群馬県高等学校教職員組合 第960号 前橋市大手町3-1―10 ℡ 027(231)2784 [email protected] fax(231)2787 NO・2 2013(平成25)年6月18日(火) 怒 り の 声 が 上 が っ た 。 ( 2 面 に フ ォ ト 特 集 ) ( 桐 生 支 部 ) の 議 長 団 に よ る 林 一 郎 ( 前 橋 支 部 ) 飯 塚 善 行 事 運 営 委 員 ( 甘 楽 支 部 ) 、 小 員 長 ( 邑 楽 支 部 ) ・ 小 舩 晃 議 皮 切 り に 橋 本 雅 彦 議 事 運 営 委 の 「 が ん ば ろ う 」 で 幕 を 閉 じ た 。 頭 に よ る 「 こ こ ろ の う た 」 を 全 て の 事 案 を 採 決 し 委 員 長 し て き た 知 事 も 、 五 月 に 入 り 定 制 度 と 職 員 の 生 活 を 守 る と 付 金 カ ッ ト の 攻 撃 に 、 給 与 決 減 に は 大 義 が な い 」 と 国 の 交 る 職 員 の 給 料 削 減 。 「 賃 金 削 県 内 市 町 村 で 連 日 報 道 さ れ 組 の 紹 介 が あ っ た 。 え ・ 署 名 ・ 国 会 議 員 訪 問 の 取 し よ う 」 と 激 励 。 ら た 中 験 初 れ で 」 め た こ 、 と て 。 と に 県 い の 、 職 う 経 賛 連 同 で の 妥 意 結 見 し が な 述 か べ っ 大 会 で は 大 貫 副 委 員 長 の 音 「 ス ム ー ズ な 運 営 で 「 組 織 強 大 幅 削 減 提 案 に 踏 み 切 っ た 。 」 化 」 「 生 活 権 利 向 上 」 「 ゆ き 見 速 つ 報 代 め チ 議 ラ 員 大 シ か 変 を ら な 食 は こ い 、 と 入 組 に る 合 な よ か っ う ら た に の 」 と ど い た 教 育 」 「 平 和 と 民 主 マ ジ メ に 仕 事 な ん か や っ バ イ ト し な い と や っ て い け な 「 と 、 職 場 内 で の た い 「 主 義 」 な ど 運 動 ・ 財 政 の 重 要 て ら れ な い 」「 案 件 が 出 さ れ た 。 め 息 、 ぼ や き 、 悲 鳴 が 聞 こ え 」 る 報 告 が 次 々 と あ が っ た 。 代 議 員 か ら は 退 職 金 カ ッ ト ・ 賃 下 げ ・ 再 任 用 制 度 な ど に 対 し 次 々 と 専 門 部 か ら も 採 用 ・ 任 用 替 に つ い て な ど も 語 ら れ た 。 拡 大 の 必 要 性 、 教 育 の つ ど い 内 示 や 人 事 異 動 の い い 加 減 さ 、 会 体 制 作 り の 取 り 組 み 、 遅 い 下 げ の 話 題 の ほ か 、 職 場 ・ 分 午 後 の 討 論 で は 、 こ れ ら 賃 情宣部長 坂 本 副 委 員 長 ( 日 高 教 ) は 「 情 勢 は 厳 し い が 国 民 と の 大 運 動 で 打 破 か っ た の は 我 々 が 元 気 に な る こ と 。 そ れ に は 仲 間 が 増 え る こ と 」 「 妥 結 し な 田中 博 第 来 152 賃 賓 回下 の 定げ 真 期の 砂 大嵐 議 会の 長 を中 ( 開、 県 催各 労 。分 会 今会 議 年か ) 度ら は の多 「 方く 賃 針の 下 を代 げ 決議 の 定員 大 しが 攻 た県 撃 。青 を (少 突 6年 き 月会 破 1館 る 日に に )集 は い 、 、 委 員 長 の 員 も 多 い 。 け て く る 職 員 に 語 り か 未 未 来 来 へ へ ! ! 第 第 115522 回 回 定 定 期 期 大 大 会 会 を 求 め 分 会 組 合 に 情 報 に あ っ て も 少 数 分 会 高教月報960号(2013年6月18日) 2 5/9 上毛新聞 第 1 回総務部長交渉 4 単組委員長揃いぶみ 断固拒否の中束委員長 高教組が撤回求め次々発言 知事に迫る委員長 協議する交渉支援団 がんばる交渉団 高教月報960号(2013年6月18日) 3 ニュージーランド派遣事業 体験記 金井 宏晃(県立伊勢崎) ニュージーランド派遣事業は、文部科学省によるプロ グラムで通称REXプログラムと呼ばれています。この 派遣事業で私は一昨年の平成23年年8月より今年の3 月まで約20ヶ月間ニュージーランドの首都ウエリント ン市で日本語を教えてきました。 ニュージーランドの北島の最南端に位置する首都ウエ リントンは、風が非常に強いため”ウィンディウエリン トン”という愛称がつくほどで、国会議事堂やオフィス 街が立ち並び平日はスーツを着たビジネスマン達で賑わ います。首都だけあってお洒落な町で、様々な催し物が 多く、活気に満ちた雰囲気でした。 私が日本語を教えていた学校はNEWLANDS C OLLEGEといい、自然豊かな郊外にあります。四学 期制の男女共学校で、中学2年生から高校3年生までが 在籍し(生徒数約千人)、生徒が制服着用を義務付けら れている海外からの留学生も多い公立学校です。 週20時間程度(1コマ60分)日本語の指導にあた りました。次年度からは少しずつ慣れてきたので、2学 期には隣接している小学校( 小学校6年生、中学校1年 生在籍)でも日本語を教えました。また、体育やESO L( 留学生のための英語) にも携わることができたのも いい経験でした。 派遣中、ニュージーランドにいる間しかできないこ とをやってみたいと思い、中国語を学び始めました。新 しい言語を学ぶことは日本語指導にも新たな視点をもた らし、中国人の知り合いも増えました。ジムへ通い、キ ッボクシングやハーフマラソンにも挑戦しました。 派遣を終えて、ニュージーランドという日本から遙か離 れた場所で日本語を学んでいる生徒、日本に興味を持っ てくれている生徒がいることを知ることができたことに 何か誇りのような、嬉しい思いを感じました。そして、 私と同じような立場で日本の学校現場で頑張っているA LTの先生方の応援ができるように、彼らに接していき たいです。最後に、英語はツールであるということを再 認識できたことも大変有意義なことでした。 今後は派 遣で学んだことを生徒や群馬県の英語教育に還元してい きたいと考えていきたいです。 高教月報960号(2013年6月18日) 4
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