Title 現代日本の革新 Author(s) 石川, 興二 Citation 經濟論叢 (1939

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現代日本の革新
石川, 興二
經濟論叢 (1939), 49(3): 427-445
1939-09-01
http://dx.doi.org/10.14989/131297
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
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現代日本の革新・ ji--:・:ji--: 翠尚早博士石
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史記平準書に見はれたる経済思想;:経済皐士穂
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経菅比較の形態について・ ji--::・:経済畢士岡
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現代日本
闘内最新の念務
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負捲だけでも容易たらぬものがある。而も針外的関係も極めて複雑であって、図際的苧一墜に遭遇する可能性も多
分にある。今街ほとの戦争の前途は見込もつか友い有様である。今日の日本は院に未曾右の難局に立って居り、
これを突破し得ると否とが世界史的日本の興亡を決するのである。此際凶内革新を在すべきゃについても凶論は
a その忠由は愛革は大なる混飢を件ひ闘を危くすると云ふことにある。然しそう云はれる時、愛革たるも
統一されで居ない。戎人々は今日円本はかくの如き非常時局に立って居るのであるが故に時変革をしてはいけ左い
と云ふ
のは如何友る形に於て考へられて居るであろうか。師同に中山 ベたるが如く鑓革には種々た型がるるのであるが、現
第四十九巻
七
第
銃
代資本主義的制度の愛革は、はじめてマルクス主義に於て賓行せられたが矯めに品、る揚合、場一草は多︿マルク
現代日本の輩新
四
1
) 拙稿『吐合問題と凶民的性格』本誌、八月君臨 '
1
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今や日本は舎で経験しない大規桟た戦争を既に満二年に亙って繕絞して来たのである。その図民生活に到する
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現代日本の革新
第四十九巻
四二八
量
虎
る
。 ロシヤはとの階級革命の偽めに世界大戦に於て戦敗因と友り共後二十後年の今日に至るも向ほ反動革命の動
的エネルギーを著し︿浪費し、 再 び 革 命 前 の 閣 際 的 地 位 を 同 復 し 得 守 閣 運 は 共 後 次 第 に 傾 き つ ? あ る 有 様 で あ
が著しい園民的混乱を伴ふ乙とは事賓である。 それは先づ悌蘭西革命に於て見られた。品川蘭西はとの矯めに閥民
ス型、 ロシヤ型に於て考へられて居るのである。枇舎の階級的針立を階級革命によっで媛草せんとするこの仕方
第
t賢一平配されて印刷
たって先づ園内務草を断行して劉立を否定し以て一致関結ことに首り得たが故である。 このことは今日の危機に
ある。帥ち日本のみが彼等の抽出定宇一裏切って白人の殖民地化され得なかった所以のものは、 日本がこの危機にあ
の殖民地化し得たのである。 これは彼等の常用手段であって現に東洋の諸闘に施し成功を収めちんととるのもので
蘭西は幕府方を助け英同聞は朝廷方を助けんとした、以て閣内の八刀裂針立を激化して園民的統一を奪ひやがて彼等
日本とたることが出来たのである。若しあの際凶内封立をあのま与にして居たらばどうで-あったらうか。就に俳
みは白人の慶治より自己を守ることが出来やがて世界史に例を見伊丹、る目ざましき琵展を遂げ、今日の世界史的友
とする闘民共同健﹂の立場に於ける鑓革によって止揚し一致闇結以てこれに首った。それ放に東洋に於て日本の
本に迫り来たあの未曾有の危機に際して、 日本は先づその封建制度の下に於ける圏内の針立分裂を﹁天皇を中心
との日本型はマルクス型の分裂性に勤し統一性をその特色とするものである。白人の勢力が東洋を滞巻して日
zdo そ れ は 大 化 の 改 新 に 於 亡 と と に 明 治 約 新 に 於
援の巾に訪仙はふて居り岡内の整備はならや剖外的注力も失はれて居る。然し日本には日本的危媛草の型があるの
であって町ぞれはか︿の如す政資的なものとは同地︿
。
る
於ても同様である。加之資本主義制度の末期である今日に於ては封建吐舎の末期に於けるよりもこのととが特に
重要である。 と れ 封 建 制 度 な る も の は 本 来 楼 力 的 統 一 を 以 て そ の 本 質 と せ る も の で あ る に 反 し 、 資 本 主 義 社 舎 な
るものは本来利己主義、唯物主義を以てその本質とせるものであってその末期に於ては枇合的階級針立を激化し
来るものである。且これが戦争によりて如何に催準されるかは去る惟界大戦の事賓が数へるところである。今日
我 園 に 於 て こ の 戦 争 が 一 方 資 本 家 階 級 に 不 首 な る 利 径 を 興 へ な が ら 他 方 図 民 大 衆 の 犠 牲 を 増 大 し つ Lあることは
