親と子による「ふれあい」コミュニケーションに関する研究 キーワード:ふれあい、家庭、地域、学校 発達・社会システム専攻 石橋 智恵 では、目標を失った人々が孤独を感じ、他との接触 1研究の背景と目的 が少なくなり、自分の居場所をみつけられずにさまよ 本研究は、子どものコミュニケーション能力が、親 っていたといえるであろう。そのような時代から「ふ と子の「ふれあい」コミュニケーションによって影響 れあい」という言葉が使われはじめた。それでは、こ されるという仮説に立ち、親と子の「ふれあい」コミ の「ふれあい」という言葉は、なぜ使われるようにな ュニケーションの現状を実証的に検証することによ り、今も人々の心にとどまっているのだろう。「ふれ って、子どものコミュニケーション能力の向上に親と あい」という言葉には人の心を和ませる力があり、心 子の「ふれあい」コミュニケーションの果たす役割を 地よく、自分の居場所がそこにあるようにすら感じら 明らかにしようとするものである。 れる。「ふれあい」とはまさに触れ合うことであり、 1980 年代から盛んに使われるようになった 「ふれあ 触れ合うことを通して人は相手を認識していくので い」という言葉は、現在では、あらゆる場面で使われ ある。小さな子どもが身近な人にしきりと触れるのは ている。 「ふれあい教室」 「ふれあい動物園」 「ふれあ 相手を認識し自分を認めてほしいからである。「ふれ い物産館」など、 「ふれあう」対象も人間、動物、自 あい」とは相手を認めることであり、相手を認めるこ 然などとさまざまである。栗原氏は、 「ふれあいとは、 とによって相手からも認められるのである。ここに 『ふれる』と『あう』の合成語である。すなわち、ふ 「ふれあい」コミュニケーションが成立する。 れあいには、 (1)直接性・身体性と、 (2)出会い・ 最近の子どもの様子を見ていると、ある傾向が見えて 1 相互性という成分が含まれている。 」と述べている。 くる。「ちょっとした言葉かけでもそれが自分に対し また、越智氏は、 「ふれあいがもたらす幸せは、主体 て批判的な場合、傷つきやすい。自分の言動に対して と主体との関係の中に現出」し、 「主体と主体の関係」 評価を得られないと無視されたと思いこみ、自分は理 は「コミュニケーションの領域の関係」であり、 「ふ 解されないと殻に閉じこもる。自分は傷つきやすいが れあいのコミュニケーションがもっぱら『対面的』な 人を傷つけてもその意識が薄い。気に入らないことが 2 領域で問題にされている。 」と述べている。ここで、 あると文句は言えるが自分の考えを述べることがで 筆者は、 「ふれあい」という言葉を「身体的接触また きない。自信がない。すぐにあきらめる。」などであ は精神的接触を伴い、互いに相手の主体性を認め合う る。実際に友達同士の問題が起きたときには、自分の 対面的コミュニケーション」と定義する。 感情を押さえきれず、相手の考えを聞くこともできず、 では、なぜ「ふれあい」という言葉が盛んに使われ 当人同士の話し合いで解決することができない場合 るようになってきたのであろう。革新を志向して揺れ が多い。そこで、第三者の介入が必要になってくる。 動いていた高度経済成長期には、人々は会社人間とし しかし、今の子どもは他者の話を聞いて納得するとい て私より公が優先することを美徳と考えていた。しか うこともできにくくなっている。なぜなら、相手の言 し、1979 年の第2次石油ショックによる金融政策の っていることを理解できなかったり、自分を振り返る 引き締めによって、国民の考え方はとかく暗い見通し ことができなかったりするからであろう。そして、自 の上に組み立てられていった。かつて、多くの学生が 分は理解されないといった相手に対する不信感のみ 学生運動で世の中の改革を求めていた。その後、世代 が高まり、さらに殻に閉じこもってしまう。相手を認 が変わり、余暇をテレビ、漫画、雑誌を見て過ごし、 めることもできないために、自分が相手に認めてもら 自分で考える努力をしなくなった学生も出てきた。い ったと感じることもできずにいるのである。意見の違 わゆる、無気力、無感動、無関心の三無主義世代であ う人との意思の疎通が困難になり、望ましい人間関係 る。テレビゲームが登場したのもこの時代である。