川下地区連合自治会 - 岩国市地域福祉情報ネットワーク

川下地区連合自治会
発足年 昭和31年 現会長名 土
肥
慶
久
登、堀川第一、堀川第二、中津新町、鰯場上、鰯場中、鰯場下、大薮第一、大薮第二、大薮第三、
大薮第四、新生、平和、車第一、車第二、車第三、車第四、桜住宅、川下寿、向今津、連帆、旭第一、
旭第二
清流錦川が、東南の方向に今津川と門前川に分かれ、そのデルタ地帯に川下地区があります。面積は約
11.26㎢で、岩国市(221.16㎢)の約5.1%にあたります。
しかし、川下地区の約50%は、米海兵隊岩国基地(5.74㎢)が占めています。これは、平野部の少ない
本市において、市街化区域面積の22%に相当します。
平成8年度から「事故回避と騒音軽減」を目的に始まった滑走路の沖合移設事業が、あと数年で完成予
定となります。この事業は、民間空港の再開にも係るので、川下地区住民は、もとより、岩国市民の期
待が膨らむことが予想されます。川下地区は、1600年頃から吉川藩により干拓が始められ、明治直前の
1870年頃には現在の川下の地形が整っていたようです。明治の後半までは綿花の栽培が盛んでしたが、海
外からの輸入で綿花は衰退し、綿花から養蚕に転化され、昭和20年頃まで養蚕が盛んでした。戦後、連合
軍が進駐した後、基地の街へ急変していきました。川下地区の人口は、平成17年7月1日現在で、男4,946
人、女5,172人の計10,118人です。岩国市の人口105,362人の9.6%となります。高齢化率は65歳以上の方が
2,294人で22.7%。岩国市の高齢化率(23.2%)よりも下まわっています。世帯人口は1世帯2.0人で、岩国
市の平均2.2人を下回っているのが、川下地区の特徴といえます。
ところで、昭和44年に川下地区108haの区画整理区域を都市計画と決定して以来、36年が経過したまま
になっています。現状にかんがみ岩国市当局が「米軍岩国基地とタイアップしたまち興し」や「岩国基地
周辺まちづくり構想」等の将来を展望した川下のまちづくりの方策を検討・協議を開始したのは喜ばしい
限りです。これらの事業は是非とも実現させて川下地区のさらなる発展のために取り組みたいと思ってお
ります。
終わりに、地区住民の皆様と一丸となって取り組みたいことが有ります。それは「川下地区防犯パトロ
ール隊」の結成です。地区の安全確保のため、街頭パトロールを通じ、青少年の健全育成と事件・事故・
災害の未然防止活動を実践します。岩国警察署のご協力のもとに是非パトロール隊を立ち上げて「安全で
安心な川下地区」にしたいと思っています。
山口県指定天然記念物(昭和55年4月21日指定)クスノキ巨樹群風景
■歴代会長名
村本 操 S31~35・中川安一 S36~38・嘉屋崎勲一 S39~42・三国佐雄 S43~45・山本清一 S46~
48・木村経佳 S49~50・上木関朝 S51~53・今沢正人 S54~56・中野光博 S57~60・荒川孝司 S61~
62・中野光博 S63~63・上木関朝 H1~4・植木正典 H5~5・上木関朝 H6~6・植木正典 H7~7・荒川
孝司 H8~10・上木関朝 H11~11・村岡 勝 H11~11・土肥慶久 H12~
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50th Anniversary
登自治会
昭和30年 230世帯 大 立 吾 郎
登自治会は、岩国市楠町1丁目と2丁目を合わせて、
昭和30年に発足した。川下の地形、デルタの先端で
ある。清流錦川が、ここで門前川と今津川として分
かれている。
自治会の内に、楠木の臣木が群生している。樹齢
350年を過ぎる楠木は、日本でも珍しいといわれる。
この楠木は、県の重要文化財に指定されている。
門前川、今津川の土手には桜並木があり、春には
美しい花を咲かせて、住民を楽しませてくれる。水
が豊かで、緑が深いこの地域の人は、自然との共生
をしている。
H19年完成を目指して着工された、岩国南バイパス
道路が、自治会を横断して工事が行われている。着
