日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ― 問題提起 矢 吹 康 英 (仏教学専攻博士後期課程一年) (5) 王に対して告げたことには、仏は仏法を護持して伝えるという任務 以故。無 王 イ威力 」 アが引用されている。この経文では、仏が波斯匿 (4) の「仏告 波イ斯匿王 。ア是故付 属イ諸国王 。ア不 付レ 属イ比丘比丘尼 。ア何 さらに、第七段において、おなじく『仁王般若波羅蜜経』受持品 必ず七つの難が起こるとしている。 ― 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 近現代における第七段問答の解釈をめぐって ― ― 一、はじめに 文応元年(一二六〇)七月十六日、日蓮聖人(一二二二―八二) は得宗被官の宿屋光則を仲介として、鎌倉幕府の前執権である北条 (1) 時頼に対し『立正安国論』を進覧された。 ・ を、すべての国王に委嘱することはあっても、比丘 比丘尼(男女 の出家者)という仏弟子に委嘱することはないのである。その理由 れよう。この経文では、すべてのものを見通すことができる仏眼を 時一切聖人皆為捨去。若一切聖人去時七難必起」という文が挙げら 王主 。ア是為一切聖人羅漢而為来 生イ彼国土中 作ア 大イ利益 。ア若王福尽 の「我今五眼明見 三イ世 。ア一切国王皆由 過ウ去世侍 五イ百仏 得ア 為レ 帝イ へども国主は但一人なり。二人となれば国土おだやかならず。家に また日蓮聖人は、師匠の道善房が死去したとの報せを受けて執筆 した追悼文『報恩抄』において、 「世間をみるに、各々我も我もとい ての威力が備わっていないためとしている。 として、仏弟子である比丘 比丘尼には、国王のように人々に対し ・ もって、過去 現在 未来の三世を見通したところ、国王とは、過 二の主あれば其家必やぶ ン る」と説示されているとおり、国には国主、 日蓮聖人が、本書を国主に進覧した由縁を経文にたずねてみると、 (2) 『立正安国論』第二段に引用されている『仁王般若波羅蜜経』受持品 去世に五百の仏に仕えた功徳の結果によって、現在に国王となるこ 家には主人がいて、それぞれに二人があっては、その国や家庭は穏 (3) とができた。多くの聖者や羅漢などの尊ばれる人物も、その王の国 やかにはならなず、立ちゆかなくなることを教示されている。 ・ ・ (6) 土に生まれてきて、人々に大いなる利益を与えている。しかし、そ この表記から推察するとき、当時の鎌倉幕府における最高権力者 ス の王の積んだ功徳が尽きたときには、聖者は国を捨て、その国には ― 1 ― (8) ヲ ヲ ニ タル (9) ノ セヨ 本国土妙也」とあり、久遠釈尊の根本的な仏国土である「本国土妙」 メテ であった北条時頼に『立正安国論』を宛てられたことは、換言すれ ク レ を意味していることが明らかである。 ハ ば、世法の責任者としての国主に対して諌められた行動であること ノ が、 『立正安国論』への引用経典と『報恩抄』の文から明らかである ナリ( ( ( ( れた宗教的空間である「国」とは如何なるものであろうか、という めるように勧奨したことは先述の通りであるが、日蓮聖人が目指さ と一人の僧侶という関係性でありながらも、仏法をもって国家を治 覧したという事実を考えるとき、社会的共同体を同じくする権力者 では、日蓮聖人が世俗の最高権力者に対して『立正安国論』を進 法治国」を勧奨したことともいえよう。 覧した行動は、正しき仏法によって国家を治めること、すなわち「正 れた行動が、 『立正安国論』の進覧である。また、為政者に対して進 く、速やかに唯一の実大乗たる『法華経』を信仰するように勧奨さ 聖人も被災者の一人であり、そのような惨状を一刻も早く解決すべ とで、人災や天災が相次いで発生する重苦しい世相であった。日蓮 解をふまえて考えるに、この『立正安国論』には国家観という重要 前述のとおり、日蓮聖人の為政者に対する諌暁活動とその根拠と なった引用経文を確認し、また少しく取りあげた「国」に対する理 もいえる。 とを求め、正法への信仰によって国を治めるように勧奨したことと 世法の権力者に対しても、宗教的空間としての「国」を実現するこ とはいえ、日蓮聖人が国主に『立正安国論』を進覧されたことは、 とどめておくこととする。 も検討を加える必要があるが、この点については今後の課題として 遺文にて説示された政治的 蓮聖人が目指された宗教的空間としての「国」である。日蓮聖人が 住浄ン土」ンと同様の国土観であるともいえよう。これらの箇所は、日 ノ 心本尊抄』の四十五字法体段「今本時娑ン婆世界離ン 三 ンイ災 出 ンア 四 ンイ劫 常 ンア これは、 『立正安国論』の第九段「汝早改ン 信 ンイ仰之寸心 速 ンア帰ン 実 ンイ乗 ニ レハ ハ レ ンヤ ハ ク ( ( 之一善 。 ンア然 則ン 三界皆ン仏国也。仏国其衰ン 哉ン 。十方悉ン宝ン土也」や『観 と考えられる。 (1 なる理念が説き明かされていることを知るのである。そして日蓮聖 当時の人々が正しき仏法に背き、法然(一一三三―一二一二)の 浄土教をはじめとする悪法や邪法といった誤った教えに帰依したこ (1 問題が提起されよう。 ノ ハ 本本ン時所栖四ン土者ン是 ンレ ストキハ ヲ 追求され、またそれを実践されたものと拝察される。 て「立正安国(正しき仏法を立てて、国を安んずる) 」という理念を 人は、 『立正安国論』の進覧以降の著作にも見られるように、一貫し 世法的な空間としての「国」について ・ ヲ 日蓮聖人の「国」に対する理解は、 『教機時国抄』において「日本 ハ ニ ノ (7) 国一ン向法ン華経国ン也」と示されているとおり、法華経に有縁の国であ テ り、また『小乗小仏要文』にて「今拂 迹 ンレ指ン ― 2 ― (1 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ( ( 「正法護持」という このような行動や思想の根幹部分にあるのが、 日蓮聖人の強い理念ともいえよう。 」への帰依を求めてい 『立正安国論』第九段において「実乗の一善 るがごとく、万民が正法たる法華経を信仰するように勧奨している が、 『立正安国論』中において、国家と仏法の関係性に対する日蓮聖 人の理解が顕著にあらわされている箇所としては、第七段問答が挙 げられよう。 この第七段問答段においては、旅客が災難の対治について問いか け、対して主人が災難対治の方策を、経証にもとづいて答え、正法 護持の重要性を説いている。このことから考えても、 『立正安国論』 中において、きわめて重要な問答段であるといえよう。 ・ 教団史において、日蓮聖 では、今日に至るまでの日蓮宗教学史 人の門下は、この第七段問答に説示された国家と仏法に対する考え 方について、如何に解釈してきたのであろうか。ここに、筆者の関 心がある。 ( ( 『立正安国論』の注釈書や関連文献を中心に、日蓮聖人が そこで、 『立正安国論』にて示した国家と仏法の関わりに対して、近現代にお リテ ヲ ク ツ ヲ( ( ることを目的とし、また、先行研究より「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンア 記し、その後に第七段問答における解釈のあり方を、次の三種の立 場から論じたい。 ① 第七段問答における旅客と主人の立場を同一とするか否かに ついて リテ ヲ ク ツ ヲ ② 第七段問答において種々様々な解釈がみられ議論されてきた リテ ヲ ク ツ ヲ 「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアの受容について ③ 従来の書き下しとは異なっている「先祈 国イン 家 須アン 立レン 仏イン 法 」アン の読み方について なお、複数の解釈を確認するために、先行研究を列記することと なるが、それぞれの項目において、文献の発行年を系年順に整理し ている。 二、『立正安国論』の構成と第七段問答の概要 『立正安国論』は、第一段から第九段までが旅客と 周知のとおり、 主人との問答形式、第十段が旅客の領解段となっていて、全十段か の解釈やその周辺の解説を基本として整理を進めたい。 第二段―災難由来の経証についての問答 第一段―災難の由来についての問答 ら構成されている。その内容は、次のとおりである。 小稿では、はじめに『立正安国論』の構成と第七段問答の概要を (1 ― 3 ― (1 ける先師が如何に受け止めて解釈したのか。この点について確認す (1 第五段―法然の謗法についての問答 第四段―謗法の人と謗法の教法についての問答 第三段―謗法の事実についての問答 願念仏集』(以下、『選択集』)にあることは理解できた。 れは小さな傷でしかない。それでも、災難が起こる由縁が『選択本 や仏 法然は「捨てよ ・ 第六段―進覧の可否についての問答 ・ 第七段―災難の対治についての問答 要するに、日本国に平和がもたらされて、人々が安穏であること は、国王から国民に至るまでの万民共通の思いである。私が思うに ・ 第八段―謗法の禁断についての問答 は、国は仏法によって繁栄し、仏法は人によって貴ばれる。もし、 ・ ・ ( ( 菩薩 諸天善神等を否定したことは明白である。しかし、そ 抛て」の四字をもって、大乗経典 第九段―正法帰依についての問答 国が滅び、人々が滅亡したならば、誰が仏を崇めるであろうか。誰 閉じよ 閣け 第十段―旅客が謗法への対治を領解 る『立正安国論』を、三段に科段分けすることがなされてきている。 従来の『立正安国論』研究においては、全十段から構成されてい 出るのである。 めるなどの災難対治の方策をお聞かせいただきたい、と主人に願い その後に仏法の流布を図るべきである。そこで、災を除き、難を止 が法を信じるであろうか。そうであるから、まず国家の安穏を祈り、 第一段から第八段が序分(序論)、第九段が正宗分(本論)、第十段 明し、経文を依拠とする態度を示すことになる。 策を知り得ないので、あくまでも経文にもとづいて答えることを説 この質問に対して、主人は、己れ自身においては、災難対治の方 ( ( キテ ク( ( その答えとして、災難対治の方策については、仏教やそれ以外に 者を禁じて、正法を信ずる者を尊重するならば、国は安らかであり、 も多くの文証が存在している。自身の至らぬ考えを重ねるに、謗法 しておきたい。 槃経』『仁王般若波羅密経』『妙法蓮華経』の三経から十文の引用が 七段の内容として、旅客の問いと、それに対する主人の答えを確認 旅客は、前段の第六段問答にて、主人より朝廷や幕府に勘文を進 覧したことへの先例は存在するとの答えを受けて、浄土宗の祖であ なされる。以下、それぞれの引用経文の内容である。 穏やかな世の中が実現するとしている。それを実証すべく、 『大般涅 る法然房源空を謗法罪の者であると断定することは難しい。だが、 ― 4 ― (1 が流通分(結論)となる。そのため、小稿にて取り上げる第七段は 序分に当たるのである。 チ (1 「客則和ン 曰ン 」ンとの表記がみられ、態度をやわ 第七段の冒頭には、 らげた旅客が、主人に質問をすることからはじめられる。以下、第 (1 ・ ・ 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ( ( 三種の殺生によって報いる苦しみの世界に堕ちることはない」と。 ⑤ 『仁王般若波羅蜜経』受持品 「仏が波斯匿王に対して、未来へ国王に対して仏法護持を命ずる ① 『大般涅槃経』大衆所問品 ることは尊いことである。その一人とは、破戒の者であり、しか ことがあっても、仏弟子にその任務を委嘱することはない。なぜ 「仏が純陀に告げた。ただ一人を除いて、他の修行者に布施をす も一闡提の人を指す。これは、四重罪や五重罪を犯しても罪のお ( なら、仏弟子たちには国王のような人々に対しての威力が備わっ ( それがなく、さらに正法を護る意志のない人のことである。この ( ていないからである」と。 ( ⑥ 『大般涅槃経』寿命品 「最上の正法を、諸国の王や大臣、比丘 比丘に ・ ・ 優婆 ・ ( 夷の四衆に委嘱する。そこで、もし正法を謗る者があれば、その ③ 『大般涅槃経』梵行品 「昔、仏が菩薩行を修していたとき、国王となり菩薩行を修して ( ⑦ 『大般涅槃経』金剛身品 「仏は、迦葉童子菩薩に対して、私(釈尊)は過去世に身命をか けて正法護持をしたことで、金剛の仏身を得ることができた。そ ( ( こで、正法を護持しようとすっる者は、五戒や威儀にとらわれず、 刀や弓などの武器を持つべきである」と。 ⑧ 『大般涅槃経』金剛身品 「もし、五戒を持っていても、それを大乗を保つ人とは言えない。 ・ ・ ・ ⑨ 『大般涅槃経』金剛身品 (2 ・ ( で、これを持戒という」と。 ( ④ 『大般涅槃経』梵行品 「殺生には、上 中 下の三種類がある。下殺とは小さな昆虫を 縁覚 菩薩を殺すことで、無間地 獄に堕ちる。しかしながら、もし一闡提を殺すことがあっても、 堕ちる。上殺とは父母や声聞 たとえ五戒を守らなくても、正法を護持する人が大乗の人と言え ( (2 殺すことで、この罪を犯すと三悪道に堕ちて下の苦を受ける。中 いたとき、仏法を破戒する多くの婆羅門の命を断った」と。 ( ことである。大乗経典を重視し、仏教に対して信を捧げていた。 た」と。 ( ( つこととした。その功徳によって、私は地獄に堕ちることはなかっ 行為を対治しなければならない」と。 優婆塞 一闡提の人に布施しないことがよいことである」と。 (2 あるとき、婆羅門が大乗の教えを謗るのを聞き、婆羅門の命を断 ② 『大般涅槃経』聖行品 「私(釈尊)が、過去世に仙予国王として生を享けていたときの (2 るのである。さらに、釈尊の正法を護る人は、刀や杖を持つべき (2 ― 5 ― (1 殺とは阿那含果に到達した人を殺すことで、その罪報で三悪道に (2 (2 比丘も同様に阿閦仏の国に生まれた。そして、そのときの国王と しかし、有徳王は阿閦仏の国に生まれ、第一の弟子となり、、覚徳 したため、有徳はそれを守るべく悪僧と戦い死去したのである。 そのときの国王は、有徳という。あるとき、破戒僧が覚徳を殺害 の仏の入滅後、正法が滅びる時代に覚徳比丘という僧があった。 「昔、クシナガラという街に、歓喜増益如来という仏がいた。こ 導の講としているなど、数え切れないほどの謗法行為がおこなわれ る。たとえば、釈尊の印相を阿弥陀仏に替えたり、天台大師講を善 なってしまい、そのためにますます謗法行為を増長しているのであ 法の人々は正法を伝える者を信じず、 『選択集』にだまされて盲目と て重要であり、その戒めの言葉はきわめて重い。しかしながら、謗 つづけて、『法華経』『涅槃経』の教えは、釈尊一代の説法におい 答える。 ・ ( ・ ・ これらの邪な誤った行為は、すべて『選択集』に因るものである。 ( は今の釈迦仏で、覚徳比丘は迦葉である」と。 ⑩ 『妙法蓮華経』譬喩品 「法華経を信ぜず、法華経を謗り破るのであれば、すべての人々 仏の真実の言葉に背くことは、悲しいことである。法然のような愚 ている。これこそ、破仏 破法 破僧といえるのではないだろうか。 