4月号 - 月刊公論

日本を支えた基幹産業
活気に満ちた鉄鋼業界
された工場で係長をやっていたころ
じゃないですかね。
足を踏み入れるのはひさしぶりです
場内のオフィスにおうかがいしたん
BOPという新しい底吹き転炉の工
三谷 土さんとはじめてお会い
したときのことは、いまも忘れられ
土 三谷さんはお若いころ、こ
のビルで働いていらしたわけですが、 ません。土さんがやられていたQ
よね。何年ぶりになりますか。
囲気が漂っていて、私だけでなくみ
ら土さんのお名前は聞いていまし
なかったと思いますが、そのころか
入社直後はまだ直接はお会いしてい
て、設備技術部に配属されました。
に大学を出て川崎製鉄に入社しまし
人材だ﹂と褒めていたんですよ。同
んな人が三谷さんのことを﹁優秀な
たくありません。当時、社内のいろ
土 そうだったかもしれません
ね。いまは、あのころの怖さはまっ
な足がすくみました。
﹁留学したい﹂
三谷 入社4年目に
と言ったんですが、そのときは叶わ
したころですね。
三谷さんが﹁留学したい﹂と言い出
ゃないか、と、警戒していました。
を機会に、あわよくば川鉄を出よう
土 最初に留学したいと言った
ときには、三谷さんと私はもう面識
ず、翌年留学させていただきました。
ですが、席の周りからは怖そうな雰
三谷
年ぐらいになりますね。
ほんとうに久しぶりです。昭和 年
た。
時に、あなたの上司も人事もみな、
52
38
次 の時代を創るためには挑戦が必要
“異質”に遭遇してこそはじめて新しい価値観が生まれる
がありましたよね。私でさえ﹁留学
あなたが川崎製鉄を辞めていくんじ
52
土 昭和 年というと、私は
歳ぐらいだから、千葉に新しく建設
25
三谷 宏幸氏
(ノバルティス ファーマ株式会社代表取締役社長)
最近の日本人は元気がない。挑戦しない。我々が海外を目ざした理由は、日本に
無いものが海外にあったからだ。大変だが、それを取りに行こうという志があっ
た。挑戦というのは、いつも自分をストレッチして、自分以上のものにしようと
いう努力だったような気がする。いまはその挑戦が無く、一時期のイギリスのよ
うにうまくまとめる力ばかりが目立つ。
“次の時代を創る”ためには挑戦が必要。
製鉄の工学部出身者は、電気系統だ
心配していたわけです。当時の川崎
かへ行ってしまうんじゃないか﹂と
したら、糸の切れた凧のようにどこ
司も﹁三谷さんの留学を簡単に承認
じていたぐらいですから、人事も上
と思っているんじゃないかな﹂と感
ろんな作業ができたと思うんですが、
代は樹の幹を触れるような感じでい
感じていました。土さんたちの時
した時期と我々の時期とのちがいも
思ったんです。土さんたちがいら
は舞台がちょっとちがうのかな、と
ったし、ポジティブだった。自分に
広さはすごいな、と。人間の幅があ
んて言われたりしたんですよ。
秀な若手に土を接触させるな﹂な
ことが人事にも知れわたって、
﹁優
もいいんじゃないか﹂と言っている
ろが、私が﹁三谷さんを辞めさせて
は、ひとりの世界だったんですよ。
夜勤務を5年近くやりました。これ
土 私自身は、大学を出て川鉄
へ入ってきてから、三直三交代、深
三谷 そうだったんですか。
では川鉄には納まりきらないかもし
分かりませんが、
﹁あなたのタイプ
は、三谷さんが覚えているかどうか
三谷さんが期待されていた。でも私
土 三谷さんは、自分でいろい
ろとつくりあげて、自分の存在を実
がっていましたから……。
た。すでにさまざまな路線ができあ
ぱぐらいしか触れなくなっていまし
(JFEホールディングス株式会社相談役)
ハングリー精神で挑戦を 。
とか冶金系統はいたんだけども、機
れない﹂と言ったんです。
ろうと思ったから、川鉄を辞めたほ
械系統が少なかったんです。それで、 言葉を選ばずに言うと、我々は葉っ
三谷 留学して帰ってきて、辞め
たいという気持ちになりましたね。
うがいいな、と言ったんです。とこ
感しながら仕事したいタイプなんだ
米国を実際に自分の目で見て、この
土 文夫氏
文系理系を問わず、昼の常駐の人と
土 プレゼンテーションの時間
は、だいたい 分。どんなに短くて
みたに・ひろゆき
さん、富山出身でしょう﹂と言われ
たんですよ。これはもう、最大のユ
ーモアだと思いましたね。私が富山
出身だということを知っていて、ご
自身も富山出身なもんだから、聴い
たらわかる、と……。そのとき私は
すかさず﹁世界という舞台でも、明
らかに富山出身だということがわか
る富山弁をちゃんと身につけている
ということは、富山県人としてこん
なにプラウディなことはない﹂と応
えました。それをあるとき富山で話
したら、富山の地方新聞に掲載され
のイメージとは、だいぶかけ離れて
三谷 それはおもしろいお話です
ね。若いころに抱いていた土さん
ちゃったんですよ。
そうとしました。最近は気にしなく
﹁ Steel
﹂など外国の鉄鋼関連のと
ころにも投稿しましたね。論文を読
やドイツ語でも論文を書いて、ドイ
た。日本鉄鋼協会はもちろん、英語
現場にいながら論文を書くことでし
ろが、関西弁が出るし、声は上わず
うのがいちばんいいと思ったんです。 テーションを任されたんです。とこ
んでもらって、外国に招待してもら
るし、ぜんぜんうまくいかない。お
たとき、お客さんに対するプレゼン
まで、丸暗記して行きました。出だ
の佐藤さんという方に声をかけられ
けでした。夜のパーティーで、丸紅
らいいたんですが、日本人は3人だ
ンをしたんです。観衆は200人ぐ
ね。
画部長の声も、荒々しかったですよ
こえたりしましてね。管理部長や企
おまえ!﹂なんていう怒鳴り声が聞