工前、280近くあった世帯が、現在(H17年)230世
帯になった。
環境が変わっても、私達の住む地域を、住みよい
まちにと、みんな熱い思いでいる。
登自治会は、“水と緑、ひかり輝くまち”です。
■歴代会長名
土 肥 泰 吉 S30~34・ 平 岡 三 一 S35~36・ 松 本 正
己 S37~38・中村伝一 S39~43・木村経生 S44~
50・河村 豊 S51~52・佐郷芳雄 S53~54・中村
兵一 S55~59・中村 繁 S60~61・平岡勝人 S62
~H1・吉田芦人 H2~3・植木正典 H4~7・寺本光
夫 H8~11・大立吾郎 H12~
楠広場
楠巨木群
堀川第一自治会
昭和30年 100世帯 山 本 己代子
堀川自治会は昭和30年に発足しました。昭和12年
(1937年)大日本空中測量会社の写真を見てもわかり
ますように堀川から上は桑畑等の畑で昭和13年海軍
航空隊が建設されることや、昭和17年の台風によっ
て堤防が決壊して甚大なる被害を受け住民の多くは
楠地区に移転されました。2000年(平成12年)には、
1937年(昭和12年)
大日本空中測量会社
(1/10,000)
1990年代岩国市川下地図
(1/10,000)
堀川供用会館が完成し、それまでは昭和55年ごろか
ら平成8年まで白本實さん方に老人いこいの家が集
会所として利用させて頂きました。元自治会長の兼
本了一さんや村尾勲さんの奥様によりますと中本昭
さん宅前や三国徳太郎碑の付近、最終的には三国一
郎さん宅前の畑に決まりました。御子息の三国修三
さん御夫婦の御努力により現在の堀川供用会館が完
成したとのことです。建物も木造平屋建て敷地面積
343.6㎡、駐車場3台、完成年月日2000年3月31日「堀
川の道」に面しており、今では周辺の自治会や老人
クラブ、子供会等たくさん利用され、堀川第一自治
会も12月には「モチつき大会」や堀川産の野菜市な
どが開かれます。2005年平成17年9月6日から7日の未
明にかけての台風14号による門前川土手道の桜の木
の下まで濁流がせまり、川下小や川下中への避難勧
告がなされ115世帯のうち10数世帯の方々が、避難さ
れました。又、9月14日には門前川と排水路との合流
地点付近を岩国市と八木興業㈱と堀川第一自治会の
ボランティアにより、流木やプラスチック、ビニール、
ドラム缶など多量の災害ゴミを取り除きました。(9
月10日から9月18日まで延60数名のボランティアが参
加されました。)
これからも地域が一体となって、「明るく住みよい
町づくり」や「自分達の町は自分達で守る」を目標
に次の世代に引継いで行こうと思います。
川
■歴代会長名
村本 操 S30~38・山本清一 S39~57・兼本了一
S58~H4・村尾 勲 H5~7・藤井健一郎 H8~15・
山本己代子 H16~
堀川第二自治会
昭和31年 100世帯 重 元 和 彦
堀川第二自治会は、昭和31年に発足し現在に至っ
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下
江戸時代末の店屋のつくり
ておりますが、私達の住む通称堀川通りと呼ばれる
通りは、今は町名変更により楠町と中津町を分ける
道となっております。
古くは、江戸時代、小瀬から上の関を結ぶ道で灘、
愛宕、中津地区から今津の白崎八幡宮へお参りする
人が通った道で当時は川下のメインストリートで大
変賑やかな通りでありました。数多くの商店があり、
今でも昔の古い庄屋の面影を残す建物などが残って
おります。
しかし、かつて時代の変遷と共に今は静かな住宅
地に変わり、かつては川下で一番先に開かれた歴史
のある町ですが、高齢化も進み子供も少なくなり寂
しい限りですが、自治会の行事等には皆様こころよ
く参加され、ご協力頂いて本当に住みよい所だと思
います。
また、堀川通りには古い建物があり、この建物は
江戸時代の終わりごろつくられました。昔の古いお
店の面影を残している大事な建物です。大事に残せ
たらとも思います。
■歴代会長名
中川安一 S31~38・板垣義重 S39~41・三国佐雄
