ドイツ医療職裁判所 判決集 1 職業裁判所判決 医師職業裁判所とその判例は 日本ではほとんど紹介されていない。 なぜ見過ごされてきたのだろうか? 通常の法律、通常の刑事裁判や民事裁判とは 違った次元に位置するために、医師や法律学者 はその存在と重要性に気がつかなかった? 2 V. 「医師職業裁判所判例集」からの判例 判例1(1991年): 救急業務 夜間の救急当番に当たっていた一般医が、救急受付 センターを介して午前4時35分に急患の連絡を受けた。 夫からの電話で、妻は心臓疾患の既往はないが、呼 吸と体を動かすことに関係のない胸部の痛みを訴え ているという内容。 また、6時10分にも再度同様の電話連絡があったが、 2度とも電話で指示を与えただけであった。 7時35分にその患者の家庭医が診て心筋梗塞と診断、 その後心電図で確認されたというケース。 3 職業裁判所は、このケースは心筋梗塞のような 重篤な疾患を疑わなければならない状況であっ たのに、そのような判断をせず、患者や家族の ために往診をしなかったことは義務に違反する として、戒告と2000マルクの罰金を科した。 ドイツで開業されていた柴田三代治医師によ ると「患者への処置を電話の指示で済ませる ことはできるが、私の場合は、初めての患者 のときには、何があるか分らないので必ず往 診して確かめることにしていた」とのこと。 4 判例4(1999年):期限切の薬 ある医師が救急箱に期限切の薬を入れていた。 診療室にも期限切の薬を多量に残しており、ま た錆びた器具を使っていた。 その医師は「良心的な職業従事」の義務に違反 したと判断され、1500マルクの罰金を科せられ た。 医療上事故などの支障があったとは書いてない。 5 判例5(1997年):ひき逃げ 医師が歩行者をひき逃げして死なせてしまった。 刑事裁判では、10ヶ月の実刑と3年の運転免許 停止の併科。 そして医師職業裁判所は、ひき逃げしたときに救 急処置をする医師としての義務を怠ったというこ とで5000マルクの罰金を科した。 6 判例6(1984年):不正確な研修証明書 研修医が外科の専門医の認定を受けるために提出 した手術のリストに、自分が執刀していないかなりの ケースを、自分が執刀しているかのように書き込ん だ。 外科の部長医は医長の言葉をそのまま受けて、病 院の証明として提出した。 職業裁判所は研修医に罰金2000マルク、外科部長 医にはリストを抜き取り検査もしなかったということ で罰金8000マルクを科した。 しかし、第2審で部長医の罰金は2000マルクに減額 された。 7 判例6(1981年) :救急業務 • W地区で開業している女医が20km離れた別のB 地区に引っ越した。3週間に1回まわってくる夜間 の救急当番のとき、最初は診療所に泊まってい たが、その後夜10時以後は20km離れたB地区 の自宅に戻り、留守番電話で自宅に連絡が取れ るようにした • 電話連絡を受けてから診療所までは車でも20分 は掛かる 8 • 時間がこれだけ延長することは、重大な疾患の ときには深刻な結果をもたらす • また、電話を掛けずに診療所に来た患者は、無 人のため、病院に行かなければならなくなった • そして苦情が多数寄せられた • そこで病気の母親を抱えていたこの女医は、翌 年度に代診を置くことにしたので、このような苦 情はなくなった 9 • 職業裁判所は、最初は診療所に泊まり込んでい たから、その女医は救急業務の重要性を良く 知っていたはずであるのに、自宅に戻るように なったことは、医師としての義務違反で処罰に相 当すると判断したが、しばらくして代診を置くよう にしたという状況を考慮すると、戒告処分にとど めておくのが相当という判決を下した 10 判例1(1998年):保険の不正請求 • 概要:ある病院の部長医が数年にわたって、週 末(僅かな期間ではあるが)に帰宅する患者が入 院しているように書類を作り、疾病金庫から入院 の費用を不正に入手していた。 • 部長医はそれによって病院が支払を受けられる と考えたからである。その場合、通常勤務の女医 がその行為を手伝った。 11 • ここに示された判例は部長医のものではなく、そ れを手伝った女医に対するものである。その女 医は刑事裁判で有罪となり、4万マルクの罰金を 科せられた。 • しかし、その女医への制裁はそれだけでは済ま ない。日本には存在しない医師職業裁判所は、 「その女医の行為は、医師に対する信頼を著しく 傷つけた」という根拠で1万5千マルクの罰金を科 した。 12 • その女医は部長医の行為を手伝ったということ で刑事罰受けたわけであるが、さらに医師職業 裁判所からも罰せられ、合計5万5千マルクの罰 金を支払わされたことになる。 • ドイツの医師職業規則には 「医師の職務に関 連して寄せられる信頼に応えなければならない」 という抽象的な規定が書いてあり、これによって 上記のような制裁が下されたことになる 13 • ところで、ドイツで30年あまり家庭医として開業し てこられた柴田三代治医師から最近貰った手紙 によると、病院勤務の中年医師の月収は7千―8 千マルク(夜勤手当なし、税込)とのこと。上記の 判決は1998年であるが、罰金の重さは1年間の 収入に匹敵するくらいになる。 14 • 「刑事裁判の判決による刑事罰には、部長医の 行為によって医療保険(疾病金庫や被保険者) に負担がかかったことや、医師という職業の信頼 に関わることが含まれていない。 • そのような医師としての職業違反行為には職業 裁判所による懲罰が必要で、それによって医師 という職業の信頼性が回復できる。」と判例集に は書いてあった。 15 • 判例集には以下のことも書いてあった。