Document

©伊藤重剛 不許複製
西洋建築史第2
ルネサンス・バロック建築
担当 伊藤重剛
上:フィレンツェ
下:サンタ・マリア・デ
ル・フィオーレ教会
(意味は「花の聖マリア教会、
別名フィレンツェ大聖堂。ドーム
はブルネレスキ設計)
ルネサンス文化は、フィレンツェから花
開いた。アルノ川の対岸からの都市景
観は、ルネサンス時代からそのまま続
いている。
町の中心にサンタ・マリア・デル・フィ
オーレ教会のドームがシンボリックに
聳え立つ。左側の塔は、ウッフィツィ美
術館(旧メディチ家の“オフィス”)。
左:サンタ・マリア・デル・フィオーレはフィレンツェの町の中心にある。特徴のひとつ
は、カラフルな大理石で幾何学的に装飾された外壁である。右はジョットーの設計
による鐘楼。
右:ドームは、リブによって支えられる8角形。町の至るところから見えるフィレンツェ
のシンボルでもある。
上:教会側面の外壁。同じ教会でも、ゴシックや
ロマネスクの教会とは受ける印象が全く違う。色
大理石を使ったカラフルな外壁の装飾は、ルネ
サンスの教会の特徴のひとつ。
右:ドームの上から見たジョットーの塔と、フィレ
ンツェの都市景観。歴史的景観保存の観点から、
厳しい規制がなされている。
左:ドームが開いて崩壊しないように、基部にはれられた木製のテンション・リン
グ。現代の鉄筋コンクリートの考え方と同じ考え方。
右:ドーム最頂部の納まりと、採光のために作られたランターン部分。
オスペダーレ・デラ・インノチェンティ
(捨子養育院)
捨子養育院は、フィレンツェの町の広場に面した
一角に、非常に軽快なアーケードをもつ建築で
ある。ブルネレスキは、教会の中庭の柱廊とは
違った、ブルネレスキの新しいアーケードは、メ
ディチ家に代表される新興の市民の息吹を感じ
させる。筆者が行ったときには、フィレンツェの町
にふさわしく花市場が開かれていた。
ミケランジェロの建築
ミケランジェロは、後期ルネサ
ンスの芸術家として、彫刻と絵
画を手がけたが、建築の設計も
行なった万能の天才である。
上:カンピドリオ広場は、奥が幅
広になった広場に、楕円形の舗
装の模様を施した特徴的な平
面を持っている。広場正面左側
の建物には、1・2階連続のい
わゆるジャイアント・オーダーを
付け、ミケランジェロらしい力強
いファサードの表現を行なって
いる。これ以降、ジャイアント・
オーダーはバロック建築でよく
使われるようになった。
下:ミケランジェロの残した建築
図面。建物の入口の平面図。
左:ミケランジェロの建築作品のひとつに、ローマのサンピエトロ大聖堂のドームがある。円
形のドームで、リブやテンション・リングの使用は、ブルネレスキのフィレンツェのドームの
技術に負っている。
中:彫刻の代表作のひとつで「ダビデ像」。彼の若い頃の作品で初々しさが感じられる。
右:ミケランジェロ自画像。華々しい活躍をしたが、内には苦悩を秘めていたと思われる。
サンピエトロ大聖堂
上: ローマのサンピエトロ
大聖堂は、ミケランジェロ、
カルロ・マデルナ、ベルニー
ニの三人の建築家の設計
になる。ミケランジェロは教
会のドームと交差部を設
計、マデルナは身廊と、正
面ファサード、ベルニーニ
は広場を設計した。
上:ベルニーニの楕円形広
場の外側から教会部分と
右側の柱廊部分を望む。
中:マデルナによる正面
ファサード。これでミケラン
ジェロのドームが見えなく
なった。
上:マデルナによる楕円形広
場を囲む柱廊。円柱の高さ
十数メートルもある巨大な回
廊で、囲まれる広場には、中
心にエジプトから運ばれたオ
ベリスク、左右にはそれぞれ
噴水が配置された。背後の
建物は、ローマ法王庁である
バチカン宮殿。
下:マデルナによる正面の
ファサードも巨大なもので、コ
リント式のジャイアントオー
ダーが使われている。円柱だ
けで高さ約20mほどあり、そ
の壮大さに圧倒される。
左:マデルナによる身廊部。ヴォールトと格天井を用いた豪華賢覧たるバロックの空間。
交差部のみからなる左右対称のミケランジェロの最初の平面は、法王庁側の要求に
よって、長い身廊部と正面の巨大なファサードが付加され、大きく変更された。
右:ミケランジェロによるドーム。ペンデンティヴドームはアヤ・ソフィア教会で実現された
ものだが、これ以降西洋のドームは殆どこれに倣うことになる。圧倒される空間は、これ
以降歴史上最大のものとなった。その絢爛さは神の栄光を物語り、ドーム基部の窓から
差し込む光線は、神の叡智を表す。
左:リブを用いたドームの外観。リブの使用、二重ドーム、テンションリング(鉄
鎖)などは、フィレンツェのドームに負っている。
右:ランターン部分。