中世史料にもとづく未知の東海地震 発生時期の検討 ~13世紀の古記録『民経記』の分析~ 小山研究室 3041-6016 塩田圭佑 研究目的 プレート境界で発生する巨 大地震である東海地震は、 左図(小山 2007)より13世 紀に東海、南海地震が起 こったかは明らかになってい ない。確かな文字史料が知 られておらず、発生年月日 が不明である。本研究では この時期の古記録を分析し その発生時期の日付を明ら かにしていきたい。 研究方法 1 史料地震学研究をする上で 情報量、時代変遷を調べ、 自然現象記録媒体として特に情報量の多いものが重要で ある。 当時の公卿の日記にはその日の出来事から天候、自然 現象まで詳しく記載されている。本研究は公卿の日記を 用いて進めていきたいと考える。 2 データベースの作成。本研究では当時の公卿の日記を 用いることとする。この日記から西暦、和暦、一日ごとの 総文字数、自然現象とその文字数を表してExcel2003を 使いデータベース化する。 他の史料との比較を行う。 史料別総年数と推定総文字数 (瀬戸 2006) 114 120 100 80 (年) 6 0 35 40 30 20 11 13 6 6 8 中 臣 祐 明 記 中 臣 祐 定 記 23 18 13 9 4 19 9 5 1 0 鶴 岡 社 務 記 録 2000000 明 月 記 実 躬 卿 記 葉 黄 記 玉 蘂 中 臣 祐 賢 記 中 臣 祐 春 記 平 戸 記 猪 隅 関 白 記 民 経 記 三 長 記 建 治 三 年 記 経 俊 卿 記 勘 仲 記 業 資 王 記 1901390 1800000 1600000 1400000 1200000 1001640 (字) 1 0 0 0 0 0 0 800000 730238 660240 600000 252195 159237 200000 0 403955 387464 400000 340070 199382 115456 24499 2717 鶴 岡 社 務 記 録 169030 347392 明 月 記 実 躬 卿 記 葉 黄 記 玉 蘂 中 臣 祐 明 記 12650 2600 中 臣 祐 定 記 中 臣 祐 賢 記 中 臣 祐 春 記 平 戸 記 猪 隅 関 白 記 民 経 記 三 長 記 建 治 三 年 記 経 俊 卿 記 勘 仲 記 業 資 王 記 『民経記』とは? 『日本史文献解題辞典』加藤友康・由井正臣(2000)より 1226(嘉禄2)~1268年(文永5)までの日記。 朝儀や政治的な出来事を記す。原本48巻のほか 写本などが現存している貴重なもの。 著者は鎌倉中期の人、藤原経光。 経光が晩年民部卿に任じられた事から「民部卿経 光日記」を略して民経記と呼ぶようになった。 「明月記」と同じで気象や自然現象の事柄が多く 記載されており当時の自然現象記録が窺える。 日記の総年数、情報量、ともに多く信頼できる史 料である。 『民経記』の分析結果① 和暦年を西暦に置き換える 一日ごとの文字数をカウントする 自然現象の件数と文字数をカウントする 西暦 1226年 和暦年 嘉禄2年4 月1日 4月2日 1日の文字数 自然現象 記述の 文字数 5 天陰 2 2 雨 1 4月3日 122 天陰 2 4月4日 234 天陰 2 西暦 1246 和暦年 寛元四年 和暦月日 1日の総文字数 天候 発生した自然現象 日食不正規 5 未刻地震 4 未刻一條今川辺有炎上 10 火事有万里小路未出雲路 12 正月一日 22 晴 二日 82 雪 三日 4 晴 四日 32 雨 五日 16 雨 六日 8 晴 七日 14 陰 八日 41 晴 九日 43 晴 十日 12 晴 十一日 21 雪 十二日 16 陰 十三日 49 晴 十四日 37 雨 十五日 23 晴のち雪 十六日 28 晴 十七日 21 晴 十八日 30 晴 十九日 13 雨 二十日 5 晴 二十一日 5 晴 二十二日 39 晴 二十三日 24 晴 二十四日 7 陰のち晴 自然現象の文字数 30000 1ヶ月毎の総文字数の変移を表すグラフ 25000 第一期 第二期 第三期 20000 15000 10000 5000 0 嘉 禄 二 年 四 月 嘉 禄 二 年 六 月 嘉 禄 二 年 八 月 嘉 禄 二 年 十 月 安 貞 元 