慈 光(じこう)

2013(平成25)年
門信徒だより
慈 光(じこう)
発行
浄土真宗本願寺派慈光山最誓寺(本山
第141回
西本願寺)
お経の練習会・法話会・花祭り
!
2013(平成25)年4月14日(日)14時~ 最誓寺本堂・会館にて
●25年法話会テーマ
「仏教の基本的な教えを学びましょう。」
◆2013(平成25)年4月から2015(平成27)年3月までの2年間にわたる、千葉組
南ブロック連続研修会が開始されました。
最誓寺法話会でも、連研プログラムに合わせて、仏教・浄土真宗・社会生活とのかかわり等、
学んでいきたいと思います。
今回は、浄土真宗本願寺派の作法とお勤めについてです。
仏教各宗派によって、それぞれの違いがありますが、浄土真宗本願寺派の正し
い作法を身につけましょう!
◆仏事の心得
阿弥陀如来にありがとうございますとの感謝の気持ちでさせていただきます。
浄土真宗は、こちらから仏様に祈りや願い事をする教えではありません。常に阿弥陀如来から
の働きかけがあり、自分自身が聴かせていただく教えです。聴聞(ちょうもん)といいます。
◆礼拝の心得
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念珠の持ち方
合掌するときは、必ず両手にかけ、合掌をしないときは、左手に持ちます。念珠は大切な法
具ですから、丁寧に扱いましょう。
畳や床などに直接置いたり、持ったままお手洗いに行くなどの行為は慎みましょう。
2
合掌・礼拝の作法
① 合掌(がっしょう)
念珠を両手に掛け、親指で軽く押さえます。珠をこすり合わせたり、握りしめたりはしま
せん。なまんだぶ なまんだぶ とお念仏申しましょう。
② 礼拝(らいはい)
念珠を両手に掛けた合掌の姿勢で、上体を45度傾けます。
③ 揖拝(ゆうはい)
軽く一礼すること。一揖(いちゆう)とも言います。仏前などの尊前を通るときや、お寺
の前を通るとき、門の出入りの時にも一揖します。
4
焼香(しょうこう)について
お釈迦様在世当時から行われていたといいます。香を焚くことによって、仏前を荘厳(し
ょうごん かざること)するとともに、極楽浄土を思わせていただくご縁ともなります。
宗派によっても、お西(本願寺派)とお東(大谷派)でも作法に違いがあります。
① 軽く仏前で頭を下げる
5
②香をつまんで香炉へ。焼香は、
③お念仏をとなえて
1回で、額にいただくことはしません。
合掌・礼拝、一礼
して退く。
お勤めの手順
① 合掌→念仏→礼拝
② 聖典(お経本)をいただいて開く。複数でお勤めするときは、導師・調声(ちょうしょう)
に合わせていただきます。
③ 勤行(ごんぎょう)
④ 導師・調声(ちょうしょう)に合わせて聖典を閉じ、いただいて置く。
⑤ 合掌→念仏→礼拝
⑥ 聖典は丁寧に扱いましょう。念珠と同じくたいせつに。直接畳の上などに置かないように
しましょう。
6
正信偈和讃の勤行(おつとめ)
「正信偈」正しくは「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)といい、親鸞聖人が著された『教
行信証』の行巻末に収録された漢文の偈文で、60行・120句からなる。和讃は、「和語を
もって三宝(仏・法・僧)を讃嘆する歌」であり、聖人がうたわれた「浄土」「高僧」「正像
末(しょうぞうまつ)の「三帖和讃(さんじょうわさん)は300首をこえる。第8代蓮如上
人は、文明5年に「正信偈」と「三帖和讃」と合わせて開版し、僧俗共に朝暮れに行う勤行と
して、正信偈和讃を制定された。
現行の唱え法は、第23代勝如上人が、昭和8年に次の三種に改訂した。
真譜・・・本山御正忌報恩講1月16日の朝に御影堂で勤まる。
行譜・・・毎月の宗祖の(親鸞聖人)のご命日(16日)、または、報恩講などの年中行事。
草譜・・・日常の朝夕の勤行として
7
門徒式章(もんとしきしょう)
