二 月 堂 ││ 火 と水の祈 り 文学研究科長 水 取 りや で、この沓の音につい 氷の僧の沓の音 て、「参籠僧、即ち練行 芭 蕉 衆は皆木の沓をはいてい て、歩く毎にバットン バットンという響を立て るのが、そこから五六間 も隔っている私達の席ま で、かなり高い音で聞こ える」 「( お水取」 と) 記し ている。 東大寺の境内は広大で あ るが 、 大 仏 殿 の 東 方 に 大きく開けた林にはそこ ここに鹿が点在し、木々 の間をゆったりと歩く姿 や、穏やかなまなざしで 芭蕉の『野ざらし紀 行』は、貞享元年 一( 六八 四 八 ) 月江戸深川を出立 し 、 伊 勢 から 郷 里 の 伊 賀 上野、大和、美 濃、尾張 と 巡 っ た 後 、 再び 郷 里 の 伊賀上野に戻り 越年、翌 年 奈 良 、 京 都 、 熱 田など を歴遊して四月に江戸に 帰庵するまでの旅の日々 を綴ったもので、芭蕉の 最初の紀行文である。 「水取りや」の句は貞享 二年、奈 良に赴いた折の もので、「二月堂に籠り て」と前書があり、奈良 東大 寺二月 堂の修二会の 情景を詠んでいる。余寒 の厳しい凍てつくような 夜気に、厳粛に行法を修 する僧の木履の音が響き わたるさまを詠じた句で あろう。「沓」は差懸と いい、参籠する練行衆が 二月堂内陣で履く独特の 履き物で、檜の厚板に黒 緒をつけ爪先部を白塗り の厚紙で覆ったものであ る 。 荻 原 井 泉 水は 随 筆 集 『芭蕉を尋ねて』のなか 昭和女子大学 東京都世田谷区太子堂 岸 田 依 子 編集発行人 山﨑洋史 (三四一一)五一一八 〒154-8533 03 佇むその姿は、遠く古代 からの聖域に優美さと静 寂さを醸し出している。 その林間に細く長く続く ゆるやかな坂道を登り切 ると、若草山を後ろに控 え た高台に、山の斜面に せり出すように建てられ た懸崖造りの威風堂々た る風格の二月堂が現れ る 。 現 在 の 建 物は 、 寛 文 七年 (一六六七)の失火炎 上により同九年に再 建さ れたもので、平成一七年 一二月に国宝に指定され ている。 奈良・東大寺二月堂 第607号 (昭和女子大学発行) 報 学 和 昭 平成29年2月1日 (1) 今月の昭和学報は 福祉 水上真衣さん・森下友紀さん 日本身体障がい者水泳選手権大会で優勝 ……(2) 輝け☆健康〝美〟プロジェクト 堂内陣に運ばれた後、須 弥 壇 下 の 香 水 壺 に 納 めら れ 、 二 月 堂 の 本尊 十 一 面 観音に供えられる。 二月堂の火と水の行 は、人間の原始の記憶を 呼び覚ますものでもあろ う。人類が誕生して以 来、私たちの命を日々支 え続けている火と水。あ らゆるものを浄化し、再 生する火と水。火と水が 地上に絶えることがない よう に 、 二 月 堂 の 修 二 会 は「不退の行法」とし て 、天平勝宝四年 (七五 二 )に 東 大 寺 の 実 忠 和 尚 が創始して以来、平安末 期の平家の南都焼き討ち による東大寺焼亡の時で さえ 有 志 の 練 行 衆 に よ っ て断行され、その後も幾 多の危機を乗り越えつつ 本年に至るまで一度も絶 えることなく、一二六〇 年の歳月を超えて引き継 がれている。 今 年 も 三 月 一 日 から 一 四日まで修二会が行われ る。お水取りが終わる と 、 古 都 奈 良 にも 本 格 的 な春が訪れるという。機 会があれば、一二六〇余 年の壮大な歴史をもつ修 二会の行法を参観し、火 と水の再生の祈りに触れ てみるのも貴重な体験と なるのではなかろうか。 (きしだ よりこ チョコレート店 pourjours と商品開発 ……(3) 女川灯紙 ………………………………………(4) 二月堂といえば、現在 では三月に行われる「お 松明」「お水取り」の行 事で知られるが、もとは 陰 暦 二 月 一 日 から 一 四 日 に修していた「修二月 会」の法会で、この二週 間の本行に備えての前行 や本行後の後行を含める と 、 一 箇 月 に も 及 ぶき び しい精進潔斎と厳格な行 法の大法会が現在でも行 わ れて い る 。 