パリクラブの22年と会則【PDF】 - 日仏経済交流会(パリクラブ)Paris Club

パリクラブの 22 年 と会 則
2012 年 4 月 23 日 一 部 発 表
2012 年 5 月 21 日 加 筆 了
2014 年 4 月 8 日 補 筆
2015 年 3 月 27 日 改 題 補 筆
関本 勘次
パリクラブは、1993 年 4 月 20 日 開 催 の設 立 総 会 で会 則 を採 択 して発 足 したから、2013 年 の定
時 総 会 の時 点 で成 年 に達 したと言 える。私 は、パリクラブ創 立 前 夜 、会 則 や会 計 ・会 員 管 理 システ
ム の 起 草 ・ 設 計 を 担 当 し 、 設 立 以 来 15 期 に 渉 り 常 任 理 事 、 副 会 長 、 会 長 ( Président
Secrétaire Général!)として事 務 局 を担 当 し、退 役 後 も些 かお手 伝 いをしている。
パリクラブの設 立 前 夜 を含 む 1993 年 から 2003 年 までの編 年 的 な経 緯 と実 績 は、名 称 の由 来 も
含 めて、2004 年 5 月 刊 行 のパリクラブ 10 周 年 記 念 誌 (以 下 「10 周 年 記 念 誌 」)に詳 しい。ことに
第 4 章 の座 談 会 (1)「パリクラブの誕 生 」(2)「パリクラブの現 在 と未 来 」や同 じく第 10 章 の「委 員 会
だより」は大 いに有 益 である。個 人 的 には、2003 年 に未 来 を語 った方 々の現 在 のお考 えを伺 いた
い思 いを禁 じ得 ない。ここでは、2004 年 度 以 降 の出 来 事 を網 羅 するわけにはゆかず、会 則 を繙 き
ながら、パリクラブの目 的 、イベント、組 織 、会 員 、会 計 の各 項 目 の内 主 として目 的 とイベントに力 点
を置 いて思 い出 話 をする手 法 をとりたい。
注 パリクラブ Web site の歴 史 ・出 版 物 欄 にこの両 章 は「10 周 年 記 念 誌 」と題 して掲 載 されてい
る(PDF)。在 日 フランス商 工 会 議 所 の Directeur Général は往 時 「専 務 理 事 」だったが現 在 は
「事 務 局 長 」の訳 語 が当 てられている。
パリクラブの目 的
会 則 第 2 条 は、「①会 員 に懇 親 の場 を提 供 するとともに②広 く本 邦 で活 躍 するフランス人 並 びに在
日 フランス商 工 会 議 所 と の交 流 を深 めて、日 仏 間 の経 済 関 係 に資 すること」 を目 的 と すると 、異 な
る 2 つの目 的 を並 列 的 に規 定 する。
注 末 尾 に現 行 会 則 をコンプライアンス規 程 と共 に添 付 する(付 録 1)。
①は、ビジ ネスマンとしてフランスで苦 楽 をともに経 験 した 人 たちの同 窓 会 的 な動 機 の表 れであり、
②は、日 本 に馴 染 もうとする駐 日 フランス人 ビジネスマンを CCIFJ と連 携 して支 援 してほしいという
フランス側 のいわゆるパレナージュの要 望 にこたえるもの。①の背 後 には、1980 年 代 初 頭 ポワチエ
税 関 に象 徴 されるフランスの対 日 障 壁 に立 ち向 かいつつ日 仏 貿 易 摩 擦 の縮 小 に力 を振 り絞 った日
本 人 ビジネスマンの苦 闘 の物 語 があり、②の背 後 には、1992 年 ~2000 年 に 3 段 階 に別 けて展
開 されたフランス側 の対 日 輸 出 促 進 キャンペーン、le Japon, c’est possible があった。
この硬 軟 二 兎 を追 う構 えが、ロゴに添 えられた標 語 の”Amis de France, Amis du Japon”となり、
「ときには苦 言 も呈 する日 仏 の気 楽 な出 会 いの場 」を意 味 する Rendez-vous Franco-Japonais
の催 しを生 み、かつ、デバやパネル・ディスカッションなどのイベントにビュッフェを後 続 させて意 見 ・情
報 交 換 =交 歓 の場 とする伝 統 を育 んだのだ。
注
当 初 銀 座 の芙 蓉 クラブで、その後 京 橋 のメルシャン・サロンや最 近 では八 芳 園 で開 く
Rendez-vous Franco-Japonais の催 しはこれまでに 61 回 に及 び、CCIFJ の年 次 総 会 で毎
度 のように”cette soirée a eu grand success et conribué au rapprochement des
1
membres de CCIFJ et des membres du Paris Club”との評 価 を得 たことがある。
1980 年 代 に激 化 した日 仏 間 の貿 易 不 均 衡 は 2002 年 には均 衡 化 し、最 近 は日 本 の入 超 が続 い