ったですよね。第三製鋼部という工
で話し始めるとか、いろいろ工夫し
三谷 ちょっと入ってますね。
土 私も同じ経験をしましたよ。 場内のオフィスにうかがったときに
ましたよ。
も、背筋がピンとなったことをよく
~ 歳のとき、パリで行われた技
三谷 私も言葉では苦労しました。
覚えています。
﹁なにやってるんだ、
術会議に出席してプレゼンテーショ
ボストン・コンサルティングに入っ
しで声が上わずらないように、低音
て﹁さきほどのプレゼンテーション
土 たしかに言葉は乱暴でした
ね。でも、体罰はありません。厳し
ぁ﹂と思って、一生懸命関西弁を直
なりましたけどね。
業界はほんとうに﹁怖い﹂人が多か
論文を送ったことで、実際に欧米に
金をもらっている側なのにへたくそ
を聴かせていただきましたが、土
37
38
ツの鉄鋼の﹁ Stahl und Eisen
﹂や
出張しました。
なもんですから、
﹁これはまずいな
います。土さんはじめ、昔の鉄鋼
土 英語でも関西なまりなんで
すか。
1977年東京大学機械工学科卒業(工学学士)、1983年
カリフォルニア大学バークレー校機械工学科(工学修
士)
、1984年スタンフォード大学経営工学科(経営工
学修士)
。
1977年川崎製鉄㈱入社、1988年㈱ボストンコンサルテ
ィンググループ、1992年日本ゼネラルエレクトリック
株式会社企画開発部長、1998年GE航空機エンジン北
アジア部門社長兼ゼネラルマネージャー、2002年GE
横河メディカルシステム㈱代表取締役社長、2005年ゼ
ネラルエレクトリック本社カンパニーオフィサー、
2007年5月ノバルティス ファーマ㈱代表取締役社長、
2008年3月ノバルティスホールディングジャパン㈱代
表取締役社長兼務、2009年6月㈱ベネッセホールディ
ングス社外取締役
著書﹃世界で通用するリーダーシップ﹄(東洋経済新
報社)
。
そのときに何を考えたかと言ったら、 も 分はありました。最初から最後
会うチャンスがないわけですから。
30
三谷 ご自分の論文を持って行っ
てらしたわけですね。
15
2013. 4 ●月刊公論 26
があってこそだったと思います。
いことを言うというのは、温かい心
ていちばん感じたのは、まずは国土
し、喜びもありました。海外に行っ
目で見られる、という驚きがあった
た。
急に大きくなったような気がしまし
ーショックを受けましたね。画面が
って﹁次もなにかそういうおもしろ
あげから3年携わって、それが終わ
たと思います。半導体事業には起ち
の広さです。飛行場にも高層ビルに
か。
どのような部分でそう思われました
当然、競争はしているんですが、
﹁欲
かで人間的に幅広い人が多かった。
だけではなくて、人と話しても大ら
れが世界なのか﹂と……。それが形
が、日本から出て行ったときに﹁こ
かにも通用するんだ、ということも
いと感じていました。鉄の技術はほ
したし、自分自身も仕事がおもしろ
だいたのは素晴らしい経験になりま
ままでとはちがう世界を見せていた
ときに、この本社に来たんです。い
三谷 留学から戻ってきて、半導
体事業をやらせて頂きました。その
思ったわけですね。
土 ボストン・コンサルティン
グには何年ぐらいおられたんですか。
を体系的に勉強したんです。
ン・コンサルティングに入って経営
ことに決めました。それからボスト
こともあって、それならと退社する
した。自分では、もう少し経営を勉
ビジネスの
“間合い”
は
対話から生まれる呼吸
い仕事はありますか?﹂と訊いたら
土 2年間留学して帰ってきて、
﹁もう、ない﹂と言われてしまいま
もうちょっと広い世界を見たい、と
三谷 自分の中にいくつか﹁ここ
が転機だったな﹂ということがある
しかったら、それ持って行っていい
も、自分たちが憧れていた風景があ
んですが、外国はふたつ目の転機で
よ﹂とか﹁君の判断に任せるよ﹂と
強しなければならないと思っていた
す。ひとつ目は、東京に出てきたと
三谷 4年です。そのあとGEに
年勤めて、現在のノバルティスフ
40
りました。いまの若い人たちは必ず
﹁外国に行って世
土 先ほど、
界が広がった﹂とおっしゃいました。 しもそうは思わないかもしれません
きでした。それまで﹁テレビの世界
わかって、そういう意味では広がっ
三谷 私が 歳になったぐらいで
すね。
いのときですか。
土 ジャック・ウェルチさんと
はじめて話をされたのは、何歳ぐら
で、ずいぶん勉強にもなりましたね。
た。ジャック・ウェルチと会うこと
めて経営を実践に移す経験をしまし
に行ったところなので、GEではじ
サルティングには経営の勉強のため
ァーマは6年です。ボストン・コン
15
土 いい時ですね。
三谷 衆中の原子炉というか、あ
の方にはものすごいエネルギーを感
27 ●月刊公論 2013. 4
か言ってくれる。本当に、カルチャ
すど ふみお
のもの﹂と思っていたものが自分の
1941年富山県生まれ、1964年北海道大学工学部治金工
学科卒業、1964年川崎製鉄株式会社入社、1988年水島
製鉄所製鋼部長、1992年水島製鉄所企画部長、1992年
理事水島製鉄所企画部長、1994年取締役千葉製鉄所副
所長、1995年取締役千葉製鉄所副所長、同製鋼部長、
1996年取締役鉄鋼企画部長、1997年常務取締役鉄鋼企
画部長、1998年常務取締役経営企画部長、1999年常務
取締役、2000年代表取締役副社長、2001年代表取締役
社長、2002年代表取締役社長JFEホールディングス
株式会社取締役(非常勤)
2003年JFEスチール株式会社代表取締役社長(CEO)、
