密閉容器を用いない簡易大気圧プラズマ窒化処理の試み

PST-14-027
密閉容器を用いない簡易大気圧プラズマ窒化処理の試み
市來龍大*,山本宏文,井上貴史,赤峰修一,金澤誠司(大分大学)
User-Friendly Atmospheric-Pressure Plasma Nitriding without Air-Tight Container
Ryuta Ichiki*, Hirofumi Yamamoto, Takashi Inoue, Shuichi Akamine, and Seiji Kanazawa (Oita University)
Abstract
We have demonstrated to perform nitriding treatment of steel surface by spraying the atmospheric-pressure pulsed-arc plasma
jet even when an air-tight container for purging oxygen and an external heater for rising temperature of sample are not used. In
our method, purging oxygen is achieved using a simple cover mounted at the tip of the plasma jet. On the other hand, rising
temperature of sample is realized by the plasma jet itself.
キーワード:大気圧プラズマ,窒化処理,表面硬化
(Keywords, atmospheric-pressure plasma, nitriding, surface hardening)
1.
研究背景
鉄鋼の表面硬化技術のひとつに,窒素(N)原子を鉄に固
残留酸素の除去」も重要であることが分かってきた(2,3).処
理雰囲気中の微量酸素により鉄鋼表面が酸化し,その酸化
皮膜がバリアとなり窒素拡散が阻害され手しまう.従って,
溶させ硬化させる窒化処理法がある.窒化処理では鉄鋼の
窒化処理を行うためには酸化を抑制しなければならない.
最表面に化合物層(窒化鉄)が 10 m 程度の厚さで形成さ
これまでの研究により,
「窒素供給」はジェットプルーム中
れ,その下部には深さ 100 m 程度まで鉄の結晶に N 原子が
に存在する NH ラジカルを介して行われている可能性が示
固溶して硬化した拡散層が形成される.拡散層は耐摩耗
唆された(2,3).
「材料の昇温」は,プラズマジェットの自己加
性・疲労強度を向上させ,化合物層は耐食性・耐焼付性を
熱に加え,試料下部に取り付けたセラミックヒーターによ
改善する.窒化処理は各種金型や自動車部品に適用されて
り行ってきた.
「残留酸素の除去」に関しては,処理実験を
おり,我が国のものづくりの現場に欠かせない技術である.
密閉容器中で行うことにより空気をパージし,さらに残留
窒化処理には幾つか手法があるが,低圧下での直流放電を
酸素の還元を目的として水素ガスの添加を行ってきた.し
用いたプラズマ窒化(イオン窒化)法が広く普及している.
かしながら,取り回しの良さが売りであるはずの大気圧プ
プラズマが利用される理由は,窒化処理に必要なラジカル
ラズマ処理において,密閉容器や外部ヒーターが必要とな
種やイオン種が多く生成されるためである.しかしイオン
れば,その売りが生かされるとは言いがたい.従って今回
窒化では真空容器中で処理を行うため設備が高価であり,
我々はより実用的な処理の開発を目指し,密閉容器および
また処理方式がバッチ処理であるため作業時間および作業
外部ヒーターを用いずにパルスアーク型大気圧プラズマジ
工程が増える.プラズマを用いた窒化技術が大気圧下で可
ェットで鉄鋼の窒化が可能であるか調査した.
能になれば,より簡便な処理,設備投資の低減,部品製造
ラインへの硬化処理の簡易導入につながると期待される.
そこで我々は,大気圧下で生成されるパルスアーク型
(PA)プラズマジェットによる窒化処理の研究を推進して
きた
(1-5)
2.
