7 吉田能安先生から戴いた貴重な書

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吉田能安 先生から戴 いた貴重 な書
( 1 ) 『 致 中和 』 ( 中 和を 致 す )
こ の 書 は 、三 戸に 町 営 道 場が 完 成 し た暁 に 、掲 額 しよ う と 思 い 、大 学 卒 業 後 、
私 か ら 是 非 に と お 願 い し 書 い て 戴き ま し た 。 書 の 中 央 に『 中 』 ( 中 た る ) と い
う 字 が あ り 、 縁 起 が 良 く 、 先 生 と繋 が り の あ る 道 場 に は、 必 ず と 言 っ て い い ほ
ど 掲 額 さ れ て い る と 伺 っ て い た から で す 。 「 出 典 と 意 味を 、 メ モ 程 度 で か ま い
ま せ ん の で お 教 え 下 さ い 」 と 甘 えて お 願 い し た と こ ろ 、『 致 中 和 』 の 他 に 、 出
典 を 和 紙 に し たた め 、 お 送り 戴 き 、 感謝 感 激 で あり ま し た 。
中
庸
(第一章
そ の 二 節)
【 訓 読( 書 き 下 し文 ) 】
喜 怒 哀 楽 未 だ発 せ ざ る
発 し て 皆 な 節に 中 る
こ れ を 中 と謂 う
これ を 和 と 謂う
中なる者は
天 下 の 大 本な り
和なる者は
天 下 の 達 道な り
中和を致して
天地位し
万物育す
【口語訳】
喜 怒 哀 楽 な ど の 感 情 が 動 き 出 す 前 の平 静 な 状 態 、 そ れ を 中と い う 。 ( そ れ は
偏 り も 過 ・ 不 及 も な く 中 正 だ か らで あ る 。 ) 感 情 は 動 き出 し た が 、 そ れ ら が み
な 然 る べ き 節 度 に ぴ た り と か な って い る 状 態 、 そ れ を 和と い う 。 ( 感 情 の 乱 れ
が な く 、 正 常 な 調 和 を 得 て い る から で あ る 。 ) こ う し た中 こ そ は 世 界 中 の ( 万
事 万 物 の ) 偉 大 な 根 本 で あ り 、 こう し た 和 こ そ は 世 界 中い つ で も ど こ で も 通 用
す る 道 で あ る 。中と 和 と を 実行 し て お しき わ め れ ば(人 間 世 界 だけ で は な く 、)
天 地 宇 宙 の あ り 方 も 正 し い 状 態 に落 ち 着 き 、 あ ら ゆ る もの が 健 全 な 生 育 を と げ
る こ と に な る のだ 。
『中』
=
過 ・ 不及 も な く 偏り の な い 中正 の 状 態 。
『和』
=
雑 多 なも の を 包 摂す る 調 和 均正 の 状 態 。
『 致 し 』=
極 限 まで 実 行 し つく す こ と 。
参照:『ワイド版
岩波 文 庫
大学・中庸
金谷
治
訳注 』
( 2 ) 『 代 悲白 頭 翁 』 ( 白 頭 を 悲 し む 翁 に 代 わ り て )
劉
希夷(りゅう
きい )
この書は、前にも述べた巻藁射礼が行われた、夏合宿最終日の早朝、民宿の
先生のお部屋で、お書きになられたものです。合宿では朝六時から道場で座禅
が行われ、その準備が整うと、六時少し前に主将の私が先生をお迎えに参りま
す。この書をちょうど書き終えた所だったのか、先生は満足感にあふれ、すが
すがしいお顔をされておりました。加えて初の合宿も成功し、桜美林の将来に
確かな手応えを感じられたのかもしれません。今にして思えば、八十歳を一ヶ
月後に迎える先生には、法政一高の合宿を終え、休む間もなく連続で桜美林の
合宿に臨まれ、大変お疲れのことであったでありましょうが、この朝に最後の
