高木 健次 神の民の つな が り を 感 じ た 主任司祭 パウロ 今月の初金六月三日のミサはカ ロロ・ルワンガという十九世紀のア フリカの殉教者の記念日にあたっ ていました。私はこの殉教者の記念 日がやってくるたびに、百年以上前 にアフリカに生きた信仰者を現代 の日本で私たちが記念するという のは、時間と空間を超えて神の民・ 教会は一つだという信仰をよく表 していると感じます。しかし正直に 告白すれば、私にはこの殉教者と自 分がつながっているという感覚は あまりなくて、むしろそういう実感 がなくてもつながっていると信じ て、あるいは自分に言い聞かせて記 念することに意味を見出している よ 高木神父様 主任司祭着任 3月~6月の 高幡教会 発 行 所 カトリック高幡教会 あゆみ編集委員会 TEL042(592)2463 FAX042(592)2464 ようなところがあります。キリスト 信者として、二千年以上前のガリラ ヤの人々の信仰体験を自分のもの として受け入れているといいなが ら、つい百数十年前の信仰の先人と のつながりを感じられないと言う のはおかしなことですが。きっとア フリカをとても遠いところと感じ ている私の狭い国際感覚の影響で しょう。 ところで今年の六月三日は私に とって神の民のつながりを考える 日になりました。ちょうど初金のミ サに参加された方が、この教会の一 人の信者さんが三重県の桑名にお でかけ中に入院されてしまったと いうことを知らせて下さったので す。そしてその方は病院への司祭の 訪問を望んでいらっしゃるという ことでした。その日の夜、私は桑名 教会に電話しました。そこの神父様 に私の代わりに病院を訪問してく れるように頼むためです。電話に出 られたバルデス神父様という方に 私はその信者さんのことを話し、し ばらく入院しているようだからい つか訪問してくださいと頼みまし た。すると神父様は「実は私たちは 月曜日から大阪管区の司祭研修会 になるので、明日行ってみましょ う 」 と 言 っ て 下 さ い ま し た 。「 急 な お願いですみません」という私に 「いいえ、これはあたりまえです」 という言葉が返って来ました。 私はバルデス神父様にはお会い し た こ と は あ り ま せ ん 。そ れ ど こ ろ か桑名教会には誰がいるのかも知 ら ず 、さ ら に は こ の 頃 の 教 会 の 状 況 からして誰もいないかもしれない とも思いながらとりあえず病院に 近 そ う な 教 会 に 電 話 し た の で す 。し かしもし誰か司祭がいるなら必ず 訪問を引き受けてくれるだろうと は 期 待 し て い ま し た 。こ の 点 で は バ ルデス神父様が快く引き受けてく れたことは意外ではありませんで し た 。し か し「 こ れ は あ た り ま え で す 」と い う 言 葉 を 聞 い た 時 、な ぜ か と て も 感 動 し ま し た 。神 様 が 、神 の 民のつながりとはこういうものだ と 、私 に ち ょ う ど よ い レ ベ ル で 体 験 させてくれたように感じたのです。 見ず知らずの者から電話がきて 見ず知らずの者を見舞うように頼 ま れ て 引 き 受 け る 。こ れ は 世 間 の 常 識では必ずしもあたりまえではな いけれど、教会の中ではあたりま え 。普 段 は 無 関 係 に み え て ち ゃ ん と つ な が っ て い る 。こ れ が 神 の 民 。こ んなことを考えさせられた六月三 日 の 体 験 で し た 。ひ ょ っ と し て こ の 裏 に は カ ロ ロ・ル ワ ン ガ の 取 り 次 ぎ があったのかな? -1- 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 高木健次神父様着任 -2- 五 月 か ら 高 木健 次 神 父 様 が 高 幡 教 会 の 主 任 司 祭 に 着 任 され ま し た 。 高 木 神 父 様 の プロ フィールと挨拶文を掲載いたします。 さつき祭でのインタビュー ・洗礼名:パウロ ・生年月日:一九七一年一月十二日 ・司祭叙階:二00七年三月四日 ・歴任教会 高幡教会主任司祭 二00七年三月~二0一0年三月 関口教会助任司祭 二0一0年四月~二0一一年三月 千葉寺教会助任司祭 二0一一年五月~ こ の五月から高幡 教会 に参りました東 京教区司祭の高木健次です。この高幡教会 よ う こそ 菅 谷 神 学 生 が 私 に と って 初 めて の主任 司 祭として の 任地です。