星を売る街 八雲辰毘古 おやじ 「星、要らんかね?」 と を獲ってるんだぜ。」 らこう呼ぶのだ。 「うむ。」 「だって、あの星をですよ?」 仁さんは言った。 「何、星を獲るだって?」 そう親 とんきょう 狂な声で尋ねた。 親仁さん、と言ってもぼくにとっては見知らぬ人だ。 ぼくは思わず頓 唯この街のみんなが親仁さんと呼ぶのを真似しているか 「うむ、そうだ。」 「星、要らんかね?」 「獲れるんですか?」 ぼくは眉をひそめた。 う さ ん くさ 「なんだか胡散臭いなあ。ひょっとして、この売り物だっ 「そうなのだ。 」 青に近い星まで理科の教科書で見たような色が勢揃い て、万華鏡みたく作り物じゃあありませんか?」 親仁さんはもう一度、言った。 のぞ き込んだ。黒い ぼくは歩み寄ってその出店の品々を覗 幕を敷いた上に、赤い星から黄色い星、白い星、そして だった。そして、そのどれもが、ピカピカと輝いていて、 「とんでもない!」 みは あっという間にぼくは魅せられてしまった。 って、真剣に否定した。 親仁さんは目を瞠 ちょっと 「でも、一寸信じがたいですよ。ぼくは信じられるもの にしかお金を払いたくないな。」 かんたん 「わぁ、すごい……」 歎の声を上げる。商品が陳列された台は、さながら 感 一つの小さな宇宙だった。 子供のようだった。 親 仁 さ ん は 渋 い 顔 を し て 俯 き、 う ー ん と 丸 二 三 分 は うな 唸 っ て い た。 ま る で 夏 休 み の 宿 題 の 山 を 眼 の 前 に し た 「つまりこの街にゃ星はないのさ。」 「と、云うと?」 んだ。」 親仁さんの笑う声が聞こえる。 「ハ、ハ、ハ、駄目だよ。俺ぁこの街の星を売っている た。 りたくったような空が、静かに広がっているだけであっ 空を仰ぐと、果たして星は無かった。唯真っ黒な漆を塗 を 斫 る よ う な 音 が し た の で 見 上 げ る と、 キィン、と空 どん ぐり 団 栗 を 横 に 寝 か せ た よ う な 形 を し た 大 き な 飛 行 船 が、 ために夜でも昼間のように明るい。 て暗くは見えない。むしろ、街灯や、高い建物の灯りの 通りに列んでいるお土産などを売る出店の御蔭か、決し 街灯の光りを受けて、赤青黄色……と様々な色のおは きら じきを敷き詰めた道路が、カラフルに燦めきながらぼく ぼくはその間に振り返って、街の景観を見てみる。 わず 「星がないとはとても淋しい街だね。」 ゆっくりと街の上空を過ぎっていた。その雄大な光景に、 うつむ ぼくは故郷の星空を憶い出してしまった。天に砂金が 散りばめられたようにチラチラと輝く星空は、ここでも おも 観られるのだろうかと纔かばかり期待してふとこの街の 「そうは言っても、それしか売るものがねえ。作物は育 ぼくは一寸見惚れてしまった。あたかもクジラが空を飛 うるし たねえし、川には魚もいねえ。近くに鉱山も無けりゃ、 んでいるのを見た気分だった。 なら み と くう き よ みやげ おかげ の眼の前を横切っている。往来には人通りは多くないが、 これと云って売れそうなもんがねえ。だから仕方なく星 1 かす まう。どうしても、それだけだと、ジグソーパズルのピー ちゃな穴みたいな光が幽かに見えるくらいだった。本当 スを一つ一つもらっているかのようなもどかしさだけが 差し指と中指で挟んで、口から離す。そして、機関車の い。テレビも新聞もあったし、一度行った人から話を聞 あったのだ。 ように、プォーっと紫煙を吐き出す。毒々しい煙りだっ 「そうだ!」 親仁さんのこの一言で、ぼくはハッと我に返った。 「よし坊主、俺と一緒に来なよ。