞め言葉を
て買手も眼の眩みし折なれば、現在後世ねがひに一昨日來たりし門前も
はず聲だかに負ましよ負ましよと跡を追ふやうに成りぬ、人波にもまれ
ては自身をり立て呼たつるに、欲なれやいつしか恥かしさも失せて、思
は目にも立つまじと思案して、晝間は花屋の女房に手傳はせ、夜に入り
儲けと聞くに、此雜踏の中といひ誰れも思ひ寄らぬ事なれば日暮れより
向、はじめは恥かしき事に思ひけれど、軒ならび素人の手業にて莫大の
簪の店を開き、御新造に手拭ひかぶらせて縁喜の宜いのをと呼ばせる趣
内職もして見やうといふ氣風なれば、霜月の酉には論なく門前の明地に
人の風説に耳をかたぶけるやうな小膽にては無く、手の暇あらば熊手の
父親和尚は何處までもさばけたる人にて、少しは欲深の名にたてども
參らせたらばよかるべき、櫻色にもあらず、緋桃の花でもなし、剃りた く、そしらぬ顏に鰻屋の門を過ぎては四邊に人目の隙をうかゞひ、立戻
てたる頭より顏より首筋にいたるまで銅色の照りに一點のにごりも無く、 つて駈け入る時の心地、我が身限つて腥き物は食べまじと思ひぬ。
白髮もまじる太き眉をあげて心まかせの大笑ひなさるゝ時は、本堂の如
來さま驚きて臺座より轉び落給はんかと危ぶまるゝやうなり、御新造は
いまだ四十の上を幾らも越さで、色白に髮の毛薄く、丸髷も小さく結ひ
て見ぐるしからぬまでの人がら、參詣人へも愛想よく門前の花屋が口惡
る嬶も兎角の蔭口を言はぬを見れば、着ふるしの裕衣、總菜のお殘りな
どおのづからの御恩も蒙るなるべし、もとは檀家の一人成しが早くに良
人を失なひて寄る邊なき身の暫時こゝにお針やとひ同樣、口さへ濡らさ
せて下さらばとて洗ひ濯ぎよりはじめてお菜ごしらへは素よりの事、墓
場の掃除に男衆の手を助くるまで働けば、和尚さま經濟より割出しての
御ふ憫かゝり、年は二十から違うて見ともなき事は女も心得ながら、行
き處なき身なれば結句よき死場處と人目を恥ぢぬやうに成りけり、にが 忘れて、簪三本七十五錢と懸直すれば、五本ついたを三錢ならばと直切
にがしき事なれども女の心だて惡るからねば檀家の者も左のみは咎めず、 つて行く、世はぬば玉の闇の儲はこのほかにも有るべし、信如は斯かる
事どもいかにも心ぐるしく、よし檀家の耳には入らずとも近邊の人々が
總領の花といふを懷胎し頃、檀家の中にも世話好きの名ある坂本の油屋
39
著作集
ばさるゝ顏つきは我親ながら淺ましくして、何故その頭は丸め給ひしぞ
相手にしては呉れず、朝念佛に夕勘定、そろばん手にしてにこにこと遊
笑ひすてゝ、默つて居ろ、默つて居ろ、貴樣などが知らぬ事だわとて丸々
止しにしたが宜う御座りませうと止めし事も有りしが、大和尚大笑ひに
の狂氣面して賣つて居たなどゝ言はれもするやと恥かしく、其樣な事は
思わく、子供中間の噂にも龍華寺では簪の店を出して、信さんが母さん
太に末社がついたら其時のこと、決して此方から手出しをしてはならな
めは此方の恥になるから三五郎や美登利を相手にしても仕方が無い、正
私は嫌やだとも言ひがたく、仕方が無い遣る處までやるさ、弱い者いぢ
樣どち斗は組まないからとて面目なさゝうに謝罪られて見れば夫れでも
困るだらうじや無いか、嫌やだとつても此組の大將で居てくんねへ、左
後だてが有るので己らあ大舟に乘つたやうだに、見すてられちまつては
聞かなかつたは惡るからうけれど、今怒られては法なしだ、お前といふ
いと留めて、さのみは長吉をも叱り飛ばさねど再び喧嘩のなきやうにと
と恨めしくもなりぬ。
元來一腹一對の中に育ちて他人交ぜずの穩かなる家の内なれば、さし
せども自ら沈み居る心の底の弱き事、我が蔭口を露ばかりもいふ者あり
ぞと諦めればうら悲しき樣に情なく、友朋輩は變屈者の意地わると目ざ
作も姉の教育も、悉皆あやまりのやうに思はるれど言ふて聞かれぬもの
が言ふ事の用ひられねば兎角に物のおもしろからず、父が仕業も母の所
た事なく廓内の旦那は言はずともの事、大屋樣地主樣いづれの御無理も
屋に咎められしほど成しが、父親はお辭義の鐵とて目上の人に頭をあげ
にさへ、三公は何うかしたか、ひどく弱つて居るやうだなと見知りの臺
日は立居も苦しく、夕ぐれ毎に父親が空車を五十軒の茶屋が軒まで運ぶ
罪のない子は横町の三五郎なり、思ふさまに擲かれて蹴られて其二三