そればかりでははく、実は人生 四十年目にして恥ずかしながら、初めての 五 月 か ら 高 木健 次 神 父 様 の 要 請 に よ り 菅 完全な一人暮らしの場でもあります。 谷 神 学 生 の 高幡 教 会 で の 奉 仕 活 動 が 始 ま 助任司祭の時にも、主任の神父さんがし り ま し た 。 菅 谷 神 学 生 の プロ フ ィ ル と 挨 ば ら く 不在にな るこ とが あ って 教会で 一 拶文を掲載いたします。 人だったことはありました。その時感じた ことはほぼ解放感だけでしたが、何ヶ月た っても誰も帰ってこないという、助任の時 から見れば理想的な状態になってみると、 一人で教会の留守番(?)をすることの緊 ・氏名:菅谷ジャン・マリア・パトリック 張 感 が 解 放 感 を 大 き く 上 回 っ て い る よ う ・洗礼名:聖パトリック な状態です。何かやらかしてしまうのでは ・生年月日:一九九0年二月十一日 ・血液型:RH+A ないかと。 思 い 起 こ せ ば ち ょ う ど 一 年 前 く ら い に ・所属修道会:コンベンツアル聖フランシ 前 の 任 地 の 千 葉 寺 教 会 で 私 は 消 火 器 詐 欺 スコ修道会 志願期四年目(大学四年生) 的なものにあってしまいました。私が助任 ・趣味:映画鑑賞 体を動かすこと・ として赴任したばかりで、主任司祭が三ヶ 食べること(特にお菓子) 月間不在だった時です。事の顛末はここで は書きませんが、結局教会委員さんたちが 後始 末をして くれ ました 。こ の時つくづ く、教会を愛する人たちが司祭を支えてく れるのだなあと感じました 。高幡教会で も、赴任する前から引っ越しのことや部屋 の準備など色々とお骨折りくださって本 当にありがたいと思います。 司祭は住むのは一人だけれど、教会にお いて それ 以外のこ とは決して 一 人で は な いということに希望をおいて、与えられた 役割にな んとか取り組んで いこ うと決心 しているところです。これからどうぞよろ しくお願いします。 歓迎パーティでマリア像前にて 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 菅谷神学生の挨拶 委員会だより 信徒会委員長 ヨセフ 河端秀朗 ●四月二十四日(日)加藤神父様のお別れ 会、復活祭パーティでの受洗のお祝い 四月二十三日(土)の復活徹夜祭で、加 藤神父様による山崎紀子さん、若松康弘さ んの洗礼式が行われました。 続 いて 二十 四 日 の 復活 祭パー ティ の 前 半で お二人の受洗を信徒の全員で祝福し ました。 パーティの中で、一年前にヨルダン川で 洗礼を受けた委員会の豊田さんから、「先 輩」としての力強い祝福の言葉がお二人に 寄せられました。 このパーティの後半では三田さんの司 会の下で、本所教会へ異動される加藤神父 様のお別れ会を行いました。 洗礼式の様子 歌がプレゼント された ボーイを代表して上羽さんからの挨拶 とプレゼント贈呈、そして委員会からは私 が挨拶を行い、加藤神父様が希望された万 年筆を贈呈しました。 パーティの最後には教会学校の子ども 達とアベ・マリアコーラスグループからの 歌のプレゼントがあり、それに応えて加藤 神父様も自慢の歌声を数曲も披露す るな ど、パーティは大いに盛り上がりました。 中でもあゆみ編集委員会が作成した「加藤 神父様送別特集号」は加藤神父様に対する 大きなプレゼントであったと思います。加 藤神父様は翌二十五日、復活の喜びのうち に多くの信徒に見送られ本所教会に向か われました。新しい福音宣教の場での加藤 神父様のご活躍をお祈りしたいと思いま す。 -3- 「 御陰様」 になること 今年から、高幡教会のお手伝いをさせて いただくことになりました。高校は、長崎 の聖母の騎士高校で、神学生としては、今 年で七年目になります。 自己紹介といっても、僕はたいした人間 ではないです。人より頭が良いわけでもな いですし、これといって優れたものを持っ ているわけでもありません。ただ、二十一 年間生きてきた僕の人生の中で 一つ言え ることは、「御陰様(おかげさま)になる こと」です。 僕は 、 小さ いとき から 修道会 に入 るま で、過酷な生活を強いられてきました。そ れは、単純に生活費の問題です。ある時を 境に、生活が苦しくなりました。そこで、 僕も働くことになりました。小学三~四年 生の頃から中学生の半ばまで働きました。 食べられるのも、生活できるのも、働いて くださる人の「おかげ」だということが、 嫌でも分かりました。 僕の場合は、こうして生きているのはマ リア様の「おかげ」ですし、修道会に入る ことができたのも神様の「おかげ」です。 