糖尿病対策 - 日本生命保険

企 業 で 取 り 組 む 健 康 管 理 ⑤
職場で取り組む
糖尿病対策
(後編)
(1)はじめに
日本生命保険相互会社
健康管理室 内科副医長
糖尿病は、現在世界各国で予防に注力されてい
古屋 善章
る病気の 1 つであり、企業においても健保財政を
YOSHIAKI FURUYA
大きく圧迫する糖尿病の予防は重要事項の 1 つで
す。前編では、糖尿病の現状や課題、糖尿病と合
併症のメカニズムや診断に関して解説しました。後
(3)糖尿病の治療目標
編の本稿では、糖尿病診察の概略や治療目標、境
界型糖尿病時点での対策の重要性、そして糖尿病
日本糖尿病学会は糖尿病治療の最終目標を「健
発症予防のための生活習慣改善のポイントを中心
康な人と変わらない日常生活の質の維持と寿命の
に解説します。
確保」
と掲げています。糖尿病の初期段階では、痛
み等の自覚症状が無いため生活の質を保ちやす
(2)糖尿病診察の概略
く、また早期治療することにより寿命の確保も可能
となります。一方、糖尿病が進展し合併症が発症す
糖尿病診察では、血糖コントロールの状態だけ
ると、治療の高度化(人工透析等)により生活の質
でなく、様々な合併症の有無も確認します。具体的
は著しく低下し、また寿命の確保も難しくなります。
には、糖尿病腎症を確認するための血液検査や尿
糖尿病の進展・合併症の発症を防ぐためには、血
検査、糖尿病網膜症を確認するための眼底検査
糖値、血圧、脂質や体重の適正化、禁煙が必要で
(年に数回以上)
、糖尿病に伴う大血管障がいに関
(図表 1)、それぞれに対する具体的な目標が設定
わる動脈硬化の状態を確認するための検査(下肢‐
されています。
上腕血圧比、脈波伝播速度、頸動脈超音波検査
最も基本となる血糖コントロールの目標値は図
等)、動脈硬化を進行させる危険因子を確認するた
表 2 の通りです。H bA1c 値とは、過去 1∼2カ月
めの検査(血圧測定、コレステロール・中性脂肪等
間の血糖値の推移を反映する血液検査項目で、直
脂質に関する数値の測定、体重測定や喫煙状況の
前の食事や糖分の摂取による影響が少ないことが
確認等)等を行い、合併症の有無を確認します。
特徴です※。合併症予防のための血糖コントロール
※ H b A1c 値は、糖尿病診断や血糖コントロールの指標に大変有用な検査値。急速な血糖値の変動に対応できないこと、貧血がある場合には影響
を受けて参考になりにくいこと、
境界型糖尿病の一部で血糖の上昇に対して HbA1c 値があまり上がらないこと等、
数値の解釈に注意を要する。
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福利厚生情報 2014-Ⅵ
企業で取り組む健康管理⑤
目標値は H bA1c 7.0% 未満と定められており、食
つまり、動脈硬化は高血圧や脂質異常症でも進み
事療法や運動療法のみ、もしくは薬物療法中でも
ますが、糖尿病があるとより顕著に進行するため、
低 血 糖などの副 作 用 がなく達 成 可 能な場 合は
厳しくコントロールする必要があります。このよう
H bA1c 6.0% 未満の目標値とされています。ま
に、糖尿病治療は血糖値の改善に限らず、血圧や
た、治療に制約がある場合など治療強化が難しい
脂質等、さらに生活習慣の改善も同時に目指す必
時は、目標値を H bA1c 8.0% 未満としています。
要があります。
血圧や脂質などのコントロール目標は図表 3 の
(4)境界型糖尿病時点での
対策の重要性
通りです。ここで注目すべき点は、糖尿病を有する
場合は、有しない場合よりも血圧や脂質に対して
厳格な目標を設定しなければならないことです。
糖尿病診断の目的は、高血糖によって引き起こさ
図表 1
れる様々な合併症になるリスクを早い段階で見極
糖尿病治療の目標
め、生活習慣改善や治療により病気の進行を妨げ
健康な人と変わらない日常生活の質(Q O L)
の維持 ,
健康な人と変わらない寿命の確保
ることにあります。前編で解説しましたが、糖尿病は
血糖値や H bA1c 値、典型的症状や網膜症の有無
を基に診断されます。その基準となる検査値は、糖
