系統樹解析と分子動力学計算に基づく [NiFeSe]ヒドロゲナーゼの分子進化の 3D シミュレーション 田村 隆 岡山大学大学院環境生命科学研究科・JST さきがけ 1. 研究の背景とねらい Desulfovibrio 属細菌に代表される硫酸還元菌(Sulfate-Reducing Bacteria)は,硫酸イオン SO42−を電子受容体とする硫酸呼吸によって旺盛に生育する偏性嫌気性菌です。SRB は,最 も古くから地球に棲息していた細菌の1つと考えられており,さまざまな無機物・有機物を呼吸 の基質として利用します。なかでも,水素の酸化反応を可逆的に触媒するヒドロゲナーゼ (Hase)がペリプラズム空間に複数,常備されており,水素をエネルギー源として利用します。 Hase は水素の酸化還元反応を触媒する一方で,分子状酸素には極めて弱く,大気中の分子 状酸素で失活する脆弱性のために,本酵素の産業利用のネックになっていました 1)。 近年,石油掘削機を激しく腐食して破損させるある種の SRB から活 性中心にセレノシステイン (Sec)残基を持つ[NiFeSe] 型 Hase が発 見され,これが 2%程度の酸素存在下でも触媒能を維持したので注目 を集めました。本講演では,[NiFeSe] 型 Hase の分子進化を系統解 析と MD 計算を用いて立体構造としてシミュレーションした事例を紹介 します。 2. 硫酸還元菌由来[NiFeSe]Hase の系統樹解析と大陸大移動 [NiFeSe]型 Hase は D. vulgaris 及び D. baculatum 由来に限られていましたが,相同性検索 の結果 D. alaskensis, D. africanus, D. salexigens, D. piger など近縁の SRB ゲノムにもホモログ 遺伝子がコードされていました。ゲノムのデータベース上では終始コドンとされている UGA が 実は Sec をコードするセレン含有酵素であると示唆されました。セレンタンパク質の発現には, オパールコドン(UGA)を Sec として翻訳するためにはセレノソームと呼ばれる SelA, SelB, SelC, SelD の遺伝子群が必要とされます 2)。これらの SRB ゲノムには,必要とされる遺伝子群がコー ドされており,未同定ながら[NiFeSe] Hase が複数,存在することを強く示唆しています。 [NiFeSe] Hase は一体どこからやってきたのか。という素朴な疑問と興味から,系統樹解析 を行ないました。最尤法など複数の系統樹解析した結果,[NiFeSe] Hase は同一のグループに 収束したので,[NiFeSe]型 Hase は共通祖先から派生したことが伺えます。バクテリアは高等 生物とは異なり,遺伝子の水平伝播やある特定の時期に爆発的に分子進化が加速するため に,タンパク質の系統から種の系統を辿るのは,困難なのですが,複数の遺伝子の共進化関 係を辿ることで,細菌ゲノムの系統関係を考察するアプローチも提案されています。セレノソー ムを構成する遺伝子群は,クラスターではなくそれぞれのゲノム上のあちこちに散在していま すが,それらの系統樹も[NiFeSe]Hase と相似形を示したことから, Hase の分子進化は,種の 系統と共に分化してきたと示唆されました。つぎに,この系統樹を GUIDANCE アルゴリズムで アライメント検定した後に ANCESCON で過去の配列を再現すると 12 種類の[NiFeSe]Hase を もつ SRB は陸生由来(うち 2 株は,ヒト腸内からの病原菌)と海生由来に分岐していました。海 生にも絶対嫌気環境である海底熱水噴出口と微好気環境である海底堆積物に棲み分けた系 統に分かれていました。また系統樹的に近縁な[NiFeSe]酵素を持つ分離株の地理的分布から, 現存する株の共通祖先がパンゲア旧大陸の住人であったこと,地球環境の変動に伴う大陸 大移動によって世界に分布したことも考察されました。 3. 分子動力学計算が再現するタンパク質の分子進化 [NiFeSe]型 Hase の結晶構造解析(2wpn.pdb)から,本酵素は活性中心と分子の表面をつな ぐ大きな Gas Cavity を持つことが明らかにされています。タンパク質の内部の Ni-Fe 活性中心 と表面をつなぐ巨大なトンネルは,水素分子の取込みには有利ですが,酸素分子のアクセス も同時に容易になるというデメリットもあり, Cavity 形成の分子進化にはトレードオフがあった と考えられます。 結晶構造 2wpn を鋳型として,祖先型配列および現存配列 の立体構造を構築しました。ホモロジーモデリングはかなり 粗いモデル化なので,クラスター計算機による分子動力学 (MD)計算を 12Åの深さの周期境界水モデルにおいて,11 ナノ秒間,300K,1気圧下の条件で最適化を図りました。こ れを 23 個の祖先・現存の[NiFeSe]Hase について行う膨大 な計算と構造解析(3 年かかりました)により,最初に活性中 心に Sec 残基を獲得した共通祖先酵素から分岐した分子 進化とガスキャビティの変遷を再現しました。まず共通祖先 にはガスキャビティが形成されておらず,絶対嫌気的環境 が確保された油田や海底熱水噴出口から分離された株の [NiFeSe]Hase に至る分子進化においては,共通祖先から 徐々に Gas Cavity が発達する経緯が再現されました。しか し,酸素発生型の光合成生物と共存した環境下において酸 [NiFeSe]Hase のガスキャビティ 素暴露リスクの高い堆積層に棲息している D. postgatei, D. autotrophicum が持つ[NiFeSe]Hase への分子進化では,Cavity が未発達の閉じた立体構造 がシミュレーションによって描かれました。これらの株が棲息する環境では,昼間は光合成型生 物が活発に酸素を発生させるので極めて好気的な環境が形成されています。そこでペリプラズ ムに局在する[NiFeSe]Hase も酸素暴露のリスクが高いためにこのような穴を発達させなかった と考えられます。分子進化を駆動する非同義置換(N)のアミノ酸残基が Cavity 形成に果たす役 割について検討した結果,全体の 5%を占めるN のアミノ酸残基が,残り 95%の高度に保存され た領域のコンフォメーションを支配しているという新しい発想を提唱するに至りました。 参考文献 1. P. M. Vignais, B. Billoud, Occurrence, classification, and biological function of hydrogenases: An overview. Chem Rev 107, 4206-4272 (2007). 2. A. Böck et al., Selenocysteine: the 21st amino acid. Mol Microbiol 5, 515-520 (1991). 略 歴 平成5年 京都大学大学院博士後期課程修了 (農学博士) 同年 岡山大学農学部農芸化学科 助手 平成 12 年 岡山大学大学院自然科学研究科 助教授 平成 25 年 岡山大学大学院環境生命化学研究科 教授
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