日本基督教団 麻布南部坂教会月報

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牧師 松
谷 祐 二
マタイによる福音書 第五章四三∼四八節
﹁あなたがたも聞いているとおり、﹃隣人を愛し、
敵を憎め﹄と命じられている。しかし、わたしは
言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のため
に祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるた
めである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくだ
さるからである。自分を愛してくれる人を愛した
ところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れ
たことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同
じことをしているではないか。だから、あなたが
たの天の父が完全であられるように、あなたがた
も完全な者となりなさい。
﹂
︵新共同訳聖書︶
マタイによる福音書 第五章六∼八節
﹁義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
﹂
ヤコブの手紙 第一章二二∼二五節
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、
聞くだけで終わる者になってはいけません。御言
葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生
まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、そ
れがどのようであったか、すぐに忘れてしまいま
す。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に
見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人
ではなく、行う人です。このような人は、その行
いによって幸せになります。
印刷 有限会社 創文社 Tel(3491)8321
﹁ 堅実に長続きするためには﹂︵ヤコブの手紙[七]︶
教会附属 南部坂幼稚園
http://www.nanbuzaka.com/
婦人会
第4日曜日 礼拝後
2016(平成28年)10. 9
その他の日曜日
教会学校 9:00 ∼
聖書を読む会 9:00 ∼
主日礼拝 10:30 ∼
E-mail [email protected]
牧師
松 谷 祐 二
成人会
第3日曜日 礼拝後
日本基督教団
麻布南部坂教会月報
麻布南部坂教会月
報
聖書と祈り会
毎週水曜日 10:30 ∼
第一日曜日
教会学校 9:00 ∼
主日第一礼拝 9:00 ∼
主日第二礼拝 10:30 ∼
﹁御言葉を行う人になりなさい。
﹂ヤコブの手紙
はキリスト者たちに対して率直に告げます。ここ
での﹁御言葉﹂とは、イエス・キリストが語られ
た、弟子として、救われた神の民としての生き方
を示す教えを指します。福音書を見ると、イエス
様ご自身、公生涯の間に幾度も、
﹁御言葉を聞い
て行う﹂ということを弟子たちにお教えになった
ようです。それほど、
﹁聞くだけで行わない﹂と
いうのは犯しがちな過ちです。現代のわたしたち
にとっても、耳の痛い話ではないでしょうか。
ヤコブの手紙は、
﹁御言葉を聞くだけで行わな
い﹂という有りようを、自分の顔を鏡で見ること
にたとえました。わたしたちも、朝起きてから出
かける前には、顔や髪型、服装などを気にして鏡
の前に立ち、整えようとします。しかし、満員電
車に押し込まれて、あるいは仕事をしているうち
に、髪がぐしゃぐしゃになったとか、化粧が落ち
たとか、
そういうことにならないとも限りません。
もう一度また鏡をのぞかないと、自分の顔のこと
はよく分からない。どんなにひどい姿をしていて
も、人に指摘されて恥をかくまで気がつかない。
特別に忘れっぽい人でなくとも、自分の顔につい
ては皆大体こんなものでしょう。
必ずしも分かりやすいたとえではないかもしれ
ませんが、要は、自分がどういう姿でいるか、ど
うあるべきなのかが、すぐにわからなくなってし
まう。本来こうあるべきだという生き方が、長続
きしない。
﹁御言葉を聞くだけで行わない﹂とい
うのは、そういう情けないことだよ、とヤコブは
教えているようです。
しかし、
そうでない人がいるのでしょうか。
﹁聞