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あるョ この結も根本的に反省さ
震 ふ ぺ き こ と で あ る 。 更 に 今 日 の 日 本 の 非 常 時 局 に 庭 し つ Lある岡家権力の運用は遺憾ながら統一 一貫を歓げる
貼が少なくないのである。 このことが我圃に封して少なからね司令利を粛らしつ
れ泣ければならない。わくて今日の日本がこの一危機叫ど会ふせん LL73以とたづっ一次長巾心の岡叫ん共同位﹂の一立川切に
立って現代の図様的並に枇命目的諸制度を徹底的に変革し以て民に岡氏的ゴ政共同を献立しなければならない。
れ今日が非常時であればこそ日木的なる園内鑓革を敢行し左ければならぬ第一の理由である。
Lある暁争は世界史の愛革期に於て世界史を持皮革ぜんとする戦争である。放に一度この
然 し 前 途 の 見 通 し ず ら 容 易 に つ か ぬ 長 期 戟 で あ る 以 上 腰 を 据 へ て か Lら左ければ左らない。邸ちこの戦時を一牛常
年の戦争友らば、その府へて居るところのものを用ふるととを主としてでも無四をして戦を終ることが出来る。
戦争がはじまった以上日清日露の戦争と異なって二年や三年にてその目的を達し得るが加きものではない。一一一二
更に今日日本の戟ひっ
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時化して生産しつム戦ふて行く用意が左ければなら友い。而してとの長期に亙って日本岡氏が最大の精神的並に
第四十九巻
プ
じ
第
銃
一
物質的の力を議揮し綾けねばならない。然るに今日この室、の岡家襟力運用の制度並に諸枇品目制度の下に止まつ
現代日本の革新
四
現代日本の草新
第四十九谷
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書Z
競
四
徳力の統一的危強力た運用も全幽民の震の一致圏結も、岡氏の持久的最大能力の後掠も東亜共同開建設の指導因
要するに現代日本の園権的並に枇曾的制度の下に於ては、今日の非常時局が特に日本国民に求め夕、 Aある国家
三の現由である。
としてはじめてこれをなし得るのである。 これこの非常時に首って日本が自らを先づ愛革し友ければならたい第
自らの共同様的本貨を現代の資本主義的日本に徹底せしめ圏内に共同鰐的精紳を充賓しこの共同様的日本の行動
ことはそれ自身自己矛盾であって、 かくの如含大業を到底鵠し符ぺきととろのものでは左い。 この矯めには先づ
る。自分は内に資本主義的階級秩序に歪曲されて居りながら外に白人による階級的秩序を鑓革せんとするが如き
同幽胞を以てその園踏とすると乙ろの日本が指導的地位に立って最善を表す時にのみはじめて成就し得る大業でる
々その個性を存分に殻都し得る東亜共同剛帽を賓現せんとするにある。 これは容易左らざることであって、 正に共
的任務と友ったところのものである。 そ れ は 向 人 を 搾 取 階 級 と す る 東 亜 の 階 級 枇 舎 を 否 定 し て 、 そ と に 日 浦 支 各
日の近街説明に於て一同の首相によって接附されたのみなら十、克に開院式の一間勤によってを圃民にとワて賓践
る。それは来取に於ける白人の狐川町一地化宇一却け東亜の新秩序宇一的立せんが矯めである。 とのことは昨年十一月一一一
更に今日日本がとの米一官右ω 非常時口加に立って居る所以のものは大なる世界史的使命を決行せんが矯めであ
る
。
在ければならないのである。 これ現代非常時局に於て先づ園内的革新を断行しなければ友らない第二の刊由であ
で居ることは同氏の最大の力を務部し得る所以ではない。故にとれを岡氏的最大の能力を渡部し得る制度に改め
四
民としての共同瞳的自売も、不可能である。それは只だ﹁天皇を中心とする闘民共同鴨﹂の立場に於ける園内革新
を断行することによってのみ可能とするのである。かくて今日の日本は、明治維新の日本と同様、園内革新の断
行を以てこの非常時に針する根本針策をはじめなければならないのである。依て先づこの革新の根本原現につい
革新の根本原理
て突に草新の諸問題について述べること Lする。
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現代日本の革新
文化閥系と呼ばる
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c 後者に於ては幽家機力在る
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前品刊は町内口一
第四十九谷
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耳
第三銃
五
自己目的となって、主悩の後反に矛盾し得る。 この際主聞が強制であれば、構力一間又は枇曾両の構成を援草して
と在れば一同日比は会側主義的構活を呈し、枇合聞が支配面となれば個人主義的構造を長ずる。かくて此等の闘が
一国民の槽力的構成並に枇合的構成は本来その主刷版たる図民の活動としでの構成である。市も権力両が支配的
それは自然を同じくし民族を同じくし而して更に歴史と丈化とを同じくするものである。
と れ 等 の も の は 一 国 民 の 徳 力 的 問 動 と 文 化 的 活 動 で あ っ て 、 この活動の主鑓たるものはその同氏自憾でるる。
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ものであるに針し後者は山5 司2 3元
ものが最高阪迎であってこれが全般を支配するところの構成でるる。