S42~53・上村 実 S54~63・中津一郎 H1~11・
白木吉子 H12~15・重元和彦 H16~
中津新町自治会
の両側にたくさんの出店が並び、多くの参拝者で大
変賑やかでした。また隣の野菜畑は縁日に合わせ、
にわかにサーカス小屋へと早変わりし、サーカスが
演じられたこともありました。
■歴代会長名
河野清水 S37~39・村岡 豊 S40~44・村岡進
一 S45~45・玉井 好 S46~50・古賀 実 S51~
53・森本哲夫 S54~H2・村岡 勝 H3~5・横道行
夫 H6~7・妻鳥和雄 H8~9・村岡 勝 H10~11・
米村 勇 H12~13・吉岡武之 H14~15・森重利幸
H16~
鰯場上自治会
昭和31年 84世帯 木 村 克 巳
昔橋がない時、愛川橋上流に渡舟で人を運んでい
た渡し場跡があります。又このあたりから川下中学
校の運動場前にかけて平田(へいで) 川が流れこん
でおり、車川から二年遅れて1695年にせき止められ、
川下が三角になった平田川跡もあります。
現在、鰯場上自治会は鰯場を3分割(上中下) し、
その上流域に有り、町名では中津町1丁目にあたりま
す。門前川沿いは、春は桜が咲き、冬はカモが飛来し、
すばらしい景観です。
自治会行動目標は「お年寄りや子供に声を掛合う」
です。活動としては川下連合会として一連の動きを
昭和37年 110世帯 森 重 利 幸
中津(中州に由来) は古く鎌倉中期に誕生したと
いわれ、室町時代当時住んでいた朝日長者は、自分
の屋敷を築地(東西90m南北110m) のため、土いっ
ぱいと米一杯・石いっぱいと銀一杯とを交換すると
言って近くの農民に土石を運ばせ、余った土石を捨
てたら小高い丘ができたのです。
(土一升米一升の丘
と言う) 又この丘の前には亡くなった一人娘の菩提
を弔うため、薬師堂を創建しお堂の下に黄金千杯・
漆千杯を奉納し、埋めたとも伝えられています。薬
師堂には薬師如来が安置され、戦前の縁日では道路
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50th Anniversary
門前川沿い
しています。
スポーツも活発で、鰯場(上中下) チームで出場
し上位の成績をあげています。
■歴代会長名
戸川邦三 S31~38・広江儀十郎 S39~50・竹林 知 S51~60・立道留二郎 S61~H3・中河弥一 H4
~9・竹林 宏 H10~13・笠井義一 H14~15・木
村克巳 H16~
鰯場中自治会
昭和37年 115世帯 上 村 浩
昭和37年に、鰯場下自治会より分離し、鰯場中自
治会が発足した。
愛川橋通りの県道磯崎線と、門前橋通りの国道188
号線が通り、川下中学校のグランドに面している。
門前川土手には桜並木があり、護岸工事で石垣は
見られなくなったが、大理石の化粧板で階段状に整
備され、親子連れで楽しむ風景もみられる。
米軍の変電所も今は中国電力の変電所に変わり、
中津ポンプ場も改修工事を行い整備された。
又、JR線路横には、高さ49.5mの鉄塔が平成8年7月
に中国電力の送電用として立てられた。
この鉄塔は、鰯場中自治会内のどの位置からも見
えシンボル的存在です。
■歴代会長名
立道留二郎 S37~39・藤岡彌生 S40~41・松田好
生 S42~43・ 岩 本 徳 槌 S44~45・ 松 田 眞 S46
~47・中村義一 S48~49・上村 満 S50~51・村
重真治 S52~53・岩本家康 S54~55・津川吉次郎
S56~56・村川 豊 S57~58・中井富一 S59~60・
上村 悟 S61~62・広中 實 S63~H1・村重 稔
H2~3・高岡秀夫 H4~5・大藤喜馬 H6~7・松本
秋広 H8~9・三国睦雄 H10~11・舛本幸雄 H12~
13・松田正一 H14~15・上村 浩 H16~
鰯場下自治会
昭和30年 125世帯 岩 田 美 春
鰯場下自治会は、錦川の下流門前川と今津川には
さまれた三角州の中に位置し、西は県道磯崎線と東
はJR山陽本線、中央には国道188号線、市立川下中学
校が存在し、川下、愛宕の生徒の勉学の殿堂である。
