秋山広輔『Right to Water』2011年度ゼミ論文 - 上智大学

2011 年度 国際政治経済論演習 ゼミ論
Right to Water
秋山 広輔
はじめに
人は水なしでは生きていけない。それは当然のことである。しかし「安全な水が手に入
れられる」ことは当然のことではない。水道水を捻れれば水が出てくる、コンビニエンス
ストアに行けばボトルウォーターを買うことできる、飲食店に行けば無料で水がサービス
される。そんな簡単に水を手に入れられる日本という国にいれば「安全な水が手に入れら
れる」ということは当然のことのように思えてしまう。しかし海を越えればその当然のこ
とではない。水を得るために数キロ先の川までに水を汲みに行く、そんな光景は世界中に
ある。
WHO と UNICEF が発表した「Progress on Sanitation and Drinking Water:2010 up
date」
によれば、
現在世界では 8 億 8400 万人の人が安全な飲料水にアクセスできていない。
安全な飲料水にアクセスできていない人々は、川や地下水を飲料水として利用することに
なるが、それらの水源は決して安全ではなく、病原菌や有害物質が含まれていることがあ
る。
このような現状の中で、2010 年 7 月に国連総会で「The human right to water and
sanitation」という決議が採択された。これは「安全な水にアクセスできることは人権であ
る」ということが初めて正式に国際社会で認識されたことを意味する。
そして人権として認識されたことによって国家にはこの人権を保障する義務・責任があ
るということも同時に認識されたことになる。
このゼミ論では、水問題に関して、人権と水道事業の民営化を中心に論じていきながら、
今後各国はどのような対応を迫られていくのかを考察していく。
目次
1 部 世界の水問題の現状
2 部 人権
2-1 人権の意味
2-2 対立概念
2‐3 人権と認められるまでの経緯
3 部 水道事業の民営化
3‐1 民営化の経緯
3‐2 民営化の失敗の理由
3‐3
おわりに
GATs との整合性
1部 世界の水問題の現状
WHO と UNICEF が発表した「Progress on Sanitation and Drinking Water:2010 up
date」
によれば、
現在世界では 8 億 8400 万人の人が安全な飲料水にアクセスできていない。
安全な飲料水にアクセスできていない人々は、川や地下水を飲料水として利用することに
なるが、それらの水源は整備されていないため決して安全ではなく、病原菌や有害物質が
含まれていることがある1。
主な病原菌の例としてコレラ菌を挙げることができる。WHO の報告によれば 2007 年の
全世界のコレラの患者数は 177,963 人で、うち死者数は 4,031 人であった 。そして全患者
数の 94%をリカ大陸が占め、致死事例はアフリカがほとんどある2。
有害物質ではバングラディシュにおけるヒ素問題が例として上げられる。バングラディ
シュではヒ素が含まれる地下水を飲料水として活用しており、国民の多くが長期的に利用
していたため発癌率が上昇している。
また貧困層は、安全な飲料水にアクセスできないことに起因する教育の機会の減少や労
働力の低下が原因で貧困から脱出できない。統計によれば、水に関連した病気によって子
どもの就学日が毎年延べ 4 億 4300 万日も失われている3 。就学の機会が奪われることは、
将来の貧困に繋がる。そして貧困から脱出できていないために安全な飲料水にアクセスで
きる余裕がない。このような悪循環に貧困層は常に悩まされている。しかしそのような状
況下でも国家や国際社会はこの悪循環を打破する必要があるが、効果的な解決策が打てて
いないでいる。
さらに貧困層が安全な水を手に入れるためには、富裕層の何倍ものコストを支払うこと
になる。水道網が届いていない地区の貧困層は、中間流通業者を通して公共事業体または
企業の水を購入することになるが、中間流通業者を通すことによって料金は水道網に直接
アクセスできる富裕層の何倍にも達することになる4。さらに中間業者から水を購入せず、
川などの水源を利用する場合であっても、そこで支払われている機会費用やリスクを考え
れば、貧困層が水を得るためには富裕層に比べて何倍ものコストを払っていることになる。
2000 年に国連ミレニアムサミットで採択されたミレニアム開発目標(MDGs)の中の一つ
に、
「2015 年までに安全な飲み水へアクセスできていない人口を半減にする」というターゲ
