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■レター
臨地実習におけるハピネスの促進:
3つのエピソードが示唆するもの
Promoting happiness in nursing students clinical practice:
suggestions from three cases
中村 充浩 1 鈴木真理子 2 八尋 道子 2
Mitsuhiro NAKAMURA
Mariko SUZUKI
Michiko YAHIRO
前田 樹海 1 小西恵美子 3
Jukai MAEDA
Emiko KONISHI
キーワード :ハピネス、臨地実習、学生の実践、教員、臨床指導者
Key words :happiness, nursing practicum, students’ clinical practice, clinical faculty, hospital nurse instructors for
students
看護基礎教育における臨地実習の重要性はますます
高まっているが、学生からは「辛い」「大変」などネガ
ティブな言葉が吐露されることが多い。そのような実
習がはたしてよい実習と言えるのか。実習にはハピネ
スは望めないものなのか。本学会年次大会の交流集
会(注1)で紹介した臨地実習のエピソードをUm に
よるハピネスの定義とアプローチに照らし、臨地実習
におけるハピネスの存在とその促進について考察す
る。
1 .ハピネスとは?
Umによれば、ハピネスには 3つのレベルがある 1。
レベル 1:一時的な感情(楽しみ、身体的快感)
レベル 2:感情に対する判断(幸福感、満足感)
レベル 3:生活の質(成功、可能性の実現)
レベル1 は一般的な意味でのハピネスであるが、看
護師が患者を幸せにするためにはマズローの基本的欲
求(p.875)2 の高次に位置する自己実現の欲求に相当
するレベル2 やレベル3のハピネスを追求すべきであ
り、そのようなハピネスを実現するには、すべてのス
タッフが互いに認め合う「働きやすい職場」の醸成が
必要だと言う。その具体的方法として「看護の文化に
見られがちな完全主義を排除して欠点を探す人から長
所を探す人に転換すること」や「問題解決型のアプ
ローチではなく、看護師の強みと成功のストーリーに
焦点を当てたアプローチ」を提案している。
では、この「ハピネス」を実習に敷衍するとどうな
るのか。エピソードをもとに考える。
2 .3つのエピソード
1) 相手を知りたいと思う気持ち
初めての実習で失語症のA さんを受け持ったちぐさ
は、Aさんに対して無理に話しかけたり何かケアをや
らせてほしいといった要求は一切せず、時には 2 人で
黙って外を眺めたり折り紙をしたりして、ひたすら A
さんの側に居ることでお互いが無理なく時間を共有で
きるように努力した。そんなちぐさの姿は、一見した
だけでは何もやっていないように見えた。しかしちぐ
さと一緒の時、A さんは常に穏やかな表情であり、看
護師の間でも「学生さんと A さんのツーショットの光
景を見ると癒されるよね」という言葉が囁かれてい
た。こういったケースでは通常、文字盤や筆談といっ
1 東京有明医療大学看護学部 Faculty of Nursing, Tokyo Ariake University of Medical and Health Sciences
2 佐久大学看護学部 School of Nursing, Saku University
3 鹿児島大学医学部客員研究員 Visiting Scholar, Faculty of Medicine, Kagoshima University
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た方法を工夫し、できるだけ早く、効率的かつ正確に
コミュニケーションを確立することに重点が置かれが
ちである。しかしちぐさは、時間を最大限に活用し、
ゆっくり、じっくりAさんと関わることで人間関係を
確立させ、コミュニケーションを成立させたのであ
る。
実習最終日のカンファレンスで指導者から、「あな
たは A さんと十分な時間を共有する中で少しでも相手
の言いたいことをわかろうと必死に努力したと思う。
我々看護師には学生さんのように十分時間をかけると
いうアプローチは残念ながら無理だが、そのことを言
