法と経済学(file 4) 情報の経済学 今日の講義の目的 (1)情報の非対称性が市場の失敗をもたらすメカニ ズムを理解する (2)モラルハザード、逆淘汰、シグナリングという概念 を理解する (3)情報の経済学の法と経済学の文脈での重要性を 理解する 法科大学院法と経済学 file4 1 情報の非対称性 情報の非対称性(情報の偏在):人によって持っている 情報が違う Hidden Action: ある人がとった行動が別の人にはわ からない (例)事故が起きなかったのは監督者ががんばったか らか、たまたま運が良かったのかわからない。 Hidden Information:ある人の性質が別の人にわから ない (例)事故が起きなかったのは監督者が優秀だからか、 たまたま運が良かったのかわからない。 法科大学院法と経済学 file4 2 Hidden Action? プロジェクトが成否は責任者の過去の経験に依存する。 責任者は自分の経験を知っているが、発注者はそれ を知らない~Hidden Informationの問題 プロジェクトが成否かは責任者の今後の努力に依存す る。責任者は自分の努力の有無を認識しているが、 発注者にはわからない~Hidden Actionの問題 講義が面白いか否かは9月30日までの準備状況に依存。 教員は準備を十分したか否かを知っているが、学生 はそれを知らない~Hidden Informationの問題 講義が面白いか否かは今後の教員の努力に依存。教員 は努力の有無が認識できるが、学生はそれを知らな い~Hidden Informationの問題 法科大学院法と経済学 file4 3 Hidden Information? 法ルールを変える時点では既に人が行動を取った後。で もどの行動を取ったのか本人は知っているけれど政策 当局は知らない。これを前提に法ルールの設計を考え る~Hidden Informationの問題 契約を結ぶ時点では既に売手は行動を取った後。でもど の行動を取ったのか売手は知っているけれど買手は知 らない~Hidden Informationの問題 契約を結ぶ時点では売手はまだ行動を取っていない。契 約が売り手の行動に影響を与える。でも売り手が事後的 にどんな行動を取ったのかは買手にはわからない~ Hidden Actionの問題 法科大学院法と経済学 file4 4 情報の非対称性 Hidden Action: →モラルハザード (例)固定給だとさぼってしまう。有限責任制の もとで過度にリスクをとる。保険にはいると事 故回避努力を怠る。経営者が株主の利益を無視 して保身に走る。 Hidden Information: →逆選択(逆淘汰) →シグナリング 法科大学院法と経済学 file4 5 代理人問題とモラルハザード 代理人問題 依頼人ー代理人 代理人は依頼人の利益のために働く。代理人の行動が 依頼人には分からない。どうやって代理人の適切な 行動を引き出すか? 依頼人ー代理人関係の例 株主ー経営者、債権者ー株主、経営者ー従業員 保険会社ー保険加入者、依頼者ー弁護士 患者ー医者、注文主ー請負業者、製造者ー買手 法科大学院法と経済学 file4 6 モラルハザードの費用負担 固定給だとさぼってしまう。 →給与を所与とすれば、従業員にとって合理的な行 動? →雇用主はこのモラルハザードを読み込んで(つまり 従業員の生産性が低いことを織り込んで)低い賃金 しか払わない。 ⇒最終的には雇用主、従業員双方にとって不利益。 ~一生懸命働くことをコミットできればパレート改善の 余地があるが、情報の非対称性のためにこれが単 純な固定報酬契約ではうまくいかない。 法科大学院法と経済学 file4 7 モラルハザードへの対応 (1)自分で監督する~完全に監視できなくてもある程 度の情報があれば対応策が広がる。 ⇒効率賃金仮説、継続的取引 (2)誰かに代理人を監督してもらう。 (例)債権者の代表としてメインバンクが監視、株主の 代わりに社外取締役が経営者を監視 →その監督者のモラルハザードをどう防ぐのか?~ Who monitors the monitors (3)依頼人と代理人の利害の乖離を小さくするような incentiveを作り出す契約を結ぶ。 法科大学院法と経済学 file4 8 incentive契約 努力する程代理人の報酬が増えるようにする。しかし努力し たかどうかは直接には分からない。 ⇒努力と一定の相関を持つ他の指標と報酬をリンク (例)成功報酬、歩合給、ストックオプション、成果に基づく昇 進 (問題)代理人のリスクが増大~このバランスをどうする か? 100%の成功報酬(賃貸契約はこのように解釈可能) ⇒収益変動のリスクを全て代理人に負わせることになる~ これは効率的か? 