WEEKLY REPORT - 名古屋名南ロータリークラブ

R O TA R Y C L U B O F N A G O YA M E I N A N
2 014 -2 01 5
WE E K LY R E P O RT
URL http://www.meinan-rotary.com
E-mail info@meinan-rotar y.com
名古屋 名南ロー タリー クラブ
■承 認/ 19 91 年 3 月 8 日 ■例 会日/火曜日 ・ P M 6: 3 0 ■例 会 場/名古屋マリオットア ソシア ホテル
■会 長 /吉 木 邦男 ■幹 事/児 島 徳 和 ■会 報 ・ 雑 誌 ・ 広 報 委員 長 /田子 充 浩
■事 務 局/〒45 0 - 6 0 02 名古屋市 中 村 区名 駅 1 丁目 1 番 4 号 名古屋マリオットア ソシア ホテル 2 202 号
T E L .052-5 8 6 -20 43 FA X .052-5 8 6 -205 4
2014-15 年度 国際ロータリー会長 ゲイリー C.K. ホァン
ニコボックス
第 1130 回
2015 年 3 月 31 日(火)晴 第 34 回
小嶌さん、筧さん、イニシエーションスピーチ楽
しみにしております。
◆
〜 識字率向上月間 〜
斉 唱 我等の生業
出 席 会員 55 名(出席率算入人数 47 名)
出席 44 名 出席率 93.62%
前々回補填率 88.10%(3 月 10 日分)
体験例会
ファイナンシャル アライアンス株式会社
浅井 正勝さん
ゲスト 東海東京証券株式会社 鳴海支店
堀 敦さん
副会長あいさつ
副会長 中村 勝さん
本日は会長の代理でお話させて
いただきます。
先日、救 急 車で 名古 屋 大 学 病
院へ運ばれました。「普段から健
康、健康と言っている人が何を」
と言われそうですが、寄る年波に
は勝てないというのがだんだん分
かってきました。病院へ行くと、
当然色々な検査をやっていただいたのですが、結果は
原因不明で、結局は抗生物質と止血剤でピタリと治ま
りました。「薬はよくない」と、いつも言って来まし
たが、薬は使うべき時には使うということにします。
今後、MRI等で詳しく調べていくこととなりました。
今日はイニシエーションスピーチという事で、小
嶌さんと筧さん、よろしくお願い致します。イニシ
エーションスピーチが増えてくるという事は、会員
が増えるという事ですので、是非こういう機会を
作っていただきたいと思います。
幹
事
報
告
幹事 児島 徳和さん
1. 次週4月7日は、4月度の理事会がございます。17時
より17階「楓の間」で行いますので、理事、役員
の方はよろしくお願い致します。また、例会が終
わった後に25周年準備委員会が19時半よりござい
ますので、担当の方はよろしくお願い致します。
2. 海外出張届けが出ております。鈴木清詞さん、4
月8日~14日、行き先はメキシコです。
児島 徳和さん 杉山 隆秀さん 水野 俊男さん
鈴井 一博さん 佐々木 暢さん 大橋さなえさん
犬飼りさ枝さん
大変お世話になり、有難うございました。
白坂 修二さん
◆白坂修二さん、今日で退会とのこと、残念です。
大変お世話になりました。堀敦さんご入会ありが
とうございます。よろしくお願いいたします。
新原 尚さん
◆本日、副会長あいさつをさせていただきます。
中村 勝さん
◆東日本大震災チャリティーコンサート、4月23日
開催何卆ご協力の程重ねてお願い申し上げます。
川辺 清次さん
◆社長から会長になりました。
猪村 美之さん
◆明日は自宅の増築の上棟式です。坂本 晃さん
◆
本日合計 34,000 円 累計 610,000 円
委 員 会 報 告
児島 徳和さん
有志企画の宝塚観劇ツアーの日程ですが、5月15
日金曜日に席が取れましたので、皆さまご準備をよ
ろしくお願い致します。詳細につきましては、企画