表立って何かをやることは簡単ですが、見 えないところで「おかげさま」になること は難しいことだと思います。小さな力しか ない僕ですが、少しでも高幡教会の「御陰 様」になれるようにがんばりたいと思いま す。 洗礼式後、聖堂にて 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 ●五月一日(日)高木神父様の着任 高木神父様が着任されるにあたり、リビ ン グと 和室のフローリン グや ク ロス等の 張り替え、畳替えを行いました。また、食 器 棚 や 冷 蔵庫も 取 り 替え が 必 要 で し た の で 購 入 を 考え て い ま した とこ ろ 、冷 蔵 庫 (電子レンジも)は上羽さんから新品同様 のものをいただきました。流し台周りは委 員会のメンバーや 司祭室のお掃除担当の 方が徹底的に磨いてくださいました。見違 え る よ う にき れ い に な っ た 司 祭 室 に 高 木 神父様をお迎えすることができ、委員会一 同大変嬉しく思いました。 五月一日は高木神父様による初ミサが あり、その後、神父様大好物の高幡カレー で着任を祝福しました。高木神父様は千葉 県船橋市出身でまだ四十歳とお若く、育成 に力を入れられる神父様ですので「福音宣 教を大切にする教会」を構築していただけ ると思います。また、二日の引っ越しの際、 千葉寺教会からの帰りの車の中で私に「神 学生を呼んでも良いですか」と尋ねられた ので、「是非お願いします」とお答えする と、次の終末にはコンベンツァル聖フラン シスコ 修道会の神学 生である菅谷さ んを 高幡教会にお招きいただくなど、実に行動 力のある神父様です。 ●五月十五日(日)第三十六回さつき祭を 終えて 第 三 十 六回 さ つき 祭を 盛 大 か つ無 事 に 終えることができました。これも高木神父 様をはじめとする高幡教会の皆様、そして 関係各位の温かで 力強いご支援の賜物と 心よりお礼申し上げます。当日は暑いほど の好天に恵まれましたので、高木神父様の お説 教も簡潔にして 参加者への優しい配 慮に満ちたものとなり、それがまたより深 い感銘を与えることとなりました。また、 前日及び当日早朝から神父様自らがお手 伝いを下さいましたこと、そして委員会の メンバーをはじめとする皆様の無私の奉 仕なども心に残りました。真摯な祈りと共 に多くの皆様と親睦を深めることができ、 所 期 の 目 的を 達 成 す るこ とが で き た と 思 います。 さつき祭で説教される高木神父様 ●多摩西宣教協力体協議会 ①八月平和旬間に向けて 今年の多摩地区の平和旬間は多摩西宣 教協力体協議会が担うことになりました。 前委員長の武田さ んが平和旬間委員を務 めてくださり、平和旬間委員会全体会議に 継続して出席いただいています。平和旬間 の期間は八月六日(土)~八月十五日(月)、 メインテーマは「平和を実現す る人は 幸 い」、サブテーマ教皇ヨハネ・パウロ二世 広島平和アピール三十年です。多摩地区の 日程は八月十五日(月)十三時から八王子 教会で溝部司教様による講演「義のために 迫害される人」―殉教者の正義―、続いて 岡田大司教様司式による「平和を願うミ サ」 (典礼は聖母被昇天) 、そして参加者に よる交流会が予定されています。 ②司祭交替 五月二十二日(日)は司祭交替が行われ 高幡には豊田教会の李神父様が来られ(高 木神父様は八王子教会)昨年九月二十三日 の合同ミサ以来、久しぶりにミサの司式を していただきました。 李 神 父 様は お 説 教 の中で 信 仰 を 趣 味 の 自転車に乗ることに例えられ「自転車に乗 ることを初めて覚えたとき、自分の意のま まにしようとすると倒れた。しかし、一度 こぎ出して流れに身を任せて いれば 倒れ ずに進むことができることに気づいた。信 仰も同じである。神様のみ心に身を任せよ う」と話されました。主の祈りでは信徒同 士が手をつなぎ、平和の挨拶では「イエス が弟子達を『友』と呼んだように、私たち も互いを友として交わりましょう」と話さ れ「遊びましょ!」という声で挨拶をする よう促すなど、熱気に満ちたミサの司式を してくださいました。 -4- 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 さつき祭 感 謝 のさつき 祭 行 われる 五月十五日、高幡教会恒例のさつき祭が 行われました。五月に高幡教会に着任され た高木神父様の司式で当教会で の初野外 ミサがメルセス日野修道院の前庭にて 行 われました。ミサ後は隣接するボーイ、ガ ールスカウト広場で模擬店が催されまし た。最後まで信徒とボーイ、ガール達との 共同開催ともいうべき楽しいイベントで した。