星が本当に獲れること かれる それで、実際にこの街に来た感想はどうかと訊 と、分からない。分からないのがこの街なのだ。道を歩 んでいるのを見てると、一寸ドキッとする。けれども、 らないが、その背の高さや、深い森のようにズラリと列 ころが無い。夜の街を彩る石の建物も、ぱっと見はつま ないこと、これが大事なのだ。天の光ではなく、足元の わけではないのだから。むしろ下だ。足元の光を見逃さ いていた。それも当然だった。上を向いても何も見える 飛行船乗り場までの道のりで、ぼくは、俯きがちに歩 いている人たちを横目で見ていた。彼らはずっと下を向 た ときからあった違和感の正式名称なのだろうか。莨を人 たば こ そう、この街はどこか淋しかった。みんなが余りにも 一所懸命だったからなのか、それとも、機関車を降りた 淋しいな、と改めて思った。 を見せてやろう。その代わり、星が本物だと分かったな けば肌の色でさえ黄色、白、黒、茶色……と様々な人が たが、それすらもこの街には似合ってると感じた。 に穴だったかも知れない。 ら、ちゃんと御代を払ってお呉れよ?」 通りすぎる。人たちは川の上流のようにスルスルと 勢 ふと懐中時計を開く。機関車でこの街に着いてから四 時間。約束の時間までは、あと一時間あった。そろそろ いたことがあったけれども、常に物足りなさを感じてし 親仁さんは大真面目だった。 もと よりぼくは余り信じてなかったが、仮にそうであっ 素 たとしても、そうでなかったとしても、帰り際に面白い 良く流れている。周りの建物には、ピカピカと光る看板 ここを発ってもいいかな、とぼくは恐る恐る考えた。 お土産話くらいは出来るのではないかなと思い、 やら飾りなどが激しく自己主張をしている。こんな大き を燻らせる。 大きな石の建物の、屋上で莨 『閉店までにはまだ時間があるし、 俺は準備して来なきゃ 全部を受け止めようとすると、身体が持たないだろうな おはじきの輝きや、街角の看板の方が、この街の人たち き 「よし、その話乗った。 」 な街に初めて来たのだから、全身を耳にして彼らの光を いかんから、三時間くらい待ってろな。 』 あと直感していた。何せすれ違う人のほとんどが俯いて には明るく煌めいているように見えるのだ。 いきおい ぼくは一寸不思議な冒険をすることになる。 こうして、 あのあと、そう親仁さんは言ったので、ぼくはゆっく うなず り肯いてその場をあとにした。行くべき場所は、飛行船 いたのだ。風に飛ばされる小さな砂の粒のように、ピュー たばこ くゆ 乗り場であるが、持て余した時間がある。そこで、ぼく ピュー行き交って、何の悪気もなく目に入って痛い思い カラフルなおはじきを敷き詰めた道路とか、高く高くそ それを愉しみたいだけだった。例えば、 あの店のあった、 天の河のようにキラキラと輝いているんだから。さっき 者こうして高いところから街中を見渡して それに、今 いると、ぼくは、本当は何もかもが逆立ちしている街に に来て呉れたね。こんなどでかい石の建物がたくさんあ な天幕が張ってあるかのような空があって、見下ろせば、 『遠いところから、よくもまあこんな、何もないところ 来たのではないかと感じる。何せ、見上げれば、真っ黒 るのを観て何が面白いんだ? きっと、カネが無駄に有 り余ってるからこんな酔狂な遊びを思いつくんだよ。な 『ええ、そうですが。……』 のを憶い出す。 よど うつむ はチェックインを済ませた宿に戻ってゴロゴロしていて 『あんた、旅人だろう?』 受け止めようとしたくなる。したくなるほど、飽きると も良かったのだろうが、それはしなかった。折角来たの を味合わせる。人の興味を誘う割りには、この街には優 びえたつ石の建物とか。