い訳にして相手の言いたいことを本当にわかろうとす
る一生懸命さもいつの間にか薄れていたことに気づか
された」というコメントがあった。この実習で、自分
が相手を知りたいと思う気持ちは相手にも伝わるとい
うことと、相手を理解するために学生である自分には
何ができるかを学んだちぐさであった。
2) 学生としてまっすぐ患者に向き合うこと
瑞穂にとって初めての受け持ち患者 Yさんは、抗が
ん剤治療中の 70 歳代の男性だった。実習初日、Yさ
んとの会話はほとんど続かず、瑞穂は自分のコミュニ
ケーション能力のなさを実感したが、Y さんが昼食後
の歯磨きをしないことに気づき、「歯磨きはしました
か?」と聞いてみた。すると、「そんなのやらなくて
いい」という言葉が返ってきた。下膳をして、担当の
看護師に普段はどうしているかと尋ねたところ、「Y
さんは頑固な性格だから、なかなか歯磨きしてくれな
いのよ」と言われた。入院以来歯磨きをされていない
のだろうか? と瑞穂は驚き、気がかりになった。実
習初日の終了後、瑞穂はその足で大学の図書館へ向か
い、参考書を読み、Y さんへの口腔ケアの根拠を調べ
た。唾液の分泌が減少し口腔内に細菌が増加して口内
炎を起こしてしまうと、大切な治療が継続できなくな
る可能性がある上に、口内炎は治りにくくYさんの苦
痛が増すばかりだとわかった。それでなくても、3 週
間歯を磨かずにいるなんて想像がつかなかった。どう
すればY さんが口腔ケアを受け入れてくれるだろう? 患者と信頼関係を築くことが基本だと思った。Yさん
への看護援助の目標が定まった。
実習 2 日目、瑞穂は日常会話の中で、自宅では歯磨
きをどうしていたか質問した。また、治療と関連した
口腔ケアの必要性について、調べたことをできる限り
わかりやすい言葉で説明した。学生としての自分の願
いも述べた。ベッド上臥床の入院生活によって下半身
の筋力がみるみる落ち、移動時は車椅子が必要になっ
ているY さんのために、瑞穂はガーグルベースンや歯
ブラシ、水の入ったコップをオーバーテーブルにセッ
トした。すると、「看護師には頼めなかった」とおっ
しゃった。そして実習3 日目に、Y さんは歯磨きをし
てくださった。このことから、患者に自分を受け入れ
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てもらうには申し送りや電子カルテだけに頼らず、学
生としてまっすぐ患者に向き合い直接情報を得ること
が重要だと感じた。Y さんは頑固な性格であると聞い
ていたが、そんなことは全くなく、素直な方なのだと
発見できた。化学療法で落ちていた食欲も回復してき
た。
実習半ばのカンファレンスでは、指導者が、「Y さ
んも瑞穂さんも日に日に笑顔が増えている。Y さんは
寝てばかりだったのに、瑞穂さんと話をする時は必ず
座位ですね」と患者の変化を瑞穂に知らせた。教員と
指導者は、なるべく二人の関係に立ち入らないように
し、毎日瑞穂の報告を聴き実習記録で応答した。
3) 患者さんの役に立ちたい、でも、私には何もで
きない
Bさんは開腹した際に予想以上にがんが進行してお
り、予後不良と宣告されていた。Bさんの手術にも立
ち会ったさくらは、Bさんやご家族よりも先にそうし
た厳しい状況を知ってしまったことに戸惑いと動揺は
あったが、Bさんのために頑張りたい、受け持ちを継
続したいという気持ちがあり、患者や家族から拒否さ
れることもなく受け持ちを継続することができた。B
さんの術後の経過は順調だったため、そろそろ次の治
療が検討され始めていたが、さくらの看護の視点は術
後合併症の観察やそれに対する援助で立ち止まってい
た。
医師から予後や残された治療法について説明を受け
悩んでいる家族と、自分の置かれている状況がよくな
いことを察して落ち込んでいるBさん。そんな家族と
Bさんの側にいる時間が長いさくらであったが、さく
らが術後合併症の観察や援助以外のことに触れること
はなかった。そこで教員はさくらに、「あなたは B さ
んや家族とどんな話をしているのか」と尋ねてみた。
するとそこには Bさんやご家族からの SOSがいくつ
も存在していたが、さくらの反応は「先生に聞かれた
から話しただけ。こんなことを看護師さんに報告した
ところでどうにもならないし、自分にできることはな
いから…。私は急性期実習では術後合併症の方が大事
だと思ったし、先生もこの実習ではまずは術後合併症
への看護が大事だと言っていたじゃないですか」で