祈られぬ。
と聞けば、立出でゝ喧嘩口論の勇氣もなく、部屋にとぢ篭つて人に面の
御 尤 と受ける質なれば、 長吉と喧嘩してこれこれの亂暴に逢ひました
て此兒を陰氣ものに仕立あげる種は無けれども、性來をとなしき上に我
合はされぬ臆病至極の身なりけるを、學校にての出來ぶりといひ身分が
と訴へればとて、それは何うも仕方が無い大屋さんの息子さんでは無い
れの音を傳へるやうに成れば、四季絶間なき日暮里の火の光りも彼れが
石橋の田村やが粉挽く臼の音さびしく、角海老が時計の響きもそゞろ哀
ぬ、 朝 夕 の 秋 風 身 に し み 渡 り て 上 清 が 店 の 蚊 遣 香 懷 爐 灰 に 座 を ゆ づ り、
りさへいつしか過ぎて、赤蜻蛉田圃に乱るれば横堀に鶉なく頃も近づき
賀には十分間に車の飛ぶ事此通りのみにて七十五輛と數へしも、二の替
春は櫻の賑ひよりかけて、なき玉菊が燈篭の頃、つゞいて秋の新仁和
根を何處へ置いて來たとからかはれながらも遊びの中間は外れざりき。
のこと出かけるに、何時も美登利と正太が嬲りものに成つて、お前は性
ざかりの十六にも成りながら其大躰を恥かしげにもなく、表町へものこ
り、ねんねんよ、おころりよ、と背負ひあるくさま、年はと問へば生意氣
も何時しか忘れて、頭の家の赤ん坊が守りをして二錢が駄賃をうれしが
つぶして七日十日と程をふれば、痛みの場處の愈ると共に其うらめしさ
吉がもとへあやまりに遣られる事必定なれば、三五郎は口惜しさを噛み
は無い、謝罪て來い謝罪て來い途方も無い奴だと我子を叱りつけて、長
か、此方に理が有らうが先方が惡るからうが喧嘩の相手に成るといふ事
らの卑しからぬにつけて然る弱虫とは知る者なく、龍華寺の藤本は生煮
えの餅のやうに眞があつて氣になる奴と憎がるものも有けらし。
十
祭の夜は田町の姉のもとへ使を命令られて、更るまで我家へ歸らざり
ければ、筆やの騷ぎは夢にも知らず、明日になりて丑松文次その外の口
よりこれこれであつたと傳へらるゝに、今更ながら長吉の亂暴に驚けど
も濟みたる事なれば咎めだてするも詮なく、我が名を借りられしばかり
つくづく迷惑に思はれて、我が爲したる事ならねど人々への氣の毒を身
一つに背負たる樣の思ひありき、長吉も少しは我が遣りそこねを恥かし
う 思 ふ か し て、 信 如 に 逢 はゞ小 言 や 聞 か ん と 其 の 三 四 日 は 姿 も 見 せ ず、
やや餘炎のさめたる頃に信さんお前は腹を立つか知らないけれど時の拍
子だから堪忍して置いて呉んな、誰れもお前正太が明巣とは知るまいで
は無いか、何も女郎の一疋位相手にして三五郎を擲りたい事も無かつた
けれど、萬燈を振込んで見りやあ唯も歸れない、ほんの附景氣に詰らな
い事をしてのけた、夫りやあ己れが何處までも惡るいさ、お前の命令を
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寐の床にと何ならぬ一ふし哀れも深く、此時節より通ひ初るは浮かれ浮
うな三味の音を仰いで聞けば、仲之町藝者が冴えたる腕に、君が情の假
人を燒く烟りかとうら悲しく、茶屋が裏ゆく土手下の細道に落かゝるや
軒の雨だれ前髮に落ちて、おゝ氣味が惡るいと首を縮めながら、四五軒
した、どれ下駄をお貸し、一寸見てやる、とて正太に代つて顏を出せば
やな奴め、這入つて來たら散々と窘めてやる物を、歸つたは惜しい事を
何うもしない、と氣の無い返事をして、上へあがつて細螺を數へなが
先の瓦斯燈の下を大黒傘肩にして少しうつむいて居るらしくとぼとぼと
水の谷の池に入水したるを新らしい事とて傳へる位なもの、八百屋の吉
ら、本當に嫌やな小僧とつては無い、表向きに威張つた喧嘩は出來もし
かるゝ遊客ならで、身にしみじみと實のあるお方のよし、遊女上がりの
五郎に大工の太吉がさつぱりと影を見せぬが何とかせしと問ふに此一件
ないで、温順しさうな顏ばかりして、根生がくすくすして居るのだもの
歩む信如の後かげ、何時までも、何時までも、何時までも見送るに、美
であげられましたと、顏の眞中へ指をさして、何の子細なく取立てゝ噂
憎くらしからうでは無いか、家の母さんが言ふて居たつけ、瓦落瓦落し
去る女が申き、此ほどの事かゝんもくだくだしや大音寺前にて珍らしき
