牛乳・乳製品摂取と周産期うつ症状 との関連:九州・沖縄母子保健研究 愛媛大学大学院医学系研究科 教授 三宅 吉博 先生 略歴:19 9 3 年 防 衛医 科大 学 校 医学 科 卒 業、 ~疫学研究によるエビデンス蓄積の重要性~ 1993年 京都大学医学部附属病院老年科医員 2001年に開始した「大阪母子保健研究」では、妊娠中にα 研修医、1996年 京都大学大学院医学研究科 リノレン酸やドコサヘキサエン酸、乳製品、カルシウム、ビタ ミンEの摂取が多いほど、子供(1歳半)の喘鳴(気道が狭く なり、呼吸の際にゼイゼイ、ヒューヒューと音が鳴ること)の リスクが低下し、チーズの摂取が多いほど、子供(3歳半)の 齲蝕(虫歯)のリスクが 低下していることがわかりました。 (研 修医)、19 9 4年 静岡市立静岡病院内科 内科系専攻博士課程入学、1997年 九州大学大 学院医学系研究科社会医学系専攻博士課程転入 学、2000年 九州大学大学院医学系研究科社会 医学系専 攻 博士課程 修了、2 0 0 0 年 近畿大学医学部公衆 衛生学助 手、2002年 福岡大学医学部公衆衛生学講師、2004年 福岡大学医 学部公衆 衛生学助教 授、2 0 07年 福岡大学医学部公衆 衛生学准教 また、2007年に開始し現在も継 続している「九州・沖縄母 授、2011年 福岡大学医学部衛生・公衆衛生学准教授、2014年 愛媛 ルト、カルシウム、ビタミンD、海 藻 の 摂 取 が 多 いほど、母 主要研究テーマ:観察的疫学研究(生態学的研究、横断研究、症例対 子 保健研究」では、魚介類、エイコサペンタエン酸、ヨーグ 大学大学院医学系研究科公衆衛生・健康医学講座教授。 親の妊娠中うつ症状の有症率が低いという結果が得られま 照研究、コーホート研究)に携わり、アレルギー疾患やうつ、出生時体 した。特に、産後4カ月時点では、妊娠中の牛乳摂取が多い と、産後うつ症状のリスクが 低下していました。これらは、 疫学研究として行われたものですが、確立したエビデンスと なるためには、多くの 疫学 研究で支 持されることが 必 要で す。今後は、さまざまな健康問題に対する栄養の影響につい て、日本人を対象とした疫学研究のエビデンスを蓄積してい くことが重要となります。 疾患発症のリスク要因および予防要因の 解明が疫学の任務 格、口腔疾患といった母子の健康問題、特発性肺線維症や特発性パー キンソン病といった難病の疫学研究に従事。近年は、遺伝要因(遺伝 子多型)と疾患リスクとの関連、遺伝要因と環境要因の交互作用を調 査。特に、出生前コーホート研究(大阪母子保健研究、九州・沖縄母子 保健研究)を運営しており、妊娠中にベースライン調査に参加した母親 と、生まれた子の栄養情報の追跡調査を行っている。 所属学会:日本疫学会、日本公衆衛生学会、日本産業衛生学会、日本 衛生学会、日本口腔衛生学会 症 状 が 現 れ 、診 断 が 確 定した 患 者 の 合 併 症 を 予 防 する ことを意 味します。 疫 学 研 究 は 、明 確に規 定 された 人 間 集 団 を 対 象とし こうした予防医学の概念において、一次予防を目的と て 、疾 病 の 頻 度と分 布 、そして 、そ れらに影 響 を 与 える した観 察 的 疫 学 研 究によって、疾 患 発 症 のリスク要 因 お 要 因を統 計 学 の 手 法を 用 い 明らかにして 、有 効 な 対 策 よび予 防 要 因を解 明 することこそが疫 学 研 究 の 第 一 義 を 立 て ることを 目 的 に 行 わ れま す 。さらに 、疫 学 研 究 で あり、衛 生 学・公 衆 衛 生 学 の 土 台となる任 務 で あると は 、介 入 を 行 わ な い 観 察 的 疫 学 研 究と、何らか の 介 入 考えています。 を行う介 入 研 究にわかれます。 