寺社・古墳の名所そろう 玉 村 八 幡 宮 は、 源 頼 朝 が 鶴岡八幡宮の分霊を角渕に 移 し た の が 始 ま り で、 江 戸 時代初めに代官伊奈備前守 忠次が今の地に移したと伝 立派な門だな∼。 え ら れ て い る よ。 本 殿 は 随神門 室町時代後期の建築様式を 残す造りだよ。 すがすがしい境内で、 国指定重要文化財 見所がいっぱい。 1 玉 村八幡宮 玉村地区 随神門 3 称 念寺 家鴨塚 町指定重要文化財 天 保14年(1843)に日 光 例 幣 使 を務 めた綾 小 路 有 長が書 き残 し 玉むらの やどりにひらくたまくしげ びきそのかへさやすらに ふたた 2 木 島本陣跡歌碑 境 内にある家 鴨の供 養 塚。嘉 永 3 年(1850) 、国定忠治が 江戸送りされる途中、病気で苦し んでいたので治 療 に家 鴨の血 を た和歌の石碑だよ。 帰り道の無事を祈っているんだ。 4 満 福 寺 飲ませたと伝えられているよ。 5 阿弥陀三尊板碑(観照寺) 町指定重要文化財 玉 村の地 名 伝 説が残 る寺。 「龍 の玉 」が納 めてある黒 塗 りの二 重 の箱 が伝 わっているよ。二 番 13世 紀 から14世 紀 に、死 者 の供 養 目の箱の中は、 見ると失明するといわれ、 や自らの死後の冥福を願って造られた まだ誰も見たことがないのだとか。 供養塔。 6 斎 藤宜義の墓(宝蔵寺) 県指定史跡 7 軍配山古墳 町指定史跡 軍 配 山 の 名 は、 天 正10年(1582) の 親子で立派な数学者 だったんだね。 神 流川合 戦で、織 田 信長の家来滝 川一益 が ここで 軍 配 を 振 るったことに由 来 し ているそうよ。 4世紀に造 られた円 い 宜 義 は 文 化13年(1816) 板 形 をした古 墳 で、ここか 井 に生 まれ、父 宜 長 と共 に群 馬 ら鏡 や勾 玉などが出 土 し 県 内における関 流 和 算 の大 家 と ているよ。 して、すぐれた業績を残したよ。 石仏があるよ。 に建てられた五智如来 そ の 昔、 伊 勢 太 神 宮 の 分 霊 を 移 し、 境内には江戸時代の に、 平安時代後期の安元元年︵一一七五︶ 元 禄 二 年︵ 一 六 八 九 ︶ 明 治 五 年︵ 一 八 七 二 ︶ の 建 築 が 始 ま り で、 現 在 あ る 建 物 は 江 戸 時 代 の 学 校。 文 化 五 年 ︵一八〇八︶に建てられたの た「砂 町遺 跡 」。そこから古 墳 時 代 前 期 の水 路 跡 や奈 良時 代 の道 路 跡(推 定「東 山道」)、 平 安時 代 の水 田が発 見され、県 内外から注 目 衛 門、 隠 居 後 に 名 乗 っ た 名 嚮 義 堂 の 先 生。 本 名 は 仁 左 政の役人としても活躍した 江 戸 後 期 に、 伊 勢 崎 藩 の 子 弟 を 教 育 し、 す ぐ れ た 行 北 部 公 園 の整 備 に伴 う発 掘 調 査 で発 見され 前が神村だよ。 を集めたんだ。 足 利 又 太 郎 忠 綱 が 建 て 、 今 の 地 に 祀 いい香りだな∼! だよ。 されているよ。 っ た と 伝 え ら れ る 古 い 神 社。 境 内 に は 8 神 明宮(樋越) 二八の石の神社が建ち並んでいるよ。 文字が刻まれているよ。 古代のロマン のロマン発 発見! 碑「嚮 義 堂 之 記 」が残 屋根瓦に﹁學﹂ ︵=学︶の 10 嚮 義 堂 五仏揃っているのは貴重! 表情がステキだね。 9 花 台寺五仏 春 鍬 祭 の 会 場 で、 早 春 に咲く 梅は見事よ。 氏の屋敷があった所 ここは中世に阿佐美 よ。 12 砂町遺跡案内板(北部公園内) 11 浦野神村の墓 庭 の中 には嚮 義 堂 の石 上陽地区 のどかな景色に歴史がたたずむ 別名は霞城。 14 川 井 城 跡 風流な名前だね。 烏川対岸の金久保 城主斎藤定盛の 弟 基盛 天満天神も祀られているよ。 が 守 っ て い た 城。 現 在 ているよ。 雷を祀る神社で、歴史は古く、 学問の神様である菅原道真公の では八千矛神社となっ この地方の支配者の墓と されているそうよ。 15 火 雷 神 社 前方後円墳の可能性も考 町指定史跡 えられているよ。 13 梨ノ木山古墳 五世紀に造られた古 墳。埴輪が出土していて、 芝根地区 利根川・烏川の流れと緑に包まれた 昔話 静かな境内。 今から約1100年前のできごと、天災や不吉なこと が続 いていたので、国 の役 人は火 雷 神 社にてお祓 い をすることにしました。そのとき、この地 を治 めて 16 養 命 寺 境内にはお堂が北向きの 珍しい北向き地蔵尊が祀ら れているよ。 いた「那 波八 郎廣 純 」という武 士も連 れて行 きまし た。祈りを続けて7日目、突然怪物が姿を現し、神鏡 を奪 おうとしましたが、廣 純 は刀 を振 ってその首 を 切り落としました。