ASEAN 街角事情 第三回 建国50周年を迎えたシンガポールの様々な風景 常陽銀行 シンガポール駐在員事務所 1.はじめに 東南アジアは、シンガポール、インドネシア、ベトナム、ミャンマーなど11カ国から構成されています。 このため、ひと口に東南アジアといっても、国によって民族や宗教、経済力は異なり、生活水準も実に 様々です。 その中でも異彩を放つのは、急速な経済発展を遂げ、国民1人当たりのGDPが世界第9位(2014年) のシンガポールではな いでしょうか。 シンガポールは、東 京23区と同程度の大き さですが、国民1人当 た り のGDP(2014年 ) は約56,000USドルと、 約36,000USドルの日本 を遥かに越えています。 2015年に建国50年を 迎えたばかりの若い国 であるシンガポール。 今 回 のASEAN街 角 事 情は、シンガポール各 地の特徴のある風景を 【シンガポールの象徴マーライオンとマリーナ・ベイ・サンズ】 ご紹介します。 2.住宅群が立ち並ぶ風景 シンガポールを高所から眺めると、HDB(Housing & Development Board)やコンドミニアムが立ち 並ぶ姿や、その建設が進められている様子を、至るところで見ることができます。 HDBとは、シンガポール国民のための公営住宅です。コンドミニアムは、一般的に、セキュリティ(警 備員)やプールなどのファシリティが整備された、外国人就労者向けのマンションなどを指します。 「シンガポール建国の父」と呼ばれるリー・クアンユー(李光耀)氏は、小さな国土で天然資源の無い 国が生き抜くため、海外投資を精力的に呼び込むとともに、経済発展に不可欠な国内情勢を安定させる ため、国民向けのHDBの建設を積極的に進めました。 ’ 16.2 50 コンドミニアムやHDBの整備進展は、国 民生活に豊かな住環境をもたらすとともに、 現在ではHDBなどの住宅群が、シンガポー ルの特徴ある風景の一つとなっています。 3.多様な民族・文化が集まる街の風景 多民族国家シンガポールでは、リトル・ インディア、チャイナ・タウン、ブギス(ブ ギスはインドネシアのブギス人を指す)な ど、民族色豊かで特徴的な街並みが広がっ 【巨大な HDB】 ています。 こうした地名は、東インド会社統治時代 に民族間の紛争を避けるため、民族ごとの統治が行われた名残と言われています。 ここでは、そのうちのいくつかの街をご紹介します。 ⑴ リトル・インディア 「リトル・インディア」は、インド人が 多く集まる街です。大通りに面したヒン ズー教のスリ・ヴィラマカリアマン寺院は、 週末になるとインド人礼拝者で大変混雑し ます。初めて街を訪れた人は、インド人の 多さに驚きます。 「 リ ト ル・ イ ン デ ィ ア 」 の ホ ー カ ー ズ (Hawkers:屋台街)には、安くて美味しい インド料理の店が数多くあります。また、 【リトル・インディアの様子】 インドの民族衣装サリーやヒンズー教の仏 像など、色とりどりの商品が店内に所狭し と並べられています。 ⑵ チャイナ・タウン 商業の中心地ラッフルズ・プレイスを西 に1キロ程行くと、 「チャイナ・タウン」 があります。その名の通り中華料理店が多 く、ストリートにはお土産屋が軒を並べて いるので、平日も欧米人の観光客などで混 み合っています。 「チャイナ・タウン」で目を惹くのが、 【新加坡佛牙寺龍牙院】 巨大な仏教寺院「新加坡佛牙寺龍牙院(シ ’ 16.2 51 ンガポール仏牙寺龍華院)」です。院内には、金色に輝く無数の仏像が安置されており、無料で参拝する ことができます。 ⑶ ラッキープラザ 高級ブランド店が多数集まる観光地オー チャードの一角には、「ラッキープラザ」 と呼ばれるビルがあります。両替店や電気 雑貨などのお店が集まる商業ビルで、フィ リピン人が多く集まるところです。 ところで、シンガポールでは、20万人を 越えるメイドが働いていると言われていま す。メイドが多い理由は、子育てや介護と いった女性の負担を軽減し、女性の就業を 【ラッキープラザ前】 支援するため、政府がメイド雇用を奨励す るようになったためです。 メイドの大半が、フィリピン人やインド ネシア人などの外国人です。雇用者には、 メイドに月に最低1日の休日を与える義務 があり、日曜日になるとメイドさんと思し き人達が「ラッキープラザ」に集まり、食 事をしたり、日陰で談笑したりしている姿 をよく見かけます。 4.交易・金融・観光都市の風景 シンガポールは、東インド会社の統治以 【シンガポール港の様子】 前から、交易都市として栄えた都市です。 島の南西に広がる港湾群は、世界第二位の 規模を有し、24時間・365日無休で運営さ れています。 シンガポール港では、広大な敷地に埋め 尽くされたコンテナと何本も立ち並ぶク レーン群を見ることができ、シンガポール 発展を象徴する風景の一つとなっています。 一方、シンガポール政府は、1960年台か ら市場開放を進め、1980年代半ばには、多 くの外国金融機関が拠点を開設し、シェン トンウェイには金融ビル群が形成されてい 【シェントンウェイの金融ビル群】 ます。 ’ 16.2 52 シンガポールは、国内の市場規模こそ小さ いものの、EUよりも大きいASEAN域内6億 人の市場のハブとして機能しており、地理的 優位性や政府の税制優遇策、金融市場インフ ラの整備なども相まって、アジア随一で世界 有数の国際金融都市に位置付けられています。 また、シンガポールは、2013年の年間観光 客数が1,500万人強、観光収入2兆円弱の世界 的な観光立国です。 シンガポール政府は、観光客に対し第一印 【イースト・コースト・パークウェイの並木道】 象を大切にした街づくりを進め、再びシンガ ポールを訪れてもらうことを重視しています。 その象徴が、チャンギ国際空港を出て、市中心部へ向かう道路(イースト・コースト・パークウェイ) の両側に続く、緑の並木です。 木々の間から垣間見える、青い海と空を眺めながらのドライブは、とても壮快です。イーストコース トの並木道は、シンガポールを訪れたばかりの観光客に、ここが自然環境に恵まれ、かつ整備された都 市であることを強く印象づけます。 5.おわりに シンガポールは、今でこそ「世界屈指の金融センター」、「東南アジアのハブ」、「世界一富裕層の割合 が高い国」、「観光立国」と言われていますが、そこに至るまでの過程は苦難に満ちたものでした。 1965年8月9日のマレーシア連邦からの独立は、それまで水や食料などをマレーシアに依存していた シンガポールにとって、大きな不安を抱えての出発でした。当時、独立を国民に伝えるテレビ演説で、 リー・クアンユー氏は、涙を流したのでした。 しかし、その後、シンガポールが小さな国土を最大限に活用し、今日の繁栄を築いたことは、皆さん もご承知の通りです。リー・クアンユー氏は、建国50年の節目であった2015年3月に死去しましたが、 父の後を継いだリー・シェンロン(李顯龍)首相は、8月の独立記念集会で、 「この先の50年もシンガポー ルはシンガポールであり続ける」と力強く演説しました。 シンガポールを何度か訪れた方も、そうした過程を思いながらこの街を歩いてみると、今までと違っ た風景が見えてくるかも知れません。 ’ 16.2 53
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