日 本 に お ける 栄 養 疫 学 の 先 駆 者 は 、脚 気 の 予 防・改 一 方 、予 防 医 学 は 、一 次 予 防 、二 次 予 防 、三 次 予 防に 善 のために、大 麦 、大 豆 、牛 肉 の 摂 取を勧 めた高 木 兼 寛 大 別できます。一 次 予 防とは、疾 患を有していない 人々 です。これにより旧日本 海 軍 の 脚 気 問 題は解 決し、そ の に対して、疾 患 の 発 生を予 防 することを意 味し、二 次 予 後 、脚 気 の 原 因 がビタミンB 1 不 足 で あることが 判 明し 防 は すでに 罹 患して いるが 、まだ 徴 候 や 症 状 が 現 れて ました。このように、疫 学 研 究とは、メカニズムの 解 明は い な い 人 々を 発 見 すること、三 次 予 防 はすでに徴 候 や さておき、実 利を追 求する学 問であるといえます。 1 このようにして、曝 露 要 因と結 果 因 子との 間 の 関 連を 定量化する指標として相対危険を調べます。これは非曝 露 群に比 べ て 曝 露 群 はどの 程 度 発 症しや す い かを示し ます。全く関 連が無 い 場 合 、相 対 危 険は1となります。1 より値 が 大きい 場 合( 正 の 関 連 )では 曝 露 群 でリスクが 高く、1より値が小さい 場 合( 負 の 関 連 )では曝 露 群でリ スクが 低 い 、つまり予 防 的となります 。また 相 対 危 険 の 9 5 % 信 頼 区 間に1を含まな い 場 合 、統 計 学 的に有 意と 判定します。 妊娠中の乳製品等の摂取で 喘鳴のリスクが低下 疫学研究は、ある曝露(体が受ける影響)が結果(疾患 等)を引き起こしているかを考える学問です。ただし交絡 因 子 の 影 響を考 慮しなければなりませ ん 。例えば、飲 酒 習慣があるほど肺癌の罹患率が高いという結果が得られ た場 合でも、アルコー ルを飲 む 人 ほどタバコをよく吸う 場合、アルコールの摂取が肺癌の原因であるとは結論づ けることはできないという立場をとります。 これまで 、妊 娠 中 から 産 後 の 母 親と生 ま れた 子 供 を 追 跡する出 生 前コーホート研 究によって、妊 娠 中 の 栄 養 と母 子 の アレル ギ ー 発 症 や 周 産 期うつ などとの 関 連に つ い て 解 析を行 いました 。コーホート研 究とは 、特 定 の 集 団を一 定 期 間 追 跡する疫 学 研 究です。 そのひとつが、 2001年に開始した「大阪母子保健研 究」です(対象:1002人、期間:妊娠中~子供が4歳半に なるまで)。 2 「 大 阪 母 子 保 健 研 究 」では、妊 娠 中に食 事 歴 法 質 問 調 査票(Diet history questionnaire: DHQ)を用い て、妊婦一人ひとりの食事内容に基づいた栄養の摂取状 況に関する詳細な情報を得ました。調査対象者を摂取量 に応じて4等分して解析しました。 1 0 0 2 名 の 妊 婦 の デ ー タを 解 析したところ、ダイゼ イン( 大 豆イソフラボンの 一 種 )、海 藻 、魚 介 類 由 来 脂 肪 酸を多く摂 取して いる妊 婦 でアレル ギ ー 性 鼻 炎 の 有 症 率が有意に低下しているという結 果が得られました。 また 、生 後 1 6 - 2 4ヵ月の デ ー タでは 、母 乳 摂 取 期 間 と喘息との 間に有 意な関 連は認められませ んでした。 ヨーグルトとカルシウムは摂取量の増加に ともない妊娠中うつを低減 もうひとつの出生前コーホート研究として、 2007年に開始した「九州・沖縄母子保健研究」(対 象:1757人、期間:妊娠中~8歳)があります。この 研究は現在も継続中で、「大阪母子保健研究」と同様の 手法で追跡調査を実施しています。 さらに、妊娠中の栄養摂取と生まれた子のアレルギー 疾患リスクとの関連を調べたところ、妊娠中のαリノレン 酸やドコサヘキサエン酸、乳製品、カルシウム、ビタミンE の摂取が多いほど、子供(1歳半)の喘鳴のリスクが低下 し、また妊娠中のチーズ摂取が多いほど、子供(3歳半)の 齲蝕(虫歯)のリスクが低下していることがわかりました。 