人 間 科 学 (XX1)

人
間
科
学
(XX1)
筒 井 健 雄
信州大学教育学部紀要第 5
1号
1
9
8
4年 1
1月
7
1
人間科学
(XXI
)
一一フォーカシングの治療的意味について一一
筒井健雄
この:人間科学シリーズにおいて,前回は中村雄二郎の説くく臨床の知〉を取り上げた。そ
ugeneT
.G
e
n
d
l
i
nの提唱するフォーカシング (
f
o
c
u
s
i
n
g
)1)の治療
れに引き続いて今回は E
的意味について考察してみよう。
(
1
) Gendlinとの出合い
1
9
7
8
年に筆者が文部省の在外研究員としてアメリカへ行った時
6月 1
0日
, 1
1日とシカゴ
で彼と夫人に会った。その時,彼はシカゴ大学の教会堂で行なわれるチェンジズ
(
c
h
a
n
g
e
s
)
2
)に私を参加させてくれた。翌日日には彼の借りていたアパートで,何人もの若
0
都市で聞かれるフォーカシングの研修会
い 人 々 が 集 ま っ て , そ の 夏 ア メ リ カ の4
(workshop) のための指導者(これはトレーナー (
t
r
a
i
n
e
r
) とかリスナー(li
s
t
e
n
e
r
)と
か呼ばれる。〕の養成会が聞かれた。彼は私をその会にも参加させてくれた。その時初めて
私はフォーカシングに触れたのである。
私は彼の理論3) に共鳴していたので,その時フォーカシングが分かったようなつもりにな
っていた。ところが,後で考えてみると,この時は全く分かっていなかったと言ってよいほ
どだった。ある程度理解したのは,日本に帰ってきてから彼の日本での講演のテープ叫を聴
いたり,学生に教えたりした後であった。
G
e
n
d
l
i
nはその夏のワークショッフ。を終えた後,アパートを換わり, 1
0月には日本心理学
会の講師として呼ばれているので,日本へ行くと言っていた。
2月の初めごろ恩人、
私はもうこれっきり彼に会う事もあるまいと思っていた。ところが, 1
がけなく彼から電話があれ日本へ行ってきたから,一度新しいアパートへ遊ひ、に来ないか
と言う。私は英会話があまり達者とは言えない上に外人の家に泊まるというのは初めての経
験なので,どうしょうかと一瞬迷ったが,こんな機会はもう一生あるまいと思ったので)思
い切って遊びに行くことにした。
1
9,2
0,2
1日と二泊三日彼のアパートに泊めてもらし、,個人的にフォーカシングを教えて
0日の日に習ったのであるが,彼は大学
もらった。実際に習ったのは二時間程度であった。 2
で何か仕事があったらししなかなか帰って来なかった。やっと私の前に現れた時,何故か
彼はいらだっていた。彼は自分はし、ま君に会える状態ではないから,まず自分がフォーカシ
ングすると言って始めた。目をつむり,手の平で、顔を撫で‘たりしながら
5分ぐらいもする
と彼の顔はすっかり明るく晴れやかになり,いつもの快活な表情に戻った。彼は大きな声で
笑いだし,隣室へいって物凄いスピードでタイプライターをうちはじめた。機関銃でも撃っ
ているような感じである。ミシガン大学のたいていの秘書嬢より,はるかに速い。我々が一
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1
字一字書く原稿のスピードでは全く追いつかない感じである。これではとても,かなわない
なと思った。
しばらくして,彼は戻って来たが,どんなことをタイプしたかは何も語ってくれなかった。
ともかく彼は生き返ったように元気になり,私に対してまともに取り組んでくれた。
e
n
d
l
i
nに会えたという喜びと共に,緊張感で固く
その時の私の状態は長年憧れていた G
なっていた。身体的にも,首から肩にかけての筋肉がギューッと固くなって気持ちが悪かっ
た。そこで,その肩の凝りをなんとかしてみたいと思った。彼は私の肩の感覚を腹の感覚の
方へと誘導しようとしていた。その誘導はうまく行かなかったが,肩の凝りはフォーカシン
