人間科学概論 第4回:心理学と教科教育の融合 寺尾 敦 [email protected] Twitter: @aterao 1 今日の学習 • 認知心理学あるいは認知科学とは何かを理 解する. • 「知的な人間」とは何かを理解する. • 認知心理学・認知科学は,学校教育において, どのような目標で,何を教えることを支持する のかを理解する. – 参考資料:ブルーアー, J. T. (1997). 授業が変わる ―認知心理学と教育実践が手を結ぶとき―.北 大路書房.→ 「学習心理学」テキスト 2 認知心理学 • 認知心理学(cognitive psychology)とは? – 人間の認知機能に関する心理学.認知機能とは, 広い意味で「わかる」こと.感覚・知覚,記憶,思 考,問題解決,意思決定,・・・ – 情報処理アプローチを採用する.人間をコン ピュータにたとえて理解する.環境からの情報の 入力,内部での処理,出力(反応)という一連のプ ロセスを考える. 3 認知科学 • 認知科学(cognitive science)とは? – 認知心理学を含む,学際的研究領域.他に,哲 学,人類学,言語学,人工知能,神経科学,教育 学を含む. – 情報処理アプローチを採用する(認知心理学と同 じ) 4 認知研究の歴史 • 認知心理学あるいは認知科学は,どのように(ど うして)誕生したのか? • 人間の認知機能,特に,内的な思考プロセスに ついての関心は,非常に古くからある. – アリストテレスまでさかのぼる. • 20世紀初頭の「意識心理学」は,「内観法」 (introspection)を用いて,人間の思考を研究し た.(Wurzburg [ヴュルツブルグ] 学派) – 参考:実験心理学の誕生は1879年.ライプチヒ大学 で Wundt [ヴント] による. 5 内観法による思考研究 • 被験者に問いを与え,反応を引き出したあと, どのようにしてその反応が出てきたのかを振 り返って報告してもらう. • 例 – 質問:Bite. Cause? – 内観:As soon as I had read the words the search was on. I had also had a picture of a leg with wound on it and saw nothing else. Then ‘dog’ came to me in the form of an idea, with the consciousness: dogs bite. 6 内観法への批判 • 内観法は自己報告.これは本当に心的プロ セスを正しく表しているのか,疑問である. – 参考:現在の認知心理学は,内観法を洗練させ た「発話思考」(thinking aloud)を用いる.課題遂 行と同時に,意識内容を発話する. 7 行動主義 • 1920年ごろからの行動主義(behaviorism): 内観法を非科学的方法として排除.外から観 察可能な「刺激」(stimulus)と「反応」 (response)の間の関係を研究. • 内的なプロセスの存在は否定しないが,それ は「ブラックボックス」として扱う. 8 古典的条件づけ 無条件刺激 (肉,えさ) 無条件反応 (唾液分泌) 対呈示 条件刺激 (ベル音) 条件反応 (唾液分泌) 無条件刺激と条件刺激の間に連合が形成される 行動主義への不満 • 行動主義は,確かに科学的であったかもしれ ない. – 再現性,反証可能性 • しかし,内的プロセスをブラックボックスとして おくのは,やはりつまらない. • 内的プロセスに踏み込もうとする立場も出て きた.(新行動主義) – 認知心理学誕生前夜の様子は,佐伯先生の著 書『理解とは何か』を参照するとよい. 10 認知心理学・認知科学の誕生 • 20世紀中ごろに,コンピュータが出現.新し い研究アプローチを手に入れた! • 人間をコンピュータに例えることで,心的プロ セスの研究をすることができる. – 実際にコンピュータ上で動く思考プログラムも書 かれた.こうしたプログラムは,人間の思考過程 についての強力な仮説,あるいは精緻な説明と なる. 11 教育への貢献 • 認知科学あるいは認知心理学は,どうして教 育に貢献できるのか? • 教育・学習の根本にかかわる重要な問題を 研究しているから. – 大きな問題の例:学習とは何か?理解するとは 何か? – 具体的問題の例:数学の問題を解くにはどのよう な知識が必要なのか? 12 「できる人」とは? • 「知的な人間」とは何だろうか? – 数学ができるようになるのは,頭の中で何が変わ るのか? – 数学ができる人は,論理的な思考のできる人な のか? – 数学ができる人は,他の科目の成績も優秀なの か? • この問いは,学校教育で,何を目標に,何を 教えるかを考えさせる. 13 教育内容・目標の4つの考え方 1. 形式陶冶:難しい教科を通して,一般的な知性 を鍛える. 2. 弱い方法:一般的な問題解決方略を教える.