をする者もなし、大路を見渡せば罪なき子供の三五人手を引つれて開い
て居る者は心が好いのだと、夫れだからくすくすして居る信さん何かは
登利さん何うしたの、と正太は怪しがりて背中をつゝきぬ。
らいた開らいた何の花ひらいたと、無心の遊びも自然と靜かにて、廓に
心が惡るいに相違ない、ねへ正太さん左樣であらう、と口を極めて信如
事は盲目按摩の二十ばかりなる娘、かなはぬ戀に不自由なる身を恨みて
通ふ車の音のみ何時に變らず勇ましく聞えぬ。
た ら 彼 れ は は や と、 生意 氣 に 大 人 の 口 を 眞 似 れ ば、 お 廢 し よ 正 太 さ ん、
秋雨しとしとと降るかと思へばさつと音して運びくる樣なる淋しき夜、 の事を惡く言へば、夫れでも龍華寺はまだ物が解つて居るよ、長吉と來
通りすがりの客をば待たぬ店なれば、筆やの妻は宵のほどより表の戸を
ても最少し經てば大人になるのだ、蒲田屋の旦那のやうに角袖外套か何
子供の癖にませた樣でをかしい、お前は餘つぽど剽輕ものだね、とて美
立てゝ、あれ誰れか買物に來たのでは無いか溝板を踏む足音がするとい
か着てね、祖母さんが仕舞つて置く金時計を貰つて、そして指輪もこし
たてゝ、中に集まりしは例の美登利に正太郎、その外には小さき子供の
へば、おや左樣か、己いらは少つとも聞かなかつたと正太もちうちうた
らへて、卷烟草を吸つて、履く物は何が宜からうな、己らは下駄より雪
登利は正太の頬をつゝいて、其眞面目がほはと笑ひこけるに、己らだつ
こかいの手を止めて、誰れか中間が來たのでは無いかと嬉しがるに、門
駄が好きだから、三枚裏にして繻珍の鼻緒といふのを履くよ、似合ふだ
二三人寄りて細螺はじきの幼なげな事して遊ぶほどに、美登利ふと耳を
なる人は此店の前まで來たりける足音の聞こえしばかり夫れよりはふつ
らうかと言へば、美登利はくすくす笑ひながら、背の低い人が角袖外套
やうな痘痕づらや、薪やのお出額のやうなが萬一來ようなら、直さま追
に成るのだがなあ、己らは何でも奇麗のが好きだから、煎餅やのお福の
己らの言ふが何故をかしからう、奇麗な嫁さんを貰つて連れて歩くやう
利 さ ん は 冗 談 に し て 居 る の だ ね、 誰 れ だ つ て 大 人 に 成 ら ぬ 者 は 無 い に、
正太は一人眞面目に成りて、例の目の玉ぐるぐるとさせながら、美登
て座にある者みな笑ひころげぬ。
はしない、天井の鼠があれ御覽、と指をさすに、筆やの女房を始めとし
こんな小つぽけでは居ないと威張るに、夫れではまだ何時の事だか知れ
と誹すに、馬鹿を言つて居らあ、それまでには己らだつて大きく成るさ、
に雪駄ばき、まあ何んなに可笑しからう、目藥の瓶が歩くやうであらう
と絶えて、音も沙汰もなし。
十一
正太は潜りを明けて、ばあと言ひながら顏を出すに、人は二三軒先の
軒下をたどりて、ぽつぽつと行く後影、誰れだ誰れだ、おいお這入よと
聲をかけて、美登利が足駄を突かけばきに、降る雨を厭はず驅け出さん
とせしが、あゝ彼奴だと一ト言、振かへつて、美登利さん呼んだつても
來はしないよ、一件だもの、と自分の頭を丸めて見せぬ。
信さんかへ、と受けて、嫌やな坊主つたら無い、屹度筆か何か買ひに
來たのだけれど、私たちが居るものだから立聞きをして歸つたのであら
う、意地惡るの、根生まがりの、ひねつこびれの、吃りの、齒かけの、嫌
41
著作集
出して家へは入れて遣らないや、己らは痘痕と濕つかきは大嫌ひと力を
端、さのみに思はざりし前鼻緒のずるずると拔けて、傘よりもこれこそ
信如こまりて舌打はすれども、今更何と法のなければ、大黒屋の門に
一の大事に成りぬ。
るの、伯母さんの痘痕は見えぬかえと笑ふに、夫れでもお前は年寄だも
傘を寄せかけ、降る雨を庇に厭ふて鼻緒をつくろふに、常々仕馴れぬお
入れるに、主人の女は吹出して、それでも正さん宜く私が店へ來て下さ
の、己らの言ふのは嫁さんの事さ、年寄りは何でも宜いとあるに、夫れ
坊さまの、これは如何な事、心ばかりは急れども、何としても甘くはす
げる事の成らぬ口惜しさ、ぢれて、ぢれて、袂の中から記事文の下書き
は大失敗だねと筆やの女房おもしろづくに御機嫌を取りぬ。
町内で顏の好いのは花屋のお六さんに、水菓子やの喜いさん、夫れよ