いて忘れてしまう人﹂ではないような人が。
ヤコブは、その反対の生き方を教えます。それ
は﹁自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、
これを守る人﹂
。字面だけ見ると、何と大変そう
な、と思われそうなところです。いったい﹁自由
をもたらす完全な律法﹂とは何でしょうか。それ
は、初めに述べました﹁御言葉﹂のことです。キ
リストの弟子として、救われた神の民として、か
くあれ、かく生きよという、イエス・キリストが
語られた教えのことです。
﹁御言葉﹂すなわちイエス様の教えは、
﹁完全な
律法﹂です。しかも﹁自由をもたらす﹂ものです。
旧約聖書の﹁律法﹂自体、ユダヤ人にとって、本
来は神様の完全な教え、人に自由をもたらす喜ば
しいもの、のはずでしたが、人間の自己中心的な
性質は、これをさえ、自由を束縛するもののよう
に敬遠してばかりでした。さらに、後の時代に積
み重ねられた、律法の字面にとらわれすぎた解釈
は、逆に、実際に人を束縛し、人の重荷となるよ
うになっていきました。そのような時代に、イエ
ス様は律法をもう一度、本来の神の御心に沿って
語り直すようにしてお教えになり、
﹁自由をもた
らす完全な律法﹂を与えてくださったのです。
鏡を見てもすぐに自分の顔、姿がわからなくな
るように、
﹁聞いて忘れてしまう人﹂になりがち
な、長続きしないわたしたち。しかし、その反対
に、
﹁イエス様の教えを一心に見つめ、これを守
る人﹂ならば、自分がどういう姿でいるか、どう
あるべきなのか、見失わずにすむことでしょう。
そういう生き方はちゃんとできますよ、とこの手
紙は励まそうとしています。いったいどうすれば
できますか、
と尋ねる人があれば、﹁行うことです﹂
とヤコブは答えます。
﹁聞いて忘れる﹂にならな
いためには、
﹁聞いて行う﹂ことですよ、と。
完全にできるかどうか、などは、もとより問う
必要もないことです。神の助けがない限り、不完
全に決まっています。聞いて、行おうとすること
が大事なのです。そうすれば、その結果が良くて
も悪くても、わたしたちは﹁聞いて忘れてしまう
人﹂ではなく﹁イエス様の教えを一心に見つめ、
これを守る人﹂でいられるでしょう。そして、そ
ういう人々に、何はなくとも、神様が必ず報いて
くださることを約束して、イエス様は﹁幸いであ
る﹂
﹁幸いである﹂
︵
﹁あぁ、なんと幸せなことだ
ろう!﹂という感嘆文に近いものです︶
、と繰り
返し、弟子たちに仰せになったのでした。このイ
エス様の御言葉を信じていたので、
ヤコブもまた、
誤解を恐れずに言い切ったのです。
﹁このような
人は、その行いによって幸せになります。
﹂
老いについておもう
鈴 木
晋
今 はN ゲ ー ジ の 鉄 道 模 型 製 作 に 凝 っ て い
る。さらにクックパッドの助けを借り家庭
料理も楽しんでいる。ウオーキングマシン
で体を動かし、時間が取れれば、車で鎌倉
や箱根など一人ドライブも楽しんでいる。
これらは私のささやかな老化防止だ。しか
し、いろいろ老化防止をしてきたが、よく
考えると自分の好きなことをやっているだ
けでこれは自らの生への執着にすぎず、心
に大きな穴があることに気づかされる。
告
の国のことを考える空想でもいい。今から
でもいい、神に感謝し希望を持って楽しい
老後を過ごせる夢見る老人になりたいもの
だ。
報
*南部坂幼稚園では、九月七日︵水︶から
二学期が始まりました。
*七飯教会︵北海道︶に着任された鳴海と
しゑ先生から、
お便りをいただきました。
*九州教区から全国の教会へ、お祈りと
﹁熊
本・大分救援募金﹂のお願いに対し、教
会で献金を実施し、三万円を九州教区に
送金しました。
人
会
︽各部報告 九月度︾
成
婦
時
人
会
九月二十五日
主日礼拝後
日 時 九月十八日 主日礼拝および会堂
清掃後 午後一時二十分︱午後三
時まで
場 所 教会堂会議室
出席者 八名︵インターネット中継による
参加一名を含む︶
開会祈祷 菊池才知子
内 容
◇イザヤ書
章から 章まで 当番が該
当箇所を要約後、2節ずつ全員で輪読し
た。松谷牧師の解説を聞き、各自感想交
換の活発なディスカッションをした。
◇次会の成人会は、鈴木晋兄宅を訪問する。
◇次会の日時変更の打合せ
次回 司 会 十 月 十 五 日︵ 土 ︶
、司会は鈴木
晋兄
閉会祈祷 黙祷
日
場 所 会堂会議室
出席者 十名
開会祈祷 松谷祐二牧師
閉会祈祷 菊池才知子姉
内 容
一、聖書研究 詩 一一八 編
・1∼4節 詩というより讃美歌のようで
ある。主を畏れる人とはイスラエルの民
のみならず、イスラエルの神を信仰する