お 松 明は 、 本行の期間、行法を修す る 練 行 衆が 二 月 堂 に 上 堂 する際の道明かりとして 連夜灯されるものである が 、 一 二 日 には 六メ ー ト ル程の長い竹の先端に直 径 一メ ー ト ル 程も あ る 巨 大な松明をつけた籠松明 が 用 いら れ る 。 登 廊 から 上ってきた籠松明が勢い よく燃えさかる火の玉と なって二月堂回廊の北の 欄干から大きく突き出さ れたかと思うと、ぐるぐ ると回転しつつ夜空に 赤々と火の粉を舞い散ら しながら、回廊南へと炎 の光を煌めかせて走り過 ぎる光景はまことに感動 的である。お水取りの儀 式は、炎の躍動する籠松 明の後、一二日深 夜 (一 三日未明)に静かに執り行 わ れ る。二月 堂の南階段 下 の 閼 伽 井 屋 の 井 戸 から 汲み出された香水は二月 うけ撃退した歴史があ 国際文化研究所主催 る 。 ま た 、 西 は ポ ーラ ン 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム開 催 ドの地へも侵攻してお 一二月一〇、一一日の 際シンポジウムであり、 り、世界的大事件であっ 両日、国際文化研究所主 招聘した海外六ヵ国一一 た。今回のシンポジウム 催 の 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 名の研究者のほか、出席 は 、元 寇関 連遺 跡の考古 「ユーラシアにおけるモ 者は延べ二百名を超えた。学調査が進む日本とベト ンゴルのインパクト」を なかには自費で参加した ナムの考古学研究者や海 学園本部館三階大会議室 外国人研究者もいた。 域アジアの視点とその後 で 開 催 し た 。 一 三 世 紀 の モン ゴ ル 襲 来は 日 本だ の 政 治 ・ 社 会 の 歴 史 変 容 元 寇 モ( ン ゴ ル 襲 来 を) あ つ けの出来事ではない。ベ について、海外の第一線 かった東アジアで初の国 トナムでは三回の襲来を で活躍する歴史研究者か ら の 報 告が あ り 、 多 大な 成果を収めるシンポジウ ムとなった。 一 二 日は 鎌 倉 幕 府 に 処 刑された元使節の墓が残 る鎌倉を巡検し、海外の 研 究 者 は 日 本 の 歴 史 的な 地を踏み、理解をさらに 深める機会となった。 (国際文化研究所副所長 菊池誠一 ) 日文客員教授 高点句「時超えて命燃や せよ寒昴」については、 日 に 開 か れ た 。 「 冬 の 星にも人と同じように寿 星」「柚子湯」の季語で 命があり、いつかは燃え 一人二句出句。学生は真 尽きてしまう無常や切な 剣に選句し、披講後の高 さを歌いながら、時を超 点句順に、まず学生が選 えると捉えたスケールの 句の理由を述べたあとで、大きな句であるというご 黛先生からのご講評、作 講評をうかがい、句作り 者からの作句意図の発表 の意図や鑑賞の仕方を学 という方法で、活発な意 ばせて頂いた。最後に黛 見交換が行なわれた。最 先生が、俳句は上手く詠 もうとするのではなく、 自分の気持ちを素直に 五・七・五で詠むことが 大切であるとおっしゃっ た。その言葉をしっかり と受け止め、この場で学 ん だこ と を 、 今 後 の 授 業 や 自 身 の 句 作 活 動 のな か で最大限に活かしていき たい。 日(文 髙木玲奈 ) 黛 まどか先 生 主 催 句 会 を開 催 日 本 語 日 本 文学 科 の 槍 田 良 枝 先 生 のご 授 業 「 創 作B」の一環として、日 文客員教授黛まどか先生 に よ る 句 会が 一 二 月 一 五 ) 福祉 水上真衣さん・森下友紀さん 日本身体障がい者水泳選手権大会で優勝 100 100 七月のジャパンパラ水 泳競技大会が終わってか ら、練習環境を変えて今 大会に向け練習を重ねて きた。それは、リオパラ リンピック後のこの大会 からが東京パラリンピッ クへ向けての第一歩とな ると考えたからだ。 