昭和30年町内会として、鰯場上中の町内会で運営
し、昭和38年町内会が自治会と、名称変更となり2つ
の町内から鰯場上中下自治会として運営、現在鰯場
下自治会125世帯。
昭和56年中津供用会館落成地域の会合趣味や文化
交流の場として広く活用しています。
新たに自治会の組織や、新市全体の組織が効果的
に機能することにより、地域の課題に取り組みなが
ら、これまで実践してきた地域活動等の成果を生か
し、新市に於いても住民意識の向上参画連携により、
活動の充実を図る。
■歴代会長名
村井 守 S30~31・岩本好美 S32~33・崎本 守
S34~34・岩本 巌 S35~38・山本 敏 S39~39・
比江島静雄 S40~40・伊藤正行 S41~42・高崎 誠 S43~43・長沼 茂 S44~45・藤重美人 S46~
53・村井 守 S54~60・竹林 章 S61~H9・野村
宏 H10~11・岩田美春 H12~
川
鰯場街区公園除草 参加100名
大薮第一自治会
昭和30年 105世帯 土 肥 慶 久
昭和29年まで「中津下町内会」として発足しており、
30年から現在の「大薮第一自治会」となった。この
間昭和56年4月に「川下大薮地区防災クラブ」を結成。
その後消火器を22 ヶ所に設置し昭和57年と平成2年
に山口県総合防災訓練に参加。また平成元年5月に
「消火器及び消火器の取扱い」について地域の消火訓
練を実施している。尚60年度にはコミュニティ活動
の一貫として「慰霊盆踊りカラオケ」大会を開催し、
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下
平成8年度第12回大会から「大薮まつり」と名称を変
更した。今回第21回大薮まつりには来年度(平成18
年)合併記念の「特別ゲスト」として「噂の京太郎・
岩国太鼓」の出演で会場を盛り上げた。ところで、
昨年12月に「まちづくりの合言葉を見つけよう!!」
をテーマに「岩国都市再生大学校」が開校したこと
は我々川下地区住民としては大変喜ばしい限りであ
る。当日は開校式の後、中埜(なかの) 博講師より
「まちづくりからまち直し」と題して住民が自治権を
得ている米国の例をスライドで示しながら紹介して、
我々にわかりやすく講演していただいた。
今後再生大学校では、ワークショップ(勉強会)
とフィールドワーク(実地調査) を参加者(県立広
島女子大、広島大学、広島工業大学) の学生21名、
米軍5名、自治会長12名で各班で行動(3ブロック)し、
実地調査をした学生等によるフィールドワーク報告
会(広島女子大学間野教授)で、①フィールドワーク
の概要説明、②発表質疑応答(3班)
、③全体討論(住
民と学生による今後のまちづくりについて)
、④まと
め(感想、今後の展開など)
そして、学校長(井原勝介市長) と参加者で、ま
ちづくり記念植樹をした。
■歴代会長名
村繁儀介 S30~32・藤元常一 S33~36・木村佐一
S37~47・山根木久夫 S48~H4・土肥慶久 H5~
S58~H4・村川仁志 H5~
大薮第三自治会
昭和37年 110世帯 山 本 哲 雄
昭和52年会則を設定し、本格的な自治会活動を開
始し、地域住民の民生安定の為の調査・要望、福祉
更生、環境整備などのほか、慶弔への儀礼、年1回の
日帰り旅行、清掃美化運動(側溝・公園)、ふれあい・
いきいきサロン等の実施など親睦を深めている。
まちづくりについては、昭和35年に川下地区都市
機能の整備と居住環境の改善を目的とした計画が決
定されたが、住民多数の反対により休止となってい
る。平成16年度岩国市の基本計画「岩国基地周辺ま
ちづくり構想」及び「岩国都市再生大学校」の開校
を適用し、まちづくり組織の結成、基本理念を考慮
し整備することである。
私の自治会周辺には、川下出張所、小・中学校、銀行、
郵便局、飲食店、スーパーマーケット等があり、騒
音も少なく住みよいまちである。
■歴代会長名
藤元常一 S37~38・國本政秋 S39~42・國本サト
ヨ S43~50・津田 繁 S51~H14・山本哲雄 H15~
