ホーム ・ ページ作成における 「知られない権利 ・ 知らせる権利」

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ム
ホ
[ キーワード ]
ホーム・ぺージ、 情報発信、 情報倫理、 自己責任、
インフォームド・コンセント
はじめに
コンピュータ 一の歴史は決して 長くはない。 せいぜい 50 年であ る。 しかしこ
こ数年のパソコン 普及率にはめざましいものがあ り、 中でも女性のインターネッ
ト
利用者が拡大し、 育児の合間に 家庭からアクセスというのも 日常的になって
いている、 といわれるほどであ る。 中国大陸でも 1995 年にインターネットサー
ビスが全国民に 開放されて以来、 爆発的なブームが 起こっている。 ,この世界
的といえるインターネット 利用者の拡大は、 専門的な知識や 技術がなくても 手
引書片手に誰でも 手軽にアクセスできるようになったためであ り、 インターネッ
ト
がもはや日常生活レベルのものとなってきているということであ
ろう。 しか
し、 専門的な知識や 技術がなくても 簡単に誰でもアクセスできるというその 事
実の裏 に問題が潜んでいる。 今後、 インターネット
る巳罪やさまざまなトラブル、
被害事実は更に 表面化してくることが 予想される。 しかしどこの 書店でもイン
ターネット初心者に 向けた操作指導書は 選ぶのに迷うほど 数多く並べられてい
るが、 情報倫理やセキュリティ 関係の易しい 解説書、 具体的な手引書はなかな
か 見当たらない。 この事実は 、 「まず普及」という 現在の様相を 映しているも
のであ ろう。 そこで筆者は 主にインターネットを 通して、 また大学の情報科学
教育センター 長に直にお話をうかがう 等して ' 、 具体的な情報や 資料を集め、
インターネットにおける 諸問題を考えた。 これは筆者の 前稿
( 鶴田
1998)
「
留
学生の「知られない 権 利Ⅰに関する 一 試論」,の延長線上にあ るものであ る。
本稿ではその 中から教育現場におけるホームページ 作成に関するものを
取り
上げ、 まず具体的なトラブルの 事例を紹介し、 それをもとにして 検討してみた
一 48 一
レ
) と ,思、 う 。
l一 1
事例
ホームページ 作成におけるトラブル、
1
:
1
2
つの事例
年半ほど前のことであ る。 あ る国立大学の 教官が指導する ホ一
ム ページの掲示板に 就職情報が出され、 その情報の関係者であ
る
H 氏の実名も
出されていた。 ところがそれはその 情報 元 にも関係者であ る H 氏にも事実関係
の 確認をとらず、 またホームページに 載せることの 承諾も得ずに、 勝手に出さ
れたものであ った。 その結果、 H 氏からも他の 関係者からも 海外の関係者から
も 、 非難と苦情が 殺到した。,
事例 2:
世田谷区小学校のあ る教員が自分の 個人的なホームページに
分の クラスの生徒本人とその 保護者の承認、 を得て、 生徒 31 名の自己紹介、
、
自
ノ ラ
スト、 集合写真や作品等を 掲載し、 他県の小学校と 電子メールを 使ってやりと
りなしていたところ、 区の教育委員会から 削除命令が出た。 理由は、 個人情報
保護条例違反の 疑いと、 区情報公開・ 個人情報保護審議会の 承認を得ていない、
ということであ った。
l
一
2
事例 ] について
現在一般的にみて、 セキュリティに 関しては、 その意識も対策も 立ち後れて
いるという調査結果があ る。。 大学でも全学生にアカウントを 与える大学が 多
くなってきているが、 利用者側のインターネットへの 認識不足や情報倫理の 欠
如による問題が 多いようであ る。 例えば、 某国立大学では 学内に情報教育研究
センターを発足させ、 全学生に対してホームページの 作成や電子メールの 使い
方、 ネットワーク 利用のモラルを 指導するなど 情報教育に力を 入れてきた。
し
かしそれでも 問題は対処しきれないほど 山積したという。 「たとえば、 研修と
して学生に自分自身のホームページを づ くらせてみる。 すると、 写真や名前は
一 49 一
おろか自宅の 住所や電話番号まで 書き込んでしまう 女子学生が決まって 現れる。
それが、 駅双の掲示板に 書きつけるのと 同じ意味をもつことに 気がつかない。
というより、 知らないのだ。 ( 中略 ) 日常生活では 普通に注意されている 常識
でも、
ことネットワークの 場合となると、 一瞬にして意識の 外に吹き飛んでし
まうのだⅡ,情報倫理の 指導をしている 大学でさえこの 状況であ る。 またこの
ような現状もあ る。 「学生がいつも 被害者になるとは 限らない。 あ る大学では、