仏事やお寺参り・研修会の時に掛けましょう。下藤(さがりふじ)に注意。
8
食事時の作法
「食事」をいただく時に、私たちは何を思い、どのような思いをいだいているのでしょうか。
「食」
それは「多くのいのち」をいただいています。
「食」
そこには「みなさまのおかげ」がありました。
「食」
仏さまの「ご恩」を深く喜ぶことができます。
「食」
「慚愧」と「歓喜」の心でもって「仏恩報謝」につとめてまいりましょう。
食事の際に一人ひとりが「ご恩」を味わえるように、新「食事のことば」ができました。
従来から親しんでこられた方も、いままであまり口にされてこなかった方も、この新「食事の
ことば」を自ら声にだして、深く尊い「ご恩」を喜ばせていただきましょう。
〔食前のことば〕
(合掌)
●多くのいのちと、みなさまのおかげにより、
このごちそうをめぐまれました。
○深くご恩を喜び、
ありがたくいただきます。
〔食後のことば〕
(合掌)
●尊いおめぐみをおいしくいただき、
ますます御恩報謝につとめます。
○おかげで、
ごちそうさまでした。
新「食事のことば」解説
このたび宗門より、新しい「食事のことば」が制定されました。新しい「食事のことば」を提
案する理由は、現代日本の食を取り巻く環境、ならびに食に対する意識を勘案したこと、また従
来の「食事のことば」が現代人の感覚から誤解を招きそうな危惧があることなどによります。
けれども従来の「食事のことば」は、すでに宗門内で定着しておりますし、決してそこに大き
な問題があるというわけではありません。そのため従来からの変更は最低限度にして、唱和部分
は変わっていません。
以下には、新しい「食前のことば」と「食後のことば」のいくつかのポイントについて説明し
ていきます。
[食前のことば]
■「多くのいのち」について
「多くのいのち」と明記していることは、私たちの食事は多くのいのちをいただいているとい
う事実を深く見つめるためにあります。
また、現代社会では「いただきます」ということばをあまり耳にしなくなったのではないかと
いうことへの反省でもあります。
たとえば、幼稚園で、ごくわずかな人のことかもしれませんが、お金を払っているのだから「い
ただきます」と感謝(手を合わせる)する必要はないと言ってくる人もいるようです。
ややもすると私たちも「いただきます」ということばを慣習的に発しているだけになってしま
ってはいないでしょうか。そこに本当に感謝と慚愧の念がともなっているといいきれる人はどれ
ほどいるでしょうか。
ここに「多くのいのち」と明言することで、私たちの日々の食事は多くの動植物のいのちの犠
牲の上に成り立っているのであり、そのいのちへ感謝と慚愧を明らかに示すことになります。
私たちは多くの尊いいのちによって、今の自分が支えられている「おかげ」に気付くことで、
感謝の心が育まれることでしょう。
また、学校の教育現場などでは「いのちの尊さを伝える教育」とは言いつつも、たんに「いの
ち」という抽象的なフレーズを繰り返すだけであったり、人間の生命の尊重のみに終わっている
のが実状のようであります。日常の家庭の中で、動物や植物などの全てのいのちの尊さを実感す
る機会が求められています。こうした背景から「多くのいのちのおかげ」ということばを口にす
ることにしました。
■「みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました」について
「みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました」ということばは、目の前の食事
を直接調理してくれた人、そして食材をとったり、あるいは食材を運び届けてくれた人など、さ
まざまな多くの人たちのご苦労のおかげによることを示しています。
なお、従来の食事のことばには、「み仏のおかげにより、ごちそうをめぐまれる」という文脈
