日本の地震災害 伊藤和明著 第1章 関東大震災 総合科学教育課程総合学科4年 3031-6023 谷村 麻由子 1史上空前の地震災害 相模トラフ巨大地震 ●1923(大正11)年9月1日土曜日午前11時5 8分32秒 海溝型巨大地震が発生。 場所は、相模湾 本震はM7.9 (40秒ほどの激しい揺れ) 第2、第3の揺れの余震 12時1分M7.2 12時3分M7.3 (1995年兵庫県南部大地震はM7.3) →余震といえども激甚な揺れを地表にもたらした。 ●死者・行方不明者数は、10万5000人前後 相模トラフ巨大地震(関東大震災) ●北西進するフィリピン海プレート は、駿河トラフと相模トラフで、日 本列島を乗せているプレートの 下に沈みこんでいる。フィリピン 海プレートが、あるとき限界に達 すると、とつぜん上向きに撥ね かえって巨大地震が発生した。 ●相模トラフでの巨大地震の発生 は、1703(元禄16)年の 元禄地震以来、220年ぶり。 図1 関東地震の震源域 猛火がまちを包んだ ●震度6の範囲(伊豆半島、神奈川県、山梨県一部、東京 都、房総半島) <被害状況> ・震源に近い小田原では東海道本線の蒸気機関車が転覆、 同線の鉄橋は数片にちぎれて落下 ・東京横浜では、煉瓦造りや石造りのビルも崩壊 官庁、裁判所、ホテルが瞬時に倒壊 ・浅草の象徴、凌雲閣(高さ52m 12階建て)が8mのところから 折れ曲がる。 図2 倒壊した凌雲閣 ●犠牲者の9割以上が焼死者 →地震の発生が正午直前のため火を使っていた。 東京市内だけでも130ヶ所から出火した。 下町からの出火が目立ち、地盤の軟弱な沖積平野の上であ るので家屋が倒壊、火災が発生。 さらに 気象の運もなく 熱帯低気圧によって東京周辺 では風速10m以上によって火災 が拡大していった。 図3 焼け焦げた三越百貨店 荒れ狂った火災旋風 ●陸軍被服廠跡地(東京市)で火災旋風発生。 面積約6万8000㎡で絶好の避難場所であり、直後から 続々と人が集まってきた。 しかし 火災現場からの火の粉がふりかかり中心部では、火災によ る高熱の空気を含んだ熱風竜巻発生。 ●焼死約4万4000人 (大震災による犠牲者の4割) ●東京府全壊が2万戸あまり 焼失37万戸であり、東京市の 64%が焦土となった。 図4 被服廠跡に集まった人々 2 津波被害と土砂災害 大津波の襲来 ●伊豆半島東岸から相模湾沿岸一体、房総半島も南 端まで津波が襲った。 熱海 波高14m、約50戸が流出。 (地震発生から5分後に津波襲来) 伊東 波高9m、300戸以上流出。 伊豆大島岡田港12m、房総半島相浜9mの津波襲来 鎌倉、逗子5~6m 海水浴場、桟橋にいた人約50人 が行方不明となった。 →相模湾沿岸だけでも数百人の津波の被害者がいる と推定されている。 小学生の津波体験記 静岡県伊東市宇佐美地区の小学生の地震体験記 「ゆらゆらと言う間もなく地震は大きくなった。逃げるにも逃 げられず、その中に地震もやんだ。 “今だにげろにげろ”と誰かが言った。畠へ上ってみると浪 が陸をさらって行った。二度目の浪の時には、 海は、舟と家で島のようだった。」(小学校6年男子) (一部抜粋) 多くの作文の中に避難させた話がでてくる。 宇佐美村全体で111戸が流出したが、こうした迅速な判 断避難行動の結果により犠牲者はひとりもでなかった。 災害を記録として伝承することの大切さを教えてくれる。 多発した土砂災害 ●神奈川県西部の山地を中心に山崩れや崖崩れ 発生。 東京、神奈川、千葉、山梨、静岡で合計80k㎡ にわたる山腹の崩壊が発生した。 丹沢山地や箱根山地では、山地全体の焼く20%崩壊。 ●神奈川県秦野 崩壊した大量の土砂により押切川が せきとめられ、池が生じ、「震生湖」となった。 ●丹沢山地で地震2週間後に豪雨が襲い、大規模な土 石流が発生。以後、各所で田畑や家屋に土砂に埋ま る。 根府川の悲劇 ●神奈川県片浦村根府川地区で岩 屑なだれ発生 →集落を襲い64戸が埋没、406人 が犠牲。 ※岩屑流れ 地震や火山の噴火により山体が崩 壊することによって発生。空気を 媒体として流下するので地表との 摩擦が小さく高速の流れとなる。 ●熱海線根府川鉄橋も岩屑なだれ により海中に飛ばされる。 トンネルを抜け出ていた機関車だ けに土砂が巻き込まれる。 図6 崩壊および埋没した機関車 図5 根府川 白糸川で発生した土石流 3 流言が招いた混乱 さまざまな流言の発生 ●被災地を中心に流言が発生、社会的混乱を起こす。 →原因として公的な情報がえられなかった。 (情報源が新聞のみだったが、新聞社も震災で倒壊。 新聞社復旧の9月5日の夕方まで4日間情報が皆 無の状態だった。) ●大災害の大都市では、被災住民の不安と混乱の中 で、確かな情報やもっともらしい噂話が自然発生的 な流言と化して、口伝えで拡大していった。 “噴出流言” 破壊的な災害に見舞われ、通常の社会組織が破壊 された中で起こる流言のことをいう。 関東大震災では多種多様な噴出流言があった。 「もっと大きな地震が来る」 「2日正午にまた地震が襲う」 「東京の下町にも大津波が来る」 「富士山が噴火した」など。 大津波、富士山噴火の流言に至っては、そのまま 地方にも伝わり、地方新聞には確実な情報として 掲載された。マスメディアさえも流言に惑わされた。 朝鮮人暴動騒ぎ 流言の中で一番深刻で重大な結果を招いた。 9月1日午後7時ごろ、「朝鮮人が放火している。」という 噂が発生。 「朝鮮人が暴動している」「婦女に暴行を働いている」 「井戸に毒を投げ込んでいる」 翌日にはさらに、 「朝鮮人労働者が300人襲ってくる」 「工場現場のダイナマイトを持って襲来する」 までに拡大。 後に発生源は、横浜市内で起きた日本人による繰り返 された集団強盗行為であり、朝鮮人の暴挙と誤解さ れたと言われている。 横浜市内で発生した流言は、2日には、 関東各県に及び、3日目には福島まで行き届いた。 ●事実無根の流言により、各町村では、朝鮮人襲来 にむけ、自警団を組織した。そして、朝鮮人と認め ると、日本刀や竹槍により殺傷。 殺傷されたのは3000~4000人とも言われる。 ●地方新聞が朝鮮人暴動を大きく報じ、そのことが 被災地にも伝わり、庶民の恐怖を煽った。咄嗟に 言葉が出なかった日本人さえも間違われ殺傷され た事件も起きた。 まとめ・感想 関東大震災の被害は尋常ではなく、そのほとん どが火災による被害であった。また、注目はされ ていないが津波による被害も大きいとわかった。 混乱と不安の中でも人のクチコミのはやさに驚い た。しかし、流言による殺傷が繰り返されたり、 不確かな情報の蔓延によりまた混乱が起き大規模 災害によると人の心のパニックさが露呈されるもの だと本を読み進めるにつれて感じた。 写真参考:国立科学博物館 地震資料室 http://www.kahaku.go.jp/
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