ット 7 がある。そしターゲット 7 に関する進展は順調でこのままのペースだと 2015 年まで
1
2
3
4
世界人間開発報告書(2006)
同上
同上
同上
に達成可能であると報告されている 。しかし、この結果は中国とインドという人口が多い
国の進展によるものが大きく、サハラ以南アフリカ、中・東欧、CIS 諸国ではこれまでの
ペースで行くと 2015 年までには達成不可能であるとされており、さらにはオセアニアにい
たっては目標達成に向けての進展がほとんど見られず、むしろ悪化しているとすら報告さ
れている。
MDGS GOAL7の進展度合い(%)
2010年の進展報告より著者が作成
2008年
1990年
途上国全体
71
東アジア
オセアニア
69
89
50
51
90
86
北アフリカ
サブサハラアフリカ
84
49
60
また MDGs の他の目標を達成するには、安全な飲み水へのアクセスを確保することが必
要不可欠である。例えば幼児の死亡率の削減(ゴール 4)や就学率の向上(ゴール 2)には安全な
飲み水のアクセスの保障が必須の条件であり、女性の地位上昇(ゴール 3)にも大きく影響す
る。というのも、現在近隣に利用できる水資源がなく、生活のために遠い水源に行くこと
が必要な地域では水を汲みに行くことは子供の役目であることが大半であり、 学校に通う
余裕などない児童は多くいる。もし彼らの近くに安全な水源ができれば、就学率は上昇す
る。またそういった児童の多くは女子であるので、彼女らの就学率が上昇することにより
将来的に女性の地位上昇を導くであろう。
2 部 人権
2‐1 人権の意味
水を人権と捉えることは、国際社会には国連人権委員会や国際機関が国家による権利保
障の進展を監視する体制、及びこれに対して国家が説明責任を負う体制の構築を促す5。ま
た民衆が権利を主張すること、特にこれまで十分な水供給のシステムから外れていた貧困
層が発言力を持つことになる。
また人権と認められることは、国家に対して義務を課すことになる。義務とは遵守の義
務・保護の義務・履行の義務の三つからなる6。
遵守の義務とは、国家の行為が国民の人権を侵してはならないことである。水に関して
言えば、国家の行為によって国民が安全な飲料水を手にすることを阻害してはならないと
いうことである。
保護の義務とは、個人の人権が第三者によって侵害されないように国家が国民を守るこ
とである。たとえば、水道事業体の水道料金の不透明な値上がりから国民を守ることを義
務付ける。
履行の義務とは、人権の確保のために国家は必要な措置をとることである。たとえば水
道網から離れている人々に対して安全な飲料水の供給手段を講じる義務である。
この三つの義務を国家に課すことにより、国家はこの人権を確保するために国家勢力を
注いで行動を実行する必要が生じる。安全な飲料水にアクセスできるようにするには、多
額の資金と長期的な計画が必要であり、そのためには国家の強硬な行動力は欠かせない。
2‐2 対立概念
この人権に対して、対立する概念が存在する。それは「水を商品とする」概念である。
この概念が登場した背景には、従来の水の価格が水本来の希少価値を反映していなかった
ことがある7。
「水を商品とする」概念は、今まで低価であった水の値段(もちろんそれでも貧困層には
高額である)に水本来の価値に反映させた価格(経済価値)にすることによって 、水をより公
平に、そしてより効率的に配分できると考える。詳しくは後述するが、水道事業の民営化
はこの概念を 受けてなされたものである。しかし水に経済的価値を付けることによって水
5
6
7
ウォータービジネス 227p
同上 228p
ダブリン原則(本文後述)では、水は「経済財」であるとされている。
供給の効率化を図ることは非常に重要だが、その際に水の経済的価値が強く反映させられ
るとその供給から貧困層 が排除されるという事態が起きる。
実際に水道事業が民営化された途上国の多くでは、貧困層がそのサービスから除外され
るという事態が乱発した8。
今までの国際宣言には『水はニーズである』という表現が使われることが多々あったが、
その背景には、
「水を商品とする」概念があった。ニーズと人権という表現は一見差のない
ようにも感じられるが実際にはその差は大きい9。これまでの国際会議においては、このど
ちらを決議文に載せるかで対立があった。これには人権という言葉が持つ意味とニーズと
いう言葉が持つ意味が関わっている。前述のように人権は国家に義務を課すことを意味す
る。
その一方でニーズは、欲求・需要を意味し、そのニーズを満たすために市場原理を用い
ることでそれを満たせるという考えを持つ。 いままで人権という表現を避け、ニーズと表