ている。本 邦 がデフレに陥 っていった 2001 年 ~05 年 にフランス側 は、France=Japon, esprit
partenaire を標 語 とする日 仏 投 資 促 進 キャンペーンを展 開 し、2008 年 に設 立 90 周 年 を迎 えた
CCIFJ は Progresser ensemble を掲 げ、パリクラブに対 する期 待 にも変 化 が生 じた。日 仏 経 済
関 係 が 1990 年 代 に比 べて尖 鋭 でなくなったことも手 伝 って、パリクラブ・イベントの傾 向 に変 化 が
見 られたのはおそらく当 然 あろう。しかし、当 会 の目 的 に硬 軟 の二 つがあることついて、折 に触 れて、
思 いがいたされてよい。なおこの間 、1998~99 年 の「日 本 におけるフランス年 」、2008~09 年 の
日 仏 交 流 150 周 年 にはそれぞれに因 む活 動 がパリクラブに期 待 されたのだった。
注 1 本 邦 の対 仏 貿 易 収 支 (通 関 ベース)(100 万 ドル)
年
日 本 の 輸 出 (A) 日 本 の 輸 入 (B) 収 支 (A-B)
2008
8,920
10,560
▲ 1,640
2009
6,190
9,130
▲ 2,940
2010
6,652
10,248
▲ 3,596
2011
7,985
11,807
▲ 3,822
2012
6,709
12,877
▲ 6,168
2013
6,312
11751
▲ 5,419
出所:財務省「貿易統計」よりジェトロ作成。
注 2 1992 年 に始 まったフランスの対 日 輸 出 キャンペーン”le Japon, c’est possible”をパレナ
ージュに結 びつけてパリクラブへと導 いたフランス側 の仕 掛 け人 として、Alain Coine 氏 (当 時
CCIFJ 会 頭 、Rhône Poulenc Japan 社 長 )、Laurent Dubois 氏 (当 時 CCIFJ 副 会 頭 、
外 国 法 事 務 弁 護 士 )と Pascale Buch 女 史 (当 時 CCIFJ 事 務 局 専 務 理 事 )の名 をあげてお
きたい。その仕 掛 けに応 じて、磯 村 尚 徳 さん(当 時 パリ日 本 文 化 会 館 設 立 準 備 委 員 長 )、渡 辺
昌 俊 さん(当 時 CCIFJ 理 事 )、安 達 省 三 さん(当 時 CCIFJ 顧 問 )、副 島 勲 さん(同 )、山 田 史 郎
さん(同 )が 1993 年 2 月 1 日 付 書 簡 (CCIFJ 公 式 文 書 )で同 志 糾 合 の呼 びかけを行 い、そ
れに応 じて 2 月 16 日 に東 京 クラブに会 同 した 28 名 (安 達 省 三 ・姉 崎 直 巳 ・秋 山 晴 彦 ・舩 橋
晴 雄 ・廣 岡 幹 雄 ・平 光 良 三 ・磯 村 尚 徳 ・岩 崎 友 哉 ・久 米 五 郎 太 ・桂 雄 一 ・増 田 一 美 ・三 浦 一
雄 ・ 中 山 迪 夫 ・ 那 須 秀 康 ・ 小 野 里 輝 夫 ・ 杉 本 碩 也 ・ 副 島 勲 ・ 佐 々木 信 行 ・ 関 本 勘 次 ・ 豊 島 格 ・
武 田 哲 夫 ・種 田 公 二 ・富 永 重 厚 ・宇 田 川 潔 ・若 林 ヤタロウ・渡 辺 昌 俊 ・依 田 隆 夫 ・山 田 史 朗 の
各 氏 )がパリクラブの設 立 発 起 人 になった。同 年 4 月 7 日 に磯 村 さんが発 起 人 代 表 となって、
会 則 案 や 入 会 申 込 書 案 を 添 付 し た 、「 パ リク ラ ブ の 設 立 と 入 会 の お 誘 い 」 と 題 する 趣 旨 書 を
223 名 の人 に郵 送 。159 名 の方 から趣 旨 に賛 同 し入 会 する旨 の返 事 があり、同 年 4 月 20
日 如 水 会 館 に 90 名 が参 会 する設 立 総 会 が開 催 され、日 仏 経 済 交 流 会 (パリクラブ)が誕 生
したのだった。
注 3 2002 年 6 月 11 日 に 小 松 原 道 彦 さ ん ( 当 時 メ ン バ ー シ ッ プ 委 員 会 担 当 副 会 長 ) が
「ParisClub の目 的 に就 いての考 察 」と題 してものにされた論 考 を末 尾 に添 付 する(付 録 2)。
この添 付 について小 松 原 さんの快 諾 を改 めて戴 いた。
注 4 1995 年 のフランスのムルロワ環 礁 地 下 核 実 験 について当 会 は本 邦 における反 仏 感 情 に心
2
を痛 めるもついにこの核 実 験 を支 持 することがなかった。1998 年 の日 本 におけるフランス年
に際 して示 されたフランス側 の笹 川 日 仏 財 団 忌 避 の念 に対 し、当 会 は一 貫 して同 財 団 を支
持 するとともにその助 成 金 を受 入 れたのだった。そのため当 会 のイベントに日 本 におけるフラ
