昭和時代後期・その3 - 長崎県医師会

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対馬の匿癩鼬 (昭和時代後期、 その 3 )
元対馬市図中会会長
《昭和時代後期の病院と診療所 1》
森
森
正孝
昭和 25 年 9 月 九大第一外科。 昭和 27 年 9 月
昭
[医師については、 それぞれの年代で通 し番号を
符 っ てあり、 戦後は s aw、 昭和後半は S で示す。
和 43 年 2 月 大峰鉱業所病院、 昭和 37 年 9 月 15
なお個人情報保護の観点から肖像を省略し生年月
新病院開設準備委員、 昭和 43 年 4 月 1日県離島
医療圏組合厳原病院院長 (初代)、 昭和 52 年 1月
日を暈かした も のもある。]
《厳原町の病院》
日から同院院長。 昭和 43 年 3 月 厳原 町立病 院長、
15 日死亡退職 66 歳。
l厳原病院の対馬いづほら病院}
S‐1 ) 主藤哲之 : S 52 年 7 月
S 53 年 12 月
昭和 6 年 11 月 20 日生、 福岡県
出身。 昭和 39 年 3 月熊本大学医
も 学部卒、 昭和 40 年 7月熊本大学
^
第二外科入局。 昭和 45 年 9 月 熊
本県阿蘇郡小国公立病院、 昭和
47 年 6月日本海員組合液済会門
司 病 院、 昭 和 52 年 7 月 1 日
昭 和 53 年 3 月 3 1
日長崎県離島医療圏組合厳原病院院長 (2 代目)、
昭和 53 年 12 月 31 日北 九州へ、 昭和 55 年福 岡市
昭和 43 年 「長崎県離島医療圏組合厳原病院」
と して発足、 内科、 外科、 産婦人科の 3 診療科で
一 般病 床 55 床。 昭和 44 年一 般病 床 70 床。 昭和
若宮で主藤胃腸科内科医院開業。
S‐2 ) 嘉村末男 : S 54 年 4 月
S 63 年 3 月
47 年 伝 染 病 棟 併 設。 昭和 51 年 一 般病 床 76 床。
昭和 6 年 3 月 21 日 生、 昭和 32
年長大医学部卒、 昭和 38 年学位
昭和 53 年救急告示病院の指定。 昭和 55 年二次救
受 領、 N ew Y ork 大 学 医 学 部 留 学、
急輪番制病院指定。 昭和 56 年 IC U 増築、 人工透
析室増築。 昭和 57 年伝染病棟を西病棟に改築し
長大医学部病理学教室助教授、 国
立大村病院検査科、 国立予防衛生
一 般病床 100 床。 昭和 59 年院外保健活動室 設立、
研 究所 主任 研 究 官 (元 A B C C )、
訪問看護の開始、 理学療法料設置。 昭和 61 年画
像診断部の誕生、 院外保健活動室を院外保健活動
部に昇格、 自治体優良病院としての表彰。 昭和
63 年 3 月 22 日新病院完成移転、 「長崎県離島医
療圏組合対馬いづはら病院」 に名称変更、 一般病
健康保険諫早総合病院内科部長、 大分県立病院部
長、 昭和 54 年 4 月
(3 代目)。
S - 3 ) 伊藤新一郎 : S 63 年 5 月
[歴代院長]
身。 森 岡瑛 次 は父。 昭和 12 年 九
沸帝大医学部卒、 昭和 20 年 10 月
海州
P2
46
[歴代副院長]
S a w‐7 ) 今井節美 : S 46 年 6 月
S‐13) 吉田茂幸 : S 51 年 6 月
S 49 年 3 月
S 52 年 4 月
昭 和 24 年 3 月
S‐6 ) 生島綾子 : S 54 年 5 月 S 55 年 3 月
明治 43 年 11 月 7 日生、 久留米出身、 昭和 8 年
長崎県医師会対馬支部長、 昭和
昭和 23 年 1 月 15 日厳原町会議員。
東京女子医学専門学校卒、 飯塚病院産科婦人科勤
務、 池田産婦人科病院、 満州国関東州大連市博愛
の
22 年 5 月
院名誉院長。
52 . 1 , 15 )
明治 44 年 1月 2 日 生、 対 馬 出
\
代目)。 同年 10 月対馬い づ はら病
譲 (ゆ ずる ) : S 43 年 4 月
S 52 年 1 月 15 日 (休 職 5 1 . 12 . 1
H 6年 9月
昭和 21 年 2 月 5 日 生、 山 口 県
出身、 昭和 45 年長崎大学卒、 昭
和 59 年 1月厳原病院、 昭和 63 年
5 月 平成 6 年 9月同院院長 (4
床数 150 床、 精神病 床 50 床。 へき 地 中核 病 院の
指定。
S a w ‐5 ) 森 岡
昭和 63 年 3 月 厳原病院院長
昭和 25 年 9 月 対 馬 病 院、 昭和
21 年 12 月 21 日
長崎県医師会報 第775号 平成22年 8 月
対馬の医療史
病院、 南満州鉄道株式会社安東病
逐 、 院婦人科産科、 昭和 21年 2月関
東州大連市聖徳衛で婦人科産科医