グのおかげか幾分楽になった。彼も喜んでくれた。しかし,後で考えてみると,こうした取
b
o
d
y
) を理解する上では必ずしもプラスに成らなかったように思
り組みは彼の雪う身体 (
う
。
彼の夫人 Maryも,彼と共に日本へ行ってきた経験から「日本人には身体 (
b
o
d
y
) の意
味が理解しにくいようだった」と言っていた。その時も私は自分が身体の意味をよく理解し
ているつもりになっていた。しかし今考えると,その時も誤解していたのだった。私は身体
を肉体の意味にとっていたのだった。
身体の意味は正しくは「人格としての身体」を指すのである。例えば「肩が凝る」とか
「胃が痛し、」などの感覚は肉体の感覚である。フォーカシングでは身体の知っていることを
ありのままに把握することを重視するが,これは肉体の感覚だけを言うのではなくて,社会
的存在としての人格のことを言うのである。ただし,その身体の感覚は必ずしも音声言語的
に把握されているとは隈らない。むしろ音声言語的な把握が抑圧されている処に特徴がある
のである。
e
n
d
l
i
nはフェルト・センス(fe
l
ts
e
n
s
e
) と呼んでいる。このフ
そうした身体の感覚を G
ェルト・センスをうまく捉らえるところからフォーカシングは始まるのである。
b
o
d
y
) について,次のように述べている。
なお,都留春夫は「からだ J (
(
1からだ J(
b
o
d
y
) というのは,生物学的な概念としての「身体」や「肉体」のみを指
すのではなく,人間としての生のいとなみをしている聞かれた系 (
Opens
y
s
t
e
m
) すなわ
ち生活体(あるいは有機体〉の全体のことです。そのはたらきには,生理的,運動的など
の他に,知性,感性,心性,情動性,宗教性などのすべての機能を含みます。 J
5
)
(
2
) フォーカシングとは何か
G
e
n
d
l
i
nがフォーカシングを発見した所以は,彼の理論にもよるが,それ以上に,心理療
法家が口に出して尋ねたがらない問題、なぜセラピストは効果をあげる例が少ないのか γ
を1
5年以上研究してきたせいである。
心理療法における成功例と失敗例の違いを,古典的なやり方から最新のアプローチに至る
まで何千というセラピストの録音記録を分析した結果見出したのである。
その研究から見出されたのは,少数の成功したケースがセラピィ・セッションの記録から
簡単にえらびだせるということであった。その選別基準を教えれば治療経験のない大学生で
もたやすく選び出せるというのである。
筒井.人間科学
CXXI
)
7
3
しかも彼等を大変悩ましい思いにさせる事実もその研究から見付かった。それは成功した
ケースは初めの 2田の面接記録を分析すれば見付かつてしまうということであった。何日も
何カ月もあるいは何年も面接したあげくに失敗したケースというのは失敗して当然であると
いう面接を繰り返していたにすぎないということになるのである。
そこで,成功した来談者(あるいは患者)がやっていて,失敗した者がやっていないこと,
それを見付けて来談者に教えることができれば,大きな救いをもたらすことができるのであ
る。こうして見付け出され,洗練されつつある技法がフォーカシングなのである。
ぐ3
) フォーカシングのやり方
e
n
d
l
i
nの あ げ て い る s
h
o
r
t
ここではフォーカシングを具体的に紹介すればよいから G
form,つまりフォーカシング簡便法を紹介する。ただし,意訳したものの紹介である。
(
1
) 心に現れるものを出迎える
去るものを追わず,来るものを拒まず,悠々として心に現れるものを出迎える。一つ一
つのものにこだわらず,広く大きく,現れるままに出迎える。
(
2
) 心にひっかかるものを取り上げる
いま心にひっかかるものを取り上げよう。だが,それに巻き込まれてはいけない。落ち
ついて,その問題全体が私に与える感じを味わってみよう。
(
3
) 腰を落ち着けて,じっくりと,その感じを味わってみよう
言葉にならないその感じ,もやもやとした感じ,それをじっくり味わってみよう。