ンス年 の公 式 ロゴが許 さ れることがなかった。当 会 名 誉 会 員 だった故 本 野 盛 幸 氏 には(財 )
日 仏 会 館 理 事 長 としてあらゆる機 会 にパリクラブを支 持 する発 言 をして戴 いた。現 在 笹 川 日
仏 財 団 に対 するフランス側 の態 度 は完 全 に氷 解 している。
イベント
当 会 イベントは、つまるところ、会 則 第 2 条 の目 的 に整 合 する当 会 意 思 の表 現 と言 えよう。では、懇
親 はともかく当 会 の日 仏 経 済 交 流 を目 的 とするイベントとはどういう催 しか?今 の時 点 で敢 えて答 え
れば、日 仏 両 国 の人 が関 心 を持 つ今 日 的 主 題 を取 り上 げ、分 析 し、討 論 し、解 を模 索 する催 しと言
えようか。
10 周 年 記 念 誌 (P109-P110)掲 載 のイベントと現 行 パリクラブ Web Site 掲 載 のイベントとを数 え
合 わすと設 立 以 来 の 19 年 間 にパリクラブ開 催 の主 なイベント数 は 197 件 に上 り、2012 年 度 15
件 、2013 年 度 22 件 、2014 年 度 18 件 を加 えると 255 件 に上 る。この中 にパリクラブとしての寄
稿 や仏 要 人 来 日 記 念 講 演 に対 する協 力 などは含 まれていない。
注 1993 年 4 月 (創 立 時 )~2005 年 3 月 末 のイベント記 録 は、総 会 関 係 記 録 、理 事 会 記 録 、
会 計 記 録 とともに、書 類 とフロッピーディスクにして 2 個 のボール保 管 箱 (以 下 「保 管 箱 」)に収
めて 2006 年 9 月 以 来 日 仏 会 館 5F 書 庫 に格 納 して貰 っていた。2014 年 1 月 20 日 (公 財 )
日 仏 会 館 の要 請 によりこの保 管 箱 を引 きとり、当 該 書 類 とフロッピーディスクを始 めとする内 容
物 (以 下 「保 管 物 」)は関 本 宅 に現 在 している。
イベントの企 画 ・ 立 案 ・ 実 施 は、役 員 が一 手 に引 き受 ける のではなく、会 員 有 志 が積 極 的 に着 想 し
実 施 の 運 びにする ものだ と の考 えが当 初 からあっ た 。そ して、役 員 会 を 縦 貫 する 形 でイ ベン ト委 員
会 が自 然 発 生 していた。そのイベント委 が細 胞 分 裂 して経 済 社 会 委 員 会 や文 化 委 員 会 ひいては地
域 ・都 市 委 員 会 が派 生 したのであり、当 初 に縦 割 の発 想 はなかったのだった。
注 事 務 局 を除 くそのほかの委 員 会 については、第 9 条 や第 10 条 で「個 別 問 題 を担 当 する委 員
会 」とか「個 別 問 題 担 当 委 員 会 」などと表 現 され、会 則 上 その存 在 は予 定 の域 に留 まる。
この伝 統 は、マニグリエ・ 真 矢 さんのセ・コワ・シリーズ、松 本 恵 子 さんのサロ ン・コンサート、佐 藤 幸
彦 さんのベルギービール・イベントに如 実 に現 れた。冨 永 重 厚 さんが腕 を振 るった 1997 年 5 月 の
人 物 交 流 公 邸 ランデヴー(笹 川 日 仏 財 団 助 成 第 1 号 イベント)、2000 年 5 月 、2002 年 2 月 、
2003 年 10 月 、2006 年 5 月 、2008 年 6 月 と続 く累 次 の公 邸 ソワレにおける演 しものにもその
一 端 が現 れている。
注 笹 川 日 仏 財 団 の助 成 金 を受 けた第 2 号 以 下 のイベントを列 挙 すると、◎98-99 年 に行 った 5
回 のパネルディスカッション ◎08-09 年 に日 仏 経 済 関 係 150 年 プロジェクトとして行 った 5 イベ
ント ◎011-12 年 進 行 中 の「フランス人 の流 儀 ・・・」出 版
会員
会 員 であること(=入 会 条 件 )について、会 則 第 4 条 は明 文 で、まず属 人 的 な「日 本 国 籍 限 定 」原
則 と「フランス駐 在 経 験 」原 則 を謳 い、次 に手 続 的 に「他 の会 員 2 名 の推 薦 」と「常 任 理 事 会 の承
認 」を謳 っていた。この内 、国 籍 限 定 規 定 については 1997 年 4 月 までに緩 和 を重 ねつつついに明
3
文 を払 拭 したのだった。(なお、名 誉 会 員 については当 初 から「国 籍 を問 わず名 望 ある 個 人 」とされ
た。)次 のフランス駐 在 経 験 原 則 については第 4 条 第 1 項 の「フランス駐 在 経 験 もしくはこれに準 ず
る経 験 」文 言 につき「francophile であること=フランス駐 在 経 験 に準 ずる経 験 」との解 釈 を成 立 さ
せてかなり久 しい。