学内のネットワークを 利用して 狼褒 ビデオを販売していた 学生が逮捕されたこ
とを受けて、 この春、 倫理委員会を 発足させてインターネット 利用のあ
り
カ
を
見直そうとしている。 このような、 学生が明らかに 悪質な目的をもって 大学の
ネットワークを 利用するケースは 希 だとしても、 情報倫理に対する 認識不足が
原因で、 気づかのうちに、
あ
るいは軽い気持からルールに 反する行為を 犯して
しまうこともあ るⅡ , 更に深刻なのは、 情報倫理を教えることができる 教官が
少ないとし ) う 現状だと い,
フ 。 「「情報倫理学」は
専門家と呼べる 研究者も
3
%
4
5
日本ではまだ 若い学問であ る。
本の指に収まるほどしか 現れていない。 大学では、
年前から用語として 使われるようになった 状態で、 独立した専攻 分
野 もなければ専任の 教官も存在しないのが 現状だ。 先の国立大学では
2
年前、
情報教育研究センターができるまでは、 哲学の教員などのバループが、 いわば
ボランティア 的に講座を運営していたにすぎなかった。 専門家がいる 他大学で
も状況は変わらない。
」
事例
1
9
ということであ る。
はそのような 日本の現状が 生んだトラブルの 一例であ ろう。 確かにこ
れは意図的、 悪質なものではない。 しかし無知、 認識不足ということで 片づけ
られない被害を 生んだものであ る。 どのような事情があ るかもしれない 他人の
就職情報を当事者に 断わりなくホームページに 載せたものであ り、 先にあ げた
自分の個人情報をためら い もなくホームページにのせる 女子学生の感覚と 同様
であ ろう。 しかも女子学生の 場合それは自分の 情報であ り、 被害は自分が 受け
るものであ るが、 この場合は他人の 情報を勝手に 世界の掲示板に 載せたのであ
り 更に無責任な、 他人に被害を 与える行為であ った。 インターネットのよう
一
50
一
な 社会からの拘束に
対してユーザーが 無頓着になりやすい 空間においては、 実
は更なる自己責任が 課せられているにもかかわらず、 その意識が欠如していた
のであ る。 しかもこのホームページが、
あ る国立大学教官の
指導のもとに 作ら
れたものであ ることから、 この事例は現在の 日本の情報倫理に 対する認識不足
という現状を 如実に反映しているものと 言えるであ
ろう。 恐らくこの事例の 背
後には、 同様の無知及び 認識不足による 事件が数多く 起っているものと 思われ
る。 Ⅱ自分の身を 守る」にしろ「他人に 迷惑をかけない
]
にしろ、 とくに教育
現場では、 一刻も早く適正な 利用を促すための 規範づくりをはじめる 必要があ
ると言えそうだ。」, 0 と言われる所以であ る。
既に現在、 「他人の情報を 情報 元 に無断で発進する」ということを
禁止事項
として明文化している 教育関係機関のネットワーク 利用ガイドラインも 見られ
る。 それは他人の 写真はもちろん 内容によっては 自分宛てのメールも 含まれる
としている。 "
ホームページを 作成する者は、 技術的に指導してくれる 先輩や友人はいるで
あ ろうが、
その人々が作成倫理の 先輩であ るとは限らないことを 意識しなけれ
ばならない。 誰の指導、 要求があ ろうとも、 自己責任において 作成、 公開する
ことを自覚し、 他者に対する 責任をも意識して、 情報倫理について 自ら取り組
ん で い く必要性を考えさせられる 例ではないが るぅか 。
l
一
3
事例
事例 2 について
1
は、 被害は大きかったが、 その原因は単純な 認識不足による 明らかな
ルール違反であ った。 しかし、 次の事例はより 複雑であ る。 これは一教員個人
の ホームページであ ったわけであ るが、 当該教員は、 「個人情報の 保護は重要
だが、 インターネットに 情報発進したいという 者の権 利まで条例が 縛ることに
なる」「子どもたちはインターネットを 楽しんでおり、 父母も理解している」
と反論したそうであ る。 この教育委員会からの 削除命令をめぐって 多くの教育
関係者の間でさまざまな 議論が展開された。 一 つ には、 これが個人情報保護 条
@
51
一
側 に違反するかどうかということであ ったが、 筆者は、 ホームページに 載せら
関してその
れた自己紹介や 写真や作品を 公開する権 限は誰にあ るのか、 ということ、
また
本人の承認があ れば問題はないのか、 という点について 考えたい。 この事件に
ょ
うな観点から 論じられたものを い
く
っか 紹介しよ 、つ
山本刑 (1997) は、 セキュリティの 問題は当然考えなければならないが、
「授業の中で 書いた子供の 絵でも著作権 はその子供本人にあ り、 自分の作品だ
