第36回全国中学生人権作文コンテスト福岡県大会 最優秀賞 大切にしたいこと 北九州市立守恒中学校3年 古荘 桜 以前私は,NHKの日本に住む難民についての特集を見て衝撃を受けた。そこで紹介されていたのは, 私が今まで知らなかったことばかりだった。日本で難民認定された人は,難民認定の申請をした人のわ ずか1パーセントに満たないこと。難民として認定されなければ働くこともできないこと。難民として 認定された後も,まわりからの目線は冷たく,挨拶をしても返してもらえないなど,辛い思いをしてい る人がいること。特に3番目の「日本人に馴染めず,つらい思いをしている人がいる」ということにシ ョックを受けたし,自分のことのように悲しかった。私はこのようなニュースを聞いたとき,いつも決 まってシンガポールでの日々を思い出す。 私は中学2年生までの4年間,シンガポールに住んでいた。シンガポールはいわゆる「多民族国家」 だ。公用語は英語・中国語・マレー語・タミル語と4種類もあり,宗教も仏教・キリスト教・イスラム教 ・ヒンドゥー教などたくさんある。だから日本では考えられないような光景がシンガポールには広がっ ている。道路の看板には決まって2,3か国語の表記があり,耳に入ってくる言葉もさまざまだ。あっ ちで英語を話している人がいるな,と思ったらこっちでは中国語。 「シングリッシュ」と呼ばれるなまり の強い英語,なんてものもあるから,頭が混乱してしまう。外を歩いていても,バスに乗っていても, さまざまな国籍の人がいる。肌が黒い人,目が青い人,頭にスカーフを巻いている人。まるで世界をぎ ゅっと小さくして一つの国にしたみたいだった。 はじめはそんな光景に驚いていた私も,だんだんと慣れてくると今度は「すごい。 」と思うようになっ ていった。世界中で宗教や文化の違いから対立が起きて,事件を引き起こしている一方で,シンガポー ルではさまざまな民族が,一つの小さい国で平和に暮らしている。これは本当にすごいことだ。これを 実現できている理由として「互いの文化を理解し,認め,尊重する」という考え方が根づいていること が挙げられると,私は考える。 日本は,シンガポールの人々にとっては「外国」である。私は「みんなは日本の文化についてどう思 っているのだろう。」と気になっていた。実際生活していて感じたのは,シンガポールにとって日本の存 在はとても大きいということだ。ラーメンやすしなどの日本料理店はいつも現地の人でにぎわい,日本 人会が開催する夏祭りは日本人よりも外国人の参加の方が多いくらいだった。 「日本の漫画やアニメに影 響されて日本語を専攻している。 」という大学生にも会ったことがある。日本の文化が認められているの だなと実感し,とても嬉しかった。自分が日本人であることが誇らしく思えた。 「互いの文化を理解し,認め,尊重する」ことのほかに,もう一つ私が大切だと思うことがある。そ れは「伝えようとする思い」だ。 今も忘れられない経験が一つある。中学1年生の時,隣に引っ越してきたシンガポールの女の子と遊 んだことだ。日本人の友達数名と公園で遊んでいた私は,たまたまその子と出会って,一緒に遊ぶこと になった。お互い初対面で,すごく緊張していた。私は日本人学校に通っていたので,英語は上手く話 せなかった。けれど,ジェスチャーを交えながら文法なんて全く整っていない文で,鬼ごっこや人間知 恵の輪などゲームのルールを説明した。私は相手に分かってもらおうと必死だったし,相手も私のたど たどしい英語を一生懸命に聞いてくれた。何とかルールが伝わって,時間が過ぎるのも忘れて遊んだ。 「バイバイ」と笑顔で手を振って別れた。自分でコミュニケーションが取れたことがすごく嬉しくて, 家族に自慢げに報告したのを覚えている。 この経験を通じて改めて感じたのは,言葉が上手く話せなくても,伝えたいという気持ちは必ず相手 に届く,ということだ。きっと日本に住んでいる人の多くは,外国人と話すことに抵抗があるのではな いだろうか。けれど,勇気を持って話しかければ,言葉にできなくても思いは伝わるし,相手も喜んで くれるはずだ。何より,思いが伝わったときは心から「楽しい」と思えるだろう。 今,世界中で難民問題が話題になっている。これから日本にも難民が増えてくるかもしれない。もち ろん,難民だけの話ではない。2020年には東京オリンピックが開催され,多くの外国人が日本を訪 れるだろう。そんな時,日本人はシンガポールのように,互いの文化を認めあえるだろうか。勇気を持 って,心からのコミュニケーションは取れるだろうか。もう一度自分の中で考えてみたい。そしてこの 気づきや考えを,周りの人と共有していきたい。
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