正太さんはまあ誰れにしようと極めてあるえ、お六さんの眼つきか、喜
いましい奴めと腹立たしげにいひて、取止めんと手を延ばすに、膝へ乘
るの嵐またもや落し來て、立かけし傘のころころと轉がり出るを、いま
りも、夫れよりもずんと好いのはお前の隣に据つてお出なさるのなれど、 して置いた大半紙を抓み出し、ずんずんと裂きて紙縷をよるに、意地わ
いさんの清元か、まあ何れをえ、と問はれて、正太顏を赤くして、何だ
お六づらや、喜い公、何處が好い者かと釣りらんぷの下を少し居退きて、 せて置きし小包み意久地もなく落ちて、風呂敷は泥に、我着る物の袂ま
其樣な事、とくるり後を向いて壁の腰ばりを指でたゝきながら、廻れ廻
さう極めて御座んすの、と圖星をさゝれて、そんな事を知る物か、何だ
緒 を 切 つ た 人 が あ る、 母 さ ん 切 れ を 遣 つ て も 宜 う 御 座 ん す か と 尋 ね て、
りは無し、美登利は障子の中から硝子ごしに遠く眺めて、あれ誰れか鼻
見るに氣の毒なるは雨の中の傘なし、途中に鼻緒を踏み切りたるばか
壁 際 の 方 へ と 尻 込 み を す れ ば、 そ れ で は 美 登 利 さ ん が 好 い の で あ ら う、 でを汚しぬ。
れ水車を小音に唱ひ出す、美登利は衆人の細螺を集めて、さあ最う一度
針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍
冷汗、跣足に成りて逃げ出したき思ひなり。
恐る門の傍へ寄れば、信如もふつと振返りて、此れも無言に脇を流るゝ
しやうに、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後の見られて、恐る
それと見るより美登利の顏は赤う成りて、何のやうの大事にでも逢ひ
急ぎ足に來たりぬ。
かしきやうに、馳せ出でゝ椽先の洋傘さすより早く、庭石の上を傳ふて
はじめからと、これは顏をも赤らめざりき。
十二
信如が何時も田町へ通ふ時、通らでも事は濟めども言はゞ近道の土手々
前に、假初の格子門、のぞけば鞍馬の石燈篭に萩の袖垣しをらしう見え
て、椽先に卷きたる簾のさまもなつかしう、中がらすの障子のうちには
今樣の按察の後室が珠數をつまぐつて、冠つ切りの若紫も立出るやと思
な さ れ、 お 相 手 に は何 時 で も 成 つ て 見 せ ま す る、 さ あ 何 と で 御 座 ん す、
り置いて貰ひましよ、言ふ事があらば陰のくすくすならで此處でお言ひ
る、 お前の やうな 腥 のお 世話に は能う ならぬ ほど に、 餘計 な女郎 呼は
成らぬ、私には父さんもあり母さんもあり、大黒屋の旦那も姉さんもあ
のもお前の指圖、女郎でも宜いでは無いか、塵一本お前さんが世話には
なさんすか、何とで御座んす、私の事を女郎女郎と長吉づらに言はせる
やんを擲かせて、お前は高見で采配を振つてお出なされたの、さあ謝罪
平常の美登利ならば信如が難義の體を指さして、あれあれ彼の意久地
はるゝ、その一ト構へが大黒屋の寮なり。
昨日も今日も時雨の空に、 田町の姉より頼みの長胴着が出來たれば、 なしと笑ふて笑ふて笑ひ拔いて言ひたいまゝの惡まれ口、よくもお祭り
の夜は正太さんに仇するとて私たちが遊びの邪魔をさせ、罪も無い三ち
暫時も早う重ねさせたき親心、御苦勞でも學校まへの一寸の間に持つて
行つて呉れまいか、定めて花も持つて居ようほどに、と母親よりの言ひ
つけを、何も嫌やとは言ひ切られぬ温順しさに、唯はいはいと小包みを
抱へて、鼠小倉の緒のすがりし朴木齒の下駄ひたひたと、信如は雨傘さ
しかざして出ぬ。
お齒ぐろ溝の角より曲りて、いつも行くなる細道をたどれば、運わる
う大黒やの前まで來し時、さつと吹く風大黒傘の上を抓みて、宙へ引あ
げるかと疑ふばかり烈しく吹けば、これは成らぬと力足を踏こたゆる途
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はず格子のかげに小隱れて、さりとて立去るでも無しに唯うぢうぢと胸
と袂を捉らへて捲しかくる勢ひ、さこそは當り難うもあるべきを、物い
つ け に く る く る と 見 と む な き 間 に 合 せ を し て、 こ れ な ら ば と 踏 試 る に、