「他 の会 員 2 名 の推 薦 」と「常 任 理 事 会 の承 認 」の 2 条 件 については今 日 まで、適 切 でない人 物 に
対 する 防 波 堤 との認 識 のもとに拳 々服 膺 されてきた が、漸 く、推 薦 に係 わる 上 記 明 文 が入 会 希 望
者 に対 する不 必 要 に高 いハードルであり、これを払 拭 して「常 任 理 事 会 承 認 」にのみ絞 る会 則 改 正
の方 向 性 が明 らかになっている。具 体 的 には次 回 定 時 総 会 に、第 4 条 第 1 項 を、「会 員 は、日 仏 経
済 交 流 に関 心 があり、フランス駐 在 経 験 もしくはこれに準 ずる経 験 があって、第 9 条 の常 任 理 事 会
が別 に定 める入 会 申 込 書 の提 出 を受 けて審 査 の上 承 認 する人 」とする改 正 案 が付 議 される見 通 し
である。
。
パリクラブ活 動 は個 人 本 位 である ことにこだわりがあって、個 人 が出 身 ないし 在 籍 の企 業 を背 景 に
活 動 するのには何 の問 題 もないが、その企 業 がパリクラブ活 動 を行 うことには遠 慮 がある。
注 1 設 立 当 初 の会 則 第 2 条 は、「当 会 は、原 則 としてかってフランスに駐 在 したことのあるビジネ
スマンを中 心 にフランスと深 く関 わりのある各 種 の分 野 で活 躍 する日 本 人 を会 員 とし、会 員 間
に懇 親 の場 を提 供 するとともに・・・・」と規 定 し、第 4 条 で、「会 員 は、他 の会 員 2 名 の推 薦 に
基 づき理 事 会 が承 認 する日 本 人 とし、・・・・」と規 定 していた。それを 1995 年 5 月 10 日 の#3
総 会 における特 別 決 議 で、第 2 条 の上 記 引 用 箇 所 の内 「当 会 は、原 則 としてかってフランスに
駐 在 したことのあるビジネスマンを中 心 にフランスと深 く関 わりのある各 種 の分 野 で活 躍 する日
本 人 を会 員 とし、会 員 間 に」を削 除 し、入 れ代 わりに「第 4 条 の会 員 並 びに名 誉 会 員 に懇 親 の
場 ・・・」を挿 入 して、会 員 資 格 規 定 を第 4 条 に譲 ることにした。一 方 、同 じく上 記 の総 会 特 別 決
議 により、会 則 第 4 条 で「会 員 は、日 仏 経 済 交 流 に関 心 があってフランス駐 在 経 験 もしくはこ
れに準 ずる経 験 があって、他 の会 員 2 名 の推 薦 により第 9 条 の常 任 理 事 会 が承 認 する日 本
人 とし・・・・」と規 定 することにして、駐 在 経 験 規 定 を若 干 緩 和 した。1997 年 4 月 25 日 の#5
総 会 における特 別 決 議 で、上 記 の「 常 任 理 事 会 が承 認 する 日 本 人 とし・・・・」を「常 任 理 事 会
が承 認 する人 とし・・・」に改 正 し会 員 の日 本 国 籍 に関 するこだわりを捨 てて現 在 に至 っている。
注 2 1999 年 4 月 23 日 の#7 総 会 における特 別 決 議 で、第 4 条 に第 3 項 として地 方 日 仏 協
会 を念 頭 に置 いた賛 助 会 員 規 定 を設 けた。現 在 、自 由 が丘 日 仏 協 会 と山 梨 日 仏 協 会 が当
会 の賛 助 会 員 で、パリクラブはこの双 方 の会 員 になって相 互 乗 り入 れの関 係 にある。
注 3 2004 年 4 月 27 日 の#12 総 会 特 別 決 議 で会 則 第 4 条 に第 4 項 を設 け、永 年 活 動 が
顕 著 な 65 才 以 上 の会 員 に、常 任 理 事 会 の定 める終 身 年 会 費 を一 括 納 入 して終 身 会 員 に
なる道 を開 いた。終 身 年 会 費 の一 括 納 入 額 は 65 才 時 10 万 円 以 降 毎 才 1 万 円 宛 逓 減 し
て 74 才 時 以 降 1 万 円 と常 任 理 事 会 で定 め上 記 の定 時 総 会 に報 告 した。
注 4 会 員 数 の推 移 (人 )
1994/3/末
2003/3/末
2012/3/末
会員
184
276
255
賛助会員 名誉会員
17
24
2
23
4
合計
201
300
280
2013/3/末
2014/3/末
2015/3/28
244
270
308
2
22
21
21
2
2
268
293
331
人 格 と内 部 組 織
当 会 の人 格 は、任 意 団 体 あるいは権 利 能 力 のない社 団 で、最 高 意 思 決 定 機 関 は総 会 、総 会 で選
挙 された理 事 が互 選 して決 める会 長 が当 会 の代 表 権 者 であって副 会 長 ならびに常 任 理 事 とともに
会 務 執 行 機 関 たる常 任 理 事 会 を形 成 する(会 則 第 8 条 、第 9 条 )。当 会 の主 たる事 務 所 は CCIFJ