年 四 月 安 貞 元 年 六 月 ( 1 2 2 6 ( 1 2 2 7 ) ) 安 貞 元 年 八 月 安 貞 元 年 十 月 安 貞 元 年 十 二 月 寛 喜 元 年 正 月 寛 喜 元 年 五 月 寛 喜 二 年 正 月 寛 喜 三 年 二 月 寛 喜 三 年 四 月 寛 喜 三 年 六 月 寛 喜 三 年 八 月 寛 喜 三 年 十 月 寛 喜 四 年 二 月 貞 永 元 年 四 月 ( 1 2 2 9 ( 1 2 3 0 ( 1 2 3 2 ) ) ) 貞 永 元 年 七 月 貞 永 元 年 閏 九 月 天 福 元 年 正 月 嘉 禎 元 年 十 月 嘉 禎 三 年 十 月 ( 1 2 3 3 ( 1 2 3 5 暦 仁 元 年 十 一 月 仁 治 二 年 六 月 仁 治 三 年 二 月 仁 治 三 年 四 月 仁 治 三 年 六 月 仁 治 三 年 八 月 仁 治 三 年 十 月 仁 治 三 年 十 二 月 寛 元 元 年 八 月 寛 元 三 年 十 一 月 寛 元 四 年 正 月 ( 1 2 4 5 ) ) 寛 元 四 年 三 月 寛 元 四 年 五 月 寛 元 四 年 七 月 寛 元 四 年 九 月 ( 1 2 4 6 寛 元 四 年 十 一 月 ) ) 120 建 長 六 年 二 月 建 長 八 年 十 月 正 嘉 元 年 十 一 月 ( ( ( 1 1 1 2 2 2 5 5 5 4 6 2 ) ) 正 元 元 年 十 月 正 元 元 年 十 一 月 ( 1 2 5 9 文 応 元 年 四 月 ) 文 応 元 年 六 月 弘 長 元 年 正 月 文 永 元 年 二 月 文 永 二 年 四 月 文 永 二 年 五 月 文 永 二 年 十 月 文 永 四 年 二 月 ( 1 2 6 0 ( 1 2 6 1 ( 1 2 6 4 ( 1 2 6 5 ( 1 2 6 7 ) ) ) ) ) 文 永 四 年 七 月 文 永 四 年 九 月 ) 1ヶ月毎の自然現象記録についての文字数の変移を表すグラフ 第二期 第一期 100 建 長 四 年 十 一 月 第三期 80 60 40 20 0 嘉 禄 二 年 四 月 嘉 禄 二 年 六 月 嘉 禄 二 年 八 月 嘉 禄 二 年 十 月 安 貞 元 年 四 月 安 貞 元 年 六 月 安 貞 元 年 八 月 安 貞 元 年 十 月 安 貞 元 年 十 二 月 寛 喜 元 年 正 月 寛 喜 元 年 五 月 寛 喜 二 年 正 月 寛 喜 三 年 二 月 寛 喜 三 年 四 月 寛 喜 三 年 六 月 寛 喜 三 年 八 月 寛 喜 三 年 十 月 寛 喜 四 年 二 月 貞 永 元 年 四 月 貞 永 元 年 七 月 貞 永 元 年 閏 九 月 天 福 元 年 正 月 嘉 禎 元 年 十 月 嘉 禎 三 年 十 月 暦 仁 元 年 十 一 月 仁 治 二 年 六 月 仁 治 三 年 二 月 仁 治 三 年 四 月 仁 治 三 年 六 月 仁 治 三 年 八 月 仁 治 三 年 十 月 仁 治 三 年 十 二 月 寛 元 元 年 八 月 寛 元 三 年 十 一 月 寛 元 四 年 正 月 寛 元 四 年 三 月 寛 元 四 年 五 月 寛 元 四 年 七 月 寛 元 四 年 九 月 寛 元 四 年 十 一 月 建 長 四 年 十 一 月 建 長 六 年 二 月 建 長 八 年 十 月 正 嘉 元 年 十 一 月 正 元 元 年 十 月 正 元 元 年 十 一 月 文 応 元 年 四 月 文 応 元 年 六 月 弘 長 元 年 正 月 文 永 元 年 二 月 文 永 二 年 四 月 文 永 二 年 五 月 文 永 二 年 十 月 文 永 四 年 二 月 文 永 四 年 七 月 文 永 四 年 九 月 『民経記』の分析結果② 1.総記録は1226年から1267年の約40年(112ヶ月分) 合計総文字数 481421字 一ヶ月あたり約4298字 自然現象に関する文字数 1459字 一ヶ月あたり約13字 自然現象に関する記録件数 495件 一件あたり平均約3字 2.