記念植樹風景
大薮第二自治会
昭和30年 70世帯 村 川 仁 志
地区内は道路幅が狭く、消防車、救急車等の進入
が出来ず困惑しておりましたが、市道56号線が新設
され、中津町第二街区公園も出来、住民も大変喜ん
でおりますが、道路ベリの市有地(空地)の雑草や、
路上駐車に大変迷惑しております。市の善処を望ん
でおります。
■歴代会長名
寺本信水 S30~53・堀田重道 S54~57・岩中 勇
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50th Anniversary
いきいきサロン風景
大薮第四自治会
昭和39年 85世帯 代 藤 重 豊
当自治会は、昭和39年、大薮第三自治会から分離
して発足した。米軍岩国基地の正門前道路から西側、
国道188号線をはさんだ中津町2丁目・3丁目の一部か
ら成り立っている。
自治会発足当時は世帯数20世帯程度で、まだ田畑
が広がり、家はその中に点在する状況であった。し
かし、その後宅地化が進んだ。現在、アパート・マ
ンション等の賃貸住宅が多く建ち、125世帯位が存在
すると言われる。しかし、自治会加入は85世帯であ
る。基地正門前道路と国道188号線の交差点を中心に
して、銀行・国出先機関・飲食店が並んで、いわゆ
る基地の街の一角をなしている。
■歴代会長名
藤重 清 S39~52・長井 守 S53~61・豊島照男
S62~H7・吉田敏明 H8~13・藤重 豊 H14~
全工事であります。と申しますのは、当時の防衛施
設庁並びに岩国市(土肥市長) の特別の配慮により
ます。
特筆すべきものの中に県下はもちろん戦後国内最
初の子ども会を作ったことである。
みんなが長い苦難の道を歩んで来たお陰で今の人
情味あふれる住みよい川下が出来たと云っても過言
ではない。
■歴代会長名
吉田梅治 S31~31・上木関朝 S32~
平和自治会
昭和57年 24世帯 板 倉 政 行
昭和57年、所帯数25所帯で、平和自治会になりま
した。
現在は、24所帯の小さな自治会で、年ごとに高齢
者が、多くなっています。平成17年現在、中学生1名、
小学生1名、幼児2名で、子供達も少なくなっています。
年1回の下水道清掃と、4回の公園の草刈等を行っ
ています。公園で夏休みのラジオ体操をしています。
平和自治会は、小さな自治会ですが、非常にまと
まりの良い、元気で仲良しの自治会です。
■歴代会長名
箕浦照夫 S57~H13・板倉政行 H14~
川
米軍基地正門前フォーコーナー附近
新生自治会
昭和31年 100世帯 上 木 関 朝
戦後種々の犯罪から身を護る事、又お互いの住居
確保とを目的に昭和21年4月1日に元軍人軍属住宅組
合を結成した(初代会長 清水健太郎)
。昭和30年に中
津新生住宅組合と改称(2代会長 岡崎新吉)
。昭和31
年、市の要望に応じて同年中津新生自治会として新
発足する(会長 上木関朝)。
当地区はかつて民間地主であった。昭和57年7月に
各地主の理解を得て、会員各人への払い下げが実現
し、土地建物とも各人の所有となる。
その後、道路並びに下水道の整備が完了する。そ
の動機は、戦後の食糧難や21年に進駐した米軍人の
影響から子どもを守り、健全に育成したい一心であ
せっ さ たく ま
った。子ども会を作ったために子ども達の切 磋 琢 磨
によりその成長が現れて来た。特に住内の道路並び
に下水工事については、岩国市内では例を見ない完
公園での
ラジオ体操風景
車第一自治会
昭和31年 217世帯 高 木 博 文
車第一自治会の紹介は先輩方の原稿をそのまま流
用させていただく。昭和31年発足、当時は310世帯と
のことであったが、その背景には基地の町として栄
え、転入者も多く数字としては確かではなかったよ
うだ。そんな中横文字のカンバン、夜はネオンの映
50th Anniversary
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下
■歴代会長名
国光俊男 S30~30・井上種三郎 S31~32・村田清