はたまた、飛行船の飛んでいる は疑っていたが、ぼくはもう親仁さんの言ったことを信 きら だから、この街を散策したかったのだ。 しさがないなと思えた。 んだいけす ぼくがこの街に来たばかりのとき、目の澱 じい にら かない顔つきをしたお爺さんが、睨みながらこう言った ところも良かったのかも知れない。とにかく、何でも好 じかけていた。ぼくは頑張って天に光を見出そうとする い ま いのだ。旅人であるぼくにとっては、この街の、大きい らよ、お遊びじゃなくて、人助けに使って欲しいよな。』 と、云っても、それほど見たいものがあるわけでもな かった。 歩いていれば必ず不思議なものにぶつかるので、 のに小さなところがとても気に入ってしまったのだ。そ けれども、せいぜい、お古のテントにありがちな、ちっ く してそれは、実際に歩いて、この眼で見ないと分からな 2 『人助けって、ぼくはそんなたいそうなことは』 思わない。そもそも、周りが明るすぎて、空のほんの纔 街だと思った。疲れたら下を向く。もう上を見ようとは 「まあ本当は一人用なんだが、頑張って二人は乗れるだ ものがあったのに気が付いた。 「おうい、坊主! こっちだこっち!」 坊主が後ろ。」 飛行船乗り場では、親仁さんがちゃんと待っていた。 「はあ……」 大きな声を出して、ぼくを呼んでいる。 わず 『なに猿にもできることだ。余ってるものでもいいから、 ろう。そのためにちょっくらいじった。」 かな光にすら気が付けない。 「これ、どうやって乗るんですか?」 ぼくは一寸周りの人たちの白々しい視線が気になった が、苦笑いで誤魔化した。 親仁さんが何かの装置を動かす。すると、両傍の翅が 高速で羽ばたいて、機体が浮いた。まるでシャボン玉の やっぱりこの街は淋しいな、と思った。 い底のような眼をして、次のように言い出したのだ。 透き通るようなガラスで覆われた、大きいかまぼこの ような形をしたこの乗り場には、本当に鯨が打ち上げら ように、ふわふわと浮いた。 「 簡 単 さ。 馬 に 乗 る よ う に、 乗 れ ば い い の さ。 俺 が 前。 『お前さん、ここに住もうと思ったことあるかね? な いじゃろ。ここにはお前さんが思ってるようなものは何 れているかのように、飛行船が何台が寝そべっていた。 儂に譲って呉れればいい。 』 『そ、そんなものはありませんよ。 』 さわ ひとつないぞ。有るのは石、石、石! それだけだ。そ れをお前さんたちはありがたがって写真に撮ったり、好 ぼくは、その傍を通り、親仁さんのところへたどり着い るような物言いだったと思 ぼくはあのとき少し気に障 う。だけど、邪険に物を言われて、聖人君子でいられる き 勝 手 な 感 想 だ け 云 っ て 帰 っ ち ま う。 一 文 の 得 に も な ほど好い人にはなれなかった。そのとき、老人は闇の深 りゃしねえ。無責任なのさ。もちろん、多少の小銭を落 た。 言いたいだけ言ったと思ったら、そのお爺さんは通り の角を曲がって消えてしまっていた。 もううんざりだ。……』 「おお、そうとも。」 「そんなにですか。」 できるなら他言無用で願いたいね。」 いるけど、本当は、これは企業秘密ってやつだからな。 くには、周りの薄暗さが身に堪えて、下を向いた。 くは、本当なら喜ぶべきだったのだろう。だけれど、ぼ 何故って、飛べば飛ぶほど、空は暗くなるんだから。ぼ 親仁さんに連れられて旅立った夜空は、飛んでいると 云うより、深い海の底に沈んでいるような感触がした。 「いいか、そら行くぞ!」 スラと装着していた。ぼくもそれを見ながら、着けた。 言われた通りにした。鞍には革のベルトみたいなのが あって、親仁さんは「シートベルトさ」と言って、スラ として行って呉れるだけ、まだマシだけどよ。