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「エビデンス」と「物語」の出会い
――医療福祉の新しい潮流と発展――
なぜ、いま、EBMとNBMの出会い?
国際医療福祉大学大学院公開講座
ディペックス・ジャパン 健康と病いの語り
別府 宏圀
2011-4-14
中川 米造 (1926-1997)
大正15年ソウル(京城)生まれ。
昭和24年京大医学部卒、昭和55年大阪大学
教授(環境医学)。「医学概論」を確立し、臓器
移植や森永ヒ素ミルク事件等、医療に関わる
社会問題への発言も多く、医学教育・医学史・
医学哲学・医療人類学・医療社会学について
多数の著作を残す。
「医の倫理」「医の原点」「病と医療の社会学」
などの著作を通じて、多くの人々に刺激と影響
を与えた。
進歩という考え方が西欧社会
に現われたのは、フランシ
ス・ベーコン(1561~1626)
以降である。それ以前は、進
歩という考えはほとんどな
かったし、又あったとしても、
それはむしろ否定的な評価を伴っていた。
新しいこと、体制を変えることは秩序を
乱すことであり、時に罪ですらあった。
(中川米造 「医学の進歩と生命観」より)
「科学技術の進歩」は
「社会」に何をもたらしたか?
近世 : 蜜月時代
近代 : 両者間に翳り
現代 : 矛盾の顕在化
医学・医療に関しては、その矛盾に
気づくのがむしろ少し遅かった
医学の場合は、それが直接生命に貢献す
るものだというスローガンを常に背にしてい
たため、「進歩」を肯定する立場から、医学
は否定的な評価をうけるはずがないという
信念をもっている人が多かった。
否定的な評価をうけるとすれば、その評価
者が誤っているのであり、進歩を妨害する
ことで、彼らは救える生命を救えなくしたと
いう批判すら招いた。
しかしそこでは、生命を救うといいな
がら、その「生命」という概念が、救わ
れるべき本人にとっての「生命」とは、
ずれていることに気づいていない。
救っているつもりが救われていない
こと、時にはかえって迷惑であったり、
主体性を犯されたり、さらには個体性
を無視されたと患者が感じる場合もあ
ることに医師たちの多くは気づいてい
なかった。
医学の進歩と医療の目的のずれ
しかし医学がまだ進んでいない
時代には、このズレはあまり目
立たなかった。個々の医師が持
つ価値観・倫理観と人間性に依
拠することで、その矛盾を覆い隠
すことができたからである。
厄介なことに、進歩の最前線に入りこん
でしまうと、このズレが真正のものであり、
重大なものだということが、実感としてつか
めなくなる(i.e. 専門家ほど理解が悪い) 。
もともとはAさん、Bさんといった個々の
人に対する医療を提供するための知識で
あった医学が、ヒトの生物学、さらには、生
物一般の科学へと、抽象性を高め普遍性
をひろげて行く過程で、医師や医学研究
者は、次第に肝心の対象を見失い、仮説
や証拠(Evidence)が独り歩きし始める。
メンデル遺伝学 ⇨ 分子遺伝学 ⇨ 遺伝子工学
メンデルGJ
ワトソン&クリック
(DNA二重らせん構造)
コーエン&ボイヤー
(遺伝子組み換え)
Jacques Lucien Monod
(1910~1976)
生物の本質は遺伝子DNAであり、
すべての生命の秘密はそこにある。
この分子こそが生命である。
生物学が担ってきた細胞、器官、身体は、全
てこの分子の命令にしたがい、この分子の
存続のために働く装置ということになる。ヒト
をはじめとするすべての生物の「営み」は、
分子配列に書き込まれたシナリオに従う。
哲学、倫理、その他、人間のあらゆる文化活
動も、その例外ではない。
先端科学と現実社会の相克
遺伝子工学のような徹底的な機械論
的生命観が、単なる理論や認識に止
まらず、現実的な技術として登場して
くると、これはもはや医療における擬
制(fiction)として留まる状態から抜
けだして、技術自体が独立した実体と
してひとり歩きを始めることになる。
先端技術を応用したさまざまな介入が試
みられる。事業としての成功を夢見る企業
家、難治疾患への挑戦を試みる医師・研
究者、苦痛からの解放を願う患者、より効
率的な社会福祉政策を立案実施したいと
目論む政治家、それぞれに異なる期待を
抱いて、その技術の適用を求める。
さまざまな利害が対立し、競合し、増幅し
あう中で、適正な検証のないままに走り出
し、医療の本質が置き去りにされる。
このような事態は、なにも遺伝子工
学に限ったことではない。
ここでは,先端的な医療技術の1
例として遺伝子工学を取り上げただ
けのことであり、人工臓器、臓器移
植、医薬品開発、あるいは終末医療
など、ごく日常的な医療行為の中に
も横たわっている問題である。
医療は、いつの時代も治療の要請によって始まり、
それを満たすところで終る。要請するのはまず、病
む人間である。病む人間は、苦痛を自らに対する
脅威と感じ、専門家としての医療者に頼ろうとする。
医療者は、その苦痛の物質化、客体化を図る。
医師が機械論的生命観を採用するのは、課題の
遂行上、都合がよいからであり、客体化することで、
操作が可能になるからである。
しかし、機械は苦痛を訴えないが、眼前に横たわ
る患者の苦痛は、いかに機械論的に客体化を図っ
ても軽減しない。
両者の間に横たわるギャップを埋めるには、
かつてのように、医師の人間性に依拠する
ことはできない。 医師自身が、技術支配の
世界にどっぷり浸かっているからである。
調和ある医学の進歩をはかるには、これ
までの医療の中に不鮮明な形で存在してい
た“人間性” に、意識的に照明をあてること
で、その中味を積極的に明らかにすること
が必要であった。
医療や保健に関連した、医療人類学など
の社会科学・人文科学的な研究や教育が
取り入れられ,医学・医療の中に制度として
積極的に位置づけられる必要がある。
1970年代の中ごろから、欧米の医学を中
心に、とくにその教育機構のなかに、そのよ
うな視点(narrative-based medicine)が急
速に育ち、制度化が進められてきたのは、
自然科学的な医学を一極とし、社会科学や
人文科学を他極として、均衡のとれた進歩
が求められているからにほかならない。
Arthur Kleinman(1941~)
‘62年:スタンフォード大卒,精神科医
’67年:同大MD,’68:エール大でインターン,
’68~’70年:NIHリサーチフェロー(台湾にて主として精神疾患に関
する比較文化的な調査研究),
’70~’72年:ハーバード大 科学史講座リサーチフェロー
’72~’75年:ハーバード大学/MGHにて精神科 レジデントとして多
くの医師の研修指導にあたる.