書が出来上がり次第、お渡し致します。
同 好 会 報 告
■混声合唱団
川辺 清次さん
今年も、4月23日に市民会館にて、名古屋地区の
ロータリー8チームで、東日本大震災チャリティー
コンサートを致します。入場券は1,000円で、全額あ
しなが育英会へ寄付させていただくという主旨でご
ざいます。チャリティーの箱を回しますのでよろし
くお願い致します。
退会のごあいさつ
白坂 修二さん
この度、4月1日付で人事異動をもちまして、グ
ループ会社であります宇都宮証券へ出向することに
なりました。ロータリーの活動につきましても、1
年半という短い間でしたが、色々お世話になりまし
て誠にありがとうございました。
後任の堀が同席しております。非常に明るい人間
でございますから、今後とも末永くご指導の程よろ
しくお願い致します。
体 験 例 会 紹 介
江松 央統さん
本日体験例会にお越しの方のご紹介をさせていた
だきます。ファイナンシャルアライアンス株式会
社、浅井さんです。保険会社に勤務してみえます。
浅井さんは50歳、僕とは他の勉強会で知り合って、
年齢差はかなりありますが、非常に仲の良い友人と
して付き合っていただいております。
■ファイナンシャル アライアンス株式会社
浅井 正勝さん
今日は江松社長にご紹介いただいて、お邪魔させ
ていただきます。1日楽しませていただきたいと思
いますので、皆さまよろしくお願い致します。
アンチエイジングエクササイズ
中村 勝さん
イニシエーションスピーチ
小嶌 招啓さん
皆さま、こんばんは。今年1月20
日に入会させていただきました、
小嶌招啓と申します。ご覧の通り
少々歳を取っておりまして、平均
年齢を上げておりますが、昨年11
月で74歳になりました。この頃は、
色々な会で、逆に読んで47歳だと
冗談を言ったりしております。
入会式の時も少しお話申し上げましたが、生まれ
も育ちも今も住んでいる緑区鳴海です。昭和15年11
月生まれ、5人兄弟の長男でございます。戦中戦後
の物の無い時代に育ちましたが、何とか生きて来れ
ました。これも、おふくろの在所が百姓だったお陰
が随分あったという風に今は思っております。
昭和34年に伊勢湾台風があり、その年に日本セメ
ントという会社に入りました。今は太平洋セメント
という名前になっております。名古屋出張所があり
まして、そこは10名足らずの会社でしたが、入社し
ましていきなり伊勢湾台風に遭いました。社宅が南
区の豊田本町、要町、道徳の辺に点在しておりまし
た関係で、社宅に住む社員は全員その被害に合い、
命だけは助かったという形でした。私は鳴海におり
ましたので、風は強かったのですが、家は大丈夫
で、私だけが助かったような状況でございましたの
で、新入社員で月日が経っていないような状態でし
たが、何もかもやらなければならないような状況が
起きました。
当時、岡崎の東洋レーヨンの最盛期で工場の建
設、或いは、愛知用水の関係もございました。伊勢
神トンネルや黒四ダムもあった気がします。何し
ろ、色々な貨車やトラックの手配等に奔走させられ
まして、毎月100時間を超える残業をしており、今
にして思えば、よく体が持ったと思っております。
そんな状況が暫く続き、昭和36年に名古屋支店に
昇格し、昭和42年2月に東京の本社勤務を命ぜられ
まして、井の頭線の三鷹台、西武池袋線の東久留米
辺りの独身寮を転々としました。そして、昭和44年
に、名古屋市緑区の鳴海製陶に勤めておりました女
性ですが、私が当時合唱をやっておりました縁で結
婚する事になりまして、昭和45年に長男が生まれま
して、横浜に大きな一軒家の社宅をもらいました。
桜もよく咲いたのですが、毛虫が沢山ついて、そ
れを駆除するのに相当苦労した事を今思い出してお
ります。昭和41年に父親が亡くなり、父親がやって
いた社会保険労務士の仕事を妹が継いでいたのです
が、その妹が結婚する事になりまして、昭和45年8
