708 日呼吸会誌 41(10),2003. ●原 著 異常陰影の発見から 18 年後に切除された 粘液非産生型 I 期肺腺癌の 1 例 荒木 和浩1) 後藤 功一1) 永井 完治1) 西脇 横瀬 智之2) 裕1) 要旨:症例は 56 歳女性.38 歳時より検診にて右上葉の異常陰影を度々指摘されていたが,肺癌の確診が得 られず,経過観察されていた.しかし,陰影は緩徐に増大傾向を示し,精査目的で当科紹介となった.画像 上,肺癌が疑われたため,審査開胸が施行された.病理学的には,腫瘍は肺胞上皮置換型の増殖形態を示し, 肺胞の虚脱巣を伴った高分化型腺癌,p-T2 N0 M0,IB 期であった.本症例は手術までに 18 年という長い 経過を有しているにもかかわらず,リンパ節転移や遠隔転移を認めず,病理学的にも浸潤傾向の乏しい稀な 症例と考えられた. キーワード:肺癌,腺癌,長期経過,粘液非産生型 Lung cancer,Adenocarcinoma,Long clinical course,Nonmucinous type はじめに 肺胞上皮置換型の増殖形態を示す肺腺癌は進行が緩徐 で比較的予後良好と考えられているが 1),5 年以上の長 期経過を示した報告例は少ない.これまでの報告で長期 経過を示した多くの症例が粘液産生型腺癌であり,粘液 非産生型の腺癌ではわずかに 2 例のみである2)3). 我々は異常陰影の発見より 18 年間の経過を有する粘 液非産生型の高分化型肺腺癌の 1 例を経験したので報告 し,若干の文献的考察を行う. 症 例 症例:56 歳,女性. 既往歴:55 歳,大腸癌にて根治的部分切除術. 家族歴:特記事項なし. 喫煙歴:なし. Fig. 1 Chest radiography in July 2000 showing a nodule in the right upper lung field. 現病歴:38 歳時(1982 年)に,初めて右上葉の異常 陰影を指摘された.その後も検診で,同陰影を度々指摘 画像所見:初診時の胸部レントゲン写真では,右上肺 され,精査を繰り返してきたが,肺癌の確診が得られず, 野外側に 3 cm×1.5 cm の境界不明瞭,辺縁不正で胸膜 経過観察されていた.陰影は極めて緩徐な増大傾向を示 陥入像を伴う結節影を認めた(Fig. 1) .胸部 CT では右 し,精査目的で 2000 年 1 月に当科紹介となった. S1b に結節影を認め,陰影内には拡張した気管支透亮像 入院時 現 症:身 長 152 cm,体 重 43 kg,血 圧 100! 60 mmHg,脈拍 60! 分,整.表在リンパ節は触知せず,理 学所見,入院時検査でも異常を認めなかった. 〒277―8577 千葉県柏市柏の葉 6―5―1 1) 国立がんセンター東病院呼吸器科 2) 同 研究所支所臨床腫瘍病理部 (受付日平成 15 年 3 月 31 日) を認めた(Fig. 2) . 初回(38 歳時)の異常陰影の指摘は米国在住中であっ たため胸部レントゲン写真は入手できなかった.現存す る最も古いレントゲン写真は 1994 年 12 月に施行されて おり,右上肺野に同陰影を認めるが(Fig. 3) ,その大き さは 6 年間で約 1.5 倍の増大傾向を示している.胸部 CT で は,1992 年 12 月(Fig. 4)か ら 2000 年 1 月(Fig. 2) 長期経過を示した肺腺癌 709 Fig. 4 Conventional chest CT in 1992 showing the same nodule in the right S 2 lung field. The nodule was Fig. 2 High-resolution chest CT in July 2000 showing the mass with airbronchogram and spiculation in the right S 2 lung field. The mass was 5.2×2.5 cm in diameter. 2.3×1.5 cm in diameter. Fig. 5 Histological findings of the tumor, well-differentiated nonmucinous adenocarcinoma. Tumor cells show a lepidic growth pattern on the wall of preexisting alveoli. Note the formation of fibrotic foci caused by alveolar collapse. Fig. 3 Chest radiography in 1994 showing the same illdefined nodule in the right upper lung field. までに腫瘍の最大径は 2.3 cm から 5.2 cm に増大してい る.画像上,肺癌が強く疑われたため,気管支鏡や肺針 生検などの検査を勧めたが,過去に何度も同検査を施行 したにも関わらず診断が得られなかったため,本人が拒 否した.その後は,経過観察となり初診時より半年後に 本人の希望で審査開胸が施行された. 手術所見:右側第 4 肋間で開胸した.胸水や胸膜播種 を認めず,右上葉に胸膜陥入を伴う腫瘤を認め,部分切 除術を施行した.術中迅速診断にて高分化腺癌の診断と なり,右上葉切除術および縦隔リンパ節郭清術(ND2a) を追加した.術中所見は sT2 N0 M0 Stage IB であった. Fig. 6 Histological findings of fibrotic foci, stained by the elastica van Gieson method, showing condensation of elastic fibers in the tumor. Note the well-preserved elastic fibers. 