と 名乗る権 利もあ る」 "
「著作者人格権 としての氏名や、 本人の著作物として
の写真についての 取り扱いは学校や 委員会で一方的に 掲載禁止- となることには
問題があ る」 " と主張する。 しかし安全性の 配慮は必要だとして、 次のような
3
つの提案をしている。
( 1 )
子供たちに自分の 名前を名乗ることも、 仮名を使
う
と
も
匿名に
「
することも固有の 権 利であ ることを伝え、 それぞれ選択させ、 それが本名なの
かどうかが 陵昧 にすること。 そしてそのことを 明記すること。 これに 2
名 であ
0
、 本
るかどうかの 特定は第三者にはとてもわかりにくくなります。
(2) 子供たち自身に 自分の写真を 少し修正させること。 ( 中略 ) デジタルで
すから多少修正もあ れば、 本人なのかどうか 非常に特定不可能です。
(3) その他、 住所、 電話番号、 生年月日などは 別の意味の危険性が 伴います
ので、 できるだけホームページには 出さないよう 配慮する必要があ ります。 "
」
山本はこのように、 情報を公関するかどうかの 権 限は本人にあ るのであ り、
この件は本人と 保護者の承諾があ るのであ るから条例違反とは 言えない、
とし
ながらも、 安全,性を考えた ぅ えでの提案をしている。
高橋邦夫 (1997)
も、
確かに委員会の 規制によって 安全は図れるが、 そのた
めに情報発信に 付随するさまざまな 教育効果を台無しにしてしまう 恐れもあ る
ため、 「安全と自由を 両立させ、 制約を最小限にとどめて 自由に情報発信する
一
52
一
ための い
く
っ かの方策について 提案する。 "
として、 次のように 3 つの提案
」
をしている。
「
(1
)
個人認証サービス
( 電子住民票 )
の設立
ネットワーク 犯罪の多く
はその匿名性に 由来しているため、 住民票を電子社会にも 導入し、 ユーザ自身
の匿名性は確保しつつも、 不正利用が起こった 場合には電子住民票キ ー から 犯
人を特定可能とする 方法であ る。 しかしこれの 実現には世論形成が 必要で、 今
すぐというわけにはいかないのが 欠点であ る。
(2) 専用ネットワークでの 運用
教育専用のクローズド・ネットワークを 構
成し、 専用ネットワーク 内での自由な 情報発信、 個人の特定を
あ る。
ィ呆言
正する方法で
これは銀行間のオンライン 決済などに用いられている 方法で、 現時点で
導入可能であ る。 自由度と安全性の 両面で
( 1 )
には劣るが、 専用ネットワー
ク自体で利用規定を 定め、 内部利用者の 認証を行なうことですぐにサービスを
開始することができ、 現実的な解決策の
(3) 教育専用ドメイン 名空間の設定
ことで安全性を 向上させ、 さらに年齢に
1
つであ る。
これも 2 と同様、 オープン性を 弱める
よ
る情報アクセス 規制も可能とする 方
策であ る。 学校教育サイトを 専用のドメイン
( たとえば edu.jpのような )
に収
容し、 そのサイト間で 信頼関係を構築し 学校の監督のもとに 安全で自由な 情報
発信が行なえ、 一般サービス 提供者からの 大人向け情報の 提供も上 ヒ較的自由に
行なえることになる。 ただしこれは、 日本
(加
ドメイン
)
におけるドメイン 名
0 割り当てを管理している JPNIC あ るいは国際的な 場での議論と 承認が必要と
なるが、 このことで得られる 利益の大きさからして 現実性はあ ると考える。 "
」
というものであ る。
本人の承諾があ っても安全性の 問題を考えねばならない、 という点では、 前
記の山本と同様であ る。
藤川大祐は、 「過剰な規制は 教師や子どもの 表現の自由などの 権 利を奪 いか
れない。 "
」
と 強 い 主張をしながらも、
ホームページによって 子どもたちが 犯
一-53- 一
罪の被害者になる 可能,性もあると具体的な 例をあ げて指摘し、 対策としてはや
はり閉じたネットワークを 提案している。
2
については、 多くの教育関係者が、 自分の名前を 名のる権 利、 表現の
自由の権
利など、 いわば「知らせる 権 利」ともいうべきものを 主張している。
事例
本人の承諾無しに 公開されることに 抵抗する「知られない 権 利」も大切だが、
本人が公開したいのに 規制を受けることに 抵抗する「知らせる 権 利」、 これも
現代的な意味でのプライバシー 権 、 即ち情報をコントロールする 権 利は本人に
あ
る、 ということを 考えさせられる 主張であ る。 しかし「知らせる 権 利」とは
「自己責任」との 関わりが大であ り、 その点に事例
に 本人たちの承諾はあ
2
の問題点があ った。 確か