同研究のベースラインデータを解析すると、妊娠 中の魚介類、エイコサペンタエン酸、ヨーグルト、 カルシウム、ビタミンD、海藻の摂取が多いほど、 妊娠中うつ症状の有症率が低くなることがわかりま し た 。 例 え ば 、ヨーグ ルトとカルシウムは、摂 取 量が3 番 目と最 も 多 い 群 で 、妊 娠 中うつ 症 状 のオッズ 比( 生じ や すさを 示 す 統 計 学 的 尺 度 )が 有 意 に 低 下 するという 結 果が得られました。 一方、肉類等に多く含まれる飽和脂肪酸の摂取が多 いほど、妊娠中うつ症状の有症率が高まりました。 3 疫学研究では日本人のエビデンスの 蓄積が重要 「 九 州・沖 縄 母 子 保 健 研 究 」では 、妊 娠 中 の 牛 乳 摂 取 が 産 後うつ 症 状 の 予 防 効 果を示 唆 することを世 界 で 初 めて示したとして注目を集めました。 確 かに 、世 界 初 の 疫 学 研 究 成 果 は 重 要 で す が 、一 つ の 疫 学 研 究だけでは、結 論を出すことはできませ ん 。重 要 なことは、こうした研 究を足がかりとして、より多くの エビデンスを蓄 積していくことです。それによって、得ら れた結 果は、より確かなエビデンスとして確 立されてい きます。それが疫 学 研 究 の 醍 醐 味ともいえましょう。 そういう意 味 で は 、あらゆ る場 面 で 日 本 人 の エビ デ ンスがもっと必 要 です 。日 本 人 の エビデンスは 、も の す ごく欠 乏して い ます 。例 えば 、日 本 人と欧 米 人とで は 、 食 習 慣や 遺 伝 的 背 景 、生 活 環 境 、生 活 習 慣が異 なり、当 然 、結 果も異なってくるのです。 先 の「 九 州・沖 縄 母 子 保 健 研 究 」と「 大 阪 母 子 保 健 研 究 」の 結 果を比 較すると、妊 娠 中 の E P AとD H A の 摂 取 は 、アレル ギ ーリスクに対してともに予 防 的 で 一 致して いました。しかし、ビタミンDの 摂 取は、 「 九 州・沖 縄 母 子 保 健 研 究 」では 、アトピー 性 皮 膚 炎 のリスクを高 めた の 妊娠中の牛乳摂取が多いと、 産後うつ症状のリスクが低下 に対し、 「 大 阪 母 子 保 健 研 究 」の 方では、総じて予 防 的と いう結 果 が 出ました 。このように、国 内 の 疫 学 研 究 でさ え、地 域 や 対 象 者 が 違 えば 、結 果 が 異 なってくることが 産後4ヶ月時追跡調査のデータも活用したところ、妊 あります。 娠中の牛乳摂取が多いと、産後うつ症状のリスクが低 そ のような 場 合は、メタアナリシスという解 析 手 法に 下していました。 よって 、異 なるいくつか の 研 究 結 果を、あ たかもひとつ 牛乳では、特に摂取量が2番目と最も多い群で、有意に産 の 研 究 結 果 のように統 合して扱 い 、統 計 解 析によって結 後うつ症状のオッズ比が低下するという結果が得られました 論を出します。 が、量-反応関係は統計学的に有意ではありませんでした。 ただし、メタアナリシスで結 論を出したとしても、それ は 、そ の 時 点 で の 結 論ということになります 。そ れをよ り確 か な も のとして 確 立して いくには 、さらにエビデン スを蓄 積する必 要があります。 い ず れにせよ、栄 養 疫 学 の エビデンスは 、まだ 、非 常 に少 なく、特に、健 康において食 事 の 影 響は非 常に大き いと考えておりますので、そ の 部 分を追 求していきたい と考えています。 発行年月:2017年3月 4
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