「この部 長医は血液学の腫瘍方面で活躍している医師で あり、治療に高いコストがかかるので、このような ことをやってしまったということのようである。 • 部長医は刑事裁判で高額の罰金刑になっている ので、職業裁判所の方では中等度の罰金で十分 ということになった。 • そして医師会の被選挙権の剥奪という処罰やマ スコミで騒がれた免許抹消については、不必要と 判断された。」 16 • この判例集は女医の刑事罰の種類ついては述 べていないが、部長医の刑事罰は詐欺罪であっ たらしい。 • 帰宅している間の患者の入院費は、退院の日と 戻った日以外は計算しないという協約が以前に できていたので、それに対する違反で刑事罰に なったということである。 17 判例4(1999年):医師の暴言に対する処分 • 主旨:医師は、患者から気分を悪くさせられても、 患者に対しては、医師の名誉を傷付けるような 発言は慎まなければならない。 • 事件の経過: ある医師が1997年12月25日のク リスマスの日に、医師補助者(日本の看護婦に 相当する)と一緒に診療所で、19:00まで割り当 てられた救急業務当番に従事していた。(19:00 が交代の時間) 18 • 18:50頃A(女性)が、自分の母親が頭痛である と診療所に電話してきた。医師は診療所に来て もよいが、すぐ来るようにと返事した(19:00から は救急当番医が交代するので)。 • 医師はこれから1件往診をしなければならなかっ た。そして、その間に更にもう1件往診依頼が 入ったが、出かけずにAを待っていた。(19:00ま でに受けた依頼は、その時間が過ぎてもその医 師が全部処理しなければならない規則になって いる) 19 • 患者である母親と娘は、診療所を直ぐに見つけ られなかったので、19:20頃にやってきた。医師 は補助者をすでに帰宅させており、往診に出か けるところであったので、患者が遅くきたことを 怒っていた。 • しかし、医師はドイツ語の喋れない母親とドイツ 語の喋れる娘Aを診察室に入れ、検査を行い、 血圧を測り、注射をして頭痛薬を処方した。この 約10分の処置の間に、医師は次のような怒りを ぶちまけた。 20 • 「頭痛の患者のために半時間あまり診療所に釘 付けになった。」そして、「彼女らの故郷(その家 族はトルコの出身であるが、数十年もドイツに住 んでいる)では、そんなに長く待っていてくれるよ うな医者は見つけられないだろう。それなのに医 師は自分たちのためにいつも待っていてくれると でも思っているのか。」 • そこで、製薬会社の助手であった23歳のAは、 「あなたが医師の職業を選んだときに、いつも患 者のために存在しなければならないことを知って いなければならなかったはずだ」と反論した。 21 • この教訓に刺激された医師は、「あんたはドイツ をもっと勉強しなければならない」と言い、ある種 の悪口(辞書にないので翻訳不能)を述べた。こ の発言は、ドイツにいるトルコ人全体を見下した のではなく、彼の怒りをぶちまけただけであった。 • この事件は職業裁判所で次のように判断された。 22 • 医師にとっては、クリスマスに待たされたことやA の無礼な教訓があったとしても、これは弁解には ならない。医師に期待されることは、患者に対し て客観的に、思慮深く振る舞うことであって、い かなる場合にも医師の名誉を傷つけるような発 言をしてはならない。この件では、トルコ国籍人 に対する侮辱的発言とそのような動機を生んだ 状況がある一方、医師が義務を守って救急業務 を勤めた事実があるが、地区職業裁判所はこれ らを勘案して、医師会代弁者(医師の裁判官)が 提起した2,500マルクの罰金を、職業の信頼を守 るための処罰として適当であるとした。 • この場合の罰は、通常の刑事罰ではないし、患 者への慰謝料といった性格のものでもない。 23 判例8(1998年):診察を受け付けなかった場合 • 生徒が授業中に首を後方に曲げたとき、頚椎部 に音がして強い痛みを感じた。教師は生徒を整 形外科の診療所に連れて行き、すぐ診てくれるよ うに依頼した。 • 医師補助者(ドイツの診療所では通常看護婦で はなく、3年間の専門教育を受けた医師補助者 が医師を手伝っている)は、教師から事情を聞い て救急ケースではないと判断し、午前中は多数 の患者が待っていて間に割り込ませることができ ないと説明した。 24 • 教師が診察を強く望んだので、医師補助者は他 の整形外科に連絡し、生徒はそこで診察を受け、 救急を要するものではないことが分かった。職業 裁判所は訴えられた整形外科医に無罪を言い渡 した。 • この状況では職業義務に違反する行為がないこ とが確定した。整形外科医は診療を拒否してい なかったので、患者を断る判断を補助者に認め ていたことが医師の義務に違反するかどうかの 問題であった。 25 • 9時に始まる診療時間はすでに予約で一杯で あった。多数の診療所が存在するような町では、 急を要すると思われないときは、熟達した医師補 助者にあとから訪れた患者を他の医師に紹介さ せても差し支えはない。 • しかし、救急処置が必要であるかどうかの判断を 医師補助者に任せることは、医師にとって少なか らぬリスクを伴う。したがって、医師は救急患者と いわれる患者の健康状態を自ら確認することが 望ましい。 26 • 直ちに医療処置が必要かどうかは、医師が常に 自ら決定する義務があるというのが医師会代弁 者(医師の裁判官)の見解であるが、裁判では必 ずそのようになるとは限らない。 • なお、本件の医師補助者は、電話であまり遠くな い整形外科医を紹介できたということで、義務を 果たしていると判断されている。 27
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