現していたのは、人権が課す義務に対して後ろ向きの姿勢と企業の水ビジネスの利権を守
ろうとする意志の表れである。
2‐3 人権として認められるまでの経緯
2010 年に国連総会において「水に対するアクセスは人権である」とする決議が採択され
たが、2010 年以前にも国際社会では頻繁に話し合われてきた。ここでは水問題における国
際社会の動向を、国際会議を通して簡単に説明していく。なおここで挙げるのは、水問題
に関係した国際会議を網羅するものではなく、筆者が重要と考えるものだけである。また
ここにおける重要の基準は、水の価値・またはそれに対する概念のターニングポイントと
なっているという意味である。
○1992 年 水と環境に関する国際会議(アイルランド、ダブリン)
【内容】
ダブリン原則が採択され、後の国際的な水の議論で広く用いられる。
【ダブリン原則】
(一部抜粋)
・水は、あらゆる競合的用途において経済的価値を持ち、経済財として認識されるべきで
ある
○2000 年 第二回世界水フォーラム(オランダ、ハーグ)
8
アルゼンチンのブエノスアイレス、ボリビアのコチャバンバなどでは、支払いが困難に
なった市民が大規模なデモを行った事例がある。
9 「水をめぐる危険な話」
【内容】
UNESCO と世界銀行が中心となって、水分野の研究等のために設立した世界水評議によっ
て行われた会議。ハーグ閣僚宣言がなされた。
【バーグ閣僚宣言】
(一部抜粋)
・水の持つさまざまな価値(経済・社会・環境・文化)を考慮した管理ならびに無防備な
貧困層の需要および公平性を考慮しつつ供給費用を回収するための水の価格化の推進
○2000 年 国連ミレニアムサミット
【内容】
ミレニアム開発目標(MDGs)が提唱され、その中で水資源に関する問題が採り上げられた。
【ミレニアム開発目標】
「2015 年までに安全な飲み水アクセスできない人口の割合を半減する」
○2002 年 持続可能な開発に関する世界首脳会議(南アフリカ、ヨハネスブルグ)
【内容】
規制、監視、自主的措置、市場及び情報に基づく手段、土地利用管理、及び、貧困層の安
全な水へのアクセスを阻むことのない形での水サービスの原価回収を含む、すべての政策
手段を用い、統合流域アプローチを採用すること
○2002 年 国連経済社会理事会
【内容】
社会権規約委員会一般的意見 15 が採択される。この一般的意見は国際人権規約から安全な
水にアクセスできることは人権であると解釈したものである。しかしこれは、締結国にた
いして法的拘束力を持つものではない。
○2003 年 第三回世界水フォーラム(日本、京都)
【内容】
持続的な開発のための自立と連帯による水問題の解決をうたった閣僚宣言が発表される。
閣僚宣言(抜粋)
1. 水は、環境十全性を持った持続可能な開発、貧困及び飢餓の撲滅の原動力であり、人の
健康や福祉にとって不可欠なものである。水問題を優先課題とすることは、世界的に喫緊
の必要条件である。行動の第一義的責任は各国にある。国際社会は国際・地域機関ととも
に、これを支援すべきである。貧困者及びジェンダーへの十分な配慮とともに、政府によ
り地方自治体及びコミュニティーの権限強化が促進されるべきである。
○2006 年 第四回世界水フォーラム(メキシコ、メキシコシティ)
【内容】
持続可能な開発に向けた水問題の重要性をうたった閣僚宣言が発表される。
※この宣言内に、
「水が基本的人権である」という文言をボリビアなどの南米諸国が載せよ
うと交渉するが、アメリカ、カナダなど北米諸国の強い反対により失敗する10。
○2009 年 第五回世界水フォーラム(トルコ、イスタンブール)
【内容】
地球規模の「水の安全保障」を達成することを目標に、取り組むべき事項を取りまとめた
閣僚宣言が発表される。
閣僚宣言(抜粋)
15. 人権と、安全な飲料水・衛生へのアクセスに関する国連の議論を認め、安全な飲料水や
衛生へのアクセスは、人間の基本的なニーズであると認識する。
※前回と同様に「水が基本的人権である」という文言を載せようとする動きがあったが、
アメリカなどの大国の反対により失敗する11。最終的に「水は基本的ニーズである」という
文言が載る。
「水が基本的人権である」という文言に賛成していた国は、以下の通り
Bangladesh,Benin,Bolivia,Chad,Chile,Cuba,Ecuador,Ethiopia,Guatemala,Honduras,M
orocco,Namibia,Niger,Panama,Paraguay,SouthAfrica,Spain,SriLanka,Uruguay,Venezu
ela.