ひでえと 不 思 議 な こ と に 静 か だ っ た。 翅 の 音 は 一 切 聞 こ え な かったのだ。 まったく、どちらが無責任だか、わかりゃしない。 親仁さんは少しもふざけた容子もなく、言った。 「……で、ぼくたちはどうやって行くんですか?」 きは、ゴミしか残さないのよ、お前さんたち旅人には、 「いやあ、来ないかと思ったぞ。冷やかし連はたくさん と は 言 っ て も、 こ の お 爺 さ ん の 言 葉 が 心 に 刺 さ ら な かったわけではない。機関車を降りて、三十分も経たな そう言われて、ぼくはお爺さんを憶い出した。すると、 もう下の景色を愉しむ心は死んでしまった。あるのは、 「綺麗だろう? だけど、下ばかり向いていると、上の 星が見えなくなるぜ。」 ぼくは感動の声を上げた。 親仁さんが笑う。 た。 そのとき、ぼくは地上に輝ける銀河を見た。まるで井 戸の底から満天の星空を見上げているような気分だっ こた いうちにこう言われては、ぼくの楽しみにしていた旅行 ぼくがここで、敢えて「星を獲る」と言わなかったの は、親仁さんへの配慮の積りだった。それは間違いじゃ な か っ た の だ け れ ど、 御 蔭 で な ん だ か 話 が ぎ こ ち な く ようす プランも台無しであった。 なってしまった気がした。 よぞら この街は綺麗だ。夜も明るく、誰でも簡単に受け容れ て呉れる、懐の広い大きな街だ。 だけど、 同時に、 街の夜が明るいのに対して夜天は空っ 「おお……それはな、あれだ。あの小型艇で行くんだ。」 はね ぽだし、この街は広すぎて、ぼくは落ち着けなかった。 の生えたイルカか、或い 親仁さんが指差したのは、翅 はトビウオのように観える小さな飛空艇だった。ぼくた あたり いつも慌ただしく歩き回って、いつもキョロキョロ四辺 ちはそこへ歩いて行ったが、近くで見ると、鞍のような くら を見回して、いつの間にかすっかり疲れている。そんな 3 まぶ 唯眩しいだけの、淋しい街だった。 親仁さんはそう言った。 上を観る。下の灯りにすっかり目をやられていたが、 「さあ着いたぞ。」 幽かに光る星が見えた。 ぼくはその星の一つを指差した。 「あれを獲るんですか?」 は、それほど遠くにはなく、直ぐに着いた。 て、手で取ればいい。熟れたトマトを採るように獲れば 「やり方は簡単さ。一寸立たないと行けないけれど、立っ いいのさ。」 ま る で ブ ル ー ベ リ ー を 摘 む か の よ う に、 ひ ょ い と 星 を 考えていると、親仁さんは、ベルトを外して、急に立 ち上がった。そして、ちょいと背伸びしたと思ったら、 にした。 機体は寸分もぶれなかった。ぼくは、先ず上を観ること ぼくはふと見上げる。星はまだ小さく見えた。いった い、あれをどうやって獲るんだろうか? 「どれだかよく分からねえよ。それか?」 ぼくは聞いた通り、見た通りにそれをした。先ず、立 つ。この街の、遥か上空に立つのはゾッとしたけれども、 「それじゃないです、あれだって言ってるじゃないです 獲ってみせた。 「んあ? どれだ?」 「あれですよ、あれ。 」 か、あれ。 」 あぜん 「さっきから指示語ばかりでさっぱり分からねえ! い 星が、見えた。 鈍く光っていた。 少し手を伸ばせば、届きそうな、そんな位置に用意さ れていた。 「愕いたかい?」 「ああ、ダメなんだ。星は、俺らが高く行けば行くほど、 おどろ ぼくは唖然とした。 「えっ、……」 いさ、着いたら分かる。 」 親仁さんはしたり顔だった。 ちがい 「は、はったりだ。手品に相違ないさ!」 俺らから離れて行ってしまうんだ。