そうした感じの中で大きし意味のあるものはなんだろう。
こうした感じの中からかかわりのある言葉やイメージが自ずから出てくるのを待ってみ
よう。
(
4
) 言葉(あるいはイメージ〉と感じを響き合わせてみよう
感じの流れを妨げないよう,それを消さないように気をつけながら,言葉(あるいはイ
メージ〉と感じをかかわらせてみよう。そうした中で感じが変わるなら,その変化にそっ
てゆこう。
(
5
) 自分の身体に聴いてみよう。「こんな感じでいいのかな」と。
その言葉(あるいはイメージ〉がそうした感じにピツタリするなら,それをしばらく感
じていてみよう。
もし行きづまったら,こんな具合に自問自答してみよう。
この感じの中で一番具合の悪いのは何だろうか。
この事で本当にまずいのは何だろうか。
どうしたらし、し、んだろう。
どんなことが起こったら L叫、というんだろう。
自分の頭で答えてしまわないように,自分の感じが動いて答えが出てくるまでまってみよ
つ
。
(
6
) 万事オーケーと L、う場合には,どんな風に感ずるだろうか。
身体が答えてくれるでしょう。
7
4
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n
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1
そこには何があるかということを。
それとも,この後また戻って来た方が良いでしょうか。
ここで止めて良いか,続けた方がよし、か自分の身体が答えてくれるでしょう。
以上はフォーカシングのやり方を簡潔に紹介するために述べたものであるが,この方法を
e
n
d
l
i
nの著書に当たって見るのが良いと思われる。特に
実践した具体例については直接 G
4章はフォーカシングの手引きを具体例と共に述べてあるので分かりやすいのである。この
小論では紙数も限られているので,著しい感情変化(フェルト・シフト〉が示されていると
ころだけ述べるに止どめておこう。
(
4
) フォーカシングの治療的意味
フォーカシングは心理治療から見付け出されたものであるが,同時に心理治療とは別の自
己訓練法的な特徴を備えている。従って,この技法を身に着けることによって,いつでもど
こでも不安定な感情状態から安定した感情状態へと急速に移行することが出来るようになる
のである。これを
G
e
n
d
l
i
nはフェルト・シフト (
f
e
l
ts
h
i
f
t
) と呼んでいる。
心理療法とは来談者(あるいは患者〉の心にフェルト・シフトをもたらすことであると言
っても良いであろう。
それではフェルト・シフトが起こるとはどういうことであり,それが起こるとどうして悩
んでいた人が気持ち良くなってしまうのであろうか。
G
e
n
d
l
i
nは身体への信頼 (
b
o
d
yt
r
u
s
t
) とL、う点から,このことを説明している。身体は
人が考えている以上に真実のあるべき姿,完全さを知っているのである。その「完全さ」と
今の実際の気持ちとの間の差を身体は計っているのである。そして,これから,どういった
方向へ行ったらし巾、のか,それを知っているというのである。ただ,それを正しく聴く方法
さえ人々が知っていれば良いのである。現在はあまりにも,その方法を知らない人が多すぎ
るのである。
この点について筆者は自分の理論からフォーカシングにみられるようなフェル卜・シフト
の発現理由を説明しようと思うのである。
人聞は高次の精神活動を営むようになってから,精神的な悩み,不安を持つようになっ
たので、ある。これは言語活動をする人格になってから発生したと言ってよし、。
だが身体言語が主たる活動方法である人格においては悩みや不安の占める働きは重要性
を持たない。それらがまだ芽生えに過ぎないからである。
ところが音声言語さらには文字言語が発達した人格と成るにつれて,悩みや不安の占め
る意味は大きなものとなってゆく。音声言語や文字言語(あるいはイメージ)によって造