このとき、怪物の折れた角を川に 投 げ、後 に淵 になったところが、玉 村町の「角 渕 」、 (神 の 切 った手 を捨 てたところが玉 村町の「上 之 手 」 手)であるといわれています。 毎 年2月 と7月 には地 蔵 町指定史跡 麦畑にミステリーサークル ?! 江戸時代は通るのに通 ばたけ 行 手 形 が 必 要 で、 午 前 むぎ 六時に開き 、午後六時 ま、わっしょい! に閉まったんだよ。 17 五料関所跡 祭 が行 われるよ。地 蔵 さ 不思議だな∼ 毎年5∼6月頃、芝根小学校北側の麦畑に丸い円模様が浮かび上が 古井戸 るよ。これは、クロップ・マークと呼ばれるもので、昔この場所に古 墳があったことを示しているんだ。円の中は古墳の土、円の外は江戸 時代に浅間山の大噴火で押し寄せた泥流で埋まった土。この土の違い 日光例幣使道に置かれた唯一の関所。江戸時代初 で小麦の生育が異なり、このように見えるそうだ。小泉周辺はいまだ め幕府によりつくられ、現在では、門柱の礎石と古 発見されていない古墳が存在する可能性を秘めている ?! 井戸だけが残されているよ。 玉村町の歳 時記 おもしろそうなお祭りがいっぱい! 2月11日(祝) 2月11日(祝) 春鍬祭(樋越神明宮) すみつけ祭(上福島地区) 農耕開始の祭礼として、あ らかじめその年の豊作を祝う 天狗の面を付けた先達を先頭に、上福島 もので、江戸時代以降伝えら 地区の家々を回って、輪切りにした大根に れてきたと考えられる。境内 墨をつけ、顔になすりつける。起源は江戸 では榊や樫の枝に餅を付けた 時代元禄年間といわれ、疫病が流行した当 ものを鍬に見立てて、農作業 時、転んで鍋の墨が顔についた女性が病気 のしぐさをする。祭りの最後 にならなかったことから始まったと伝えら に切り餅やミカンが群衆にふ れている。 りまかれ、この中に混じっている初穂を拾った人は、その年必ず豊作に 2月11日(祝) 稲荷神社獅子舞(上新田稲荷神社) なるといわれている。 早春の三大祭り 江戸時代元禄年間から続く獅子舞で、氏子の安泰と五穀豊穣、悪魔払 いを祈願する。伝承のためか、 昔は舞う子どもは長男と決められていたが、 2月11日に行われる3つのお祭りを堪能できるオススメプラン! ①すみつけ祭 公民館を出発 午 前 9 時 に 上 福 島 10 ②稲荷神社獅子舞 時に稲荷神社 354 で﹁剣の舞﹂奉納。 11 午前 時 か ら 角・三 丁 目 ※ 地蔵かつぎは23日 地蔵祭(養命寺・箱石地区) の両端︵国道 号沿︶ 2月24日・7月24日 で﹁四方固めの舞﹂。 されている。 午後3 時から神明宮 30 後 継 者 が育 成 にて祭典。 分から祭りの 保 存 会 により 3 時 にとらわれず ③春鍬祭 (時間については毎年予定されている時間を掲載) 本番。 現 在では長 男 箱 石の養 命 寺 境 内の北 向地 蔵 堂 に は3体の地蔵があり、その中の一つを 悪魔祓い(藤川) ・悪魔払い(飯塚) 7月24日 担 いで、無 病 息 災、火 災 除 けを祈 る。 明治後期、疫病が流行したときに始ま 藤川の稲荷神社、飯塚の飯玉神社境内 った。 「悪魔っ払い、 にある八坂神社のお祭り。 悪魔っ払い」と叫びながら、 家々を回る。 7月14・15日に近い土・日曜日 角渕祇園祭(角渕地区) 江 戸時 代 からの祭 りと伝 え お囃子が られ、祭 祀 する八 坂 神 社は堀 ステキだね。 頭 を獅 子 頭 でかじるようにはさんでも 悪魔払い(飯塚) らうと悪魔退散になるといわれている。 西 と堀 東 にあり、屋 台 もそれ ぞれ一 台ずつ持 っている。両 組の太鼓の打ち合いである 「ぶっこみ」に人気が集まる。 悪魔祓い(藤川) 7月第4土・日曜日 玉村の祇園祭(ふるさとまつり) (上新田地区・下新田地区) 7月最終日曜日 水神祭(飯玉神社・五料地区) 下新田5・6・7丁目と上新田4丁目で祀られている八坂神社のお祭り。 利根川と烏川の合流する五料は、水運の村として栄えた。水神祭は、元々 下新田の八坂神社は玉村八幡宮の境内に、上新田は稲荷神社境内にある。 は船頭や漁師の守り神である水神様を祀るもので、約7mの麦わら舟を 各丁目の屋台が国道354号(旧日光例幣使道)を巡行する。 御輿に見立てて地区内を回った後、利根川に流す。 毎年たくさんの 人で賑わうよ。 10月16日 横樽音頭(南玉住吉神社) 南玉地区に伝わる盆踊唄または祝唄系の音頭。10月17日に行われる住吉 麦蒔御神事(火雷神社) 旧暦10月末の午の日 神社の大祭前夜の宵祭りに氏子が社で夜を明かす「お籠り」という行事が 上野国十二社の一つである火雷神社 あり、その時 に貞観4年(862)から伝わる秘儀の 飲み干した 神事。午の刻に、暗闇の中で神官が祝 酒樽を横に 詞をあげ、氏子が神社の周りにしめ縄 して叩いた を張る。このとき声を出すのは厳禁と のが始まり され、それから13日 間、一 般の人 の とされる。 参拝も禁じられる。
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