だから、この距離が た。あれ、とか、それ、とか言っても、その言葉が対手 「これは一寸した冒険なのさ。星が欲しかったら、背伸 「もう少し、高くできないかな、ぼくらの位置。」 親仁さんは、今度は寛いだ顔で、悩むふりをしていた。 一番近いのさ。これでもな。」 そして、悪戯っぽい顔で、ぼくの顔を覗き込んだ。 「で、でも」 「ふむ。」 「旅人さんよお、」 星にたどり着くまでには、まだまだ時間があった。し かし、 それまでに、 もはや言葉が交わされることがなかっ に伝わらないのがよく分かったからだ。 「ならよ、坊主もやってみるか?」 このとき、親仁さんは初めてぼくのことを「坊主」で はない呼び方をした。 あいて 思えば、ぼくが憧れた星は、多くても少なくても、ど こにあるのかちゃんと他人に伝えられたことがあるのだ 「えっ!」 思わず声が出た。 「滅多にないぞ、こんな機会。坊主が初めてかもな!」 くつろ ろうか? 星の居場所を説明するための言葉が、ぼくた ちの言語の中には足りなかった。あれこれ言う。伝わら ない。伝わらなくても、対手は考えて、あー、あの妙に 明るいやつ? と訊く。でもその明るいやつが何処にあ るのかは分からない。星はみんな明るい。どれが、とな ると指差すのが早い。指差しても、 その先にあるものが、 でもぼくはそのとき、何も考えていなかった。唯、いち 「さあ、やるのか、やらないのか。どっちなんだ。」 びをする。それだけのことなのさ。それすらできない人 ぼくは生つばを飲み込んだ。 間には、星を得る資格なんてない。分かりやすいだろ?」 だが、少し考えてみれば分かる筈だった。親仁さんは もと 固より、こういう商売をしていたのではなかろうか、と。 「そ、そんな……」 ご狩りに来た小学生のように、何の不安も覚えずに、星 ぼくは迷った。足元がこれほど心もとなく見えたこと は一度もなかった。 誰に分かるのかな? 指差すには、星の光は余りにも遠 すぎた。 を凝視めていたのだった。 み つ ぼくの指差した星が、親仁さんには別のものだったり したとき。 それでも、 「よし! なら善は急げだ!」 親仁さんは喜びの表情で、飛空艇を動かした。次の星 それでもなんとかあの星が欲しかった。手に届くかも しれない距離。そこまで近付けられて、欲しいと思わな そして、ぼくは黙って頷いた。 そんなとき、ぼくはどうすればいいのだろうか? 親仁さんの目指す星が、ぼくの気になる星と違ったと き。 4 い人がどこにいるんだろうか? 大抵の人は、星空を見 上げて、溜め息を吐く。何故なら、届かないからだ。あ の、太陽とは違って、綺麗なのに冷たいあの光は、決し て人の心を温めてくれない。何故なら、暖かさが伝わら ないほどに遠く離れているからだ。 落下するのは速かった。 ゆうよ とすると、これはぼくの妄想で、死ぬ前の一寸した猶予 だったのかも知れない、と思った。 視界は暗く、狭かった。 唯揺れているな、と感じた。 頼りもなく落 た よ ふわりと空気に抱かれる一瞬。あとは手 ちて、堕ちて、墜ちて行く。 「大 止まったと思うと、親仁さんがぼくの肩を叩いて、 丈夫か?」と訊いて来た。ぼくはそれに答えようとした とめどなく落ちて行く! 触れるものなら何でも良いと思った。が、飛空艇を過 ぎたぼくの身体は、もう、何にも触れることがなかった。 が、口を突いて出たのは笑いだった。 手足をひたすらばたつかせる。しかし落ちて行く。 わず 嗟呼、ぼくは流れ星になるんだな、とほんの纔かばか り思った。憶い出が早送りのビデオテープのように、脳 ずっと、笑いが止まらない。 あお ざ 褪めた顔でこちらを見ている。でも、 親 仁 さ ん が、 蒼 ぼくはもうそんなことはどうでも良かった。