源入さんの昇段論文 - 合氣道 和心会

合気道の魅力
合気道和心会
谷町道場所属
源入康生
合気道は日 本国内だけ でなく、い まや世界各 国に広がり 、現在、約 95カ国に その裾野を
広げ、人種・国境を越えて日々の研鑽を通じて心身練成の道を歩んでいる。
世界各国に、合気道愛好者がいまなお増加しているのも、護身術に有効なのは勿論のこと、
合気道特有の「老若男女、関係なく稽古ができる」ことや「和合の精神」そして、「実生活
に活かせる」ことに魅力を感じてだろう。
『老若男女、関係なく稽古ができる』
合気道は型 稽古中心の 武道である 。基本型を 通して理合 を学びなが ら身体を創 っていき、
変化・応用へと展開していく。
正しく基本 と理合を学 び、実践す れば、相手 の気・力に 合わすこと ができ る。 つまり力の
揉み合いをしない、押されても押し返さない・引っ張られても引っ張り返すことなく、
相手と相和す。
相和すこと によって、 相手と一体 となって一 つの流れに なり両者の 力が衝突し 合わない の
で、無理な力を要せずして技を施すことができるのである。
それにより非力な子供や女性・高齢者でも合気道を稽古しつづけていける。
また、合気 道の稽古を 始めたばか りの初心者 や何十年も 稽古を続け ている熟練 者は勿論の
こと、男性 や女性、若 年者や高齢 者によって も合気道に 対する考え 方や求める ものにいろ
いろと違いがある。
そのことに より、合気 道の稽古の 仕方や考え 方も道場や 指導者によ って様々で あり 、流れ
を重視して 華麗に動き かろやかに 技を掛け合 う道場もあ れば、ガッ チリと力強 く相手に攻
撃をしてもらい呼吸力の鍛錬を重視する道場もある。
または、当て身を重視する道場もあれば、剣・杖の武器術を重視する道場もある。
同じ合気道 道場内でも 面白いこと に、同じ師 範に指導を 受けたとし ても、師範 の教えに対
する理解が人それぞれに違い、同じ技でも人によっていろいろと違いが表れる。
このように 様々な稽古 の仕方・考 え方の違い ・技の違い もあるが、 自分に合っ た合気道道
場で研鑽を 積み、そし て他道場や 合同稽古で も研鑽を積 むことによ って「いろ いろと違い
はあっても、根本はみな同じである」と気付くことになり、素直にそれら全てを受け入れ、
開祖
植芝 盛平翁の合 気道を年齢 ・性別はも とより 、人 種や国境を 越えて一緒 に稽古がで
きるのである。
『和合の精神』
「なぜ合気道は試合をしないのか?」と問われることがよくある。
たしかに、 試合をして 強弱の順位 を定めれば ピラミッド 型の組織は 作りやすい だろうし、
対立する意見が出ても、上位者が下位者を押さえることも容易いであろう。
しかし逆に みれば、常 に強者を目 指しての戦 いが前提と して起こり 得るわけで 、自己の人
格完成を目指そうという、高邁な武道の理念から遠のく恐れがあるだろう。
いたずらに 力に頼り、 技を誇り、 他人と相対 して勝負を 争う。 そう した覇道で はなく、む
しろ相手と 相和して互 いに切磋琢 磨を図り自 己の人格を 磨くことこ そ、武道の 王道といえ
るのではないだろうか。
合気道は武 術をベース としながら も、理念と しては武力 によって争 うことを否 定し、合気
道の技を通して敵との対立を融和し、自然宇宙との“和合”“万有愛護”を実現する境地に
至ることを理想としている。
私の現在までの合気道経験18年間を振り返ってみても、「私のほうが…」「あの人よりも
…」と人と 比べて稽古 をされてい る人や、初 心者や後輩 などに自分 の技は貴方 よりも優れ
ているんだ と云わんば かりにキツ く投げたり 関節を極め たり、また は、稽古も せずに技の
説明ばかり して先輩風 を吹かして いる人達を 何人も観て きた。しか し、そのよ うに彼我の
力量に固執 されている 人よりも、 たとえ下位 者の意見で あっても、 しっかり聴 かれ、 優し
く導き、皆 で一緒に合 気道を楽し く稽古して 自己を高め ていこうと いう心構え を持たれて
いる人の方が、技もさることながら人間としても尊敬できる。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「威あって猛からず」という“ことわざ”があるが、合気
道熟錬者の立居振舞いを観ていると、まさに、このような言葉が似合う人達ばかりである。
合気道の稽 古ではお互 いの習熟度 に合わせて 老若男女が 入り混じ り 、相手を尊 重しあって
稽古を行う が、もし合 気道に一般 のスポーツ や格闘技と 同じように 、勝ち負け を決めるよ
うな試合があれば、はたして、老若男女が入り混じり一緒に稽古が出来るのだろうか?
ましてや、お互いに相手を尊重しあうことなど出来るのだろうか?
先ほど述べた“合気道熟錬者の立居振舞い”に観られる、このような(「実るほど頭を垂れ
る稲穂かな」
「威あって猛からず」)精神性を養えるのだろうか?