き思ひあり。我が不器用をあきらめて、羽織の紐の長きをはづし、結ひ
ゞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂
僕は鼻緒を切つて仕舞つて何う爲ようかと思つて居る、本當に弱つて
はしるき漆の色、きわぎわしう見えて誇らし氣なり。
かゝつた新らしい半天、印の傘をさしかざし高足駄の爪皮も今朝よりと
を重ねし唐棧の着物に柿色の三尺を例の通り腰の先にして、黒八の襟の
驚いて見かへるに暴れ者の長吉、いま廓内よりの歸りと覺しく、裕衣
とも無いなと不意に聲を懸くる者のあり。
りして見返れば、信さん何うした鼻緒を切つたのか、其姿は何だ、見ッ
はなるるにも、友仙の紅葉目に殘りて、捨てゝ過ぐるにしのび難く心殘
は思へども詮方なくて立上がる信如、小包みを横に二タ足ばかり此門を
歩きにくき事言ふばかりなく、此下駄で田町まで行く事かと今さら難義
とゞろかすは平常の美登利のさまにては無かりき。
十三
此處は大黒屋のと思ふ時より信如は物の恐ろしく、左右を見ずして直
あゆみに爲しなれども、生憎の雨、あやにくの風、鼻緒をさへに踏切り
て、詮なき門下に紙縷を縷る心地、憂き事さまざまに何うも堪へられぬ
思ひの有しに、飛石の足音は背より冷水をかけらるるが如く、顧みねど
も其人と思ふに、わなわなと慄へて顏の色も變るべく、後向きに成りて
猶も鼻緒に心を盡すと見せながら、半は夢中に此下駄いつまでも懸りて
も履ける樣には成らんともせざりき。
庭なる美登利はさしのぞいて、ゑゝ不器用な彼んな手つきして何うな
だと信如困り切るに、好いよ、己れは馴れた事だ信さんなんぞは足の裏
より是れが爽快だと下駄を脱ぐに、お前跣足に成るのか夫れでは氣の毒
すると言ひながら急遽しう七分三分に尻端折て、其樣な結ひつけなんぞ
る物ぞ、紙縷は婆々縷、藁しべなんぞ前壷に抱かせたとて長持ちのする 居るのだ、と信如の意久地なき事を言へば、左樣だらうお前に鼻緒の立ッ
事では無い、 夫れ夫れ羽織の裾が地について泥に成るは御存じ無いか、 こは無い、好いや己れの下駄を履て行ねへ、此鼻緒は大丈夫だよといふ
に、夫れでもお前が困るだらう。何己れは馴れた物だ、斯うやつて斯う
あれ傘が轉がる、あれを疊んで立てかけて置けば好いにと一々鈍かしう
齒がゆくは思へども、此處に裂れが御座んす、此裂でおすげなされと呼
かくる事もせず、これも立盡して降雨袖に侘しきを、厭ひもあへず小隱
れて覗ひしが、さりとも知らぬ母の親はるかに聲を懸けて、火のしの火
此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社
十四
空しく格子門の外にと止めぬ。
吉は我家の方へと行別れるに思ひの止まる紅入りの友仙は可憐しき姿を
行てお出、後刻に學校で逢はうぜの約束、信如は田町の姉のもとへ、長
をお出しと世話をやき、鼻緒の切れしを片手に提げて、それなら信さん
行かう、臺處へ抛り込んで置たら子細はあるまい、さあ履き替へて夫れ
が熾りましたぞえ、此美登利さんは何を遊んで居る、雨の降るに表へ出 が柔らかいから跣足で石ごろ道は歩けない、 さあ此れを履いてお出で、
ての惡戲は成りませぬ、 又此間のやうに風引かうぞと呼立てられるに、 と揃えて出す親切さ、人には疫病神のやうに厭はれながらも毛虫眉毛を
動かして優しき詞のもれ出るぞをかしき。信さんの下駄は己れが提げて
はい今行ますと大きく言ひて、其聲信如に聞こえしを恥かしく、胸はわ
くわくと上氣して、何うでも明けられぬ門の際にさりとも見過しがたき
難義をさまざまの思案盡して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投
げ出せば、見ぬやうに見て知らず顏を信如のつくるに、ゑゝ例の通りの
心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涕の恨み顏、何を憎んで其や
うに無情そぶりは見せらるゝ、言ひたい事は此方にあるを、餘りな人と
こみ上るほど思ひに迫れど、母親の呼聲しばしばなるを侘しく、詮方な
て、かたかたと飛石を傳ひゆくに、信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り