内 にあり(会 則 第 3 条 )、CCIFJ 事 務 局 のビジネスデベロップメント部 長 の吉 田 暢 子 さんが現 在 の
当 会 窓 口 である。なお当 会 は CCIFJ の総 会 における議 決 権 のある正 会 員 として同 会 議 所 の会 員
名 簿 に登 載 されており、CCIFJ は当 会 の会 員 会 費 を毎 年 ゼロ円 に定 めている。
注 1 設 立 10 周 年 を翌 年 にした 2002 年 5 月 、副 会 長 の小 松 原 道 彦 さんが委 員 長 、舩 橋 晴 雄 さ
ん、佐 々木 信 行 さん、横 山 悠 喜 さんが委 員 となったメンバーシップ委 が、「当 会 の NPO 化 のメ
リットと デメ リット」 を検 討 し 常 任 理 事 会 に付 議 し た 。なかんずく当 局 と の関 係 において 事 務 局
負 担 増 が著 しく見 込 まれ現 実 的 ではあるまいとの結 論 が得 られたのだった。
注 2 1993 年 度 ~2003 年 度 の総 会 関 係 記 録 は保 管 物 の中 に、2004 年 度 以 降 のものはサイト
内 に在 中 。
総 会 における議 決 については会 則 第 13 条 と 17 条 (特 別 決 議 )に規 定 があり、通 常 議 決 について
は出 席 会 員 の多 数 決 を、特 別 議 決 については同 じく 3 分 の 2 以 上 の同 意 を要 することにしている。
定 足 数 について定 めがないのは設 立 前 夜 以 来 の智 恵 の賜 である。
会 則 第 6 条 から第 14 条 までのパリクラブの内 部 組 織 規 定 の運 用 について、建 前 は会 員 総 会 で 40
名 以 内 の理 事 と 3 名 以 内 の監 事 を選 出 し、理 事 相 互 間 で会 長 、副 会 長 、常 任 理 事 を選 出 するの
だが、2 年 おきの会 員 総 会 に先 だって求 める立 候 補 届 が理 事 の場 合 であれ監 事 の場 合 であれ定
員 に達 したことがなく、開 闢 以 来 立 候 補 者 が無 競 争 で理 事 ないし監 事 に選 出 されることが続 いてい
る。また、改 選 総 会 の場 では、選 出 された理 事 が会 場 の一 隅 に集 まって臨 時 理 事 会 を開 いて会 長
を互 選 し、その会 長 に副 会 長 や常 任 理 事 の人 選 を一 任 する慣 行 が以 前 から続 いている。なお次 回
定 時 総 会 に、理 事 定 員 を 40 名 から 30 名 に改 める第 6 条 第 1 項 の改 正 案 が付 議 される見 通 し
である。
時 節 の推 移 とともに、副 会 長 ・常 任 理 事 の人 選 に、会 則 第 9 条 や第 10 条 に言 う事 務 局 と経 社 委
や文 化 委 など個 別 問 題 担 当 委 員 会 の統 括 責 任 者 の人 選 を重 ね合 わせて会 長 に一 任 する 考 え方
が一 般 化 した。その成 り行 きで、会 長 、副 会 長 、常 任 理 事 で構 成 する第 9 条 第 1 項 の常 任 理 事 会
と正 副 会 長 、正 副 事 務 局 長 、各 個 別 委 員 会 正 副 委 員 長 の間 の会 合 (ディレクション・ジェネラル会
合 )とが同 一 視 されるに至 った。このような進 展 を正 当 化 するため、第 14 期 以 降 はディレクション・
ジェネラル会 合 をもって常 任 理 事 会 に読 み替 え、更 に第 21 期 からは意 思 決 定 構 造 平 坦 化 の目 的
から、理 事 ・ 監 事 会 をもって常 任 理 事 会 に読 み替 えることが行 われている 。これらの読 み替 えは毎
期 の総 会 で確 認 (議 決 )されている。
上 記 の会 合 には対 面 で行 う場 合 と集 合 e-mail のやりとりで行 う e-会 合 の場 合 とがあり、事 案 に応
じて会 長 が招 集 している。会 則 第 12 条 の理 事 会 については上 下 両 期 に複 数 回 監 事 にも出 席 して
5
貰 っての開 催 が慣 行 化 している。
注 設 立 時 ~2004 年 度 の理 事 会 記 録 は、書 類 の形 で概 ね保 管 物 の中 に、それ以 降 の記 録 はサ
イト内 に在 中 。
1999 年 4 月 23 日 の#7 総 会 における特 別 決 議 で、退 任 役 員 の知 見 の善 用 を目 的 として(平 たくは一 蓮
托 生 の期 待 を込 めて)、会 則 第 10 条 に第 3 項 を新 設 し、「会 長 は、常 任 理 事 会 の推 薦 により、役 員 を
退 任 した会 員 の名 誉 役 員 推 薦 を求 めることができる。当 該 名 誉 役 員 は、常 任 理 事 会 に出 席 し会 務 につ