JFEホールディングス株式会社取締役(非常勤)、
2005年JFEホールディングス株式会社代表取締役社
長(CEO)、2010年取締役、2010年相談役
す。その当時の日本では、まだ﹁世
ときに会って、話をしたのが最初で
じました。たまたま彼が日本に来た
て、
﹁話をしろよ﹂という感じです。 かったし、統合してからもみんな一
栄だ﹂なんて言っている余裕もなく
れるんです。
﹁話ができることが光
緒だったので、川崎製鉄の社長だっ
もと役員用、社員用という区別がな
にあったんですよ。川崎製鉄はもと
ね。
ですよ﹂って言うから、おかしくて
と言われておりました。これ、秘密
必ずにこやかにパッと言うんだぞ、
同僚として見たときの評価は意外に
3層も4層も上の人なのに直接話が
りになるときがあるでしょう。とく
ちがったりします。だからいろんな
界に冠たる﹂という認識はされてい
に女性の社員と一緒になったときに
視点で見ないと……。
三谷 同じ人でも、自分が上から
部下を見たときと、下の人が上司や
土 なんで日本ではそれができ
ないんですかね。私は、トップと対
が面白いんだよね。上司の課長のこ
﹁上司は誰?﹂と訊くんです。これ
たときも、JFEの社長だったとき
話ができないというのが、日本の会
土 上から見て、やさしくて気
配りのできる紳士だな、と思ってい
も、エレベーターで社員とふたりき
しさ、人間的な魅力は、ものすごく
社の活性化を阻害している要因のひ
ということもありますね。
﹁うちの
できるということには、驚きました
戦略的に物事を考えるところだと思
とを好ましいと思っている場合は
上司は、お客様と会食に行くと、飲
ね。
います。一方で、直感のよさも持ち
﹁三谷さんです﹂というふうに、す
三谷 昔の偉い方たちは、今より
ももっと距離感はあったと思います。 ぐに返事をする。ところが、一呼吸
とつだと思っているんですが……。
置いて﹁土です﹂と言うようなと
ない会社でしたが、欧米では彼の名
合わせている。
ところが、同時に実際にお会いした
んだ後、9時半とか 時半にまた会
は知られていて、世界一の経営者だ
土 ウェルチさんも、対話とか
コミュニケーションは重視している
きは駄目なんですよね。
ょうしね。ところが、海外は会社の
で、時間が取れないことも多いでし
りません。スケジュールも過密なの
長と直接話せるようなイメージがあ
残念ながら日本の会社では社員が社
いすることはなくなっていますが、
副社長と﹁自分の上司﹂としてお会
ずいぶん前から日本の会社の社長や
と付き合っています。その意味では
して、外部の人間として日本の会社
三谷 かなりしっかりやっていま
したね。私は外資系の会社に転職を
思います。NKKと統合したとき、
土 日本の経営者はそこをもう
ちょっと考えないと駄目だなぁ、と
感がないんです。
もしれせんが、本当の意味での親近
離感というものこそ縮まっているか
でもうちの会社の中でも物理的な距
させてくれる。今は逆に、御社の中
﹁その言葉を覚えておこう﹂と感じ
に﹁私のことを知ってるんだ﹂とか
お会いして声をかけてくださるとき
ふだんは話せないけれど、たまたま
ではないでしょうか。偉い人だから
土さんから上司の名前を訊かれたら、 判断するんだな、と教えてもらいま
て、
﹁土社長。うちの上司に、
きに閉まりかけたドアをパッと開け
と。彼女が人事のフロアで降りると
すね﹂と言ったら、﹁そうなんです﹂
にこやかに答えたから﹁素敵な方で
誰か訊いたんです。
﹁○○です﹂と
と一緒に乗り合わせたときに上司は
しまった。それからまた、女性社員
と言ったものだから、評判になって
と、その人が優秀かどうかわかる﹂
土 ところが、私が人事課長に
﹁エレベーターで上司の名前を訊く
三谷 わかります。
う方法で、人の中身や現場の状況を
なんだな、と感じましたね。こうい
れて、コミュニケーションって大事
場の話を直接聞こうという姿勢に触
た彼の、情報を幅広く集めよう、現
としていたんだと思います。こうし
とで私の上司や同僚のことも聞こう
三谷 ウェルチが言っていた﹁会
話をする﹂というのは、私と話すこ
たのでは、たまりませんよね。
たことがあります。そんな上司がい
とも言われていました。彼の素晴ら
と聞いたことがありますが、実際の
ときの親近感というのも、あったの
た人が、下から見たらとんでもない、
ところはどうでしたか。
トップと話ができるんです。ウェル
向こうは役員用のエレベーターが別
ったら怒るんです﹂なんて話を聞い
社に戻ってきて、誰も残業してなか
チですら話ができるし、話をさせら
10
2013. 4 ●月刊公論 28
のの順序っていうのがあるんですか
いつも呼んでるじゃないですか。も
れである日﹁土さん、私の部下を
の部屋に来る人を彼は見ていた。そ
もいつもドアを開けていたので、私
私の隣の部屋だったんですが彼も私
社長になったときに、ある副社長が
から、嫌がられましたね。JFEの
長や取締役を飛ばしているわけです
した。課長を呼ぶということは、部
いちばん上役の人がウェルチの顔色
言わないなら帰れ﹂と言うんです。
の相手の机をパーンと叩いて﹁何も
告の際に黙っている人がいると、そ
ころに行くじゃないですか。その報
長と5人ぐらい揃ってウェルチのと
ある仕事の報告に本部長と部長と課
よね。ウェルチは怖い人だったんで
し、直接聞くということは大事です
三谷 結局、上にだけよくしても
下に悪かったら、その人は駄目です
ありますよ。
ないと駄目なんだ﹂と言ったことが
に相手から打ち込まれない、そうい
の間合いが大事だと思います。絶対
ター、部下や上司との関係でも、こ