糖尿病細小血管合併症(網膜症 , 腎症 , 神経障がい)および
動脈硬化性疾患(冠動脈疾患 , 脳血管障がい , 末梢動脈疾患)の
発症 , 進展の阻止
危険性に関する解析から定められます。具体的に
は空腹時血糖値か糖負荷試験(糖を摂取した後の
血糖 , 体重 , 血圧 , 血清脂質の
良好なコントロール状態の維持
血糖値を調べる検査)の 2 時間値(負荷 2 時間後
(出典)糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015より一部改変
図表 2
尿病患者の血糖値の分布、糖尿病の細小血管症の
血糖値)が「糖尿病型」に該当すると糖尿病と診断
血糖コントロール目標
コントロール目標値 注 4 )
目標
血糖正常化を目指す際の目標 注 1 )
HbA1c
(%)
6.0 未満
合併症予防のための目標 注 2 )
治療強化が困難な際の目標 注 3 )
7.0 未満
8.0 未満
治療目標は年齢 , 罹病期間 , 臓器障がい , 低血糖の危険性 ,サポート体制などを考慮して個別に設定する .
注 1)適切な食事療法や運動療法だけで達成可能な場合 , または薬物療法
中でも低血糖などの副作用なく達成可能な場合の目標とする .
注 2)合併症予防の観点から H b A1c の目標値を 7% 未満とする . 対応する
血糖値としては , 空腹時血糖値 13 0 m g/dℓ未満 , 食後 2 時間血糖値
18 0 mg/dℓ未満をおおよその目安とする .
注 3)低血糖などの副作用 , その他の理由で治療の強化が難しい場合の目標
とする .
注 4)いずれも成人に対しての目標値であり , また妊娠例は除くものとする .
(出典)糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015より
図表 3
血糖以外のコントロール目標
血圧のコントロール目標
収縮期血圧
130 m mH g 未満
● 拡張期血圧
8 0 m m H g 未満
●
(出典)
第 5 6 回日本糖尿病学会年次学術集会 press release
「熊本宣言 2 013 あなたとあなたの大切な人のために
keep your A1c below 7 %」より
脂質のコントロール目標
LDL-C 120mg/dL 未満
(冠動脈疾患がある場合 100mg/dL 未満)
● HDL-C 40mg/dL 以上
●TG
(早朝空腹時)150mg/dL 未満
● non HDL-C* 150mg/dL 未満
(冠動脈疾患がある場合 13 0 m g / d L 未満)
(*non H D L- C とは総コレステロールからH D L- C を引いたもの)
●
他のコントロール目標
体重:標準体重**を目標とする
(** 身長 (m)× 身長 (m)×2 2
(例)
身長 160 cm なら
1.6 × 1.6×22 =56 .3 kg)
● 喫煙者は禁煙を目標とする
●
(出典)糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015より一部改変
福利厚生情報 2014-Ⅵ
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されます。一方、空腹時血糖値や負荷 2 時間後血
など様々なアプローチで改善することが有効です。
糖値が「糖尿病型」には該当しないものの、正常型
食事に関しては、食事量を制限するとともに、低脂
とは言えない境界域もあります。空腹時血糖値が
肪で高食物繊維の食事が糖尿病発症を抑制するこ
110 ∼125mg/dl の 状 態 を「空 腹 時 血 糖 異 常
とが認められていることから、野菜や海藻、きのこ
(I mpaired Fasting Glucose:I F G)
」
、負荷 2 時
の積極的な摂取が推奨されています。また、運動に
間後血糖値が140 ∼199mg/d l の状態を「耐糖
関しては、消費エネルギーが増えるほど糖尿病発
能 異 常(Impaired Glucose Tolerance:I G T)
」