った。 しかしそれでも 問題があ ることを全員が 指摘して
いる。 それは、 このホームページを 作った教師の 情報倫理、 セキュリティに 対
する認識の甘さが 問題であ ったのであ り、 それ故に、 教師は生徒と 保護者に承
諾を求める際に 十分な情報を 提供せず、 結果的にその 教師も生徒・ 保護者も
「自己責任」を 持てない状態であ ったわけであ る。 そこに問題があ ったと言え
るであ ろ
既にガイドライン 等を作成している 教育機関のものを 見てみると、 個人情報
の発進は本人の 同意を前提とする、 としていることはもちろんであ るが、 小中
学校では、 更に、 氏名・写真については、 姓 だけにして写真は 修正を加える、
名前と写真が 一致するような 掲載の仕方をしない、 原則として写真は 掲載しな
い、 等と非常に慎重に 対応、している。 " 大学生に対するものでは「自分や 他人
の個人情報を 載せる場合、 それを犯罪者が 利用するかもしれないという 可能,性
( リスク )
を考えた上で、 自らの責任において 公開してください。 個人情報に
は、 住所や電話番号はもちろん、 氏名や顔写真なども 含まれます。
のもあ る。, 。
( 自分の名前と
というも
写真をホームページに 出したところ、 スト一カー
の 被害にあ ってしまったという
要なプライバーン
」
事例もあ る。) また、 不必要な個人情報、 不必、
一に関する情報は 公表しない、 ということも 多くのガイドライ
ンに 明文化されている。
一 54 一
本人の承諾を 得るということ、 そして不必要な 個人情報を書くべきではない
( 必要最低限のものであ
るべきだ ) 、 ということは、 筆者が前稿
( 鶴田
1998) で
問題にしたものであ った。 アメリかし理学会の 倫理綱領に既にそれは 明文化さ
れていることであ り、 個人情報を取り 扱う場合、 我々も、 倫理綱領は持ってい
ないが、 教育の現場で 同じ配慮が必要であ ることを言ったのであ った。 だが、
インターネットの 教育利用に積極的に 取り組んでいる 教育機関のガイドライン
には、 これらは学生の 個人情報を取り 扱う際の原則として 既に明文化されてい
たのであ った。
また、 本人の承諾を 得ても問題が 残るということについて、 近年急速に広まっ
(informed consent) の考え方を取
てきているインフォームド・コンセント
り
入れたガイドラインも 既に作成されていた。
Ⅱ一
Ⅰ
「知らせる権 利」とインフォームド・コンセントについて
実際にインターネットを 取り入れた先進的な 取り組みをしている 学校の一 つ
であ る三重大学教育学部附属中学校では、 1996 年に教師用のホームページ 作成、
公開の規定を 作成し、 1998 年
9
月には
4
回目の修正を 終えている。 教師用の作
成規定に続いて、 インターネット 導入についてのアンケート、 保護者向け説明
文書、 生徒向け説明文書も 作成し、 1998 年
研修会用解説 OHP
6
月には個人情報の 扱いについての
も作り、 それら全てをホームページで 公開している。, 。 こ
れは現在のコンピュータ 一環境の中で、 できるだけ安全で 自由な情報発信を 具
体 的に追求している 例であ ろう。 その中の「個人情報の 扱いについて」のとこ
ろにインフォームド・コンセントが 登場する。 現在多くの大学や 小中学校で ホ一
ム ページ作成にあ たってのガイドラインが 作成されているが、 筆者の見た限り
では、 インフォームド ,コンセントの考え方を明確に 提示しているのはこの 三
重大学附属中だけであ った。 そこでこの「個人情報の 扱いについて」を 具体的
に紹介したい。
一 55 -一
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一
56
一
この「個人情報の 扱いについて」は 基本的な考え 方を明確にしており、 非常
に参考になるものではないだろうか。 授業中に描いた 絵であ っても「知らせる
権 利」は本人にあ るということや、 本人の了解を 得る場合には 文書でそれを 知
らせること、 本人の著作権 を主張する旨を 明記すること、 また、 「知らせる権
利」に伴う「自己責任」について 十分に伝えることの 必要性も明示している。
ここでは、 鶴田 (1998) が問題提起したことが 更に一歩進められている。 即ち、
鶴田は留学生が 授業で書いた 作文を紀要に 載せる場合、 本人の了解を 得ている
旨 明示してあ
るものがほとんど 皆無であ ることを指摘したのであ ったが、 ここ
では更に了解を 得る時の方法として、 「十分な情報の 提供、 十分な選択の
自由」