る全慌の畑山値がとれに闘興せし人々に分ち興へられる。 これ諸種の文化枇舎である
於ては沼の文化問怖が生産されるのであっ℃、 個々人はこの文化悦位の山一一昨に一介花的にみ。加 l hくて生陸 1一れた
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今 日 高 度 に 発 展 せ る 糊ての凶民に於ては批命的なるものの働と権力的なるものの倒!との別が見られる。前者に
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現代日本の本新
第四十九谷
四
一
一
一
二
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ノ、
を手段として用ふるのである。前者は全鑓主義国民に於て後者は個人主義園民に於て見られる構法である。
く
優位を占めて居るのである。然るに共同健に於ては全と伺とが内面的に結ぼれて居るのであって全は個を生かし
てとの雨者にあっては共に個と金とが外的劃立的な関係にるり、前者に於ては全が優位を占め後者に於ては個が
古
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義的存在に於ては権力的友金慨が個々人を手段として用ふるのであるが、個人主義的存在に於ては個々人が会鎚
ればならぬのであるがそれは全開主義的立場並に個人主義的立場に到比することによって明とだる。即ち金剛問主
乏の﹁天皇を中心とする図民共同慌﹂なるものの構造を明にせんとせば先づ共同韓友るものの構迭を明にし左け
舎制度もとの上に成立し今やその支配がこの基礎的構成と矛居ずるに至って鎚草されんとしで居るのである。
支配が﹁武家様を専らにし﹂この基礎的構造と矛盾するに至ってその主慌性によって否定せられ、資本主義的左祉
﹄その基礎的叫刑法号注し今日に土 T 及ぺるもの︻ある。 封建的左様カ的制度もこの上に成ーしたのであるがその
乙の﹁天皇を中心とする閣民共同航﹂なるものは、 大化の改新に於て成志したのであるが共後日本閤民を一貫し
っ た の で あ る 。 そ れ は 印 ち ﹁ 天 皇 を 中 心 と ず る 悶 尽 共 同 値 L 友る構造である。
権力商又は枇舎聞に破壊されること左くその主開性を一貫して設展し来りこのことによって愈々盟問友ものと左
り、園民の構諮問酬聞が全開主義的と友り又は個人主義的と友る。 日本因民に於ては、主慌の構造が強固であって
自己の進展を全ふする。然し若し主髄の構造が薄弱であれば模力面叉は枇舎面が主憾の構浩を破壊することとな
抗
個は全を生かすのである。即ち会はそれに於である綿ての個をして各の性能を存分に妥展せしめんとし、絶ての
個は全の矯めに各の性能を十分に護揮せんとするのである。
1
) 拙稿『日本経済皐白根本原理』本誌七月続参照
第
この会なるものは一廃美然たるものであるが﹁叉呈を中心とする園一民共同鐙﹂に於ては
3
天皇がこの国民史を
天皇に於て棋現せられ
従 っ て 共 同 位 に 於 け る 全 と 個 と の 聞 係 は 人 格 的 友 愛 の 闘 係 と な る の で あ る 。 とれ卸
貫せる中植としてその歴史的全慌を捨ふて居られるのである。かくて岡氏史の全慣性は
人格化されて居るのである
天皇は﹁天下億兆
天皇に刻して自己の最善を
明治天皇が維新の詔に仰せられた﹁京臣相親しみで上下相愛しする閥係である。換言せば
L ものたからしめることを以てその大御心とせられ闘民はこの
ニしせざるを得ないのである。 か く し て 全 と 個 と の 人 格 的 愛 の 関 係 に 於 て ﹁ 天 皇 を 中 心 と す る 剛 氏 失
現代日本の草新
2
今日の愛革期に於ても、さの立場に立ちとれを原理として庭す
第四十九巻
四
の諸種の文化枇舎が成立し主た政治軍事等の岡家槽力議動の構成が成立って居るのである
第三一説
一
一
一
七
c 諸種の文化枇舎はこ
我閣民史に於てはこの﹁天皇を中心とする関民共同鰭﹂が常に主慌的た基礎をなしその上に経済、教育、翠術等
る外ないのでるる。
の時皮革期の危機を突破し一一進み来ったのである
受注るものが﹁天皇を中心とする園民共同特﹂である。 こ れ が 不 援 な る 得 統 的 た 力 と し て 日 本 史 を 形 成 し 進 展 し そ
遁が自己を展開せしめて行くことによってはじめて護展たるものが可能となるのである。我岡民史に於一﹂この不
師世友るものがなくてはならない。車たる愛化は議展でないと共に車なる不敏一もまた設展でない。不鑓友る根本橋
る本憾として確立されたとこるのものである。抑も褒展なるものが可能なる矯めにはそこに獲宇るものと共に不
開附﹂たるものは最も間引かどん統一力を有する共同制むあ一るコかくてこのものが日本の悶即日出択の毅肢を泌じて岬町一ぜ古
kは
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致すのである。これ印ち﹁克ク中竺一克ク孝エ億抱心ヲ一 ニシ一ア﹂である。即ち同一在る全慌に針して自己を設す人
一人も共所を得ぎる
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現代田本の本新
第団十九記官
四一一一回
競
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r日夜中小し以てり︿の殻民吃全ふ寸る。
るに京るのである。 乙の際主側たる北ハ阿川小山は内川巳伊一段をとれ等の折動阿h
