地域医療にかける医師 - 勤医協中央病院

特集1-地域医療を考える
地域医療にかける医師
勤医協芦別平和診療所 所長
舛田 和比古
舛田 和比古(ますだ かずひこ)
勤医協芦別平和診療所 所長
1974年 北海道大学医学部 卒業
北海道勤医協へ入職
札幌病院、
室蘭診療所、
中央病院勤務を経て、
2000年 中央病院院長
2001年 北海道勤医協理事長
2007年より現職
長年の自民党政権の低医療費政策による医療の荒廃は、小泉政権の「構造改革路線」によって一気に「医
療崩壊」
へと突き進んだ。産業構造が農業・漁業・林業・炭鉱など第一次産業に重きをおいてきた北海道は、
「地域崩壊」をも招き北海道の地域医療は瀕死の瀬戸際にいる深刻な状態といえる。この小論では、北海
道勤医協60周年記念号ということもあり、北海道勤医協の診療所の医師配置の歴史と診療所研修の優位性
に焦点をあて、「地域医療にかける医師」について論じてみたい。
の病院で普遍化することになる。青年医師は診療所
診療所の医師配置の歴史を振り返って
北海道勤医協は、医師の研修できる病院がない時
のみならず各病院の医師配置についた。研修と医師
点で多くの診療所が誕生した。それは、全道各地で
配置を両立させるものであったが、青年医師からは
医療を受けられない人々が「おらが診療所が欲しい」
「研修ではなく労働力・駒としかみていない」など
という切実な要求と運動によって建設された。本部
の批判・不満も大きくなった。1990年代になって、
から医師配置の保障がない中でも、地元の民主的な
研修要綱では「診療所配置を原則とする」ことを廃
医師へ要請し所長を担っていただき診療所はスター
止したが、2-3年目中規模病院、4-5年目診療
トしていった。
所の配置を、研修世代で集団的に検討し配置してき
た。
「60年安保闘争」「70年大学紛争」を経験した新
卒医師が集団的に次々と参加してきた。病院の医療
90年代後半に中央病院が臨床研修指定病院を取得
水準を上げるため、地方の診療所を守りながら「た
し、2004年臨床研修必修化が導入された。わが国の
たかいつつ学ぶ」
「不平等団結主義」というスロー
卒後医師研修体制は大きく変化した。
「医師不足」
「医
ガンをかかげ貪欲に学び、技術建設を行った。1973
療崩壊」
「地域崩壊」が一気に進行する時代でもある。
年に北海道勤医協は『ニコニコ路線』とよばれる医
北海道勤医協の診療所は経営困難から芦別平和診療
師研修方針を出した。卒後2年間の病院研修を保障
所以外は無床化を余儀なくされたが、医師不足を理
し、
その後2年間の診療所勤務が「義務化」された。
由に一つの診療所も閉鎖することはなかった。しか
この研修方針に基づき病院で研修した医師が、地方
し、青年医師が民医連の原点といわれる診療所の配
診療所に赴き、診療所の医療水準を引き上げ、民医
置につくことが困難になってきた。研修世代で診療
連医師として鍛えられた。1975年中央病院の建設に
所の配置についたのは、03-04年度7名、05-06年
より、技術水準は向上し研修体制は飛躍した。その
度5名、07-09年度1名と年々減少している。現在、
力が道内の新たな法人を創設する原動力となり、
多くの診療所はベテラン医師、定年後の医師、さら
1978年北海道民医連が結成された。
に民医連育ちではない医師の力で維持しているのが
現状である。では、診療所での研修の魅力が減少し
1980年代は新法人の設立、病院の建設と内科・小
ているのであろうか?
児科・外科・整形外科の基幹科を各病院に展開する方
針のもと、中央病院での医療水準・技術水準が各地
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いくことが困難になり、丘珠病院、北区病院は病院
「診療所研修」の役割
北海道勤医協での医師養成における診療所勤務
として維持しえなくなった。しかし、医療と介護の
(
「研修」
)の役割は歴史的に見て非常に大きいもの
一体的なサービスをもっと多くの方に提供し、最期
がある。現在病院群で活躍している多くの医師は、
まで住みつづけられるまちづくりを共同の力でおこ
青年時代に診療所での勤務を経験している。青年時
なうという実践は今ほど輝いているときはない。そ
代の診療所勤務は、
「義務的」であったとはいえ、
して、最も困難な人びとの最後の拠りどころとして、
経験した医師の94.8%が「現在の医師としての活動
無差別平等を貫く民医連・勤医協の存在を困難な時
に有意義だった」と答えている。その内容は、①患
代だからこそ守り発展させる必要があると痛感して
者の居住地が近く生活がよくわかる、②患者の経過
いる。
を一人の医師で診ることができる、③地域のまちづ
最初から診療所に向いた能力をもった医師などい
くりに参加できる、④患者とのコミュニケーション
るはずはなく、前もって診療所に求められる能力を
がとりやすい、⑤地域の医師や医師会との付き合い
病院で身につける必要もないと考えている。なぜな
ができる、⑥慢性疾患・生活習慣病を管理できる等
ら、診療所には職員の中で育ち合う教育力、地域の
であった。
中で成長できる教育力をもっているからである。医
1)
これらは、現在も変わらない診療所研修の優れた
師も看護師も若いうちに診療所に出る自信と勇気が
点といえる。プライマリケア学会・家庭医療学会・総
ないという。指導・教育する指導者がいないという。
合診療医学会は
「家庭医」を特徴付ける能力として、
乱暴な言い方をすれば、「立派な」指導者がいない
①患者中心・家族志向の医療を提供する能力②地域・
のが診療所の最大の指導体制ではないだろうか。診
コミュニティーをケアする能力③包括的・継続的・効
療所の役割は時代とともに変化し、職員集団の形成
率的に医療を提供する能カ―を挙げているが、われ
の度合いによっても自分の役割は変化するものであ
われの診療所研修と相通ずるものといえる。
る。診療所が自分に何を求めているのか、それを見
極め集団の中で自らを切磋琢磨していく、これが「地
中央病院は急性期・DPC病院であるが、総合診
域医療にかける医師」ではなかろうか。
療病棟を創設し、回復期リハビリ病棟やホスピス病
棟さらには訪問診療にも力を入れ、
「地域に根ざし
消化器の専門医だった私が、じん肺症をはじめと
2)
た研修」
をめざす研修病院として注目されている。
する労災医療や高齢者の医療・介護に専念し、最期
現在、診療所への青年医師の配置は困難を極めて
までこの地で生き抜くことができる地域を創ること
いるが、診療所群の存在は医師研修のフィールドと
に貢献する、それが私の今のロマンであり役割だと
して貴重な財産といえる。病院と診療所での研修を
思っている。
車の両輪としていくことが、北海道の民医連運動の
大きな力になると考えている。これは医師研修のみ
文献
ならず、看護師や技術系職員・事務職員にとっても
1)升田和比古、他:医師初期研修における「診療所研修」の役
同じことがいえるのではないだろうか。
割―青年時代に診療所所長勤務をした医師のアンケート調査
より―、北勤医誌、30巻:31-38、2006.
地域医療にかける医師
2)田村裕昭:
「地域に根ざした研修」の意義と当院における取り
医師不足により北海道勤医協の6病院を維持して
組み、日本内科学会誌、98巻:230-235、2009.
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