いて意 見 を述 べることができる」こととした。2005 年 4 月 25 日 の#12 総 会 で、「会 長 または副 会 長 の経 験
者 を会 則 10 条 第 3 項 の名 誉 役 員 としかつ会 務 参 画 を依 頼 する場 合 、当 該 名 誉 役 員 を“参 与 ”と称 す
る」との池 上 久 雄 さんの議 長 動 議 を可 決 した。現 在 、久 米 五 郎 太 さんと綿 貫 健 治 さんがその任 にある。
事 務 局 については会 則 第 9 条 第 2 項 に加 えて、CCIFJ の当 会 担 当 との二 人 三 脚 であることそれに
事 務 室 がない事 務 局 であることが、先 験 的 前 提 である。
注 2002 年 5 月 16 日 に当 会 当 時 の Web site に掲 載 する目 的 で私 が起 草 した「事 務 局 のペー
ジに寄 せて」と題 する小 文 を巻 末 に添 付 する(付 録 3)。
監 事 監 査 については第 11 条 に簡 潔 な規 定 を置 くだけだが、設 立 以 来 15 期 にわたってパリクラブ
監 事 の任 にあった河 野 誠 之 さんが培 われた厳 正 路 線 は当 会 の最 高 伝 統 である。
情報伝達
当 会 は今 後 とも「社 屋 のないパリクラブ、事 務 室 のない事 務 局 」であることが続 こう。従 って、会 員 宛
のあるいは会 員 相 互 間 の情 報 伝 達 手 段 の整 備 は今 後 も永 く課 題 であり続 けよう。
既 往 に遡 ると 1993~2003 ごろまでの情 報 伝 達 手 段 は、専 ら郵 便 と電 話 それに fax であり、だか
らこそ頻 繁 な対 面 会 議 がやむを得 なかったのだった。2003 年 ごろ e-mail が通 用 する会 員 は 6 割
に満 たないとの記 録 がある。
2015 年 現 在 、e-mail の便 のない会 員 は 12 名 で全 体 の 4%以 下 になった。永 らく CCIFJ に頼 っ
てきた fax 一 斉 同 報 送 信 も自 前 で行 えるようになって久 し い。目 下 、必 要 に応 じ た Web Site、
e-mail、fax、郵 便 の使 い別 けが可 能 になり、e-会 議 も頻 繁 に行 われている。
社 屋 のないパリクラブにと って、会 員 名 簿 が会 員 相 互 間 の連 絡 に資 する唯 一 の手 立 てとの認 識 が
設 立 当 初 濃 厚 にあった。手 元 に現 存 する印 刷 物 としてもっとも古 い会 員 名 簿 は 1993 年 6 月 刊 行 、
もっとも新 しいのは 2008 年 6 月 刊 行 のものである。この間 2005 年 5 月 にはパリクラブ 10 周 年
記 念 版 として(株 )リヒトラブ製 のカバー(商 品 名 looper flat)をつけて会 員 に配 布 した。またこの版
から当 会 のロゴと標 語 が表 表 紙 を飾 った。
注 現 行 のロゴと標 語 は、2004 年 10 月 の理 事 会 で採 択 された。ロゴの図 案 は五 味 文 三 さんの制
作 、標 語 の原 案 者 は高 田 方 一 郎 さ んである 。製 版 は(株 )千 修 が担 当 し た 。ロゴの背 景 左 方 に
置 かれたエッフェル塔 がときとして A に見 えて、右 方 の FJ と相 まって AFJ と読 まれて在 日 フラン
ス人 協 会 (Association des Français du Japon)のそれと見 間 違 える向 きがないではなかっ
たが、今 日 そのおそれはなくなっている。
2009 年 度 以 降 は、個 人 情 報 保 護 の見 地 から名 簿 印 刷 が撤 廃 され、Web Site に氏 名 、e-mail
6
アドレス、勤 務 先 /所 属 先 名 の一 覧 リストが会 員 限 定 ページに会 員 名 簿 として掲 載 することとされて
いる。会 員 間 の連 絡 に役 に立 つ効 用 の低 下 は否 めない。少 数 とは言 え e-mail の便 がない会 員 は
疎 外 的 である。
名簿を含む会員管理データには、会長、会長代行、各委員長の座右にあって意思決定の際
に 参 照 さ れ る べ き 役 割 が あ る 。現 在 、理 事・監 事 会 メ ン バ ー 向 け に 、氏 名 、住 所 、電 話 /fax、
e-mail ア ド レ ス 、 当 年 度 の 年 会 費 払 込 状 況 を 網 羅 し た 資 料 が 、 毎 月 初 に 配 布 さ れ て い る 。
会員管理データのストック
パソコンがおしなべてスタンドアロンでインターネットに繋がっていなかったその昔は、
高 電 社 の Techno MateⅡ と い う 多 言 語 ワ ー プ ロ ソ フ ト を 使 っ て 入 会 申 込 書 デ ー タ を フ ァ
