した留学 スタート 境で一人、 く違う環 étudier le frança is au Canad a は 初の一週間 最 、 て い に着 な いない土地 の い なんでこん 合 、 り て 知 く も し 誰 寂 分からず、 も 何 しかし、す も 。 方 た り し 乗 ま の 嘆き 電車 んだろうと た っ は友だちも ま ら し か て て 来 っ に ま 遠く 、学校が始 だ、 き で が ち だ ました。た い が 分 自 ぐに寮で友 いる 強 は楽しんで に 目 外国語で勉 3 週 2 第 て 、 2 え 増 、第 ワ のは大変で く い とグループ て か い に つ な に 。 業 た 授 痛感しまし を さ ? と聞くの し か 難 す の ま と れ こ でく する たり 一緒に組ん 、 く 多 が 特に断られ 、 で ち が -クの課題 らい り少しため あ が 壁 の も言葉 ん 。 日本語を学 込みました は ち で 落 ル と ー る す リオ 上にモント 以 る日仏言語 た す っ 催 思 主 が が 分 生徒 自 そういった 。 く もらいまし 多 て が け 生 助 学 ん る いぶ でい 通す 友達にはず た っ 会 出 一人でやり 分 自 を て 交換集会で すべ て も味わい、 折 れたと感じ 挫 な か く 度 き 何 大 。 た 回り 明 前よりも一 学 留 で将来への 、 と び こ 学 た も て と こ を持 き合う時間 向 きな収穫の と 大 分 て 自 っ 。 と す 分に いま の 1 年は自 こ 、 き で 確な目標も 。 と思います 年であった 日本とは全 Yuki Nakanishi 2005卒 スイス在住 Montréal avec u ne amie♪ un neige e d e m bonhom 整理整頓し、 私の仕事は、寄付された洋服を売り場で さんは優 お店が開く日は売り子として働きました。お客 多く楽し しく、フランス語を教えてくれたりし、休憩も 教の人が かったです。参加した所ではさまざまな国や宗 して交流 いて、その国のことや言葉を教えてもらうなど た国のこ しました。そのため、今まで意識していなかっ し、洗濯 とも知ることができるようになりました。しか どのルー ールな ケジュ 機の場所やご飯の時間、仕事のス 分で開拓 ルを教えてくれる人が誰もいなかったので、自 が通じな していかなければならず、その時にフランス語 、挨拶一 うため 全く違 く苦労しました。そして、文化が たです。 つにしてもやり方が違い、戸惑うことも多かっ Hitomi Karai 私はフランスの 北東の街、スト しました。私が クル用の服の仕 ラスブールに約 したことは、ペ 1ヵ月間エマウ ンキ塗り、料理 の下ごしらえ、 スで仕事を 掃除、リサイ 分け、りんご狩 り、文房具販売 などです。そこ での生活で一 とはやはり言葉 です。フランス 語だけでなく英 ので、エマウス 語も拙かった にいる人々と意 思疎通すること は思った以上に 最初は何を聞か 大変でした。 れているのかも 分からず、また 分かっても今度 たいことを表現 は自分の言い できないという ことが多かった です。また英語 少なかったので を話せる人も 、フランス語を 話さなければい けないことも多 しかしこういう くありました。 状況下だと、ど んなに遅くても どんなに発音が んとかして自分 悪くても、な の意思を伝えな ければいけない ので、いろいろ 考えて話す、と な言い回しを いう癖をつける ことができまし た。フランス人 葉のわからない は皆優しく言 私にも仕事のル ールなどを身振 り手振りを交え えてくれました てたくさん教 。またフランス 人だけでなく、 さまざまな国の 価値観の違いや 人がいるので、 彼らが日本をど のように見てい るのかというこ た。私は他のボ とを学びまし ランティアの女 の子3人と過ご す時間が多く、 緒に街に出掛け 彼女たちと一 たり、部屋で映 画を見たり、さ らに喧嘩しては と充実した時間 仲直りしたり を過ごすことが きました。エマ ウスで過ごした の1ヶ月でした 期間はたった が、「外国人と 一緒に仕事をす ること」をその ことができ、ま 短期間で学べる た「外国からみ た日本」「日本 の素晴らしさ」 スの素晴らしさ そして「フラン 」を勉強するこ とができました 。そのおかげで する考え方や、 自分の物事に対 積極性も変わっ てきたと感じて います。言葉の ありましたが、 壁で辛いことも 得たものがとて も多かったので とても満足でき ま した。 番大変だったこ Marina Sekiguchi
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