次 S33~38・田中 実 S39~39・好永一雄 S40~
52・ 河 野 正 男 S53~57・ 藤 井 敏 雄 S58~H1・ 藤
里次雄 H2~5・塚本和美 H6~9・稲田克己 H10~
11・村重良三 H12~15・山本滿治 H16~
車第三自治会
昭和31年 152世帯 髙 林 孝 行
年に一度のふれあい祭
える町並であった。昭和51年に中央広場、55年5月
には車中央供用会館が完成し、自治会活動の拠点と
なった。現在国内では少子化が加速、将来が危ぶま
れている。この川下地区も御多分に洩れずその一途
を辿りつつある。生徒数も'89年705名、'95年619名、
'05年597名と減少が続いている。川下地区は市の平地
のほぼ中心にあり、住みよい住宅地となるべきとこ
ろにありながら、今は活気を失い高齢者の人が静か
に暮らしているのが目立つ。子供達の大声が多く聞
きたいものである。その為にも若者達の働く場所の
誘致に力を注ぎたい。何か妙案はないものでしょう
か。
■歴代会長名
松岡萬方 S30~40・藤岡彦十 S41~51・松野禮正
S52~H6・国廣 眞 H7~12・錦村 勉 H13~13・
高木博文 H14~
車第二自治会
昭和30年 209世帯 山 本 滿 治
当自治会は、昭和30年車町二丁目、三丁目区域の
一部で発足し、その後、旭町一丁目の一部も入会し
ている。区域は、国道188号線、JR山陽本線、幹線市
道昭和町~藤生線で分断されており、国道188号線よ
り上は区画整理事業が計画されたが、関係者の理解
が得られず残念ながら休止となっている。
一方、山陽本線より下(基地側) の区域は戦前は
ほとんど農地であったが、現在は幹線道路も地区内
は完成し、住宅、アパート等が建築され市街化され
てきた。
しかし、この地区は、借家が多いため居住者の約
半数しか自治会に入会していない。
最近、米軍岩国基地に出入りする5 ヶ所目のゲート
が当地区に完成し、基地従業員や沖合移設工事用の
車で朝の入門時には、幹線道路も渋滞するなど、戦
後60年経過した今日でも、善し悪しは別にしても基
地との関わりの多い地区である。
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50th Anniversary
当地区は、東西を基地フェンスと山陽本線に、南北
を国道189号線と市道7号線に囲まれたところにある。
昭和13年に海軍航空隊飛行場として農地を接収され
た農家18戸が移住したことにはじまる。戦前は17年
台風による高潮で、20年には航空隊の猛爆で被害を
被った。戦後は借家や正門通りに商店が急増、37年
に加入世帯数200を超え正門通り一帯が車第四自治会
として発足した。53年車供用会館設立、民防工事開始、
ドル不況と米軍の凶悪事件が続出、地域はパニック
状態となり、応急的に防犯灯及び町内道路整備を要
望、長年かけて実施された。以前は地区の親睦活動
も盛んで、各種競技にも優秀な成績を収めていたが
最近は少子化の影響もあって芳しくない。今、地区
を南北に二分するように藤生線の道路工事が進んで
いる。私達はこの道路を基に既存道路の整備を含め
た「緑の多い住みよい街づくり」を課題に年度末を目
標に基本構想を纏める勉強会を続けている。
■歴代会長名
広重進一 S31~34・原田徳重 S35~40・福屋儀人
S41~50・柏本文康 S51~52・荒川孝司 S53~62・
原 田 万 里 S63~H2・ 難 波 重 雄 H3~4・ 村 川 久 雄
H5~7・荒川孝司 H8~11・米田隆博 H12~16・髙
林孝行 H17~
車第三街区公園
昭和町藤生線道路工事風景
車第四自治会
昭和37年 90世帯 林 清 茂
当自治会は、米軍岩国基地正門前に位置し、外国
人との接触が盛んな町である。189号線沿いの商店も
外国人相手の店が多く、色んな国の人で国際色豊か
な所である。現在はドルの相場が下がり、昔の景気
は無いが外国人も日本の風習になじんで明快な生活
を送っていると思います。又生活の上での動脈とも
云える道路の整備について近い将来昭和町藤生線が