こ れ まで は m 自 由 形 にしぼって練習をしてき たが、今回は m自由形 も積極的に練習を行い、 両種目に出場して初めて 二冠を達成することがで きた。しかも、ともに日 本新記録での優勝であ り、喜びも大きかった。 コーチや応援して下さる たくさんの方々の存在 が 、現在の頑張る原動力 となっている。今後も感 謝を忘れずに練習 を続けていきた い。なお、クラス は違うが同じく福 祉 二 年 の 森 下 友紀 さんも m平泳 ぎ 、 m自由形で 優勝を果たした。 福 (祉 水上真衣 50 志摩先生(中央)とともに 域社会へ貢献すると 教 職 員に 聴 く ! 共に学生の学びの場 地域連携センター を作り出すこと。次 地域連携センターにつ に、社会人に対する生涯 いて所長の志摩園子先生 学習機能を担うこと。三 にお話を伺った。 つ目に、学生と社会人が 地域連携センターは、 学び合う、地域に開かれ 文字通り地域と大学を結 たイベントの開催。活動 びつける場であり、主に の詳細は昨年九月号で紹 三つの活動を行っている。介した。 まず、企業等と連携し地 学 生 は 地 域 連 携 セ ン ターでの活動を通じ、自 主 的 に 考え 、 行 動 し 、 プ ロジェクトの立ち上げか ら報告までを含め、一連 の活動を担う。社会との 結びつきの中で社会を知 り、成長する場となって いる。 こうした活動の枠組み 作りや支援を地域連携セ ンターが行っている。学 ) 生と活動したい企業と話 確認し、振り返ることで し合い、何ができるかを 着実に自らの力とする効 考え、そのプロジェクト 果もある。 をインターンシップとい 世田谷の企業だけでは う形で新たな学びの場を なく、地方自治体との連 学生へ提供する。学科で 携も行っており、活動は 行うプロジェクトと異な センター創設四年目に向 り、全学科を対象に募集 け、ますます広がってい があり、学年・学科を越 るようだ。プロジェクト えた学生同士の繋がりが は年度単位で行われてい 生まれ、互いの得意分野 る。こうした活動に参加 を活かすこともできる。 し た い 学 生 の 皆 さ ん は の掲示に注 多くのプロジェクトでは、 UP SHOWA 五~六人を一グループと 目していただきたい。 しており、少人数での活 私も地方出身で、将来 動により、各自の責任感 は地方創生に関わる仕事 も養われる。活動の報告 がしたいと思っている。 会も開催しており、参加 地方自治体と連携するプ した企業から新たなプロ ロジェクトに参加し、視 ジェクトが発展すること 野を広げたいと思った。 学報委員 中村里穂 もあるそうだ。報告には、 ( 藪中晴日 ) 学生自身が成果を改めて 女性で 続いて、公益社団法人 本 学 オ リ ジ ナルミ ネ ラルウォー タ ー 「 田部井淳子さんを送る会 」 世界初の 日本山岳協会会長八木原 ユメ ミ ル ミ ズ が 新 デ ザ イ ン で 再 登 場 エ ベレ ス 圀 明 氏 、 北 里 大学 医学 部 本学のオリジナルミネ リジナルミネラルウォー するには、山、太陽など 去る一〇月二〇日に七 ト及び七大陸最高峰の登 脳神経外科主任教授隈部 ラルウォーター「ユメミ ターのラベルデザインで の自然がポイントだと考 七歳で亡くなられた、私 頂に成功した田部井さん。俊宏氏、国立成育医療研 ルミズ」の第三弾が誕生 何が必要かを話し合い、 え、木漏れ日を表現した。たちの大先輩である登山 福島ご出身であったこと 究センター も 「 みじ の 家 」 することとなった。 イメージを膨らませてい 「昭和女子大学らしさ」 家 、 田 部 井 淳 子 氏 の 送 「 もあり、復興支援はじめ ハウスマネージャー内多 デザインは、環境デザ った。デザインする上で という点では、本学のス る 会 が 」 一 二 月 一 八 日 に 社会貢献活動でも活躍さ 勝康氏がお別れの挨拶を イン学科プロダクトデザ 重 要 だ と 考 え た こ と は クールカラーであるブル グリーンホールで開かれ、れていた。