豊田教会の李神父様と信徒の方々、 姉妹教会である日本基督教団永山教会、日 本ホーリネス教団由木教会のそれぞれの 牧師先生、信者の皆さんとの交流、様々な 人 と 人 と の関 わ り と 交わ りが さ つき 祭 を 通して行われました。 -5- 堅信式 おめでとう ございます 氏名 学(年・成人 洗)礼/堅信名 (敬称略) ・伊藤 仁鴻 中(二 ル)カ ・坂谷 ちひろ 中(二 テ)レジア ・多嘉良 結衣 中(二 マ)リア・ テレジア ・廣江 亮太 中(二 ル)カ ・山手 愛美 中(二 ク)リスチーナ・ マリア ・野崎 杏奈 中(二 ア)シジの 聖フランチェスカ ・安達 明 高(一 マ)リア・ ベルナデッタ ・紫藤 穣 高(二 ヨ)ハネ ・関 友梨恵 高(二 マ)リア・セシリア ・前納 駿 高(二 ペ)トロ ・伊藤 雅嶺 高(三 ラ)ファエラ ・五島 明子 大(学生 ミ)シェル ・木内 彩加 成(人 セ)シリア ・井上 悦子 成(人 マ)リア・テレジア ・五十子 阿也子 成(人 セ)シリア ・橋本 玲子 成(人 シ)エナの カタリア ・山﨑 紀子 成(人 ア)ンヘレス・ アナスタシア ・若松 康広 成(人 ラ)ファエル・ ニコデモ 野外ミサの全景 六月十 二日高幡教会にて 森司教様 の司式で堅信式が行われ、十八名の信 者が堅信の恵みを受けられました。 改めておめでとうございます。 堅信を受けられた方を紹介いたし ます。 堅信式後、森司教様、高木神父様と代父母と一緒に 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 第 140 号 あ ◇◇◇ 野外ミサ(祭壇左側) ゆ み 2011 年 6 月 26 日 写真で見るさつき祭 ◇◇◇ 野外ミサ(祭壇中央) 野外ミサ(祭壇右側) 祝福される高木神父様 高木神父様の初さつき祭ミサ 高木神父様、菅谷神学生歓迎の 子供の歌のプレゼント お弁当販売の模擬店 模擬店の前の休憩空間1 お菓子販売の模擬店 -6- 模擬店の前で菅谷神学生インタビュー 模擬店の前の休憩空間2 模擬店の前の休憩空間3 は自分の心の中にあった。 「 行こ う 」こ の 合図が洗 礼へ の道を 開 い た。いろいろな人との出会い、喜び、悲し み。人生は自分で選び、歩まなくてはいけ ない。しかし、一人では行き先を間違えて しまう。遥か遠くでイエズス様が待ってい る。今、この道を見つけ歩きだしたばかり である。人生後半に入り、たくさんの人た ちと歩いていこうと…。 黙想会 置かれたところで咲きなさい ・ 典礼委員 マリア グラチア 西海京子 東北・関東を襲った大地震による犠牲者 が一万人を越し、その数がなお日に日に増 える中の三月二十日、カトリック中央協議 会・久志利津男神父様とサレジオ会・飯田 徹神父様をお迎えし、四旬節の黙想会と共 同回心式が行われました。 久志神父様の黙想会の講話のテーマは、 「置かれたところで咲きなさい」。午前の 第一講話では、生まれ育たれた長崎県、五 島列島・上五島の風土や、島民のほとんど がカトリック信者で、子ども達は皆、学校 へ行くのと同じように教会に通っていた こと、辛い家庭生活を耐え忍ばれたお母様 の思い出、神父になられてから任命、派遣 された各地の教会のことなどを、「置かれ たところで咲きなさい」というテーマに沿 って話されました。 続いて、告解・共同回心式となり、告解 後の信者の皆様の祈りがお聖堂に静かに 満ちていました。 午後、久志神父様は第二講話として、自 分に与えられたものを、謙遜と従順によっ て受けとめ精一杯生きる=「置かれたとこ ろで咲く、咲かせる」ことを、雨や雪すべ て吸い込み、やがて生え出たものを花開か せていく大地になぞらえ、また、結婚式の 「は い」という誓いのこ とばを引き なが ら、お話されました。最後は聖体顕示式。 被災地の方々を想い、自らの内をたどり、 またご聖体を仰ぎ見、祈りのうちに、静か に黙想会と共同回心式が終わりました。 黙想会には多くの信徒が参加された 洗礼式 受洗、 おめでとう ございます 四月二 十三日の復活徹夜祭 に山崎 紀子 さ ん、若 松 康 弘 さ んが受 洗 されました。心 か らお祝い申し上げます。代表として若松康 弘さんから感想をいただきました。 今、始まったばかり ラファエル・ニコデモ 若松康広 受洗者に水が注がれた 思えばキリ スト 教との出会いは小学 生 に溯る。小さなラジオから聞こえる放送が きっかけだった。以来、カトリック教会の 勉強会に参加して、なんと二十年経ってい るのではないか。長過ぎるのか?それと も、まだその時期ではないのか?