189号線に合流する見通しとなっており、当地区の発
展にも少なからず影響して来る事と思います。それ
に伴い、交通量も増える事と思いますので、住民の
安全対策も並行して考えて行きたく思っております。
現在車地区まちづくり検討会が都市計画課の主催で
開催されており、地区住民の方々の関心を高め、希
望のある明るい町づくりの成功を期待しております。
■歴代会長名
渡辺国一郎 S37~42・仲村 博 S43~47・村中捨
男 S48~49・日山正明 S50~50・中野光博 S51~
H10・林 清茂 H10~
基地正門付近
桜住宅自治会
昭和39年 32世帯 舘 澄 子
「桜住宅」は戦時下の昭和16年、海軍航空隊の将校
官舎として民有地に16戸が建てられた。戦後大蔵省
中国財務局に移管された。
昭和39年桜住宅自治会が発足した。
戦後60年が経ち、住民の多くが入れかわった。建
物も5戸が当時の姿を残すのみとなった。近年地区内
に単身者用アパート、家族用のアパートが建ち、世
帯数が増した。一時期途絶えていた子どもたちの遊
ぶ姿も見かけられるようになった。
■歴代会長名
空閑住一 S39~40・堀本 薫 S41~41・有田ヨシ
コ S42~42・古山克郎 S43~43・大楽嘉一郎 S44
~44・三吉幸子 S45~45・白石正三 S46~51・有
福フキコ S52~52・堀本 薫 S53~53・有田ヨシ
コ S54~H5・川脇常男 H6~8・平田次男 H9~14・
舘 澄子 H15~
川下寿自治会
昭和47年 175世帯 冨 森 克 巳
昭和31年に向今津上自治会と川端自治会が発足し
たが、昭和47年に2つの自治会が合併し「川下寿自治
会」となった。
自治会地域内には、川下寿供用会館、川下寿街区
公園(児童公園) があり、地域の子供会活動や自治
会員の方々の交流の場として有効に活用されている。
また、川下地区の氏神様である大歳神社があり、5
月には境内で児童の「相撲大会」、10月の祭には日本
の伝統文化である「神楽」が催され、夜遅くまで笛
や太鼓の音が響き郷愁を誘っている。
自治会活動も活発で、秋はレクリエーションで日
帰りバス旅行、春には老若男女問わず多くの会員が
集まる「ふれあい広場」が開催され、青空市場や芸
能発表大会等も行われており、明るく住みよい町づ
くりを目指して前向きな活動が展開されている。
川
■歴代会長名
好野軍太郎(川端)S31~36・木村常吉(向今津上)
S31~35・白木信夫(川端)S37~41・嘉屋崎勲一(向
大歳神社全風景
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下
今津上)S36~46・松本孝佐(川端)S42~46・池
本義久(合併)S47~62・渡辺秀雄 H1~2・桑原敏
幸 H3~7・松重昌彦 H8~9・桑原敏幸 H10~10・
米本 正 H11~12・冨森克巳 H13~
向今津自治会
昭和30年 161世帯 為 重 正
向今津自治会は航空機騒音の最も高い旭町に隣接、
その規模は川下地区23の自治会の内、7番目の世帯を
有しております。
自治会名に使用されている向今津は江戸時代から
の古き地名、当初は今津を大今津、向今津は小今津
と呼び、弘化三年当時の年貢領収に小今津の地名が
記入されております。
その後、向今津は今津の向かい側にあることから
向今津と称するようになったと言われております。
そして古き良き地名が町名変更により残される事な
く、川下町と旭町に変更され、向今津自治会が細々
と地名を伝承、現在に至っております。地区内の公
的設備は野地公園があり、公的集会所もなく、農協
向今津支所の二階が活動の中心になっております。
定期的な行事は特にありませんが、5年前から「い
きいきサロン」を開設、地区高齢者の方々から大変
よろこばれております。
■歴代会長名
森繁四郎 S30~31・田中 登 S32~33・三吉勇雄
S34~37・室本春一 S38~41・松井成信 S42~42・
岡崎英男 S43~43・吉岡 博 S44~44・岩本良雄
S45~46・今沢正人 S47~56・本城 勲 S57~63・
