岡野先生の不動産歴史探訪 夏休みシーズンも終盤を迎え、雨の少ない梅雨 のせいで、ダムの貯水率は下がり続け 、最悪取水 制限かといったかと思えば、関東地方直撃の台風 の影響で下水が逆流するような豪雨に見舞われる 東京の水源 という、昔では考えられないような気象状況が頻 発しています。昔から日本は、水と安全はタダで 手に入る国のような言われ方をしてきましたが 、 今や 、国を問わずテロなどの脅威があり、気象状 況の変化によって水不足や 、逆に洪水が起こって しまうなど、これらの問題に無関心ではいられな い状況になりつつあります。 そこで、今回は不動産というよりは、東京の水 事情を遡ることにしました。 以前 、江戸初期の水源確保のための上水整備に ついて書いたことがありましたが、人間の生活に とって、時代を問わず水の確保が重要であること 岡野 淳 青山リアルティー・アドバイザーズ株式会社顧問 早稲田大学大学院ファイナンス研究科・ 中央大学商学部 非常勤講師 早稲田大学国際不動産研究所 招聘研究員 (ARES マスター M0600008) に変わりはありません。 現在の東京の水がめは、主に利根川水系 、荒川 水系 、多摩川水系の 3 つの水源を基に供給されて いますが 、今回は特に多摩川水系にスポットを当 ててみます。 この多摩川水系は、江戸時代の玉川上水の基に なっている川ですが、大正時代の多摩川源流付近 の山の様子を写したものが写真 1になります。こ れは、水源付近にある東京都の説明看板を撮った ものですが 、説明書きにある通り、明治時代に 入ってからの焼き畑農業などの影響もあり、裸山 状態になっていることが良く分かります。うっそう とした森林が広がる現在の多摩川上流とは天と地 ほども違う光景で、筆者もこの説明書きを見るま では、多摩川の源流である奥多摩がこのような風 おかの じゅん 早稲田大学商学部卒業、三井信託銀行(現三井住友信 託銀行)勤務後、株式会社スペースデザイン社長など を経て、青山リアルティー・アドバイザーズ株式会社顧問。 早稲田大学大学院ファイナンス研究科及び中央大学商 学部 非常勤講師 早稲田大学国際不動産研究所 招聘研究員 不動産証券化マスターで、マスター養成実務講座 202 「不動産ファイナンス」の講師でもある。 景であったとは俄かには信じ難い思いでした。 私達も小学校の理科の授業で、森林の役割とか いう内容を習った記憶があると思います。遠い記 憶を呼び覚ましてみると、確か、ミネラルを多く含 む豊かな水を作り出すとともに、洪水などの自然 災害防止の役割があると教わったような気がしま す。まさに、この奥多摩は、裸山の状況だったこ 72 ARES 不動産証券化ジャーナル Vol.33 ともあり、一度大雨が降れば土 砂災害を引き起こし、乾燥が続 けば、すぐに川が干上がってしま う状況だったようです。 玉川上 水によって一定の水を確保して いるとはいえ、そもそも、その上 流部分の水が枯渇してしまえば、 写真 1:「大正時代の多摩川源流の様子」(筆者撮影) 写真 2:「小河内ダム」(筆者撮影) 話になりません。 こうした状況に危機感を抱い た当時の東京都( 当時は東京府 ですが )は 、明 治 34 年( 1901 年 )から多摩川水源地の森林荒 廃を原因とする洪水や渇水に対 処するため 、こうした山林を買い 入れ 、森林管理を始めることに なりました。 現在では東西約 31 写真 3:「分水嶺とは」(筆者撮影) 写真 4:「分水嶺」(筆者撮影) キロ、南北約 20 キロで、総面積 は2 万 7 千ヘクタールに達し、東京 23 区の面積の 一滴の場所があり、そこを少し下ったところに分 約 35%に相当するまでになっており、今年で115 水嶺という場所があります(写真3・4)。この地に 年目を迎えます。 降った雨は、流れる方向によって、東側の雨水は 実際の森林管理には気の遠くなるような年月が 荒川へ 、西側の雨水は富士川へ 、そして南側の雨 かかっており、現在大きく育っているカラマツなど 水は多摩川へと下っていくのです。最初に、東京 の木は、大正 11 ~ 15 年頃にかけて植林されたも の 3 つの水系を書きましたが、実はこの奥多摩の ので、実に90 年の歳月をかけて整備されてきた 山々は、多摩川水系だけでなく、荒川水系の源流 ものなのです。 にもなっている訳です。 こうした努力もあって、多摩川水系は豊富な水 いつの時代にも都市のインフラを支える上水事 量を誇る東京の水がめとして現在も生き続けてい 業には気の遠くなるような時間とコストがかけら るわけですが、多摩川上流に建設された小河内ダ れています。近時林業の再生が問題になっていま ムの歴史はそんなに古いものではありません。大 すが、都市部の不動産事業がこうした地道な作業 正時代の後期から昭和初期にかけての人口増大に に支えられていることを、改めて考え直さざるを 伴う水不足の懸念から昭和 7 年( 1932 年 )に建 得ないのではないでしょうか。 設が決まりましたが、太平洋戦争などの影響もあ 最後に、多摩川源流までは、車であれば中央高 り、途中工事の中止を余儀なくされ 、実際の完成 速勝沼インターから国道 411 号線( 青梅街道 )を は25 年後の昭和 32 年( 1957 年 )となりました 進み 、途中から山道に入って作場平というところ (写真2)。 から登ることができます。ハイキングよりはちょっ さて、せっかくなので、多摩川の水源もご紹介 したいと思いますが、多摩川の河口を遡ること約 みず ひ 138 キロ地点に、水干と呼ばれる多摩川の最初の と厳しめですが、コースも整備されていますので、 ゆっくり歩いても3 時間弱で着くかと思います。ト ライされてみてはいかがでしょうか。 September-October 2016 73
© Copyright 2024 ExpyDoc