革新
諸問題
主間性を以てこれ等のものを旧民くことに外なら友いのである。
共同鴨﹂に於て興へられて居るのである。今日の枇命日制度並に閲模運用の諸制度を革新すると云ふことは、 との
要するに現代日本革新の根本原川崎は既に我園児史を一貫せる根本構造?あるととろの﹁天皇を中心とせる岡氏
あるのでるる。
り援草され友ければなら友いのみたら中国家権力投動の構成についても同校に竣草され友ければならたいものが
た。今日に於ては資本主義化されたる諸枇命日制度が我岡民共同慌の疫反 1一
F 矛盾するものとしてこの同鰐の立揚よ
末期に於ては封建的政治並に軍事が﹁天皇中心の園民共同総﹂の授展と矛屑寸るものとしてこの立揚より愛車され
ゴ
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反して行くのである。 か︿てとの一切はア)の九六同憾の矯めにあるものとして。とれに矛-尉するととは許されない。
、
、
然し現賓の歴史に於てはとれ等の前助副が屡々手一の主際たる﹁又 HIP-川中心とする閣民共同開 の殻展と矛盾す
とする図民共同慌﹂を宅憾とするところのその働であり閉である。このド般はこの活動に上って臼己を保持し授
ふては内政としで外に向ふては外交軍事の形を以て鼓動するのであるのかくてとれ等一切のものは﹁天皇を中心
、
、
の共同憾の文化的荊動の而であり、岡一公模力溌動の構法は、 との共同開定士山の夜勤の問であって、それが内に向
第
今日の平新は日本の一図民生活を構成する三勺のものについて考へられなければたらない。第一はその主慌たる
の
共同程について日ある。
天皇をも閤洋諸国の皇帝の概念に於一一考るに至った。 かくて
明治維新以来自己を白人に謝して強化する矯めに閏欧の市民枇曾文物の棋倣に日もこれ足ら
ざる有様であった日木は遂に我園舗の按心である
その皇統が連綿であると云ふ時間的長さの相違は云はれるがその他と金︿異たる本質は十分意識され左かった。
かぐて我同鳴が悶欧の君主闘と同一蹴せられるに去りその結川市岡内的に土た到外的に走大た誤謬を侵すに至つ
の金剛山主義凶
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かん。例へば共有主義がロシヤのツアーを否定したと式ふことそ以て直に冶旧安維持法の戎同般に叫判ずる必要現山主
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かくて今日我国慨を明徴ならしめんが矯めに、たづ必
て日るん一一おふ﹁ -LL 九γ以一一氏問問 L
﹂同時半一同ピ︿吋一るものであるかの如
p川にする傾向や一生じた。百出に進んで偶
なさんとずることにより段叫脚と帝政ロシヤとの匝聞を f
一一気がこの共涼主義岡放に民主々は詫同し﹂判允
く陀考へて、防共協定を讃,返するものもあったのである
要左ることは我固と岡慨を同じくするものの絶句⋮友ることを十分に意識することである。
然るに今日の我闘の市一新の根本は﹁天皇を中心とする閣民共同憾﹂の精紳を現代の枇合而並に楼力商に徹底せし
ah
る仕方では他凶人は勿論今日の日本の青年をずら承服せしむるカは友い
むるととである。 こ の 矯 め に は 攻 国 値 を 思 想 的 に 明 徴 な ら し む る こ と が 第 一 で あ る 。 そ れ は 今 日 騒 々 見 ら れ る が
如︿一柳話的に物語ることでは友い。か
それは撃問的にも明にされ友ければ友らたい。 こ の 矯 に は 我 閣 の 歴 史 と 西 洋 諸 闘 の 歴 史 と の 比 較 研 究 を 盛 に し 友
ければならない。而も岡控の緯輸を闘史上の偉人に於て見るととは甚だ大切である。 乙 の 貼 に つ き 最 も 深 き 閥 樫
四三五
九
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明治天皇に於て奔せられるのである。 かくして得られる関惜の慌験は哲接的棋系にも高められ
第四十九巻
競
の膿験と表現は
現代日本の草新
告
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) こ の 校 正 に 常 つ て は 既 に 湖 ソ 不 可 侵 傑 約 のi
締結が主主表された。
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何自任が立n1'lに示めされた。
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徴
第四十九巻
四=一六
続
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四
徴されたととろのものが固民の教養の中に取入れられたければならたい。市して園民の総てはこの深雪国閥的自
が進められるのである。 かくて闘棋を異に明徴にすることは今日の日本の息者の重要任務である。 か︿で買に明
於てそこに日本諸科撃の立つべき基礎が置れるのである。またとの日本諸壊建設の虞剣左努力の中に岡醸の哲皐
に も 劣 ら ぬ 優 れ た 憾 系 に 展 開 さ れ る こ と は 図 氏 の 長 の 数 養 の 矯 め に も 桜 め て 大 切 で あ る 。 ま た か Lる哲皐憤系に
在ければ左ら友い。 ヘーがルが﹃法の折円皐﹄に於て濁逸の﹁園家の哲撃﹂を展開したが如︿、我同館がとの軒目撃鰐系
現代日本の章新
=
第
慌に立つてはじめて会憾の偽めに最善佐諜し何おものと役る。 かくして現代日本の共同隅的革新の町民の幕艇が蹴