ビジネスのパートナーやコンペティ
間合いがまちがったらちょっかいか
いいですよね。
判断できる距離感にいると、すごく
ころにあるし、上司が本当に中身を
子です。でも、活力ってそういうと
場感がない。誰か代われ﹂という調
うのは、ひじょうに重要ですね。日
土 ショートセンテンスで自分
を表現する、アピールする能力とい
必要なんです。剣道なんていうのは、 ないと、ぜんぜん聞いてもらえない
土 これは、スポーツや武道と
もよく似ています。対話をするため
本語でもそうですよ。
けるばかりでちっとも打ち込めない。 けましたね。
してよく怒っていました。たとえば、 には、精神が交わるような間合いが
すが、
﹁話さない﹂ということに対
う間合いを取っていたら、それはビ
三谷 伝え方の間合い、メッセー
ジネスマンじゃないということです。 ジ性、そういうものをみんなちゃん
飛び込んで伝える。短い言葉で言わ
している時一瞬見えた隙に、パッと
うまくまとめて言うように心がけて
ッセージ性のある短いセンテンスに
に参加するかというと自分の話をメ
です。そこでどう米国人同士の対話
国人とくらべたら英語はすごく下手
した。
ら、やめてくださいよ﹂と言うもん
をうかがいながら報告していると
土 私は係長や課長に直接声を
かけて、社長室に来てもらっていま
だから、
﹁何を言ってるんだ。あな
﹁お前の話を聞いても、ぜんぜん現
ので……。そういう方法論を身につ
いたんです。米国人同士が激しく話
たから聞いたら偏った情報しか入っ
と意識しているのかな、と思います。
こう考えると英語を話せなかったら
グローバルではない、ということで
土さんがおっしゃる﹁間合い﹂も
に通用することはたくさんあって、
いでしょうか。言葉が下手でも海外
いうのは、実はあまりないのではな
三谷 グローバル化という話のな
かで、日本でしか通用しないものと
した。
そういう人たちもたくさん見てきま
日本人の外資ゴロみたいなのもいる。
外国人でも薄っぺらい人はいるし、
くさんいらっしゃる。言葉が堪能な
ーバルな間合いを持っている人はた
グローバルに通用
する一流資質とは
そのひとつだと思います。そういう
はないですよね。本当の意味でグロ
間合いをどうやって掴んで会話する
土 私が経営企画担当の常務だ
ったとき、外国人と会談をするのに
のか。たとえば私はGEのなかで米
29 ●月刊公論 2013. 4
てこないから、たまに下からも聞か
﹁トップと対話ができないという点が
日本企業の発展の障害になっているの
では ﹂と三谷宏幸氏㊨と數土文夫氏
の課長が、
﹁私は英語が得意なんで
ぱり駄目なんですね。
三谷 ゆとりというか、人間の幅
をどこかでつけていかないと、やっ
電、弱電、冶金でも経理でも、だい
3か月で3冊も読めば、機械でも重
やって専門書を読み続けていって、
ても、1か月に1冊は読める。そう
いは読めるだろう。どんなに忙しく
﹁お前もボードメンバーになれ。俺
の目に狂いはなかった﹂と言ったら、
いつか偉くなると思っていたよ。私
らい前から付き合ってきたけれど、
ていった。それで、彼らに﹁ 年ぐ
らい若いのにボードメンバーになっ
あった人たちは、私より5~6歳ぐ
す﹂と売り込みに来た。聞けば、T
土 できる人かどうか判断する
目が養われるんです。ジャック・ウ
たい専門的な知識が身につく﹂と。
のだ。1日に1時間、 ページぐら
OEIC946点で川鉄以来の好成
ェルチさんをはじめ世界で通用する
たちの目も狂ってないぞ﹂と返され
役員になっています。
績なんだそうです。ところが、私は
昭和 年にその発想はすごいと思い
通訳を手配できなかったことがあり
ハッと気がついて﹁でも、君は通訳
人たちを見ていたら、自分もそうな
の点は、私もいまの会社で心がけて
人間を発掘されてきたんですね。そ
三谷 土さんは、そうやって若
手のなかからいろんな可能性のある
なことがありました。
いぞ﹂
。冗談ではありますが、そん
ても日本語が下手だと通訳はできな
語がへただから。なんぼ英語が話せ
ですか﹂と怒る。
﹁いや、君は日本
からグローバルな共通の価値観を学
自分としては世界で通用する人たち
日本人という個性を活かしながら、
ますよね。
らなければ駄目だと思うようになり
リティを高めたいと思っていた、と
なぜ違う分野の人と交流を持たなけ
ところはたくさんありますね。ただ、 れは、実感としてわからなかった。
三谷 日本人という原点を持って
いると、ああいう米国人になれない
いうこともあるかもしれません。そ
値観というものはたくさんあります。 ればいけないのか。自分のスペシャ
互いに共通に通用する考え方とか価
れが、 歳ぐらいになって、海外の
持て﹂と言われました。ところがこ
つ目に﹁社外のいろんな人と交流を
本当にそうだと実感しています。3
三谷 ウェルチという人は﹁いま
から教えるよ﹂という感じではなか
ました。
て、感応力があったんだろうと思い
また、藤森義明さんなんかを見てい
れたのではないでしょうか。そして
ルチさんは、それを雰囲気で教えら
付き合いをするか、ジャック・ウェ
がどういう発想をして、どういう人
ます。私も実際に経験を積んできて、 たのが印象的でしたね。一流の人物
10
ました。そのとき、経営企画の若手
には向かない﹂と言ったら﹁なんで
20
います。若手を含めた社員ひとりひ
39
とりを鼓舞していかないと、本当の
土 私は、入社式で川崎製鉄の
西山社長の訓示を受けた最後の年代
ぶことを心がけてきたつもりです。
存知だと思いますが、鉄鋼というの
るようになりました。三谷さんもご
学術研究会に行くようになってわか