○2010 年 7 月 国連総会
【内容】
「The human right to water and sanitation」という決議が通る。
賛成国数は 122 カ国であり、反対国は存在しなかったが、41 カ国の棄権があった。棄権し
た国は以下の通りである。
Armenia, Australia, Austria, Bosnia and Herzegovina, Botswana, Bulgaria, Canada,
Croatia, Cyprus, Czech Republic, Denmark, Estonia, Ethiopia, Greece, Guyana, Iceland,
Ireland, Israel, Japan, Kazakhstan, Kenya, Latvia, Lesotho, Lithuania, Luxembourg,
Malta, Netherlands, New Zealand, Poland, Republic of Korea, Republic of Moldova,
Romania, Slovakia, Sweden, Trinidad and Tobago, Turkey, Ukraine, United Kingdom,
United Republic of Tanzania, United States, Zambia.
INTER PRESS SURVICE 「WATER: Final Declaration Holds Diluted View of Water
as a “Right”」
11 日刊ベリタ 2009/03/28
10
上の会議一覧でわかるように、国際社会では水の重要性は以前から認識されており、貧
困問題やジェンダーの問題と深く関わりがあることも認識されていた。しかしその一方で
ニーズという概念を用いることによって、なかなか水が人権であることを明記することを
回避してきた。
そうしたなかで 2010 年における総会決議において、人権であることを明記することにな
ったがその決議には多くの先進国が棄権していることから、真の意味で人権を認識したと
は言い難い。また総会決議において法的拘束力はなく政治的道徳しかないため、今後は水
という人権を条約化しようとする試みが始まっていくことだろう。
3 部 水道事業の民営化について
3-1 民営化の経緯
人々が水を得る上で、最も重要なアクターとなるのは水道事業である。しかし水道事業
には大きな問題が存在している。その問題とは低い収益性と費用が高い設備である。
水道事業は、市民が経済的に負担可能な値段設定になっていなければならず、料金は低く
設定されなくてはならない。しかし同時に設備投資に多額の資金を要する。これは途上国
にも限らず、先進国も含め多くの国々の悩みの種である。
しかしながら途上国においてはこの問題は深刻なものである。というのも途上国におい
ては水道水の水質が低く、水道網のカバー率も高くない。したがって設備投資に多額の費
用を必要とするが、水道料金の少しの値上がりでも、水道料金を払えなくなってしまう人
口は非常に多い。そのため料金の値上げという選択枝を選択することはできず、設備投資
の資金は得られない。その結果、水質は改善できず、水道網から外された貧困層は依然と
水道網から外されたままであり、水道以外の水源を頼らなければならない。
このような水道事業の問題を解消する手段として考えられていたのが、水道事業の民営
化である。途上国における公共の水道事業が上手く機能しないのは非効率な運営のせいで
あり、水の本来の価値を反映できていない事業形態に原因があるとされていた。したがっ
て民営化することによって、水本来の価値を反映すること、そして水道事業に市場原理を
組み込み効率的な運営をしようと試みた。民営化によりこれまでの公共事業と違い効率的
な運営ができ、水道料金の低価格化・水質改善・水道網の拡大(貧困層の取り込み)など
が達成できると考えられていた。
しかし実際に民営化された水道事業では、民営化によって達成されるとされた目標の多
くが達成されるどころか、状況は悪化した。具体的な例を挙げればボルビアのコチュバン
バ、アルゼンチンのブエノスアイレスなどの事例がある。両方の事例とも水道料金の高騰
などに対する民衆の抗議デモにより民営会社が契約の期間終了を前に撤退することになり、
再び国営化された。ボリビアの事例を簡単にだが説明する。
1999 年、世界銀行はボリビア政府にコチャバンバの市営水道会社を民営化するよう勧め
た。世界銀行によれば、民営化することによって効率的な運用が可能になり、適切な料金
で適切なサービスの提供が可能であるとされ、民営化を実施すれば 600 万ドルの多国間債
務を免除するという条件も付けられた。これを受け、ボリビア政府は水道事業への補助金
を打ち切り、米国建設企業ベクテル社の子会社と契約し、水道事業の民営化を行った。