月頃に一大決心をした訳ですが、私自身は非常に迷
いました。会社に対しては終始一貫して辞めますと
言う状況を説明して、3ヶ月くらい引き留められま
したが、決意が堅いという事で許しが出まして、昭
和45年10月に帰って参りました。
資格が無い状態で帰ってきましたので、それから
勉強しなければなりませんでした。父が死亡した当
時は社労士という資格はまだありませんで、行政書
士の資格でその仕事をやっており、妹はその資格を
持っておりました。昭和43年に社労士の資格ができ
ていたので、私が帰って来た時には、社労士に受か
らなければ話にならないという事がありました。そ
れからそれなりの勉強を致しまして、行政書士はす
ぐ受かりました。社労士試験は3年かかりました。
昭和48年にやっと受かり、これで妹に頼る事はなく
なったという状況でございます。
息子が大学を卒業してすぐ、家の仕事を継いで良
いかと言われた時は嬉しかったです。試験にも受か
りまして、3代目を継いでくれる状況になりました。
当時の顧問先は60社程度でしたが、その頃の顧問先
を今も引き続いてやらせていただいております。
私共の事務所の体制でございますが、ピラミッド
に例えて言いますと、頂点の方には人事コンサル
というのを位置付けしております。その下に労使
紛争。また、労使紛争と平行して、難解な調査対応
をするという事で、非常に困ってしまってどうした
らよいか分からないものを敢えてお受けするという
事で、弁護士さんとのタイアップが当然出て参り
ます。その下に位置付けておりますのが、日常的に
やっております労務相談でございます。その下は就
業規則の関係、契約書の関係、諸規定の関係でござ
います。その下に諸手続きも当然やります、それか
ら従業員の皆さまの給与計算もやらせていただいて
おります。税理士さんとのタイアップもその中で出
て参ります。ですから、弁護士さん、税理士さん、
公認会計士の方から相当ご紹介をいただいて、対応
をさせていただいております。
それからこの頃はマイナンバーの問題がございま
して、それが今後大きな問題になるとの認識で、既
に対応を迫られており、電子申請を含めて対応する
つもりであります。従来は、諸手続きから給与計算、
相談業務という事でございましたが、この頃は逆で
ございまして、相談が先に来て、その後にそれでは
ここも頼むという形になっております。我々の仕事の
やり方も相当変わって来たという風に思います。
相談に乗る時の私共の考え方は、経営者の側に
立ってものを考える、経営者の気持ちを分かった上
で労使協調を目指すという事を心がけております。
基本方針としましては、仕事を通じて一人前の社
会人として成長しなさい、お客様(事業主)の為に
全力を尽くしなさい、誠心誠意仕事をしなさい、経
営者側に立って労使協調をする。迷った時はここに
立ち返って考えるように口を酸っぱくして言ってお
ります。息子もそれを継承してくれていると思いま
す。この頃は息子の嫁さんが資格を取ってくれて、
3人の資格者がおります。職員も今挑戦しており、
私を含み8名で事務所を経営しております。
私の社労士会の役員歴ですが、昭和54年に理事に
なりました。現在もまだ理事でございまして、私は
全国で2番目に長い役員歴でございます。それから
連合会の理事を3期、監査役を1期、合計8年連合会
に出ておりました。また、政治連盟の中部7県の会
長と全国副会長をやっております。それから今は、
成年後見に取組むようになりまして、27年度から担
当しております。
地域に於いては、30代半ばでございましたが、地
域の青少年育成協議会の会長、小中学校のPTA会
長、成人教育部長をする中で松原前市長と知り合い
になり今もゴルフ等でお付き合いをさせていただい
ております。その後、警察の少年補導委員もやり、
最終的に保護司もやりまして、就職や生活保護の世
話をさせていただきました。その辺は30代~40代半