記録文字数の変遷から次の三時期に区分可能 第一期 著者が日記を書き始めた期間であり情報量もあまり多くない 第二期 著者が出世し宮中の行事に参加し始め、重要な出来事に関わりだしたため情報 量も特に多い 第三期 情報量が少ない 『民経記』における自然現象記録件数の内訳 自然現象の分類円グラフ 日食, 2 件, 0 % 月食, 4 件, 1 % その他, 1 3 件, 3 % 台風, 4 件, 1 % 洪水, 9 件, 2 % 落雷, 1 件, 0 % 地震, 1 0 件, 2 % 火事, 4 2 件, 8 % 霧、嵐, 4 件, 1 % 雷, 3 5 件, 7 % 雪, 3 3 件, 7 % 雨, 3 3 9 件, 6 8 % 雨 雪 雷 霧、嵐 火事 地震 落雷 洪水 台風 月食 日食 その他 自然現象は495 件記録されていた。 圧倒的に雨が多 いことが分かる。 天候がほぼ毎日 書かれていたた め である。 本研究で最も重要 な地震の発生は わずか10件しか 記録されていな かった。 『民経記』中の地震記事 西暦 和暦年月日 地震の記述 文字数 1226年 嘉禄二年九月六日 卯刻許有地震揺々天王寺~住吉乃間 42 1226年 嘉禄二年十一月二十四日 酉刻許有大地震下洲、摂洲ホ來 13 1226年 嘉禄二年十一月二十九日 此間地震連々云々 8 1228年 安貞二年十月三日 辰刻少地震 5 1246年 寛元四年正月六日 未刻地震 4 1246年 寛元四年三月二十二日 未刻地震 4 1246年 寛元四年四月三日 今朝辰刻地震 6 1246年 寛元四年十月四日 子刻地震有声 6 1246年 寛元四年十月十日 亥刻地震、自西方震来可恐 1246年 寛元四年十二月六日 寅刻大地震 11 5 30000 1ヶ月毎の総文字数の変移を表すグラフ 25000 第一期 第二期 第三期 20000 15000 10000 5000 0 嘉 禄 二 年 四 月 嘉 禄 二 年 六 月 嘉 禄 二 年 八 月 嘉 禄 二 年 十 月 安 貞 元 年 四 月 安 貞 元 年 六 月 ( 1 2 2 6 ( 1 2 2 7 ) ) 安 貞 元 年 八 月 安 貞 元 年 十 月 安 貞 元 年 十 二 月 寛 喜 元 年 正 月 寛 喜 元 年 五 月 寛 喜 二 年 正 月 寛 喜 三 年 二 月 寛 喜 三 年 四 月 寛 喜 三 年 六 月 寛 喜 三 年 八 月 寛 喜 三 年 十 月 寛 喜 四 年 二 月 貞 永 元 年 四 月 ( 1 2 2 9 ( 1 2 3 0 ( 1 2 3 2 ) ) ) 貞 永 元 年 七 月 貞 永 元 年 閏 九 月 天 福 元 年 正 月 第二期は総情報量・自然現象情報量ともに多い が、地震記事がない → 第二期の地震活動は不活発 第三期は自然現象記録が豊富な時期のみに地 震記事がある → 第三期の寛元四年頃の地震活動が活発 嘉 禎 元 年 十 月 ( 1 2 3 3 嘉 禎 三 年 十 月 ( 1 2 3 5 暦 仁 元 年 十 一 月 仁 治 二 年 六 月 仁 治 三 年 二 月 仁 治 三 年 四 月 仁 治 三 年 六 月 仁 治 三 年 八 月 仁 治 三 年 十 月 仁 治 三 年 十 二 月 寛 元 元 年 八 月 寛 元 三 年 十 一 月 寛 元 四 年 正 月 ( 1 2 4 5 ) ) 寛 元 四 年 三 月 寛 元 四 年 五 月 寛 元 四 年 七 月 寛 元 四 年 九 月 ( 1 2 4 6 寛 元 四 年 十 一 月 ) ) 120 第二期 建 長 八 年 十 月 正 嘉 元 年 十 一 月 ( ( ( 1 1 1 2 2 2 5 5 5 4 6 2 ) ) 正 元 元 年 十 月 正 元 元 年 十 一 月 ( 1 2 5 9 文 応 元 年 四 月 ) 文 応 元 年 六 月 弘 長 元 年 正 月 文 永 元 年 二 月 文 永 二 年 四 月 文 永 二 年 五 月 文 永 二 年 十 月 文 永 四 年 二 月 ( 1 2 6 0 ( 1 2 6 1 ( 1 2 6 4 ( 1 2 6 5 ( 1 2 6 7 ) ) ) ) ) 文 永 四 年 七 月 文 永 四 年 九 月 ) 第三期 地震発生 80 建 長 六 年 二 月 1ヶ月毎の自然現象記録についての文字数の変移を表すグラフ 第一期 100 建 長 四 年 十 一 月 地震発生 60 40 20 0 嘉 禄 二 年 四 月 嘉 禄 二 年 六 月 嘉 禄 二 年 八 月 嘉 禄 二 年 十 月 安 貞 元 年 