ぼくは、よ だ、身体が安定しない。フラフラと歩こうとする。 内股に、震えながら二本の脚で身体を支えてみる。ダメ どうしてだろう? 笑いが止まらないや。 裡を過ぎった。 ろけながら、飛行船乗り場から出ようとした。そして、 声を上げたかった。しかし、声が出なかった。恐怖が の ど 咽喉の奥でつっかえていたのだった。 お金があって、好きなところへ旅に出て、でも、そのお 死。 その一言が、ぼくに語り掛けてきた。赤でも白でも、 ま 況してや黒でもない色をした死が、ぼくの眼の前を彩っ 転んだ。まるで酔っぱらいが泥酔して道端に転がるよう ならば。 い ま 者、ぼくはこの星を手にする絶好のチャン ならば、今 スがある。これまでぼくは、綺麗なもの、好きなものし 金を、何かを手に入れるために使ったことがなかった。 た。甘くも苦くもない、酸っぱくもない味が、ぼくの舌 に、崩れ落ちた。 もうダメかな、とぼくが諦めかけて、意識がだんだん 落下速度に追いつかなくなって来たとき、ぼくはものす と怖れていたのかも知れない。 ごい 勢 で持ち上げられるのを感じた。 い ま でも、輝いている。 せき を切ったように笑いが止まらない。 もうダメだった。堰 ゲラゲラクツクツ、へらへらあははと思いつく限りの笑 生まれたばかりで、手頼りなくて、でも輝いている。 た よ 者 青白かった。生まれたての星なんだね、キミは。今 の ぼ く は、 き っ と キ ミ と 同 じ 顔 色 を し て る ん だ ろ う な。 度も取り落としながら、それを拾った。 んだ色に鈍く輝く星。まだ顫えの止まらない指先で、何 ふる 星だ、星がある。あのとき、ぼくはちゃあんと掴んで いたのだ。ぼくが獲った、ぼくだけの星。この街のくす 足元を見る。 何とか応答しようとして、立ち上がろうとしたが、足 に力が入らない。腰がすっかり抜けてしまったみたい。 物はいつも壊れる。壊れた物は、戻らない。それをずっ を麻痺させた。 か見てこなかった。見てるだけだった。何故なら、手を でも、このときは、手を伸ばさなければ、一生涯のあ いだでこんなに絶好の機会は、たぶん二度と巡らないと もう声が出なかった。 そのとき、ガラス細工のように繊細な音が響いた。 触れると壊れるだろうと思ったからだ。お金はあった。 確信していた。 自分の居場所が分からなくなった。 背伸びが必要かな。 かかと を浮かせた。 一寸 踵 助かったのだった。 よ だから、ぼくは、手を伸ばした。 届きそうだ。でも届かない。 足元が怖くなる。 いきおい でも届かない。 本当に、愕きのあまり死ぬかと思った。」 ぼくみたいな安全地帯に立ち続けた人間には、 そうか。 「 お い お い、 と ん で も な い こ と し た な。 俺 ぁ 愕 い た ぞ。 ジャンプする勇気がないと届かないのか。 「なあ、坊主、 」 親仁さんは少し泣きそうな顔でぼくを抱えて、言った。 「ぼくは……助かったのか。」 思わず、呟いた。 そのとき、 ぼくは跳んだ。 親仁さんの凍りつくような悲鳴を耳にしながら…… さっきの感触が、まだ身体中を駆け巡っていた。ひょっ 5 あふ い方が、自然とぼくの内側から溢れ出ていた。 恐怖のみを取り残して。…… みち あ わ が澄んだ悲しい音を立てて路に転がった。ぼくは周章て て星を拾いに行こうとしたが、お爺さんの、意外なこと 前さんは、儂よりも惨めじゃぞ。」 うだった。そうでなくても、悪い覚悟をする前に、お駄 親仁さんの考えでは、ぼくが勇気、と云うか、無茶を しないで、獲ってもらうと言い出すのを期待していたよ 現代には似つかわしくない。 り、活きているのは、良い。旅先で死ぬなんて云うのは、 は行った先で、いい気分になって帰られればいい。