の仏になる種を断つことになり、また経を謗る者は命が終わって ( かな僧の人を迷わせる言葉に従っていることは、気の毒である。一 ( のちに、必ず無間地獄に堕ちるであろう」と。 日も早く天下を安泰にしたいと思うのであれば、まず第一に、国中 の謗法を禁断して正法を立てるべきである、と答えるのである。 仰を勧奨する「正法治国」や、謗法者を戒めて法華経に帰依させる 以上が、第七段問答の概要である。ここには、為政者に法華経信 めに、自分自身の言葉を付け加える必要がないとしている。さらに、 ための「正法護持」、国家を安穏にするための手立てとしての正法が 以上の三経十文による引用を依拠とし、謗法行為を禁ずることで、 災難が対治されることを明らかとし、主人は経証をもって答えるた 十番目に引用した『法華経』譬喩品に説かれているとおりであれば、 開顕されているのである。 先に確認したとおり、第七段問答においては、災難の対治をめぐっ て旅客と主人による問答がなされている。そのなかで、仏法と国家、 三、近 現代における第七段問答の解釈をめぐって 大乗経典を謗る罪は、殺父や殺母などの五逆罪よりも重く、無間地 獄に堕ちて救われることはない。 『涅槃経』大衆所問品によれば、五 逆罪を犯した者に対する供養は許されても、正法を否定する謗法者 への布施は許されておらず、三悪道に堕ちるのである。対して、謗 法の行為を止める者は必ず不退転の位にのぼり成仏の疑いはないと ― 6 ― (2 (2 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ・ シ ヒ セハ ヲ カ キ ム ヲ カ キヤ ス が、政治的 社会的な活動を推進するにおいて、この一節を思想的 ニ 国家と民衆、民衆と仏法という三者の連関性を中心とする質問がな ヘ ハ テ な基盤として用い、それぞれの活動におけるスローガンとして利用 ニ され、またそれに対する解答があり、とりわけ、旅客の質問に含ま ハ テ ツ ヲ ( ( れる「夫国依ン 法レン 而昌 ン 法因 ン ン 人レン 而貴 ン 。国 ン 亡人滅 ン 仏ン 誰可 ン ン 崇レン 。法 ン 誰可 ン ン 信レン ン した歴史もある。 ク そこで、これより旅客と主人の立場に対する解釈とその文言の受 ヲ 容、また該当箇所の読み下しについて、先師の解釈を提示したうえ リテ 哉。先祈 国イン 家 須アン 立レン 仏イン 法 」 アン という部分が、有名な一文として挙げ ( ( られ、頻繁に用いられている。 で、それぞれの相違点について考察することを試みたい。 ( ( ( (3 『立正安国論』は旅客と主人との問答体にて構成され 先述の通り、 ている。質問者である旅客と解答者である主人の立場を、如何に解 釈するのかによって、国家と仏法のいずれを優位として捉えるのか が異なることとなり、議論の対象となった。 王法為本 旅客と主人の立場について、先行研究における解釈をまとめると、 次の通りとなる。 ・ ・ 国家本位人間主義 ・ ・ 主人の立場「法主国従」 宗教(仏法)優位 立正→安国 ・ 宗教本位仏法主義 ・ ・ →仏法が優位で、国家もそれによって構築されるとする立場 仏法為本 →国家を優位として仏法がそれに準ずる立場 国家(世法)優位 安国→立正 旅客の立場「国主法従」 ・ いる箇所であって、 『立正安国論』の中心的な部分ともいえる。 しかし、この箇所はあくまでも主人に質問をする旅客の発言であ ることは言うまでもない。にもかかわらず、日蓮聖人を信仰する人々 ⑴ 旅客と主人の立場について この部分に対する先師の解釈について、いくつか挙げておきたい。 ① 森川寛行編『立正安国論集註』 ( ( 「宗祖、国家と宗教の関係を観察し玉ふこと夫れ斯の如し」 (3 ② 本多日生著『日蓮主義』 ( ( 「此言葉程国家と宗教との大問題を明白にしたものはない」 ③ 山川智応著『日蓮聖人遺文研究』二輯附録 ( 「これ安国論の最も中枢を為す思想なり」 ④ 茂田井教亨訳「立正安国論解題」 「この段は重要な示唆をもっている」 (3 列記した先師による解釈からも確認できるとおり、日蓮聖人の国 家と仏法に関する理解を考えるにおいて、重要な事柄が説示されて (3 ― 7 ― (2 (3 一方の主人は、宗教 仏法を優位としており、 「立正→安国」との 理解であり、仏法をもって国家を構築する「法主国従」の立場とい 世法を優位としており、 「安国→立正」との理解で 旅客は、国家 あり、国家に仏法が準ずるとする立場の「国主法従」といえる。 人と同等に受け止めてよいのか否かということである。 する旅客の発言をも、 「立正→安国」「仏法為本」との立場をとる主 つまりは、旅客の発言を、主人と同等に解釈するべきか否かとの議 ・ える。 では次に、「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアとの部分に、種々様々な解 釈が存していることについての指摘を、先行研究より確認しておき 築されるとする「法主国従」との二通りの立場への解釈がみられる。 まず、第七段問答を考える前提として、旅客と主人の立場を如何 に位置づけたのかを、先師の解釈にたずねておきたい。 ・ ・ リテ ヲ ク ツ ヲ 論がなされてきた。換言すれば、 「安国→立正」「王法為本」を意と たい。 「然るに今時此文を直に主人の発言として専用するもあり、或は ① 北尾日大著『新撰立正安国論講義』 ・ ① 北尾日大著『新撰立正安国論講義』 ( ( ( 迷者の言として一向に用ゐざるものなり(中略)倶に思想の中正 を得たるものにあらざるべし」 ② 田中応舟著『日蓮聖人遺文講座』五巻 「ある者はこれをもって日蓮主義は国家主義だといい、ある者は これをもって日蓮主義だといい、ある者は日蓮聖人を偏狭な愛国 者であるといい、またある者は、これは客の言であって主人の言 ではない。客はまちがった信仰思想をもったものであるから、こ ( ( の言は聖人の言ではない……蕩々と、なかなかやかましく議論さ れている」 ― 8 ― 旅客を「安国を先んじて立正を後にす」と、主人を「国家を安ん ( ぜんと欲せば先須く正法を立つべしといふ」と位置づけている。 ② 北尾日大著『日蓮聖人遺文全集講義』四巻 旅客を「国家本位人間主義」とし、主人を「宗教本位仏法主義」 ( ( と位置づけている。 ③ 清水龍山講述『立正安国論講要』 ヅ ク ヅ ク テヨ ヲ レハ チ 、主人を「先須ン立ン 正 旅客を「先須ン国ン家、而後仏法」 ンレ、然 ン 則ン 安ン国」 ( ( と位置づけている。 これらの三種の先行研究から考えるに、旅客と主人の立場が明確 に区分されている。旅客は、国家を優位として仏法がそれに準ずる (3 (3 立場の「国主法従」と、仏法が優位であって国家もそれによって構 (3 (3 (3 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ( ( ント欲セハ、先ツ国家ヲ盛ンニセサルヘカラス」として、さらに 右記の二氏による指摘にもみられるように、第七段問答における 旅客の発言には多面的な解釈があることが確認できる。 如一元論」として位置づけ、双方を同一とみなしている。そのこ 主人の発言を「而シテ国家ヲ隆ンニセント欲セハ必ス正法ヲ弘メ ( 主人の考えにおいて前後があ また、立正と安国とに対する旅客 ることについて、 『日蓮聖人御遺文講義』一巻では「為政者の通弊を とから、旅客と主人の双方を日蓮聖人の発言と解釈していること ・ ・ 「安国」も、旅客 主人の双方が願うところではあるが、どちらを優 位として扱うのかについては、順序に相違がみられ、それらの確認 を次項ではおこなうこととしたい。 ( ( ( ・ 主人を同等に扱う顕著な事例といえよう。 このような解釈は、本多日生と田中智学が中心となって展開され ( ( この第七問は、旅客の発言であって、主人の発言ではないことは、 先に確認したとおりである。そうであるにもかかわらず、旅客と主 た大正十一年(一九二二)十月十三日の「立正大師」諡号宣下に げて第七段の旅客の発言を引用したうえで、 「勤王ノ大義ヲ重ンズ ( ( のなかにある項目「諌暁」において、 『立正安国論』進覧を取り上 大項目「第六段 応用哲学門 第三」のうちの小項目「第二五節 本宗の安国論」においては、 『立正安国論』を国家と仏法との関係 人一代略歴』という文書が、申請にあわせて提出されていて、そ が「国主法従」の立場であることを強調して推進された。 『日蓮聖 に基づいた行動であるともいえ、特に第七段を用いて、日蓮聖人 (4 ベキヲ説キ以テ法国相扶ノ大義ヲ明カス」と記している。また『選 a 井上円了著『日宗哲学序論』 きたい。 人をイコールの関係として捉えることで、旅客側の発言でありなが 係は離れませぬと云ふことを言つた」とあり、この解釈は旅客と 云ふことだから、中々善い事を云つて、どうしても国と法との関 b 本多日生著『日蓮聖人聖訓要義』二巻 第七段における問答について、 「この客人の言葉も実は日蓮聖人の ( サルへカラス」としている。そのうえで、旅客と主人の発言を「真 ( 暗に差したものであらうか」との言及もみられ、為政者の弊害につ が明らかであり、「旅客=主人」との解釈が確認できる。 ( ( いてそれとなく指摘しているとの推測も確認できる。「立正」も、 (4 おいてもあらわれているのである。これは、 『立正安国論』の理念 ① 旅客 主人を同一とする解釈 (4 を示している著述として捉え、そのなかの第七段を「仏法ヲ興セ (4 ― 9 ― (4 らも、主人(日蓮聖人)の発言として解釈する先行研究を挙げてお (4 (4 以上の四氏において、旅客と主人を同一視とする解釈が確認でき た。同一と捉えることで、旅客の発言も主人の発言、つまりは旅客 号の解説』との名称をもつ文書においては、 『立正安国論』の大意 を「殊ニ国体ヲ尊崇シ、勤王ノ大義ヲ力説ス」とある。大正期に の発言も日蓮聖人が示した教えとして捉えたといえよう。 ( 進められた日蓮門下の行動ではありながらも、文応元年(一二六 ( 〇)の『立正安国論』進覧という出来事を、時代相応の解釈をす しかしながら、筆者の資料収集が不十分であったことも否めない が、次に取り上げる旅客と主人を区別した解釈、同一視したことを 批判した内容の資料と比較して考えると、明らかにその数は少ない ・ これは、第七段問答における旅客の発言をピックアップして、政 治的 社会的に活動するための思想的なバックボーンとして受け止 のである。 為人悉檀を急とする場合においては、 「主人の語とし日蓮上人の教 ・ ( めて活躍した人物らが、 『立正安国論』の注釈書や関連文献の執筆等 ( として転用するも敢て不可なき也」と解釈し、絶対的に主人と同 の学術的な行動を等しくおこなっていたとは言い難く、あくまでも 活動に留まることとなった結果と推測されよう。 ② 旅客 ・ 主人を区別する解釈 釈の場合、 「国は法に依って昌へ」との文言のみを用いた場合との 用せるものなれば正論と見るべし」との解釈もしている。この解 を進めたい。なお、ここでは旅客と主人を同一視した解釈への批判 解釈も存在する。そこで、そのような視点に立脚した解釈への確認 があれば、正反対に、旅客と主人の両者を区別して考えるべきとの 先に、旅客と主人を同一とする解釈を確認した。同一視する解釈 限定的なものである。この後の文脈も含めての解釈については、 も含めて考察を進めていきたい。 ( 少しく異なることから次の項目で言及することとしたい(著者で ( d 田辺善知著『立正安国論通釈』 「国は法に依って昌え」との文言を、 「客語なるも主人の主張を利 している。 等と捉えるわけではないが、同一と解釈することも可能であると c 北尾日大著『新撰立正安国論講義』 旅客と主人の立場に相違はあるものの、四悉檀における世界悉檀 ることで国体尊崇や勤王大義を強調することとなった。 (4 ある田辺の解釈については、旅客と主人の発言を同一とする場合、 区別する場合の双方がみられる)。 ― 10 ― (4 (4 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 a 長瀧智大著『立正安国論新釈』 アラハ d 田辺善知著『立正安国論通釈』 前述のとおり(前項の先行研究dを参照)、 「国は法に依って昌へ」 アリ〳〵 「凡夫の情が云何にも歴々と描出されてある。国と法との相依を との文言のみであれば、旅客=主人と捉えるものの、「国は法に イ カ いふ其の意は(中略)我利的欲求に外ならない。世の所謂国家主 依って昌へ」と「法は人に依って貴し」との双方の関係について ( 義者、国家至上主義、愛国者なるものは皆此の類に異ならない」 は、 「今は客が安国を先とし立正を後にすべしと言はんとする準備 ( とし、旅客はあくまでも凡夫の立場であるとしている。にもかか なるが故に、正論と見るべからず」とある。そうであるにもかか ( ( わらず、国家主義や愛国を唱える者が、この文言を用いて活動し ていることを批判している。 わらず、旅客の発言をスローガンとして用いた当時の日蓮門下に ついて、「明治より大正にかけ、日蓮門下の主張を見るに、国家主 ( ( 義に迎合するところから、安国論の核心は、今この為政家の心事 を画き出した点にありと骨張している」として、そのうえで「客 ( ( b 田辺善知著『意訳立正安国論』 「宗教を国家の為め、提燈持させやうとする、国家至上主義の暴 ( 問に寄せて謗法者たる為政家の心事を解剖した今の文章が、なん で安国論の核心と云へよう」と強く批判している。しかし、謗法 ( 露である」として、旅客の発言を用いて宗教を国家のために利用 して活動する人々を批判している。 (5 者の心事を中心視点として見れば、核心といえるとも補足してい なお、b dの解釈は、双方とも田辺善知による著述であるが、 ・ 第七段における旅客の発言を、 「先づ国家を祈つてから仏法を立つ 先に少しく取り上げた「立正大師」諡号宣下においては、日蓮聖 る。 べきだ、上人、幸ひに此の頃の天災を消滅させ、国難を止める手 人を貴族化させて日蓮教団が国家のために大師号を利用したとの ( ( 段があるなら聞かせてください」と意訳していることからも、旅 ( て猛省を促している。 ( 理由から反対を唱え、大師号宣下を推進した日蓮門下僧俗に対し の立場を明確に区別している解釈といえる。 (5 (5 ― 11 ― (5 (5 客が主人(引用文では上人)に質問しているために、旅客と主人 c 中村素山著『通俗講話 立正安国論 日蓮上人の大奮闘』 (5 (5 e 小林一郎著『日蓮上人遺文大講座』一巻 ( ( 場であるが、主人は明らかに法主国従の立場からこれを訓してい ヲ ク ツ ヲ 「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアという文のみがしばしば引用されてい リテ る」としている。そのうえで、従来、この箇所の扱いについては、 があり振り回されている現状について、 「これが日蓮上人の主義だ る事実について、 「日蓮は国家主義者のごとく宣伝され、そのため 第七段における旅客の発言に対する解釈をめぐって、種々の議論 といふので、日蓮上人は愛国者だといふやうな事を盛んに言ふの にまた軍人や国粋主義者の渇仰を受けたことがあったが、それは ( ですが、これはどうも以ての外の話」としている。 