その答え -7- 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 信者連載( 一) 神の光の中に創られた 私たち ヨセフ 熊田陽一郎 拡 が っ て い た の で す 。そ し て「 闇 」・ 「 深 淵 」と い う 暗 い 言 葉 が 続 き ま す 。 それは無ではなく、確かに何かがあ る の で す が 、そ れ が 何 で あ る か 、我 々 はまだ知ることも語ることもできま せん。 しかし「神の霊が水の面を動いて いた」という言葉によって、我々は すでに神の存在と力を感じ取りま す。天地の創造の前に、神の霊は力 強く働いているのです。振り返って みれば我々は、こうしていつの日に も神を感じているのではないでしょ うか?正に混沌と闇のなかにこそ、 我々は何か大きな力を、 「 原 初 」と い うものを体験しているのではないで しょうか。 そ こ に 神 の 言 葉 が 響 き ま す 。「 光 あ れ 」と 。こ れ は 余 り に も 唐 突 で あ り 、 それ故の力を持っています。光こそ 神の発せられた最初の言葉でした。 す べ て は 闇 で あ っ た 。そ こ に 神 は「 光 あれ」と命令形で語られて、光が現 れました。光とはすべてを照らし、 分別し、それによってこの世界を存 在させ、認識させるもの。この特別 な能力を持つ「光」というものが、 ここに現れてくるのです。 「 神 は 光 を 見 て 良 し と さ れ た 」。こ こ に価値を示す言葉が入ります。神は 光を「良いもの」として肯定された のです。それによって光と闇が分け られ、光は昼に、闇は夜となって一 日が成立します。人間の生活:昼と 夜の時間に規定される我々の生き方 が始まるのです。 しかしこの後、水が分割され植物 が生み出される第二・第三の日の後 で 、再 び 光 が 語 ら れ ま す 。 「神は言わ れた。天の大空に光る物があって昼 と夜を分け、季節のしるし、日や年 のしるしとなれ。また天の大空にあ っ て 、 地 を 照 ら す 光 と な れ 。」( 十 四 ~十五) こ こ で 太 陽 が 現 れ た の で す 。「 神 は 二つの大きな光るものを造り、その 内の大きなものに昼をつかさどら せ 、小 さ な も の に 夜 を つ か さ ど ら せ 、 又星も造られた。 そして夕となり 朝 と な っ て 第 四 日 が 過 ぎ た 。」( 十 六 ~十九) この四日目に初めて太陽と月の名 が出てきます。それでは先に語られ た、第一の日の光と闇とは一体なん だったのでしょうか?この二つの 光、第一日目と第四日目の光は明ら かに違います。創世記では、光は明 らかに多義的・重層的に語られてい るのです。 -8- 今 号 か ら に 「 信 者 連 載」 は ヨ セ フ 熊 田 陽 一 郎 氏 に数 回 分 けて執 筆 していただきます 。皆 様 にはご一 緒 に「信 仰 について」を考 えてみる 機会になれば大きな喜びと思います。 ( 編集者註) 神学の初めは、やはり聖書の初め からということになるでしょうか。 「 創 世 記 」の 冒 頭 は 、 「初めに神は天 地を創造された」の言葉で始まりま す。これこそ我々が信じる神の偉大 さを申し分のない力で示したもので し ょ う 。「 神 は 創 造 さ れ た 」: 即 ち 神 は何もない所から、我々を包む巨大 な世界を創り出されたのです。 次により具体的な表現が続きます が、これは創造以前の状況を示して います。 「 地 は 混 沌 で あ っ て 、闇 は 深 淵の面(おもて)にあり、神の霊が 水 の 面 を 動 い て い た 」。 そ こ で 地 は :カオス)と言われ 「 混 沌 」( ます。そこにはいかなる形もない、 何と表現することもできないものが - 我 々が神 の光 の中 に創 られた という基 本 的 事 実 を想 い出 し たい(本 文 中 から) 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 s o a h c 聖書はどうして光について、この ように二つの異なった語り方をする のでしょうか?我々はこのことを簡 単に理解することができません。と りあえず、光というものをこのよう に豊かな意味をもつということを知 って、後に続く聖書の理解のために 使いたいと思います。 ドイツの中世思想研究家のボイム ) は 、「 光 カ ー ( Klemens Baumker ) の 形 而 上 学 」( Licht Metaphysik という言葉を産み出しました。