交通手段 JR 長崎本線:博多駅∼肥前鹿島駅(特急 約60分) 肥前鹿島

たざわよしはるの ひ
①田澤義鋪之碑
ばしょう く
鹿島の生んだ偉大な思想家であり、
ひ
⑪芭蕉句碑
江戸時代から、鹿島は俳諧の盛んなとこ
政 治 家 。日 本 の 青 年 団 の 生 み の 親 で
ろ で あ り 、 い く つ か の 結 社 が あ っ た 。「 木
あ り 、ま た 政 治 浄 化 運 動 の 先 駆 者 で
の下に汁も膾も桜かな」の芭蕉の句が裏
もある。
面に彫られている。昭和13年建立。
こう ぶんかん あと
②弘文館跡
たにぐち ら ん で ん き おん
江戸時代における鹿島藩の学校で
ひ
⑫谷口藍田記恩の碑
有田出身の儒学者。藩主に招かれ、鹿
「文教の地、鹿島」の発祥の場所。
島の人々の教育にあたる。門下から多
ほ か に 明 倫 堂 も あ り 、今 日 の 初 等 中
くの人材が輩出した。書の大家として
等教育が行われた。
も有名。
しょうこん ひ
③招 魂 碑
けんりつ か し ま ちゅうがっこうこう か
明治以降の戦争で亡くなった鹿島
ひ
⑬県立鹿島 中学校校 歌碑
県立鹿島中学校は弘文館をもととして
出身のすべての犠牲者の霊を祀る。
発展、いくたびか校名の改称を経て、
ぎゃくしゅう ひ
④逆 修碑
今日の鹿島高校となる校歌の作詞者は
旭ヶ岡公園内の石碑の中では一番
「次郎物語」で有名な下村湖人。
古 い も の 。建 立 年 代 は 明 ら か で な い
た な か て つ さぶろう じ ゅ ひ
が 、こ の 碑 は「 ク ニ ャ キ ョ ウ 」と 呼
⑭田中鐵三郎寿碑
ば れ 、非 業 の 死 を と げ た 一 人 の 男 の
鹿島が生んだ最高の財界人。日銀理事、
伝説がある。
満州中央銀行総裁、朝鮮銀行総裁など歴
はらただゆきおうしょう とく ひ
⑤原忠順翁頌徳碑
任。鹿島高校の六州荘は氏の生家であり、
原氏はかつての鹿島藩最後の家老
昭和四十年に母校へ寄付された。
で あ り 、貴 族 院 議 員 に 選 出 。家 は 典
⑮井原喜代太郎君頌徳碑
型的な武家屋敷として今も残って
鹿島選出の衆議院議員、のちに県会議員に
いる。
当選。鹿島銀行を創立し、南鹿島村の村長
くすのきしゃ
い
は
ら
き
よ
た
ろ
うく
んし ょ うと
く
ひ
⑥楠 社
もつとめた。祐徳バスの前身、祐徳軌道設
幕末期の鹿島藩は勤王の志あつ
立にも参加した。
く、かつての忠臣楠正茂を崇敬
⑯赤門
し、明治三年この社を創祀した。
文 化 四 年 、鹿 島 城 は 常 広 の 地 か ら こ の 地 に
しゅう らく えん
あかもん
鹿島城址「赤門」
花のトンネル
佐賀県三大桜の名所のひとつ「旭ヶ岡公園」
。一目五千本の桜のおこりは、
ひ
⑦ 衆 楽宴の碑
移 転 新 築 し た 。こ の 城 門 は 翌 年 五 年 に 完 工
こ の 地 は も と 衆 楽 園 と い い 、多 く の
し た 。明 治 七 年 佐 賀 の 乱 で 城 郭 は 焼 失 し た
桜 が 植 え ら れ た 。こ れ が の ち 鍋 島 氏
が、この門は残った。
から払い下げられ旭ヶ岡公園へと
⑰愛野興一郎先生像
発展した。
県議会議員や衆議院議員を長年つとめ、
1862年、松蔭神社の境内の一画に藩主鍋島直彬が多くの桜を植えて「衆
楽園」と名づけ、毎年観桜の宴を開いたことを始まりとしている。この一帯
そ れい しゃ
あ い の こう いちろう せんせいぞう
⑧祖霊社
経済企画庁長官なども歴任。地域発展の
近 き 先 祖 は 仏 で あ り 、遠 き 祖 先 は 神
ために大きく貢献した。
で あ る 。神 と な っ た 鹿 島 の 人 に す べ
⑱「友よやすらかに」慰霊碑
てのみ霊を祀る。
昭和19年、大村の海軍航空廠に学徒動員
なべしまなおともこうつい とく ひ
とも
い れ い ひ
されていた鹿島高等女学校と鹿島立教女学
鹿島三代藩主で鹿島の数多くの干
校のうち10名が空爆により亡くなった。
拓、堤、水道などをつくり鹿島の産
50周年を記念して建立された鎮魂と平和
業発展につくした。名君中の名君。
の祈りの慰霊碑。
ぞう
⑩鍋島直彬公の像
鹿島藩最後の藩主、のち、沖縄県知
あさひがおか すもうじょう ひ
⑲旭ヶ岡相撲場碑
鹿島市制30周年を記念して昭和60年
事、貴族院議員、鹿島の文教の発展
に建立された。
に尽くし、人々に慕われた。
はかつて北鹿島にあった鹿島城が1807年に移築された。しかしながら1
874年、佐賀の乱でそのほとんどが焼失。炎上を免れた赤門(県の重要文
化財)のみが残っている。1887年には、武家屋敷跡の白壁の残る城特有
の曲がりくねった道(赤門∼大手門)に桜並木がつくられ「花のトンネル」
と呼ばれるようになった。また1914年、九州初の夜桜電飾を整備し一躍
注目を集めた。近年では2007年2月にその歴史的・文化的価値や地域の
象徴として認められ「日本の歴史公園百選」に選定された。1609年に鹿
⑨鍋島直朝公追徳碑
なべしま なお よし こう
交通手段
JR 長崎本線:博多駅∼肥前鹿島駅(特急 約60分)
肥前鹿島駅から徒歩15分
もしくはタクシー5分
車:長崎自動車道 武雄・北方 IC から約25分
【旭ヶ岡公園桜まつり】
3月下旬∼4月上旬
お問合せ先:鹿島市商工観光課
電話
0954(63)3412
鹿島市観光協会
電話
0954(62)3942
※ 観光案内所は桜まつり期間のみ駐在いたします。
島鍋島藩が立藩されてから約400年、1807年に鹿島城がこの地に築城、
翌年に赤門が建立されてより約200年の時が経過している。
旭ヶ岡公園の隠れたポイント紹介
観光案内所前のクスノキは県の名木・古木に認定された、樹齢約210年の
見事な大木です。
赤門から少し下ったところには、珍しい緑色の桜「御衣黄桜」があります。