ていただきました。怖かったり、す
て、藤森さんも私もそのなかで教え
ったですね。ふつうに会話をしてい
どあらゆる部署から人を呼んで、2
ぐらいまで、技術系や経理、総務な
をしておきなさい、
と。2番目に
﹁専
どういう内容か予想して質問の準備
んですが、西ドイツだとかカナダ、
門家というものはない﹂ということ。 ました。私は 歳で取締役になった
イプの人間かというのがわかってき
うちに、一流になるのはどういうタ
いておきなさい﹂ということでした。 国内外のいろんな方と交流していく
は、ものすごく優しかったし、いろ
の 時ぐらいに社内の人間だけが集
いろんなパーティーが終わって、夜
とは何度もありました。たとえば、
よね。
~3年所属してもらっていました。
﹁いまはいろんな本が出ている。ど
んな話をしてくれました。ソファに
ごくやさしかったり、落差があるし、
いろんなことを勉強してもらおうと
米国、韓国、フランスなど、交流の
は企業の研究所と企業の現場と大学
思ったんですね。そのときに来ても
んな本でも400ページぐらいのも
が三位一体で技術開発をしています。 ﹁なんだろう、この人は﹂と思うこ
らった人たちはいま、みんな社長や
土 私が経営企画にいたときは、 なんです。その訓示で最初に言われ
たのは、
﹁会議の5分前には席につ
若手の課長、それから副部長、部長
意味での会社の活力は出てきません
28
53
まることがあります。そういうとき
10
2013. 4 ●月刊公論 30
った場面も覚えています。
えてくれました。時には大変厳しか
さんと会うときにはそのやり方を教
でのやり方を教えてくれたし、お客
じでした。一方、昼には、ビジネス
座って、人間として教えてくれる感
があるか、問題がどこにあるか、を
めているエンジンがどのぐらい故障
という品質管理の手法があって、納
ングの時でした。
﹁シックスシグマ﹂
直前のクルマのなかでのブリーフィ
ほどでした。それはお客さんと会う
これはもうクビになるな、と思った
が﹁この赤がついているエンジンが
緒に点数をつけてくれた整備本部長
らないままで……。会議の席で、一
としてくれたんですが、怒りは収ま
ベストは尽くしてる﹂ととりなそう
GEの役員も﹁三谷も、直すための
あまりに激高しているので、ほかの
ったですね。
しょう。でもあのときは本当に怖か
いじゃないか﹂と思ってくれたんで
ステムをつくっている三谷たちは偉
きに﹁現実をそのまま表すようなシ
ゃ怒る。でも、冷静に考え直したと
うようにならなかったらめちゃくち
が、ずっと直ってないんです﹂と答
るわけですね。私は﹁あるエンジン
赤があるんだ﹂とウェルチに訊かれ
ら、
そのチャートには赤があって
﹁い
ない、ということになる。残念なが
です。赤が多いとちゃんとやってい
信号機のように赤、青で表示するん
晴らしいことだと思います﹂と言っ
えで直そうと努力していることは素
あるわけですし、赤は赤で認めたう
評価をシェアしていることに意味が
シックスシグマはこうやって顧客と
なっています。ただ、三谷さんはじ
なかなか直っていないのは、気には
製鉄所の利益計画を作成する、と。
たときにもありました。社長として
うなことが、川鉄とNKKが合併し
ということです。いまの話と似たよ
ジネスもなかなかうまくいかない、
んとかしようと対応してくれている。 い真剣味のある間合いでないと、ビ
め本社の人たちがちゃんと来て、な
千葉の利益計画をつくるときに﹁
可能性があるわけですね。そのぐら
土 間合いというのは、上司に
とっても部下にとっても怪我をする
対話を通じてその
間合いを見極める
えたんですが、
﹁なんで直してない
ゃくちゃ怒られたことがあるんです。 まから行く社長のところに、なんで
三谷 私は、航空機のエンジンの
お客さんに会う前にウェルチにめち
んだ!﹂と声を荒げられてしまった。 てくれた。私それでホッとしたんで
万 /hぐらいを担っている発電所
話してくれなくて、
﹁これはもうヤ
の定期検査を、東電では4か月かけ
ますが、なかなか直らないんです。
かやろう、いまから社長にどういう
か﹂と説明しました。それでも﹁ば
ているということではないでしょう
と先方と一緒になって正直に査定し
できていないことはできていない、
は、やっていることはやっている、
バルの本当のリーダーは現場を見よ
らしい﹂という内容でした。グロー
での関係をつくっているのは、素晴
﹁よくやった。お客さんとあそこま
がきた。いよいよクビかと思ったら
チェックしていたら、本当にメール
が来るんです。さすがに気になって
のタービンがあることも知っていた
ういう事情もわかっていたし、予備
るのでできません﹂と言う。私はそ
クラックが入ってしまう可能性があ
ービンは高価なもので、急熱急冷は
れ﹂と言った。担当の部長は、
﹁タ
その時私は﹁ふざけるな。 日でや
ます﹂と得意げに説明したわけです。
顔して会えって言うんだ!﹂とウェ
で赤はひとつだけです。むしろそれ
解雇になると、 時間以内にメール
バいな﹂と覚悟しました。GEでは、 ているのを3か月ぐらいでやってい
すが、ウェルチは帰る道すがら何も
10
でも、 項目もある評価項目のなか
kW
から、
﹁それでもいいからやれ﹂と
48
20
ルチの怒りは収まらなかったんです。 うとしてくれるし、半面、自分の思
31 ●月刊公論 2013. 4
﹁本社のチームにも見てもらってい
﹁ビジネスマンのアフター5のノレンの衰退が気
がかりですね﹂と語る三谷宏幸氏㊨と數土文夫氏
30
突っぱねました。結果的には、 日
土 それは係長になってからで
すね。それでも、毎日﹁今日はどこ