気 力 を 振 り し ぼり 、 巻 藁 射礼 を 決 意 され て い た もの と 思 わ れて な り ま せん 。
私は幼少より書に接して育ちましたので、多少は書を見る目を持っており、
その書を見て感激していると、先生はご機嫌良く、「欲しければやるから持っ
て 行 け 。」と 言 われ ま し た ので 、「戴 き ま す」と 喜 んで 頂 戴 し たの で あ り ます 。
合宿を終え、帰省して父に見せると「これは素晴らしい」と、すぐさま表具店
へ持って行き、表装をしてくれました。それ以来我が家の床の間に飾られてお
ります。
訓 読 ・ 口 語 訳 に つ い て は 、 省 略 さ せ て 戴 き ま す 。 『 漢文 』 の 教 科 書 も に 出 て
く る 、 有 名 な 『 唐 詩 選 』 一 つ で 、イ ン タ ー ネ ッ ト で 『 代悲 白 頭 翁 』 と 打 ち 込 め
ば 、 多 く の 方 が 読 ま れ 、 口 語 訳 をさ れ て お り ま す の で 、そ ち ら を ご 覧 下 さ い 。
『 こ の 爺 さ ん の 白 髪 頭 は 、 本 当 に可 哀 想 。 こ れ で も 昔 は、 若 々 し い 美 少 年 だ っ
た の だ 』 と い う く だ り は 、 そ の 当時 、 今 ま さ に 八 十 歳 を迎 え よ う と し て い た 先
生 が 、 我 々 若 者 に 将 来 を 託 そ う とさ れ な が ら も 、 師 範 を引 き 受 け た 以 上 、 ま だ
ま だ 老 い て い ら れ な い と う 心 情 が察 し ら れ 、 故 に 早 朝 から こ の 書 を お 書 き だ っ
た の で は な い かと 、 胸 が 熱く な る の を感 ぜ ず に はい ら れ な いの で あ り ます 。
( 3 ) 『 一 箭入 魂 』 ( いっ せ ん に ゅう こ ん 、 「一 箭 ( 矢 )に 魂 を こ める 」 )
一
為
山
﨑
紫
光
学
人
八
十
二
翁
箭
入
魂
花
押
紫
鳳
射
人
昭 和 四 十 八 年一 月 、 冬 休み を 終 え 上京 し 、 吉 田教 場 へ 新 年の ご 挨 拶 に伺 い ま
す と 、 恒 例 の おと そ を 禮 先生 か ら 戴 きま し た 。 教員 採 用 二 次試 験 も 合 格し 、 採
用 内 定 を 戴 い たこ と や 、 両親 の 近 況 、廣 楓 館 の 射初 会 の 模 様な ど の 報 告を 済 ま
せ る と 、先 生 は 上機 嫌 で「 と ころ で 卒 業 祝い は 何 が いい か な 」と 言 われ ま し た 。
私 は 間 髪 入 れ ず「 先 生 の 弟子 で あ る 証に 『 号 』 を戴 き た い ので す が 」 と申 し 上
げ る と 、 頷 い てメ モ 帳 を 取り 出 し 、 『~ 堂 』 『 ~泉 』 『 ~ 山』 と お 書 きに な っ
た の で あ り ま すが 、 何 か 深く 思 案 さ れる ご 様 子 で「 卒 業 式 前ま で に 考 えて お こ
う 」と 約 束 し て 下さ い ま し た 。卒 業 試 験 が終 わ り 、二 月 の初 旬 に 稽 古に 伺 う と 、
先 生 は 笑 顔 で 『号 』 が 書 かれ た メ モ 用紙 を 差 し 出さ れ 、 「 『紫 光 』 『 夢弦 』 好
き な 方 を 選 べ 」と 言 わ れ たの で あ り ます 。 『 紫 光』 に は 先 生の 号 『 紫 鳳』 の 一
字 が 、『 夢 弦』に は「 無限 」の 響 きが あ り 、どち ら も 捨 てが た く 決 断が つ か ず 、