『立正安国論』 本論の真の精神を汲まぬ者のなすわざで、日蓮を誣うるも甚だし ( 中においては、旅客が信仰的に誤った(間違った)発言をし、そ い」として、旅客と主人の立場を明確にしなければならないとし、 ( れに対して戒めの正しいことを言う主人との問答で構成されてい また国家主義 ・ 国粋主義に用いることは、日蓮聖人や『立正安国 g 田村芳朗著『予言者の仏教 立正安国論』 論』の意義を見失うことになるとの理由から、強く批判している。 ( ると位置づけているため、あくまでも旅客と主人を同一としない 立場である。 くわえて、第七段問答に限定せず、『立正安国論』全体をみれば、 旅客と主人を同等に扱うことで、 「法然上人を偉い」と言って法然 とを指摘している。 の一端があるとしている。また日蓮聖人は、信奉者 象を受けているとすれば、日蓮聖人滅後の日蓮信奉者にその責任 日蓮聖人の教えが、排他的狭量であって国家主義的な宗教との印 さらに、仏法をもって国家を盛んにすることを強調するが、そも 方から、正当な評価を得ておらず、その代表例として『立正安国 を肯定している内容までもが、日蓮聖人の発言となってしまうこ そも仏法の正邪をふまえずして国家安泰を祈ることはできず、旅 論』を挙げている。 批判者の双 ・ ( 客が国家を優位に考えるのに対して、主人が正しき仏法によって その『立正安国論』について、正法中心の主人の立場へ安国中心 ( 国家を安寧にするように勧めていると解釈している。 ていることをふまえて、 「客は国家を主とし仏法を従としている立 f 茂田井教亨訳「立正安国論解題」 第七段において、旅客の質問に対し、主人は戒めをもって解答し 正論』と名を変えたり、また、そうすべきだとして反撥をしめす もって主人(日蓮)のことばであるとしたり、あるいは『安国立 が、「明治以降、国家主義の台頭にともなって、客人のことばを の旅客をも次第に誘導していく問答形式で構成されているとする (6 ― 12 ― (5 (5 (5 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ものもあらわれた。これは、 『立正安国論』ひいては日蓮の真意を 第七段における旅客の発言について、 「「先ず国家を祈りて、須ら j 北川前肇 原愼定編著『傍訳 日蓮聖人御遺文 立正安国論』 ・ 曲解し、ゆがめるものといわねばならない」として、日蓮聖人の く仏法を立つべし」という言葉があることから、日蓮聖人が国家 ( 本意を正しく解釈 受容しなかった人々を批判している。あくま 主義者として理解され、実際に近代の国家主義的政治家に利用さ ( でも、旅客と主人の立場を明確に区分している。 ・ れてきた歴史もある。しかしながら、この言葉は客人の発言であ ように一貫して働きかけているのである」として、あくまでも日 ( ( h 田中応舟著『日蓮聖人遺文講座』五巻 主人(日蓮聖人)について、 「国家主義者だ、愛国者だと喜んで祀 蓮聖人は仏法の秩序を立て直して、世法としての国土 国家の安 り、主人は仏法によって国家を規制し、正法に基づく政治を行う りあげる人も多いけれど、聖人はあくまでも仏教徒で、本化の菩 泰を目指すという理念に立脚していることを強調している。 解釈している。それにもかかわらず、日蓮聖人の発言と受け止め i 田中日常編訳著『やさしい現代語訳立正安国論』 客人の言葉を借りて、北条幕府の政治のあり方を批判していると 扱う解釈を厳しく戒めているともいえよう。 とを主張するものであり、換言すれば、旅客の発言も主人と同等に ずれも『立正安国論』中における旅客と主人の発言を線引きするこ ・ ( ( されることなく、キリスト教信仰者の解釈においても確認できるこ からも批判されることとなり、そのような批判は、日蓮門下に限定 判も確認できた。同一と解釈したことへの批判内容については、い た日蓮門下に対し、 「聖人を国家主義者 国粋主義者と考えた人が 日蓮聖人の著述を、当時の社会思想に合致させて「国主法従」と ( ( 多くあったが、これはあくまでも客人の言葉であることを留意す と主人を明確に区別する立場がみられ、また同一とする解釈への批 以上、十点の先行研究による解釈を、編年体にて列記した。旅客 ・ ( 経をもって人を愛し、国を憂い、天下国家を導こうとした大法師 ( 薩をもって任じた法華経の行者である」として、そのうえで法華 (6 しての日蓮聖人と解釈したことについては、同時期の日蓮門下僧俗 と位置づけている。 (6 『立正安国 とである。旅客と主人の発言を同一の立場とすることは、 (6 ― 13 ― (6 べき」と、旅客 主人の発言を明確に区別すべきであるとしてい る。 (6 ・ 論』を解釈するにおいても、大きな誤りであったともいえるのでは ヲ ク ツ 「法主国従」の立場であり、これは一貫して変わることのない思想と リテ ころみても、それは不可能であって、同時に日蓮聖人の信仰的な理 ヲ もいえよう。換言すれば、旅客の質問における「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ それぞれの時代において、社会思潮に合致した「国主法従」とし ての日蓮聖人像が創造され、時代相応の解釈がなされたことへの批 解に反しているともいえる。 ないだろうか。 判と反省は、戦後において、特に高まって議論されたような印象を 仏法 」 アン との部分だけを取り上げて日蓮聖人の教学を理解しようとこ 受けるのである。 ヲ 日蓮聖人が、「国」や「国家」、また「国土」ということを考える において、その意味概念としては①仏国土としての宗教的空間、② ツ 生活環境としての世俗的空間、③政治的空間の三種があり、先師は ク これらが相互に関わり合うことを指摘している。世間と出世間、世 ヲ ⑵ 「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアの解釈と受容 法と仏法というテリトリーのなかで考えれば、世間と世法は②世俗 リテ では、仏法と世法の関係について、日蓮聖人はどのように考えら れたのであろうか。日蓮遺文にたずねると、弘安三年(一二八〇) 的空間や③政治的空間に含まれ、一方の出世間と仏法が①宗教的空 ( ( 五月二十六日に身延で執筆した『諸経与法華経難易事』にて「仏法 間に含有されるのである。 レ モ やうやく顛倒しければ世間又ン濁乱せり。仏法は体のごとし、世間は ク ヲ かげのごとし、体曲ばン影なゝめなり」とあるように、仏法と世法が 「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアという このような理解から考えるに、 文言だけをピックアップして用いてしまえば、仏法よりも国家を優 ツ 不即不離の関係にあるとしている。これは、日蓮聖人の『立正安国 位とする主張と受け止められてしまうこととなり、ここだけを抜粋 ・ テ ニ ヘ ハ テ ニ 皇室主義者として受け止められ、 ハ ・ ンイ ・ の関係性にふれていることから、前述したように、旅客の発言であ ― 14 ― (6 して用いることで、 「国主法従」としての日蓮聖人像を創造し、それ ヲ 論』執筆における根幹部分ともいえるのではないだろうか。 によって日蓮聖人が国家主義者 リテ 不即不離の関係であることを明らかにしつつも、仏法と世法のい ずれを優位とするのかにおいては、仏法を優位とする立場に立脚し 仏法そのものを見失ってしまうこととなる。 ( ていることは論ずるまでもないであろう。