理事長・総長 された。 イン コ ー ス 橘 研 究 室 の 三 「 お い し そ う に ご挨拶された方々が、 」 感 じ ら ーを基調とし、木漏れ日 親交のあった多くの方々 の坂東眞理子先生は弔辞 年生と、公募で集まった れ る こ と と 、 昭 で 共 「 和 女 子 の葉の部分に校章からつ が別れを惜しんだ。 「 に 登 山 を し た こ と 出会いに感謝を述べられ 同学科の二年生六名が担 大学らしさ」を感じられ くったグラフィックを取 もあり、大変心配りをさ たことが印象に残った。 当した。 ることの二点だ。 り入れている。ボトルを れる方であった。女性教 前人未踏の偉業を成す傍 ま ず 、 は じ め に 本学 オ お 養講座で登壇されたり、 ら、周囲から厚く慕われ 「 い し そ う 」 を 演 出 光に透かせて見ると、背 面のグラフィックが映り 学生と登山を楽しんだり、ていらっしゃる田部井さ 込み、カラフルな色彩が 後輩育成にも力を注いで んのような先輩を誇らし 木漏れ日のように差し込 下 さ っ た 。 本学 か ら 田 部 く 思 う と 同 時 に 「 ゆ っ く む。 井さんに続くような輝く りでもいい、一歩一歩」 私たちが心を込めてデ 女性を輩出することが、 という田部井さんの言葉 ザ イン し た 新 し い ユメ ミ 田部井さんへの恩返しだ を胸に様々なことに挑戦 ルミズを是非ご賞味いた と思う と 」 述 べ ら れ た 。 し た い 。 田 部 井 さ ん のご だければと思う。 また、本学の名誉理事の 冥福をお祈りする。 (環境 熊澤花笑 ) 称号が贈られた。 学(報委員 廣沢明佳里 ) ) 学試験でも、外国語は日 小 さ な 発 見 の 意 外 性 先生の研究室訪問 「 や驚きを楽しむ こ 本語で受験された。 」 と。 大胆に実践しよう そんな語学の達人であ これは、坂東眞理子理事 る先生に、習得の コ 「ツ 」長 ・ 総 長 の 『 女 性 の 品 国際学科教授 フスレ先生 をお聞きすると「一〇の 格』の一節だが、先生も 国際学科のフスレ先生 平成一〇年に来日された。表現を学んだなら、三〇 日々の中で大切にされて の研究室にお伺いすると、東京大学大学院総合文化 の表現を使いこなせるよ おり、学生生活でも実践 先生は、温かい笑顔で迎 研究科・日本学術振興会 うになりなさい」とのこ してほしいとフスレ先生 え入れてくださった。 外国人特別研究員を経て、と。覚えるだけに留めず、は話してくださった。 内モンゴルご出身のフ 本学に着任された。 それぞれを組み合わせる 大学の四年間は、今後 スレ先生は、北京大学で 先生は、お父様とお姉 など、自分の力を最大限 の長い人生において、ほ 哲学を学ばれ、その後、 様が教師であったことか に活かす努力が成長につ んの一部の短い時間かも 内モンゴル大学芸術学院 ら、幼い頃から自然と教 ながる。また、その国の しれない。しかし、され 助手、講師を務められ、 師の道を志されたそうだ 言葉だけを学ぶのではな ど四年間なのだ。何かを が、同時に地域研究にも く、併せて歴史、社会、 しても、何もしないでい 興味をお持ちだったそう 政治、文化などをバラン ても四年間という時間は だ。モンゴル研究におい スよく学ばなければなら 過ぎていく。時間を無駄 て、日本は研究の中心で ないとも。蓄積してきた にすることなく、先生の もあるそうで、中学・高 語彙や文法事項を、どの 言葉のように、自分を信 校の六年間、先生は独学 ように自分自身の表現に じ、大胆に実践してみよ で日本語を習得された。 していくかが大切だと話 うと強く思った。 学(報委員 福島楓 そのため、北京大学の入 された。 メダルを手に笑顔の水上さん 50 (2) (昭和女子大学発行) 報 学 和 昭 平成29年2月1日 第607号 ⑦アルバイトをして良 かった点! 経済的な自立をあげる回答が多かった。