ま を構築することが苦手になっている子どもが多いと た学校では、校内暴力が深刻化していった。ある意味 いえるであろう。片岡氏は「人間と人間の『ふれあい』 体験そのものの衰弱は、『幼児の五感が危ない』のと (3) 子どものコミュニケーション能力は、親子の 3 同様、 『子どもの社会的感性を危うくする』 」と言っ 「ふれあい」コミュニケーションの状態によっ ている。また、加藤氏は「触れ合っていなくて元気が て影響される。 ないから今の若者は、挑戦をしない、失敗を恐れる。 だから人々は真面目だけれども行動範囲が狭い。生活 4 これらの仮説を検証するにあたっては、子どもの実 態を明らかにするために、量的調査としてのアンケー のすべてが防衛的になっている。 」と述べている。 ト調査と質的調査としてのインタビュー調査を行っ 特に親子間の「ふれあい」がうまくいっていない子の た。 、 「自分の意見が言え 特徴として「相手に関心がない」 、「自意識過剰」 、「自信がない」、 ない」、「自己中心的」 「周囲の世界にうちとけない」などを挙げている。し 3論文構成 以上のことに基づき、本研究は以下のような内部構成 をとり、実証的研究を行うものとする。 かし、これらの先行研究をかんがみた場合、対症療法 第 1 章では、子どもが、家庭、学校、地域それぞれ 的な子どものコミュニケーション能力把握にとどま で、どのような人とどのような「ふれあい」の機会を っており、子どものコミュニケーション能力とは何か もっているのかをアンケート調査とインタビュー調 という本質的な問いに対する答えやそれを具体的に 査に基づき、検証し考察を行った。 構成している個々の資質・能力、基盤等に関するもの 第 2 章では、子どもの成長にとって、多様な人との についてはふれられないままになっているのが現状 「ふれあい」が必要であるという第 1 章での考察を受 である。近年のグローバル化、IT 化の進展によるドラ けて、子どもが一体どの程度、日常的に他の人と「ふ スティックな社会変化は、21 世紀を生きる子どものコ れあい」の機会を持っているのかをアンケート調査に ミュニケーション能力についても大きな変化をもた 基づき検証し考察した。 らすものと考えられる。これからの子どもには、先行 第 3 章では、多様なコミュニケーションスキルは家 研究にあるような従来型のコミュニケーションスキ 庭における家族との「ふれあい」で培われるという考 ルや方法等の表面的な対処方法では対応できない新 えにたち、家庭での家族間の「ふれあい」の現状とそ しいタイプの多様なコミュニケーション能力が求め の問題点についてアンケートやインタビュー調査か られてくる。「いかに社会が変化しようとも主体的に ら実証的に明らかにしていった。 対応」できるためには、社会変化に柔軟に主体的に対 応できる本質的なコミュニケーション能力を子ども 4結 論 本論では、親と子どもの「ふれあい」コミュニケー が十分習得している必要がある。そのように考えると、 ションに関してさまざまな実証的考察を実施した。そ コミュニケーション能力とは何なのか?どのような こで、序章で提示した三つの仮説の検証結果と考察か 資質能力として具体的に示されるか?その基盤とな ら、親と子どもの「ふれあい」コミュニケーションと るものは何なのか?それはどのように育成されるの は何かを具体的に明らかにした上で、今後の課題を提 かというようなコミュニケーション能力に関わる本 示する。 質的問いを検証することが求められる。そこで、本研 仮説の検証にあたり、まず、子どもがどのような人 究では21世紀を生きる子どもに必要なコミュニケ とどのような「ふれあい」の機会をもっているのかを ーション能力の基盤の育成に焦点を当て、親子特に 子どもの社会化の進行にそって、親子関係、地域社会、 「母・子」の「ふれあい」コミュニケーションをパー 学校でみていった。現在の親子関係を考えた場合、ジ スペクティブとしてコミュニケーション能力の本質 ェンダーとしての「父親」の役割は、「母親」が担う を明らかにしようとするものである。 ことが増えていることから、特に母親と子どもの関係 2仮説と検証方法 に着目し、その「ふれあい」の状況を検証していった。 