東電の社外取締役をやってますが、
ことを意識されていたんでしょうか。
三谷 私は、ずいぶん残業されて
いるように思ってました。
﹁土。最近の日本人で心配なこと
土 年ぐらい前、ドイツの財
界のリーダーになっている友人に
がある﹂と言われたことがあります。
NKKの人たちはビックリしてまし
って笑顔で話しかけるもんだから、
千葉の部長に﹁一緒に飲もう﹂と言
をやって、私が2時間前に激怒した
で説明した部長を集めてパーティー
ろが利益計画の審査が終わったあと
雇される﹂と思ったようです。とこ
ったようで、完全に﹁あの部長は解
がこんなに怒るのを見たことがなか
ったんです。NKKの人たちは社長
川鉄出身の担当部長にボロクソに言
KKの人がたくさんいるなかで、旧
……。千葉のとき、私は周りに元N
うから、私は怒ってるわけですが
と言うから、なんだろうと思って持
土、
お前のタイムカード持ってこい﹂
そうしたら、
あるとき今井さんが
﹁
に、土には残業ひとつもついてな
んでもかんでも土にやらせてるの
長になった今井さんという方が﹁な
らってないんです。私の先輩で副社
私は生涯で1時間しか残業手当をも
土 みんなは、私が誰よりも残
業していたと思ってるようだけど、
三谷 あれ、そうなんですか。
私は残業をしたことがないんです。
しもそうでないと思っています。そ
三谷 ﹁最近の若い人たちは駄目
だ﹂とよく言われますが、私は必ず
す。
たんですが、私はやってないんです。 ック・ウェルチ塾﹂だったと思いま
いじゃないか﹂と上司に言われてい
ういう人たちを勇気づけるために、
の﹁塾﹂なんです。だから、
﹁ジャ
適塾の緒方洪庵も、みんな﹁対話﹂
テレス、孔子、それから松下村塾、
ラテスにしてもプラトン、アリスト
土 ﹁対話﹂ですね。ジャック・
ウェルチと同じです。昔から、ソク
りなんでしょうね。
三谷 それも、当時の製鋼部とい
うエリートの人たちの仲間のつなが
したよ。
なったら残業手当はなかったですが、 に飲みに行こう﹂と考えてばかりで
土 それもやっぱり﹁間合い﹂
ですね。
三谷 たしかに、対話ができない
と駄目なんでしょうね。
した。
憂うべきことだと思う﹂という話で
いらしいじゃないか。これは本当に
アフター5の居酒屋談義をやってな
る。それなのに、このごろ日本人は
テムで、我々もいまそれをやってい
ピリッツを伝承する素晴らしいシス
それを一所懸命に真似た。
“のれん”
同の日本が悪いと訴えながら、一方
ったのは“産官学共同”とアフター
なにかと思ったら﹁日本人がすごか
たね。アフター5とビフォア5はち
って行った。すると、退勤前に“タ
なく、ズバズバ入っていって、独創
ーがやるような振る舞いのよさでは
三谷 土さんは、川鉄の時代か
らそうですけど、おとなしいリーダ
かりませんね。
残業をさせてると思われてるんだか
ど、課長とか部長には俺がサービス
と帰るのを俺たちは黙って見てるけ
だけど、
﹁お前がいつも定時で早々
ダーも壊れていません﹂と言ったん
す。私は﹁残業してないし、レコー
うに思います。
く。お互いに火をつけ合っているよ
火がつくし、社員の人たちも火がつ
なんだか嬉しいですよね。こっちも
をよくやっているんです。その時、
高めあうことがもっと必要なのでは
を通じて、お互いの技を見せあい、
いまの日本人には、﹁会話﹂
や
﹁対話﹂
がいるんだ、ということがわかると、 わかる、というところがあります。
こんな気持ちでがんばっている社員
ないでしょうか。それこそ昔は﹁お
能でなくても可能だし、わかる人は
三谷 土さんがおっしゃる﹁グ
ローバル化﹂というのは、言葉が堪
も、ノウハウやスキル、ビジネスス
的なことを言われている印象があり
ら。それが気に食わないんだ﹂と。
1.0
5の“のれん”だ。我々は産官学共
がうんです。ビジネスとして怒った
ます。破壊して、創造して、という
そういうことをどれだけ言ったか分
のであって、いまはちがうんだ、と。 イムカード故障”と書いて、残業の
それと同じ検査が 日もかかるとい
15
﹁ラウンド・テーブル﹂っていうの
ていますから。我々の時代、係長に
でできるようになったんです。いま、 土 いや、そういうことではな
いですね。ビジネスの時間は限られ
28
ところに“ ”と書き入れたわけで
80
2013. 4 ●月刊公論 32
前、それはちがうじゃないか﹂と真
のでは、長所も短所もわかりません。
ところがいまは、あまり技を見せる
所を認めていかなくちゃいけない。
しれないけれど、人間というのは長
剣に議論することがたくさんあった。 もっと言えば、短所は目に付くかも
ことも高めることもなくて、とりあ
各年代で専門性を
終身雇用制の障害
は、どの国でも、 歳や 歳まで働
かないと世の中の仕組みが成り立た
なくなっているし、時代の進歩がも
のすごく早い。昔は 歳ぐらいまで
充実してたのは 歳、 歳ぐらいの
んですけど、体力や気力がいちばん
若いですよ。私も今年 歳で年男な
代で別な道のスペシャリスト、
つの分野のスペシャリストになって、
代ではありません。 代までにひと
ませんが、いまはそれが通用する時
その道でやってきて、プロだ、ベテ
をして、お互いによく知らないと駄
ときですから。ゴルフのスコアも、
土 三谷さんは、今年、年男で
すよね。でも 歳なんて、まだまだ
目です。
そのときがいちばんよかったしね。
ランだ、と言っていられたかもしれ
す。
に産官学の協力があったからです。
土 日本人はよく、欧米の﹁社
三谷 たとえば昔、日本が半導体
員教育or差別化戦略﹂と言ったら、 が強かったのは、通産省の指導の下