710 日呼吸会誌 41(10),2003. Table 1 Cases of pulmonary adenocarcinoma with clinical courses exceeding 5 years Author Age Gender Clinical course (year) Symptom Mucinous/ Nonmucinous Tumor size (cm) p-TNM Inada8) Masumoto9) Matsuyama10) Seki11) Watanabe12) Watanabe12) Inage2) Nakasone3) Araki 33 52 57 13 54 19 63 74 38 M M M F F M F F F 15 12 17 21 26 20 12 6 18 None Cough None None None None Hemoptysis None None Mucinous Mucinous Mucinous Mucinous Mucinous Mucinous Nonmucinous Nonmucinous Nonmucinous 3 10.5 3 NM 7.5 5.5 6 1.5 3.5 T1N1M0 T3N0M0 T4N2M0 NM T2N0M0 T2N1M0 T2N0M0 T1N1M0 T2N0M0 Age indicates patient’ s age when the shadow was initially pointed out. M, male; F, female; NM; not mentioned. 病理学的所見:HE 染色では,立方状の腫瘍細胞が既 本症例は,異常陰影の発見から 18 年間という長期経 存の肺胞上皮を置換するように増殖し,間質の肥厚を認 過を有しているにも関わらず,リンパ節転移や遠隔転移 める.所々では細胞の重積性も認められる.好酸性の細 を認めず,また病理学的にも,胸膜浸潤や血管侵襲を認 胞質を持つ腫瘍細胞の核は大小不同であり,N! C 比が めず,線維芽細胞の増生に伴う線維化巣の形成は極わず 高く,核小体は明瞭である.細胞亜型は II 型肺胞上皮 かで,浸潤傾向の乏しい高分化型腺癌であった.このた 型とクララ細胞型の混合型腺癌である.腫瘍内の線維化 め,異常陰影の発見から 18 年経過した後でも切除可能 は主に肺胞の虚脱巣からなるものと考えられた(Fig. 5) . であったと考えられた. Elastica van Gieson 染色でも,弾性線維の断裂像は極一 本症例が過去に何度も精査されたにもかかわらず,確 部にしか認めず,膠原線維の増生による線維化巣の形成 診がつかなかった理由については,粘液非産生型の肺胞 をほとんど認めなかった(Fig. 6) .リンパ節転移および 上皮置換型腺癌では,その辺縁の腫瘍細胞が反応性の II 遠隔転移を認めず,p-T2 N0 M0,stage IB であった. 型肺胞上皮の過形成と類似しているため,通常の気管支 術後 34 カ月の現在再発なく健在である. 鏡や肺針生検などの検査で得られる小さな生検標本で 考 察 は,鑑別が困難であったことが理由ではないかと推察さ れた. 肺腺癌の病巣内の膠原線維の増生による線維化巣の形 これまで,5 年以上の臨床経過を有する過去の報告例 成に関して様々な臨床病理学的検討が報告されている. .その は本例を含めて 9 例にすぎない2)3)8)∼12)(Table 1) Shimosato らは線維化巣の形成が高度であるほど,血管 経過も 9 年から 21 年と様々であるが,18 年の経過を有 浸潤やリンパ節転移を多く認め,予後不良であると報告 する本症例は 2 番目に長い経過を有した症例であった. している4).また,Takise らは病理病期が早期で,リン 残念ながら最初に胸部異常影を指摘された場所が米国で パ節転移や胸膜浸潤,血管浸潤を認めない予後良好な腫 あったため,レントゲン写真が入手できず,画像の確認 瘍には,線維化巣の形成は軽度しか認められないことを は不可能であったが,本人の説明によると繰り返し指摘 報告している5).同じように Kurokawa らも線維化巣の された異常陰影は 18 年間,同一部位に存在しており, 形成が高度であれば血管侵襲も強く,核分裂指数も高い 緩徐に進行したことは間違いない. と述べている6).これらの結果をふまえて 1995 年には 長期経過を示した症例に関して,性別,年齢で特徴的 Noguchi らが,小型肺腺癌を病理学的特徴に基づいて分 なものを認めない.また,腫瘍サイズが小さいものばか 類し,線維芽細胞の増生による線維化巣の形成の有無が りでなく比較的大きなものでも長期経過を示している. 予後を反映することを報告している1).また Suzuki ら 特徴的なことは,病理学的に全ての症例が腺癌であり, は線維化巣のサイズが 5 mm 以下の末梢型小型腺癌は 5 そのうち多くの症例が粘液産生型の腺癌であることが挙 年生存率が 100% であり予後良好であると報告してい げられる. る7).以上の結果から,線維化巣の形成は肺腺癌にとっ 一方,本症例は粘液非産生型の腺癌であり,細胞亜型 て予後不良の因子であるとともに血管侵襲,リンパ管浸 は II 型肺胞上皮型とクララ細胞型の混合型腺癌であっ 潤,リンパ節転移をきたす浸潤癌の指標となり得ると考 た.これまで本症例と同様に粘液非産生型の腺癌で長期 えられている. 経過を示した症例はわずかに 2 例のみであり,稀な症例 長期経過を示した肺腺癌 と考えられた2)3). 711 the peripheral. Cancer 1988 ; 61 : 2083―2088. 結 6)Kurokawa T, Matsuno Y, Noguchi M, et al. : Surgi- 語 cally curable“early”adenocarcinoma in the periph- 手術までに 18 年という長期の臨床経過を有する病理 病期 IB 期の粘液非産生型の高分化型腺癌症例について 報告した.血管浸潤やリンパ節転移を認めず,浸潤傾向 の乏しい癌と考えられた. ery of the lung. Am J Surg Pathol 1994 ; 18 : 431― 438. 