脂質異常症治療薬の今昔 – スタチンの功罪

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脂質異常症治療薬の今昔 – スタチンの功罪 –
阪
本
琢
也
コレステロールが動脈硬化の原因のひとつとし
コレステロール低下作用と、HDL の改善作用も
て注目されて半世紀が過ぎ、脂質管理の重要性は
認められ、その効果に驚くとともに大きな期待を
すっかり世間にも浸透し、日本人の国民性もある
もって発売を待ちました。1989年 pravastatin の
のでしょうか、熱心な健康診断、人間ドックの利
発売後、その優れた効果から広く処方され、さら
用、マスコミの啓発により、日常の外来診療で医
に simvastatin 投与による総死亡数の減少という
師が勧めなくても、自らコレステロール管理を求
画期的な報告4S 研究も報告され(Lancet 344:
める患者さんが当たり前になっています。
1383-9:1994)、大きな追い風とともにプラバス
先日実家の本を整理していたところ、開業医で
タチン単剤の売り上げが急上昇し、他の製薬会社
あった父が購読していた1970年代の内科雑誌の高
の総売り上げを凌駕するほどであったことも忘れ
脂血症特集号を見つけました。当時検査でルーチ
られません。
ンに実施できたのは総コレステロール、中性脂肪
食事療法だけで改善が十分でなかった当時、ス
であり HDL 測定はやっと一部施設で可能となっ
タチンは一気に脂質異常症治療の主役となりまし
ていた時代で、リポ蛋白分画は電気泳動、アポ蛋
た。その後次々に発売された第2世代のスタチン
白測定に関しては研究室レベルの時代でした。治
では、30%以上の LDL コレステロール低下作用
療に関しては食事、運動療法が主体であり、薬物
が得られ、種々の介入試験においても、冠動脈疾
治療はあまり記載されていませんでした。
患、脳血管障害の一次予防、二次予防の有用性の
大学在学中に Goldstein と Brown が LDL 受容
エビデンスも報告され、2013年の ACC/AHA ガ
体を発見、ノーベル賞を受賞してから脂質代謝も
イドラインではコレステロール値を含めて、一定
注目されるようにはなっていましたが、脂質代謝
リスクの患者さんに対し、内服を開始しそのまま
は誰もが毛嫌いする分野であり、国家試験での出
検査せずスタチン治療継続をすすめる、
「Fire &
題率も低く、高脂血症分類を勉強していると、肝
Forget」が推奨されています(ちなみに日本の
外しだぞと指摘されたことを覚えています。脂質
動脈硬化ガイドラインは定期的検査を行いなが
代謝に関しては患者さんだけでなく、医師の意識
ら、治療目標値を意識する「Treat to Target」
も低い時代でした。
を推奨しています)
。
自分がスタチン系薬剤を初めて知ったのは、
ところが自分の中ですっかり当たり前となって
1987年東京慈恵会医科大学青戸病院内科入局後に
いた、脂質異常症に対するスタチンの位置づけが
所属した、脂質代謝研究室で行われていた第2相
変わるような報告が近年報告され、スタチン系薬
の臨床試験でした。
当時脂質異常症に対する薬剤、
剤治療の見直しも必要なのではないかと感じるよ
特にコレステロール低下作用が期待できる薬剤は
うになりました。
colestyramine、Probucol 等で、コレステロール低
実際、広くスタチンが投与されるようになった
下作用は10%前後と不十分であり、特に Probucol
にも関わらず、心疾患死亡率の上昇傾向が認めら
は中性脂肪の増加、HDL の低下作用も示し、脂
れ、糖尿病患者の増加傾向も目立ちます。特にス
質代謝全体においてのメリットは疑問視されてい
タチンが登場した1990年後半より、一度低下した
る状況であったのに比べ、スタチンは20%以上の
心疾患死亡率は再上昇傾向を示しています
(図1)
。
新潟県医師会報 H28.9 № 798
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心疾患による死亡率は現在も上昇傾向
観察では判断しにくく、臨床の現場でも、スタチ
ン内服対象となるような患者背景を考慮すると、
死