られた観念の世界と現実の世界とが分離したまま統合されにくくなる場合が生じるからで
ある。
そうした人格を不一致の人格と呼ぼう。(不一致というのは
R
o
g
e
r
s的な言い方であ
筒井:人間科学
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7
5
る。〉不一致の人格には観念的な支配する自分と現実的な支配される自分とがいる。観念
的な支配者の自分は音声言語的によく自己主張をする。現実的な被支配者の自分は音声言
語的な自己主張を封じられているので,身体言語的なレベルで、の発言しか出来なくなる。
こうしたギャップが激しくなればなるほどその人の心理的な悩みは大きくなるのである。
こうしたギャップを克服して一致した人格を造るためにフォーカシングは有効なのであ
る
。
しかもフォーカシングにおいては沈黙に大きな意味が与えられている。沈黙の中でこそ
来談者(あるいは患者〉が感情的に変化するのである。
精神分析においては思ったことを何でも患者に言わせようとする。いわゆる自由連想法
はこれである。心に浮かんだことは何でも言うという自由なのである。私は精神分析の訓
練を受けたことはないが,本で読んだことはある。
e
n
d
l
i
nからフォーカシングを習った時にも私の心に浮んでくることを何でも
それで G
有りのままに彼に伝えようとしていた。そうした誠実な態度で学ぶことによってフォーカ
シングを正しく学び取ることが出来ると思い込んでいたのである。
ところが彼は「思ったことを何でも言う必要はない。君の中で感情的な変化が起これば
よいのだ。言いたくなければ何も言わなくても良いのだ。」と言った。
フォーカシングにおいて基本的に重要なことは自分の経験した事実を他人がどう思うか
ということではないのである。むしろ自分の体験をじっくりと味わうこと,そして言葉に
ならない自分の身体の体験に「ピッタリ合った言葉」を持たせてやることである。
こうして自分の中のすべての体験が対等に音声言語的なレベルで‘の主張を認められ,感
情的に安定し,一致した人格がもたらされるのである。
フォーカシング
ただ,フォーカシングについて筆者の理論から批判させてもらうなら, I
には対人関係における自我のひろがりが考えられていなし、」ことが問題と思う。自分の中の
ドロドロとした欲望に気づきそれに音声言語的な自己主張を許したとしてもそれだけでは人
間の精神は高まりもしなければ,安定もしないのである。かかわりのある他者の自我を己れ
の自我と為しうるようなひろがりのある自我を来談者に把握させ得るか否かが問題なのであ
る。天福元年
(
1
2
3
3年〉の昔,道元は「自己をはこびて万法を修証するを迷とす,万法すす
みて自己を修証するはさとりなり」と述べている。前者は狭い自己(あるいは自我〉であり,
後者は広い自己(あるいは自我〉である。
迷に立ち,迷を元として,倍に進むのが人聞の成長の姿というべきであろう。フォーカシ
ングは素晴しい。その技法に精通することは心理療法家として必要なことであろう。だが,
それどけでは何か物寂しし、,欠けている,という感じがするのは私だけであろうか。
(
5
)
フォーカシングの精神を生かした面接
フォーカシングの技法をカウンセリングなど面接場面の中でそのまま用いるのは,来談者
の話の流れを中断してしまうので,好ましくない場合がある。吉良は面接の中に自然な形で
フォーカシング的技法を取り入れて,来談者が自分を深く感じ,検討してゆける場をつくる
7
6
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N
u5
1
工夫をしている九筆者も以前からそうした方法を試みている。
0
代後半の女性の来談者が「夜眠れない」ということで電話してき
次にあげる例は,ある 2
た時,筆者がフォーカシング技法を取り入れた応答をすることによって,気持ちが楽になり
(フェルト・シフト〉ぐっすり眠れるようになったことを示す後日の面接記録である。