法科大学院法と経済学 file4 9 不確実性下での意思決定 リスクがある状態で人はどう行動するか? (仮説)収益の期待値を最大化する 選択肢1 確率0.5で100、確率0.5で0の利益を得 る~利益の期待値50 選択肢2 確率1で40の利益~利益の期待値40 ⇒選択肢1を選ぶ 合理的な人間の行動としてもっともらしいか? 法科大学院法と経済学 file4 10 不確実性下での意思決定 選択肢3 確率0.99で100億、確率0.01で0 選択肢4 確率1で98億 合理的な人間なら常に選択肢3を選ぶ? この選択で選択肢4を選ぶ人間が非合理的というなら、 それは理論の方がおかしい 期待効用最大化仮説:収益の期待値ではなく、その 収益から得られる効用の期待値を最大化する。 0.99U(100)+0.01U(0)<U(98)なら選択肢4を選ぶ この効用関数をフォン・ノイマン=モルゲンシュ タイン型効用関数(NM型効用関数)という 法科大学院法と経済学 file4 11 危険回避 通常の人は所得が増えるほどうれしい(効用が上が る)が、その上がり方は逓減する。←貧乏なときの1 00万円は金持ちの時の100万円よりうれしい U 0 法科大学院法と経済学 file4 Y 12 危険愛好 貧乏なときの100万円より金持ちの時の100万円が よりうれしい U 0 法科大学院法と経済学 file4 Y 13 危険中立 貧乏なときの100万円と金持ちの時の100万円のう れしさは同じ U 0 法科大学院法と経済学 file4 Y 14 リスク・プレミアム リスクプレミアム:人がリスクを引き受けるときに要求する 収益の上乗せ~リスクが存在することの費用 選択肢5 確率qで100、確率1-qで0の収益 選択肢6 確率1でYの収益 選択肢5と6が無差別になるYをY*(確実同値額)とする。 リスクプレミアム 100q(選択肢5の収益の期待値)ーY* ~リスクを取る時どれだけ期待収益が高くないとだめかを 表している 法科大学院法と経済学 file4 15 リスク・プレミアム 確率0.5でY2円、確率0.5で0円もらえるくじのリス ク・プレミアム U リスク・プレミアム 確実同値額 0 法科大学院法と経済学 file4 0.5Y2 Y2 Y 16 通常は人は危険回避的か危険中 立的であると仮定 (理由) ・多くの人は保険に入る ・リスクの高い金融商品の期待収益率は高い 法科大学院法と経済学 file4 17 incentive契約 100%の成功報酬、依頼人の利益は固定、リスクは全て代 理人がかぶる(デフォルトがないとすれば借入契約、賃貸 契約はこの形態に近い) →代理人は努力する誘因を持つ →代理人の危険回避度が依頼人のそれよりうんと小さけれ ば合理的 逆に依頼人の危険回避度が小さく代理人のそれが大きい 場合には、危険にともなう社会全体の費用を増やす。 (問題)代理人のリスクが増大~このバランスをどうする か? 法科大学院法と経済学 file4 18 リスク分担 代理人が危険回避的であれば100%の成功報酬はリスク に伴う費用を過大にする可能性がある。 (例1)株主(依頼人)は分散投資によってリスクを軽減でき る。経営者(代理人)は複数の企業の経営によって収益 を分散することが相対的に難しい (例2)経営者(依頼人)が多くの営業要員(代理人)を雇っ ている。営業員は担当地区のライバルの能力に応じて 売り上げにリスクを伴うが、経営者は大数の法則が働い てリスクを軽減できる →依頼人の方がリスクを負う費用が小さい こういう場合どういう契約が効率的か? 法科大学院法と経済学 file4 19 成功報酬、成果賃金 H(大成功) M(そこそこ) L(失敗) 努力する 0.8 0.1 0.1 努力しない 0.1 0.1 0.8 比 8 1 1/8 比の高い状態でより高い報酬 WH>WM>WL:成功度に応じて報酬 法科大学院法と経済学 file4 20 成功報酬、成果賃金 H(大成功) M(そこそこ) L(失敗) 0.8 0.1 0.1 努力しない 0.5 0.4 0.1 比 1/4 1 努力する 8/5 努力していればまずMにはならないが、努力によって Lの確率は減らせない → WH>WL>WM:失敗時の報酬をそこそこの時の報酬 より低くしてはいけない⇒単純な成功報酬ではだめ 法科大学院法と経済学 file4 21 グレシャムの法則 グレシャムの法則:悪貨は良貨を駆逐する 金貨~金の含有量が違うものが混じっている →できるだけ良質な貨幣を手元に置きたがる →流通するのは悪貨ばかりになる 逆淘汰:グレシャムの法則の一般化~市場には品質の 悪いものばかりが生き残る。 