’76~’86年:雑誌「文化・医学・精神科」を創刊し,その編集主幹を
務める.
’78~:中国で比較文化精神医学的な調査研究.
’86~’87年:その記念碑的著書 The Illness Narratives (病い
の語り:慢性の病いをめぐる臨床人類学)を著作.
学生時代の体験:全身に重篤な火傷を受
けた7才の女児のデブリドマン(壊死に陥っ
た皮膚を剥ぎ取る処置)に毎日立ち会う。
うめき、泣き叫び、やめて欲しいと懇願する
患児を前に、なすすべもなく立ち尽くした。気持ちをそら
そうと、語りかけるが、何の役にも立たない自分に腹を
たてながら、浴槽の中の少女の手を握って、思わず尋
ねてしまう。連日、このような激痛に耐えて処置を受け
る気持ち話してもらえないかという問いに、少女は驚い
た表情を示したが、うめくのをやめて、話し始める。話す
間中、うめき声は止まり、率直な言葉で語り続ける、そ
の言葉に耳を傾けることが治療的意味をもつことを学ん
だ。この体験が、その後のクラインマンの医師としての
方向を決定づけた。
(“病いの語り”緒言より)
Archibald Cochrane
(1909~88)
1938年ロンドン大卒、臨床疫学者。
カーディフ大、ロンダ渓谷の地域住民
の塵肺,呼吸器疾患についての一連の
疫学的研究、ランダム化比較試験のパイオニア
的業績を通じて、今日のEBMの基礎を築いた。
彼の名を冠したコクラン・ライブラリーは世界中
のランダム化比較試験、システマティック・レ
ビューを収載した電子出版物であり、EBMの基
本データベースとして広く用いられている。
スペイン戦争や第二次世界大戦に従軍したが、
当時のエピソードとして次のような体験を記している
コクラン自身も捕虜となり、キャンプで他の兵士
達の診療にあたっていた。ある日、ソヴィエト兵
が入所してきたが、一晩中大きな悲鳴をあげて
騒ぎ、皆困惑していた。言葉もまったく通じず、
診察すると右肺に空洞があり、胸膜摩擦音を聴
取。その痛みによる悲鳴と判断したが、手元に
はモルヒネもなく、あるのはアスピリンだけだっ
た。何もできぬまま、思わずその兵士を腕の中
に抱きかかえたところ悲鳴はとまり、数時間後に
その腕の中で、安らかに息をひきとった。
病いの経験の研究には何か根本的なものがあり、
それがわれわれ一人ひとりに、人間のありかたに
ついて、その普遍的な患うことや死をも含めて、何
かを教えるのである。
経験を凝縮し、生きていることの中心となる状況を
際立たせるものとしては、深刻な病いにまさるもの
はない。
われわれは、患うことや、能力低下や、つらい喪失
や、死の脅威といったものが生み出す差し迫った
人生の状況に対処しなければならないが、病いの
中に意味が作り出されてゆく過程を研究することに
よって、各自のこのような日常的現実に目を開くこ
とになる。
(クラインマン “病いの語り” より)
Arthur W Frank
(1946~)
’68:プリンストン大卒,社会学者
’75:エール大 医療社会学と社会精神医学 PhD
’82~’83:トロント小児病院,精神科外来
ハントレイ思春期児童クリニック
’92~’00:カルガリー大 社会学教授
専門分野:疾病体験と臨床倫理学
’00~’02:ヘイスティングス・センター「癌患者のケアと研究
における医師・患者関係」調査研究班
著書:傷ついた物語の語り手 (The wounded storyteller)
私は,病いについての支配的な
文化的観念が,受動的なもの―
病む人を病気の「犠牲者」,ケア
の受け手としてとらえる見方―
から能動的なものへと移行する
ことを願っている. 病む人は,
病いを物語へと転じることによって,運命を経
験へと変換する.
言葉の合間の沈黙において,身体組織が言葉
を発する.本書は病む人の発する言葉の中に身
体を聴き取ろうとするものである.
(「傷ついた物語の語り手」 の序文から)