月
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度
の
革
新
抑も人間生活には二つの嬰素がある。
一つは人的要素であり他は物的要素であ
れる。我闘の革新は明徴されたる園閣を寅践的に賓現するより外友いのである。
諸
文
化
舎
制
題とされたければ訟ら校い。而も資本主義的経済制度はこの尉についても重大意義を有する。
ばたらたい。 こ の 意 味 に 於 て 来 る べ き 共 同 鰹 の 準 備 期 で あ る 今 日 こ の 二 つ の 文 化 域 は ど の 文 化 域 に も 先 立 っ て 問
何よりもこの経済と教育とが共同館確立の鋳めに遁切なる物的要素と人的要素とを準備するに足るもので泣けれ
遁するものたらしむるととはこれを庚く教育と云ふことが出来るであろう。園民共同値たるものが確立するにも
活に必要のものを作り出すととは経済的生産と云はれるものであるに針し人聞に人震を加へでこれを人間生活に
育ぴ立った自然な人間ではなぐとれに人矯が加へられたところのものである。自然の物質に人震を加へて人間生
的危物ではな︿多︿はそれに人錦が加へられたものであると同様に、 との人的要素なるものも皐に生れたま与に
一園の文化的活動も椿力的活動もとの二つの要素を待つてはじめて可能でるる。 と の 物 的 要 素 が 皐 な る 自 然
。(ニ)
る
日本に於ける資本主義的経済制度は明治維新以来その闘惜の立場より西洋に封して自己を強化すべ︿採り入れ
来ったものであり、 日清、日露の戦役の時代に於ては径々致展させられなければならぬところのものであった。
その時党革が問題とたりはじめたのはようや︿世界大戦後に於てピある。先づとの資本主義制度なるものは、人間
tA
る自完的な個々人を人的素材とする
の共同種的存在の責現の矯めに依︿可らざる準備をした。郎ちその個人主義的な原理口、人々を中世の権力への
盲目的服従より自覚せしめ自己の判断に基いて行動するに至らしめた。 か
3
との豆大友生産力によ
ととによって人間の共同鑓的存在ははじめて費現し得るものと左るのである。またこの制度は人々の利己心を刺
激しこれを原動力として経済を借金すととによって生産力の未曾有宏る増大を資らした
ってより尚会共同組賢明の物的議材が準備されるとと Lなるの?ある。帥惜しとの制皮の利己主義的唯物主義的限
現は闘民生前の一切を支配するに歪り、国間思想と防共思想とを混同せしめたるのみならや、更に諸文化債値を
商品化することによって諸文化枇舎に於ける債値の生産並に分配を規定した。即ち今日の諸丈化枇舎の根本特色
は、個人主義的経持制度を中心としその原理に規定される結にある。か︿て先づ経済社舎の革新について述べる。
印ち近世の初めに於ける政治上の図民的統一組織の成立と相待って資本主義世舎は封建的た地方経済を国民草
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なったが故に多︿の大工揚生産が護達したのみならや更にそれ等のものはカルテル、
位にまで横大し更に世界的聯闘にまで結んだ。 この横大されたる市場に封しては生産を犬規模にするととが個人
的友利径を資らすこと
ラストの形に於てE に聯闘統一せられ閤民市場の占恒例に向ふて進んだ。 かくの如く資本主義制度の下に於て護連
第四十九巻
第
競
四
せし大規模生産とその聯関統一は医にその上に共同樫的生産組織が成立すぺきとこ与の基礎と左るととらのもの
現代日本の革新
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四
七
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現代日本の草新
第四十九容
四三入
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にして置いてその使用については国家が公のためにこれを決定する
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合同祉に針してこれまでの様友利潤ではなく凶家が遁営友りと考へる額の使用料が興へられるのでる
に資本主義枇合制度
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く産業資本、金融資本、保険等に遁刑されるのみならや同氏自然にも遁刑され得る。例へばとれを土地に適用す
化しつ Lある。 との私有公用の原理は資本主義経怖を共同酬明粧品川に牌換せしむる潟めの章一安た阪迎で b って、庚
の私有私用の原理に針して私有公用の原理の方向が公然現れはじめたのである。今や線動員法案はとの方向を強
る。但し愈土質現した電力法案は営初のものよりも資本家の利従の矯めに歪められたがこ
のである。
え電力品開枇の禁法電の設備の私有はそのま
くから主張したととろであるが今や賞現しつつあるのである。その日曜初の例は首初の電力法案であった。帥ち五
れ得るのである。私有者に対しては閥民共同慨が遁静岡友りと考へる使用料を輿へるのである。 こ の と と は 私 が 早
右 は そ の ま Lに し て 私 刑 を 公 用 に 移 せ ば よ い の ? あ る 。 而 も こ の こ と は 有 の 理 動 と 異 左 り 、 極 め て 哲 進 的 に な さ
かくて図民的エネ凡ギーが浪費することになる。然るに財庵について重要たるは布にあらやして別である故に私
がとむととは私ムれそが叶ふとと 誌