実験方法
〈2・1〉パルスアーク型プラズマジェット
大気圧プラズ
.PA プラズマジェットでは,パルス励起によりジェ
マ窒化処理に用いた PA プラズマジェットの概略図を図 1(a)
ットプルームの温度を金属熱処理に適した値に制御できる
に示す.ステンレス製同軸円筒型電極ノズル中に N2/H2 混合
ため,金属表面の溶融による表面粗化を回避できる.一方,
ガスを約 20 slm で導入し,高電圧パルス電源(plasmatreat
プラズマジェットという特性上,大面積処理に不向きとい
社 FG3001)により図 1(b)に示す印加電圧 4.5 kV,パルス幅
う短所があるが,
「局所的硬化処理」という新規シーズの提
数s,周波数 21 kHz,放電電流 1 A のパルスアーク放電を
供に工業的価値があると考えている.
発生させる.生成したパルスアークプラズマのアフターグ
窒化処理に必要な要素は「①窒素供給」および「②材料
の昇温」であるが,大気圧プラズマ窒化処理においては「③
ローをノズル先端のオリフィスから噴射することにより,
ジェットプルームを発生させる.
1/4
入し密閉容器中のパージを 15 min 行う.パージ後にプラズ
マジェットを点火し,ジェットを試料上面に照射し窒化処
理を行う.ノズル-試料間距離は 15 mm に設定する.
次に,今回新たに試みた 3 種類の実験系について説明す
る.ここでは全ての実験において外部ヒーターを使用せず,
「材料の昇温」はプラズマジェットの自己加熱のみで行っ
た.処理温度は,ノズル-試料間距離により制御する.
○密閉容器実験: 図 3(a)に示すように密閉容器を用いる.
「残留酸素の除去」の条件は過去の実験と同様である
ため,処理雰囲気中の酸素濃度は十分低く試料の酸化
は起こらないと考えられる.
○オープンエア実験: 図 3(b)に示すように密閉容器を使用
せず,オープンエアで処理を行う.ここでは「残留酸
素の除去」は動作ガスによる衝風効果と水素による還
元が担う.処理雰囲気中の酸素濃度は密閉容器実験よ
りも大幅に高いと考えられる.
○簡易カバー実験: 図 3(c)に示すようにジェットノズル先
端を簡易なカバーで覆い,処理雰囲気中の残留酸素を
(a)
図 1
パルスアーク型プラズマジェット.(a) 電極ノズ
ル.(b) 典型的な印加電圧および放電電流波形.
Fig. 1.
Pulsed-arc plasma jet. (a) Discharge electrode and
plasma jet nozzle. (b) Typical voltage and current waveforms.
ジェットプルームの発光分光計測により,動作ガスに H2
を添加しない場合は N2 分子の第一,第二正帯が顕著である
(b)
が,H2 の添加に伴い,NH ラジカルからの発光(336.1 nm)
が最も顕著となることが分かっている (2).このため,「窒素
供給」が NH ラジカルを介して行われている可能性を考えて
いる.
〈2・2〉簡易処理実験系 最初に,図 2 に示される過去の
実験系について説明する(1-3).ステンレス製密閉容器(内径
153 mm,深さ 223 mm)の中にセラミックヒーターを設置し,
その上に試料を配置する.プラズマジェットノズルは容器
上部から挿入する.容器下部には 3/8 インチ管の排気口が 4
(c)
本付いており,ノズルから N2/H2 混合ガスを約 20 slm で導
図 3 今回用いたプラズマジェット窒化処理実験系.(a)
密閉容器実験.(b)オープンエア実験.(c)簡易カバー実験.
Fig. 3.
Experimental system used in the present research.
図 2 過去のプラズマジェット窒化処理実験系.
(a) Experiment with container. (b) Experiment in open air. (c)
Fig. 2.
Experiment with simple cover.
Experimental system used in previous research.
2/4
できるだけ追い出すよう試みる.使用したカバーは石
英製であり,直径 124 mm,高さ 45 mm,厚さ 2 mm の
お椀型である.また,石英カバーと処理台の間に 2 mm
の間隙を空け,そこから排気を行った.処理雰囲気中
の酸素濃度は密閉容器実験よりも高く,オープンエア
実験よりも低いと予想される.
