中華文明の拡張と衝突 文化帝国の拡大と衝突 総合政策学部非常勤講師・ 愛知文教大学国際文化学部助教授 川田 健 周王朝・・理想の王朝モデル(1) 殷周革命・・・「王権天授説」と民本思想 *天子ー民の父母として天から統治を命ぜら れた者。 *紂王ー天子たる徳を失う→実質天子でなく なる→周による討伐は君臣秩序を乱す者では ない。 周王朝・・理想の王朝モデル(2) 諸侯封建・・・宗法による秩序構築 *宗族=男系血族の総称 *宗法=宗族のあり方を規定した礼法 →〔狭義〕領地の世襲に際して、嫡子以外(別 子)の家の興し方、継続の仕方などを規定 ↓ 家族倫理が統治の根本原則 華(夏)と夷 四海 西戎 北狄 中華 南蛮 東夷 周の東遷ーー周王室権威の低下 内乱と犬戎によって西周は滅亡(BC771) ーー洛陽遷都(東周王朝) 周王室の権威の低下ー諸侯の実力の向上 *有力諸侯が周王室の擁護者として諸侯に 号令→覇者の時代 覇者の役割と性格の変質 覇者ー本来諸侯が諸侯に命令するのは天子 の権威を無視するもの →尊王・攘夷の名目 夷狄ー楚が一番強大 *斉桓公・晋文公ーー楚の進出を防ぐ *楚荘王ー「夷狄」であるはずの楚が覇者と なる *呉王闔廬・夫差/越王句践 ー単純に実力によって覇者となる 「中華世界」の拡大 戦国時代ーすすむ夏夷観念と夷狄起源説 孟子ー舜→東夷の人、文王→西夷の人 ☆決定的な差別があったわけではない 春秋末から戦国ー領域国家の形成:国内に住んでい る異族に対する意識は希薄となる 中華領域の拡大ー周囲諸族に対する知識の増大→ 未開・野蛮のイメージが定着 「戎狄は豺狼」 夷狄起源説の発生 *夷狄はかつて刑を受けて流された人々の末裔 →そこで入れ墨などをしている *舜が「四凶」を流し、それが化して夷狄となる 五服ー夷狄の領域(国語) 荒服 (一代) 要服 (每年) 賓服 (每季) 侯服 (每月) 甸服 (每天) 大一統・・・いずれ天下は一つになる 何休の三科九旨説 *衰乱の世ー其の国を内にして諸夏を外にす *升平の世ー諸夏を内にして夷狄を内にす *太平の世ー夷狄が進んで爵に至る 徳による帰服 *王の徳によって夷狄が中華の文明に参加 する →中華と夷狄の消滅・・・「平天下」 「中華」以外に文明なし 「文」とは 「あや」、飾り。内面(質)を表現するもの。 →内面の徳を具体的な形として表現する。 →制度 中華文明:祖先崇拝を核とする家族倫理。 *身分、立場を可視的な儀式で明確化する。 三綱:君臣、父子、夫婦—人倫の基本 文明は聖人の所産 原始時代・・・人は生産を知らず始終餓えや寒さに苦 しむ。礼節を知らず、始終争い、また好き勝手に男女 混じり合う。 ーー自分で自分を傷つける 聖人が現れ、生産を教え、学校を作って礼節を教え、 結婚の制度を作って家の秩序を守らせる。 →「儒家」文明主義:「人の禽獣に異なる所以」 文と質 質ー質朴・実質 文ー文化・形式 文質彬彬ー質と文がバランスよく保たれてい ることが君子の道 質から文へー「自然の趨勢」 黄宗羲 「人間は放置すると「文」から「質」へ 向かう」と判断・・・「文」すなわち「中華の礼」を 保つにはエネルギーがいる 册封体制 册封:皇帝が臣下や皇后などの位を定める こと 册封体制ーー朝貢してきた周辺諸国に対して、 その国の王たることを認めること。 →実効支配をせず、面目を重視する。 ーー中華に匹敵する文明が周辺に存在せず。 異民族の中国支配 南北朝時代 317年 晋の東遷ー北半分を失う 439年 北魏(鮮卑族)の華北統一 ・・・胡語・胡服の禁止(6代、孝武帝) 文化的には中華に吸収される 征服王朝 中国本土を征服した北方の異民族 (ウイットフォーゲル(K. A. Wittfogel)) 南北朝期の王朝ー浸透王朝 遼(契丹)916-1125 金(女真)1115-1234 元(蒙古)1206-1271-1368 蒙古人第一主義 ー色目人(イスラム)文明を利用 清(女真)1616-1644-1911 *明王朝を滅亡させる/中華帝国の擁護者 漢民族王朝 唐(618-907)空前絶後の文化帝国 *羈縻政策 *册封体制の頂点 宋(960-1127-1279) 常に北方の圧力を受ける:夏夷観念の強化 明(1368-1644) 漢民族主義ー永樂帝を境に対外消極主義 南北からの圧力(北虜南倭) 仏教の伝来ー文明の衝突 中華文明が体験する殆ど最初の「文化衝突」 1剃髪 ---父母からもらった体を傷つける 2禁欲 ----現実の幸福を追求しない 3出家----家庭倫理の放棄 4インド哲学---夷狄の思想 仏教の受容 漢王朝滅亡後の混乱期に新たな哲学を提供 超常現象などを見せて民衆を引きつける 仏教側が中華文化に適応 *いわゆる「偽経」の制作 →「仏説父母恩重経」: 仏教が家族倫理・祖先崇拝を受容 キリスト教の伝来と典礼問題 イエズス会ー適応主義:中華の文化を尊重し つつ普及活動をする 1)読書人重視 2)北京至上主義 3)科学主義 4)礼物主義 (分類は『中国とキリスト教』による) 祖先崇拝・孔子崇拝を世俗的儀式として容認 →ドミニコ会などの他の修道会の反発-典礼 問題へ ローマ教皇側の決定と雍正の禁教 クレメンス11世教令(1704年) ー信者による祖先崇拝などの厳禁 →中華文明の「原則」を否定 雍正帝の禁教(1724年) *ただし、北京に欽天監などの役職の宣教師 は駐在 *全面的海禁は不可能ー 参考文献 日原利国(1976)『春秋公羊伝の研究』創文社 矢沢利彦( 1972 )『中国とキリスト教』(世界史研究双書 ⑪),近藤出版 毛里和子( 2000 )『大陸中国への視座』(現代中国の構 造変動1),東京大学出版 岡田英弘(2004)『中国文明の歴史』(講談社現代新書) 講談社 川本芳昭(2005),『中華の崩壊と拡大 : 魏晋南北朝』 (中国の歴史5),講談社 『春秋公羊伝』/『史記』/『国語』
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