を言い、 公開した場合の「著作権 の主張」を明示している。 ホームページの 場
合は紀要よりも 当然その情報受信の 広汎性から言っても 個人情報を悪用される
危険率は高い。 しかし「知られない 権 利」の基本、 人権 意識の基本は 共通であ
り インターネットの 普及とその危険性の 認識によって、 今まで大きく 問題に
されることのなかった 面での人権 意識をも高めることになっていくのではない
だろうか。
ここで、 この「個人情報の 扱いについて」を 念頭において、 先の二つの事例
を見てみると、 事例
1
、 事例
でつまず い ている。 事例
1
2
、 どちらも「最初に 考えないといけないこと」
の場合、 目的が広報であ り、 情報の受け手が 不特定
多数であ ることをどの 程度意識していたのかも 疑問であ る。 なぜなら、
もしも
意識していたならば、 発進する情報は 誰のものなのか、 メリットとリスクは
ど
のようなものが 考えられるか、 ということに 特別配慮するはずだからであ る。
しかしその配慮は 全くなかった。 事例
2
の場合は、 発進する情報は 誰のものな
のか、 ということは 心得ており、 本人の了承も 得ていたのであ るが、 メリット
と
リスクはどのようなものが 考えられるか、 という点で甘かったわけで、 それ
故に、 選択に際し、 十分な情報を 提供する。 ( 何が起こり得るのか
ことにも欠けていたと
言えるであ ろ 、つ
一
57
一
? )
という
恐らく今後、 これら「始めに 考えないといけないこと」「インフォームド・
コンセントの 考え -方」はいろいろな 形で議論され、 ホームページ 作成の基本に
なって い くと思われる。 この基本において 何か問題が発生するとすれば、 その
情報発信は「知らせる 権 利」の乱用と 言わねばなるまい。 特に他者の情報につ
いては、 本人の承諾を 得たとしても、 その承諾を得る 方法に問題があ る場合も
見逃せない。 インフォームド・コンセントの 考え方はホームページ 作成の場合
に限らず、 他者の情報を 扱う場合全てに 考慮されなければならない 問題であ り、
情報倫理における 基本的な問題でもあ るであ ろう。
しかしこのインフォームド ,コンセントにも 問題はあ る。 それについて 次に
考えたい。
Ⅱ一 2
「インフォームド・コンセント」の 問題点と「自己責任」
「インフォー ムド・コンセント」とはもともと 医学で用いられていた 言葉で
あ
り、 この考え方の 出てきた源はナチスについてのニュールンベルバ 裁判にあ
るという。 人類は二度と 本人の意思を 無視した人体実験をしない、 という決意
であ った。 その後「ヘルシンキ 宣言」を経て、 1973 年アメリカで「患者の 権 利
車輿」として 実を結び、 現在アメリカでの 医療では常識になっている。 , ,これ
は医療は患者主体であ るべきであ る、 ということを 基本精神とするものであ る。
日本でも多くの 病院でその考え 方が取り入れられており、 簡単に言うならば、
その病気や治療法の 説明、 その治療によって 想定されることの 説明が十分にな
され、 患者が納得して 同意する、 ということが 行われているわけであ る。 しか
しその理念に 基本的には賛成しながらも 批判する者は 多い。
例えば、 患者の立場を 優先させた、 患者の自主性を 重んずるものであ るはず
だが、 実際には医療者側を 主体としたものとなっているではないか、 というも
の " 、 また、 専門的な知識のない 患者には十分な 理解は得られず、 不安があ
たとしても、 結局はよろしくお 願い致しますと 言う他はなく、 実際には役に
っ
立っ
ていないことがしばしばであ る、 というもの " であ る。 筆者の知っている 範囲
一 58 一
でもこの
ょう
な例があ る。 50オ 台のあ る男性が癌の 告知を受けた。 主治医はそ
の男性と配偶者にその 癌がむずかし い 場所にあ ることや、 治療法等について 詳
しい説明をし、 同意を求めた。 その治療の途中でその 男性は抗癌剤のために 体
力
を失い死亡した。 癌 告知からわずか
3 ケ
月であ った。 既に亡くなってしまっ
た男性の心境は 筆者にはわからない。 しかし、 その配偶者はその 突然の死を全
く
予測していなかった。 その治療によって 回復の希望が 50% あ るという 認、 識 し
か得ていなかったのであ る。 主治医があ らゆる可能,性を伝えたのかどう 確認す
ることはできない。 伝えたのかもしれない。 しかし相手に 伝わってはいなかっ
たのであ る。
インフォームド・コンセントに 関して既に 10年 ほどの歴史のあ る医療の世界