ばで経験させていただきました。取り止めもない話
になりましたが、皆さま、ご清聴ありがとうござい
ました。
筧 惠理さん
ロータリーでは人材派遣業と
なっておりますが、実際は人材ビ
ジネスで、正社員、パートの紹介
やメンタルヘルス研修・管理職研
修や、メンタル不調の方が非常に
多いので、カウンセリングの仕事
です。今社員が5名と私の6名で
行っております。まだ会社を立ち
上げて1年半ちょっとで、本当に一からという所で
す。ただ、社員の2名が20年来一緒にしてきたメン
バーで、あと2名が10年、と、もう1人という事で、
長く一緒にやっているメンバーです。
元々人材ビジネスをやりたかった訳ではなく、最
初は英語をキーワードに仕事をしてきていまして、
高校を卒業してアメリカの大学に留学、帰国後、子
供に英語を少し教えていました。子供に教えるの
は後でもできるだろうという事で、ツアーコンダク
ターの添乗員の仕事を選びました。親の反対はそっ
ちのけでそのまま東京に飛び出しましたので、一時
期勘当されていました。20代は1年間に160日位は
海外に出ておりました。長いと22日間ヨーロッパに
行って、3日間日本に居て、また18日間ヨーロッパに
行くというような日々を過ごしていました。変わった
所だと、イスラエルやヨルダンも行っていました。
ただ、添乗員を辞めて今の仕事になってからは、全
然海外に行かなくなり、何とヨーロッパに至っては
ユーロを使った事が無い所まで陥っております。
添乗員をしましてから、添乗員の派遣会社から名
古屋営業所を開かないかと言われて、そのまま30歳
位の時に営業も何もやった事のない私が、営業所を
作って5年程やりました。添乗員も100人位になって
順調にいったのですが、一番軌道に乗っていた時に
スッパリ辞めて、ブラジルに行ってしまいました。
帰ってきてから、同じ会社から今度大阪で旅行業
界に事務派遣をする事業部を立ち上げないかと言わ
れ、それでまた立ち上げに携わりました。大阪で事
務派遣をやって、名古屋に1人で戻ってきまして、
40歳の時にキムラユニティという会社の子会社で、
ちょうど人材派遣をやると言う事でしたので、そこ
で立ち上げのメンバーとして行いました。派遣も
500人位になり、これからだという時に、リーマン
ショックが来まして大変な目にあいました。営業部
長をやっていたのですが、新しく来た社長ともあま
り合わず、結局辞めてしまいました。
そこから介護業界で人事関係の仕事をやっていた
のですが、50歳になるという所で、どうやって生き
ていこうかなと思った所に、或る方を通じて出合っ
たのが今の会社の親会社の会長でした。会って2~3
回目に、「会社作るか」と軽く言われ、そこで私も
代表になるとは思ってなかったのですが、あれよあ
れよと結局経営者という道に突っ込んでしまいまし
た。私の人生で本当に経営をするという事を考えた
事は一度も無かったのですが、人との出会いでこう
いう風になって来たと思います。
去年、私の知り合いの方がやっていた、成功実現
プログラムというセミナーに6ヶ月入りました。会
社を潰してはいけないので、自分を変えなければと
思ってやっていたのですが、結構厳しいセミナーで
した。その最後に、卒業の約束というテーマで作っ
たビデオを、今日持って参りました。これを見ても
らうと、こういう人生を歩んできたのかと分かって
いただけるような内容ですし、まだまだ夢には到
達していませんが、こういう事をやりたいのだなと
思っていただけるようなものです。
結構しんどい人生を送ってきて、事あるごとに人
のせいにしてきたのですが、これを作るにあたり、
右か左かの選択をする時に、敢えてしんどい道を自
分で選んで来たのだと思い、そこで自分を認める事
ができて、心が軽くなった気がします。ご清聴あり
がとうございました。
第 1131 回例会(4 月 7 日)のご案内
米山奨学生卓話