上級で学ぶ日本語(Ⅰ) 第14課 ほんものの豊かさ 本文 吉林華橋外国語学院 日本語学部 製作 第14課 形式段落 第1段落 (話題提示 大量消費社会 ) 「豊かな社会」の実現は自らの手で「本物」という選択肢を葬り去る プロセスであった。 第2段落 (例示 大量消費時代の影響-食生活- ) 一般消費者の選択肢から「本物」が姿を消してしまった。 第3段落 (例示 大量消費時代の影響-身の周りのもの- ) 我々が常日ごろ使っている物についても同様のことが言える。 第14課 形式段落 第4段落 (比較 大量生産で生み出された商品 ) 使い捨て時代の粗大ごみは、我々の生きる大量消費・画一化社会 を象徴している。 第5段落 (まとめ 筆者の意見 ) 「豊かさ」への道を急ぎに急いだ結果、我々は「本物」という選択肢 を失い、生活の質の「豊かさ」とは全く逆の方向へ歩んでいる。 第14課 意味段落 1段落 2、3段落 4段落 5段落 話題提示 大量消費時代 例示 大量消費時代の影響の例 比較 「本物」と比べた大量生産品 まとめ 筆者の意見 第14課 ①-1 大量消費時代を迎え、日本国中、物があふれるほど潤沢 になった。しかし、戦後奇跡的な経済復興を遂げ、その結果 「豊かになった」日本社会の歩みを振り返ってみると、そこに は「質より量」に向かってまい進してきた我々の姿がある。 利潤を追求し、商品を少しでも早く回転させるために、安価 で見栄えの良い物を大量に生産し、昔ながらの手作りの良 さは無視してきた。一つ一つの工程に手間を掛け、丹念に 物を作り上げていく伝統的な「職人の技」には、コストが掛か り過ぎ、生産性の向上につながないため、量産体制がそれ に取って代わったのである。 第14課 ①-2 このように、現在の日本の豊かさは大量生産、大量消費社 会の形成を背景にして達成されたものであり、その過程で 我々は実に多くの「本物」を喪失してきた。「豊かな社会」の 実現は、一見、消費者の選択肢を無限に増やしてきたか のように見えるが、実はそれは一般消費者に画一化された 「まがい物」を多様かつ大量に供給し、自らの手で「本物」と いう選択肢を葬り去るプロセスであったのだ。 第14課 ②-1 この「まがい物」大量消費社会のしわ寄せをまともに受 けているのが我々の食生活である。かつては、季節季節 に旬の食べ物があり、それぞれの地方特有の特産品が あり、そして、祝い事にタイ、クリスマスにチキンの丸焼き などと特別な場合にのみ食ぜんを飾るぜいたくな食べ物 があった。なるほど、今は養殖やハウス栽培の技術、あ るいは、冷凍保存技術の著しい進歩のおかげで、スー パーに行けばいつでも、どんな物でも安い値段で手に入 るし、高級料亭に行かなくても一般的なファミリーレストラ ンで、以前は、日常口にすることもできなかったような食 べ物を楽しむことができる。 第14課 ②-2 しかし 、その一方で、食べ物から、季節感や地方色が消 え、タイやチキンからもぜいたく感が失われた。 また、養殖 物の魚が大量に市場に出回り、手頃な値段で食卓に上るよ うになるとともに、天然物はますます遠のき、庶民が味わえ るようなものではなくなった。要するに、一般消費者の選択 肢から「本物」が姿を消してしまったのである。 第14課 ③-1 何もこれは食べ物に限ったことではなく、我々が常日ご ろ使っている物についても同様のことが言える。かつては どの家にも長い間受け継がれてきた家具があり、着物が あった。巧みな細工が施されたたんすや精魂込めて織り 上げ、染め上げられた振りそでが、親から子へと受け継 がれ、その過程で様々なエピソードを生み出してきた。 我々は、そうした品を前にして、材料や生地の生産地に ついて、職人たちの磨かれた技について語り、折に触れ、 秘められたエピソードを披露してきた。 第14課 ③-2 たんすや着物が人の心に、熟練した職人の心意気を語り かけ、この道にかけては誰にも引けは取らぬというプロとし ての誇りを感じさせる。それを所有する者は、一つ一つの品 にまつわる様々な歴史を語り継ぎながら、愛着を持って大 切に使い続けた。こんな言い方をすると、古き良き時代に対 する単なるノスタルジアだと一笑に付されてしまうかもそれ ないが、職人の手になった「本物」にはそういう一面があっ たのだ。 第14課 ④-1 大量生産で生み出された商品は、量産体制に乗せるため に画一化され製造された物であり、長年にわたって磨き抜 かれた職人の技術を駆使して作り出された物とは比べるべ くもない。本物とは程遠い、見掛け倒しの代物ばかりである。 職人が何年も使ってもらえるようにと心を込めて作り出した 逸品を、親から子へと大切に受け継ぐなどということは、今 の時代、到底考えられないことである。 第14課 ④-2 物が語りかけることもなければ、物を前に何かを語り継ぐ ということもない。商品の画一化が進むにつれて、作る方、 使う方、双方の愛情も薄れ、大量に生産された「まがい物」 は、不要になったり使えなくなったが最後、いとも簡単に捨 てられてしまう。使い捨て時代の粗大ごみは、我々の生きる 大量消費・画一化社会を極めて端的に象徴しているのであ る。 第14課 ⑤-1 「本物」を目にしたり、口にする機会が減ったとはいえ、欲 しい物をみんなが平等に手にできる。そのことのどこがおか しいのか。これは取りも直さず、社会が豊かになったという ことではないのかという議論がある。これこそが、まさしく、 日本の歩んできた豊かさへのプロセス、「画一化社会」への 道であった。 第14課 ⑤-2 できるだけ多くの人たちに、安価に、可能な限りたくさんの 品を提供するためには、コストを極力抑えて大量生産をする しか方法はない。そして日本は、極限に近いところへまで技 術革新を進め、生産性を高め「まがい物」を作り続けていた。 一概に画一化、大量生産を否定ばかりはできないが、しか し、「豊かさ」への道を急ぎに急いだ結果、我々は、「本物」と いう選択肢を失った。生産の「質」という点から見れば、これ は、豊かさとは全く逆の方向への歩みだったのではないか と思わせられる。
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