〈2・3〉鉄鋼試料
本実験では,供試材として熱間工具鋼
SKD61(Cr 5%, Mo 1%, Si 1%, C 0.4%)を用いた.円盤形(直
径 20 mm,厚さ 4 mm)に加工した試料を焼戻し温度 550°C
で 550 Hv 程度の硬さに熱処理した.試料表面をアルミナ研
磨剤(0.3 m)で鏡面研磨し,アセトンによる超音波洗浄で
脱脂した.
処理後の試料硬さの評価には,マイクロ Vickers 硬さ試験
器(Akashi HM-102)を用いた.金属組織観察はナイタール
エッチング後に光学顕微鏡(ニコン MM-800/LMU)を用い
て行った.化合物層の相の評価には X 線回折(XRD)装置
(日本フィリップス x'pert,Cu-K線)を用いた.
3.
実験結果
〈3・1〉密閉容器実験
この実験ではプラズマ自己加熱に
よる窒化の可能性を調べることが目的であるため,ノズル
-試料間距離を 5,10,15 mm と変化させて処理温度を変化
させた.熱電対を用いた簡易温度測定により,それぞれの
ノズル-試料間距離の際の試料表面温度は 835°C,485°C,
図 4 密閉容器実験後の試料断面の硬さ分布.ノズル-
420°C 程度であると評価された.N2/H2 ガス導入量は過去の
試料間距離 (a) 5 mm. (b) 10 mm. (c) 15 mm.
実験で最適であった 20 slm / 0.22 slm を採用した
(2,3)
.処理時
間は 2 h とした.
図 4(a), (b), (c)に,それぞれのギャップ長で処理を行った
試料の断面硬さ分布を示す.ここで横軸は円盤試料の径方
向(0 mm は照射中心)
,縦軸は表面からの深さであり,硬
さはグレースケールで表している.図 4(a)より,ノズル-試
料間距離が 5 mm の際は試料表面は硬化せず,逆に母材が
300 Hv 付近まで軟化していることが分かる.処理温度が試
料焼戻し温度よりも高いため,さらなる焼戻しが起きて軟
化したことが考えられる.図 4(b)より,ノズル-試料間距離
が 10 mm の際はプラズマジェット照射中心付近の表面が硬
化していることが分かる.このとき,試料表面は窒化可能
な温度に達している.本結果より,プラズマ自己加熱のみ
で窒化処理が可能であることが実証された.図 4(c)より,ノ
ズル-試料間距離が 15 mm の際は試料の硬化も軟化も起き
ていないことが分かる.処理温度が低いことから,窒素の
拡散速度が遅く,硬化層が形成されなかったと考えられる.
〈3・2〉オープンエア実験 密閉容器実験の結果を踏まえ,
ノズル-試料間距離を 10 mm に設定しオープンエア状態で
プラズマジェット照射を行った.N2/H2 ガス導入量は同様に
20 slm / 0.22 slm であり,処理時間は 2 h とした.簡易温度測
定の結果,試料表面温度は 462°C 程度であると評価された.
結果として,試料表面の硬さに変化が見られなかった.XRD
の結果,試料表面には Fe2O3 が形成されていることが分かっ
Fig. 4.
Hardness profiles of treated sample cross-section.
Gap of (a) 5 mm. (b) 10 mm. (c) 15 mm.
た.このことから,硬化しなかった原因として試料表面の
酸化により窒素拡散が阻害されたことが考えられる.今回
は,酸素のさらなる還元除去を狙い水素流量を変化させた
実験も行ったが,現状ではオープンエアにおける窒化処理
には成功していない.さらに,オープンエアにおける NH
ラジカルの生成についても調査を行う必要がある.
〈3・3〉簡易カバー実験
ここでも密閉容器実験の結果を
踏まえ,ノズル-試料間距離を 10 mm に設定し簡易カバー
内でプラズマジェット照射を行った.N2/H2 ガス導入量は同
様に 20 slm / 0.22 slm であり,処理時間は 2 h とした.簡易
温度測定の結果,試料表面温度は 625°C 程度であると評価
された.簡易カバーによる熱遮蔽効果により他の処理法よ
りも処理温度が上昇したと考えられる.