において、 この ょ 3 な現状があ る。 医師の側の責任もあ るだろう。 しかしそれ
だけで片づけられないのではないが 63
か 。 患者側の自己責任の 認識がなりと
ころに、 どのような情報を 提供してもインフォームド・コンセントにはならな
い 、 という現実もあ るだろう。 また、 患者側から言えば、 医師から十分な 説明
を受けた時にそれを 信じるかどうかという 問題もあ る。 主治医以外に 情報や助
言を与えてくれる
機関のない現状では、 評判の良い病院をさがし、
そこで自分
を担当してくれた 一人の医師をあ えて信頼し 、 まかせる他はない。 十分に説明
してくれればあ りがたいと 思、ぅ ほかなり現実なのではないが るぅか 。 そういう
実状では自己責任の
意識はなかなか 育たないであ ろ 、つ
そのように考えると、 問題は医師や 患者という個人だけではなく、 現在の医
療 システムとか、 社会のしくみとか 社会通念とか、 いろいろな要素が 関係して
くるかと思われる。
医療の世界と 情報の世界では 事情がちがちという 面もあ るが、 教育機関での
ホームページ 作成におけるインフォームド・コンセントについても、
その必要
性は誰しも認めるであ ろうが、 本当の意味での 実現はかなり 難しい。 まず、
十
分な情報を与えるべき 教師の側がどれだけの 認識と情報を 持っているかという
ことであ る。 事例
2
はそれを示す 例であ った。 またリスクの 予測が難しい。 十
一
59
一
公 な情報を提供したつもりでも、 現在の段階では 思いがけない 事態が起こり 得
る可能性もあ る。 コンピューター 犯罪もその対策も 歴史の浅い現状では 予測不
可能な面も否定できない。 また、 真に選択の自由を 保障できるか、 それが相手
に 伝わるか、 ということもあ る 0 医師と,患者の場合、 インフォームド ,コンセ
ントと言われていても、 少なくとも日本では 医師の権 威を無視できないことは
明らかであ る。 教師と学生の 場合も対等とは 言えないであ ろう。 更に、 判断す
る側であ る学生・生徒・ 保護者等が「インフォームド・コンセント」によって
「自己責任」が 発することをどれだけ 認識できるか、 ということがあ る。 これ
も実は難しい 問題ではないだろうか。 ここでもやはりネットワークの 、ンステム
とか、 社会のしくみとか 社会通念とか、 いろいろな要素が 関わってくるのでは
ないかと思われる。
先に挙げた三重大学附属中の「個人情報の 扱いについて」では、 規定のもう
一つの目的として「判断をさせることで、 選択に際して、 責任が生じることを
学ばせる。 情報の発信についても 同様に責任が 生じることを 学ばせる。」とし
ている。 また「 Web ぺージ作成、 公開の規定」
( 教師用 )
にも「 ( 生徒の
)
肖像
権 、 著作権 を尊重することで、 生徒に肖像権 、 著作権 の大切さを教育すること
6
目的とする。 」「生徒に公開範囲と 内容によって、 情報を管理することの 大切
さと情報コントロール 能力を養うことも 目的とする。 」と書かれている。
情報教育は確かに 一つの解決方法であ る。 確かに、 将来全ての小学校であ
る
べき情報教育が 成功すれば、 大きく社会は 変わるであ ろう。 しかしこれもまた
たやすいことではない。 学校の努力だけで 成功するものではなく、 家庭のあ
方や子どもの 育ち方も大きく 関わってくるであ ろう。 またそれとは 別に、
り
自己
責任とネットワークのシステムとの 矛盾はないであ ろうか。
コンピュータ 一の知識も経験も 少ない筆者であ るが、 疑問に思っていること
が 二 つ あ る。 これは特に「インフォームド ・コンセント」の 問題ではないが、
一般的な、 個人でホームページを 作成する場合にも 言える「自己責任」のこと
であ る。
一 60 一
まず匿名性の 問題であ る。 コンピューター 犯罪の根の多くは 匿名性にあ る。
1998年 12 月に新聞の一面記事で 取り上げられたドクター・キリコの 事件 25 も
もしもそのホームページに 本名を書かねばならなかったなら、 起らなかった 事
牛であ
ャ
ったであ ろう。 匿名性故に犯罪が 起る。 しかしコンピューター 犯罪から
身を守るために 安全なのも匿名性だという 矛盾であ る。 事例
に 提案されたものも、
し、
2
で安全性のため
個人情報を明らかにしない、 ということであ った。
しか
自己責任とは 本来自分を明らかに 示すことにあ るはずであ る。 自分を明ら
かぼするからこそ 責任を持つのであ る。 多くのメディアでも 責任の所在は 明確
であ る。 テレビならそのテレビ 局が最終責任を 持っであ ろう。 新聞も雑誌も 同
様であ る。
あ