t なるが般に革命的混乱を芯
ιすること露四世革命に於て見られたが如くむある。
利径と矛盾するに至ったのである。 と れ を 是 正 せ ん が 鴻 め に 枇 曾 主 義 は こ の 私 有 を 共 お に 移 さ ん と し た の で あ る
云ふ原理である。従ってとの下に於ては岡氏の自然弊働資木が私利を眼目として用いられるが放に、共同健全憾の
、、、、
合する校に私有公用にい料換されねばならたい。剖ち私有私用の原理は個人が私布し個人の利訴の矯めに矧ふると
である。然しこの矯めにはとれ等生産設備の資本主義制度下に於ける私有私用の原却が共同位粧持の w
究極目的に
銑
るには図家は一方各の土地の所有者はその優にして置きこれまでの如き地代では友︿岡山北が遜首左りと考へる使
拙著『精利I科 事 的 経 済 皐 白 基 礎 問 題 」 第 一 九 四 頁 以 下 参 照
官
事
用料を興へ他方日本全閣の土地を一腰として閣民共同鰻に針して最も有放なる用法宇一明にしこれに従って小作人
友り或は組合なりの土地の経日常符に各々の土地を経替せしむるのである。 か︿閲家は地主と土地の経叫営者の聞に
介 在 し て そ の 闘 土 の 用 を 共 同 悼 の 矯 め に 最 大 た ら し め る こ と が 問 来 る の で あ る 。 との際関出家は経山営者上り得る牧
入
ル
﹂
、 地主に針して帽唯一ふる使用料との差額を以て閣民共同惜の牧入を増大しとれを圃民の国民の必要の矯めに充て
得 る の で あ る 。 以k の 如 ︿ に し て 一 閣 の 庁 然 生 還 設 備 が 公 の 矯 め に 最 大 の 用 を 殻 揮 し 得 る の で あ る が 、 経 済 的 生
なるのである
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立ヒキム馬司直旧内 '
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一時持働も今日の様に貧乏だから捨官するのではなく敦占げの資質的機合均等制度に結果する遁材泊所主義により捨
川口川するの?ある。 かくて凶日刊の生直力そ共同川般の鴻めに尽にに投開ずること
曜について?あるがえに比九河川般的分間については少〆¥とも生活に必況たる内は去の人が共同悼の時民としての介
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ある。共同値へ進むが矯めにはこの方向
a 共同躍的消費についても公用の原理が重要?あるつ今日人間生活の諸種の物的設備は生産設備と同様に
に背かざる限り保諮されねばならね。分配につい℃も大切なるは、用である。従ってそれは消費に関聯するとと
、なる
。佐々大規模なものと友り従って共同的に問ふべき性質のものと左りつ
が 盆 々 進 め ら れ ね ば な ら な い 。 但 し 圏 民 共 同 轄 に 於 で は 、 プ ラ ト I又 は マ ル ク ス に 於 け る と は 反 針 に 、 家 庭 生 祈
Q
なるものを人間の生活の矯めに結封に必要なるものとして東ヂるのである。故にこの家庭生前の矯めに買に必要
友るものはその限度に於て私用されねばなら友いのである。
か︿して日本闇民の粧品川力は最大に妥掠せられ、全国民生活の矯めに活用されるのである
第四十九巻
四
一
一
一
九
披
四
-次に数育について考察し上う。先づ個人主義社舎に於ては教育の目的をその結果得らるべき金銭的牧入に於て
現代日本の草新
第
現代日本の草新
第四十九巻
四四O
銃
四
四
c
D
かくして全か慨を生かすと共に倒か全を生かすところの共河閥的原則一が教育を混じて資現す
ければ友らないのでるるが、更にその全酷をして共同控的薮育の致田町を牟げる様に統一組織することが必要であ
著し︿準備せられたのである。但し今日の墜校設備は筒ほ不十分であって事情の許す限り必要なものを増設し左
枇舎に比するならば市民社舎に於ては多くの一菌学校が設立せられた。 とれによって共同槌教育への皐校教育設備は
この矯めの曲学校教育の構成について云へば、先づとれに必要友諸の皐校が設けられることである。 これを封建
るのである
教護するのである
して持って居る能力を遺憾友く殻展せしめると共にとの能力をその個性に従って全般の矯めに護揮すべき職分ヘ
家の手段として専らこれに盲従すべき遺兵として育てんとする。然L共同鴨の立場に於ては線ての人々が人聞と
云ふことよりも牧入の多寡を標準として製校を選ぶとと Lなる。 これに針立し全開主義の立揚に於ては人々を圃
と考へ従て教育債値をも商品化する傾向が掻く働︿とと hたる。部ち父兄は勿論本人も自分の個性を砕裂すると
第
今日は均等であると云ふことが出来る。然しこの数育の機曾均等は形式的友ものである。共同鰹教育に於てはこ
如何なる高い由宇校にも入間半することが問来る様になった。 この意味に於て中世は教育の機舎が均等でなかったが
級以上のもに限られそれ以下のものにとっては寺小屋なるものがあったに週﹃ない。然るに近世に至って何人も
る。との黙についても中世に針ずる進歩を先づ認め友ければなら友い。中世に於ては秀れた皐校の利用は武士階
しかし今日の事校教育制度の共同鰐教育に針する最大の訣貼は、間宇校設備より仏一夏にこの設備利用の仕方にあ
る。
の黙が改められ教育の貫質的機命日均等の原理が確立されなければならない。 それは今日の如く金鎖的た束縛に障
害されるととたく綿ての岡氏がその能力攻第に高い同学校へ進み得るといふことである。印ち全閣の青少年に封し