さ まざまな領域でこの方略を使うことができる. 3. 領域固有の知識:特定領域で有効な知識や問 題解決方略を教える.特定領域での熟達化を 目指す. 4. メタ認知・学習方略:メタ認知技能と,学習方略 を教える.「知的な初心者」を育成する. 14 1.形式陶冶 • 形式陶冶(けいしきとうや・formal discipline): 一般的な知的能力を重視する立場.ラテン語 や数学など,難しい科目の訓練によって知性 が鍛えられるとする.古代ギリシアに始まる. • 実質陶冶(material discipline):実学的な教養, 知識を重視する立場. 15 学習の転移 • 学習の転移(transfer):先行する学習が,後 の学習に影響を及ぼすこと. • 何が「転移」するのか? – 形式陶冶の立場では,一般的な知性や能力.特 定の科目で鍛えられた知性が,他の科目の学習 でも役立つと考える. – 実質陶冶の立場では,転移は限定的.特定の科 目での知識は,適用できる範囲が狭い. 16 形式陶冶の否定 • 20世紀初頭には,形式陶冶の立場が広がっ ていた. – いまでも,「数学を学習して論理的思考力を高め る」とか,「脳を鍛える」というのは,形式陶冶の考 えを受け継いでいる. • エドワード・ソーンダイク(Edward Thorndike) は,形式陶冶が主張する転移が本当に生じ るのか研究した.結果は否定的で,形式陶冶 の考え方は否定された. 17 ソーンダイクの研究 • 20世紀初頭に,ソーンダイクによって,転移 の範囲は形式陶冶が主張するように広くない ことが示された. – 図形弁別能力の訓練は,訓練に用いた図形とは 異なる形の図形に転移しない. – 数学の問題形式を変えるとパフォーマンスが落ち る. 18 形式陶冶の否定 • 一般的知性というものの存在は,心理学者の 間で,いまでも信じられている. – 「知能検査」で測定している – 「知能」とは何か,まだ明らかではない. • しかし,特定の教科の訓練によって一般的知 性を鍛えられるという考えは,否定されている. – 数学の学習で身につくのは,どんなときにも役立 つ一般的な論理的思考力ではない. 19 2.弱い方法 • 弱い方法(weak method):領域一般の問題 解決方略. • 強い方法(strong method):領域固有の問題 解決方略. • 初期の人工知能研究は,弱い方法によって 成功を収めた. – 論理学の問題を解く,思考する初めてのプログラ ム Logic Theorist は,手段―目標分析(meansends analysis)を用いた. 20 問題解決とは何か • 問題:現在の状態(初期状態)と目標状態の 間にギャップのある状況. • 操作子(operator):特定の問題状況に適用し, その状況を変化させることのできる手段. • 問題空間:初期状態から目標状態まで,操作 子を適用することで作られる,可能な状態す べて. • 問題解決:問題空間の中で,目標状態に至る パスを見つけること. 21 手段―目標分析 • 目標状態と現在の状態を差異を解消する操作 子があり,ただちに適用可能であれば,それを 実行する. • 操作子をただちに適用できないのならば,それ が適用できる状況を得ることを下位目標とする. • 下位目標をただちに達成する手段があれば,そ れを実行する. • 下位目標をただちに達成する手段がなければ, さらに下位目標を設定する. • 下位目標の設定と解決を繰り返すことで,最終 目標が達成される. 22 例題:ハノイの塔 23 目標状態は,上から円盤A,B,Cの順で,す べての円盤がペグ3に刺さっている状態であ る.目標状態を達成するために,まず,円盤 Cをペグ3に移動したい.この手段を実行でき ればよいのだが,円盤AとBがCの上にのっ ているので,この移動は実行できない.そこで, 円盤BがCの上から取り除かれた状態を下位 目標(下位目標1)にする.この下位目標を達 成するために,円盤Bをペグ2に移動したい. この手段を実行できればよいのだが,円盤A がBの上にのっているので,この手段を実行 できない. 24 そこで,円盤Aが円盤Bの上から取り除かれた 状態を下位目標(下位目標2)とする.この下位 目標を達成するため,円盤Aをペグ3に移動した い.この手段はただちに適用可能なので,実行 する.すると,下位目標2が達成される.この下 位目標が達成されたので,円盤Bをペグ2に動 かすという手段が適用可能になった.そこで,こ の手段を適用する.これで,下位目標1が達成さ れた.円盤Cをペグ3に移動したいが,ペグ3に は円盤Aがある.そこで,円盤Aがペグ3から除 かれた状態を下位目標にする.・・・・・ 25 手段―目標分析の挫折 • 手段―目標分析による問題解決は,目標か らさかのぼって問題を解決するので,「後ろ向 き推論」と呼ばれる. • 手段―目標分析に頼った研究は,まもなく挫 折した.