震災から思うこと - 山口大学教育学部附属山口小学校

附属山口小だより
H23.4.28
副校長
野口 政吾
私の知り合いに、佐藤淳一という校長先生がいます。
宮城県石巻市にある雄勝中学校に勤務しています。10年くらい前、附属学校の海外研修で約
1ヶ月間、ヨーロッパや北アメリカの教育施設を視察した時の友人です。
この度の震災で被災されたと聞き、当時の仲間と共に心配をしていたのですが、先日の朝日新
聞に次のような記事が載っていました。
雄勝中を津波が襲ったのは卒業式の2時間後だった。3階建ての校舎は壊滅。帰宅してい
た生徒は全員無事だったが、周囲の町もがれきと化した。多くの生徒が家を失い、ちりぢり
になって避難所に身を寄せた。
「学校はどうなるのか。もし近くで再開されるなら、町に残りたい」「子どもがどうして
も雄中に行きたいと言っている」。保護者からの問い合わせに、佐藤校長は「学校が早く子
どもの居場所をつくってあげられれば、町を復興させるきっかけになる」と考えた。
がれきの中から校旗を掘り出し、避難所の飯野川中学校の一室に掲げて職員室にした。学
校は、4月21日に飯野川中に近い石巻北高校飯野川校に間借りして、再開することが決ま
った。町内の避難所をスクールバスでめぐり、最長で1時間かけて生徒たちを運ぶ。
しかし、全校生徒79人で迎えるはずだった新学期は、50人ほどになる見込みだ。佐藤
校長はできる限り転校先の学校に出向き、頭を下げる。「ずっと雄勝で育った子ですから。
外では不安なこともいっぱいなのでどうか助けてやってください」
震災で多くの学校が被害に遭いました。命を落とした小学生も少なくありません。
安置所で行方不明の子どもを捜す教員についての報道を、数日前の読売新聞で読みました。
「子どもの安否確認は学校の役目」
宮城県東松島市大曲小学校の教員達は、数班に分かれ、各避難所や安置所を徒歩や自転車で回
っていました。「大曲小学校の子どもを知りませんか」と聞き、家族を支えながら情報を集めて
いました。
「子どもと毎日ふれあいながら、命を守り、成長を見守ることが一番の仕事だと強く感じた。
この責任の重さを忘れず、教師を続けていきたい。」ある先生は力を込めて言いました。
災害時の安否確認は法で学校に義務づけられているわけではありません。家族が被災し、家屋
を失った教員も多くおられることでしょう。
それにもかかわらず、地震発生直後から走り回る教員たちの姿がありました。
子どもたちに生きていてほしいとただ願う気持ちが伝わってきました。
さて、4月21日(木)、地震後に火災が発生したという想定で避難訓
練を行いました。
子どもたちは本当に真剣に、落ち着いて、安全に避難していました。ま
た、教員も、子どもの安全を守りながら的確に指示を出し、迅速に子ども
たちを誘導していたように思います。
私は、訓練終了後、次のように話をしました。
「先生たちはどんなことがあってもみなさんの命を、安全を守ります。だから、みなさんは、先
生たちの言うことを絶対に守って、落ち着いて避難してください。」
災害はいつ、どこで起きるかわかりません。
非常事態が起こった時、極限状態に置かれた時、命を懸け
てでも子どもたちを守ってやらなければならないという覚悟
をもって事に当たらなければ・・。
前述した宮城県の教員たちの姿を誇りに思うとともに、私たち教員の職責の重さをひしひしと
感じているいるところです。
4月14日、今年初めての参観日、学級懇談会がありました。1年生も元気に勉強していました。
4月15日、5、6年生委員会オリエンテーション
がありました。皆やる気に溢れていました。
4月25日、地区児童会がありました。登下校の
仕方を確認した後、地区別に下校しました。