11・名前をつけてくくる

11・名前をつけてくくる
2010.07.06. 青山・文化人類学
11・名前をつけてくくる
2010/07/06 - [2]
初回参照:4つのキーワード
普遍性
1.

たとえば「人類」であるかぎり、どこかで共通点はあるはずで、
なにかしらわかり合える部分はあるだろうし、地球上で暮らす
ひとびとが持っている文化に違いはあれど、ひとが「文化を持
っている」こと自体は普遍的であろう
多様性
2.

とはいえ、個々のひと・文化の特徴はさまざまであろうし、そ
の多様性を留保することは、おそらく大事なことだろう
個別性
3.

普遍性と多様性の両方をつきつめていけば、「個別性」とその
尊重というのがひとつの究極点にあるのかもしれない
相対性
4.

個別性の尊重について考慮するには、お互いを入れ替え可能と
する考えかた=「相対性」についての理解が必要となろう
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2010/07/06 - [3]
「個別性」と「くくり」と「ラベル」

一人一人がそれぞれの個性を持っている=「わたし」は
わたし以外の誰とも同じではない=みんなちがって、み
んないい、が「個別性」だとしよう


それは「固有名詞の世界」になるだろう
複数の人間どうしのなにか共通点をみつけて「くくる」
ことは、それとは正反対の行為だということになる




ほんとうは「この講義に集まっている誰もが個性を持っており、
ほかの誰とも同じではない」はずだけれども、同じ青山女子短期
大学という大学に所属していることで「くくる」ことは、ごくあ
たりまえの行為だろう
くくられたみんなには「青短生」という「ラベル」が貼られる
「ラベルを貼られる」ことで「個別性は無視される」ことになる
それは「普通名詞の世界」になるだろう(厳密には「青短生」は固有名
詞だけれども)
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これはなんだろう?
2010/07/06 - [4]
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2010/07/06 - [5]
一般には「ねこ」だろうし、わたしにとっては「息子のカンナ」
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2010/07/06 - [6]
「ねこ」と「カンナ」

「ねこ」は普通名詞であって、好き嫌いはあるにせよ、
誰にとっても「ねこ」である


このシロクロのねこも、ほかのいろんなねこも、「ねこ」はただ
の「ねこ」であって、特にこのシロクロのねこでなければならな
い、ということはない
「カンナ」は固有名詞であって、それはわたしやその家
族にとって、あるいは「カンナ」に関心を持つひとにと
ってのみ「カンナ」である


わたしにとっては「カンナ」は「カンナ」であって、ただ「ね
こ」ではないし、ほかにはかけがえのないものである
甘えるときはどんなしぐさをするのか、どんなものが好物なのか、
どこで寝るのが好きなのか……など、「カンナ」でしかありえな
い、そのねこに関するさまざまな「情報」をわたしは持っていて、
それこそが重要である:個別性
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2010/07/06 - [7]
名前をつけてくくる(1)

人間が本質的・普遍的に持っている「言語を使い『名前
をつけてくくる』能力=普通名詞にする能力」は「ラベ
ル貼り」という問題を伴う


「ラベル貼り」は、常に個性の無視を伴う



もしその能力がなければ、それはそれで困ることになるが……
「青短生」は、当然ながら、全員が「お嬢さま」ではない
けれども、なんとなく「お金持ちで、ブランド品をたくさんもっ
ていて、ちょっと化粧が派手な、女の子」の集団がそこからイメ
ージされる
「ラベル」は誰が貼るのか/はがすのか


それが「言語」という社会/文化の共有物である以上、ラベルを貼
る主体は「社会/文化」ないし「わたしたち」というとらえどころ
のないものになる
しかし、わたしたちひとりひとりは決して無関係ではない
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2010/07/06 - [8]
名前をつけてくくる(2)



生活の便宜上、ある程度ラベル貼りは避けられないが、
同じラベルが貼られているひとびとの間には、実は様々
な個性の差があるのだ、ということはいくら気にしても
気にしすぎることはない
ステレオタイプ的なラベル貼りによって行なわれる「差
別」「ことばの暴力」の危険性も、いくら気にしてもし
すぎることはない
ラベルを貼ってひとくくりにすることは、ひとをモノ扱
いすることに近い