米村 務 H1~12・為重 正 H13~
新・旧連帆橋
もども親睦を計っている。名称は「連帆自治会敬老
親睦カラオケ大会」で毎年9月の第二日曜日に行って
いる。
連帆自治会内に恵美須神社があり、毎年10月の体
育の日に祭典を自治会会員全員参加で行っている。
また、今津川に係る古い橋が残る連帆橋、現在は自
動車通行禁止で歩行者や自転車等は通行可能である。
連帆橋に成ったのは昭和5年2月で最初は山代屋兼七
と松井治三郎両名共有の私設であって、片道一銭、
自転車二銭の通行税を取っていた。世人これを一銭
橋といっていたのである。昭和13年川下村がこれを
19,500円で買収、翌年4月1日から村の所有として6月
1日からは通行無料とした。
昭和15年市制施行の結果市有としたが昭和25年の
洪水によって流失、市の手によって再建することと
なった。現在は新連帆橋も出来たが、勾配がきつく
歩行者や自転車は旧連帆橋を利用し、人絹地区に通
勤や買物等にいっている。上の方に見える高い橋が
新連帆橋である。
■歴代会長名
佐上政次 S31~32・広田 猛 S33~34・嶋田 悟
S35~38・松井 巌 S39~40・嶋田 悟 S41~54・
廣田 博 S55~57・佐上英次 S58~H5・柳崎 正
H6~
旭第一自治会
昭和33年(旭町自治会)
・平成13年(旭第一自治会)
190世帯 三 木 健 二
いきいきサロンでの勉強会
連帆自治会
昭和31年 128世帯 柳 崎 正
昭和58年より自治会内の敬老者を招待し、会員と
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50th Anniversary
旭第一自治会は、4年半前に旭自治会から別れた新
しい自治会です。しかし子供会、老人会、慰霊盆踊
大会、球技大会などは旧旭自治会当時の体制で組織
化されています。今年は終戦60年となりましたが、
盆踊りに合わせ戦没者、戦災者23名の慰霊祭も毎年
執り行っています。よって第二自治会とは兄弟自治
会として今後も協力し住み易い町、地域の活性化に
努力するつもりです。
■歴代会長名
嶋田 保 H13~14・中濱浅吉 H14~
旭第一自治会館
全景
盆踊り風景
子供会のお母さん方での料理実習
地域の特徴としては、岩国基地に隣接しているた
め、毎日爆音に悩み、朝から大型自動車などで渋滞し、
日常の生活はもちろん、子供たちの通学、遊び、勉
学への影響も懸念されます。平成20年には滑走路が
1キロ沖合に移設され爆音は軽減されますが、これ以
上の機能増強は許されません。
よって、今話題となっているNLP、沖縄普天間基地、
厚木基地よりの機能移転は絶対反対です。
■歴代会長名
木 村 勘 一 S33~35・ 東 直 人 S36~36・ 三 吉 美
雄 S37~38・鈴木正男 S39~39・宮原武夫 S40~
43・加国 清 S44~45・木村勘一 S46~47・松重
恒人 S48~51・東 直人 S52~54・宮原武夫 S55
~H7・嶋田 保 H8~12・鈴川義之 H13~16・三
木健二 H17~
川
町の風景
旭第二自治会
平成13年 210世帯 中 濱 浅 吉
平成13年に旭町自治会より分離独立して旭第二自
治会(旭町2丁目・旭町3丁目)
が誕生した。この地域は、
岩国基地に隣接しており、毎日爆音に悩み更に基地
に出入りする車は、車の優先道路の渋滞を避けて生
活道路を抜け道として走行する車が多く、地域住民
の通学・通勤を阻害している。また川下地区は下水
道の復旧率は0%である。川下は上流から下流まで傾
斜の殆どない地区であり、特に下流の旭地区は水溜
まりの異臭・嫌臭に悩んでいる。今取り組んでいる
川下町づくりでまず道路と下水道復旧に注力してお
ります。どこの自治会もその地域の生活環境の向上
や活性化を目的に努力されていると思いますが、当
自治会も自治会員・老人会・子供会が協力して目標
管理を立案し、切磋琢磨して推進しております。
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