亡
率
(
人
口
㻝㻜
万
対
)
悪性新生物
㻞㻤㻜
㻞㻢㻜
㻞㻠㻜
㻞㻞㻜
㻞㻜㻜
㻝㻤㻜
㻝㻢㻜
㻝㻠㻜
㻝㻞㻜
㻝㻜㻜
㻤㻜
㻢㻜
㻠㻜
㻞㻜
㻜
ゆるやかに糖代謝に影響が表れるため、自然に2
型糖尿病を発症した場合と鑑別が困難と考えられ
ます。また一次予防の場合、比較的若年から長期
↓4S
㻞㻞 ・
昭和・・年
㻟㻜
・
㻠㻜
・
㻡㻜
・
㻢㻜
㻣
㻞
平成・年
・
㻝㻣
㻞㻞
心疾患
間内服を続けるため、自分の経験でもスタチン投
脳血管疾患
肺炎
与を糖尿病の発症要因のひとつとして認識できな
不慮の事故
自殺
肝疾患
結核
厚生労働省「平成㻞㻞年度人口動態統計」
図1 主な死因別にみた死亡率の年次推移
かったと感じています。
スタチン系にかわる薬剤として、フィブラート
系は明確なエビデンスに乏しく、EPA に関して
予後改善は期待できますが、LDL 低下作用は弱
く、両者とも補助的な薬剤で、主役としては役不
スタチンの新規糖尿病発症について
表1 スタチンの新規糖尿病発症について
• 水溶性スタチン(㼜㼞㼍㼢㼍㼟㼠㼍㼠㼕㼚、㼞㼛㼟㼡㼢㼍㼟㼠㼍㼠㼕㼚)と脂溶性スタチン
(㼟㼕㼙㼢㼍㼟㼠㼍㼠㼕㼚、㼒㼘㼡㼢㼍㼟㼠㼍㼠㼕㼚、㼍㼠㼛㼞㼢㼍㼟㼠㼍㼠㼕㼚、㼜㼕㼠㼍㼢㼍㼟㼠㼍㼠㼕㼚)の差はない
• 㼃㻻㻿㻯㻻㻼㻿:㼜㼞㼍㼢㼍㼟㼠㼍㼠㼕㼚による糖尿病発症抑制の可能性
• 㻼㻾㻻㻿㻼㻱㻾:㻟㻞%新規発症
• 㻶㼁㻼㻵㼀㻱㻾:㻞㻡%新規発症
• 㼀㻺㼀: 容量に依存して新規発症が㻝㻥%有意に増加
• メガスタディ:スタチン治療により㻥%新規発症が増加
• 㻶㻙㻼㻾㻱㻰㻵㻯㼀試験:耐糖能異常患者におけ る㼜㼕㼠㼍㼢㼍㼟㼍㼠㼕㼚による新
規糖尿病発症の有無を検証
• 耐糖能異常、メタボリックシンド ローム等の患者においてより起こ
りやすい
足の印象です。
小腸のコレステロールトランスポーターである
NPC1L1阻害作用により、小腸からの胆汁性及び
食事性コレステロール吸収を抑制する ezetimibe
は、単剤ではスタチンほどの効果は期待できませ
んが、
糖尿病新規発症のリスクは低いと考えられ、
一次予防には有用ではないかとの印象をもってい
ます。また近年 LDL 受容体に結合しそのリサイ
クリングを抑制する、PCSK9(Proprotein convertase
subtilisin/kexin type 9)に対するモノクローナ
ル抗体製剤である evolocumab も発売されていま
スタチンの新規糖尿病発症リスクについては各
すが、家族性高脂血症や高リスクの場合にのみ投
研究で指摘されてきましたが(表1)
、スタチン
与が推奨されています。
系薬剤のメタアナリシスでは、糖尿病の新規発症
現時点では、動脈硬化のエピソードをもたず、
のリスクとそれを上回る脂質改善のリスク低下が
他のリスクを有しない若年、中年の患者に一律に
期待できると結論づけています(Lancet 375:
スタチンを投与することが、真の動脈硬化性疾患
735-742:2010)。しかし昨年にはスタチン投与で
の予防につながるかどうか、さらに長期の厳密な
46%の糖尿病リスクが報告され、これらのリスク
調査が必要と考えられます。
は atorvastatin、simvastatin で 比 較 的 高 く、
脂質検査は簡単になり、ガイドライン上も目標
pravastatin、fluvastatin、lovastatin で は 比 較 的
数値が明確になったため、マニュアル的にスタチ
リスクが低く、用量依存性も指摘されています
ン投与が開始される場合も多いと思いますが、慈
(Diabetologia 58(5)
:1109-17:2015)
。
恵医大建学の祖、高木兼寛先生の「病気を診ずし
二次予防に関しては動脈硬化病変の進展抑制も
て、病人を診よ」の教え通りに、われわれ医師は
明らかであり、積極的な使用に問題はないと思わ
患者の真の健康寿命の延伸のため、患者ひとりひ
れますが、低リスク患者に対して一次予防として
とりに対するオーダーメードの医療を提供してい
のスタチン投与は慎重に検討すべきと感じていま
く必要があるとあらためて感じています。
す。新規糖尿病発症リスクについては数年の経過
(町立津南病院)
新潟県医師会報 H28.9 № 798