次いで、ネットワーク作り や世代を越えた交流等の交友関係の広がりや、社会経験、マナー向 上、責任感、お金の大切さをあげる回答もあった。 ⑧アルバイトをして良くなかった点 様々な面で時間がなくなる、 という回答が大部分を占めたが、スト レスがたまる、不条理を感じるという回答もあった。 〔3〕アルバイトをしない理由 a.必要ない 23% b.良いバイトが見つからない 32% c.忙しい 45% a.1年未満 70% b.1年以上 30% ③継続期間は? 11 ミニアンケートの結果、多くの学生が経済的理由でアルバイトを行っ ていることがわかった。一方、当然ながら、アルバイトをすることで肝 心の勉強や様々な活動、睡眠時間が減ってしまい、 「良くなかった点」 としてあげられていた。社会経験や交友の広がりといったメリットも あるが、 「時間の切り売り」 という面も忘れずに、自律することが大切 なことだと思う。 (学報委員会) を学 び 、郷里の石見銀山 で中村ブレイスを起業し た 。 同 社は 義 肢 装 具 製 作 によって人々の元気を支 え、過疎化の進む故郷の 活性化の一助になること を目指し活動している。 自分たちの作った義肢で 社会活動やパラリンピッ ク出場へ努力する人を見 ると、逆に元気や勇気を もらうと中村氏は話す。 講演では、会社の方々が 登場するドキュメンタ リーも紹介された。両足 が 不 自 由 な フ ィリ ピ ン の 等を企画した。現在と最 も 違う のは 、 食 事 の 献 立 作り、買い出し、調理を 学生が担当したことだろ う。他にもお風呂の準 備 、 冬 には 各 部 屋 へ の 炭 配りなど、生活全般を学 生と教師が役割を分担し て寝食をともにする濃密 な時間を持っていた。参 加後の学生の「行ってよ かった」「友人や教師と の 関 係 が深 ま っ た 」 等 の 感想は、現在と変わらな い 。 さら に 「 行 く 前 は 面 倒であった」とあるのも 現在と同様でおもしろ い。 学寮研修では、教員と の 交 流が 目 標 の 一 つ に 掲 げ ら れて い たが 、 長 く 続 くこの研修が、現在の本 学の特徴の一つでもあ る、教師と学生との距離 の近さを作り出したので はないだろうか。現在で は 、学 生 の 交 流 に 注 目 が 集まるが、学報を読み返 す こ と で 、学 寮 研 修 が 教 師との関係に一役かって いたことを知ることがで きた。 現在の学寮研修でも、 時に共同生活が煩わしく 感じられることもある。 し か し 、 行 く 前は 嫌だと 思っても、帰りのバスで は楽しかったと感じる人 が多いのではないだろう か 。 長 く 続 け ら れ た学 寮 研修は、昔も今も変わら ない 昭 「和 精 」 神が根付 く 、 本学 に 欠 か せ な い 行 事となっている。 学(報委員 秋山眞美 佐藤公香・吉さくら ) 効果で五感でディズニー 夜」にふさわしい時間で 少年のために、現地に自 生する竹で作った義肢の の世界を楽しむことがで あった。 学(報委員 藪中晴日 )エピソードが特に印象に き た 。 ま さ に 「 ま ほう の 残 っ た 。 義 肢は 現 地 の 竹 ■ 「空想の翼で駆けて~義肢装具作りの半世紀」 細工師と木工師が製作し、 中村俊郎氏( /9) 少年のことを同社に知ら せたのはボランティア団 体からのメールであった。 困っている人に対し「何 とか助けになりたい」と いう強い気持ちがあれば、 専門家でなくても助ける ことができるのだ。私た ち には まだ 特 別な 力は な いかもしれないが、「何 とかしたい」という熱意 やエネルギーで人を助け ることはできる。不可能 に見えることにも積極的 に働きかけ、人を元気づ けられる人間になりたい。 学(報委員 髙嶋彩夏 ) 中 村 氏 の 第 一 印 象は 、 穏やかで優しい方だった が 、 ご 講 演 から は 、 氏 の 仕事に対する情熱とパ ワーが伝わってきた。 