の賑ひすさまじく此處をかこつけに檢査場の門より亂れ入る若人達の勢
さに一ト足二タ足ゑゝ何ぞいの未練くさい、思はく恥かしと身をかへし
友仙の雨にぬれて紅葉の形のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そ
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著作集
大鍋の四邊に夫れッ位無駄がついて居るでは無いか、夫れへ湯を廻して
お客は斷れない、何うしような、と相談を懸けられて、智惠無しの奴め
しに成つて最う今からは何を賣らう、直樣煮かけては置いたけれど中途
儲けがあるかえと言へば、正さんお前好い處へ來た、我れが餡この種な
を見舞ふやら、團子屋の背高が愛想氣のない汁粉やを音づれて、何うだ
有るべし。正太は此日日がけの集めを休ませ貰ひて、三五郎が大頭の店
ざまに沸き來るやうな面白さは大方の人おもひ出でゝ忘れぬ物に思すも
の小店の百囀づりより、優にうづ高き大籬の樓上まで、絃歌の聲のさま
り、さつさ押せ押せと猪牙がゝつた言葉に人波を分くる群もあり、河岸
町の通りは俄に方角の替りしやうに思はれて、角町京町處々のはね橋よ
を引いて好く似合ふね、いつ結つたの今朝かへ昨日かへ何故はやく見せ
ちよこちよこ走りに長屋の細道へ驅け込むに、正太はじめて美登利の袖
お送りは入りませぬかとかえ、そんなら私は京町で買い物しましよ、と
歸ります、左樣ならとて頭を下げるに、あれ美いちやんの現金な、最う
お妻どんお前買ひ物が有らば最う此處でお別れにしましよ、私は此人と
例 の 如 く は 抱 き つ き も せ で 打 守 る に、 彼 方 は 正 太 さ ん か と て 走 り 寄 り、
ゞ京人形を見るやうに思はれて、正太はあつとも言はず立止まりしまゝ
鼈甲のさし込、總つきの花かんざしひらめかし、何時よりは極彩色のた
つる如く、初々しき大嶋田結ひ錦のやうに絞りばなしふさふさとかけて、
ら來るを見れば、まがひもなき大黒屋の美登利なれども誠に頓馬の言ひ
揉まれて出し廓の角、向ふより番頭新造のお妻と連れ立ちて話しなが
雪駄の音たかく浮きたつ人の中に交りて小さき身躰は忽ちに隱れつ。
砂糖さへ甘くすれば十人前や二十人前は浮いて來よう、何處でも皆な左
て は 呉 れ な か つ た、 と恨 め し げ に 甘 ゆ れ ば、 美 登 利 打 し ほ れ て 口 重 く、
ひとては、天柱くだけ地維かくるかと思はるゝ笑ひ聲のどよめき、中之
樣するのだお前の店ばかりではない、何此騷ぎの中で好惡を言う物が有
十五
俯向きて往來を恥ぢぬ。
らうか、 お賣りお賣りと言ひながら先に立つて砂糖の壷を引寄すれば、 姉さんの部屋で今朝結つて貰つたの、私は厭やでしようが無い、とさし
目ッかちの母親おどろいた顏して、お前さんは本當に商人に出來て居な
さる、恐ろしい智惠者だと賞めるに、何だ此樣な事が智惠者な物か、今
横町の潮吹きの處で餡が足りないッて此樣やつたを見て來たので己れの
發明では無い、と言ひ捨てゝ、お前は知らないか美登利さんの居る處を、
憂く恥かしく、つゝましき事身にあれば人の褒めるは嘲りと聞なされ
己れは今朝から探して居るけれど何處へ行たか筆やへも來ないと言ふ、 て、嶋田の髷のなつかしさに振かへり見る人たちをば我れを蔑む眼つき
に、お前一處には來て呉れないのか、何故其方へ歸って仕舞ふ、餘りだ
お酉さまへ諸共にと言ひしを道引違へて我が家の方へと美登利の急ぐ
太さん一處に來ては嫌やだよと、置きざりに一人足を早めぬ。
いますと仰山な言葉を聞くより美登利は泣きたいやうな顏つきして、正
立ちて團子屋の前を過ぎるに頓馬は店より聲をかけてお中が宜しう御座
は無いか、と子供らしい事を問はれて答へは何と顏の赤むばかり、連れ
廓内だらうかなと問へば、むゝ美登利さんはな今の先己れの家の前を通 と察られて、正太さん私は自宅へ歸るよと言ふに、何故今日は遊ばない
つて揚屋町の刎橋から這入つて行た、本當に正さん大變だぜ、今日はね、 のだらう、お前何か小言を言はれたのか、大卷さんと喧嘩でもしたので
髮を斯ういふ風にこんな嶋田に結つてと、變てこな手つきして、奇麗だ