これ は人間の思想史の中で、 「 光 」と い う 言葉の果たした役割を示すもので す。光とは決して簡単な比喩ではな い。 「 神 が 光 だ 」と い う 時 、そ れ は 単 に「神は光のようなものだ」という のではなく、正に神は現実的に光な の で す 。否 む し ろ 、 「神こそが光なの だ」と言ったのです。神こそが光で あり、我々が通常「光」と言ってい る も の は 、実 は 神 で あ る 光 の「 模 倣 」 に過ぎないのだと考えています。 我々人間はすべてのものの最後に 造られました。そこには天と地と、 すべてのものを照らす光が世界と 我々を生かしています。我々の日常 はこの光なしではありえないので す。我々はこれからも様々な形でこ の光を体験するでしょう。今日我々 は聖書のこの最初の箇所を読んで、 我々が神の光の中に創られたという 基本的事実を想い出したいと思いま す。 信者寄稿 ルルドのマリア様の心 ステファノ 森 明彦 昨年高幡教会の庭にルルドのマリ ア様がいらっしゃった。マリア様が 若すぎるという声もあるようだが、 ルルドのマリア様は年令があきらか になっていないことだし、新緑の頃 や紅葉の頃は、周りの景色と融け合 って、きっと高幡教会の名所になる に違いない。書かれた物によると、 ルルドのマリア様の特徴は、外見的 には悲しい顔のマリア様の青い帯と 手のロザリオと、洞窟と、泉と、ベ ルナデッタと、群衆である。そのう ち、高幡にあるのはロザリオと群衆 だけであるが、実際には画家たちの 描いた絵に対して、ベルナデッタは ことごとく「自分の見た貴婦人とは 違います」といったそうだから、本 当の彼女の見たマリア像を再現する のは不可能なのかもしれない。 実際にルルドに巡礼した人は、汽 車が西からルルドに入るとき、ガー ブ川の流れの向こう側の丘の裾に拡 がる光景を見て、マリア様はどこに と探しても目にはいるのは三つの聖 堂を中心とした建造物群とその周り に群れている群衆だけである。その 丘もふつうの岩山だが、よく知った 人なら洞窟の位置を見いだすだろ う。ちょうど高幡教会の裏山がそう であるようにピレネー山脈の続きの 丘の東端に無原罪の聖母聖堂が立っ ている。その斜め下にマッサビエル の洞窟がある。その洞窟の一角にひ っそりとマリア様は立っていらっし ゃる。決して遠くから目立つ存在で はない。そこにあるのはたくさんの ロウソクと松葉杖だ。泉はいまも湧 き 出 て い る が 、キ ッ チ リ ふ た を し て 、 ゴミが入らないようにしてある。汲 みたい人は少し離れたたくさんある 蛇口から汲める。これが現在のルル ドの洞窟である。マリア様は青い帯 を し て 、両 手 を 合 わ せ て お ら れ る が 、 ロザリオも持っておられる。この洞 窟のマリア様が十四歳のベルナデッ タに十八回出現したという貴婦人で ある。 このほかに、聖堂の前の方の広場 に戴冠したマリア様が立っておられ るが、これはベルナデッタに現れた マリア様とは別のマリア様である。 私は立石神父様と巡礼したとき、夜 のロウソク行列 冬以外は毎晩ある で、この広場に面したロザリオ聖堂 の前で、巡礼団の人々と「あめのき さき」の聖歌を日本語で先唱した。 この歌は「アベアベ・・・」の繰り 返しが万国共通である。それで、司 祭同伴なら、誰でも先唱を申し込め るのである。ロウソク行列は広場か らうねうねと洞窟のマリア様の前ま -9- 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 ( ) で行って、またうねうねと帰ってく る。 そ の マ リ ア 様 洞( 窟 の 貴 婦 人 が) ベ ルナデッタを通じて示したメッセー ジは何であろうか。第八回目のご出 現 二( 月 二 十 四 日 の) と き か ら 、 悲 し そうなお顔でたびたびベルナデッタ にいわれたのは「悔い改めなさい」 「罪人の回心のために父なる神に祈 りなさい」ということであった。そ し て 第 九 回 目 二( 月 二 十 五 日 の) ご 出 現の時、マリア様は「罪人の痛悔の ため、その一株の草を食べ、泉へ行 って飲み、体を洗いなさい」と言わ れて、ベルナデッタは草を食べ、泉 が見つからなかったので洞窟の奥に 僅かにあった泥水を手で掬って上澄 みを飲んだ。これがルルドの泉のは じめである。マリア様は始め名乗ら れ な か っ た が 、第 十 六 回 目 三( 月 二 十 五 日 、 お 告 げ の 祝 日 の) ご 出 現 の 時 、 ご自分を「私は無原罪の宿りの女で す」と名乗られたのでルルドの主任 司祭にはご出現の貴婦人が聖母であ ると分かった。