症を予防できますが、日常で実践しやすく継続でき
と言い、これらをまとめて「境界型」
と呼びます(図
るものとして、歩行運動が推奨されています。日本
表 4)
。境界型に属する人は、糖尿病の発症率が正
人就労男性(4 0 ∼5 5 歳)約 1 万人を対象にした
常型に比べて高く、特に I G T の場合は心血管疾患
研究でも、通勤中の歩行時間が 10 分以下の人に
の発症率も比較的高くなることが知られています。
対し 21 分以上の人の方が糖尿病の発症率が低い
このように、糖尿病は診断やその後の治療も大
ことが報告されました。スポーツの習慣がない、あ
切ですが、糖尿病と診断される前の段階である境
るいは運動に十分な時間が取れないという方に
界型の時点から対策をとることが大切です。実際、
は、一駅手前で降りて歩く、歩行スピードも普段より
境界型から糖尿病への進展を予防する方法につ
少し早くする等の習慣を日常に取り入れることが効
いて国内外で数多くの臨床試験が実施され、生活
果的です。他にも、タバコは糖尿病の発症率を高め
習慣の改善が最も有効であることが示されました。
る傾向にあることから、喫煙者には禁煙の指導も併
しかし、実際は境界型だからまだ大丈夫と十分な
せて行われます。糖尿病の発症予防には以上のよ
対応がなされず、糖尿病に至ってしまう例が少なく
うな生活習慣の改善に努めるほか、定期的な診察
ないのが現状です。
を受け細めに状態を確認することも大切です。
(5)糖尿病発症予防のための
生活習慣改善のポイント
血液検査等で境界型だと指摘されたら、
どのよう
糖尿病の治療法には、食事療法と運動療法、そ
な生活習慣改善を心掛ければ良いのでしょうか。
して薬物療法があります。薬物療法には各種内服
まず、専門医による診察を受け、前述した諸検査の
薬による治療やインスリン療法があり、近年治療薬
結果を基に食事療法や運動療法に取り組むことに
は大きく進歩しました。しかし、薬物療法だけでな
なります。一般的には表 1 のポイントに従って生活
く生活習慣の改善がなければ良好な血糖コント
習慣改善に努めます。特に、糖尿病発症の最大の
ロールを得るのが難しいことが多く、以下では基本
危険因子の 1 つである肥満に対して、食事や運動
となる食事療法と運動療法を解説します。
図表 4
空腹時血糖値と
糖負荷後血糖値による分類
空腹時血糖値
糖尿病型
126
110
(mg/dl)
100
空腹時血糖異常
(IFG) (IFG+IGT)
正常高値
正常型
耐糖能異常
(IGT)
140
200
負荷2時間後血糖値 (mg/dl)
で示される I F GとI G T、I F G + I G T を総称して
「境界型」
と呼ぶ。
(出典)糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015より一部改変
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(6)糖尿病の治療
(特に食事療法と運動療法)
福利厚生情報 2014-Ⅵ
表1
糖尿病発症予防のための
生活習慣改善のポイント
1)肥満の解消(現体重の 5%減を目指す)
2)食事量と脂肪摂取の制限
3)糖分の制限(特に糖分を含む清涼飲料水の制限)
4)食物繊維摂取の推進
(特に野菜や海藻、
きのこ類)
5)運動の励行(特に歩行運動の推奨)
6)飲酒習慣の是正
7)禁煙の励行
(出典)糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015より一部改変
企業で取り組む健康管理⑤
食事療法は、糖尿病治療の中心であり、薬物療
法の有無に関わらず全ての糖尿病患者が対象とな
(7)おわりに
ります。概要は表2の通りで、現在の食習慣を確認
してその改善に努めます。しかし適切な食事を日
糖尿病に関して 2 回にわたって解説しました。
常的に実現するのは容易ではなく、栄養士による
体調が悪くないから、まだ境界型だからと放置せ
栄養指導を受けることが推奨されます。一方、運動
ずに、糖尿病の怖さを意識して速やかに適切に対
療法の概要は表3の通りですが、運動を控えるべ
応することが大切です。糖尿病に限ったことではあ