本研究では以下のような三つの仮説を立て、それを 今回の検証から、母親と子どもの関係は、「過保護、 アンケート調査とインタビュー調査によって実証的 過干渉」などの密着化と、「育児放棄」などの希薄化 に明らかにすることとした。 の二極化が進んでいると考えられる。学校においては、 (1) 子どものコミュニケーション能力育成の基 盤は母子のコミュニケーションにある。 (2) 子どものコミュニケーション能力は多様な 「ふれあい」を経験することで向上する。 子どもは、同年齢の子どもとの「ふれあい」は多いも のの、異年齢の子どもや教師をはじめとする学校職員 と「ふれあう」時間はほとんどなく、日常的に断続的 な「ふれあい」が存在するのみであることが明らかと なった。さらに、授業などで来校する大人、年少者と そこで、子どもが家庭や学校で日常的にどのような の「ふれあい」はあるものの持続性が低く、一過的な 「ふれあい」の機会をもっているかを考察した。家庭 「ふれあい」体験イベントとなっており、子ども自身 においては、子ども部屋をもっている子どもが多いに が近い将来の目標や指針となるようような「ふれあ もかかわらず、居間で勉強する方が落ち着くと思う者 い」、すなわち、子どもが徐々に社会化されていくよ が多く、家族一緒の時間も増やしたいとしている。一 うな「ふれあい」は存在していないといえる。さらに、 方で、家族との食事の場を楽しいと感じている子ども 地域での現代の子どもの遊びをみてみると、リアルな が減少している調査結果から、食事による家族の「ふ 遊びがなくなり、自分の都合で集まり、自分の都合だ れあい」は少なく、連帯感や親しみを味わえなくなっ けで始めたり止めたりできる TV ゲームなどのバーチ ているといえる。また、家庭での電化が進み家事が省 ャルな遊びに移行している。子どもは、子のようなバ 力化されていくことによって、現在の子どもは家庭内 ーチャルな遊びでは、他の人や場所によって煩わされ で労働力として存在しえなくなってきた。子どもは、 ることがほとんどないと考えられる。子どものあそび 家庭の運営に関しては全く参加していないと考えら 場はゲーム機の中にあるともいえるのが現状である。 れる。いいかえると、子どもは家族との「ふれあい」 遊びの最中に他の子どもと「ふれあう」必要はなくな を求めているものの、実状では家族の絆は薄れてきて ってきたのである。このようなあそびの変化は子ども いるといえる。学校においては、学校生活の大半を占 の「ふれあい」関係を阻害する要因となっている。ま める授業に関してみてみると、従来の教科教育では教 た、地域性が色濃く残っている地域の子どもたちは、 科書の知識の習得という意味での「学力」に重点が置 あらゆる年齢層の人達と「ふれあい」、集団の中での かれ、子どもの体験を重視した学習は行われていなか 自分の位置や役割がわかっており、周囲の人と「ふれ った。そこで、体験学習を重視した「生活科」 「総合 あう」ことによって、自分がその集団の中でどのよう 的な学習の時間」は、子どもの多様な「ふれあい」を に成長していくのかという具体的なイメージをもつ 招き子どものコミュニケーション能力を育成し、子ど ことができる。また、子どもは地域で多様な「ふれあ もが社会性を身につけていく上で効果的であり、期待 い」を経験することによって、地域社会の価値観と学 される教科であると考える。また、現在学校は地域社 校社会の価値観との違いを肌で感じ取り自分の価値 会や保護者に対しては、形式的、表面的に開かれてい 観を確立していくと考えられる。すなわち、多様な「ふ るにすぎず、本来の意味においての「開かれた学校」 れあい」が、子どもを社会化し、凝集力のある社会を までには至っていないといえる。本来の意味において つくりだしているのである。それに比べ、地域社会が の「開かれた学校」とは、学校運営、カリキュラム、 希薄化してくると、子どもたちは家庭や学校では「ふ 子どもの評価までに関わる幅広い説明責任と公表責 れあう」ことができないような多様な人々との「ふれ 任を伴うものである。このように本来の意味において あい」の機会を地域社会でももつことができない。子 の「開かれた学校」とまで至っていない理由の一つと どもは、学校で教えられる価値観と学校化された家庭 して、学校側が見えざる高い壁を作っているというこ の価値観しか知らずに成長していくのである。