医の倫理 第8回 バイオエシックスの誕生 ~70年代アメリカの「医療思想革命」~ 1.バイオエシックス誕生のきっかけ (1)人体実験の告発 Henry Beecher, “Ethics and Clinical Research,” New England Journal of Medicine, 1966. ⇩ 50年代・60年代に行われた22の人体実験を公表 ⇩ 医師・医学研究者をみる眼に変化 かれらはかならずしも〈患者の権利〉を守らない ⇒ ヒポクラテスの誓いだけではもはや不十分 Reference タスキギー事件(1970年代に発覚) 30年代中頃から70年代はじめにかけ、公衆衛生 局がアラバマ州メイコンで行った梅毒研究。 被害者399人の全員が黒人男性であった。 プルトニウム人体実験(1980年代に発覚) マンハッタン計画の一環として1945-47年に各地 で行われた人体実験。 4歳から69歳までの18人の被験者に規定致死量 のプルトニウムが数度にわたって注射された。 (2)心臓移植の開始 1967年12月3日 「ケープタウンの奇跡」 南アフリカのバーナードが世界初の心臓移植 レシピエントは54歳の男性、18日後に死亡 → アメリカには「第二のスプートニク・ショック」 1967年12月6日 カントロヴィッツがアメリカ初の心臓移植 レシピエントは6時間後に死亡 ドナーは「無脳症」の新生児 ⇩ 第一次心臓移植ブームはじまる 第一次心臓移植ブームのなりゆき 1968年 ・ ハーバード大学脳死問題特別委員会が JAMA (Journal of American Medical Association) に “A Definition of Irreversible Coma” を 発表 ・ 統一死体提供法(Uniform Anatomical Act) が 制定される ⇩ 22カ国101例の心臓移植。しかし結果は芳しく なく、ブームは終息。やがて「実験性」が問題に。 ⇒ 83年のシクロスポリン開発で第二次ブームが Reference 和田移植 1968年8月、札幌医大の和田寿郎教授(当時)が 日本初(世界で30例目)の心臓移植手術を実施。 日本中が沸くも、レシピエントは83日後に死亡。 ⇩ ドナーはいわゆる「脳死状態」ではなかった? レシピエントに心臓移植の必要はなかった? など数々の疑惑が明るみに出て一転、刑事告訴。 ⇒ 70年に不起訴になるも、以後、移植は凍結状態に (3)さまざまな社会運動 ① 公民権運動 → 市民の権利意識、平等意識の高揚 ② 消費者運動 → 企業と消費者との対等な関係を追求 ③ フェミニズム運動、学生運動、etc. → 男性中心主義、技術至上主義への批判 ⇩ 医療における「専門家支配」「パターナリズム」批判 cf. Paul Ramsey, The Patient as Person (1970) The Patient’s Bill of Rights (1972) (4)アメリカの科学政策の転換 1969年 ニクソン政権発足(共和党) 従来の科学政策(民主党) ニュー・フロンティア政策/NASA中心 ⇩ ガン、心臓病、遺伝病の克服に研究費を配分 NIH(National Institute of Health)が中心に ⇩ 「先端医療」が実験段階から実用段階へ移行 ⇒ それまでにはないジレンマや人権侵害の恐れ バイオエシックス誕生の理由 ⅰ)先端医療のもたらす問題にどう対処するか? ⅱ)医学研究は必要。しかし規制も必要。ところが 研究者はあてにならない。ではどうやって? ⅲ)医師も「患者の権利」を守るとはかぎらない。 ではいったい誰が医療の倫理を担うのか? ⇩ 「ヒポクラテスの誓い」ではもはや限界 何が「患者のため」なのか再定義を! 2.バイオエシックスを担った人びと (1)神学者 → 医師-患者関係の平等性、人間の尊厳 (2)哲学者・倫理学者 → 個人の自由と自律、自己決定権 (3)法学者 → 手続の正しさ、法の支配(rule of law) (4)医師・医学研究者 → 「研究の自由」と「裁量権」の確保 バイオエシックス誕生の意義 二種類の ‘stranger’ たち ①患者にとって ‘strange’ になってしまった 医師・医学研究者たち ②従来の医療・医学研究にとって ‘strange’ な神学者、哲学者、倫理学者、法学者たち ⇩ insiders only の「医療倫理」から insiders and outsiders の「バイオエシックス」へ
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