数学や物理の問題を解くには,その 領域に固有な,様々な知識や問題解決方略 が必要であることがわかった. • 弱い方法をさまざまな領域で活用するという 形での,学習の転移は期待できない. 26 熟達者と初心者の比較 • 物理の初心者は,手段―目標分析のように,後 ろ向きに問題を解く.熟達者は,問題に与えられ た条件から,前向きに問題を解く. – 熟達者は,特定の問題に関する知識である,問題ス キーマを持っている. • チェスの熟達者は,チェスで現れる駒の配置の 記憶は優れているが,他の記憶課題ではそうで はない.でたらめな駒配置でもダメ. – 意味のある配置を知っており,いくつかの駒の組み 合わせが一つの記憶単位(チャンク)となっている. 27 物理の初心者と熟達者 • 例題:長さ l の斜面を,質量 m の物質が滑り 落ちるときの,斜面下での速度 v を求める. • 初心者は,求めたい速度 v を含んだ公式を 思い出す.その公式の中に v 以外の未知数 があれば,それを求めるための公式をさらに 思い出す. v2 v02 2ax F ma • 熟達者は問題状況の力学的記述から解決を 始める. F mgsin 28 3.領域固有の知識 • 人間の知的ふるまいは,特定領域に固有の 知識に支えられている. – 認知心理学・認知科学の基本的主張 • 熟達化は狭い範囲で生じる. • 学習の転移は,ある課題で学習した手続きが, 別の課題にも適用可能な場合に生じる. – ただし,学習者はこの適用可能性になかなか気 がつかない. 29 問題解決に必要な知識 • 宣言的知識(declarative knowledge) :事実的な 知識.辞書的. • 手続き的知識(procedural knowledge) :問題の 解き方に関する知識.If-Then形式のプロダクショ ン・ルールで記述可能. • 熟達化は,手続き的知識の獲得と,その洗練の たまもの. • 学習の転移は,ある課題で学習したプロダクショ ン・ルールが,別の課題にも適用可能な場合に 生じる.これは認知的スキルの転移である. 30 4.メタ認知・学習方略 • 同じ初心者でも,学習のはやい「知的な初心 者」がいる.これはなぜか? – 初心者なのだから,その領域の知識は関係ない • メタ認知:認知過程をモニタリングし,必要に 応じて行動をコントロールする働き.自分自 身の知識状態や認知的特性に関する理解も メタ認知である. • 学習方略:学習のやり方に関する知識. 31 知的な初心者 • 学習内容が自分にとってどれくらい難しいか 把握する(メタ認知).難しさに応じた学習方 略をとる. • 自分がどれくらい学習内容を理解できたのか 自己診断する.そのための方法を知っている. • テキストや教師といった学習リソースを,いつ どのように活用したらよいか知っている. • 適切な学習目標を設定し,必要な学習時間を マネジメントできる. 32 メタ認知・学習方略の教育 • メタ認知や学習方略は教育可能である. • ただし,単に教えるだけではうまくいかない. • それらがいつ役に立つのか,なぜ役に立つ のかを同時に教える,「インフォームド」な教 授が必要. – 有効性が実感できなければ,わざわざ負荷の高 い方略を使うことをしない. 33 教育内容・目標の4つの考え方 1. 形式陶冶:難しい教科を通して,一般的な知性 を鍛える. 2. 弱い方法:一般的な問題解決方略を教える.さ まざまな領域でこの方略を使うことができる. 3. 領域固有の知識:特定領域で有効な知識や問 題解決方略を教える.特定領域での熟達化を 目指す. 4. メタ認知・学習方略:メタ認知技能と,学習方略 を教える.「知的な初心者」を育成する. 34 認知心理学・認知科学が支持する 教育内容・目標 • 領域固有の知識:特定領域で有効な知識や 問題解決方略を教える.特定領域での熟達 化を目指す. • メタ認知・学習方略:メタ認知技能と,学習方 略を教える.「知的な初心者」を育成する. 35 社会情報学部で • 認知科学に基づいて教育の問題を考えること は,分野融合(リエゾン)のよい例. – 人間の学習についての理解に基づき,教育をデ ザインする.他者や道具との相互作用を重視す る立場からの研究もある.(社会・人間コース) – 認知科学では,認知過程を説明するコンピュー タ・シミュレーションやモデリングも有力な研究手 法.情報系科目が好きな学生にも参加してほし い.(人間・情報コース) 36 小テスト • 「脳を鍛える」とか「脳トレ」といった言葉が使 われている.認知心理学・認知科学から見て, この表現はおかしい.それはなぜかを述べよ. 以下のことに言及すること. – 認知心理学・認知科学の一般的結論として,何 は鍛える(トレーニングする)ことができて,何は 鍛えられないのか – 「脳トレ」(計算とか音読)が鍛えているものがある とすれば,それは何か 37
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