通常の淘汰:品質の良いものが生き残る←良いものが 悪いものと同じ価格で売られていたら悪いものを買う 人はいなくなる~これは消費者がよいものと悪いもの を区別できることが前提。 法科大学院法と経済学 file4 22 逆淘汰 品質は売手だけが知っている。 良い物の費用の方が高い→消費者は品質を区別でき なければ同じ価格で買う~低品質品の過大評価、高 品質品の過小評価 高品質品の方が費用が高ければ、高品質品の供給者 から順に市場から退出→最も低い品質の財の供給者 が最後まで市場に残ることになる 逆淘汰の世界での悪循環:価格低下→高品質品の供 給者から退出→市場での平均的な品質が低下→価 格が更に低下→高品質品の供給者がますます減る →価格がますます低下→ひどい物だけが残る 法科大学院法と経済学 file4 23 複数均衡の可能性 (低品質均衡)消費者は低品質のものしかないと決めつ ける→価格は低くなる→本当に低品質のものしか生き 残らない→消費者の予想したとおりの結果 (共存均衡)消費者は低品質のものも高品質のものもあ ると予想→価格は平均的な品質に対応したものに→そ の価格なら高品質品の供給者も生き残ることができる →消費者の予想したとおりの結果 複数均衡が起こる条件 高品質、低品質が混じった時の価格 >高品質の費用>低品質のみの時の価格 法科大学院法と経済学 file4 24 逆淘汰への対応 ・強制保険 ・評判・信用のメカニズム←繰り返しゲーム ・シグナリング:自分の品質を直接は伝えられない (直接伝えられるケースの議論:情報開示の議論) →自分の選択行動を通じて間接的に自分の情報を相 手に伝える ⇒これが更なる社会的な費用をうむ可能性がある 法科大学院法と経済学 file4 25 シグナリング 高品質と低品質の供給者 高品質の供給者が何らかの行動を取って、間接的に自分 の品質を消費者に伝える。 →低品質の供給者もそれをまねる誘因 →まねる誘因のない行動でないと無意味 ⇒低品質供給者にとって高品質供給者よりも高い費用が かかるような行動でないとシグナルとして役に立たない シグナリングの例(1)学歴(2)広告・宣伝、Introductory Price(3)技術を要する飾り・機能を付ける(4)製品保 証:無償修理期間を長くする、無償修理に応じる条件を 緩くする(5)個人保証(後述) 法科大学院法と経済学 file4 26 金融市場における情報の偏在の例 (1)モラルハザード ・経営者が株主の利益に反する行動を取る ・借手がより危険なプロジェクトを選ぶ ・借手が危険回避の努力を怠る ・機関投資家が投資対象に対してモニタリングを怠る (2)逆淘汰 ・借入市場において悪い情報を持つ者が残る ・保険市場で事故率の高い者が加入する ・消費者に不利な約款の商品だけが生き残る ・インサイダー取引⇒後述 法科大学院法と経済学 file4 27 金融市場における情報の偏在の例 (3)シグナリング ・個人保証⇒すぐに議論する ・メインバンク、政府系金融機関の貸出 ~いわゆる呼び水効果 ・補償率、補償条件を抑えた保険契約 ・配当 法科大学院法と経済学 file4 28 シグナリングかモラルハザードか? モラルハザード防止のためとも、シグナリングとも理 解できる現象がある。 (例)金融取引における個人保証 日本では零細企業が借入れるとき、経営者本人あるい は家族・親族の個人保証を求められることが多い →過大なリスクを経営者に負わせ、経営者の再起を妨 げる悪い慣習←法律で規制すべきという議論「銀行 が交渉力の弱い経営者に一方的にリスクを押しつけ る」という理解は浅薄⇒費用の転嫁があるから しかし明らかにリスクの配分という観点からは非効率 的な契約⇒何でこんな契約を結ぶのか? 法科大学院法と経済学 file4 29 なぜ個人保証を付けるのか (1)利息制限法ないし出資法による金利の規制があり これ以上金利を上げられない。したがって、本来は銀 行が取る方が効率的なリスクを借り手に負わせること によって実効金利を上げる。 →これが正しいとすると金利は個人保証を付けた借り 手共通に上限金利になっていないとおかしい。 ~現実にはそうなっていない。 (2)借手のモラルハザードを防ぐ (3)借手が自らの倒産確率に関して貸手にシグナルを 送る 法科大学院法と経済学 file4 30 シグナリングと個人保証 事業にリスクの差がある。借手は自分の事業のリスクを知っ ているが売手は知らない。→優良な借手の資金調達費用 は過大、不良な借手のそれは過小になる →個人保証によって優良な借手は自分がリスクの小さな借 手だと貸手に伝えることができる(シグナリング) ~シグナリングの誘因は(常にではないが)一般に過大 タイプの区別はbad typeからgood typeへの所得移転をもた らす。