ね彼の娘はと鼻を拭つゝ言へば、大卷さんより猶美いや、だけれどもあ
の子も華魁に成るのでは可憐さうだと下を向ひて正太の答ふるに、好い
じやあ無いか華魁になれば、己れは來年から際物屋に成つてお金をこし
らへるがね、夫れを持つて買ひに行くのだと頓馬を現はすに、洒落くさ
い事を言つて居らあ左うすればお前はきつと振られるよ。何故々々。何故
寮の門をばくゞり入るに正太かねても遊びに來馴れて左のみ遠慮の家
のみ打赤めて、何でも無い、と言ふ聲理由あり。
でも振られる理由が有るのだもの、と顏を少し染めて笑ひながら、夫れ ぜと例の如く甘へてかゝるを振切るやうに物言はず行けば、何の故とも
じや己れも一廻りして來ようや、又後に來るよと捨て臺辭して門に出て、 知らねども正太は呆れて追ひすがり袖を止めては怪しがるに、美登利顏
十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、と怪しきふるへ聲に此頃此處の
流行ぶしを言つて、今では勤めが身にしみてと口の内にくり返し、例の
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も喧嘩しませうな、眞實やり切れぬ孃さまではあるとて見かへるに、美
顏をして少し經てば愈りませう、いつでも極りの我まま樣、嘸お友達と
りて加減が惡るいのですかと眞面目に問ふを、いいゑ、と母親怪しき笑
ねて困つて居ます、遊んでやつて下されと言ふに、正太は大人らしう惶
ゝ正太さん宜く來て下さつた、今朝から美登利の機嫌が惡くて皆なあぐ
にもあらねば、跡より續いて椽先からそつと上るを、母親見るより、お
さまで御座いましたとて、風呂場に加減見る母親には挨拶もせず、ふい
厭やな正太さんだと憎くらしげに言はれて、夫れならば歸るよ、お邪魔
歸つてお呉れ、何時まで此處に居て呉れゝば最うお友達でも何でも無い、
ら目には氣弱の涙のうかぶを、何とて夫れに心を置くべき歸つてお呉れ、
可怪しい人だね、と是れはいさゝか口惜しき思ひに、落ついて言ひなが
あるやうにてお前は何うしても變てこだよ、其樣な事を言ふ筈は無いに、
でも着きねへ、己れは人は頼まない眞の腕ッこで一度龍華寺とやりたか
やうのが百人中間に有たとて少とも嬉しい事は無い、着きたい方へ何方
だよと煽すに、廢して呉れ二錢貰ふと長吉の組に成るだらう、お前みた
り上げるのだからね、左うなれば來年から横町も表も殘らずお前の手下
手が出ねへや、空つきり彼んな袖のぺらぺらした、恐ろしい長い物を捲
んは最う近々何處かの坊さん學校へ這入るのだとさ、衣を着て仕舞へば
唯今うちの父さんが龍華寺の御新造と話して居たを聞いたのだが、信さ
る物と言ふに、何故どうして片腕がなくなるのだ。お前知らずか己れも
ければ最う是れから喧嘩の起りッこは無いね、長吉の野郎片腕がなくな
だから己れは一途に喧嘩かと思つた、だけれど正さんは今夜はじまらな
無い、とて流石に言ひかねて口を噤めば、でもお前が大層らしく飛込ん
しつかりして懸りねへ、と競ひかゝるに、ゑゝ氣の早い奴め、喧嘩では
さへ無くば負けはしない、己れが承知だ先棒は振らあ、正さん膽ッ玉を
吉か、何處で始まつた廓内か鳥居前か、お祭りの時とは違ふぜ、不意で
かと喰べかけの餡ぱんを懷中に捻ぢ込んで、相手は誰れだ、龍華寺か長
なく荒らい事を言つて、夫れどころでは無いとて鬱ぐに、何だ何だ喧嘩
手前に奢つて貰ふ己れでは無いわ、默つて居ろ生意氣は吐くなと何時に
は今日は大分の儲けがある、何か奢つて上やうかと言へば、馬鹿をいへ
正太の飛込み來しなるに、やあ正さん今お前をば探して居たのだ、己れ
せ、弟妹引つれつゝ好きな物をば何でも買への大兄樣、大愉快の最中へ
五郎は何時か店をば賣仕舞ふて、腹掛のかくしへ若干金かをぢやらつか
眞一文字に驅けて人中を拔けつ潜りつ、筆屋の店へをどり込めば、三
十六
登利はいつか小座敷に蒲團抱卷持出でて、帶と上着を脱ぎ捨てしばかり、 と立つて正太は庭先よりかけ出しぬ。
うつ伏し臥して物をも言はず。
正太は恐る恐る枕もとへ寄つて、美登利さん何うしたの病氣なのか心
持が惡いのか全体何うしたの、と左のみは摺寄らず膝に手を置いて心ば