これを見ると,怖くて眠れなかった時には, I
怖がって泣いている弱し、自分」は受け入れ
られなくて, I
強がっている自分」が動いている(支配している〉のだけれども,それでは
どうしても嘘になってしまうと感じている自分がし、る。自分が分からなくなってしまってい
た彼女がし、たのである。
例:ある日の面接記録の一部
Cll だけど,なんか,うーん,やっぱれそういう人たちが来たときに(ウン〉その先生に
こないだお電話する前だったと思うんですけども(ハイ〉すごく自分をこうつくっちゃう
みたいな,私だってこの位のことは出来るのよ,みたいなこう肩はった感じで(ウン〉い
て,そのなんかすごく,こう,自分では,こう,苦,苦しかったっていうか,それは先生
にお電話して(ウン〉大分楽になったんで、すね。ただ,なんか自分,自分のペースでやれ
ばいいんだろうと思うんだけれども(ウン〉その自分というのが,どんなものかっていう
のが(ウーン ) (下線部は感情がこもっている〕よくわからないんですね(ウーン),だか
ら
T12
こんなのが自分の今の状態なんだって,こう感じでっかめればね。うん。その自分のペ
ースが保てるんだろうけれども……
C12 なんか私ってどんな人だったのかつて,分からなくなっちゃうんですね(ウン〉そいで
〔泣く〕なんか無理して笑っていてもやっばり無理している(ウン〉ような気がするし,
そうかといって,こう動じないようにしてみたところで,またそれも嘘のような気がする
し(ウーン〉・
T13 なんか,この前の時にね,あのー泣いている弱い頼りない気持ちになっている自分って
のが本当の自分,泣ける自分が本当の自分じゃないかっていわれたことがありましたね。
なんか本当に。そしてこの前電話でお聞きして私感じたのは,なんかこう,弱くて頼りな
くなっている自分がこっちの方にいて,他方そんな姿じゃとても他の人と一緒にやってい
けないという強気の自分もいて,その強気の自分がどんどん動いちまうもんだから,こち
らの弱し、自分と L、いますか,もっと自分にぴったりする自分がそれにふりまわされちゃっ
て困る。そんなふうに感じたんですけどね。
C13 本当に,あの時,自分がこわがっているんだってことが分かったていうか, (ウーン〉
そうしたら,なんかすごく楽になったんですね。(ウン,ウーン〉
T14 楽になる前は,なんか恐がっている自分が意識できなかったちゅうか,分からなかった。
そんな感じがあるんですね。
C14
ええ,きっとどこかでは感じていたと思うんですね。〔ウン〉そしてすごし自分って
のが脅かされていたとおもうんですけれども,それをやっばり見られなかったとか,やっ
ぱり抑えて,こう自分で感じないようにしていたんだと思うんですね。(ウン〉だからあ
筒井.人間科学
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7
7
の時先生に自分の頭の中がからっぽだって申し上げたんだけども(ウン〉それがからつぼ
なんじゃなくて,自分でそう考えることっていうか,感じることを止めていたんだってい
うふうに思ったんですね。〔ウーン,ハイ〉見たくないっていうか(ウーン〉・・
T15 そ う し た , こ れ 弱 L、自分というのは認めたくない。その感じが,こう頭の中からっぽ
だっていう……
C15 だから意識している自分の頭の中には,何もないんですよね。(ウン〉。だけども勝手に
動いていってしまうっていうか,底の方にはその怖いっていう気持ちは,不安な気持ちは
すごくこう一杯あるっていうのを,こう,感じてしまえばというか,こう崩れてしまうよ
うな気持ちがきっと(ウン,ウーン〉
T16 もう自分が駄目になっちまうようなね。
(ハイ〉
C16 だからこうストップしていて,とめていて,頭の方にはのぼってこないように(ウー
ン〉していたんだと思んですけども , (ウーン〉。
T17 でも,なんかそのね弱 L、自分ていうのを受け入れられたあと,実際には駄目にならなか
ったという体験をしたんじゃなかったんで、しょうか?