このこ とがあげられる。学校が積極的に開こうとする努力が とが、子どもをいつまでも未熟な「子ども」におしと 必要である。さらに、地域社会が希薄化している現在 どめ、子どものコミュニケーション能力育成を阻害し、 では、学校が地域活動、地域コミュニティー再生の核 子どもの自己の確立を遅らせている要因ではないか となることが求められている。 と考える。図1に示したように、地域社会の希薄化に 前述のとおり、子どもには、多様な「ふれあい」 伴って、家庭や学校を核とする多様な「ふれあい」体 が必要だということが検証できた。多様な人と「ふ 験が子どものコミュニケーション能力育成に重要な れあう」には、その前提として、多様な相手に合わ 役割を果たしているといえる。 せ多様なコミュニケーション手段を適切に使い分け 図1 「子どもの社会化の段階」 学 校 (地域) 家 庭 ることができ、かつ、相手に対する思いやりやお互 いに相手の主体性を認め合って関係を構築していく ことが必要となってくる。このように多様なコミュ ニケーションスキルは、子どもの生活の基盤である 家庭における家族との「ふれあい」の中で培われる と考えられる。そこで、子どもは親子関係をどのよ うにみているかということを考察してみると、親子 【引用文献】 を上下関係でみるのではなく、親に対して自分の主 体性をみとめてほしいと考えていることが解った。 子どもは、親と相互主体的に「ふれあう」ことによ って、さまざまなコミュニケーション能力が育成さ れ、親子関係以外のさまざまな人との適切な人間関 係を構築することができ、適切な人間関係を構築し ながらさらにコミュニケーション能力が育成される と考えられる。1996 年に 15 期中央教育審議会答申 が提起した、 「生きる力」の中核となるのが「心」で あり「心の教育」である。この「心の教育」に求め られる課題として「①子どもたちが大人とは異なる 自らの意志や感情を表現し、大人に向かって適切に 攻撃性を表出しつつ相互的な対話と対決を行う機会 を保証していくこと。②子どもたちが自分の意志や 感情と他者のそれとの対立や葛藤に直面しながらも、 それを自らの力で解決していく体験を積み重ねてい けるような仲間集団との共同活動、共同学習の機会 を多様なかたちで保証していくこと。③生身の他者 や自然との関わりの中で自分の存在を大地に根付か させ、また、自分の生きる意味を発見できるような 社会参加活動の機会を保証していくこと。 」の三つが あげられている。このような「心の教育」は学校だ けで育成されるものではなく、その基礎となるもの はやはり家庭であると考える。家庭における親と子 どもの関係が相互主体的な関係をもつことができて はじめて家族以外の大人と接するとき、「①子ども たちが大人とは異なる自らの意志や感情を表現し、 大人に向かって適切に攻撃性を表出しつつ相互的な 対話と対決を行う」ことができるのである。さらに、 親と子の関係が相互主体的であるためには、年齢も 上で、生活経験も豊かな親のほうから子どもの主体 性を認めていくことが大切であると考える。すなわ ち、 「心の教育」としての家庭の自覚が今の親にある かということが問題であり、それをどのようにして 知らしめ、認識させていくかということが家庭にお ける親子間の「ふれあい」の課題である。また、 「親 子関係を相互主体的にみる」ということを親がどの くらい理解できているかが、子どものコミュニケー ション能力育成の上で大きな影響を及ぼすといえる であろう。すなわち、 「親と子どもの『ふれあい』が 日常的に相互主体的になされているか」を親にいか に認識させていくかが、親と子の「ふれあい」の課 題であり、これを今後の研究課題としたい。 1 栗原彬『やさしさの存在証明』 新曜社、1989 年、243 頁。 2 越智貢「ふれあいのエチカ」 『情報社会の文化4 心情の変容』年東京大学出版会、1998 年、27 頁∼ 28 頁。 3 片岡徳雄『子どもの感性を育む』NHK ブックス、 1990 年、39 頁。 4 加藤諦三『 「ふれあい探し」の心理』年講談社、 1998 年、18 頁。
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