かりを惱ますに、美登利は更に答へも無く押ゆる袖にしのび音の涕、ま
だ結ひこめぬ前髮の毛の濡れて見ゆるも子細ありとはしるけれど、子供
心に正太は何と慰めの言葉も出ず唯ひたすらに困り入るばかり、全体何
が何うしたのだらう、己れはお前に怒られる事はしもしないに、何が其
樣なに腹が立つの、と覗き込んで途方にくるれば、美登利は眼を拭ふて
正太さん私は怒つて居るのでは有りません。
夫れならどうしてと問はれゝば憂き事さまざま是れは何うでも話しの
ほかの包ましさなれば、誰れに打明けいふ筋ならず、物言はずして自づ
と頬の赤うなり、さして何とは言はれねども次第次第に心細き思ひ、す
べて昨日の美登利の身に覺えなかりし思ひをまうけて物の恥かしさ言ふ
ばかりなく、成事ならば薄暗き部屋のうちに誰れとて言葉をかけもせず
我が顏ながむる者なしに一人氣まゝの朝夕を經たや、さらば此樣の憂き
事ありとも人目つゝましからずば斯く迄物は思ふまじ、何時までも何時
までも人形と紙雛さまとをあひ手にして飯事許りして居たらば嘸かし嬉
しき事ならんを、ゑゝ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやう
に年をば取る、最う七月十月、一年も以前へ歸りたいにと老人じみた考
へをして、正太の此處にあるをも思はれず、物いひかければ悉く蹴ちら
して、歸つてお呉れ正太さん、後生だから歸つてお呉れ、お前が居ると
私は死んで仕舞ふであらう、物を言はれると頭痛がする、口を利くと眼
がまわる、誰れも誰れも私の處へ來ては厭やなれば、お前も何卒歸つて
と例に似合ぬ愛想づかし、正太は何故とも得ぞ解きがたく、烟のうちに
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著作集
つたに、他處へ行かれては仕方が無い、藤本は來年學校を卒業してから
行くのだと聞いたが、何うして其樣に早く成つたらう、爲樣のない野郎
だと舌打しながら、夫れは少しも心に止まらねども美登利が素振のくり
返されて正太は例の歌も出ず、大路の往來の夥たゞしきさへ心淋しけれ
ば賑やかなりとも思はれず、火ともし頃より筆やが店に轉がりて、今日
の酉の市目茶目茶に此處も彼處も怪しき事成りき。
美登利はかの日を始めにして生れかはりし樣の身の振舞、用ある折は
廓の姉のもとにこそ通へ、かけても町に遊ぶ事をせず、友達さびしがり
て誘ひにと行けば今に今にと空約束はてし無く、さしもに中よし成けれ
ど正太とさへに親しまず、いつも恥かし氣に顏のみ赤めて筆やの店に手
踊の活溌さは再び見るに難く成ける、人は怪しがりて病ひの故かと危ぶ
むも有れども母親一人ほゝ笑みては、今にお侠の本性は現れまする、こ
れは中休みと子細ありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、
女らしう温順しう成つたと褒めるもあれば折角の面白い子を種なしにし
たと誹るもあり、表町は俄に火の消えしやう淋しく成りて正太が美音も
聞く事まれに、唯夜な夜なの弓張提燈、あれは日がけの集めとしるく土
手を行く影そゞろ寒げに、折ふし供する三五郎の聲のみ何時に變らず滑
稽ては聞えぬ。
龍華寺の信如が我が宗の修業の庭に立出る風説をも美登利は絶えて聞
かざりき、有し意地をば其まゝに封じ込めて、此處しばらくの怪しの現象
に我れを我れとも思はれず、唯何事も恥かしうのみ有けるに、或る霜の
朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕
業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚
の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞
く其明けの日は信如が何がしの學林に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。
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著作集
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