何よ かめないで汽車に乗り込んでしまった。そして、つかん ぼくはすっかり不愉快になって、星を探した。しかし そのとき汽笛が聞こえたので、ぼくはつかんだものを確 相変わらず、言いたいだけ言うと、お爺さんはよろよ ろと去ってしまった。今度はどことなく淋しそうな顔を たろうにな。……」 んはこの街で何かとても大切なものを失くしたぞ。儂は 「 お 前 さ ん、 と う と う 落 ち ぶ れ て し ま っ た な。 今 者 の お い ま 機関車の音が聞こえる。 れんが 赤煉瓦の巨大な駅構内は、蒸気の白煙で上半分が覆わ れていた。 ぼくは、その一言に非常に混乱した。 「ふふふ、そんなバカな、と思っとるようだが、お前さ に憐れむかのような声が聞こえて、立ち止まった。 こんなに笑わないだろうな。 手荷物は既に列車に載せてあった。あとは出発時刻を 待つだけ。 周りの人は、たぶん遠巻きに眺めていたり、遠ざかっ ていたりしていたんだと思う。こんなに笑いが止まらな 丸切り十分近く笑っていたような気がした。 それから、 若しかしたら、もっと短かったかも知れない。顫えは微 いなんて初めてだった。 悪いクスリをやったときだって、 弱ながらあったものの、取り敢えず立ち上がって、親仁 そう思う。じゃなかったら、こんな酷いことをせんかっ もう何もないのかな? そんな冷たい質問が、ぼくの内 側から聞こえてきたが、ぼくは無視した。 次はどこに行こうかな、とぼくは駅を見回しながら、 考えた。もう次のことを考えている。ここでの憶い出は、 かいふく さんと会話できるくらいには恢復していた。 いのち 悪いことしたと思っ 「あんな生命の危険を冒させたんだ。 てるから、その星はタダだよ。まあ、坊主が獲ったもん 賃をもらうよう持ちかける積りだった。 そう言っていた。 なんだから、当然ちゃ当然なんだがね。 」 だけど、取引を持ちかけるそのとき、思いがけずぼくが 機関車が出るまであと十分だった。ぼくはそろそろ列 車に乗ろうと思ったのだが、いつしか見掛けた人を見た お爺さんだった。彼は相変わらず濁った色の目つきで あたり 四辺一面を睨みつけていた。ぼくは、避けようかな、と ぼくは星を失くしたのだった。 だ手を開いたとき、ぼくは悲しい事実を見た。 していた。 ジャンプしてしまったことに、愕いた。愕いたが、直ぐ ので、足を止めた。 結局、お爺さんが言ったとおりだった。ぼくはこの街 に対して無責任だった。でもいいんじゃないかな。旅人 に飛空艇を動かした。 は、カネに見合うだけの物をもらって欲しかった。それ 考えたけれども、少し考えて、やめた。代わりに彼のも 「お客さんに怪我でもされたら困るからな。お客さんに だけなんだがね。 」 「ちょっとぶりですね。」 とまで歩いて行って、言った。 親仁さんは、このときばかりは仕方ない、と割り切っ ていたようだった。ぼくも、まあ結果的には死なずに済 う街を去るもんですから、ぼくはあなたにお渡ししたい んだし、親仁さんを責める気にはなれなかった。 けれど、ぼくが体験することになった、死へのカウン トダウンのような、あの感触は、あとになっても、当分 ものがあるんですよ。」 「ああ? ……なんだお前さんか。」 「ほら。あれから少し考えるところがありましてね。も は忘れられないものになってしまった。 ぼくは彼の目の前に星を差し出した。 みは お爺さんは、目を瞠ると、乱暴にその手を払った。星 もう、この街に未練も思い残しも無かった。唯一つ、 そして、ぼくは、親仁さんと別れた。 6
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