7)Suzuki K, Yokose T, Yoshida J, et al : Prognostic significance of the size of central fibrosis in peripheral adenocarcinoma of the lung. Ann Thorac Surg 文 2000 ; 69 : 893―897. 献 8)稲田啓一,藤岡大司朗,中田耕太,他:15 年の経 1)Noguchi M, Morikawa A, Kawasaki M, et al : Small 過をとった気管支原発の肺癌の 1 剖検例.肺癌 adenocarcinoma of the lung. Histologic characteris- 1978 ; 18 : 209―214. tics and prognosis. Cancer 1995 ; 75 : 2844―2852. 9)増本英男,須山尚史,荒木 潤,他:約 10 年の臨 2)稲毛芳永,角 昌晃,藤原正親,他:手術までに 12 床経過を有する粘液産生肺腺癌の 1 例.肺癌 1991 ; 年の臨床経過を有した粘液非産生高分化型乳頭型肺 31 : 247―252. 腺癌の 1 例.肺癌 2002 ; 42 : 35―40. 10)松山まどか,佐々木春夫,佐野楊哉,他:手術まで 3)仲宗根朝紀,綾部公懿:緩除な発育を示し,陰影濃 に 14 年の臨床経過を有する肺腺癌の 1 例.肺癌 度の変化を契機に発見された肺腺癌の 1 例.肺癌 1997 ; 37 : 105―110. 2000 ; 40 : 143―147. 11)関 保雄,福間誠吾,沢田勤也,他:細気管支肺胞 4)Shimosato Y, Suzuki A, Hashimoto T, et al : Prog- 上皮癌の 1 例―21 年間にわたる胸部 X 線像の変遷 nostic implications of fibrotic focus(scar)in small と剖検所見―.肺癌 1980 ; 20 : 59―64. peripheral lung. Am J Surg Pathol 1980 ; 4 : 365― 12)渡辺紀子,児玉哲朗,亀谷 徹,他:20 年以上 の 373. 臨床経過を有する肺の粘液産生腺癌の 2 例.肺癌 5)Takise A, Kodama T, Shimosato Y, et al : Histopa- 1983 ; 23 : 193―203. thologic prognostic factors in adenocarcinomas of Abstract A case of Well-differentiated Nonmucinous Adenocarcinoma of the Lung with an 18-year Clinical Course Before Surgery Kazuhiro Araki1), Koichi Goto1), Tomoyuki Yokose2), Kanji Nagai1) and Yutaka Nishiwaki1) 1) Division of Thoracic Oncology, National Cancer Center Hospital East, 6―5―1 Kashiwanoha, Kashiwa, Chiba 277―8577, Japan 2) Pathology Division, National Cancer Center Research Institute East, 6―5―1 Kashiwanoha, Kashiwa, Chiba 277―8577, Japan A 56-year-old woman was referred for an abnormally dense area in the right upper lung field detected at medical checkup. This shadow had been pointed out frequently since she was 38 years old, but no pathological diagnosis of lung cancer had been given. The size of the abnormal area had gradually increased over the 18 years. Since lung cancer was suspected on the basis of the radiographic findings, she underwent open lung biopsy. Pathologically, the tumor tissue showed a lepidic growth pattern on the wall of preexisting alveoli ; and formation of fibrotic foci caused by the collapse of alveoli and the microscopic destruction of the elastic fiber framework were seen in the tumor. There was no vascular invasion or lymphatic infiltration in the tumor. It was diagnosed as welldifferentiated nonmucinous adenocarcinoma, p-T2 N0 M0. Although this tumor was untreated for 18 years from the first detection using chest radiography, the critical invasive features were not in evidence pathologically.
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