異邦人の求道者を含む。慈しみはとこし
えに 神は約束されたことは守って下さ
る。神は選んだ民を見捨てない。このこ
とは永遠から永遠に続くから感謝しよう。
・5∼ 節 絶望的な状態から救い出して
下さるのは神のほかにいない、苦難の中
で何を頼りとするか、権力者に頼ること
なく、主に頼ることで救われる。
・ ∼ 節 都の城門から入って神殿に行
き、主の正義に感謝する。
・ 節 今日という日こそ主が創造された
日、今日のような日がこようとは思わな
かった。過ぎ越しの日を暗示する。キリ
スト教ではイエス様の復活を連想する。
・ 、 節 主 の 聖 名 に 頼 っ て く る 人 々、
主を信じて礼拝に来る人々を祭司たちが
迎える言葉。
二、十、十一月の愛餐会予定を協議、以下
の通り決定した。
十月第一主日 休会
十月第三主日︵十月十六日︶は神学校
日であり、神学生の奨励奉仕に感謝し
て開催︵原姉G担当︶
十一月第一主日︵十一月六日︶は聖徒
の日愛餐会開催︵納姉G担当︶
十一月第二主日︵十一月十三日︶は交
換講壇日愛餐会開催︵原姉G担当︶
三、婦人会有志数名が、教会保有の﹁新共
同約聖書﹂のうち、装丁が傷んでいる
ものについて修復の奉仕を実施
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先 日、
﹁ 死 生 学 ﹂ の 開 祖 で あ る A、 デ ー
ケンの著書﹁よく生き よく笑い よき死と
出 会 う ﹂ を 読 ん だ。 氏 は、﹁ 人 間 は 永 遠 へ
の 旅 人。 自 分 は ど こ に 向 か っ て 旅 す る か、
生き甲斐や人生の意義を深く考え、はっき
りしたゴールを持たねばならない。フラフ
ラした旅人はやがて絶望に直面する﹂と述
べている。そろそろ発想の転換をして新し
い生きがいを求めることが必要だと感じた。
聖 書 で は 老 い に つ い て こ う 言 っ て い る。
﹁若者には幻を、老人には夢を﹂︵使徒言行
録二︱一七︶
。敬老の日礼拝によく引用さ
れるそうだ。幻、夢は希望のこと。老いる
ことは天国に近づくこと、そして若者がビ
ジョンを持つのと同じく老人は﹁夢︵希望︶
を持って御心を持って楽しい老後を過ご
せ﹂と励まされる。
私は旅人としての明確なゴール︵夢︶を
持っているだろうか。年をとると失うこと
ばかり考えがちだ。大切なことは、老いの
持つ様々なポジティブな面と共存し、年齢
にかかわらず果たすべき役割を持ち、心に
ハリを保てるかどうかだ。たとえばボラン
ティアを通して人と関わるのもいい。自分
がたどってきた旅路を子や孫に私の履歴書
として残すといったことでもいい。グーグ
ルで世界中を旅するのもいい。聖書を通読
するのもいいだろうし、旧約、新約の世界
を自分流にまとめるのもいい。まだ見ぬ神
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私には一〇二歳の母、九七歳の義理の母
がいる。共にベッドでの生活で認知症はあ
るものの、意思の疎通には問題ない。つい
数年前までは母は大食漢だったし、義母も
杖をついて買い物にも行っていた。この長
寿は驚異というほかない。私はこの歳にな
るまではあと三十年近くもある。親から見
れば、何を若造と言われそうだ。今日は敬老
の日、
老いについて雑感を書くことにした。
誰しも人生の過程のどこかで年取ったな
と 感 じ る 時 が あ る。 私 は 七 十 三 に な っ た。
六十代半ばには高血圧や動悸、息切れで動
脈硬化が進み、今では多量の降圧剤を服用
している。一時突発性難聴にも苦しめられ
た。
七十になると声に張りがなくなり、
ジョ
ギングをしてもすぐ息が切れる。また物忘
れも激しくなった。そして今は腰痛にも悩
まされている。日頃の運動不足ゆえ仕方な
いとはいえ、とかく無用な不安や思い煩い
が増えてきた。
私は十年前の定年を境に、それまでの社
会人としてのがむしゃらな日々から、妻の
介護という家庭中心の生活へと舵を切っ
た。介護は大変な面ばかりでなく、相手が
いてやり甲斐がある。神様の大きなあわれ
みによって生かされていることを感謝して
いる。ただ主治医は﹁老いは体より先に心
から始まる。新しいことにチャレンジし前
頭前野を刺激する﹂ことを勧める。
日本の介護制度は素晴らしく、訪問介護
や通所介護で介護者の負担もここ数年はだ
いぶ楽になった。そこで時間の合間に幾つ
かチャレンジを試みてきた。例えば数百首
を超える短歌を作ったり、
水彩画も始めた。
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麻布南部坂教会 月報