イルにインプットしてフロッピーディスクに保存した。このソフトには差込印刷機能があ
ってデータを宛名ラベルにも名簿形式にも打ち出せたし、キー1 つで日仏両言語を打ち分
け る こ と が で き た 。 2005 年 ご ろ か ら 普 及 し た Windows と イ ン タ ー ネ ッ ト に 高 電 社 ソ フ
トの利便性は両立することがなかった。
現在、メールソフト付属のカード的アドレス帳に入力した入会申込書データをエクスポー
ト ( .vcf) で Excel に ア ッ プ ロ ー ド し 、 そ れ を 名 簿 に 加 工 し 、 あ る い は 、 Word の ツ ー ル
機 能 を 使 っ て 宛 名 ラ ベ ル を 作 成 す る 手 順 を 踏 ん で い る 。 Web Site へ は Excel file か ら 転
載している。
会計
パリクラブには今後とも現預金以外の資産がなく資本金もないことが前提されよう。とす
れば資産管理に頭を悩ますことはあるまい。勘定科目の太宗は、年会費やイベント会費の
受入関係と管理費で、勘定科目と現金主義損益計算方式による仕訳原則は設立以来高い継
続性を維持している。
会 計 管 理 手 段 と し て 、 初 期 の 頃 は ロ ー タ ス 123、 次 い で Excel の 表 計 算 ソ フ ト を 使 用 し 、
年 度 末 に 貸 借 対 照 表 と 損 益 計 算 書 に と り ま と め て 年 次 総 会 で 開 示 し て い た 。 2002 年 度 に
「 弥 生 会 計 ソ フ ト 2002」を 導 入 し て 以 来 月 次 決 算 も 可 能 に な っ た 。現 在 は「 弥 生 会 計 ソ フ
ト 2014」 を 使 用 中 。
注 1
主要勘定科目の推移(円)
受入年会費
イベント費
会議費
通信運搬費
注 2
第1期
第 11 期 第 19 期
1,510,000 1,946,000 1,732,000
349,101 2,626,160 1,467,611
186,358
514,205
393,100
163,377
164,540
28,140
第 20 期
第 21 期
第 22 期
1,578,000
1,622,000 1,938,000
2,789,123
2,560,146 2,503,307
524,584 294,106
44,156 52,193
333,848
38,338
1993 年 4 月 (創 立 時 )~2005 年 3 月 末 の年 度 別 監 事 監 査 済 みパリクラブ経 理 書 類 は、
保 管 物 中 に、それ以 降 はサイト内 に在 中 。
預 金 取 引 先 と し て は 、 当 初 に 東 京 銀 行 (後 に 三 菱 東 京 銀 行 、 三 菱 東 京 UFJ 銀 行 )に 普 通 預 金
口座を次いで郵便局(後に日本郵政公社、ゆうちよ銀行)に通常貯金口座と振替口座を開
設 し て 今 日 に 至 っ て い る 。ゆ う ち よ 銀 行 の 普 通 預 金 口 と は 2005 年 2 月 に 、振 替 当 座 預 金 口
7
と は 2014 年 3 月 に 、 三 菱 東 京 FJ 銀 行 と は 2008 年 2 月 に ネ ッ ト 取 引 を 開 始 し た 。
年 会 費 払 込 履 歴 と会 員 管 理
2003 年 度 にメンバーシップ委 員 会 (小 松 原 委 員 長 )は、10 周 年 記 念 誌 P103 に見 るとおり、「・・・
調 べてみる と 、きわめて活 発 な参 加 活 動 をさ れてい る 多 数 の会 員 がある 一 方 、残 念 ながら長 期 に
わたり会 費 未 納 の休 眠 会 員 の存 在 もかなりに上 ることが分 かった。・・・・」と述 べ、当 年 度 の年 会 費
入 金 だけでなく、会 員 別 の年 会 費 払 込 履 歴 管 理 の必 要 があることを厳 然 と指 摘 された。
これを機 に、弥 生 会 計 の「受 入 年 会 費 」と会 員 名 簿 とを結 びつけた年 度 別 の受 入 年 会 費 原 簿 に毎
年 度 の入 金 データを積 み重 ねる現 行 の年 会 費 払 込 履 歴 管 理 システムを整 備 した。このシステムの
維 持 には 会 計 データ に加 えて個 別 会 員 の 人 事 情 報 を 集 中 網 羅 的 に 収 集 する 態 勢 が 不 可 欠 であ
る。
現在、上記の受入年会費原簿のデータを源泉に、毎年度、会員別・払込履歴の成績分別の
一目見分表を作成し、それをもとに各会員宛の年会費払込依頼書を作成・送付しあるいは
催促状を出すルーティンが確立している。
ガバナンス
会 則 は最 後 の第 18 条 に「年 会 費 の納 入 を怠 る会 員 は退 会 したものと見 なされることがある」との規
定 を置 くが、かねて当 会 のガバナンスがこれで足 りるとはされず、2006 年 から 2007 年 に佐 々木 信