中 村 氏は 京 都 の 義 肢 装 具製造会社での勤務や米 国留学を通して先端技術 学報アーカイブ 学寮研修 現在私たちが東明学林 や望秀学寮で行っている 学 寮 研 修 の 歴 史はとて も 長 く 、 本学 創 設 の 頃 か ら の伝統であったようだ。 『昭和女子大学七十年 史』の年表によれば、昭 和一三年に武蔵野学寮と 湘南学 寮の二寮で 田 「園 学寮を開始 と 」 ある。昭 和学 報 は 、 昭 和 三 七 年 に 第一号が発行されたが、 第三号 昭 ( 和三七年一一月 号) に 早 くも 「学 外 寮 生 活の記録」という記事が みられる。それによれ ば、二泊三日、クラスご とに研修が行われていた ようだ。学生は、日程を 組み、講演や近隣の見学 11 pourjours 多かった回答は、 カフェ、雑貨店、イベント、 アミューズメントパーク、 アパレルであったが、巫女、映画館という回答もあった。 ても色の使い方をはじめ 様々な観点から商品を考 え、五感で味わえるチョ コ レ ートを 目 指 し た 。 ま た、ターゲット層である ⑥やってみたいアルバイトは? 女子大生のニーズを考え 文化 ■ 「ディズニー オン クラシック ・ ・ ながら最終案をまとめ 講座 ~まほうの夜の音楽会 2016 」( /8) た。グランプリ獲得後 は、商品として完成させ 今 年 の テ ー マ は 〝 「真 らすなど会場は一体と るための試行錯誤を続け 実 の 愛 〟 は 心 を と か なって盛り上がった。一 た が 、 本 当 に 多 く の 方が す 」 。 デ ィ ズ ニ ー の 名 曲 部 の 最 後 レ 「ジェンド オ・ 関わってくださり、様々 が生演奏と映像で楽しめ ブ ミ ・ シカ は 」 、ディズ なアドバイスをいただく るこの企画は、テーマに ニーシーでのショーも終 ことで、より一層、魅力 よ っ て 毎 回 趣 向 が 異 な わり、めったに聴くこと 的なチョコレートを完成 る。学外公演にも足を運 ができない生演奏に、以 させることができた。初 ぶディズニーファンとし 前見た際の記憶や感動が め て の 経 験 で は あ っ た て、この講座を大変楽し 改めてよみがえった。 が、沢山の人の支えのお みにしていた。講堂に入 二 部 は ア 「 ナと雪の女 陰で不安はなく、挑戦を ると、ステージの華やか 王 の 」 全曲が演奏され、 楽しむことができた。こ な 装 飾 と ラ イ ト ア ッ プ 映像とヴォーカリストの の活動に参加できたこと に、いつもの文化講座と 演 技 に ど ん ど ん 「 ア ナ は違う雰囲気であった。 雪」の世界に引き込まれ に感謝している。 第二弾の 「CAFE Sweet 第 一 部 は 東 京 デ ィ ズ ていった。キャストと観 福祉社会学科 で」、 ニーシー一五周年のテー 客が声をそろえて歌った hot× 三月にも新商品が販売さ マ曲で始まり、続くアッ アンコール曲「星に願い プテンポのメドレーに、 を」で、フィナーレを迎 れる予定である。 健(康 加藤愛望 )立ち上がって手拍子を鳴 えた。映像と演奏の相乗 a.経済的理由 62% b.人的理由 19% c.スキル獲得 19% 健康デザイン学科 チ ×ョコレート店 学報委員会では、12月5日~11日の一週間、 アルバイトに関して小規模なア ンケートを行った。昭和女子大学の学生の「今」が垣間見えるかも? アイデア賞の村内真由美さん、平田 ⑤アルバイトをする理由 バレン タ イ ンの商 品 開 発 みんなのアルバイト事情 夏南子さん、梅木里咲さん 右 ( から) a.コンビニ・販売 29% b.ファストフード・飲食 45% b c.家庭教師・塾講師 12% d.その他 14% a d 〔2〕アルバイトをしている方に質問です 輝け ☆ 健 康 〝 美 〟 プ ロ ジェクト・昭和デザイン オフィス公認プロジェク ト pourjours との共同開 発企画に参加した。店舗 を訪れ、社長やショコラ ティエの前で商品提案を 行った結果、私の商品案 がグランプリとなった。 