どうだったんですか? そのあた
りは。
C17 なんか,怖いことを自分で言って(ウン〉その怖いってことを,ああ怖かったんだなっ
て思ったら,安心したんで、すね。
(ウーン〉怖くなくなったっていうか,すごく不思議な
んですけど,そんなに怖くなくなったんですね。(ウーン〉
T19 自分の感じですからね。(ハイ〉実際の感情というか。それが本当に,怖くなくなっち
ゃったわけで、すね。
C19 なんか不安ていうかね。こう,あせっていたのが落ち着いた。(ウーン)ああ,なんだ,
そうか怖かったのかつて,感じになったんですね。笑い(笑し、)
T19 あー, うーん,どうしてあんなに怖がっていたんだろうって。
C19 そう,自分が怖がっていたってことも,あんまり気がつかなかったんだけれども,なん
だ,こわかったのかてな感じで(ウーン)なんかスッとしたっていうか。なんでもなくな
っちゃったんですね。
(ウーン〉なんか本当に不思議と(ウーン〕。
T20 不思議なことに。その前は,もう,すごく大変だった訳ね。(エー〉本当に,寝られな
い位にね。それが,怖かったんかつて分かつて,そういう自分の気持ちがつかめたら,ス
ーツと,こう,怖くなくなっちゃった。(ハイ〉楽になっちゃった。(ハイ)うーん。
C20 そりゃ,本当,自分でもピックリしたっていうか。なんだ,そんな簡単なことだったの
かっていうような(ウーン〉感じだったんです。その時は。(ウーン,ウーン,ウーン〉
ピックリしたんですけどー
T21 なんか,し、し、体験しましたね。
C21 本当にピックリしました。
この例を見ると,不安で眠れない自分がし、た時には,怖がっている自分が見えなくて自分
が分からなかった。考えられない,頭の中が空っぽだと感じていた。
本当は空っぽだというのではなくて , I
自分で,そう(怖いと〉感じることを止めていた。
7
8
信州大学教育学部紀要 N
n
5
1
見たくなかった。」のである。自分が分裂してしまっていたのである。
他人と安心して一緒にいられるような感じがなく
どのように分裂していたかというと, I
て,他人に負けない自分,つまり競争に打ち勝てる自分であることが自分の支えになるとい
うようなく負けるもんか〉とし、う強気の自分」と「他の人々の中へは緊張し脅えて入ってゆ
けない自分,泣き出したし、ような弱気の自分」とに分裂していたのである。ここで負けるも
んかと気負っている自分をく強気の自分〉と呼ぶことにしよう。
く強気の自分〉は他人に打ち勝ち認められるという形で他人との一体感を確立しようとす
る。勝利者としての自分に集まる人々の賛嘆の目,それが得られた時に初めて他の人々との
一体感が持てるのである。そうした自分は弱い自分を認めることが出来ない。ここで弱い自
分をく弱気の自分〉と名づけることにしよう。
〈強気の自分〉にとってく弱気の自分〉は余計な足手まといである。そうした, <弱気の
自分〉が自分の中にいることを好まな L、。それを圧迫し,抑圧する。〈弱気の自分〉は支配
者であるく強気の自分〉に排斥されて地下に潜る。そして感情面で反乱を起こすのである。
例え,地下に潜っても,く弱気の自分〉も彼女自身であるから,いくらく強気の自分〉が
頑張ろうとも,頑張ろうとすればするほど弱気になるばかりである。ひどくなれば,それは
身体的な障害として表現されるようになる。音声言語的な表現が奪われることによって,身
体言語的な表現が強迫的に現れるのである。その表現形態は,勝利者になれる筈なのに,身
体が弱くては仕方がないとく強気の自分〉の言い訳もたつような表現形態をとるのである。
〈強気の自分〉は絶対に敗北を認めなし、。く弱気の自分〉を引きずってでも前進しようと
するのである。
そうした彼女が「ああ怖かったんだなっておもったら」安心した。怖くなくなってしまっ