聖母の無原罪のおん 宿りが信仰箇条として聖座宣言され たのは一八五四年十二月八日であっ たから、その意味がベルナデッタに は分からなかったが、主任司祭は分 かったのである。 ベルナデッタはどんな人だった か 。彼 女 は 貧 し く て 、無 学 だ っ た が 、 非常に謙遜で単純な人であったとい う 。「 自 分 は 取 る に 足 り な い 者 で す 」 と言いながら、非常に有能な、深い 思いやりのある看護婦であったとい う。すなわち彼女の受けた聖母の教 えは、自分自身を捧げて神と隣人を 愛することであった。またご出現の 時、彼女はロザリオの祈りしか祈り を知らなかったという。しかし神に 従順な彼女は、のちのち「ロザリオ を無駄に唱えてはいけません」とく り返していたという。ベルナデッタ は 最 後 の ご 出 現 七( 月 十 六 日 、カ ル メ ル 山 の 聖 母 の 祝 日 か) ら 二 年 あ と 、ル ル ド の 救 済 院 ヌ( ベ ー ル 修 道 女 会 の 経 営 す る 養 老 院 の) 志 願 者 と な り 、二 十二歳の時ヌヴェールの本院で修道 女となり、三十五歳で帰天し、一九 三三年十二月八日列聖された。 一八五八年二月十一日の最初のご 出現以来百五十余年、多くの人の病 を治してきたルルドには明白な一つ の 現 実 が あ る 。そ れ は 群 衆 で あ る 。 国籍、文化、言語、階級、年令が異 なり、多くの病人、障害者を含んだ 巡礼者と、それを介護する人々から 成る一つの民である。ご出現の時、 マリア様は群衆には見えなかった が、洞窟でベルナデッタがマリア様 と対話している様子が、ベルナデッ タの身振りや姿勢やその顔から、群 衆にはよくわかったのである。 第二次世界大戦のあと、戦争中に 連 行 さ れ た 人 々 ア( ウ シ ュ ビ ッ ツ も 含 む が) ル ル ド で 自 分 た ち の 誓 い ─ 「もし生き帰れたら、ルルドに行こ う」─を果たした。映画「聖処女」 の 原 作 者 も そ の 一 人 で あ る 。そ し て 、 一九五八年、ご出現百周年の記念日 にドイツ人たちが軍服を着てルルド に来た。その日反ドイツ側の軍人四 万人もルルドに集まった。そして彼 等は忘れがたい和解の時を生きた。 たしかにルルドでは多くの人々が恵 みの時を過ごすことが出来た。 ルルドのマリア様は人々に何を示 されたか。以上述べたように人類に 罪 の 痛 悔 を 促 し 、病 と 苦 痛 を い や し 、 和解を促し、祈りを求めた。その結 果、人々は信仰に満ちあふれて帰る のである。ルルドが聖母の三大出現 地 ル ル ド 、フ ァ チ マ 、ガ ダ ル ー ペ の 三聖地 のトップとして有名なのも、 マリア様のみ心が人々にしみ通るか らであろう。 -10- 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 高 幡 教 会 のマリア像 ( ) メルセス会 サイパン管区長からの手紙 高幡教会からの寄付に対して、メルセス修 道女会のミクロネシア管区長イサベル・ セ マ ン シ ス タ ー か ら 感 謝 の手 紙 を い た だきましたのでご紹介いたします。 高幡教会の皆さま 皆さまの寛大なご寄付に対して、小さな サイパン島よ り、心から感謝申し上げま す。 一か月前に管区長シスター・マルガリタ 西岡が私たちの宣教活動に対する皆さま の連帯と寛大さのしるしとして 皆様から のご寄付を持って来て下さいました。分か ち合いのしるし、そして皆さまの愛の実り であるこのご寄付にこころより感謝申し 上げます。 サイパンの人々のために特に若者に対 する活動のために建物を持つこ とを 夢見 てきましたので、このご寄付はそのために 大きな手助けになるでしょう。 日本の方たちが置かれている復興に向 けての現状を前にして常に心を痛め祈っ ております。被災された方々ができるだけ 早 く 普 段 の生 活 に 戻 るこ と が で き ます よ うに。 