翌 週 ま で 考 え させ て 戴 く こと に 致 し まし た 。考え 悩 ん だ 末に 出 た 結 論は『 紫 光 』
で あ り ま し た 。『 夢 弦 』 はい つ の 日 にか 三 戸 に 町営 道 場 が 完成 し た 暁 に、 そ の
道 場 名 に 『 夢 弦舘 弓 道 場 』を 提 案 し よう と 。 先 生に そ の こ とを 報 告 す ると 、 す
ぐ さ ま こ の 『 一箭 入 魂 』 をお 書 き に なり 、 そ し てそ の 横 に 『為
山 﨑 紫光
学
人 』 と 、 付 け 加え て 下 さ った の で あ りま す 。 従 って こ の 書 は、 吉 田 先 生が 私 の
号 を 『 紫 光 』 と命 名 さ れ た証 明 書 と なり ま し た 。そ の 後 、 吉田 先 生 の 高弟 、 井
戸 正 美 範 士 ( 吉田 教 場 師 範代 、 昭 和 二十 九 年 天 皇杯 獲 得 者 )が 、 指 導 のた め に
三 戸 来 ら れ た 際に 、 こ の 和室 に お 泊 まり 戴 き ま した が 、 目 に涙 を 浮 か べ「 親 父
だ ! 親 父 だ ! 山﨑 君 は 幸 せ者 だ よ 。 」と 言 わ れ なが ら 、 こ の掛 け 軸 や 他に 私 が
所 持 す る 先 生 の書 を 、 写 真に 収 め て 帰ら れ ま し た。
( 4 ) 『 無 發貫 正 鵠 』 (無 發 、 正 鵠を 貫 く 、 「発 す る こ と無 く 的 の 中心 を 貫 く 」 )
我 が 家 の 和 室 に 飾ら れ た 『 無發 貫 正 鵠 』
九 十 歳 に な られ た 吉 田 先生 が 、三戸 へ ご 指 導に お 出 で にな ら れ た 時の 書 で あ り
ま す 。こ の 銘 木は あ る 収 集家 か ら 譲 り受 け 、先生 に お 見 せし た と こ ろ、こ れ は 素
晴 ら し い と、一 気 に ご揮 毫 下 さ いま し た。「 そ の よう な『会 』を目 指 し 精 進せ よ 」、
と の 先 生 の お 言葉 だ と 、 肝に 銘 じ て おり ま す 。
お
り
ま
す
。
吉田先生 から 手形を とっ て戴き 、福 岡の久 輝様
から お作り 戴い た弽。 この 弽にも 『無 發貫正 鵠』
を書 いて下 さい ました 。現 在は、 同じ く久輝 様の
二作 目の弽 を使 用中で あり ます。
正
鵠
』
が
。
今
で
も
大
事
に
使
わ
せ
て
戴
い
て
記
念
し
て
つ
く
ら
れ
た
弓
巻
き
に
も
『
無
發
貫
木
村
両
先
生
が
、
範
士
号
を
拝
受
さ
れ
た
の
を
三
十
九
年
前
に
、
吉
田
先
生
の
高
弟
、
鈴
木
・
次 の ( 5 ) か ら ( 12) の 書 は 、吉 田 先 生 か ら 、 折 々 に 書い て 戴 い た も の で あ
り ま す 。 お 書 き に な ら れ た 年 代 順に 並 べ て あ り ま す 。 そ れぞ れ の 書 を 戴 い た 経
緯 を 説 明 し た い の で あ り ま す が 、記 憶 が 薄 れ 不 確 か な と ころ も あ り ま す の で 省
略 さ せ て 戴 き ます 。 先 生 のお 顔 を 思 い浮 か べ な がら 、 じ っ くり と ご 覧 下さ い 。
( 5 ) 『 真 如』
( 7 ) 『 本 日無 事 』
( 事な き 日 の 本)
( 6 ) 『 無我 』
( 8 ) 『 弓 禅一 味 』
( 9 ) 『 尊素 心 』 ( 素心 を 尊 ぶ )
( 10) 『 和 』
( 12) 和 歌 『梓 弓
( 11) 『超 境 之 勢 』
~
』