しかしながら、すぐに水道料金は 200%以上にまで高騰した。当然のごとく支払い能力の
ない市民たちが多数発生し、支払不能者は容赦なく供給を停止された。それに抗議した民
衆はデモ活動を開始した。
これを受けたボリビア政府は水道料金を下げると公約したが、果たされず、デモ続いた。
そして世界銀行・IMF から援助停止の圧力をかけられた政府は、戒厳令を布いて抗議の鎮
静化を図ったが最終的にベクテル社はコチャバンバから撤退し、水道事業は再国営化され
た。
しかし問題は終っていなかった。2001 年にベクテル社は、世界銀行の下部組織に当たる
投資紛争解決国際センター(ICSID)を通して、ボリビア政府に対して契約違反による損害
賠償として 2500 万米ドルを請求した。この訴訟はベクテル社が 2007 年に和解という形で
訴訟取り下げを行うまで続いたが、それは審判が非公開で行われることに対するデモ活動
や国内外の批判を受けての取り下げであった12。またボリビアは 2007 年の段階で ICSID 条
約から脱退している
3-2 民営化の失敗の原因
民営化が失敗した理由として以下の三つの理由が挙げられる。
・水道事業はある種の独占市場であること
基本的に水道事業は州などの地域単位で行なわれるが、そのため同一の地域に複数の水道
事業が並列することは稀でありその地域において水道事業は独占的に水供給を担うことに
なる。しかしながらこのようなある種の独占市場においては、市場原理の重大要素である
競争は生まれず、市場原理による水道事業の効率化は達成されなかった。
・企業は株主への配当を考えなくてはならないということ
企業は出資者である株主に配当金を支払わなくてはならないが、配当金は企業の収益から
出される。よってたとえ民営化により事業体の収益性が上がったとしても、それは株主に
払われるだけであり、設備投資の資金にはならない可能性がある。
・監視体制が未熟であったこと
水道事業を民営化するに当たり、多くの国では企業への監視体制を設けた。しかしながら
多国籍企業は世界銀行や IMF といった強力な後ろ盾があり民営化契約段階において非常に
優位な立場にあったため、用意された監視体制は非常に未熟であった。そのため企業に対
して抑止力はまったく持たなかった13。
Bechtel vs. Bolivia: The People Win!” South End Press, January 19,
2006.
13 添ノ澤
12
ただしこれまでの民営化が失敗になったからといって、必ずしも民営化が間違っている
とは言い切れない。民営化が主張されるようになった背景は、間違いなく公共事業の非効
率な運営があり、非効率化を是正するのに市場原理を用いるのはという手段は一つの解答
と言えよう。水道事業の民営化の是非は、今も国際社会での大きな争点になっているが、
64 会期の国連総会の「The human right to water and sanitation」決議がこの争点に与え
る影響力は非常に大きいと考えられる。
3-3 GATS との整合性
また水道事業の民営化と非常に関わりの深い国際協定が存在している。それが GATS で
ある。GATS とはサービスの貿易に関する一般協定のことであり、1995 年に発行された
WTO 協定の一つである。この協定は締約国間で多国籍企業がサービス提供をできるような
土台となる。つまりサービス貿易の障害となる政府の国内規制を緩和させ、サービス貿易
の自由化を促進させるための国際協定である。この協定の存在は途上国の公共サービス事
業に多国籍企業が参入を促進させるものであった14。つまり公共サービスの民営化を促進す
るものである。他方でこの協定は、国家が人権を守るために企業に規制をかけようとも、
規制が協定違反になりうるため規制を実践できないという事態が起きうる。
これは可能性の話ではない。前述したボリビアの事例において以下のような事態が起き
た。ボリビアは 1999 年に多国籍企業による水道事業の民営化を実践したが、料金高騰など
を理由にした市民のデモによって民営化は失敗に終わり、多国籍企業は撤退した。それか
ら後の 2006 年 3 月にボリビア政府は WTO に対して、GATS の対象から水を外すよう要求
行い15、2009 年の憲法改正にて、水は人権であることを明記した。このことから GATS の
存在は水という人権を国家が保障するにあたって障害になりうると評価できる。
「The human right to water and sanitation」の決議はこの GATS の締結国に課題を与
えることになった。決議が採択されたため、国家は水へのアクセスの人権を保障するため
に、規制及び監視体制を作る必要性が生じつつあるが、その体制は、サービス貿易の自由