ては遁切公平なる試験を行ふことによりその各の能力に従ふてより高い遡首注事校へ進み入らしめるのである。
事校設備に制限がある以上志望者が溢れるなら試験は是非やらねば友らぬ。議引によらんとするが如きは全く誤
れる考であって、その結果来るベす時代の日本岡氏を如何に無気力友ものたらしめるに至るかは明である。適切
L
公平なる試験によって各の事校に入ることの出来たものに針しでは図案が義務として狭義の教育費用のみならや
これに必要友生活費問そも負拾するのである。 乙、まで行か友ければ買に闘民教育といふことは問来泣い。こ
Yる潟めの機舎を民代出品川へら札るごと
にはじめご繍ての閣同は﹁皐ヲ修メ栄ヲ習ヒ以一ア智能ア枠設シ徳川線ヲ成就 -
hな る 。 か ︿ て 今 日 に 於 け る よ り も 治 に 秀 れ た ま た 多 く の 人 才 が 世 に 出 る の でb る。天下億兆一人もその底を得
ざるもの友からしむることを以てその園樫精神とする我国にとってはか、る教育こそが図家生活の限目たるべき
ものである。放にこれに要する費用こそ買に園家に必要友最も有意義な費別である。加之これを経済的観結のみ
より見るも今日浪費されて居る全国民の人的富源が此制度によって開設せられその結川市輩出するところの優れた
政治家軍人島一・苦経済家等の国家に針する優れた貢献はとの制度の認めに要する悶家の費用を補って除あるのであ
る。との制度は速に産一泣き家庭の子弟より始めて貴行に移され友ければ友らない。今日の市民枇舎の唯物主義は
第三競
物 的 安 源 を の み 高 調 し 岡 家 生 活 に 最 も 大 切 な 人 的 宮 源 を 浪 費 し 矯 め に 多 く の 英 才 が 徒 ら に 葬 ら れ つ Lあることは
第四十九巻
回
五
園家の矯め人類の矯め痛感に唱へざるところである。
現代日本の革新
四
四
現代日本の草新
第四十九巻
四
費
主
競
四
プ
マ
Kの 幼 き 生 命 に と っ て の 最 初 の 皐 校 教 育 と し て 困 民 生 活 に と っ て 特 に 重 要 な 意 義 を 有
る欣態に世くことは共同慌教育の許さざるととろである。中引に必要たことは毅育
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か︿てはじめ
臼本の叡育桜闘を一刷版的じ組成ナヲU
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4共いれ
られ犠能なる軟骨円者もその力を自由に滋慨し
ζとに甚だしいっ
Kに よ っ て 組 織 さ れ る 公 の 機 構 の 下 に そ の 向 律 を 確 保 す る こ と が 必 要 で あ る 。
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要 す る に 今 日 の 諸 文 化 枇 合 制 度 の 根 本 原 理 は 何 れ も 商 品 性 の 原 理 に 立 て る が 故 に 、 その泣歩せる設備も図民共
に設反せしむると共にその利則につき公用の原現を強化し友ければ友ら友い
は大友る進歩を遂げたがその利用は経済並に教育と共に商品性の拘束を有するが故でるる。閥次はその一一イ恐怖を吏
弐に鵬首療について一一言せんに、間百療の献如は今日一般民衆にとっての大なる苦痛でるる。とれ現代の雷療設備
て図民共同隣教育の末通った功川前を全ふし得るのである。
教育に於て優れた人
山村たい訟能にある勺 とのととい小山母校中息校に針し
者のJ
M律と一はふことである。今日教育に全ぐ無理解危る干渉が加
する小出宇校数育の捲営者をか
務教育でありまた綿ての人
ける教育者の待遇が経術的にあまりに低︿且つ時間的徐裕のあまりに友いことでるる。線ての副民にとっての義
次にこの教育設備そ動かして行く毅育者についてピるるが、 と れ に つ い て 特 に 軍 要 左 問 題 は こ と に 小 事 校 に 於
四
かくの如く諸文化枇曾の革新は共同惜精神に基︿正しき権力的祈動に待のもの
同阻胞の矯めに朋ゐられ左いのである。岡山系は先づこれを私有公用の原理に移し更にその設備を完備しご公附の原
家
3
基
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度
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新
革
迎を徹底することが必妥でるる。
事
事
が大である。加之岡家格力はそれ白鴎政治司法外交軍事等に於て図民生活の軍要友面を在して居る。この革新は
(三)
岡
明治天皇の仰せられた﹁高機会論に決す﹂と云ふことが
天皇精榊によって貫かれ天下億兆一人も共底を得ざるものなからしむるととを以て究桜日
とれに﹁天皇を中心とする園民共同地問﹂の主様性を徹底し警本主義的並に全館主義的歪曲より解放するととであ
る。先づ国家意志が
的として居友ければならないことは勿論であるが、更に
異に賞現され国民共同慌の線意が岡家槽力の波動に十全に表現されねばなら在い。かくて全が個を生かし個が入土
を生かし得るととと友るコ今日の議舎は未叫んこの目的に合して居左いのであるが‘近世が資らしも孔岡氏草位の議合
3
大切たことはこの議合制度を直接
制度そのものは共同鴨への進歩に主要意義を有ずるものである。たいおそれが今日に於ては、資本主義枇舎に基礎
付 け ら れ て 居 る が 此 に 資 本 家 の 階 級 的 利 盆 が 引 く 現 れ る こ と Lなるのである