る記事に抗議したければ 新聞社に電話も 投書もできる。 裁判に訴
えることもできる。 だからこそ週刊誌のゴシップでさえ、 全くのでたらめは 載
らない。 著書も通常著者の 本名が書かれ、 略歴なども多くの 場合書かれている。
出版社も明らかであ る。 責任の所在ははっきりしている。 しかし、 ホーム ペ一
、ジ には誰が書いたのか 分からないものも 多くあ る。 連絡はこちらへというとこ
るる
クリックするしか 連絡方法のないものもあ る。 また、
ぺ ー ジを開こうとすると
あ
る日もう一度その
既になくなっているものもあ る。 学校など責任主体が
はっきりしているホームページに 問題はないが、 個人のホームページにはそう
いうものがかなりあ る。 ネットワークと 自己責任の問題は 多く論じられている
が 、 こういうシステムで 果たして自己責任が 大きく叫ばれたとしてもその 意識
が 育っのであ ろうか。 事例
2
に対する意見で 紹介した高橋の 提案であ る、 電子
住民票や専用ネットワーク 等 、 さまざまな試みがなされ、 責任の所在が 確かめ
られ得る方向にいかなければ、 最終的には自己責任の 問題は解決しないであ ろ
、つ
もう一つは、 誰でも簡単にネットワークのユーザ 一になれるということであ
る
。 だからこそこれだけ 普及したわけであ るが、 実は操作は簡単だが、 そのし
くみは複雑であ り、 それ故に、 自分が被害にあ れないようにネットワーク 上で
予防する知識も 手段も持たないユーザーが 大多数だという 現実であ る。 例えば、
必要に応じて 暗号を使用している 者、 ウイルス対策を 実行している 者等がどれ
一 61 一
だけ り るであ ろうか。 また、 自分が加害者にもなり 得るということを 認識して
いる者がどれだけ い るであ ろうか。 多大な危険性をかかえたツールであ るにも
かかわらず、 免許もなく講習も 何も経ずに ユーザ 一になれる現実であ る。 これ
もまた、 自己責任が育たない 要素ではないが るぅか 。
おわりに
インターネットの 諸問題を考え 始めてから、 この問題に関して 実に多くの 取
り
組みがなされていることや、 多くの資料がインターネットから 得られること
を実感した。 本稿で引用したもの 以外にも、 参考になる、 また考えさせられる
多くの資料があ り、 数多くの大学や 関係機関で作成されたガイドラインも 公関
されていることを 知った。 自分がインターネットの 市民であ って 、 居ながらに
してこれだけ 多くの先達の 試みや資料、 研究、 議論が得られるにもかかわらず、
知らなかった、 わからない、 ではすまされないことも 実感させられた。 本稿は
筆者の反省を 込めた記でもあ る。 また、 桜 美祢大学の情報部門全てに 責任を持っ
ている情報教育科学センタ 一の大道センター 長からさまざまな 実例を含めて 情
報を得ることができたことも 有益であ った。 桜 美称大学ではネットワークを 使
用 する全学生に 情報倫理の教育を
行なっており、 誓約書も出すようになってい
る。 罰則も当然あ るわけであ る。 大道センター 長は、 情報倫理の問題は 実は
対
1
のコミュニケーションの 問題であ り、
1
対
1
のコミュニケーション
1
( 人間
関係のルールや 痛みを分け合うこと 等 ) が育っていない 者、 人権 意識のない者
に、 ネットワークの 倫理は通じないと 語った。 これは筆者の 心に強く残るもの
った。 情報倫理、 情報教育の原点はここにあ るのであ ろ つ
であ
・
,
何彼 倫 (1998) P 中国インターネット 案内 ] 日本エディタースクール 出版部
p.74
2
1998 年 12 月、 東京町田にあ
る 桜 美称大学情報科学教育センタ
一
62
一
一大道センター
長 研究室にて
,
鶴田昭子 (1998) 「留学生の『知られない 権 利 ] に関する 一 試論」「横浜国
立大学留学生センタ 一紀要』第 5 号
年半ほど前に (1997 年 ) 筆者が直接に 見聞きした情報であ る。
。
これは
5
1996 年 12 月
1
ぺージ
。
3
日の朝日新聞朝刊紙上に 出されたニュース「クラスのホーム
条例違反だなんて」であ る。
茂野 連 太朗 (1998) 「ネットワーク 社会の情報管理」 ComputerSecurity
98 年
6
月号
叫 obal EduNET
「平成
9
年 1 月∼
3
月に一部上場企業と 大学
を対象に行なった「コンピューター 及びネットワークを 利用する企業等のセ
キュリティに 関する実態調査』によると、 無作為に抽出しているため、 コン
ピューターを 所有しない企業も 含まれているものの、 セキュリティ 担当部署