き場合もあることに注意が必要です。
りませんが、健康診断等で自身の健康状態を客観
これら食事療法や運動療法には、前項の「
( 5)糖
的に知ることは、職場で取り組む健康管理の基本
尿病発症予防のための生活習慣改善のポイント」
であり大変重要なことです。本稿を読んで 1 人でも
と重なる点も多いですが、糖尿病と診断されるとよ
糖尿病やその合併症で悩まれる方が減り、健やか
り厳しい基準が適用されることから、前段階の境界
に充実した職務の遂行や日常生活を送ることにつ
型の時点で早めの対策を講じることが大切です。
ながれば幸いです。
表2
糖尿病の食事療法
食事療法のポイント
(1)腹八分目とする
(2)食品の種類を出来るだけ多くとる
(3)脂肪は控えめにする
(4)ゆっくりよく噛んで食べる
(5)食 物 繊 維を多く含 む 食 品をとる
(野菜・海藻・きのこなど)
(6)朝食、昼食、夕食を規則正しく食
べる
食品の構成
1日の適正摂取エネルギー量
標準体重(kg)
× 身体活動量=適正摂取エネルギー量
身体活動量の
目安
軽労作(デスクワーク中心) 25 ∼ 30 kcal/kg
普通の労作(立ち仕事中心)30 ∼ 35 kcal/kg
重い労作(力仕事が中心) 35 ∼ kcal/kg
(例)身長 16 0 cm でデスクワーク中心の仕事内容であれば、
標準体重 56.3kg でこれに 25 ∼30 kc a l/ k g をかけて 1日あ
たり約1400∼1700 kc alとなる。
適正摂取エネルギー
量 の 範 囲 内で、炭 水
化 物、
タンパク質、脂
質をバランスよくとり、
適 量 のビタミンやミ
ネラルも摂取する。食
品交換表の活用も有
用である。
(出典)糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015より一部改変
表3
糖尿病の運動療法
運動療法で期待される効果
運動の目安
(1)急性効果として、
ブドウ糖や脂肪酸の利用が促
進され血糖値が下がる。
(2)慢性効果として、インスリン抵抗性が改善する。
(3)エネルギー摂取量と消費量のバランスが改善
して、減量効果がある。
(4)加齢や運動不足による筋委縮や骨粗鬆症の予
防に有効である。
(5)高血圧や脂質異常症の改善にも有効である。
(6)心肺機能をよくする。
(7)運動能力が向上する。
(8)爽快感や活動気分など日常生活の Q O L を高
める効果も期待できる。
(強度)中等度の強度の有酸素運動が勧められる。具体的には
「楽である」
から
「ややきつい」
の体感を目安とする。歩行なら1 回15 ∼30分間を1日2 回、
計 1 万歩を目安に。消費エネルギーとしては、
160 ∼ 240kcalが適当。
(頻度)
運動療法はスポーツをするということではない。日常生活に取り入れて、
出来れば毎日行うこと、もしくは少なくとも週 3 日以上実施することが
望ましい。
運動療法の注意と制限したほうがよい場合
運動療法の実施にあたっては、主治医に可否を確認する。血糖値が著しく高
いときや増殖網膜症による眼底出血があるとき、心疾患を合併するときなど
は、制限すべき場合がある。
(出典)糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015より一部改変
参考
糖尿病治療ガイド 2 014 -2 015 日本糖尿病学会編集 2 014 年
第 5 6 回日本糖尿病学会年次学術集会 press release
「熊本宣言 2 013 あなたとあなたの大切な人のために keep your A1c below 7%」 日本糖尿病学会 2 013 年 5 月
● Y.Kabeya, A.Shimada, F.Yamasawa, et al : Internal Medicine 51:270 3, 2 012
● K.K.Sato, T.Hayashi, H.Kambe, et al : Diabetes Care 3 0:2 2 9 6, 20 07
●
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