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hる共同情は光づ農村共同剛胆である。印ち各の農村は日己を共同鰐とし
凶民共同般に基礎付けるととでるる、これかためにはとれを湖児共同燃の構成要素炉一な十王こ乃の諸共同開の人
格代表者を以て組織することである。
て高めることに努め、 そ の 成 長 は そ の 中 よ り と の 共 同 棋 を 人 格 的 に 代 表 す べ き 秀 れ た 人 を 選 出 す る の で あ る 。 都
υ
かくして選ばれたる人々は今日
市に於ては諸の職能圏幽胞が共同閥的組織に高められる。例へば教育者の閣閥、初出﹄術家の闇嶋、務種の工業生産者
の圏儲等がそれである。 こ れ 等 の 共 同 憾 よ り 同 級 に し て 人 格 代 表 者 が 濯 ば れ る
の峨莱議員とは全く性質を異にするものでるって依然との共同棋の成員としてこれまでの生前を保有し議舎に於
てはその代表する共同鰐の人格代表者として臼重し翠に自分遠の小さき共同悼の利径を主張する矯めでは左くむ
Lろその共同慌がそれに於であるより大友る共同般の丹波展完成の矯めに最善を嘉卸して震に世間機を公論に決するの
第四十九巻
四四三
第三競
四七
である。 そ の こ と が 共 同 韓 の 本 質 上 そ れ に 於 で あ る 諸 共 同 棋 を 自 ら 畏 に 生 か す こ と に 左 る の で あ る 。 か く 諸 共 同
現代日本の革新
現代日本の革新
第四十九巻
四四四
第三銃
四
JC
cた斜めに大口則的統一が犬はれ国家に到しご甚大な
れす v
門家によって地哨戒された諸種の都議自に議することが必嬰である。
これを寛行に移す矯めに同多くの専門的な智識が必要である。 と の 矯 め に は 会 凶 民 中 よ ね 選 ば れ た そ れ ぞ れ の 専
って賀行に移されるのである。議舎に於て決せられると乙るのものは主として岡民総意の主要方向であるが故に
線意が図家意志に十全に表現されるととミ友るのである。かくして公論に決せられたとこらのものは、政府によ
鴨の代表者により構成される議舎は小怒るものより国民議曾に至るまでの段階をなして居りかくて園民共同樫の
月
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ある。 こ の 貼 に つ い て も 我 共 同 館 精 耐 に 基 い て 大 改 革 が 一 日 も 速 に 断 行 さ れ な け れ ば 友 ら 左
更に政附む粧紘に勺いていへは、今日は除りに分化
不利が資らされつ
原動力
い。然らやんば、 乙の非常時局に於て政府の針内的封外的行動を全ふすることは出来ないのである。
革新
の
天皇よりの夜勤であると共にこの共同憾の成員としての
天皇が﹁億兆の父母﹂として天下億兆一人も共庭を得ざるもの友からしめん
躍的一鰭がある。例へば大化の改新に於て図を危くせん L
﹂する蘇我氏に封ずる鎌足の態﹂民がそれであるが、明治
とする大精榊に針し同氏は﹁赤子﹂としてこの親心を心として最蓄を濯すのである。 こ誌に時変革期に於ける共同
自費に立つ園氏の活動でるる。'凶ち
に一不めされて居るが如く、我凶民共同樫の中心をなす
めの根照的な力となるものについて一一言しなければ友ら泣い。それは大化の改新ととに明治維新に於て最も顕著
以 上 は 革 新 に よ っ て 賓 現 せ ら る べ き 閲 民 生 活 の 構 造 に つ い て 述 べ た の で あ る が 、 次 に か Lる 革 新 を 資 現 す る 翁
回
維新に於ける志士の活動はその典型的なものである。 それは圏又共同曜の渇めに一身を捨て L働同たのである。
天皇精紳を関して行動したのである。 そこに明治維新の志士と云
か Lる立場は封建枇舎の士族であるとか町人であるとか云ふ様左階級的立場に立つで居るのではな︿、 この階級
的な立場を脱却して園民共同憾の立場に立ち
ふものを五口々が仰いで誠に輝かしいものに打たれるのであるコ古川松陰が﹁かくすればかくたるものと知り左が
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2
との品析の円川動力とカっ τ働き日付るものは、
かくω灼 く に し て 日 本 の 歴 史 は そ の 危 機 を 通 過 し て 進 展 し て 来 た の で あ
らやむにやまれね大和魂﹂と歌ふている様な力は決して階級的立場から出てくるものでは泣く、全く閣民共同樫
の立場に立って同一し来るものである
る
。
とのことは今日の資本主義枇合の賛事明にい山 mし
i ても同様?ある
諸種の櫛力者階級であるとか枇舎的階級であるとか云ふ階級的意識を脱却して、買に一ペ皐を中心とする岡氏共
tA
る人のみがこの現代の革新に異に貢献し得るのであって、それは日本国民が買に日
同韓﹂としての我園緯を自費しこの図民共同緯@立場に立ちとの共同悼を自己の生命としてその務展完成の矯め
に最善を設す人である。か
本同氏としでの本務を忠貨に賓行するととより外泣いのである。 こ Lに現代日本革新の買の恭礎が世かれるので
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凶四五
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ある。革新がか Lる公明正大友態度に於て矯されるところにも我園悼の精華が存するのである。
現代日本の草新
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