院開業、 福岡県筑邦町藤吉病院、
む
れ
イ
き, 君鱗
九大医学部胸部疾患研究科入局、
国立療養所壱岐病院、 北九州病院
湯川病院、 昭和 43 年 5月厳原病院勤務、 昭和 54
年 5月 昭和 55 年 3 月厳原病院副院長、 昭和 56
年 3 月 28 日死亡退職 70 歳。
せ」誹 1群
S - 7 ) 岩本
勲 : S 55 年 4 月
専門医制度研修施設。 平成 5 年保健活動室 保 育
室 ・精神科外来診察室増築、 救急医療財団からの
表彰。 平成 8 年 9月新館増築 一般増床 (208 床)、
M RI 稼動、 災害拠点病院指定。 平成 9 年 D SA (血
管造影撮影装置) 設置、 遠隔医療画像伝送システ
ム稼働。 平成 11 年長崎県マルチメ ディ ア医療モ
デル展開事業開始 (3 年間)、 平成 12 年自治体立
優良病院として自治大臣表彰、 平成 13 年訪問看
護ステーシ ョ ン事業 開設、 平成 14 年居宅介護支
援事業所の開設。 一般病床 154 床精神病床 45 床
S 58 年 3 月
昭和 15 年 12 月 生、 兵庫 県 出 身、 昭和 46 年鹿
全 199 床へ減床。 平成 15 年 新 透析 室新築、 へき
児島大学卒、 鹿児島大学第二外科入局、 厚生技官
国立療養所霧島病院、 国立大村病院 ・国立長崎中
地医療拠点病院の指定、 協力型臨床研修病院指定、
全館禁煙。 平成 17 年地域医療連携室 ・健診室 ・
央病院内科、 昭和 55 年 4 月
患者相談室設置、 訪問看護ステーシ ョ ン事業廃止。
昭和 58 年 3 月 厳原
病院副院長。 その後宮崎医科大学助教授。
S‐3 ) 伊藤新一郎 : S 59 年 4 月
S 63 年 3 月
S‐8 ) 長 嵜鼎 二 は さ じ) : S 63 年 5 月
H
1年 3月
昭和 22 年 1 月 生、 平戸出身。 昭和 48 年 3 月長
大医学部卒、 長崎大学附属病院原研内科、 同放射
線科研修医、 同放射線科助手、 佐世保市立総合病
平成 18 年診療録管理室新設。 平成 19 年日本医療
機能評価機構認定病院、 管理型臨床研修病院へ指
定。 平成 21 年 4 月 1 日長崎県離島医療圏組合は
解散し長崎県病院企業団が設立され、 病院の名称
は 「長崎県対馬い づ はら病院」 となる。
[平成時代の歴代院長]
院放射線科、 昭和 61 年 3 月 離島医療圏セ ンター
S‐4 )木下研一郎 : H 7 年 4 月 H 12 年 10 月
昭 和 14 年 1 月 29 日 生、 長 崎 県 出 身、 昭 和 40
医となり大阪大学で研修、 昭和 61 年 4 月厳原病
年長崎大学卒、 原研内科助教授、 長崎中央病院内
院、 昭和 63 年 5 月 対馬い づ はら病 院副 院長、 平
科医長、 平成 7 年 4 月
成元年 4 月平戸市で長嵜医院開業。
はら病院院長、 対馬医師会 B 会員。
{協立病院}
昭和 50 年
S‐5 ) 森
正孝 : H 13 年 1 月
H 20 年 3 月
昭 和 18 年 1 月 17 日 生、 鹿児 島県出身、 昭和
56 年当時は、 59 床。
S a w‐ 1 ) 古 藤
平成 12 年 10 月対馬い づ
満
昭和 57 年院長勇退、 昭和 62 年 3 月 31 日 廃 業。
S a w‐ 2 ) 古 藤 恭 一
昭和 37 年協立病院副院長、 外科。 昭和 57 年同
院院長、 昭和 59 年協立医院に改組、 平成 4 年 3
月 30 日協立医院閉院。
《厳原町の病院 - 平成時代》
抜け馬いづほら病院}
42 年長崎大学卒、 第一内科助手、 国立長崎中央
病院神経内科医長、 平成 13 年 1月 平成 20 年 3
月対馬いづはら病院院長、 対馬市医師会 B 会員。
S‐4 ) 糸瀬
薫 : H 20 年 4 月 現在
昭和 29 年 4 月 2 日 生、 対馬出身、 昭和 54 年北
里大学卒、 県離島医療圏組合厳原病院、 上対馬病
院、 国立対馬病院、 中対馬病院院長、 平成 20 年
4 月対馬い づ はら病院院長、 対馬市医師会 B 会員。
[平成時代の歴代副院長]
S‐14) 主藤久次 : H 1 年 4 月
S -62) 立花一憲 : H 7 年 4 月
H 3 年 5月
H 17 年 3 月
, S…9 ) 川上眞寿弘 : H 17 年 4 月 現在
昭和 35 年 9月 5 日 生、 五島出身、 昭和 60 年長
崎大学卒、 上五 島病 院、 平成 17 年 4 月 対馬い づ
はら病院副院長、 対馬市医師会 B 会員。
平成 2 年日本整形外科学会研修施設。 平成 5 年
日本外科学会認定医制度修練施設、 日本眼科学会
参考資料
対馬医師会史 :対馬医師会編 2005 年
長崎県医師会報 第7 75号 平成22年 8 月