あった。確かに、教員が術直後は合併症を起こさずに
順調に回復することへのケアが優先だと指導したのは
事実であった。が、時期を限定して話したはずだ。し
かしさくらはそうは思っていなかった。
さくらはB さんに対して何かしてあげたい、自分が
何かをすることで問題を解決してあげたいという気持
ちが強く、自分に何ができるのか、何をしたらいいの
かということを一生懸命考えていた。これまでの実習
でも、「実習では自分が直接患者に何かをしなければ
いけない」と考えており、自分が実施したことに対す
る患者の反応に一喜一憂しながら、実習の達成感や満
足感を得ていた。しかし今回は、B さんやご家族の訴
えに応える術が自分にはないことにショックを受け、
苦しんでいるBさんに何もできない自分にさらに
ショックを受けていた。結果的に何もしないという極
端な行動を示していた。
そんなやり取りの中でさくらは「病室にいるとイラ
イラする。できるだけ早く抗がん剤治療を始めた方が
いいことはわかっているけど気持ちの整理がつかな
い」と B さんが言っていたことを思い出した。教員は
「自分が何をするかではなく、Bさんの発言にBさん
のどんな気持ちが含まれていたのかを考えてほしい」
とさくらに伝え、Bさんの言葉、その時の Bさんやご
家族の様子、さらにそれを聞いて自分は何を思ったの
かを看護師に報告するように学生を誘導した。すると
学生からのこの報告がきっかけとなり、看護師が改め
て B さんの話を聞いた数日後に Bさんの外出が実現し
た。
後日、さくらが「患者さんの言葉をひとつひとつ
しっかりキャッチすること、そしてそれを情報として
きちんと看護師に伝えることも看護なのだと感じた。
自分はこう感じている、自分はこう考えているという
ことを看護師さんに報告したものがしっかりと形に
なって看護師さんから患者さんに伝わり、よい結果に
導くことができて本当にうれしかった」と教員に語っ
た。
3 .実習におけるハピネス実現のために
看護の知識や技術は未熟だとしても、患者や家族の
ために自分ができることを模索してよい看護を探求し
ようとする意欲や、時間をかけて丁寧に関わることで
手にする患者との絆は学生の強みと言える。しかし、
これらの行動や気づきには学生の周囲の人々との協働
関係が必須だったということがエピソードから読み取
れる。つまりそれは、Umの言う高次のハピネスを実
現するための前提条件である。これらの学生の強みを
看護の一員として指導者や教員が認め、引き出し、さ
らには学生自身が気づかない自分の行動の意味や患者
への影響などを指導者や教員、あるいは患者や家族か
ら学生に伝えることが学生のハピネス実現のための有
力な方策と言えよう。それは同時に、指導者や教員に
とってのハピネスに繋がり、学生にとって「辛い」
「大
変」だけではない臨地実習とすることが可能になるの
ではないだろうか。
交流集会の参加者から、「実習では看護師が学生か
ら学ばせてもらうことがたくさんあり、看護師が成長
させてもらっている。学生は将来看護師となる仲間な
ので、私たちは学生とは呼ばず、看護師マイナス○年
生と呼ぶようにしている」との発言があった。学生は
教員や指導者から見ると一人の学習者であるが、それ
を上下関係と捉えるのでなく同じ看護の仲間として尊
重する姿勢も大切であると再認識した。
学生ならではの経験を共有し議論を深めることで教
員と指導者双方が学生を看護の同志として認識すれ
ば、学生にとって「辛い」「大変」を超えた実習が期待
できる。これは、ハピネスに向かって漕ぎ進む船に、
実習に関わる全員が一緒に乗り組むことを意味する。
(注1) 日本看護倫理学会第 7回年次大会交流集会
「臨地実習は辛い? 楽しい?―みんなが happy に
なる実習は存在するのか―」
助 成
本研究はどの機関からも研究助成を受けていない。
利益相反
本研究における利益相反は存在しない。
文 献
1. Um YR. 医療チームのハピネス.日本看護倫理学
会誌.2014;6
(1):92‒95.
2. リタ・L・アトキンソン,リチャード・C・アト
キンソン,エドワード・E・スミス,ダリル・
J・ ベ ム, ス ー ザ ン・ ノ ー レ ン-ホ ー ク セ マ.
2000/ 内田一成監訳.2002. ヒルガードの心理
学.東京都:ブレーン出版株式会社.
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