精神科作業療法実践と 生活療法(批判)の連関 ――大阪府立中宮病院における作業療 法実践者へのインタビュー調査から 福祉社会学会第10回大会 2012年6月3日 於:東北大学川内キャンパス 田島明子(聖隷クリストファー大学) 井口高志(奈良女子大学) 生活療法は一時興隆したものの、使役性・管理統 制性が批判され、その後衰退した。一方、医療職 化の道を歩んできた作業療法にとって生活療法批 判はその理論や実践の変容や進展を促した大きな 出来事である。しかし当時の実践への影響につい ての詳細な研究はほとんど見当たらない。 そこで本報告では、当時精神科作業療法に勤務し ていた作業療法士へのインタビューを通して、当 時の作業療法実践者は生活療法とその批判と同時 期の作業療法をどのように感じ取り、どのように 作業療法を変えようとしたか、そのことを明らか にすることを通じて当時の作業療法実践と生活療 法とその批判の連関を考察する。 生活療法は、1956年に小林八郎によって提唱された。 モデル病院としては国立武蔵療養所、昭和大学烏山病院が あった。小林は当時国立武蔵療養所医務課長であった。 小林のいう生活療法(くらし療法)は、生活指導(しつけ 療法)、レクリェーション療法(あそび療法)、作業療法 (はたらき療法)の3つからなる。 その中核的思想は“患者のしつけ”であり、入院中の患者に対 して生活指導を行うなかで規律主義的、管理主義的、全体 主義的な関わりを行った。 1960年代は生活療法を実施しない精神病院がない程興隆し た。 1970年代、精神病院には長期在院者が累積するなかで、生 活療法という名の基に患者に作業(労働)を使役し、収奪 するという悪質な病院もあったという。 そうした中、精神医療改革を旗印にした若い精神科医たち の働きかけで、1975年の第72回精神神経学会総会において 「『作業療法』点数化に反対する決議」がなされた。これ は作業を療法とした患者の権利剥奪に強く反対を表明する もの。 生活指導 (しつけ療法) 生活療法 (くらし療法) レクリェーション療法 (あそび療法) 作業療法 (はたらき療法) 1965年 「理学療法士法及び作業療法士法」 法制度化 1966年 有資格者が誕生 1968年 労災病院にて診療報酬点数化 1974年 「身体障害作業療法」「精神科作業 療法」「精神科デイケア」が診療報酬点数化 大阪府立中宮病院(現大阪府立精神医療セン ター。以下中宮病院とする)は、長山泰政医 師の理想による実践的取り組みで有名。 1931年、長山は、欧州でシモンに作業療法を 学び、ここで実践を始める。保護室の患者も 屋外に出し軍歌行進をよく行ったこと、その ため隣の火薬庫の爆発があったときに患者た ちを無事避難させることができたことはよく 知られる。 だが長山は、精神衛生法が施行される1949年 の前年に、組合運動の混乱に対する管理責任 を問われ辞職に追い込まれ、翌年から1961年 まで全患者措置入院となった。 1960年 中央レク体制 1968年 活動療法科(現在の作業療法の原型)発足 1969-1971年 中宮病院事件 当時の入院患者により、患者に対する差別処遇の改善 要求、不適切な診療行為の摘発等種々の告発。この時、 作業収入に対する奨励金支出の不透明性が問題となり、 「一般会計」に計上し収支を明らかにすることが叫ば れ、現在の病院「一般会計」に計上する、という原型 が出来る) 1975年 作業療法検討委員会を設置 作業療法診療報酬を凍結 作業療法の方向性について検討 1977年 作業療法新プログラム始動 その後は、古いレク体制を残しながらも、新しい作業 療法の形が展開し始める インタビュー対象者:T氏、男性、78歳(イン タビュー時76歳) インタビュー日時:2010年11月19日、13時~15 時まで、大阪府立精神医療センター2階の静か な一室にてインタビューを行った インタビュー内容:インタビューガイドを作成 し、事前に目を通してもらった。質問項目は次 のとおりである。①T氏のこれまでの経験、② 生活療法批判の流れと中宮病院の関係、④作業 療法士国家資格化の臨床への影響、⑤作業療法 点数化について、であるが、派生的内容につい ても、自由に話してもらった 1957年 中宮病院入職 1963年 砂川センターへ転勤 ★1 1968年 特例で作業療法士国家資格取得 1970年 再び中宮病院勤務 --中宮病院事件の最中 1971-1978年 組合活動(七人の侍) ★2 1972年 『作業療法の手引き』づくり ★3 ★1 砂川センター ・竹谷政男という医師が、アメリカで学んだ「開かれた精神医 療」を展開したいということで、1960年(S35)に開設 ・生活保護法による救護施設で、社会復帰促進のために、70床の建 物を建てた。