これはsignalの出し手の私的利益にはなるが、社会 全体としての余剰を増やす社会的な利益ではないから ⇒法で個人保証を禁じることが経済厚生を改善する可能性 (常に改善するわけではない) 法科大学院法と経済学 file4 31 シグナリングと個人保証 優良な借り手が95%、不良な借り手が5%。 (社会1)優良な借り手も個人保証は断る 貸し手:個人保証を断った借り手は5%の確率で不良と 思う。受けいれた借り手は100%優良と判断→それぞ れ対応した金利 (社会2)優良な借り手は個人保証は断らない 貸し手:個人保証を断った借り手はほぼ確実に不良と判 断。受けいれた借り手は100%優良と判断→それぞ れ対応した金利 ⇒個人補償を受けいれる誘因は社会2の方が大きい 法科大学院法と経済学 file4 32 シグナリングと自己実現的期待 優良な借り手も個人保証は断ると皆が信じている社 会では、個人保証を断る損失が小さい。→皆が本 当に断る 優良な借り手は個人保証は断わらないと皆が信じて いる社会では、個人保証を断る損失が大きい。→ 皆が本当に断る。 ⇒予想がそれに対応した結果を生み出してしまう。 個々の優良な借り手の行動が別の優良な借り手の経 済厚生に影響を与える(外部性) シグナリングを禁止すると全ての経済主体の厚生が改善 する可能性も 法科大学院法と経済学 file4 33 偏見と差別 黒人は生産性が低いという偏見→低い給与しか払わ ない→能力に自信のある黒人は就職しない(ス ポーツ選手など個々の能力がよりアピールしやす い職を選ぶ)→逆淘汰の結果能力の低い黒人だけ が就職→実際に就職した人の中では白人の方が生 産性が高い~自己実現的な偏見 全ての人に等しく機会を与えれば、単なる偏見で あったことがわかるのに、これを意図的にしない と社会が改善する機会を失う 人種差別禁止・男女差別禁止が経済効率性を高める こともあり得る。 法科大学院法と経済学 file4 34 モラルハザードと個人保証 個人保証のない状態 リスク回避のための努力が過小になる可能性(モラル ハザード) (理屈は既に議論した通り) →個人保証があるとこのモラルハザードの問題を緩和 することができる →結果的に金利を下げられる 法律でこれを禁止すると →モラルハザードを見越して金利が上がるかそもそも 借りられなくなる~経済効率性の低下 法科大学院法と経済学 file4 35 インサイダー取引規制 (一定の要件を満たす)内部者が内部情報を使って有 価証券を売買することを規制する 比較的新しい法律である証券取引法の中でも特に新し い規制 なぜインサイダー取引を規制するのか? ・内部情報で利益を上げるのはそれにアクセスできない 一般投資家に損失を与えることになり不公正だから ・インサイダー取引が株式市場において逆淘汰の問題 を引き起こし、経済厚生を損なうから 法科大学院法と経済学 file4 36 インサイダー取引と逆淘汰 買手=一般投資家:売手が株を売却。公開情報に基づ いた行動か、内部情報に基づく行動(内部者でbad newsを知ったから売る)か区別できない →インサイダー取引がないと確信しているときに比べて 低い価格でしか買おうとしない。 売手=一般投資家:買手が株を購入。公開情報に基づ いた行動か、内部情報に基づく行動か区別できない。 →より高い価格でしか売ろうとしない。 ⇒売買のスプレッドが広がって取引量が減少(流動性が 低下)する。~典型的な逆淘汰による経済損失 法科大学院法と経済学 file4 37 インサイダー取引とモラルハザード インサイダー取引規制が経営者のモラルハザードをひ どくすると主張する者もいた。 インサイダー取引規制がない。→経営者は経営努力を して経営を改善し、その情報を開示する前に株を買 い、公開した後で売却すれば利益を得られる→経営 改善の誘因を高める(所有と経営の分離から生じる モラルハザードの問題を減らすことができる)→経済 効率性を高める この議論は全くナンセンス 法科大学院法と経済学 file4 38 インサイダー取引とモラルハザード ・経営者はインサイダー取引規制がなければ(株の空 売りによって)株価を下げることによっても利益を得ら れる。 ←売る方のインサイダー取引だけ規制すればよい。 →株価を一旦下げて元に戻せば同じ事。売る方だけ規 制しても問題の解決にならない。 ・ストックオプション等で同じ効果が得られる。インサイ ダー取引の方が優れているという利点はない。 ~インサイダー取引が経済厚生を高めるという議論は ナンセンス 法科大学院法と経済学 file4 39
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