「ひとくくりでモノ扱い」だからこそ「いけないこと」なのであ
って、「差別だから」いけない、というのは本当は少し違う
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2010/07/06 - [9]
くくりかた(1)
1.
「平均値」
-
-
ある要素(複数でもいけないことはないが、ややこしい)に着目してな
んらかの数値化(擬似的にでも)を行ない、その平均値をとる、
という考え方
ばらつきが極端な場合、平均化することで意味を失なう可能性
もある
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2010/07/06 - [10]
くくりかた(2)
2.
「最頻値」
-
ある要素(複数でもいけないことはないが、ややこしい)に着目して
「大多数こんなもんだろう」、という考え方
-
ごく少数のマイノリティは特に見落とされる危険性がある
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2010/07/06 - [11]
くくりかた(3)
3.
「最大公約数」
-
-
全体に共通する要素(ごく一部分)を抽出して特徴とする。い
わゆる「近代 modern」における「国民化 nationalization」
の過程で形作られていく同質性はこれ
時には、まったく共通要素を持た
なかったひとびとにまで、それが
かぶせられることがある……アイ
ヌや琉球=沖縄における事例
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2010/07/06 - [12]
ラベル貼りによるくくり

あるくくられた集団に対して、その一部が持つ属性が全
体に敷衍されてしまうことがある





青短って、みんなお嬢さまで、遊んでるんでしょ!
○○中は今荒れてるから、あの制服・ジャージの子たちは万引き
するかも知れないよ!
最近在日外国人の犯罪が多いから、入国管理を厳しくしなければ。
こないだ在日の高校生が別の高校生にからんでるを見たから、や
っぱり怖いな。
しばしば「不快なひとくくり」になることがあり、それ
が「差別」へとつながっていく
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2010/07/06 - [13]
「近代」と「国民国家」(1)


前期後半で述べてきたような「マイノリティの同化」の
問題や「ラベルを貼って差別する」という問題が顕著に
なったのは、近代という時代において、国民国家という
制度が整えられたことと深く関係している
「近代」も「国民国家」も、そのなかで「多様性」を否
定し、できるだけ均質な空間を作ろうとする傾向をもっ
ていた



標準語をつくって、全国で同じ言語を話させよう
地域ごと・民族ごとの独自の文化を消し去って、全国を同じ文化
にしてしまおう
なぜそうしたのか? というと、その方が国家を運営する
うえで「効率的なシステム」だから。例外が少なく、同
じような人間の集まりの方が、管理しやすいから。
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2010/07/06 - [14]
「近代」と「国民国家」(2)
多様・雑多
均質化・画一化
=「くくり」
多様化 & さら
なる画一化
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2010/07/06 - [15]
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2010/07/06 - [16]
来週のマエフリ:『GO』を観る前に(1)
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戦後日本の「朝鮮人」に対する政策は、「出ていけ」と
も「同化しろ」とも明言せず、かといってそのエスニシ
ティを「尊重」もせず、「なんとなく抑圧し続ける」と
いうものだった
こうした日本政府に対する対抗組織として結成されたの
が「在日本大韓民国居留民団」(いわゆる民団、1948年
結成)と「在日本朝鮮人総聯合会」(いわゆる朝鮮総聯、
1955年結成)
「祖国」を韓国ないし朝鮮としながら、日本での民族団
体・社会団体・権利主張団体として発足した民団・総聯
は、当初日本に対する「仮住まい」意識を持っていた
それが「在日本=とりあえず今は日本にいます」という
名称を生みだしたし、そこからみずからのエスニシティ
の名乗りとして「在日」を選んだのは事実である
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2010/07/06 - [17]
来週のマエフリ:『GO』を観る前に(2)
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しかしながら、「日本社会」に下ろした根も次第に強固にな
り、中には帰化する=日本国籍を取得する=韓国籍・朝鮮籍
を失う「在日」も増えてきた
また生まれたときから「在日」で「帰る」感覚を持ち得ない2
世・3世・4世は増加する一方である
さらに戦後来日したいわゆる「ニューカマー」の増加などに
よって、「在日」という術語が持つ意味合いも変化してきた
「北」でもなく「南」でもない、「日本人」でもなく「韓国
人」でもない「在日」。「在日」は、一つの統合された「エ
スニック・アイデンティティ」というよりは、「北」「南」
「世代」「国籍」「帰属意識」などをめぐって「多様な個々
人のアイデンティティ」をもつひとびとの寄り集まりであり、
一定したコアを持ちにくい、と考える方がおそらく正しい
漂流するアイデンティティ、もしくは、desarraigado[根なし
草/縛りつけから自由になった者]