植芝盛平翁のお言葉に、次のような一文がある。
それは、やはり難しいと言わざるを得ないであろう。
開祖
「合気とは敵と戦い敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめるもの」
これをスト レートに受 け取っても 、私などは 「なんと合 気道は奥の 深い、愛に 溢れた武道
なのだろう」と感慨に耽ってしまう。
“合気道の稽古を通じて護身技を身につけ、なお且つ、相手を理解し受け入れ尊重し、正
しく一つになる”
まさしく和合の精神を体現した武道が合気道であると私は思う。
世界中の人 達が、合気 道を正しく 学び実践す る のならば 、世界中に 溢れるあら ゆる争いご
とも少しは緩和されるのではないだろうか。
『実生活に活かせる』
合気道は稽古する中で様々な効用があるようだ。
少年部の稽 古では、一 見非常に大 人しく内向 的な子供が 稽古を続け ていくうち に、生まれ
変わったよ うに明るく なった。よ く転んで怪 我ばかりし ていた子供 が、合気道 の受け身を
覚えてから怪我が少なくなったという話はよく聞く。
また、粗暴だった子供が礼儀正しくなり落ち着きのあるようになってきたという話も聞く。
では、私達社会人はどうだろうか?
やはり合気道をやっていて為になることが沢山ある。
中年ともな れば、まず 健康管理に 気をつけね ばいけない 。若い頃は 少々体調が 悪くても、
一日安静に 過ごしてい れば大概は 良くなる。 しかし、中 年ともなる とそういう わけにはい
かない。や はり日頃か ら予防対策 として、何 かしら運動 をしなくて はいけない と思うが、
いきなりランニングや筋トレをしても一人ではなかなか長続き出来ないであろう。その点、
合気道では 同好の士が 集っている ので、たと え厳しい稽 古の中でも 楽しく和気 藹々と稽古
ができるで あろう。し かも合気道 は動きが非 常に合理的 であり、緩 急自在、年 代・体調に
合わせた稽古もできる。
合気道は試 合をしない ということ も大きな要 因であろう 。 もし試合 でもすれば 、勝敗にこ
だわり無理 な動きから 、身体を痛 め、仕事と 合気道の両 立は難し い 。身体を使 う仕事なら
ば尚更だ。
合気道を通じての健康管理は、心と肉体の両面に良いことがある。
心の場合は 、稽古をす ることによ り気の交流 が行われ 、 邪気が解消 されて爽や かな気分に
なり、スト レス発散に つながる。 さらに肉体 的鍛錬では 、日々集中 して使わな い筋肉・神
経・関節を刺激することによって身体全体の諸機能が活発に働き、血流の流れも良くなり、
新陳代謝の向上により身体の中の老廃物が外に流れやすくなる。
その効果に より、慢性 的な身体の 力みや歪み による肩こ り・腰痛が 解消された という話は
良く聞くと ころである 。私なども 多少の疲労 感や微熱な どがある際 は、自宅で 安静にして
いるよりも、道場で皆に交じって稽古をしたほうがスッキリと好転するといった経 験 が
多々ある。
開祖
植芝 盛平翁は「 合気道は適 度な運動で 血行を改善 し、骨格を 矯正 して体 内の“気”
の流れを整 えることに よって、身 体の“穢れ ”をはらう “禊”であ る」と独自 の宗教的表
現を交えて合気道における健康的効果を述べている。
もちろん合気道の理合・理念も十分に活かせる。
以前、合気 道稽古後の 飲み会の席 で一緒にな った警察官 に聞いたこ とがある話 だが、柔道
有段者の警 察官が犯人 を取り抑え ようと背負 いにいった ところ、 犯 人が所持し ていたナイ
フで背中を刺されるといったことがあったようだ。
私達と一緒 に飲んでい た一人が「 じゃあ、あ なたならど うしますか ?」と、箸 をナイフに
見立てて構 えたところ 、その話を してくれた 警察官は 十 分な間合い をもって、 敵愾心や緊
張感を匂わ すことなく 優しく諭し ながら、ゆ っくりと間 合いの中に 入っていき 、見事にナ
イフに見立てた箸を制することに成功した。
その後、席に戻った警察官は「ね、合気道でしょ。柔道では密着して担いだ際に刺される。
空手ではや りすぎて過 剰防衛にな る」と話し ていた。合 気道の稽古 でも無理矢 理、技を掛
けようとす れば相手に 反発心が起 こり上手く 技を施せな い。警察官 の話を引き 合いに出す
と、ナイフ に見立てた 箸を無理矢 理奪おうと していたな らば、相手 は反発心を もってしま
い、ああも見事に制することは出来なかったであろう。
前述の話は 特殊な事例 であるが、 私達一般社 会の生活で も人と接す る際には 、 まず相手と
の間合いに 気をつける 。初対面の 人と接する ならば、な おさらであ る。まずは どこまで相
手に踏み込 んで良いの か、その人 の言動や行 動で、ある 程度の目測 をたてるこ とができる
だろう。合 気道稽古時 でも相手の 身長や踏み 込んでくる 勢いでも間 合いは おの ずと変化す
る。その間合いの変化を実生活でも機敏に感じとり、対応するのである。
そして相手 から理不尽 な態度をと られた 際に も対抗せず 、穏やかに 話を聴き、 優しく導く
ことで相手 を上手くこ ちらの流れ に引き込む ことも可能 で ある(も ちろんこれ には話術も
さることながら人徳も大事であるが…)。
これらは一 つの事例で あるが、合 気道の持つ 理合・理念 を正しく運 用すれば、 他にもいろ
いろと実生活に活用できる。
以上、「合気道の魅力」について私の感ずるままを述べさせていただいたが、他にも合気道
に感じる魅力は人それぞれ沢山あるだろう。
このような 魅力一杯の 合気道が、 もっと世界 中に広がり 、皆一緒に 稽古が出来 ればと私は
願う。