を設置していない 企業・大学が 28% 、 コンピューター 及びネットワークに 関
する運用規程を 特に設けていないところが 74.5% 、 またセキュリティに 関し
ての啓蒙活動を 特にしていないところが 56.4% 、 更に 91.6% の企業・大学で
は不正アクセスやウイルス 感染等の被害に 対する対応要領を 制定していない
といったように、 全体的にセキュリティに 関する関心は 薄いようです。 セキュ
リティを意識して 実践している 企業・大学はほんの 一握りだけだということ
が 調査結果から 読み取れるのではないでしょうか。
http://www
, alc co , jp/edunet/column/cmpsec26.html
・
( 警察庁の実態調査による
,
http: ル www
知識が不可欠な 時代に ) Global EduNET
。
,
.npa.go.jp/police j.htm )
vol.25-Topics Part2
, alc , co jp/edunet/topics/98/edutop252.ht
Ⅲ
・
同上
「ネットワーク 社会における
ア
自由ⅠとⅠ
善計
ま
4玉Ⅰ」
会 に求められる 教育のコンテンツは ? ) Global
Part6@ http://www
,。
(1998) U 「情報倫理」の
「ネットワーク 社会における「自由』と『責任」」
http://www
」
(1998) 0 ネットワーク
EduNET
ヰヒヒ
vol.25-Topics
, alc co , jp/edunet/topics/98/edutop256.html
・
前掲「ネットワーク 社会における
下
自由」と「
一 63 一
責ィモ」」
( 「情報倫理」の 知
識 が不可欠な時代に ) ( 注 7)
,, 例えば、 広島大学情報研究センタ 一作成の「ネットワーク 市民の手引き」
httop://www.riise.hiroshima-u.ac.jp/info/NetworkGuideLine-jp.shtml
で
ある
" 山本刷 (1997) 世田谷区立松ケニ 小学校問題についての 私見」『日本の 教育
を 考えるホームページ ]
http://www.asahi-net.or.jp/
∼㎡ 5t-ymmt/prg.htm
"
同上
,。
同上
0 原文のまま )
,, 高橋邦夫 (1997) 「安全で自由な 情報発信のための 提案」
( 高橋学園東金女
子 高等学校 )
http://www.togane-ghs.togane.chiba.jp/report/safepub.html
同上
, 。
,, 藤川大祐「インターネットと 個人情報」「連載・パソコン 通信を使うく
0%
2
( 金城学院大学現代文化学部 )
http://www.kinjo-u.ac.jp/
∼ fujikawa/nwpcg702.ht
血
,, 例えば、 目黒区立学校におけるインターネットの 利用に関する 要綱
http://www
・
threeweb ad jp/ 。meg6jhs/kouchou/riyoyoko
・
・
・
html@@@@
・
@L ,??
ある
宮脇・田中 (1996) 「ホームページ 公開にあ たっての注意事項」福岡教育
,。
大学教育学部理科教育教室
http://www.fukuokaedu.ac.jp/
∼ tanakahi/zyukyou/1996kou/ensyu2/
tyui , html
,。
三重大学教育学部附属中学校
師門
,,
)」
(1996) Web ぺージ作成、 公開の規定
「
http://www.fuzoku.edu.mie-u.ac.jp/naiki.html
長谷川元 洋 (1998) 「インターネット 上の個人情報の 扱いについて」
http://www.fuzoku.edu.mie-u.ac.jp/
∼ ghase/kitei/index.htm
,, 水野望 (1990) 「インフオームド・コンセント」中分新書
一
64
一
(教
"
天野散 之 「インフオームド・コンセント
主語は誰
24
々
?
直 円規 史
」
インフオームドコンセントの
http://village,infoweb.or.jp/
∼ amanonin/inf-3.htm
「インフォムド・コンセント」
http://www .lib.ehimeu.ac.jp/KANPo/davori44ueda.html
,, 1998 年 12 月 25 日産経新聞朝刊に、 宅配便で送られてきた
ヵ
プセルを飲んで
死亡した女性の 記事が載った。 捜査の結果、 これは「ドクターキリコ
診察室」
というホームページと E メールを利用した 青酸カリ販売事件であ ることが 判
明し、 新聞・テレピを 賑わした。
一-65 一