こころからの感謝をこめて べリス・メリセス修道女会 ミクロネシア管区長 イサベル・セマン 【多摩地区平和旬間行事・2011】 ◇メインテーマ 「平和を実現する人は幸い」 ◇サブテーマ -教皇ヨハネ・パウロ二世 広島「平和アピール」30年- ◆日程:8月15日(月) 会場:カトリック八王子教会 時間:12:00~12:50 ・「平和巡礼者 ヨハネ・パウロⅡ世」上映(自由視聴) 13:00~14:30 ・はじめの祈り ・平和講演 溝部修司教様 演題「義のために迫害される人」-殉教者の義・平和- 14:30~15:00 ・質疑応答 15:00~16:30 ・平和を願うミサ(典礼は「聖母の被昇天」) 主司式 岡田大司教様 16:45~17:00 ・ロザリオの祈り(ロウソクを灯します) 17:00~ ・茶話会 教会学校コーナー 教会学校の今後の予定 ・六月二十六日 主の聖体/初聖体 ・七月三日 七夕 ・七月十日 終業式 ・七月十七日 夏キャンプ準備日 ・八月二~四日 夏キャンプ日 ・九月四日 始業式、保護者会 ・九月十八日 休み ・九月二十五日 遠足候補日 ・十月二日 こどものミサ準備 ・十月九日 こどものミサ(十四時東京カテ ドラ ル) ・十月二十三日 休み(秋祭り) ・十一月十三日 休み(七五三)十一時ミサ でお祝い ・十一月二十日 見学会 ・十一月二十三日 光塩幼稚園親睦会(出展 予定) ・十二月四日 ゆるしの秘蹟に参加 ・十二月十一日 クリスマス会 or 病院訪問 ・十二月十八日 終業式 ・一月十五日 始業式(保護者会) ・二月十二日 休み ・二月十九日 見学説明会 ・三月十一日 卒業式・終了式 ※右記以外に、二、三ヶ月に一度程度の 頻度で、こどものミサ 十(一時 、)歌の 練習日を検討しています。 -11- 2011 年 6 月 26 日 み ゆ あ 第 140 号 第 140 号 あ ゆ み 2011 年 6 月 26 日 ☆聖書朗読及び共同祈願担当(7月~8月) ・7月 百草・三沢地区 ・8月 委員会 ☆教会行事(6月26日~8月28日) ・6 月 26 日 キリストの聖体 ・7 月 3 日 年間第 14 主日 ・7 月 10 日 年間第 15 主日 委員会(12:30~) ・7 月 17 日 年間第 16 主日 ・7 月 24 日 年間第 17 主日 ・7 月 31 日 年間第 18 主日 ・8 月 7 日 年間第 19 主日 一粒会献金月 ・8 月 14 日 年間第 20 主日 ・8 月 15 日 聖母の被昇天(八王子教会 12:00~) ・8 月 21 日 年間第 21 主日 ・8 月 28 日 年間第 22 主日 信徒会消息 ☆お祈り下さい 《病気療養中の方》 マリア 明石 久様 マリア 大野文恵様 マリア・テレジア 花岡洋子様 小さき花のテレジア 藤田彬子様 フランシスコ・ザビエル 内田繁夫様 ラザロ 石原立教様 《帰天》 マリア 津吹光子様 4 月 30 日 ☆転出 ・篠崎クリスティン様 ジェームス ケント ジェームス様 パトリック 慈英久様 ☆転入 <由木・八王子地区> ・ベルナルド 川原 聡様 191-0913 八王子市北野台 5-50-5-111 042-635-6179 <三井・南平地区> ・ヨハネ 宮﨑浩司様 ロザリア 宮﨑瑞穂様 マリヤ・セシリア 宮﨑夏実様 ペテロ・パウロ 宮﨑壮太様 191-0041 日野市南平 1-5-6 042-506-9205 ☆案内 ・偶数月 一粒会献金 ・6 月 26 日 聖ペトロ使途座への献金 ・8 月 6 日~8 月 15 日 日本カトリック平和旬間 ・8 月 13 日 平和を願うミサ(カテドラル) ・8 月 15 日~8 月 21 日 World Youth Day Madrid 2011 ※カトリック高幡教会のホームページ パソコンからアクセスしてください。 http://homepage3.nifty.com/joseph2/ ※カトリック高幡教会の モバイル用 QR コード 簡単なお知らせがあります。 携帯等からアクセスしてください。 早 く も 今 月 で今 年 の半 分 が過 ぎ ま す 。 特 に 今 年 は多 事 多 難 な 時 期 が 続 き ま し た 。何 より 東 日 本 大 震 災 のこと を 思 う と 胸 が痛 み ま す 。被 災 者 を 始 め、早 く 正 常 の生 活 が訪 れます よう に。 高 幡 教 会 では三 月 黙 想 会 、四 月 復 活 祭 時 の洗 礼 式 、そ して主 任 司 祭 の交 代 が あ り 、五 月 には着 任 さ れ た高 木 神 父 様 の 初 さ つき 祭 、六 月 には堅 信 式 が行 わ れ ま した 。私 たち を 支 え ているのは目 には見 え な い信 仰 の力 。これ から も 感 謝 の日 々 であ ります よう に。(C・K) ◆高幡教会のミサ時間◆ 日曜日=午前九時・十一時 初金=月初めの金曜日午前十時 平日=火~金曜日午前六時三十分 平日=土曜日午前七時 (メルセス会聖堂にて) 高木健次神父 ◆聖書クラス◆ 指導 金曜日=午前十時 (他の曜日等の希望がある場合は 神父様と個別に相談して下さい) -12- 編 集 後 記
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