化の障壁となる可能性がある。したがって締結国は、GATS の協定を破らないようにバラン
スを取りながら国内体制を整えなくてはならない。
14
波田野によると、協定自体はサービス貿易の自由化を目的しており民営化を要求するも
のではないが、多くの国が水道事業を公的事業体が運営していることから、自由化は民営
化と同義として捉えられると評価している。
15「THE RIGHT TO WATER AT THE 4TH WORLD WATER FORUM IN MEXICO」
Henri Smets 2006/09/04 4p
おわりに
まずまとめの章がなく、おわりに入っていることからわかるように本論は未完であり、
各章は部分的にでしか繋がっていなく、広く浅いといえる。実は本論は、当初の目標地点
にたどり着いていない。この論文を書くにあたって考えていたのは、2010 年の総会決議
「The human right to water and sanitation」が採択された後、各国がどのように対応し
ていくかを見比べることによって、この水に対する人権を国家が保障するに必要な要素を
考察することを最終的な目標としていた。しかしながら国連総会の決議が法的拘束力を持
つものではなく、あくまでも政治的道徳の範囲に過ぎないこと、また決議が採択されてか
らまだ時間がそれほど経過していないため各国の対応に対するデータ等が圧倒的に不足し
ていたことを受けて構成を変更した。
しかし、本論は目的地を変更したわけではない。最終的な目的地には辿り着かなかった
ものの、本論はその途中の過程であり、そのため前提となる水問題というものの全体像を
捉えることに努めた。最終的な目的地には来年度の卒論によって辿り着きたい。
また執筆の際に思ったことだが、民営化という言葉は企業化と同意で扱われているが、
今までの民営化には市民が不在であり、
「民」に市民の意味が備わったものが本当の意味で
の民営化と呼べ、それこそがこの問題における解決口なのではないかという仮説が浮かん
だ。卒論においては「市民」の要素も取り上げて論じていきたい。
参考文献
◇条約等
『世界人権宣言』1993 ウィーン
◇書籍
『人間開発報告書 2006~水危機神話を超えて』 2006 国際協力出版会 古今書院
『ウォータービジネス』2008 モード・バーロウ
『水紛争の世紀』2003 バーロウ及びクラーク
『水をめぐる危険な話』2002 ジェフリー ロスフェダー
◇各種報告書
『国連世界水発展報告書』
『経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約の実施に伴う重要問題 NO.15』
『水インフラへの資金調達世界パネル報告書』
『日本の水資源』
『 Liberalization of Trade in Services and Human rights Report of the High
Commissioner』
『Challenging Corporate Investor Rule』
『水分野援助研究会─途上国の水問題への対応』
『開発課題に対する効果的アプローチ─水資源』
『途上国の開発事業における官民パートナーシップ導入支援に関する基礎研究』
◇論文
『水に対する人権と WTO』 横浜国際科学研究 第 12 巻 第 4・5 号 波多野 英治
『水供給事業の国際化と水に対する人権』法律時報 2010 年 3 月 波多野 英治
『途上国における水道事業民営化の現実と可能性』 上智大学 学位論文 添ノ澤 温子
『水道事業の民営化』上智大学 学位論文 岡本 美恵子
◇WEB
UNITED NATIONS http://www.un.org/en/)
UNDP (http://www.undp.org/)
世界水評議会 (http://www.worldwatercouncil.org/)
外務省-外交政策-地球環境 (http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/index.html)
国土交通省-水資源部 (http://www.mlit.go.jp/tochimizushigen/mizsei/index.html)
OUR WATER COMMONS (http://www.ourwatercommons.org/resource/list)
WATER JUSTICE (http://www.waterjustice.org/)
Public Service International Research Unit
(http://www.psiru.org/publicationsindex.asp)
DEMOCRACY NOW (tp://democracynow.jp/dailynews/10/04/19/2)
INTER PRESS SURVICE(http://ipsnews.net/)