四 月 安 貞 元 年 六 月 安 貞 元 年 八 月 安 貞 元 年 十 月 安 貞 元 年 十 二 月 寛 喜 元 年 正 月 寛 喜 元 年 五 月 寛 喜 二 年 正 月 寛 喜 三 年 二 月 寛 喜 三 年 四 月 寛 喜 三 年 六 月 寛 喜 三 年 八 月 寛 喜 三 年 十 月 寛 喜 四 年 二 月 貞 永 元 年 四 月 貞 永 元 年 七 月 貞 永 元 年 閏 九 月 天 福 元 年 正 月 嘉 禎 元 年 十 月 嘉 禎 三 年 十 月 暦 仁 元 年 十 一 月 仁 治 二 年 六 月 仁 治 三 年 二 月 仁 治 三 年 四 月 仁 治 三 年 六 月 仁 治 三 年 八 月 仁 治 三 年 十 月 仁 治 三 年 十 二 月 寛 元 元 年 八 月 寛 元 三 年 十 一 月 寛 元 四 年 正 月 寛 元 四 年 三 月 寛 元 四 年 五 月 寛 元 四 年 七 月 寛 元 四 年 九 月 寛 元 四 年 十 一 月 建 長 四 年 十 一 月 建 長 六 年 二 月 建 長 八 年 十 月 正 嘉 元 年 十 一 月 正 元 元 年 十 月 正 元 元 年 十 一 月 文 応 元 年 四 月 文 応 元 年 六 月 弘 長 元 年 正 月 文 永 元 年 二 月 文 永 二 年 四 月 文 永 二 年 五 月 文 永 二 年 十 月 文 永 四 年 二 月 文 永 四 年 七 月 文 永 四 年 九 月 過去の研究との比較 ①『明月記』の地震記録との比較 (安藤 2004より) 『明月記』(1180年~1235年)からの地震記述 西暦 和暦年月日 地震の記述 1226年 嘉禄二年七月十七日 未刻地震(大動にあらず) 1226年 嘉禄二年十二月二十四日 大地震(鳴動の声有り)良々久し。 1226年 嘉禄二年十二月二十五日 地震又甚し。 1226年 嘉禄二年十二月二十八日 辰の刻、又鳴動地震有り。 『民経記』(1226年~1267年)からの地震記述(『明月記』との重複部分) 西暦 和暦年月日 地震の記述 1226年 嘉禄二年九月六日 卯刻許有地震揺々天王寺~住吉乃間 1226年 嘉禄二年十一月二十四日 酉刻許有大地震下洲、摂洲ホ來 1226年 嘉禄二年十一月二十九日 此間地震連々云々 ② 『吾妻鏡』の地震記録との比較 (生島、小山 2006より) 『吾妻鏡』(1182年~1264年)からの地震記述 西暦 和暦年月日 地震の記述 1227年 嘉禄三年三月七日 亥刻、大地震、所々門扉地等、又地割云々 1230年 寛喜二年正月二十二日 酉刻地震、大慈寺、後山頽 1241年 仁治二年四月三日 亥刻、大地震、南風、由比浦大鳥居内緋殿、 被引潮流失、着岸船十余艘破損 1257年 正嘉元年八月二十三年 戊刻大地震、有音、神社佛閣一字無全、山岳 頽崩人家、傾倒、~所々地割、水湧出 『民経記』(1226年~1267年)からの地震記述(吾妻鏡との重複部分) 西暦 和暦年月日 地震の記述 1226年 嘉禄二年九月六日 卯刻許有地震揺々天王寺~住吉乃間 1226年 嘉禄二年十一月二十四日 酉刻許有大地震下洲、摂洲ホ來 1226年 嘉禄二年十一月二十九日 此間地震連々云々 1228年 安貞二年十月三日 辰刻少地震 1246年 寛元四年正月六日 未刻地震 1246年 寛元四年三月二十二日 未刻地震 1246年 寛元四年四月三日 今朝辰刻地震 1246年 寛元四年十月四日 子刻地震有声 1246年 寛元四年十月十日 亥刻地震、自西方震来可恐 1246年 寛元四年十二月六日 寅刻大地震 まとめ 13世紀の古記録『民経記』を分析し他史料とも比 較した結果、次の記録特性が明らかになった。 ・総記録は1226年から1267年の約40年(112ヶ月分) ・情報量の変遷から第一期~第三期に区分可能 ・自然現象記事の68%は天候、地震記時は10件(2%) のみで,被害記述なし ・第二期の地震活動は不活発、第三期の寛元四年頃 (1246年)の地震活動は活発 ・『明月記』との比較から,嘉禄二年(1226年)の地震活動 が活発と言える ・『吾妻鏡』との比較から,鎌倉地域と共通した地震(東海 地震の可能性のあるもの)はなかった
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