たのである。不思議な感情の変化を経験して,彼女はびっくりしてしまったので、ある。
e
n
d
l
i
nはどのように説明するであろうか。
こうした感'情の変化を G
G
e
n
d
l
i
nに言わせるならば,彼女が怖いと感じて不安がっていた時の身体感覚はフェル
ト・センスである。それを彼女は「怖し、」と明確に意識することはできなかった。後から
考えてみれば,その時彼女はそう意識することをストップさせていたので、ある。
治療者との関係の中で,彼女は彼女のフェルト・センスを説明しなければならなかった。
彼女は自分のフェルト・センスにピツタリするような言葉(シンボル,ハンドル,取っ
手〉をみつけなければならなかった。彼女は沈黙して,それを探した。
そして,それが見付かった時,彼女の内面の状態が変化した。楽になった。これを
G
e
n
d
l
i
nはフェルト・シフトと呼ぶ。こうしたフェルト・シフトを経験して彼女は治療者
に「楽になりました。安心して眠れそうです。」と言ったのである。
この同じ事実を筆者の理論から説明すれば次のようになる。
既に,彼女の中にく強気の自分〉とく弱気の自分〉との分裂があった。く強気の自分〉
が支配的であってく弱気の自分〉を抑圧していたのである。彼女は「怖 L、」とし、う言葉す
ら感じることが許されなかった。それを意識すると自分が崩れてしまいそうで(つまり
筒井:人間科学
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9
(XXl
)
く強気の自分〉の支配が崩壊しそうで〉意識できなかった。身体言語レベル以下の意識で、
感じてはいても,音声言語レベルで-意識することはできなかったのである。
治療者との温かい関係の中でく弱気の自分〉に正確な発言が許されると,それはく強気
の自分〉と対等の立場に立つことになる。こうして,く弱気の自分〉は身体言語レベルに
止どまって強い感情表現(眠れないなどの身体的な不安反応〉を表出する必要がなくなっ
たのである。く強気の自分〉とく弱気の自分〉は共に協力して統ーされた自己を形成する
ようになったので、ある。こうしたく弱気の自分〉が認められた(音戸言語的表出が可能に
なった〉という安心感への移行が「ホッとした」とか「楽になった」とかし、う感情への変
化なのである。この変化が G
endlinの名づけたフェルト・シフトなのである。
参考文献と注
1
)G
e
n
d
l
i
n,E
.T
.(
19
7
8
),F
o
c
u
s
i
n
g,E
v
e
r
e
s
tH
o
u
s
e
.
ユージン・ T ・ジエンドリン著(19
81
):村山正治・都留春夫・村瀬孝雄訳(19
8
2
):フォーカシ
ンク¥福村出版.
2)これはクリステイン・グレイザーが始めた新しいタイプの社会的な構造を持つグループである。
3) G
e
n
d
l
i
n,E
.T
.(
1
9
6
2
):E
x
p
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.
4) 1
9
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8年 1
0月2
8日
, 2
9日に自動車会館と桜楓館講堂にて全日本カウンセリング協議会主催「ジエ
ンドリン博士を囲む勉強会」の録音テープ.
5) 都留春夫(19
8
4
):体験過程アプローチ(心理療法家にとっての治療理論)心理臨床学研究
Vol
.1
,N
o.2,p
.2
5
.
1
9
8
3
)
: フォーカシングの臨床的適用に関する研究,九州大学心理臨床研究 第 2
6)吉良安之, (
巻
5
7
6
6
.
8日 受 理 〉
(
1
9
8
4年 6月2