主となる仏法を立て直す ( ことによって、その影となる世法=国家(世俗的空間)が安泰にな ンレ而ン昌法ン因ン 人 ンレ而ン さらに、このような解釈は、直前にある「国依ン 法 シ 貴」ンという文言の意味さえも失うこととなる。これが、国 法 人 ることを説示しているのである。 つまり、日蓮聖人は如何なる理由があれども、仏法を優位とする (6 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ヲ ( いて、日蓮聖人が説示した本来の主張や思想を見失ってしまうこと ( 人たちにより、しばしば好都合の文句として、無反省に援用され乱 ツ りながらも主人の発言と同一に解釈したことにおける要因のひとつ ク 用されてきた」との批判も確認でき、言うならば、旅客の発言を用 ヲ ともいえよう。 リテ をも顧みず、利用してしまったと考えられる。後者についても、 「撃 ・ ヲ だが、この「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアとの文言は、旅客の発言で あって、為政者 権力者の立場による発言として受け止めなければ ツ ヲ ( ( 鼓唱題する日蓮系の僧の姿が必ず見られたが、彼らは、左翼と共闘 ク ならない。なぜなら、主人の解答から考えれば、 「早思ン 天イン 下之静謐 アン する現場は同じでも、その背景となる理念は、必ずしも同じではな ( 者須 断レン 国イン 中之謗法 矣アン 」とあるように、仏法によって国家を安寧に いと知らねばなるない」との指摘があり、左派的な行動に協力する 日蓮聖人が、 「法主国従」の立場であることが明らかでありながら リテ ヲ ク ツ ヲ も、先に挙げた『立正安国論』第七問「先祈 国イン 家 須アン 立レン 仏イン 法 」アン に 基づいて、近代天皇制における日蓮門下は、時代に迎合すべく日蓮 ヲ ク ツ ヲ 日蓮門下を、他の集団と一括りにしてはならないことを指摘してい る。 リテ ・ ツ ヲ ・ ⑶ 「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアの読みについて ク 聖人の天皇 ヲ て用い、 「国 主 法 従」 と し て の 日 蓮 聖 人 像 を 強 く 打 ち 出 し た と い え 「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアの文言を、如何に解釈したのかについ ては前項までで考察を進めてきた。次に、この部分に対する「読み」 たことが挙げられる。 を祈る」との箇所の読み下しについて、いくつかの先行研究を編年 く仏法を立つべし」となり、同様の読み下しがなされている。 「国家 また、今日の日蓮遺文研究においての基本的なテキスト(底本) となっている『昭和定本』を基としても、 「先ず国家を祈りて、須ら み下しがなされてきている。 献に着目すると、 「先ず国家を祈って須らく仏法を立つべし」との読 ( ( この箇所の読み下しについては、従来の日蓮聖人研究における文 リテ る。とりわけ、戦前や戦時下においては、国体論や国粋主義が強く について整理したい。 のように、日蓮聖人を国家主義者や国粋主義者として見立てる一方、 この第七段の用例についてあらためて整理してみると、右傾化 左傾化にわたる双方の言論や行動に用いられてきたといえる。前述 れた。 唱えられ、時代に迎合する形として「国主法従」の日蓮像が確立さ 皇室に対する忠誠心を証拠立てするためにの手段とし ( することを目指す立場が明らかである。 ク ハ (6 「日蓮の宗教を国家主義的に歪曲することを望む 前者については、 戦後に展開された反戦を提唱する行動や平和的な思想へも利用され (7 ― 15 ― (7 (6 リテ ヲ( ( ヲ( ( ( (7 ② 藤井日達とその門下の読み 日本山妙法寺の藤井日達においては、 「先ず国家を祈らんには、須 ( ( らく仏法を立つべし」との読み下しをし、またその門下らもその 読み下しを継承している。この理由としては、日蓮門下のなかに 「先ず国家を祈りて、須らく仏法を立つべし」との文言を誤解して ( ( 国を拝む 国を中心にする等の解 ・ テ ヲ ハ テ ニ シ ヲ ク ツ ヲ ヲ ク ( ( ツ ヲ ハ テ ニ 国よりも仏法を優位とするとの解釈から、 「国家を祈らんには」と シテ ニ リテ 政治家は国政を考えるのみであるため、 「先づ須く国家、而して後 ヲ 『立正安国論』中の「先祈 国 ンイ家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ法 」 ンアの読みにつ 以上、 テ 意にそって読めば、 「先須ン祈ン 国 ンイ 家 而 ンア 後ン 立ン 仏 ンイ 法 ( ン アま ず す べ か ら いて先師の解釈を確認した。我々が、当然の読みとしてきた箇所で ク く国家を祈りて而して後に仏法を立て)」との読み下しになること ( あるものの、旅客の立場や前後の文脈をふまえて考えると、異なる ( を指摘している。漢文を用いるにおいては、 「先」と「須」の二字 (8 解釈も可能となるのである。このような指摘は、白文体の真蹟『立 ツ りて」と「須く仏法を立つべし」とに分けられているが、旅客の の読み下しが必要であることを指摘している。 昌法ン因ン 人 ンレ而ン貴」ンとの文言がある。仏法が、国家に超越していて、 ヘ 正安国論』では、 「先祈 国イン 家 須アン 立レン 仏イン 法 」 アン との前に「国依ン 法レン 而ン リテ ③ 中尾堯著『読み解く立正安国論』の読み ここでも、前述の藤井日達と同様の読み下しがなされている。 『立 おいては今日まで伝えられている。 ためにも、 「国家を祈らん」との読み下しをして、日本山妙法寺に 釈がなされたことを指摘している。このような誤解を起こさない 受け止めて、国を本尊にする ・ 釈が確認できたのである。 これらは、 「国家を祈る」との箇所においては、 「祈って」、または 「祈りて」との読みであるが、ひろく先行研究を確認すると特異な解 (7 (7 体にて列記すると、次の通りである。 テ ① 『日蓮聖人御遺文』 (縮刷遺文)→「祈 国 ンイ家 」 ンア ( ( ② 『日蓮聖人御遺文講義』→「国家を祈って」 ③ 『日蓮聖人遺文全集講義』→「祈 国 ンイ家 」 ンア ( (7 ④ 『昭和新修日蓮聖人遺文全集』→「国家を祈りて」 ( ( ⑤ 『日蓮聖人全集』→「国家を祈りて」 ( ( ⑥ 『平成新修日蓮聖人遺文集』→「国家を祈りて」 (7 仏法」との読み下しをしている。従来の研究では、 「まず国家を祈 ① 清水龍山著『立正安国論講要』の読み (8 (7 を離すことなく用いるとの理由にもとづく解釈である。 (7 ― 16 ― (7 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 正安国論』を読むにおいて、きわめて画期的なことともいえよう。 ・ 正当なる解釈ともいえよう。 えであると考えなければならないことを強調しており、それこそが それぞれの注釈書や解説書 啓蒙書にて、『立正安国論』を引用 し、また読み下しや現代語に意訳することを試みる場合、その底本 また、読み下しについては、日蓮聖人が国家よりも仏法を優位と する立場として解釈したことから、 「国家を祈らん」とする読み下し であるとする解釈が顕著となり、今日までそれを受け継ぐ門下の姿 をおこなったこと確認し、あらためて日蓮聖人の立場を「法主国従」 となるテキストが重要な意味を有していると考えられる。 