男性40人・女性30人定員の規模 ・職種は、Ns・OT・PSW・心理・SWの7~8人で動いた ・T氏は、「プリン1個をおごってもらって、武谷先生にくどかれ て、片道2時間かかる大阪の端まで通勤をした」と ・そこでの経験をT氏は「中宮とはまったく違う開かれた医療」と 表現 ★2 組合活動(七人の侍) ・T氏は、中宮病院の状況を見て、「どうしても中の改革を勧め るのに必要なんはなんだろう」ということで、意見の一致す る精神科医2名、作業療法士1名、ケースワーカー1名、ナース 3名で、組合活動を行った。それを「七人の侍」と呼んだ ・T氏は7年間組合活動をしたが、1972年の2月には『精神医療 を考える会』を発足、雑誌を毎月刊行し、職員の啓蒙活動を 行ったり、その年の5月には、1時間ストを実施し、部屋に カーテンをつける、面会の自由などの処遇改善を求めた ★3 『作業療法の手引き』づくり 1972年に、当時特例で資格を取得したT氏を含めた 作業療法士3名で、『作業療法の手引』を作成 医局に了承を得て、処方箋、作業種目、手続きを明 確化 3部複写のかたちにして、一部を病棟、一部をカル テ、一部を作業療法に保存 目的: 医師の処方箋に従って実施するという法律の規定が あるので、まずはそれに則る 対象者のニーズを確認して、治療者と対象者双方の 合意を基にプログラムを作成するという意図 診療報酬点数が付いていないなかで病院から予算を 取ったり、診療報酬が凍結している中でも、治療的 根拠を明らかにして予算を取る 1977年以降の新プログラムの特徴: 作業療法の目的、手法といった治療的意義を幾分か理 論化したもの →精神科作業療法に対する批判を、これまでレクリェー ション部門で作業活動を行ってきた看護師に理解してもら う必要 古いレクリェーションの体制として手工芸が半日残っ た →それを担う看護師が330人もいて、古いレクリェーション の体制を維持しようとする力も大きかったことが影響 ↓ 作業療法が実績を高めてくると、手工芸を推奨してい た看護師らの考え方も対象者の意思や自由のための支 援をしようと変わってきた 31年、生活療法の提唱で、確かに中宮も30年ぐらいから薬物療法を。 【略】患者さんがおとなしくなったね、いろいろ活動が素直に動けるよう になったねとか、やっぱり薬物効果っていうのはすごいな。それはもう認 めざるを得ないような、ありました。そして、徐々に活動する。そうする と今度は、作業の種目が徐々に増えていく。【略】資格のない職員を雇っ て農作業を充実して、そこに患者さんを 15人、20人、農耕園芸というよ うな活動が始まる。 私たち7人(発表者追記:七人の侍)が、48年から動き出したという。そ ういうことがあって、生活療法批判いうのもあんまり表立ってはとらえず に、中宮はきてるような感じがします。 Q 中宮病院で伝統的に行われていた手工っていうのは、ある種 生活療 法と似ていたというか。はたから見れば生活療法ですっていうことなんで すかね。 A うん。そうそう。結果的にはそうですね。 Q すると、T先生が行ってきたことは、生活療法は、やっぱり、どんど ん減らしていって、治療的な作業療法っていうのを企画してこうっていう 話ですか。 A そうそう。結論的にはそうですね。(発表者追記:だけど)最初に 生活療法が先行してあって、作業療法の中で縄張り争いをしたというので はない。もう、作業療法と称して、患者さんを使って、管理してきたにす ぎないのはおかしいという。ですけど、中宮は、患者さんの使役で幾分か、 最初にあったようにね、処遇ミス、ありましたでしょう? 時代的にみると、「生活療法とその批判」が大き なメルクマールになるような時代における作業療 法の変革を担ってきたT氏だが、中宮病院におけ る作業療法の独特の風土に学びながら実践してき たなかで、日々の実践から生じる問題の解決は重 要な事項であり、T氏をはじめとした変革者たち によって中宮病院の作業療法が形作られてきたと 考える。 ただその変化というのは、生活療法批判を受けた 理念的方向性とも同期していることにも注意をす べきである。生活療法批判という象徴的な出来事 が、古いレク体制と新しい作業療法、というよう な問題性のコントラストを浮かび上がらせたこと が、一層の変革の推進力になったのではないか。 もともと行われていた処遇と生活療法との関係 生活療法にどのような位置づけを与えていたか 1970年代に「処遇の改善」があった場合、生活療 法の影響 浅野弘毅 2000 『精神医療論争史-わが国にお ける「社会復帰」論争批判』批評社 稲地聖一 1975 「第72回日本精神神経学会総会 特集(Ⅰ) 戦後日本の精神医療・医学の反省と 再検討-今後の展望をひらくために-シンポジウ ム(A)作業療法」『精神神経学雑誌』77-11(別 冊):812-***. 大西和孝・辰巳良明・三宅由子・高登樹恵・佃多 喜子・加瀬忍・中口孝司 2006 「当院の作業療 法の歴史」『精神医療センター紀要』17:35-50 田島明子 2012 「作業療法の現代史-対象者の 「存在を肯定する」作業療法学の構築に向けて」 平成23年度立命館大学大学院博士論文
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