えず自分で収めておこというような、 長所を認めるためには、やはり対話
75
とか言うけど、それ以前にハートだ
マニュアル化だとかプロシディアだ
いま、米国が医療分野で強いのは、
だいたい、いまは人生 年ですから。 代から 代で3つ目のスペシャリス
グローバルには通用しなくなってし
たら、 、 年国家に面倒を見ても
た﹁よさ﹂をもっと持ってこないと、 ないことになります。 歳まで生き
ですけれど、日本がかつて持ってい
らうことになるわけですから、間尺
歳とか 歳でしょう。定年が 歳
がらないし、あげさせることもでき
まう。日本人のよさはもっとあるは
に合いません。少なくとも 歳や
だとすると、 年とか 年しか働か
ません。
ずなのに、へんに欧米化してしまっ
歳までは働かないと……。
半導体と医療はぜんぜんちがう業界
三谷 やっぱり、感じると、大き
な力になりますね。
て大事なものを落としてしまってい
がないと本当にモチベーションはあ
土 日本人は、松下村塾だとか
緒方洪庵の適塾、
それから
“のれん”
トにならないと 歳や 歳まで働け
50
ない時代になっていると思います。
私は、 、 歳で水島製鉄所の企画
部長になったとき、これからは技術
屋だけに固執するのではなく経営者
になろう、と思ったんです。それか
ら、経理だとかファイナンス、ヒュ
ーマンリソース、セールス……そう
がある時代です。いくらでも勉強で
たけれど、ビデオやDVDのセット
いうものを勉強しました。西山元社
強さである﹁対話﹂なんかを落とし
土 それからもうひとつ、いろ
んなところで言っているんですが、
きますよ。
長は﹁専門書を読め﹂とおっしゃっ
私は思います。
たら駄目ですよね。でもいまは、う
私は終身雇用制度が日本を駄目にし
まりしていないようです。私がやれ
たときは 歳とか 歳が定年でした。 三谷 私も 歳で社長になったん
ですが、やはり、早くゼネラリスト
45
もっと自分たちのためにやってほし
でしょうか。人と知り合うためには、 みんな来るんですけど……。本当は
乗る人も、はずれた人も、 、 歳
どうかわかります。役員のルートに
代、 代でステージを変えるという
になろう、と思いました。 代、
歳ぐらいになると役員になれるか
ある程度時間が必要です。組織上の
で勉強するのをやめてしまう。いま
と言うと、命令になってしまうので
58
いと思います。
土 それは人間の持っている当
たり前の能力であり、欲求ではない
たと思ってるんです。我々が入社し
三谷 そうですね。
75
ちの会社の連中も、お互いに誘い合
を、もう一回見直したほうがいいと、 る感じがします。そんな中、一番の
60
40
三谷 昔作っていた強さをもう一
度呼び戻すようなことをしていかな
75
70
90
90 45
いといけないと、確かにそうですね。 って会社帰りに飲みに行ったりはあ
70
47
65
そういう協力があるからなんですね。 大学を出て 歳、大学院まで出ると
内向的な傾向があるような気がしま
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72
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とかスピリット、ガッツの触れ合い
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55
つながりで会議で話すだけ、という
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のは、いいお話です。
33 ●月刊公論 2013. 4
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が成り立ちません。しかし、三谷さ
ゃあ日本は駄目です。世界中の国家
土 歳ぐらいになったら、あ
とは年金のことを考えてる、これじ
がうまくいかないのは、異文化の人、 創造して破壊していろんなものをつ
できるかどうか。日本の会社の合併
本質的に相手に敬意を表することが
いと。どんな言葉遣いであっても、
ないですからね。土さんは、日本
れだけ時間がかかったという前例が
やく最近そこから抜け出せたと。そ
ったら語弊があるかもしれませんが、 たすき掛け人事が続いていて、よう
のトップの方の中では珍しい、と言
あるのに、川鉄とNKKはぜんぜん
た会社ですけれど、実質は何十年も
た。新日鉄は、富士と八幡が合併し
体質がちがうのに早いうちに同化し
た路線を、切り拓いてこれられまし
た。当時も新日鉄は合併で生まれた
たのはすごいことですよね。
異質な人に対して敬意を払うという、 くってこられた。それまでになかっ
いからだと思います。
﹁うちの社風
会社として存在しましたが、それを
当然のこと、やるべきことがやれな
では……﹂とかなんとか言って、ね
除けば日本で鉄鋼会社が合併するな
んとは人生観に共通するところがあ
三谷 土さんには若いころしっ
かりトレーニングしていただきまし
ぇ。
それをやられたっていうのは、本当
土 最後に、これからの日本の
あり方、日本人のあり方について、
りますね。
たから。でもJFEという会社に残
のM&Aですよね。破壊して、創造
三谷さんのご意見を教えてください。
遇しないと新しい価値観や発想は出
かったかというと、異質なものに遭
なかったんです。なぜ外国へ行きた
いませんでしたね。上が出してくれ
とか﹁駐在﹂と書いていたけど、叶
申告書の希望欄には、
いつも
﹁留学﹂
へ出たかった。人事に提出する自己
を超えたら、駐在でもいいから外国