行 さんを委 員 長 とし、横 堀 さん、高 田 さん、関 本 が委 員 となったメンバーシップ委 が現 行 のコンプライ
アンス規 程 を起 草 し、2007 年 2 月 13 日 の対 面 理 事 会 に付 議 し採 択 され即 日 施 行 の運 びとした
(付 録 1.)。だが、契 機 となったのは、06/4 ごろから「某 会 員 (当 時 )によるつきまとい等 の行 為 が脅
威 であり、パリクラブのイベントに参 加 したくても参 加 できない」との苦 情 が内 外 から多 数 かつ頻 繁 に
寄 せられたことである。某 会 員 は 2007 年 3 月 3 日 に退 会 した。この間 の経 緯 と規 程 の内 容 につ
いては 2007 年 4 月 24 日 の#14 総 会 に事 務 局 とメンバーシップ委 が共 同 報 告 を行 った。
一 方 滞 納 の動 機 は、単 なる失 念 から断 固 退 会 の意 思 を固 めた上 でのものまで、多 様 なことを考 慮
すると、現 行 の第 18 条 は非 現 実 的 といわれてもやむを得 ない。目 下 、「滞 納 」と「見 なし退 会 」の間
に「休 会 扱 い」の概 念 を導 入 して、督 促 や説 得 の余 地 を現 実 的 にし、かつ、事 情 の変 更 を待 つこと
ができるような第 18 条 改 正 案 が次 回 定 時 総 会 に付 議 される見 通 しである。またこれに合 わせてコ
ンプライアンス規 程 の改 正 案 も付 議 されよう。
番外
会 則 各 条 にまつわる思 い出 話 で 20 年 のパリクラブを駆 け足 で省 みる手 法 は、時 間 節 約 的 でよいと
思 ったのだが、結 果 としては記 憶 の単 純 で散 漫 な積 み上 げに終 始 してしまった。非 力 を痛 感 せざる
をえない。しめくくりにかつての常 任 理 事 会 会 合 に触 れて稿 を終 えたい。
手 元 の記 録 では 1994 年 4 月 12 日 正 午 ~にシーボニア・メンズクラブで開 いた(常 任 )理 事 会 が
最 も古 い。以 来 1996 年 に CCIFJ が麹 町 1 丁 目 (半 蔵 門 )から今 の六 番 町 に移 転 するまではシー
ボニア・メンズクラブで、移 転 後 は CCIFJ の会 議 室 で昼 食 を挟 んで月 例 的 に常 任 理 事 会 を開 催 し
た。昼 食 の一 部 に当 然 のように赤 ワインが提 供 された(14~5 人 で 2 本 ぐらいの消 費 量 )。まして夕
方 の会 議 はワインから始 まるのが常 だった。今 そのようなことはない。
これは、déjeuner に un ballon de rouge が付 き物 だった時 代 の滞 仏 経 験 者 が常 任 理 事 会 メ
ンバーだったことと無 縁 ではない。また、パリクラブ活 動 は職 場 を離 れた余 暇 善 用 的 あるいは気 晴 ら
8
し的 な営 為 であり、パリクラブに職 場 的 感 覚 は似 合 わないとの考 えがあったからでもある。
注 10 周 年 記 念 誌 の座 談 会 (P22)で、渡 辺 昌 俊 さんは、「パリクラブはみんながイコールで勤 め先
の上 司 といえどもここでは対 等 なのだ」と発 言 している。
常 任 理 事 会 の毎 月 開 催 は 2000 年 代 になると次 第 に難 しくなった。出 席 率 が落 ちかつ間 遠 になっ
た。CCIFJ 会 議 室 で開 いた昼 食 を挟 んでの常 任 理 事 会 は結 局 2006 年 3 月 開 催 のものが最 後 だ
ったろうか。
常 任 理 事 の全 員 がインターネットに繋 がり e-mail のやりとりで部 分 的 に対 面 会 議 並 の効 果 をあげ
ることができるようになったのは、2005 年 度 ごらからである。裏 返 せば、そのころから世 の中 が世 知
辛 くなって、昼 食 の時 間 帯 に 90 分 ほど職 場 を抜 け出 すことなど、現 実 的 でなくなり思 いつきもされ
なくなっていったと思 われる。
社 屋 なく事 務 室 のないパリクラブでインターネットや Web Site だけで会 議 の実 効 はあげられまい。
多 元 通 話 が可 能 な Skype によるヴィデオ会 議 で穴 を埋 めることが期 待 される。
個 別 イベントの変 遷 や Web site の画 面 ・機 能 の移 り変 わりなど、触 れられるべき点 がなお多 々あ
るに違 いない。より適 任 な方 の執 筆 を期 待 して筆 を置 く。
了
付録
1. 日 仏 経 済 交 流 会 会 則 +日 仏 経 済 交 流 会 コンプライアンス規 程
2. 「ParisClub の目 的 に就 いての考 察 」
3. 「事 務 局 のページに寄 せて」
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