提 案 の 際 は 、 チ ョコ レ ー トの質や、味の組み合わ せ 方 、 パ ッケ ー ジ に つ い 学生116人に聞きました トロフィーを手にする加藤さん 週2~3回、4~5時間という回答が最も多かった ④頻度は? a. 自宅付近 83% b. 大学付近 10% c. 途中 7% ②場所は? a.Yes 81% b.No 19% 〔1〕現在アルバイトはしていますか? c ①どのような職種ですか? 第607号 (昭和女子大学発行) 報 学 和 昭 平成29年2月1日 (3) 昭 平成29年2月1日 和 材料:(4~5人分) 小…小さじ、大…大さじ ・豚ひき肉 100g ・塩、コショウ 少々 ・酒 大1 ・トマト缶(カット) 小さい缶1 ・カレールー 3~4かけ *お好みで調節してください ☆カレー粉 小2 ☆醤油 小1と1/2 ☆クミンシード(あれば) 小1/2 作り方 1. 炒り大豆はたっぷりの水につけて8時 行 事 予 定 2月 1日(水) 2月 5日(日) 2月 7日(火) 2月 8日(水) 2月 9日(木) 2月10日(金) 第5回全学対象TOEIC IPテスト(4・5限) B日程試験(入試で使用する建物への入館不可) 後期授業終了、図書館長期貸出開始(~3/17) 特別補講日 一斉追試験、学年末研修期間開始(~3/10) 1年生対象英語統一テスト(英・国・ビ・現を除く) 学内合同企業説明会(12:30)(平成29年3月卒業予定者対象) 2月13日(月) 教職課程履修ガイダンス(総合教育センター主催)(午前中) 年度末理事長・総長、学長講話、STUDENTS OF THE YEAR (13:30 全学科)第3回就職ガイダンス(15:00) 2月15日(水) 図書館学生選書ツアー 2月16日(木) AO・推薦入試、スクーリング設定日 2月17日(金) 大学院2月期入学試験(生活機構学専攻(後期博士課程)のみ) 外国人留学生2月期一般・編入学試験 2月18日(土)大学院2月期入学試験 2月25日(土)大学院2月期入学試験 合格発表 」 ◆節分豆(大豆)に含まれる、 イソフラボンの働き◆ ・イソフラボンは女性ホルモンのエストロゲンに似た働きをします。 ・肌の新陳代謝を促進します。 ・骨粗鬆症の予防にも。 (学報委員 秋元葵・松山凪沙) 「 間から一晩置く。 2. にんにく、しょうがをすりおろす。 3. 小松菜をみじん切りにする。茎と葉を わけて刻むと良い。 4. 人参、玉ねぎをみじん切りにする。 5. フライパンにオリーブオイル、バター、 にんにく、しょうがを入れて火にか け、温まったらひき肉を加え、軽く 塩、コショウを加えて炒める。 6. ひき肉の色が変わったら、人参、玉ね ぎを加えて炒める。 7. 人参、玉ねぎがしんなりしたら、トマ ト缶、カレールー、小松菜、豆を加 えて水分を飛ばすように炒める。 ※トマト缶を加える際、缶に酒を入れ、 トマトを洗うようにして鍋に加えると、 無駄にならない 8. 水分がほぼ無くなったら、☆を加えて 適当な濃度になるまで加熱する。 9. 仕上げに塩、コショウで味を調え、好 みでバター5gを加えたら出来上がり。 10.時間があれば一度冷まして温め直す と味も色合いもコク深くなります! ( 4 ) 当 日は 女 性 教養 講 座が 前 期 開 始 直 後 か ら 、学 美カフェ に一四〇人 礼法・着付けサークル葵 コンテストで三位 開講されており、終了後 寮運営委員と 美 「 カフェ 」 に 行 うこ と で 被 災 地 復 興 一 二 月 六 日 火 ( ) 健 康 運営委員が両輪となり、 一一月二七日、宇都宮 評価されるが、そうした の願いを込めたランタン デザイン学科四年生は、 六月の館山市役所での打 で 全 日 本 き も の 装 い コ 技術以外に三人の動きを 「 の灯で帰宅する学生の足 望秀海浜学寮の近隣の方 合せをはじめ、企画や準 ン テ ス ト 関 東 大 会 が 」 開 揃えることも重要となる。 元を照らしたいと考えた。や市内小学生をお招きし、備を進めてきた。 