図 5 に処理後の試料断面の硬さ分布を示す.図より,表
面付近に明らかな硬化層が形成されていることが分かる.
硬化層厚さは 140 m であり,硬化範囲はプラズマジェット
照射中心を中心とした直径 6 cm の領域である.硬化深さや
範囲が密閉容器実験よりも広範囲である原因は,処理温度
の高さにあると思われる.図 6 に示される XRD の結果,表
面には'相(Fe4N)および相(Fe2-3N)から成る化合物層が
形成されていることが分かる.さらに図 7 に示される試料
3/4
4.
結論
本研究により,パルスアーク型大気圧プラズマジェットに
よる鉄鋼の窒化処理が,従来よりも圧倒的に簡易に達成さ
れることが明らかとなった.すなわち,試料の部分的な昇
温はプラズマジェットの自己加熱で行い,ジェットノズル
の近辺を簡易なカバーで覆うことにより酸化を抑制すれ
ば,処理炉や外部ヒーターが不必要な極めて手軽な窒化処
理が可能となる.本手法が実用化すれば,これまでは工場
図 5 簡易カバー実験後の試料断面の硬さ分布.
Fig. 5.
Hardness profile of treated sample cross-section.
から動かせないような巨大な金型にプラズマ源を持ち込
み,部分的に硬化処理を行うなどの新しい技術シーズが提
供できると期待される.学術的には,窒化の素過程におい
てどれほど残留酸素を許容できるのかを調査する必要があ
る.
謝辞
本研究の遂行にあたり,大分県産業科学技術センター・
園田正樹主任研究員に金属分析全般についてご指導を頂き
ました.また,大分大学・衣本太郎助教に金属組織観察に
ついてご協力を頂きました.ここに御礼を申し上げます.
文
図 6 簡易カバー実験後の試料表面の XRD スペクトル.
Fig. 6.
XRD spectra of treated sample surface.
献
(1) R. Ichiki, H. Nagamatsu, Y. Yasumatsu, T. Iwao, S. Akamine, and S.
Kanazawa: “Nitriding of steel surface by spraying pulsed-arc plasma jet
under atmospheric pressure”, Mater. Lett. 71, 134 (2012).
(2) H. Nagamatsu, R. Ichiki, Y. Yasumatsu, T. Inoue, M. Yoshida, S. Akamine,
and S. Kanazawa: “Steel nitriding by atmospheric-pressure plasma jet
using N2/H2 mixture gas”, Surf. Coat. Technol. 225, 26 (2013).
(3) 市來龍大,永松寛和,井上貴史,山本宏文,吉田昌史,赤峰修一,
金澤誠司「大気圧プラズマジェットによる金型や摺動部材の表面硬
化法」ケミカルエンジニヤリング 58, 868 (2013).
(4) 井上貴史,市來龍大,山本宏文,赤峰修一,金澤誠司,吉田昌史「大
気圧プラズマジェットを用いた鉄鋼の浸窒焼入れ法の開発」電気学
会プラズマ研究会資料集,PST-13-085 (2013).
(5) 吉光祐樹,市來龍大,吉田昌史,赤峰修一,金澤誠司「大気圧プラ
ズマジェットによる窒化アルミニウム薄膜合成の試み」電気学会プ
ラズマ/パルスパワー/放電合同研究会資料集,PST-13-70 (2013).
図 7 簡易カバー実験後の試料断面の金属組織.
Fig. 7.
Metallographic structure of treated sample
cross-section.
断面の金属組織写真より,プラズマジェット照射中心付近
では 10 m 以上の化合物層が形成されていることが分かる.
さらに,拡散層では従来の窒化処理で得られる組織と同様
の金属組織が観測された.これらの結果より,簡易カバー
による残留酸素パージを行うことにより,大気圧プラズマ
ジェットによる鉄鋼の窒化処理が可能であることが実証さ
れた.
4/4