ありましたから。それでも、おっし
言われても仕方がないという諦めが
三谷 でも、なぜかそういうイメ
ージがあるんですね。怖かったし、
たりしますけど、ないんです。
にしていたんじゃないか﹂と言われ
とはないです。
﹁土こそ呼び捨て
三谷 それは、素晴らしいことで
すよね。ひとりの人間として認めて
だと思いますよ。
……。結婚だって会社だって、同じ
しあって、敬意を表していかないと
互いのそれまでの想いや思想を尊重
なんて、そんな馬鹿な話はない。お
んです。お互いに﹁白無垢で来い﹂
になる。これが合併できない理由な
ら、お嫁さんが白無垢で来て、うち
土 現場に長いこといましたが、
の家風に染まってくれ、ということ
現場の人も呼び捨てにしたというこ
いるということですから。
三谷 端から見ていて、川崎製鉄
とNKKはかなり体質のちがう会社
代で、いろんな物が足りてきて、こ
そうだったように、うまくまとめる
戦が少なくて、一時期のイギリスが
がします。ところが、いまはその挑
ようという努力をしていたような気
トレッチして、自分以上のものにし
の挑戦というのは、いつも自分をス
たいな、という志がありました。そ
しれないけどそれを取りに行ってみ
こうと思った理由は、日本にないも
つねにハングリー精神
挑戦する気慨を大切に
三谷 土さんは、確か、年下の
人でも必ず﹁さん﹂をつけて呼んで
して、お互いの気持ちの軸をまとめ
年に1回ぐらいずつ、環境を変えて
ゃるように異文化や違う価値に対す
んて、私は考えもしませんでした。
っていたとしたら、たいして成功し
おられましたね。
るようなことをしておられるという
こられていますよね。環境を変える
る敬意とか相手に対する最低限の尊
うなってきたという要素はあるんで
土 結婚と同じです。日本のト
ラディショナルなファミリーだった
ことに臆病になって、保守的になっ
が一緒になったな、という印象でし
10
力ばかりが目立っている。飽食の時
のが向こうにあって、たいへんかも
たら駄目なんです。新しいところに
敬がないと、ものごとはうまくいか
てこないからです。三谷さんは、
行ったら、わくわくするぐらいでな
かたなかったんですよ。留学の年齢
さんも、ふたりとも留学したくてし
土 私も、いまJFEホールデ
ィングスの社長をやっている馬田一
なかったかもしれません。
土 私は新入社員でも呼び捨て
にしたことはないですよ。
のは、すごいと思います。
三谷 最近の日本は元気がないで
すね。挑戦しない。我々が海外に行
50
2013. 4 ●月刊公論 34
てほしい。もっと新しいものをつく
いたらここで終わってしまうと思っ
ほしいなと思うし、ここで留まって
う意味で挑戦する人たちをつくって
すよね。これからの日本は、そうい
の中が見えないというのは、駄目で
まりにまとまりすぎていて新しい世
ていくことが必要だと思います。あ
という気持ちや、異質のものに触れ
戦しよう﹂とか﹁自分を伸ばそう﹂
すが、次の時代に行くためには﹁挑
向こうで勉強してきて、たとえばサ
に移住するって言うんです。それで
学に進学したら、両親が一緒に米国
ての英語の素地をつくる。米国の大
って勉強させて、高校や大学に向け
るために、中学校でマレーシアに行
がひとりだとすると、その子に賭け
す。韓国の話で驚いたのは、こども
いけないのは、彼らの大変な努力で
を持ちます。そこで気がつかないと
は負けなかったのに、という気持ち
を見ていると、昔の日本人は彼らに
ちでやってもらわないと困りますよ
て行けるところまで行くという気持
うして調子のいいときに盛り上がっ
土 そうですね。
三谷 アベノミクスというのも、
どこまで続くかわかりませんが、こ
は強くならないと思います。
すね。それが出てこない限り、日本
ちで挑戦していってほしいと思いま
いいや﹂と思わずハングリーな気持
にはないのかな、と。
﹁このままで
ハングリー精神がなんで最近の日本
んいいとは言いませんが、そういう
になってもいいと思います。人間は
ないと駄目です。それがあれば部長
なんだから、人間に興味を持ってい
ってきました。組織というのは人間
すよね。もっと人間くさいものが、
土 マニュアルだとかプロシデ
ィアというのは、初期の段階の話で
思いました。
え合うというのは、すごくいいなと
するわけではないけれど雰囲気で伝
はあると感じました。必ずしも伝承
土 今日のキーワードは、やっ
ぱり﹁間合い﹂でしょうかね。真剣
みたいに思ったら強くなれません。
そういうことを知るためには、やは
なんて任せられるわけがありません。
か、どこに生きがいを感じるかとい
ね。誰かがなんとかしてくれるんだ、 なんで動くのか、なんで感激するの
な人を管理職にするな﹂と人事に言
常にあると思う。私は、
﹁人間嫌い
ろう、次のものを取り込んでいこう
ムソンに入れる、と。それがいちば
勝負の間合いと、安全な間合いと、
り真剣な間合いが大事になってきま
すよね。
うことを研究しない人に、リーダー
いろいろありますが……。
三谷 踏み込まないと勝てないで
すからね。
土 今日は、三谷さんに久しぶ
りにお見えいただいて、このビルも
三谷 私もほんとうにそう思いま
す。
けるためにも、
“間合い”が大事で
さぞ喜んでいると思います。貴重な
土 お互いの心を理解しあうた
めにも、ビジネスの新しい種を見つ
すね。
た。
お話、どうもありがとうございまし
三谷 それから、土さんがおっ
しゃっていた﹁対話﹂もキーポイン
トだと思います。いままでの日本の
強さをつくってきたよさが、対話に
35 ●月刊公論 2013. 4
としてほしいな、と。韓国とか中国
松下村塾㊤と適塾