『日蓮聖人御遺文』 (縮刷遺文)を底本として用いた『日 たとえば、 ( 蓮聖人御遺文講義』や『日蓮聖人遺文全集講義』と、 『昭和定本』を 勢を確認した。 ( 『立正安国論』の全体的な読み 底本とした『日蓮聖人全集』とでは、 『立正安国論』中においても、特に第七段は仏法と国家に対する旅 ( ( 下しについてどのような相違点があるのか。また、 『立正安国論』注 客と主人の正反対の立場が明かされる特異な性質を有しており、多 ( ( 釈書と活字版の日蓮遺文集との刊行を、並列させて検討する必要が 種多様な解釈がなされることが確認できたのである。 注 ・ (1)『日本国語大辞典』二版七巻(平成十三年 小学館)七三二頁に、 「御覧に供するために進上すること」とある。日蓮聖人が『立正安国 論』を「提出」したことについての遺文中の表記は、 『安国論副状』 ンハ ニ ノ キ ラ ヲ シ にて「若無 御対治 者為 他国 可 被 破 此国 悪アン 瑞之由勘文一通撰 レン イ ン ア イ ン ア ン レ ン レ イ ン ヲ シ ト テ ニ 太歳 之号ン 立イン 正安国論 正アン 元二年 庚 七 申 月十六日令 付 ク 宿イン 屋入道 故アン 最明寺入 ニ ( 本四二一頁)と、 『安国論御勘由来』にては 道殿進ン 覧キ之 」 カ 昭和ル定 テ ノ ヲ ニ ヲ ク シ テ スル ヲ 「日蓮見 世間体 粗勘 一切経 御祈請無 験還増 長 凶悪 之由 道理 イ ン ン ア ン イ ン ア ン レ ン ン ン イ ン ア ン ヲ ンヌ ニ ク ムコト リ シ ヲ ヲ ス ト 文証得 之了 。終無 止 造 作勘文一通 其名号 立正安国論 。 レ ン ン ン ン レ ン イ ン ン ア ン ン イ ンア文応 ン シ ニ シテ ニ ンヌ 庚 辰 屋 ( 元年 七 申 月十六日 付 時 ンイ戸野入道 奏 ンア 進イ 古ン 最明寺入道殿 了 ンア 」 ン 昭和 なお、小稿において考察から漏れた文献については、関係諸賢の 御教示を得て、将来的に補訂することとしたい。 あると思われる。これらは、今後の課題としてとどめておきたい。 四、むすびに なされていることは、今日においても見られることである。旅客と からもそれに対する批判がなされてきた。正反対の解釈が並行して る。しかしながら、そのような解釈と平行して、同時期の日蓮門下 解釈の面においては、日蓮聖人を「国主法従」と見立てるために、 旅客の発言をも主人と同一としてに受けとめた事実が確認できてい 該当箇所の読み下しについての確認を進めてきた。 『立正安国論』の注釈書や関連文献を基として、『立正安国 以上、 論』第七段における旅客と主人の立場、および文言に対する解釈と、 (8 主人の発言を区分して、あくまでも主人の発言のみが日蓮聖人の教 ― 17 ― (8 (8 ( ( ・ 16 15 ・ ・ ・ ・ ・ ※ ・ ・ ・ 鈔』『御書註』『録内啓蒙』『録内扶老』『録内拾遺』等が挙げられ る。 『日蓮聖人遺文全集講義』四巻(昭和七年 大林閣)一九頁にて )の註釋書は遺文全集中一番多く、著 「本書(筆者注 『立正安国論』 書論文無慮百に達せんとしてゐる」と指摘されているとおり、 『立正 安国論』の注釈書が日蓮遺文中において最多といえる。管見の限り、 近現代の『立正安国論』注釈書(準ずると判断した文献も含む)と して、明治より今日までに刊行された文献を確認すると、その数は およそ八十点が挙げられる。拙稿「近現代の日蓮宗教学史にみる『立 正 安 国 論』 注 釈 書 の 検 討」 (平 成 二 十 六 年 『日 蓮 教 学 研 究 所 紀 要』 四十一号収録)を参照されたい。 )『昭和定本』二二〇頁 (平成十一年 大 )こ こでは、北川前肇編『原文対訳 立正安国論』 東出版社)一二~一三頁に依った。しかし、管見の限り『立正安国 論』全十段の科段分けについては、他の『立正安国論』注釈書より 五種の系統が確認できている。 ①『立正安国論通釈』 (大正十五年 平楽寺書店)一二~一四頁 『立 正 安 国 論 講 話 解 説 書』 (昭 和 五 十 九 年 法 経 教 育 開 発) 九 ~ 一 〇 頁 『原文対訳立正安国論』(平成十一年 大東出版社)一二~一 三頁 →序分…第一段から第八段、正宗分…第九段、流通分…第十段 ②『日蓮聖人御遺文講義』(昭和七年 龍吟社)一巻一〇頁 ラン カラ 序 分 … 第 一 段 か ら 第 九 段 の「 豈 不 苦 (『昭和定本』二二六 ンレ 哉ン 」 → ク メテ ヲ 頁五行)まで、正宗分…「汝早改ン 信アン 仰之寸心 」アン 以降の第九段、 流通分…第十段 ③『日 蓮聖人遺文全集講義』四巻(昭和七年 大林閣)五~六頁 『日 蓮 聖 人 遺 文 講 座 』 五 巻( 昭 和 四 十 三 年 本 聖 堂 ) 四 〇 ~ 四 一 頁 『立正安国論新釈』 (大正五年 新潮社)目次二頁 →序分…第一段から第二段、正宗分…第三段~第九段、流通分… 第十段 『日蓮聖人遺文全集講義』においては、さらに細かく分類され、 序分を序論、正宗分の第三段から第八段を本論、第九段を結論 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ― 18 ― 定本四二一~四二二頁)とあるが、小稿では「進覧」とする。 (2)『昭和定本日蓮聖人遺文』改訂増補版三刷(平成十二年 身延山久 遠寺、以下『昭和定本』と略称)二一一頁 (3)『大正蔵経』八巻八三三頁a 『大正蔵経』には、「我今五眼明見 三 イ世 。 ア一切国王皆由 過 ウ 去侍 イ 五百仏 。得 為 帝王主 。是故一切聖人羅漢。而為来 生イ彼国 作ア 大イ ア レ イ ア 利益 。 ア 若 王 福 尽 時。 一 切 聖 人 皆 為 捨 イ去 。 ア若一切聖人去時七難必 起」とあり、『立正安国論』への引用と少しく異なっている。 (4)『大正蔵経』八巻八三二頁b 『大正蔵経』には、「仏告 波 イ 斯匿王 。 ア我当 滅 イ 度後法欲 滅 レ時 。 ア 受 持イ般若波羅蜜大作 仏 ウ事 。 ア一切国土安立万姓快楽。皆由 般 イ若波 羅蜜 。ア是故付 属 イ 諸国王 。 ア不 付レ 属イ比丘比丘尼清信男清信女 。ア何 『立正安国論』への引用と少しく異なっ 以故。無 王イ力 故ア」とあり、 ている。 (5)『昭和定本』二二一頁 (6)『昭和定本』一一九四頁 (7)『昭和定本』二四四頁 (8)『昭和定本』二三二二頁 (9)『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇(平成十五年 身延山久遠寺)一一三 三頁参照 ( )『昭和定本』二二六頁 ( )『昭和定本』七一二頁 (平 成 十 六 年 四 季 社) 一 ( )『傍訳 日蓮聖人御遺文 立正安国論』 八一頁によると、日蓮遺文においては「国」「国土」「国家」は同義 語として用いられ、判然と区別はされていない。しかし、その概念 としては、①宗教的空間、②世俗的空間、③政治的空間の三種の意 味があり、それらが相互に連接していることを指摘している。小稿 では、①に関連する遺文のみを取り上げた。 ( )『昭和定本』二二六頁 ( )『立正安国論』注釈の始まりは、六老僧 白蓮阿闍梨日興著『安国 論問答』であり、その後の主たる注釈書として『御書見聞』『御書 12 11 10 14 13 ・ ・ ・ ・ 日蓮聖人著『立正安国論』受容の一考察 ( ( ( ( 化させるための根拠ともなったともいえよう。そのなかで、特に用 リテ ヲ ク ツ ヲ いられたのが「先祈 国 ンイ 家 須 ンア 立 ンレ 仏 ンイ 法 」 ンア であることを指摘してい る。 (明治三十年 森川寛行)四五頁 )『立正安国論集註』 (大正五年 博文社)五〇頁 )『日蓮主義』 )『日蓮聖人遺文研究』二輯附録(大正十四年 天業民報社)五〇頁 )『国訳一切経 和漢撰述部 諸宗部二十五』(昭和三十五年 大東 出版社)一九二頁 )『新撰立正安国論講義』(大正十一年 新光社)一六三頁 )『日蓮聖人遺文全集講義』四巻一四五頁 (昭和七年 清明文庫)三四五頁 )『立正安国論講要』 『大蔵経講座 立正安国論講義』 (昭和九年 東方 同一の内容が、 書院)二三七頁にもみられる。 )『新撰立正安国論講義』一六三頁 )『日蓮聖人遺文講座』五巻二二六頁 )『日蓮聖人御遺文講義』一巻一六二頁 (明治二十八年 哲学書院)一四六頁 )『日宗哲学序論』 )『日宗哲学序論』一四六頁 )『日宗哲学序論』一四七頁 )『日蓮聖人聖訓要義』二巻(大正八年 大鐙閣)一一六頁 《研究ノート》大正十一年の「立正大師」諡号宣下をめぐっ )拙 稿「 て」 (平 成 二 十 七 年 『日 蓮 教 学 研 究 所 紀 要』 四 十 二 号 所 収) を 参 照 されたい。 (大 正 十 一 年 日 蓮 聖 人 大 師 号 追 賜 奉 祝 )『立正大師諡号奉戴記事』 事務所)七~八頁 )『立正大師諡号奉戴記事』一八頁 )『新撰立正安国論講義』(大正十一年 新光社)一六三頁 (大正十五年 平楽寺書店)一二一頁 )『立正安国論通釈』 (大 正 五 年 新 潮 社) [ 「日 蓮 主 義 研 究 叢 書」 七 )『立正安国論新釈』 編]一三七頁 (大正十年 安国論寺)三四頁 )『意訳立正安国論』 ・ ( ( ( ・ ( ( ( ( ( ( ( ( ・ ・ ・ ・ ( ・ ( ( ( ( ・ ・ ・ ・ ( ・ ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( とし、流通分を余論とし、四つに科段分けする解釈を提示して いる。 ④『日蓮主義新講座』壹号「立正安国論全文解説」二~三頁 『日蓮 主義大講座』一号「立正安国論全文解説」二~三頁 序分…第一段から第三段、正宗分…第四段から第八段、流通分 → …第九 段 か ら 第 十 段 ⑤『立正安国論活用篇』(明治二十八年 矢島嘉平次)三七頁 →序分…第一段から第三段、正宗分…第四段から第六段、流通分 …第七 段 か ら 第 十 段 )『昭和定本』二一九頁 『昭和定本』では「則」字に送り仮名は付され この部分について、 ていないが、小稿では便ならしめるために加筆した。 、関白九条兼実の請いによって法然 )法 然著。建久九年(一一九八) が弟子に執筆させたもの。往生の業は念仏を本となすとして、念仏 が最もすぐれていることを説いている。 )『大正蔵経』十二巻四二五頁a~b )『大正蔵経』十二巻四三四頁c )『大正蔵経』十二巻四五九頁a )『大正蔵経』十二巻四六〇頁b )『大正蔵経』八巻八三二頁b )『大正蔵経』十二巻三八一頁a~b )『大正蔵経』十二巻三八三頁b )『大正蔵経』十二巻三八四頁a )『大正蔵経』十二巻三八三頁c )『大正蔵経』九巻一五頁b )『昭和定本』二二〇頁 (平成二十年 講談社) )佐 藤弘夫著『日蓮「立正安国論」全訳注』 [「学術文庫一八八〇」]一一頁によれば、 『立正安国論』は、国家主 義的な活動に利用される側面もあれば、平和的活動や反公害闘争、 反戦運動にも利用され、右派的 左派的の両側面においての受容が みられる。正反対の思想でありながらも、双方の活動を等しく正当 ― 19 ― 34 33 32 31 37 36 35 45 44 43 42 41 40 39 38 46 50 49 48 47 51 17 18 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( (大 正 十 一 年 心 友 )『通俗講話 立正安国論 日蓮上人の大奮闘』 社)一二五 頁 )『立正安国論通釈』一二一頁 )『立正安国論通釈』一二七頁 )『立正安国論通釈』一二八頁 )『中外日報』大正十一年十月二十二日付 これに関連して、同年十一月十八日付『読売新聞』朝刊五面にて 賛成派 反対派の双方の動向が掲載されている。 )『日蓮上人遺文大講座』(昭和十一年 平凡社)一六九頁 )『国訳一切経 和漢撰述部 諸宗部二十五』一九二頁 )『国訳一切経 和漢撰述部 諸宗部二十五』一九二頁 (昭 和 四 十 二 年 徳 間 書 店) [ 「日 本 )『予言者の仏教 立正安国論』 の仏教」十 三 巻 ] は し が き 三 頁 )『予言者の仏教 立正安国論』二〇七頁 )『日蓮聖人遺文講座』五巻二二七頁 )『やさしい現代語訳』(平成十五年 国書刊行会)一一三頁 )『傍訳 日蓮聖人御遺文 立正安国論』一八一頁 「日 蓮 は 国 を 法 に よ っ て 愛 し た の )『余の尊敬する人物』において、 であって、法を国によって愛したのではありません。立正が安国で ありまして、安国によりて立正を得ようとするは、本末顛倒であり ます。日蓮の目的としたのは国家主義の宗教ではありません。宗教 的国家であります。国家の為めの真理でなく、真理的国家でありま す」 (『矢内原忠雄全集』二十四巻(昭和五十年 岩波書店)八二頁) と記し、日蓮聖人を国家主義と捉えた当時の日蓮門下に対し誤りを ただすよう に 促 し て い る 。 )『昭和定本』一七五二頁 )『傍訳 日蓮聖人御遺文 立正安国論』一八一頁参照 )『昭和定本』二二三頁 )『日蓮の思想と鎌倉仏教』(昭和四十年 冨山房)八頁 )『日蓮 立正安国論付観心本尊抄』九五頁 『日蓮聖人遺文全集講義』四巻、 『日 )『日蓮聖人御遺文講義』一巻、 ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ・ ・ ・ ・ ・ ( 蓮聖人全集』一巻(平成四年 春秋社)等。 (明治三十七年 祖書普及期成会)三八四頁 )『日蓮聖人御遺文』 )『日蓮聖人御遺文講義』一巻一六一頁 )『日蓮聖人遺文全集講義』四巻一四四頁 )『昭和新修日蓮聖人遺文全集』上巻(昭和九年 平楽寺書店)四〇 三頁 )『日蓮聖人全集』一巻一九〇頁 )『平成新修日蓮聖人遺文集』(平成六年 連紹寺不軽庵)八九頁 )『立正安国論講要』三四五頁 ( 『現 )今 井行順述「但行礼拝の行者 藤井日達師の問いかけるもの」 代宗教研究』三十二号所収 平成十年) )『現代宗教研究』三十二号三一四頁 (平成二十一年 臨川書店)一七九、二 )『読み解く『立正安国論』』 一五~六頁 「本 講 義 の 本 文 は 主 と し )『日蓮聖人御遺文講義』一巻例言一頁に、 て霊艮閣版の縮冊御遺文に依り(後略) 」とある。 「本書は定本『日蓮聖 )『日蓮聖人遺文全集講義』一巻凡例一頁に、 人御遺文』 (縮遺。霊艮閣本) (中略)により、之れを年代順に講述 した」とある。 「底本は、立正大学日蓮教学研 )『日蓮聖人全集』一巻凡例三頁に、 究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』 (改訂増補版、身延山久遠寺発行) を用いた」とある。 ・ ( ( ( ( ( ( ― 20 ― 75 74 73 72 79 78 77 76 81 80 82 83 84 52 56 55 54 53 60 59 58 57 65 64 63 62 61 71 70 69 68 67 66 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
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