がありました。これは「紙切れの一枚にいたるまで、仏さまのおかげと受け止める」といった広
い意味での仏恩と受け止めることができます。
しかし、特にはじめて聞いた方などは、「み仏が食材を提供する」というニュアンスで理解さ
れる方もいるかもしれません。
このように理解してしまうと、肉や魚も、人間の食用として神が造ったように考えるキリスト
教などの創造主の概念と同じとなってしまい、これでは仏教ではなくなってしまいます。
ことに現代は、浄土も天国も同じように考えられてしまいがちです。したがって、キリスト教
など他の宗教と仏教の違いについて誤解されることのないような配慮が、これからもさまざまな
場面で必要になってくるでしょう。
ここに言う「みなさまのおかげ」は、広く言えばみ仏の御恩をも含めた尊いおかげを言います
が、「多くのいのち」と並列・対句とすることで、「多くのいのち」の犠牲と、「み仏」のおか
げとは別であることを示し、み仏が創造主と誤解されることを避けています。
その上で「多くのいのち」ということばに、私たちの「慚愧」の思いを込め、「みなさまのお
かげ」ということばには「感謝」の思いを込めています。
そしてこの二つを受けて、「深くご恩を喜び」と結び、食事を通して、単なる味覚ではなく「ご
恩」を味わう機縁となることを願っているのです。
■「深くご恩を喜び」について
「多くのいのち」と表明することで、多くのいのちをいただかなければ生きていけない私の本
性的あり方に対しての慚愧のこころを呼び起こし、「みなさまのおかげ」と表明することでさま
ざまなおかげによって、いまこの食事をいただくことができ、生きていくことができることに対
しての感謝のこころを呼び起こすことを目指しています。
慚愧や感謝のこころを持ち合わせていなかった私に、「多くのいのち」をいただいていること
への慚愧と、
「みなさまのおかげ」によって生きていることへの感謝のこころを起こさせたのは、
阿弥陀如来のお慈悲のはたらきによるほかはありません。
「深くご恩を喜び」と表明しているのは、この阿弥陀如来のご恩、つまり仏恩を尊び喜ぶこと
です。
食事を通して、単なる味覚ではなく、阿弥陀仏の「ご恩」、つまり仏恩を味わうことができる
機縁となることを願っているのです。
[食後のことば]
■「尊いおめぐみ」「御恩報謝」について
「食前のことば」をとおして、私たちの食事はさまざまな尊いおかげによって成り立っている
ことに気付かされます。
そして「食後のことば」では、この食事に対して、深い感謝の念を表すとともに、多くのいの
ちの「尊いおめぐみ」を糧にして今の私が生かされていることが示されます。
「御恩報謝」とは、仏さまから救いの目当として願われていることへの、返しても返しきれな
いほどの大きな仏恩に対し、不断の努力をもって報謝の生活を送ることです。
「食後のことば」では、「御恩報謝」と口にすることで、そのことを再認識し、報謝の生活を
送る決意を表明しています。
今日、多くの宗教が実践を強調し、実践することの充実感が魅力の一つとも考えられています。
しかし、浄土真宗の法義は実践することの喜びではなく、喜びの上の実践であって、それが「御
恩報謝」なのです。「教章」にもお示しくださった「御恩報謝」こそは、まさしく「私の歩む道」
としての実践の基本です。私たち一人ひとりが具体的に身に体していかねばなりません。
なお、新しい「食前のことば」においては、「み仏のおかげ」を省略していますが、この「食
後のことば」にある「御恩報謝」ということばによってみ仏への感謝の思いを補っています。
[食事のことば]の意義
「食事のことば」をつねに自ら声に出すことによって、食事はただ漫然と食物を摂り、栄養を
補給するものではなく、目の前の食事には、そこまでに至る大きなおかげとめぐみがあることに
気付きます。
そのことによって、ものの本当の価値を見出だす人間性が養われていくことになることでしょ
う。