催され、学校対抗の部に 日本髪を結い、舞台化粧 企画から本番までの期 栄 養 と 健 康 が テ ー マ の 当日は、各自の役割に 礼法・着付けサークル葵 で装った三人は緊張の面 間が短かったが、附属の 「美カフェ」と食育授業 責任をもち、来場者に楽 の 大 重 友 香 さ ん 心( 理 、) 持ちであったが、着装が 生 徒 ・ 学 生 ・ 教 職 員 の を実施した。この催しは、しんで頂くおもてなしの 迫ノ岡かれんさん 日(文 、) 始まると息を合わせた素 方々に多くのご協力をい 館山市と同教育委員会の 心と、学生が美カフェを 二 階 堂 文 乃 さ ん 環( 境 の) 晴らしいパフォーマンス ただくことができた。 後援と、(公社)日本フ 楽しむ心を忘れずに活動 三人が出場し、三位入賞 を披露した。 リーダー役は初めてで ードスペシャリスト協会 することができた。来場 を果たした。 入 賞 し た 三 人は 四 月 に 大変なこともあったが、 の共催での開催であった。者からは、学生考案の油 コンテストでは、着装、行われる世界大会に出場 メ ン バー 全 員 の 女 川 へ の 揚げを使ったさんが焼き 振る舞い、着付け時間が 予定だ。コンテスト参加 想いと協力があり、計画 は、 B 四年目で、念願の世界大 「 級グルメに出せ を実現することができた。 会初出場への切符を手に るのでは! 、 学生の皆 」 「 寒い中、多くの方が足を 入れた。 出 さんが礼儀正しい 等 」沢 「 場するから とめ様々なデザインのラ 山のお褒めの言葉を頂き、 には良い結果を残すよう、 ンタンを鑑賞していた。 嬉しくて感動した。これ 練習を重ねたい」と大重 改めて被災地への思いを からの社会生活で必要と さんは決意を語った。よ 多くの人と分かち合うき なる経験ができたことは り大きな舞台に立つ三人 っかけとなった。 大きな財産となった。 を見る日が楽しみである。 E(NVO 原田萌々香 ) (健康 豊田理恵 ) 部(員 野沢春佳 ) ・炒り大豆(節分豆) 2つかみ位 ・小松菜 2株 ・人参 1/2本 ・玉ねぎ 小さめ1個 ・オリーブオイル 少々 ・バター(マーガリン) 15g *お好みで仕上げに +5g ・にんにく、しょうが 各1かけ *チューブでもOK (昭和女子大学発行) 女川灯紙 女性に嬉しいイソフラボンがとれる 大豆ドライカレー 報 ラ(ンタン 節分の豆を有効活用! 学 ENVOでは、東日本 大 震 災 直 後 から 毎 年 夏 に 宮城県女川町でボランテ ィア活動に取り組んでき た 。 世 田 谷 から も 、 震 災 を忘れないというメッセ ージを女川町へ届けるべ く、一二月七日 水 ( 、 )昨 年に引き続き「女川灯紙 を )」行った。 第607号 「もったいない」を意識しよう! ――食品ロス削減に向けて お昼どきに多くの学生で賑わう「ソフィア」。食後、食器返却の際 に、私達は多くの食べ残しを目にする。もったいない、と感じたこと はないだろうか?そんな「もったいない」が、今、世界で取り組むべ き課題として注目されている。まだ食べられるのに捨てられてしまう 食品、つまり「食品ロス」の問題である。 日本における年間食品廃棄物は、1700万トン。そのうち約500~800 万トンが食品ロスである。これは、毎日おにぎりを日本人1人あたり1 ~2個を捨てている計算になるそうだ。こうした食品ロスの削減に向 けた日本の取り組みに、「食品ロス削減国民運動」がある。事業者と 家庭の双方における削減を目指し行われている運動である。この運動 のロゴマークは、食品ロスをなくす(non)という意味から、「ろすの ん」と命名されている。では、私達にできることは、どのようなこと だろうか。それは現状を知り、正しく理解し、行動することである。 まずは、ソフィアの食事を美味しく頂き、残さずに食べきることから はじめたい。 (現代 杉田摩耶)
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