July Special 半月板損傷の 治療 スポーツ選手の場合と高齢者の場合 膝関節の中にあり、クッション の働きをしている半月板。スポ ーツ選手でも高齢者でもこの半 月板損傷の例は多い。損傷した ら、縫合できるものは縫合し、 できないものは切除という治療 から、「しばらく様子をみる」と いう保存的治療と、「再建術」に も取り組んでおられる堀部先生 と、高齢者の膝の痛みは変形性 膝関節症を伴うことが多いが、 痛みの原因は半月板損傷の場合 もあるという押田先生に取材。 半月板損傷に注目することで医 療や治療の大事な部分が見えて くる。 1 半月板損傷の治療をどう考えるか 2 高齢者の半月板損傷 堀部秀二 P.6 ── 機能重視という治療のフィロソフィー 押田 翠 P.14 ── 関節鏡の歴史とともに ・The Athlete’ s Voice 半月板損傷と付き合いながらつかんだ金メダル 斎藤 仁 P.18 1 半月板損傷の治療 半月板損傷の治療をどう考えるか ――機能重視という治療のフィロソフィー 堀部秀二 大阪労災病院スポーツ整形外科 骨の間にあるC 型をした線維軟骨で、内側 硬い。材料特性としても両者は異なってい と外側に2つあって、衝撃吸収と荷重面を ます」とのことである。 広げ、安定性を確保する働きをしていま 堺市にある大阪労災病院スポーツ整形外科 す」 半月板損傷の病態 の堀部先生に、半月板損傷について詳しく よく言われるように、クッションとして 聞いた。半月板損傷については、縫合でき 存在しているが、前角と後角が脛骨につき、 損傷で、その割れ方はさまざまである。 るものは縫合、縫合できないものについて 周囲は関節包についているが、一部は浮い 「半月板損傷は、単独損傷と靱帯損傷を合 は切除という理解だったが、堀部先生らは、 た状態になっている。 この半月板が割れる(断裂)のが半月板 併するものの2つに大別することができま 簡単に切除は行わない。また半月板の再建 図2は半月板の断面で、図のようにくさ 術にも取り組んでおられる。治療のフィロ び型になっていて、荷重されると広がり、 ソフィーから発するスポーツ整形外科らし 関節内でぴったりつく。膝を屈曲・伸展さ 生じるもの、2)繰り返す微外傷により生 い考え方と実際について語っていただい せると、半月板は前後に少し動く。 じるもの、3)形態異常を原因とするもの、 た。 半月板とは まず初めに「半月板」 (図1参照)とは どういうものか。 「半月板というのは、膝関節の大腿骨と脛 す。 単独損傷は、1)大きな力が膝に加わり どれくらい硬い(あるいは柔らかい)か 4)加齢による変性に起因するものの4つ 聞くと「貝を開いたときにある貝柱よりは に分類することができます。1)の大きな 硬い。乾燥させた貝柱ほど硬くはないが、 力が加わるというのは、たとえば野球のス 弾力はある。ただ見ての通り、断面は三角 ライディングで膝をひねったときなど、2) 形をしていますから、一様ではなく、薄い の繰り返す微外傷というのは、サッカーで 部分はペラペラしていますが、厚い部分は ボールを何度もキックして、外側の半月板 図 1 半月板(『インジャード・アスリート』Daniel N.Kulund著、中嶋寛之総監修、小社刊より) 左の C字が内側半月板、右側の逆C 字が外側半月板 6 Sportsmedicine 2007 NO.92 2 半月板損傷の治療 高齢者の半月板損傷 ―― 関節鏡の歴史とともに 押田 翠 う人が膀胱鏡を創案したのが始まりとされ 表1 関節鏡の歴史 ています。その後1918年、東京帝国大学 1877 Max Nitze :膀胱鏡を創案 整形外科学教室の第二代教授である高木憲 1918 高木憲次:膀胱鏡で屍膝関節をのぞいた 高齢者が膝の痛みを訴える場合、変形性膝 次先生が、膀胱鏡で屍膝関節を見ています。 1931 高木式関節鏡出来上がり(径7.3mm) 関節症と捉えられることが多いが、半月板 それから高木式関節鏡の開発が始まるので 損傷が原因となっていることがある。見逃 すが、東大整形外科の初代教授である田代 1933 飯野三郎:第 8回日整会「屍体関節の関 節鏡写真提覧」 されやすい疾患だが、MRI と関節鏡により 基徳先生から『費用は吾輩が引き受けるか 1937 巴里萬国博覧会に出品(高木式) 診断と治療が可能である。ここでは、関節 ら』とのご鞭撻があったと高木先生が記さ 1939 飯野三郎:「関節鏡的解剖学」を確立 鏡の発祥の地と言える東京逓信病院の押田 れています。田代先生の援助もあり、 先生に関節鏡の話も含め、解説していただ 1931年、高木式関節鏡が完成しましたが、 1959 渡辺正毅:渡辺式第21 号関節鏡完成 (径 4.9mm) いた。 当初のものは径7.3mmという太いもので 東京逓信病院整形外科 した。それは1937年の巴里萬国博覧会に 整形外科部長をされていたのですが、 出品されました。田代先生はもともとは大 1959年に渡辺式第21号関節鏡を完成され 分の中津藩の蘭学者の養子で、その意味で、 ました。これは径4.9mmで、現在の関節 鏡がもたらした役割は大きい。関節鏡によ 関節鏡は蘭学とも関連があると言えそうで 鏡の実用化はここから始まっています。私 る手術(鏡視下手術)は、半月板損傷に限 す。1933年、高木先生のお弟子さんで、 も最初はこの第21号から入りました」 らず、前十字靱帯損傷をはじめ低侵襲性の 東北大学整形外科の第二代教授になられた 押田先生は、東北大学の出身で、東北労 手術法として世界中に普及したが、それは 飯野三郎先生が、第8回日本整形外科学会 災病院から21年前に現在の東京逓信病院 東京逓信病院から始まった。この歴史を頭 で『屍体関節の関節鏡写真提覧』を発表さ に移ったが、当時の東京逓信病院整形外科 に入れておく必要がある。押田先生は次の れ、1939年には『関節鏡的解剖学』を確 部長が池内宏先生。押田先生は、この池内 ように語る。 立されました。その後、高木先生のお弟子 先生の指導を受けている。当時この東京逓 さんである渡辺正毅先生が東京逓信病院の 信病院には欧米、アジアから多数の医師が 関節鏡の歴史(表1) 高齢者の半月板損傷の診断と治療に関節 「関節鏡自体は、1877年、Max Nitze とい 関節鏡と蘭学 田代基徳先生(1839-1898) 大分市にある銅像。蘭学医が女の子の膝を診ている像 (この項、写真、図表類は押田先生提供) 14 田代先生と『中津藩 蘭学の光芒 豊前中津医学史散歩』(川嶌眞 人著)の書 Sportsmedicine 2007 NO.92
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